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2024-09-01

20代~30代の頃、プログラマーになればよかったと凄い後悔していた

情報工学系の学生だったんだけど、サークルの先輩5人ぐらいから「SEコーダーマジでブラックだ!もうこの業界は駄目だ!俺は組み込み系とかに行くけど、そうやって逃げるやつだらけで転職もまともに出来ない!」と言ってるのを見聞きして、俺はIT系に進むのを辞めた。

結局俺が進んだ業界もそこそこにブラック転職しても転職してもハズレだらけで「あーこれならプログラマーでもやってりゃ良かったわ」とずっと後悔してた。

それから20年ぐらいして、長く関係の続いてる人やネトゲとかで繋がりがあった40代50代ぐらいのIT業界人間が少しずつおかしくなっていくのが分かってきた。

プログラマー30代定年説って奴の亜種何だと思うんだが、最新の技術についていけずレガシーな分野でつまら仕事を高いとは言えない給料で延々とやることのストレスがあるようだ。まあ大部分は直接顔も合わせずにブログツイッター書き込みを読むだけの情報だけど。

肩書だけ上の方について、若手がキラキラした仕事をしているのをサポートするばかりで自分前線には立てなくなっているとかなんとか。

彼らが出世競争に敗れて、上の方で指揮を取って自分理想現場に叶えさせる立場に立てなかっただけな気もするんだけど、年齢的なのもあってそこから独立して自分理想通りの軍隊を作るみたいな気力はないらしい。

というか、俺の知り合いだけあって最初からそういう気力なんてないような人間、それこそ「IT業界で極めればカチャカチャターンマクロポチーで仕事終わってあとはテレワークをいいことに時間つぶしてゲームでもやってりゃいいぜ!」ぐらいの感覚人間が多かったってのはありそう。

どんなにレガシー技術を使ってても、ベースとなる部分がドンドンアプデやサービス終了をかますせいで新しいことを覚え続けることからは結局逃げられず、その癖自分の頭はボケていくってことに相当苦労してるようだ。

俺は逆に職場の他の人がパソコンに疎すぎるせいで所謂大先生」のポジションになり、マクロや数式の補修をチョコチョコやるだけでクソほど褒められる。

まあオマケ程度の雑用ばかりだから評価シートに書いても全然査定が有利にならんので、昇給レースで敗北しきった負け犬ポジションではあるんだけど。

俺が2、30年「悔しい!俺もあの業界で飯食ってればよかった!仕事毎日まらなすぎる!」と嫉妬していた人達別に俺より楽しそうに生きてない。

俺と大差ないレベル死にたいとか辛いとか金がないとか居場所がないとか結婚できてないとか老後が怖いとか趣味ゲームアニメしかないとか言っててまあ要するに同じレベル人生が終わっている。

結局、俺達にはどの業界だろうが等しく生きていくための才能がなく、ITに行ったら行ったで「他の業界にすれば良かった!仕事がずっとクソすぎる!」と叫んで暮らしていたんだと思うんだよな。

そして、どの業界に行った所で「アレ、実は俺の仕事なんだよね」なんて言えるような仕事はなく、どっかのゲームの小さな大会で3位になったとか、サラリーマン川柳で下の方の賞を取ったとか、小学生の頃に読書感想文コンクール入賞したとか、そういうクッソほどしょーもないことを人生における数少ないトロフィーとしてずっと誇って生きていくのだろう。

普通の人はミドルエイクライシスとか言って30代で発症して30代で治るものを、俺は10年早く発症して10年遅く治しているって考えるとさ、マジで生きる才能がないんだなあ。

生きる才能がないなりに頑張ってるなあ。

anond:20240901134144

それはー なんだろ?

コンクール審査員演奏の善し悪しを探るような目を持ちたいということだろうか?

それなら実際にその楽器演奏をかなりハイレベルで出来るようにならないと厳しいんじゃないかな?

音楽の良し悪しはシロウトでも分かるけど演奏技術的な部分での良し悪しはプロしかからないんじゃないかな。

歴史を学ぶことが、お互いの断絶を深めているのではないか

素朴な疑問。

近代戦争しろ戦国時代しろ、それらを学ぶことで平和に近づくことはないのではないのだろうか?

