はてなキーワード: 修士論文とは
主人公である珠は哲学科のM2で,彼氏と同棲しており,冒頭から濡れ場がある.
珠は修士論文のネタとして人はなぜ生きるのかについて研究する.
当初予定していた手法は100人にアンケートをとるというものだったが,指導教員が一人を意味のない尾行してはどうかと提案し,珠はそれを実行する.
もはや意味不明であるが,珠は対象Aを尾行するためにタクシー乗ったり,高そうなイタメシ屋でカルパッチョを食べてとワイン飲んでたりしていた.
タクシーに乗る場面では上がっていくメーターと野口英世が2枚しか入っていない財布を交互に見ており,カネに余裕はないようだった.
彼女は修羅場に遭遇しつつも,夏から冬にかけて修士論文を完成させる.指導教官はそれをかなり評価していた.
珠の彼氏は,意味がわからないという評価をしていた.私もまったくの同意見である.
桜が満開になるころ,珠は引っ越した.そのとき彼女の手には修士論文があった.
私は情報工学科のM2で,一人暮らしをしており,外出先は研究室とイオンが大半である.
最初の2本は指導教官に与えられたネタで書いた.無事に国際会議にアクセプトされ,一週間ずつアメリカとカナダにいけた.
3本目は自分でネタを考えて,自分だけで書き上げた.今週末が締め切りの国際会議に投稿する予定である.
修士論文の締切は2月の頭にあり,3本の論文をつなげて,はじめにとおわりにと謝辞を書いて終わった.
修士論文提出3日前に、3か月前に報告済みの実験データの再解析を命じられるとは思わなかった。
もちろん提出に間に合わないではないが、地味に痛い。嫌がらせ炸裂って感じ。
持つべきものは良き師匠だなぁ。私のついている助教は修了したらどうせ会わないと思ってふざけたことをしてくる、チンケな野郎である。
そして私は解析用のパラメータの設定を間違えて2時間の解析をドブに捨てたしょうもない院生である。いい組み合わせじゃないかって?やかましいわ。
発表が終わったらまた学生相談所に行って、私の研究室でのストレスをぶちまけていたカウンセラーにお礼を言おう。
あと、権力も華々しい研究成果もなくて、年下の助教に小馬鹿にされていたけれど、時折気にかけてくれたあの先生にお礼を言いに行かなくては。
大学によると思うが、ウチの場合は修論を提出した段階で、博士後期課程への進学と学位発行がほぼ決まる。逆に提出した段階での差し戻しを食らう場合は、修士論文撤回の憂き目となる。教授も出せるように指導するし、学生も間に合うようについて行かなくてはならない。とりあえず提出できたので問題がなければ、このまま無事に修了、進学となる。良かった。
よくある適当な私大の阿呆学部を卒業したので、司法試験を受けるでもないのに卒論は書かなかった。留年もかました典型的マジメ系クズな学部生時代の禊ぎをすませることができ、うれしく思っている。ウェーイでもDQNでもオタクでもなかったあの頃の残念さ、大学を卒業してからの放浪にも似た十年を、期せずして総決算する機会となって良かった。
文系修士・博士は無意味だと騒がれて久しいが、そんなことないと思う。そもそも社会的に無意味・無効な誤差として処理される人間にとって何かしら一つをやり遂げた記念が、社会的に認証されることは自信を得る機会になる。もともと無意味な人間には、意味のあるものだ。
幼少期から思春期、青年期にかけて自信を育む機会を生かせなかった人間には辛いことが多い。自信の無さが生活態度、言動に現われるし、結果、多少の理不尽なり違和感を周囲に与えて暮らすことになるからだ。その齟齬が対人関係の軋轢となる。
もちろん修士号をもらったところで、身に染みついた挙動の滑稽さ、可笑しさが拭えるわけではない。聖痕のように残るものだろう。それでも、何かをやり遂げたという実感が、ありふれて大したことではない修士論文の提出という事柄に込められていて、少しだけ自信を得ることができた。
4月からは博士課程に進む。同時に研究分野の珍しさと新しさもあり、ある企業が研究員として雇ってくれることにもなった。学振は落ちたけれど、博論を書きながら、研究員という願ってもない形だ。
もう若者ではない。朝、鏡をみると、残念なおっさんが寝ぼけてくたびれている。老いつつある両親に会った際、母に結婚について聞かれたが、それはあきらめている。でも、覗いてみたい世界があり、その世界に研究員という形で足をつっこんで暮らしていけるのだ。悪くない。
21世紀も後半になる頃には、僕はこの世界からログアウトしているだろう。それでも、自分が残した浅薄で僅かな研究や記録が、後継の偉大な天才と俊英たちのいくらかの踏み台になり、また諸俗凡人の皆さんに少しでも益するならば、それでいいじゃないかと思っている。百年後に一度、次の誰かが少しだけショートカットできるための一行を書く仕事、それが僕の務めだ。
