2024-08-31

別に誰一人として「これこそが真理である」とか「間違いなく正しい」とか、一言も言っていないにもかかわらず、

「盲信はよくない」という情報量0で何か物申した気になっている輩が湧いてくる。

議論を行う人々が断定口調なのは、それが単なる論の定義しかなく、「これは間違っているかもしれないが」などと自明なことをわざわざ述べるのは無駄からだ。

誤りが含まれるのであれば誤りを指摘すればよいのであって、「間違っているかもしれない」などという指摘は議論において何の意味も生じない。

しかし、そんな議論の基本を知らない人間からすれば、何ゆえにこの人はそれほど自信をもって偉そうに断言できるのだろうという猜疑心を生じさせる。

まことに、お互いに分かり合うというのは難しきことである

そういうわけで、私は何事か考えを述べる際、末尾に「かもしれない」、「~そう」、「~っぽい」などと付け加え、あいまいでブレ幅のある頼りない雰囲気を醸し出している。

これは人々の耳目を集めて事を成す業種の人からすれば悪手であり、ネット上でお叱りを賜ることの多い態度であることも重々承知しているが、

個人世渡り技術としては、こちらの方が無用闘争時間を割いて疲弊するリスクを減らせて有用なのである

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