必要なのは過去確執を忘れることではないのだろうか。

未来の新しい関係を気づく上で、歴史に対する記憶は困難をもたらすのではないだろうか。

また、まだ見ぬ未来を見据える上で、歴史先入観を与え、むしろ邪魔になるのではないか

賢者歴史に学ぶ」だなんて嘘だと思う。今までの歴史が、新しい近代技術において何の役に立つというのか。

anond:20240901134144

音感リズム感だな、ここでいう音感リズム感は感覚的なものというよりは、周波数単位でずれなく声を含む任意楽器から指定の音が出せるかと、ミリ秒単位特定タイミング指定の音が出せるかを示している。これを持続的に出来ることが、所謂演奏が上手い人が持つ最小要件 (満点)、これだけだと打ち込みで事足りるという話になってしまうが、人が演奏するだけで強弱や精度にむらが必ず出るので実はあまり心配しなくても良くて、結局は音感リズム感に落ち着くと思う (偶に上手いけど機械的と批難される演奏者がいるが、その時点でプロなので、多くのアマチュアは気にする必要は無く、精神論スピリチュアルな方向に傾倒するよりは演奏技術の向上に勤しんだ方が見返りは多い印象)

楽器うまい」の解像度を上げたい

「指がすごい勢いで動いてるとうまい」程度の認識しか持っていないので、自分の中での評価簡単に飽和してしまう。

要するにある程度の技術を持った人が全員満点扱いになってしまう。

これはこれで幸せな気もするが、特にピアノギターについて、どういう点に注意して聴いたら/見たら良いか諸氏の知見をお借りしたい。

日本看護倫理学会は、なんで今頃こんな声明だすのかね?

【緊急声明新型コロナウイルス感染症予防接種に導入されるレプリコンワクチンへの懸念 自分と周りの人々のために
要約

一般社団法人日本看護倫理学会は、次世代mRNAワクチンとして、世界で唯一日本のみで認可され、2024年10月1日から定期接種を開始するとされている自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)の安全性および倫理性に関する懸念を表明します。

はじめに

新型コロナウイルス感染症に対する予防手段として遺伝子操作ワクチンであるmRNAワクチンが導入され、多くの国民が接種しました。

いままでのワクチンが、ウイルス細菌などの病原体を弱毒化したものやその成分を抗原として接種しヒトの免疫応答を誘導するのに対し、遺伝子操作ワクチンは、当該抗原(スパイクタンパク質)をヒトの細胞内の遺伝機構を用いて作らせる点が大きく異なります

そして、昨年11月28日に、自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)が世界に先駆けて日本で認可され(CSL, 2023; Sheridan, 2024)、以来日本は世界で唯一の認可国となっています

認可されたレプリコンワクチン米国の Arcturus Therapeutics が開発し、ベトナムでの大規模な治験(第I~第III相臨床試験)(Ho et al., 2024)を経て、製造販売日本Meiji Seikaファルマが行なうものです。

レプリコンワクチンは、これまでのmRNAワクチンの抗原産機能に加え自分自身を複製する機能があるため、少量の接種で長期間スパイクタンパク質を産生します。

このレプリコンワクチン2024年10月1日をめどに定期接種を開始する(読売新聞, 2024)とされていますが、本学会は以下の通り、このワクチン安全性倫理性に関する懸念を表明します。

1. レプリコンワクチンが開発国や先行治験国で認可されていないという問題

日本がレプリコンワクチンを認可してから 8 ヶ月が経過していますが、開発国である米国や大規模治験実施したベトナムをはじめとする世界各国で未だにレプリコンワクチンが認可されていないのはなぜでしょうか。

この状況は、海外で認可が取り消された薬剤を日本で使い続けた結果、多くの健康被害をもたらした薬害事件を思い起こさせます

COVID19 パンデミックときのような緊急時を除き、本来、薬剤は安全性が認められるまで世の中に出回ることはありません。

海外で未認可であるということは何らかの安全上の懸念があるのではないかと疑わざるを得ません。

2. シェディングの問題

レプリコンワクチンが「自己複製するmRNAであるために、レプリコンワクチン自体が接種者から非接種者に感染(シェディング)するのではないかとの懸念があります(Seneff & Nigh, 2021)。

すなわちそれは、望まない人にワクチンの成分が取り込まれしまうという倫理問題はらんでいます

これは医療において最も重要で最も基本的倫理原則である危害を与えない」ことへの重大な侵害といえます

レプリコンワクチンは、感染性を持たせないように設計されている(Ricardo-Lax et al., 2021)とのことですが、そのことは臨床研究によって実証されなければなりません。

