はてなキーワード: 日本史とは
まあ元増田の意向に沿ってセンター試験としては古漢を廃止することにしよう。でもその変わりに文語文読解は欲しいかな。
で、いっそのこと理科社会を分量を調整しつつ3科目3科目にしよう。
で、現状理科は物理基礎、化学基礎、生物基礎が必修なのをプログラミング基礎新設して生物基礎と排他にしよう(僕は化学生物選択で生物大好きなんだけど生物という科目自体最低でも化学が入ってないと概論しか掴めない面があるのは認めざるをえない)
社会は倫理と政経を本格的に統合しよう、世界史日本史も選択のままにするか悩むんだけどここら辺はあまり実感がないので⋯⋯まあ世界史は地理の上に軽く補わせるとかは思いつくんだけど。まあ上手いこと整理して地、歴、公民をすべてこなしてもらおう。
確かに個人レベルでみた場合には大半の人にとっては不要でしょう。一方で国レベルでみた場合には自国の歴史・文化を研究・伝達するための人的資源を確保するための施策として、古文・漢文という教科を高等教育の前段階である中等教育のカリキュラムに組み込み、入学試験科目として設定すること(を促すこと)には一定の妥当性があるように思います。元増田は「国家レベルで失恋引きずるな。」と書いていますが、むしろ増田は国家レベルでみた場合に必要だという認識です。
また、大学の入学試験は入学後の専攻に対しては極めて大雑把に粗い科目設定しかできないという実運用上の理由もあるでしょう。古文・漢文は「専門的な学問の内容」というよりは「専門的な学問のためのツール」として重要であるため、そういった古文・漢文を必要とする分野に進む「かもしれない」人材に対して、その学習を要求するのはそんなにおかしなことではないように思います。特に東大は進学振り分けの関係上、古文・漢文を必要とする分野に進む権利を認めているわけですから、入試科目に設定していても何らおかしな話ではないでしょう。他の大学に関しては各校の方針または事情で設定したりしなかったりでしょう。実際のところ、当該分野を持たない大学では入学試験科目にしていなかったりすると思います(持っていてもしていないところもあるでしょうが)。
あと、反論として「大学に入ってからやればよい」という意見はある程度、首肯できます。ただ、それに対する再反論として「それだと時間が足りない」というものがあります。実際のところ、古文・漢文は必要となる大抵の場合において「ツール」でしかありませんから、それを学習することは主目的にならないのが大半のケースです。
このあたりが元増田と認識のズレがあるところだと思います。元増田が「おれは別に面白いとは思わなかったが、漢文に出会い興味を持った学生が古典研究者の道に進むことだってあるだろう。」と書いているように、古文・漢文の高等教育段階での必要性について実際よりも狭い範囲にしか認識できないというのは高校生レベルではありうる話です。そういう視野の狭さに対して「入学試験科目」という強制力で対処するというのは一つのやり方なのではないかなと思います。
ちなみに古文・漢文と同じような位置付けにあるにも関わらず、「大学に入ってからやればよい」という意見のとおりになっているのは、日本語・英語以外の言語の学習でしょう。これは東洋史・西洋史・その他の地域史や文学、思想などの研究には必要な「ツール」ですが、一般的には「大学に入ってからやる」ことになっています。ただ、これらの分野については本気でやるなら留学が必要になってくるものなので、日本史・日本文化の研究の「本場」としての優先順位の違いとみなせるように思います。
ちなみに個人的な話でいえば、古文・漢文を受験科目として勉強したことは結果的には時間の無駄だったという認識を持っています。個人的には増田の意見には共感できます。
感想をネタバレまくりで書くのでまだ帰ってきていない人は見ないほうが良い。
かなり個人的解釈が含まれる上私は腐っているのでそちらもご注意。
よろしいだろうか。
~旅立ちセリフ編~
いや・・・・イメージ通りすぎるやろ・・・・・・・・・・・・・
しかも 舌 打 ち ま で し て く れ た
舌打ち「してくれた」というより舌打ち「されてしまった」という方が正しいのかもしれないが
いやはや本当にありがとうございます・・・。
しかもやっぱり黙って出ていくつもりだったんですね・・・だと思ってたよ・・・本当にありがとう・・・・
~帰還~
なんだその左腕と丸いの
右腕だけで敵を2体は屠れそうである。強さを求めてるって感じでイイな・・・
丸いのは・・・・何か元主の衣装にそういうのがあるのだろうか?
