2015-10-24

lain』的社会

Serial experiments lain という作品で『わたしは偏在する』というフレーズが出てきた。

作品に関してあれこれ考察してしまうとキリがないので、とりあえず短く最近実感した出来事について書く。

Serial experiments lain(以下lain表記)はインターネット現代のように身近な存在となり、わたし達の生活になくてはならないもの

として描かれた作品だ。(と思う)

作中では、インターネットによってつながり過ぎてしまった人達が、過度と言えるほどに不安に晒されるシーンがちらほらと見られる。

日常アニメではSNSキャラクターたちの会話をスムーズに進めたり、絆を深めたりといったシーンを目にすることがあるが、lainでは反対に、インターネットに囚われ、インターネットに怯え、繋がる恐怖に怯えてSNS中心のコミュニケーションに恐怖心を煽られる。

放送当時は1995年あたりだったので、とても新鮮に思えるかもしれないが、ツイッターlineで簡単に、常に人間関係意識せざるを得ない状況になってしまっていて、lain舞台、そのままの社会に移り変わろうとしている。

『わたしは偏在する』

インターネットがある限り、わたし、という個人はどこにでも出現し、他者から意識され、認識される事になる。

私の周りでは、ツイッターというツールを使用している数多の若者がいる。

2ちゃんねるでの匿名性を帯びた人間から風評被害が恐れられていたが、ツイッターは個人の延長として利用されるケースも少なくない。

ツイッターの簡易的なプロフィール本名学歴、生年月日を記入することが可能で、個人情報はいくらでも記載が可能となっている。つまり2ちゃんねるのようなはっきりとした匿名性とは異なり、facebookのようなノリで、『自分(わたし)』という一定人格情報を発信させている人たちがいるのだ。

「〜ちゃん、ウザいよねw」

「〜つまんなかった」

「あの大学マジありえない」

「〜は嫌い!」

「〜キモイ!」

「〜は死ね!」

頻繁にかどうかはわからないが、ツイッターでみられる誹謗中傷の例だ。

ツイッターで嫌いな人が居たら、ブロックすればいい。見なきゃいい。てか、俺のツイート、ウザいなら見んなよw

なんていう人がいる。対面して出会った人達の中での人間関係リアル人間関係)で、こういう発言をする人達は、ツイッターユーザーを簡単に『ブロック』しているのだろうか。

ブロック』は存在をこちら側から消し去ることと同じだ。向こうから干渉することは出来ない。自分世界タイムライン)に存在を認めない事だ。

ツイッター独り言から、嫌なら見なければいい」

本当にそうだろうか。

あなたは『偏在する』のだ。

その発言は、「あなた」が発言した事になる。

リアル人間関係で思ったことをあなたはその場で、本人に向かって、先ほど挙げた例のような言葉を発信するのだろうか。

あなたが本人を目の前にしていようが、いまいが、あなたは『偏在する』

ツイッターの中だろうが、インターネットの中だろうが場所なんか関係なく、常に人間を目の前にしているのと何ら変わりないのではないか。

インターネットの中で、わたしたちはこれから生活しなければならない。すぐそばには、一瞬で世界に繋がれるツールがある。

世界中の人に向けて、そして同時に特定人間コミュニティに向けて、あなたは目の前で「発言をする」。

偏在するわたしは『あなた』に向かってこれを伝えたいと思いました。

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