しかし、現在までに当該レプリコンワクチンにおけるシェディングに関する臨床研究は皆無(岸田, 2024; 厚生労働省, 2024)です。

レプリコンワクチンが、望まない人にワクチンの成分が取り込まれしまうという倫理問題はらんでいることに加え、10月からの定期接種が、シェディングの有無を確認するための実証研究になってはいけないと考えます

3. 将来の安全性に関する問題

遺伝子操作mRNAワクチンは、人体の細胞内の遺伝機構を利用し抗原タンパク質を生み出す技術であることから人間遺伝情報や遺伝機構に及ぼす影響、とくに後世への影響についての懸念が強く存在します。

mRNAベースワクチンはヒトのDNAを変化させないという根強い主張がありますが、それを裏付け研究は欠如しており、出所のはっきりしない仮定である(Domazet-Lošo, 2022)ことが明らかになっています

最近研究では、ファイザービオンテック製のmRNAワクチン塩基配列がヒトの肝細胞DNAに逆転写されたと報告されており(Aldén et al., 2022)、ヒトの遺伝情報に影響しないという言説は

根拠を失いつつあります

このような問題解決されていない以上、定期接種によって広範囲かつ継続的mRNAワクチン使用することは問題があると考えます

4. インフォームドコンセント問題

従来のmRNAワクチンで指摘されていた重篤副作用については、臨床試験の段階においても(Cardozo & Veazey, 2021)、実際に接種が開始されてからも(Slawotsky, 2023)、被接種者に十分な説明が行われてこなかったことが示されており、インフォームドコンセントを基盤とする医療のあり方を揺るがしかねない事態に私どもは強い懸念をもっています

従来のmRNAワクチンでも指摘されていた心筋炎(Hviid et al., 2024)やアナフィラキシー(Barta et al., 2024)等に加え、上述したシェディングの可能性など、接種の時点で判明している有害事象リスクを、被接種者に十分に説明し、理解をしてもらうことが重要です。

そのうえで被接種者本人が自発的に承諾するという基本的インフォームドコンセントプロセスを経る必要性があると考えます

5. 接種勧奨と同調圧力問題

従来のmRNAワクチン接種の事例を鑑みますと、ひとたびレプリコンワクチンが定期接種化されれば、医療従事者は率先して接種すべきであるとの世論医療機関の方針が打ち出されることは想像するに難くありません。

患者を守るために医療従事者が感染経路とならないようにするという大義名分のもと、医療従事自身主体的自己決定権が脅かされることがあってはなりません。

また、レプリコンワクチンは、自分のみならず、非接種者の家族や周囲の人々にまで影響を与える可能性がある中で、接種しなければならない状況に追い込まれることは絶対にあってはならないことだと考えます

結論

一般社団法人日本看護倫理学会は、レプリコンワクチンの導入に関してはさらなる研究と長期的な安全性データ収集必要であり、十分なインフォームドコンセントの確保と、接種に関する勧奨と同調圧力排除が求められると考えます

われわれは、安全かつ倫理的に適切なワクチンの開発と普及を強く支持するものではありますが、そのいずれも担保されていない現段階において拙速にレプリコンワクチンを導入することには深刻な懸念を表明します。

  

引用元https://www.jnea.net/wp-content/uploads/20240806kinkyuseimei.pdf

この声明が出たのは8月8日

レプリコンは9月中って話もあるけど、10月1日からなんだね。

  

それにしても、この声明を出すの遅すぎじゃね?

もうレプリコンは止まらないし、従来型mRNAワクチン批判もしてるけど、もっとから言えた話じゃん。

今、この声明を出す意図って、なんだよ。

ピクセルアート版のFF7がやりたいという欲求がある

FF7で最新の3D技術を駆使したリメイク作品がチョロチョロと出てるけど、

それよりもFF6の流れを汲むスーファミ芸術的ピクセルアートを駆使したようなFF7で遊んでみたいんだよな。

2024-08-31

anond:20240831232549

礼儀や徳は身につけるもの

意識しなければできなかったもの意識しなくてもできるようになり、その背景にある価値観内面化され、やがてそれらは人格と言って差し支えないものになる。

そうしたければそうすれば良いし、したくなければしなければいい。一度身につけたからと言って、取り外すことができないものでもない。なんか違うと思ったらやめることもできるものだ。

