はてなキーワード: 古墳とは
はいどーも。今日は新企画「古墳造営」についてお話しちゃいます。
大仏建立。改元。遷都。災いをおさめるために日本中の人たちがいろいろと企画を始めています。東京の多摩には鹿野大仏を建立されました。改元も近くなってきましたね。遷都はどうでしょう。?
ということで、何か大きなものをどーんと作って世の中を良くしたい!この思いをかなえるために誕生した企画が新古墳造営です。新しく作るんだから「古」墳ではなく、「新」墳なのではないかとのツッコミが聞こえてきましたが、古墳でいきます。平成も終わっちゃいますから、新元号をこの新古墳に付けたいですね。
企画内容は、シンプルに日本最大級の古墳を新たに造営すること。仁徳天皇陵(大仙陵古墳)越えを狙います。
墳丘長:486メートル - 近年の宮内庁の三次元測量調査では525メートルに修正される。
墳丘基底部の面積:103,410平方メートル
面積で4倍くらいを想定しちゃいましょう。
堺市のみなさまには申し訳ありませんが、日本最大の古墳は、今回の企画で造営される古墳になります。日本最大ということは、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵越えともなり、世界最大級の墓となります。
世界最大級の墓を見たいという観光客の誘致が可能となります。日本国内はもとより、世界各国の墓フリークを集めます。
また、造営には莫大な費用と人員が必要となり、造営される地域に莫大な経済効果をもたらします。緑地としての機能、遊水地としての機能、災害時の避難場所としての機能も併せ持ちます。古墳内には、共同墓地としての機能を持たせ、墓不足の解消、おひとりさま社会の問題を一挙に解決します。
古墳の周りには、日本の歴史や伝説をベースにしたテーマパークを併設し、リゾートホテルとショッピングモールも作って、世界最大級の古墳型リゾート施設を目指します。
・用地選定
・用地取得
・造営業者の選定
・施工
・埋葬者募集開始
古墳の認知度を上げるために、古墳や日本の伝説にまつわる実写映像・文字作品・ドキュメンタリー・アニメ・漫画などの作品を企画し、古墳ムーブメントを作り上げます。
私も選んでみました。ブクマ数は少ないですが、個人的に大好きな増田です。
書かれていないひんやりとした空気、白い吐息、石畳の参道と葉が落ちた植木が浮かんできます。
会話文は難しいと思うのですが、すらすらと読めました。
短いのになぜか心に残る。
今も48のまま。
読むだけで笑顔になる。わたしの地元では丸広百貨店でしょうか。
大変な目にあっているのに淡々とした語り口が好きです。
みなさまごきげんよう。
発掘された日本列島2017展に行ってまいりましたわ。
文化庁の主催で近年の発掘成果を各地の博物館をまわって紹介している展示会なのですわ。
旧石器時代から幕末の軍艦「開陽」まで日本中の出土品がありました。
縄文時代の高根遺跡は斜面に500基もの貯蔵穴が掘られていたそうですの。
艦砲射撃の後とと勘違いしそうですわ。縄文人ってパワフルですわね。
石屋古墳のお馬さんの埴輪には、丸い輪っかのあぶみが表現されていました。
古代からのどこかで変化したはずですわ。平安時代あたりかしら。
「てつはう」がいくつか展示されていました。
貝殻の付着して割れた「てつはう」の姿に兵どもの夢のあとを感じましたわ。
開陽は「蝦夷共和国」の主力となった艦ですけれど、座礁して沈没したのですわ。
拳銃は英語表記では「S&W No.2」と細かく説明されているのですわ。
現在発掘された日本列島2017展が開催されている安城市歴史博物館のミュージアムショップでは
本多様は両方売り切れ、ストラップは徳川様と井伊様も売り切れ、
でも、遠江出身の井伊様を出して、酒井様と榊原様は出さないところが不思議ですの。
