なぜSNS上で知性の欠片も感じない言動を垂れ流している人間が往々にして何らかの専門技術を修めているのか。
リアルが満ち足りているからこそ、SNS上での振る舞いが幼児や狂人のそれであってもなんら痛くも痒くもないということか。
むしろSNS上で小賢しく振る舞う私のような人間こそ、SNSに全振りしている落伍者ということか。
少なくとも、私はSNS上での振る舞いが残念な人間を信用しようとは思わないが、公私のギャップが大きいほど親しみを感じる人間もいることだろう。
なぜならば、すでにリアルが充実している彼らはSNSを介してプラスアルファの人脈や名声を得る必要がないからである。
しかし、私はリアルが残念であるために、SNSを介してそれらを求めざるを得ず、ゆえにSNSを「公」として扱うのである。
『Fish don’t know they’re in water』
1. 周囲の文化・価値観というものは、そこから距離を置いてみなければ意識することができない。