私は30過ぎるまで、どんな時も怒らないことを美徳だと思って半ば内面化していたけれど、35くらいでそれは間違いだと気付いた。当時の私も含め、日本人は怒らなさすぎる。

怒ることは使い方を間違えればただの暴力だが、適切な用法用量で用いれば自他を守る武になる。

怒るべき時に必要な質と量をもってビシッと怒ることは極めて有用技術であって、怒る技術があればこそ乗り越えられる局面がしばしばある。

鬱病患者の増加も、LGBTQやポリコレ対処法も、その他諸々も社会問題であり、ひいては医学科学諸々理系領域ではないのに、みんな理系神格化してんのかってくらい依存しすぎている。次々と降って湧く新しい社会問題対処は、文系の分野だろうに。便利なもの依存しすぎたせいか文系蔑視のしわ寄せなのかは知らんけど、全体的に問題解決能力が低下してないか。薬出せば、手術すれば、で全部解決するなら、技術は進んでるのに、問題がなぜなくならない?

anond:20240831195649

それと「mRNAワクチンを打っても筋肉にとどまり分解される」というのは大嘘

LNP(脂質ナノ粒子)は体の至るところに運ばれ、蓄積して細胞を傷つける。

現に副腎や卵巣、脳などでスパイクタンパク発見されてる。

なかなか分解されないばかりか、体の至る所に運ばれるmRNAワクチン

まさにこれは毒毒毒といえる代物で、将来的には凍結されるゴミ技術だね。

anond:20240831193100

こういうインターネットによる個人間のコミュニケーションなんてのは単なる遊びで、メインはデータ通信による仕事効率化とか技術革新とかっしょ。

技術者とかならどういう技術が何に使われてるかもよく知ってるだろうし、そのほかの仕事でも知ってる人は多いと思うけど、そうじゃない人はなんか生活が便利になってくことにネットがかなり影響してるとか思いもよらないだろうしな。

インターネットは確実に世界を変えたけど、それはこんな目にみえるところでやってる雑談かのことじゃないんだよ。

理系技術を使ってボランティアしたい

プログラムが少し書けるから、そういうのとか。

数式が少しわかるから、そういうのとか。

どこに行けば良いの?