あとシルエットの時から思ってたのだがその刀の持ち方はどうなのだろうか。
つよそう(小並感)
~手紙~
手紙に宛名書かねえ上に忌々しいってなんだよ・・・・・面倒は予想してたけど・・・・
めちゃくちゃ不遜・・・・邪険にされてる・・・政宗公は筆まめだったってのに・・・
でもめっちゃうれしい・・・・そうだよ・・・・それでこそ大俱利伽羅さん・・・
政宗公については全く詳しくないのでへ~と思いながら読みました。
義伝見たくなりました。
3枚目!!!!!
これ!!
強くなるためには今の主(審神者)が必要→じゃあ利用させてもらおう
口も達者だし頭も柔軟って~~カ~~~~カッケエ~~~!!
も~~存分に利用してください・・・
私はどの刀に反旗を翻されたいかというとダントツで大俱利伽羅さんである。
~ボイス色々~
あまりの衝撃にこれは何ボイスだとかいう語彙をド忘れしているので
長くなるので衝撃を受けたもののみ。
「俺と話しても~」
ちゃんと周りのこと見てるんだね・・・余裕を感じる。
「あんたは俺に何を~」
ウッス・・・
これはクリックに関してでいいんですよね
でも呆れてる風で絶対零度ではなく生暖か~い感じがイイですね
心開いてはくれてるんですかね
「戦場は~」
ありがとう!!
前なら確認なんか取ってこなかっただろう。
でもどっちにしろ今も確認は取りつつ決定事項という感じはする。
「ようやく~」
いや声が優しすぎる・・・・・・こわい・・・・・ありがとうございます・・・・
「俺を連れて行っても~」
無理やり連れていかれた感があって非常に良い
ちょっと怒ってるし呆れてるのだろうか。
「わかったよ」
「なんだよその目は~」
なんだよその目はのトーンがスッキ
なんていうか、成長したな・・・
大人の余裕を感じた。
「先に行くぞ~」
や、やさしい~~~~~~!!!
強者の余裕を感じる。
「俺は好きに戦う~」
強者の余裕がすごい
「詰めが甘いな」
貴方の右腕はすごい鋭そうですもんね
そっちは爪だけど
「どこで死ぬかは~」
信念を感じる
ことばがでない
「敵、じゃないのか・・・。」
これスッゲーーーーーーースッゲースッゲー好き
「ほかの連中と~」
みんな違ってみんないい(?)
「刀は殺し~」
かっこいい
ことばにできない
「死にたがりって~」
語尾がやさしい
強い男って感じで最高
「・・・ふん。俺に~」
なんでドヤ気味なんだ・・・・
燭台切との畑会話で存じ上げております
恐らくないとは思っている。
あくまで戦に連れて行ってくれる、使ってくれることが主体である。
「戦場を決めるのは~」
前の長期留守セリフではイケズ(多分8割本気)言ってたのになんだこの審神者がいないと強くなれないと
知った途端の変わり様は・・・・
そういうところが好きです
~中傷グラ~
極前よりかなり破れていてすごくいいと思います。
~真剣必殺グラ~
着痩せするタイプか。
なんとなく炎で赤のイメージだったのが闇・炎みたいなカラーだった。
祖母がお見舞いに行く前に死んだという話ではない。
祖母はまだ生きてる。
生きてるけど、もう会話もできないくらいに弱ってる。
夏に帰省した時はまだ自分でトイレに行ったりできるくらいには元気だったけど、先日倒れてもう長くはないそうだ。
だから、倒れたとの報を受けた時も来るべき時が来たって感じで冷静だったと思う。
母からできるだけ早くお見舞いに来るようにと言われ、都合をつけてお見舞いに行った。
このとき祖母の状況を詳しく聞いていなかったから、病室で自分で体を起こすこともできず、会話もできない祖母を見たとき大きな衝撃を受けた。
思えば祖父はふたりとも亡くなってるし、伯母も亡くなってるけどどれも子供のころだったり、ぽっくりだったり、事故だったりで、身内が衰弱していく様を見るのは初めてだった。
ともかく大きな衝撃を受けて、衝撃から立ち直るときに仏様を幻視したのだ。
仏様はそっと微笑んで、OKマークを示しておられた。(あのOKマークってどういう意味なんだろう?)
