2017-12-05

祖母のお見舞いに行ったら仏様を見た

祖母がお見舞いに行く前に死んだという話ではない。

祖母はまだ生きてる。

生きてるけど、もう会話もできないくらいに弱ってる。

夏に帰省した時はまだ自分トイレに行ったりできるくらいには元気だったけど、先日倒れてもう長くはないそうだ。

祖母も九十を超えているので大往生だろう。

祖母がなくなること自体覚悟できているつもりだ。

から、倒れたとの報を受けた時も来るべき時が来たって感じで冷静だったと思う。

からできるだけ早くお見舞いに来るようにと言われ、都合をつけてお見舞いに行った。

このとき祖母の状況を詳しく聞いていなかったから、病室で自分で体を起こすこともできず、会話もできない祖母を見たとき大きな衝撃を受けた。

思えば祖父ふたりとも亡くなってるし、伯母も亡くなってるけどどれも子供のころだったり、ぽっくりだったり、事故だったりで、身内が衰弱していく様を見るのは初めてだった。

ともかく大きな衝撃を受けて、衝撃から立ち直るときに仏様を幻視したのだ。

仏様はそっと微笑んで、OKマークを示しておられた。(あのOKマークってどういう意味なんだろう?)

私は一応仏教徒だが世間様と同様ただの葬式仏教だ。

特に信心深くもないし、寺巡りが趣味というわけでもない。

TVを除けば、最後にまともに仏様を見たのは高校日本史資料集かもしれない。

そうした自分がこの状況で仏様を幻視する理由は何だろうか?

一番わかりやすいのは理不尽で無力な状況における八つ当たり対象だ。

仏様はすべてを受け止めてくださる、などと普段から考えているわけではないが、そう考えると一応説明はつく。

でも、なんで仏様だったんだろうか?

イエス様でもなく、ほかの宗教的アイコンのいずれでもなく、仏様だった理由は?

やっぱりなんだかんだいっても身近だからだろうか。

けど、私にとって仏様と言えば立川に住むパチモンが一番身近なのだが。

そもそも私が幻視した仏様のオリジナルはどこにあるのだろうか。

とっさにあの微笑みを思い浮かべられるほど仏様を凝視たことなどないと思うのだけれども。

私の脳が作り出したにしてはあまりにも堂のいった微笑みっぷりだったし。

わからん

私の脳はどのようなシナプスを経てあのイメージを作り出したのか。

機能に詳しい方教えてください、

あと、こういった体験普遍的ものなのか詳しい方教えてください。

まさかこれは特別体験で私には悟りの才能が!?

 

とにもかくにもこのお見舞いを通じてSF体験をして、S信心深くなったのでした。

ちゃんちゃん

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