祖母がお見舞いに行く前に死んだという話ではない。
祖母はまだ生きてる。
生きてるけど、もう会話もできないくらいに弱ってる。
夏に帰省した時はまだ自分でトイレに行ったりできるくらいには元気だったけど、先日倒れてもう長くはないそうだ。
だから、倒れたとの報を受けた時も来るべき時が来たって感じで冷静だったと思う。
母からできるだけ早くお見舞いに来るようにと言われ、都合をつけてお見舞いに行った。
このとき祖母の状況を詳しく聞いていなかったから、病室で自分で体を起こすこともできず、会話もできない祖母を見たとき大きな衝撃を受けた。
思えば祖父はふたりとも亡くなってるし、伯母も亡くなってるけどどれも子供のころだったり、ぽっくりだったり、事故だったりで、身内が衰弱していく様を見るのは初めてだった。
ともかく大きな衝撃を受けて、衝撃から立ち直るときに仏様を幻視したのだ。
仏様はそっと微笑んで、OKマークを示しておられた。(あのOKマークってどういう意味なんだろう?)
TVを除けば、最後にまともに仏様を見たのは高校の日本史の資料集かもしれない。
一番わかりやすいのは理不尽で無力な状況における八つ当たりの対象だ。
仏様はすべてを受け止めてくださる、などと普段から考えているわけではないが、そう考えると一応説明はつく。
でも、なんで仏様だったんだろうか?
イエス様でもなく、ほかの宗教的アイコンのいずれでもなく、仏様だった理由は?
やっぱりなんだかんだいっても身近だからだろうか。
けど、私にとって仏様と言えば立川に住むパチモンが一番身近なのだが。
そもそも私が幻視した仏様のオリジナルはどこにあるのだろうか。
とっさにあの微笑みを思い浮かべられるほど仏様を凝視したことなどないと思うのだけれども。
私の脳が作り出したにしてはあまりにも堂のいった微笑みっぷりだったし。
わからん。
私の脳はどのようなシナプスを経てあのイメージを作り出したのか。
脳機能に詳しい方教えてください、
あと、こういった体験は普遍的なものなのか詳しい方教えてください。