Twitterで関西各県が会話してるネタがたまに流れて来るが、奈良は大概いい加減なキャラづけをされており奈良はそんな事言わない!って感じになり「もう関西ネタは京都はんと大阪だけでやっといたらええんちゃう、キャラも解ってないのに無理矢理脇役に入れてくれんでも」って気分になる。
重要文化財も国宝も世界遺産も古墳もごろごろあるし、鹿も金魚もめっちゃ居るし、大昔から観光資源が有りすぎる故つちかわれた商売っけの薄い金遣いの下手な大仏商売県、奈良にうまいもの無しとか言われてるけど柿の葉寿司も三輪そうめんも奈良漬けもみむろ最中も美味しいからな!!大阪と京都のキャラが濃すぎて薄まってるだけでそれなりに濃い筈やからいい加減な扱いせんといて。
みたいな感じでいい加減な奈良のキャラづけには不満たらたらだが他県についてはどうかと言うと、兵庫は神戸があるからなんやおしゃれなキャラが立ってるけど兵庫にあんまインパクトないからいっそ神戸県にしてくれた方が名前覚えやすいのに、滋賀も忍者と琵琶湖しかイメージないから琵琶湖県でええのに、和歌山はみかん美味しい海水浴お世話になっとります伊勢神宮ええよね、程度のイメージしか持ってない、関西以外になると北海道東京クラス以外はさっぱりだ。
関市にある岐阜県博物館と塚原遺跡公園に行ってまいりましたわ。
鉱物や歴史など総合的に展示されていて全体を回るのは大変でした。
周り終わる頃にはお疲れ鯖ですわ。
学芸員の方がお子様を集めての説明会を開いていらっしゃいました。
他の鉱物も「鉱石」と言った感じの迫力ある標本が観られましたわ。
上から修正のシールがたくさん貼られていたことが物悲しかったです。
企画展は関ヶ原の戦いに関するものと、刀剣のものがありましたわ。
関ヶ原の戦いは美濃の武将に注目した展示が三角形の小さな部屋で行われていました。
ストーリーを与える解説があるでもなく、物足りませんでしたの。
常設展で関ヶ原の戦いの発光ダイオードを使ったジオラマが観られ、
古今伝授の里でみた、北美濃の東氏の篠脇城模型が岐阜県博物館にもありました。
並べて見比べたいところですわ。
博物館関係者ではない日本美術刀剣保存協会の方がやってらっしゃいました。
写真撮影可能でたくさんの刀と押形を鑑賞することができましたわ。
塚原遺跡公園は縄文時代と古墳時代の遺跡が重なっているところで、
展示室では縄文時代の復元模型があって、登場する人物に家系図が
設定されているところが面白かったです。
縄文時代の平均寿命は15歳。平均8人を産まないと人口を維持できないとのことでした。
模型の家系図では片方の家は子供が7人、もう片方は6人に設定されていました。
娘さんは他の村に嫁に出た設定のようですわ。乳児死亡率を考えれば二軒の子供は多めでしょうかしら。
また、古墳の石室が南方向に開口部をそろって向けている点が印象的でしたわ。
方位は血縁と関係があるとの研究もありますし、すべて同じ一族のお墓なのでしょうか。
関係者以外駐車禁止の看板に驚きましたけど、来園者以外駐車禁止の看板も一緒にあり、
来園者は駐車して良いようでした。
住んでても俺の検索以下の知識しかない癖に、ジャズやレゲェが横浜の文化?www
文化がないんなら高崎城址も金山箕輪も単なる廃墟かなんかか? 二子に堀越、観音山古墳、竹久夢二歌碑なんてのも出てきたぞ?
高崎駅近くに群馬ダルマの工房、製造店は何か所ある? 重要指定文化財は幾つあるか知ってるんだろうな?
楽しくないんじゃない、オマエが楽しめなかっただけだ。その内に電化製品についていけなくなって音楽もゆっくりしたものを好み、油っぽいものも食えなくなれば分かる。
何もないんじゃなくて何も見えていないんだ。先進的ではないかもしれないが、文化はオマエを楽しませるものじゃなくオマエが参加して一緒に作るんだよ。
――って、熱くなって書いたけどたぶん俺も若かったら同じこと思うわ。
LEDで光るダルマとかVR、ARで史跡と組み合わせたり、なんかやってくれよ。んでネット配信。食い物うまいんだろ?