TVを除けば、最後にまともに仏様を見たのは高校の日本史の資料集かもしれない。
一番わかりやすいのは理不尽で無力な状況における八つ当たりの対象だ。
仏様はすべてを受け止めてくださる、などと普段から考えているわけではないが、そう考えると一応説明はつく。
でも、なんで仏様だったんだろうか?
イエス様でもなく、ほかの宗教的アイコンのいずれでもなく、仏様だった理由は?
やっぱりなんだかんだいっても身近だからだろうか。
けど、私にとって仏様と言えば立川に住むパチモンが一番身近なのだが。
そもそも私が幻視した仏様のオリジナルはどこにあるのだろうか。
とっさにあの微笑みを思い浮かべられるほど仏様を凝視したことなどないと思うのだけれども。
私の脳が作り出したにしてはあまりにも堂のいった微笑みっぷりだったし。
わからん。
私の脳はどのようなシナプスを経てあのイメージを作り出したのか。
脳機能に詳しい方教えてください、
あと、こういった体験は普遍的なものなのか詳しい方教えてください。
人気エントリーより
[例1]
「日本スゴイ」と異世界技術チートは、どこか似ている - シロクマの屑籠
http://b.hatena.ne.jp/entry/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20171123/1511428961
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xevra 日本スゲーは嘘だから問題なのだ。20年間全く進歩できず後進国に転落した日本にはもう凄いものなど無いのだ。無いのに有るかのように嘘ついて国民が誤解して、現状に満足して、さらに転落するから問題なのだ。
日本では当たり前の「漢文」に中国人驚愕「要求高すぎでしょ」 - ライブドアニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.livedoor.com/article/detail/13930639/
→一番人気のブコメ
mahal 傍目から見たら「その時間で中国語教えろよ」なんだろうけど、日本文学の素養とか日本史の史料とかを大学レベルでちゃんと読もうとするなら、漢文読めないとどうにもならないとか、そういう事情は割と伝わりづらい。
[例2]
ようやくわかった。アベノミクスとは「社会主義化」のことだった(宿輪 純一) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/53509
→一番人気のブコメ
giyo381 もともと世界一成功した社会主義国って呼ばれてたよね。株式持ち合い時代もコーポレートガバナンスとかなかったし。正直寝言がすぎる
アベノミクスとは「社会主義化」ではありません - Think outside the box
http://b.hatena.ne.jp/entry/totb.hatenablog.com/entry/2017/11/23/195549
→一番人気のブコメ
英語の授業とかで、やたらゲーム形式とかグループでどうこうとか、先生たちは「楽しんでできるように」っていうのを何度も連呼したけど、普通に逆効果だと思うんだよね。
少なくとも、私にとっては一ミリも楽しくなくて、みんなの晒し者にされるゲームとか私のせいでグループ全体が連帯責任を負わされるグループでの発表とかは本当に苦痛でしかなかった。
というか、基本的に、勉強なんだから楽しくなくて当たり前だと思う。勉強における楽しさとか面白みっていうのはゲームにおけるそれとは違うんじゃないの?っていう。いや本当のゲーム、テレビゲーム的な、そういうものとは似通った部分があるかもしれないけど。
例えば、英語の授業で苦痛を受けた私みたいなやつにとっては、英語=授業でやらされるゲーム=苦痛みたいな、そういう思考になって、英語自体がもう嫌なものになるわけ。
最近(?)体育の授業のせいで運動が嫌、苦手みたいな意識が染みついてしまったみたいなのよく見るけど、それと同じことが英語にも言えると思う。もちろん数学にも。日本史にも。