別に誰一人として「これこそが真理である」とか「間違いなく正しい」とか、一言も言っていないにもかかわらず、

「盲信はよくない」という情報量0で何か物申した気になっている輩が湧いてくる。

議論を行う人々が断定口調なのは、それが単なる論の定義しかなく、「これは間違っているかもしれないが」などと自明なことをわざわざ述べるのは無駄からだ。

誤りが含まれるのであれば誤りを指摘すればよいのであって、「間違っているかもしれない」などという指摘は議論において何の意味も生じない。

しかし、そんな議論の基本を知らない人間からすれば、何ゆえにこの人はそれほど自信をもって偉そうに断言できるのだろうという猜疑心を生じさせる。

まことに、お互いに分かり合うというのは難しきことである

そういうわけで、私は何事か考えを述べる際、末尾に「かもしれない」、「~そう」、「~っぽい」などと付け加え、あいまいでブレ幅のある頼りない雰囲気を醸し出している。

これは人々の耳目を集めて事を成す業種の人からすれば悪手であり、ネット上でお叱りを賜ることの多い態度であることも重々承知しているが、

個人世渡り技術としては、こちらの方が無用闘争時間を割いて疲弊するリスクを減らせて有用なのである

anond:20240831034756

普及した技術が消える事は100%無いので反AIが消えるのが良いと思います

なぜSNS上で知性の欠片も感じない言動を垂れ流している人間が往々にして何らかの専門技術を修めているのか。

リアルが満ち足りているからこそ、SNS上での振る舞いが幼児狂人のそれであってもなんら痛くも痒くもないということか。

しろSNS上で小賢しく振る舞う私のような人間こそ、SNSに全振りしている落伍者ということか。

少なくとも、私はSNS上での振る舞いが残念な人間を信用しようとは思わないが、公私のギャップが大きいほど親しみを感じる人間もいることだろう。

彼らはSNSチラシの裏として扱うことを厭わない。

なぜならば、すでにリアルが充実している彼らはSNSを介してプラスアルファの人脈や名声を得る必要がないかである

しかし、私はリアルが残念であるために、SNSを介してそれらを求めざるを得ず、ゆえにSNSを「公」として扱うのである

Fish don’t know they’re in water』

1. 周囲の文化価値観というものは、そこから距離を置いてみなければ意識することができない。

2. 人は苦労して潜水するが、魚は平然と水の中を泳ぐ。自分に合った活躍の場を探すべき。

最初後者意味かと思ったけれど、原典では前者の意味だった。

人生意味なんてあるのか by 負け組中高年」の意味ちゃんと伝わってないな―と定期的に感じる

本当の命題は、「毎日仕事で嫌な思いをして、休日家族サービスのために連れ回され、特別趣味もなく、子供や伴侶から特に好かれている感じもなく、身体も少しずつだめになっていき、昔楽しめことも少しずつ飽きてきた。生きることで得られる幸福度は下がっていく一方だけど、仕事で求められる責任や面倒くささはドンドン増えていってる気がするし、かといって楽な仕事をすれば「年齢の割にこんなショボイことしかしてないのか」と冷ややかな目を向けられ結局辛い思いをする。進歩する技術や変化するルールについていく能力も失われ、ただただ生きるということに必死にならなければいけない。こんなにも辛い思いをしてまで生きるほどの価値が今の人生にあるのか?表層をただ眺め回しただけでは、毎日苦痛釣り合うだけの幸福毎日得られているなんて思えない。人生の深層にはなにか素晴らしいものが埋まっているのだろうか?私がまだ気づいていない生きるに足る何かが。そういった妄想にすがることでなんとか日々の無聊を慰めてきたが、いい加減ただ苦しくて退屈で先の見えた人生なんて終わりにしたほうが幸せな気がしてならない。

死んでしまえば今ある日々の幸福は失うが、同時に今ある全ての苦痛から逃げられる。

生き続ければ日々の小さな快楽を得られても、同じく日々の苦しみを味わい続けることになる。

表面上だけで電卓を叩けばプラスマイナスに勝っていると思えなくなったこ人生、それでも何か、まだ死ぬべきではないと思えるものがあるのだろうか(なお、住宅ローン子供養育費については十分な貯蓄があり、伴侶や子供再婚理解があるため自分が死を選らんでも家族が路頭に迷うことはないものとする)」

なんだよなー。

ここがちゃんと伝わってるとは思えない回答が多いんだよな―といつも考えてしまう。

それをギュっと圧縮するなら「死ねば全てが終わるが、生きれば全てが続く、続けるだけの価値がこの人生に残っているのか?」って言い方のほうが正しい気がするんだよねーといつも思ってしまう。

anond:20240831014157

英語論文を読み、情報収集を欠かさず、最新の技術キャッチアップし、高速な開発環境を整備し、カンファレンスに出るようなITエンジニア

インプット評価しようとしてんじゃねーよ。仕事ならアウトプット評価しろ

…まあ、良いシステムを作ったからといって余分に金が貰える訳じゃないけどね

やはり、人々が求めるものは話術なのではないか

どれだけ英語論文を読み、情報収集を欠かさず、最新の技術キャッチアップし、高速な開発環境を整備し、カンファレンスに出るようなITエンジニアであっても、

明石家さんまの方が多くの金を受け取っていることだろう。

まり、そういった能力明石家さんまの話術に比べれば取るに足らない価値であると、社会はそう言っているわけである

ITエンジニアに用があるのは少数の人間だけだが、明石家さんまの話術によって元気を貰う人は多い。

用がある人が多いほど、社会における価値高まるのも自然な話であろう。

とはいえ、凡百の話術程度ではそのような次元へ至れないだろうし、ある種天賦の才見出して活かすことも求められる領域ゆえ、

競争過酷さで言えばITエンジニアよりもはるかに厳しいのではないかと思われる。

2024-08-30

anond:20240830081759

お返事すごく遅れてごめんにょ。

CVCは、相手企業がどういう性格企業かによるので一概には言えないのですが、割とかなりいい話だと思ってもいいと思います

そもそも、どんな話にせよ、「資金」の方からスタートアップに興味を持たれるというのは悪いことではない。もちろん、詐欺もいるのかもしれないから要注意ではありますが。

CVCをどういう風に考えればいいかには、起業家自身がが自分スタートアップの「その後」のイメージをどう持っているかにも寄りますね。自分会社として大きくしていきたいのか、上場したいのか、EXITしたいのか。