自分で何かを作るってのは難しいよな。がんばってくれ。
「古墳がいいな」
と妻がボソッと呟いたのは、だいぶ前のタモリ倶楽部の録画で埼玉の古墳の回を見ていたときだ。
「なにが?」
「死んだら古墳に埋めてほしいなって」
妻も私も、有り体な言い方をすれば実質的に天涯孤独の身だ。一族の墓とかはどこにあるのかも知らないし、わかったところで一緒に入りたいという気持ちもない。
「まだ先のことだけどなあ。子どもたちもいるし、うちらが入る墓を新しく作るとかもあるのかなあ」
慎重に言葉を選ぶ。
「違うの。墓地って寂しいじゃない。普段誰も来ないし。花だって切り花でしょ。そうじゃなくて、共同で埋葬してもらえて、上には花が咲いてて、墓石とかはなくて、普段は子供が走り回って遊べて、お盆にはそこでお祭りをやるような、そういう古墳を作ればいいのに、って思ったの。」
一気にまくしたてられて面食らう。うまくイメージが共有できてない感がある。
「そういうのってもうあるのかな。調べてみようかねえ」
手元のiPadで検索するも、共同墓地はあっても古墳型というのはない。
「まだないみたいね。あれかな、『○○と一緒の墓に入りたくない』みたいなやつで嫌がる人もいるのかも。ヘイト的な。」
「嫌がる人はそもそも共同墓地なんて選ばないじゃない」
「そうねえ。あ、古墳っていうけど新しく作ったらなんなんだ?墳?」
「ほんとに人の話を真面目に聞かない」
むくれた。
「ごめんごめん。イメージがよくわからないから、絵を書いてどっかに送ってみたら」
「どっかってどこよ」
そうねえ、と言って妻はゴロンと横になった。
「プリンがいい」
「なにが?」
「デザート」
話の流れがわからないが、死んだあとの話は後回しだ。
祖先との絆、というものを精神的に失うのは、別に損してるわけではないが、なんだかもったいないと思う。
子どもたちには、親の墓参りくらい(まあ別にしなくてもいいけど)したければできるようにしておこうかな、と彼岸の夜にコンビニでプリンを選びながら思った。
ほんとこれなんだよね。
関西に住んでいた人に、「埼玉に古墳あるから」といっても響くわけがない
石舞台古墳や百舌鳥古墳群あたりの有名どころが日常にあった人に対して、
関東の古墳提案されても「へーじゃあ足を延ばして見に行こうか」なんて思う人は
よほどの古墳好きだし、そういう人はすでに行ってるだろう。
確かに価値ある展覧会は東京でしか見れないものも多いので、私も上京した当初は楽しみにしていたが、
人気館は、土日は死ぬほど並んで、やっと入れたら大混雑、立ち止まってじっくり見ることすら許されない。
ベルトコンベア状態の観覧なんか落着けないので行かなくなった。
増田が言いたいのは本人も書いているけど、「特別凄いものがあるわけでもないところに人だけが凄い」ところで
場所にしてもイベントにしてもお店にしても食べ物にしても、実は大したことがないものを「これは凄い!」と煽って大行列になるのって
じゃあ何がおすすめできるかというと、
もし増田が寺社や仏像が好きなんだったら、関東では期待に応えられないから諦めろ。と言うしかない。
ただ、東京のお神輿が出てくるお祭りは、江戸っ子って感じで関西では味わえない魅力があるし
旧伯爵侯爵が住んでいた西洋建築物、赤坂の迎賓館(事前申込制だが)などの明治時代の建築物や庭園はお勧めできる。
読んできた本(オールジャンルで何でもいい)を、グループに分かれてプレゼンし話し合う、みたいなのを定期的にやっている読書会。
この読書会には、毎回陰謀論・トンデモ系の本(ユダヤが世界を牛耳っているとか、ヒトラーの正体が実はどうこうとか)をプレゼンしてるおっさんがいて、この会の中ではキャラのたっている人のようだった(他の参加者から聞いた)。
そのときは、「ああ、ネタでこういう本を紹介して、自分のキャラづけをしてる人なんだな」と思った。
で、今回、初めてこの陰謀論のおっさんと同じグループになった。
陰謀論おっさんは、ある朝鮮起源説の本を持ってきて、その本に書いてあるという、やれナントカが実は朝鮮起源だ、ナントカが朝鮮起源だ、ってプレゼンしはじめるわけ。
私は陰謀論(とかデマ)には何の興味もないので、このおっさんの話は面白くなく、退屈だった。
で、陰謀論おっさんは、本に載ってる、前方後円墳と当時の朝鮮の壺の写真のコピーを見せて、「古墳と朝鮮の壺が同じ形をしている、だから天皇の起源は朝鮮にある!」って言うの。