英語の、そういう、ゲーム的でない、例えば長文読解のためにわからない単語を辞書で引いたり、英文を和訳するのにうまい言い回しを考えたり、文型を理解してそれに当てはめて英作文をしたりとか、そういうのはすごく楽しかったわけよ。私にとっては。
実際、無理に英語の先生および"英語"のキャラクターに気に入られるような、英語のゲームなどを楽しめる明るい生徒になろうとすることはやめて、私の楽しいと思えることをガリガリやることによって、英語の成績は上がった。私のような人間にとっては、成績が上がる=楽しさにもつながる。
もちろん、今の私は英語なんて全く話せないし、TOEICだってペロペロだけど、英語=楽しんで身に付けよう!!楽しまなきゃ!!みたいな強迫観念を持っていたままだったら、英語という概念死ねの気持ちは消えなかったと思う。
だから、ECCジュニア~~みたいなそういうスタート、今小学校で実際に英語の授業として何やってるのかわからないけど、あの一面的な「楽しさ」押しのスタートっていうのは、そりゃ好きな子どもにはぴったりだろうけど、私みたいなそういうのがとにかく嫌っていう子どもにとっては、英語死ねのスタートにもなりかねないのでは、と思っている。
今回、選挙を経て、痛感したのは、日本に民主主義は根付いてないんだなーって。
民主主義って、つまり多数決、最大多数の最大幸福、それを信用しない、できないひとがたくさんいるのだなと。
考えてみれば、日本は独裁制であっても、そこまでひどい政治を経験してないんだよな、歴史的に。第二次大戦くらい。
しかも、その民主主義を考えるきっかけになるはずの学校教育は、日本史は、天皇中心の歴史を教えるから。
投票というのは、日本の未来について考えること、そのイデオロギーを自分の中で確立させ、それを意思表示する行為だと思う。
ま、独裁制と代議制なら、代議制の方がマシってだけ。正直、大差ない。トランプさんとか見てると。
選挙は、今の時代に合ってない、興味を持たせろとか、そういう意見もあるけど、僕から言わせれば反知性主義だよなーと。がり勉はダサいっていう奴の論理だよね。
最低限の、危機回避の可能性のためなんだよね、選挙って。その為に勉強しとこうぜって。
ナチスとかポルポト政権、カミカゼを出さない為には、民主主義しかないと。
ちゃんと、見る目を養った社会でしか、喰いとめられないというのが限界。
っていうか、小選挙区制だと、人気よりも団結がモノを言うわけで、そういう意味では投票したって死票、無意味という論理だって成り立つし、どこも同じだろうという考えのもある。
代議士たちの理念や演説会、討論会を見れる機会がないと、どれも同じだよね。いちいちHP回って、みて、比較して。
でも、ひどい代議士だと、HPにすら何も書いてないし、小学校から今に至るまでの微笑ましいエピソード集なんかが載ってて、反吐が出る。アイドルかよ。
正直、日本はこれからどんどん衰退するし、なんとかしがみついていかなければならないんだなと思うと、戦々恐々とする。
自分たちが選んだんだ、なんていうけど、それはちがうと思う。
そういう仕組みが出来上がる時に、批判できなかった。大きくなって崩すには、時間と労力がかかる。もう手遅れだ。
もちろん、先人たちのおかげで、今の、生活が成り立ってるのは承知している。
だけど、彼らがちょっとでも、お金稼ぎの合間に、趣味の合間に、手を止めて、このままで大丈夫か?と議論してくれていたらと思ってしまう。
徳川の時代に若い男だけがかかる死に至る病がはやって、男が激減
序盤こそわかりやすかったけど、本格的に過去編に入ってからは文章多いし歴史ものってことでわかりにくい言葉がたくさん出てくるしで正直挫折しそうにもなった
でも土日で体力あったし慣れてきたら読めるようになった
でも一気読みじゃなかったら都度読み返さないと内容把握できなくて挫折してたと思う
・話のキモになっている病気について単にそういう病気があったから逆転したーというだけで病気を放置したままにしないこと
・中学レベルの日本史の知識の裏を独自の解釈で埋めていってくれて、無味乾燥だった日本史の知識がどんどん色づいて感じられるようになっていったこと
あと性格もほぼ同じに見える
女も男もほぼみんな同じ顔に見える
いまんとこ読んでて楽しかった話は、
だな