割とよくあるケースだと、CVCによる調達が出来るかもという時に、金主となる企業がが考えていることは、スタートアップ技術サービス自社商品サービスに取り込みたい、重要取引先として支えたい、合弁会社を作って一緒にショーバイしたい、買収したい、などであることが多いです。

CVCに限らずですけど、出資が実際に決まるまでには段階があるのと、結構な労力と時間がかかることが多い(半年~年単位)ので、もしそういう話がちょっとでもあるなら

  1. 声をかけてきた人が信用できる人かをしっかり確認する
  2. 相手企業がどんな会社かをしっかり、すごくしっかり調べる
  3. 実際に会って話をしてみる。自社のカウンターパートになる担当者部門が、その会社でどんな立ち位置なのかなども探っておきたいが、まずは仲良くなるのが重要。その企業自分たちのどこを買ってるのか、今後の計画をどう考えてるかなどを、仲良くなりながら時間をかけて探り合う
  4. いい感じでお付き合いできそうなら基本合意→そっから色々契約業務融資実行、phase4だけでも半年ぐらいかかるかも…

一方でなんかすごいとんとん拍子にお付き合いが始まってあっという間に上場、なんてこともあるし、2年も3年もグダグダおつきあいしてるうちにスタートアップが体力尽きて、なんてこともある。

anond:20240830155140

実は肌に電子回路を貼る技術はすでにあるんだけど

ディスプレイとなるとちょっと難しいみたいね

一応3年前の時点で東大大日本印刷プロトタイプを作ってはい

https://realsound.jp/tech/2021/06/post-801142.html

ただ商用化領域まではいってないし、一昔前は曲面ディスプレイを用いた腕輪状の全面スマートウォッチみたいなののコンセプトモデルもよく出てたけど

今は曲面ディスプレイは折りたたみスマホ中韓メーカーの上位モデル普通に存在して洗練されてきてるくらいの技術進歩具合だな

リーナス法則について

よく知られている方の「リーナス法則」は、「十分な目ん玉があれば、全てのバグは洗い出される」と言われるが、今述べたいのはもう一つの人生意味」についての「リーナス法則」であり、どちらもリーナストーバルズが主張している。

リーナス法則は、人間動機づけを3つの段階で説明する考え方である。この法則は、人間の行動や動機理解する上で洞察提供している。

リーナス法則の3段階

1. 生きること(Survival)

2. 社会における生活(Social life

3. 享楽・娯楽(Entertainment

法則の深層

リーナス法則は、単なる欲求の分類にとどまらず、人間進化社会の発展を反映している。生存から社会生活、そして享楽へと至る過程は、人類歴史のものを表しているとも言える。

トーバルズは、この法則を通じて技術開発の本質を捉えようとした。彼の視点では、真の革新は「楽しみ」を追求する過程からまれるのである

内発的動機づけ重要

「ただ楽しいからやる」という動機は、創造性と革新の源泉となる。この考えは、選択理論心理学の「楽しみの欲求」と共鳴する。楽しみの欲求は、ユーモア好奇心学習・成長、創造性といった要素を含み、人間精神欲求重要な部分を構成している。

オープンソース開発との関連

リーナス法則は、オープンソースソフトウェア開発の哲学と深く結びついている。Linuxの開発過程は、この法則実践的な例証となっている。開発者たちは、生存社会的地位のためではなく、純粋な楽しみのために貢献し、結果として革新的なソフトウェアを生み出している。

現代社会への示唆

この法則は、現代社会における幸福成功の再定義を促している。単なる生存社会成功を超えて、個人内面的な満足や創造活動重要性を強調している。これは、持続可能社会発展と個人幸福追求の両立を示唆するものである

まとめ

若き頃のリーナスは、人生意味について、ある種の確信を持っていた。だから著書ではこの理論について最初に述べていたというわけである

メンテナンス中という嘘やめてもらって良いですか?

web系のやつらに言いたい。

サイトやらデータやらが読み込めてない時に「メンテナンス中」って嘘つくな。

おまえら頭良いんだろ?嘘をつかずになんとかしろ

最新技術で「なんで読み込めてないのか」を正直に表示させろ。

anond:20240830104503

その方が女を引っ掛けられるからだよ

ナンパ師ってのは好きな人を振り向かせる技術を持ってるんじゃなくて誰でもいいか相手してくれる人がでるまで声をかけ続ける人だよ

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