そりゃ前方後円墳も壺も、▽の下に〇つけただけの簡単な形だから、偶然似ることくらいあるだろって吹き出しそうになった。
そのおっさんの話がひと段落して、私が意見を言う順番になったので、
「まぁ、本としては面白いと思いますけどね。ただ、学術的には何の根拠もないこじつけですよね。こういう説への批判本もたくさんありますし。まぁ、本としては面白いですよね」
と、私が感じたままの感想(一応、面白い説ですよね、とは言ったのでフォローのつもりだった)を言った。
「そういう批判的な意見を言うのはどうかと思うんだよね。これは本を紹介する会であって、ディベートとは違うでしょ。僕は、そういう批判的な意見を言われて読書会に来なくなった人を何人かみてるから、そういう批判的な意見を言うのははよくないと思う」
そのときに私は思った。「あ、この人ネタでやってるんじゃなくて、ガチで陰謀論信じてる人なんだ!」
いい歳こいて陰謀論みたいなのを信じている人を私は初めて見たので、ウゲェ…と思った。
私は陰謀論が嫌いだ。疑似科学も嫌いだ。ついでにスピリチュアルも嫌いだ。そしてそれを「信じている人」がそれ以上に嫌いだ。ネタで面白半分に信じてるフリをしているのならまだいいが、ガチで信じている人は、安易にわかりやすく面白い方にとびついているだけの、学術的、哲学的な知性と態度の欠けた人間であると思うからだ。
「陰謀論脳の頭弱い奴は、水素水でも飲んでろ」と内心思ったが、
「読書会はディベートとは違うから、批判意見を言うとカドが立つ」という意見はわからなくはない。
批判されて読書会に来なくなるのも、不本意な事だと私も思う。まぁ、本を批判された程度で来なくなる、というのはそもそも向いてないのだともいえるけど。
しかし、私はこういう「ただのデマ」をニコニコ笑ってじっと聞いていられるほど大人ではない。
たとえば『水素水の効用』なんて本をプレゼンされたら、即座に「水素水なんて飲んでるんですかぁ?H2OにHがつくとか中学化学やってないんですかぁ?」くらいの皮肉を絶対言うだろう。
陰謀論や疑似科学だけでない。百田尚樹や小林よしりんみたいなネトウヨ丸出しの本(嫌いなので読んだことないからしらんけど)をプレゼンする人がいたら、「この程度の本に感化されてるんですかぁ?」と軽蔑した口調で揶揄してしまうに違いない。
そしてそれを口にだしたら、場を険悪なムードにした私が悪者扱いされるだろう。
とにかく私は、こういう類の本を薦めてくる人にげんなりするのだ。
今度もし、またこの陰謀論おっさんと同じグループになったら、また陰謀論のトンデモ本を薦められその話を聞かなければならないと思うと、うんざりする。
そんなことを考えると、楽しみだった読書会の楽しみが半減した感じがする。
川上家から寄贈された土蔵が敷地の対角に二つも移設されています。
カマド跡の野外展示はプラスチックのカバーに大量の水滴が付着して
民俗資料館の煙突付きアイロン(炭を入れます)が可愛らしいです。
常設展示はとても綺麗に展示されていて、
酒呑ジュリンナ遺跡のお名前から同族の匂いを感じてしまいました。
はじめてみる形状でしたわ。
でも、わたくしのような淑女はじっくり見てはいけませんわ。
壷の上に四つの壷が寄生した形状で、丸みが連続する様子からは、
同様に豊穣への祈りが込められていたのでしょうか?
江戸時代の豊田市は小規模な大名や旗本などに分割統治されていたそうです。
その中では大きな尾張藩家老の寺部渡辺家(徳川十六将の渡辺守綱が祖)が一万四千石で、
はてなのみなさんは好きそうですけど。
藁や柳、竹という素材から様々な道具を作り出す昔の人の手技には感心しきりです。
私の命名ですわ。古墳風に呼んでみました。
実際に土岐川(後の庄内川)の北側丘陵地帯には多くの古墳があるのですわ。
前にも取り上げたことがありますわ。http://anond.hatelabo.jp/20160723193013
瑞浪mioちゃんのパネルがトイレを真っ正面から覗いていることに気付きました。
いけない子ですわ。
友の会の方々が集められたコレクションが特別展示されていました。
他にも渥美半島に行ってらしていて、個人的に東北へ採集に旅行される方もいるそうで、
活発さに驚きました。
イワシやニシンはいらっしゃるのにぃ(ハンカチ噛み裂きですわ)!
彼の作品ばかりを展示していました。
昔の作品に劣りません。
一見地味ですが、長く手元においておくとじわりと良さが
伝わってきそうでした。
最初期の青い染付皿はその点で異色で、方向性を探っていた時代が感じられました。
参加はお一人鯖にはしきいが高く、図書コーナーで星ナビ11月号を読んできました。
期せずして明るい失敗国家ナウル共和国の訪問記が読めたのは収穫でした。
・市之瀬廣太記念美術館
ブロンズ製の裸身像がアーチ型天井の展示室におかれて西洋風ですが、
でも、裸身像の制作者は誰もが一度は両性具有作品をつくって壊したことがあると
企画展として山の写真家、澤井竹次郎氏の作品が壁に掛けられていて、
生命の存在を拒絶するような雪山の荒々しい光景に呑まれました。
・地球回廊
第二次世界大戦時代に掘られた地下工場用の防空壕を利用して造られた
地球の歴史展示施設ですけれど、解釈が古く眉をついついひそめてしまいます。
小型の獣脚類も羽毛がない超硬派ですわ、
なによりまず最初に鯖があったはずですわ。
地下の安定した環境のおかげで古いパネルの保存状態が比較的良好なことは注目に値します。
内部の気温は13℃で少し寒いくらいでした。
以上、すべてを跳ね回った距離は2.8kmでしたわ。
じっくり批判することもできるが端的にいくぜ。ブコメでも言い尽くされている感もあるが。
まず文化を単線的にとらえ過ぎ。もちろん東京中心ってのは否めない部分もあろう。だが世の中大阪もあれば北海道とかもある。カップ麺の味付けすら、現代の私たちは統一できていない。
文化ってのは多様性だ。そして本来は平等な・フラットなものだ。ただコンサートホールや美術館に行くことが「文化的」と捉えるのでは極めて了見が狭い。そういうものも文化だし、批判の的になっている「東京の底辺」にも文化がある。美術館とかコンサートとかキラキラしたものの、こんな一つの物差しで測るから、狭い「文化教養」があるかないかの議論しかできない。そして物差しの数値が30センチだろうが2センチだろうが、本来は良くも悪くもない(しかし現状では「東京は素晴らしい、なんでもある」というある種のアトモスフィアが形成されてしまっているのだが)。
では何を見るべきだったのか。地域にある美術や歴史だ。「何もない田舎」ってよく俎上にのぼるけど、本当に伝統も何もない超歴史的・脱歴史的な土地などあり得ない。SFじゃねーんだから。例えば埼玉なんかバカにされるけどさきたま古墳群ってすげーだろ。はにわ! 稲荷山古墳もすごい。鉄拳! あと群馬。館林藩とかやべーじゃん。他も譜代大名が入りまくってる。こういう場所が江戸幕府を支えていたんだぜ。こういうのって多分かなり「何もない」の裏返しで「こんなものしかない」「恥ずかしい」と思われがちだが、本当は、胸を張るべきところ。未来に向けては、こういう気恥ずかしさを払拭することが文化を考える上で極めて大切だ。
話戻すけど、話者は東京中心の文化に毒されすぎ。折角文化というものに興味があるのに、一つの物差ししか持っていない。若い人だと思うのに、そして田舎出身なのにこれはもったいない。都会と田舎だけで物差しは二つになる。物差し二つあった方が色々便利だろ。脳の中もおんなじだ。コンパスや分度器だって持っていたっていい。もちろん、文化の網目の中に東京や大阪といったコアがあるのは否めない。だがそこから広がる多様性。これを幅広く測るスキルがこれからの「文化」を担い、あるいは語るものに求められるのではないか。話者の狭い了見では狭隘な文化観が再生産されかねない。わりと真面目に極めて危険な態度だと思う。