修士論文を書くということは、最低限、その分野の歴史の全体が見えており、研究史の中で自分の立ち位置を把握した上で、浅彫りの僅かながらも確実な成果を置いていくことを意味する。そうすることで、今までぼんやりと見えていた世界がくっきりと鮮明に見えてくる。ザルだった視点が、精細さをもってくる。それが世界と他者と自己の精彩さに変わってくる。分野によるし一概にも言えないかもしれないが、僕はそういう経験をした。
修論を出し終えて、本当にやって良かったと思っている。
ずっと憎んでいた相手がいた。
生活費を貢がせておきながら、他の女と浮気して結婚したゴミ男ってだけなんだけど。
付き合ってた当時は私も学生で、全然お金がなかった。ただし彼は奨学金でカツカツの研究者だったので私より経済的に苦しかったはず。
彼は修士論文を提出するとき「このレベルじゃ博士は厳しい。でもどこが足りてないか明確だから来年頑張ればぜったい博士へ行ける」って論文を指導教員から戻された。
奨学金をもらったことがあるひとは知っていると思うけど、あれって留年するともらえないんだよね。彼は窮地に陥って私へ土下座した。ちなみに私は当時学部生だったけど、私も学者志望だったから修士へいく学費を貯金してた。
さらにたまたま彼と同じ出身校だった私の身内も同情してくれて、合わせて200万円くらい彼に貸した。
といっても全部足したところで本代やパソコン代は出せなくて、彼のために朝から晩までバイトしてそのお金を捻出した。
彼は家事を担ってくれた。最初は家事も折半だったけど、だんだん私の家事がまわらなくなってケンカすることが増えた。そのとき「誰のおかげで食べていられると思ってるんだ」と彼へひどいことを言ったのも認める。
数ヶ月後、たまたま彼のパソコンを借りたら女へのメールが山盛り。5人の女へ「今の彼女と別れたら結婚しよう。今の彼女は浮気してると思う」と送ってた。メールの本文、ほぼコピペで。ウケる。彼の生活費を稼ぐために、私に浮気する暇なんて無かったんですけどね????
そこからは修羅場、修羅場で結局彼も浮気相手の5人中4人に振られて残った1名と結婚し、私はノイローゼっぽい感じで精神病院へ通うはめになった。
もうずっと前のことだから今は私も復活した。けど憎しみは消えない。私が幸せになるのは当然のこととして、こいつが不幸にならないなんてありえない。
彼はメンヘラポエムをブログへ投稿してるから、そこで倒壊を知った。
彼はマザコン気味で、初対面から「俺はお袋を愛してたのに、幼少期に病気をしたからそれがトラウマなんだ」と風呂場で号泣するような奴。ことあるごとに「お袋」が出てきた。ご飯を作ってもお袋と比較して貶すようなやつだった。お袋が病気にさえならなければ、親が貧乏にさえならなければ俺は今頃成功していたのにと酒をあおりながらよくグジグジ泣いていた。そのお袋さんの実家が倒壊したのだ。東京へ出てきて「お袋」を熊本へ置き去りにしたことを棚上げにして、さぞかし不安定になるだろう。
彼の家族にそこまで恨みはない。けど私と彼が結婚する予定だったときは「こんないい嫁さんが来てくれるなら」と喜んでくれていたくせに、彼が浮気すると手のひらを返して音信不通になって、彼だけ庇ったことは許せない。実の息子と義理の娘(候補)ならそりゃ息子はかわいいよなあ。でも息子のバカを叱るのは親の仕事じゃないの???
地震で実家が倒壊したのは因果応報ととっさに浮かんで、いやいやいや不謹慎すぎるいくらなんでも、とすぐ打ち消した。犠牲となったほとんどの人に罪はない。
でも、ここだけ書かせて。生きててよかった。私は幸せになって彼は不幸になった。これでようやくイーブンだ。私は私の人生を取り返した。
彼の不幸を願う気持ちが神様に通じたのかもしれない。でもあまりにもそれを考えるたびに不謹慎すぎて、罪悪感におそわれる。その罪悪感を打ち消すように、今までにない金額を熊本地震の復興へ寄付した。罪の無いすべての人が、一刻も早く復興できますように。でもどうか彼へだけ、支援が届きませんように。
夜勤明けで朝に帰ると、大学院生のときはこの時間でも作業してたんだなと思い出す。
なのにも関わらず
・授業の手伝い(無給)
授業の手伝いやゼミ資料はとりあえず時間かければ終わるからまだいい。
共同研究も、出向先で企業の方には色々と言われるが研究室のボスが居ないので自分にとっては精神的に楽。
出ないので、仕方が無く実家にかける。
ようやく返事が来て、学校へ来ると。
そして怒られるのは私。
また仕方なく電話をかけると、電話は受け取らずにメールでやりとり。
最終的に「研究室がストレスになるのでなるべく家で研究します」と。
これ以上一体俺にどうしろと。
クリスマスの日は、卒論生が学校に来ないのは私の指導の仕方が悪いだの、言い方が淡白すぎて無感情だからとかいう指摘を小一時間頂いた後、修論書くんなら当然まとめたものを投稿論文にしないと、修士論文は受理してあげるけど修了は認めないからと、冗談とも本気とも取れない顔で言われた。
色々反論はしたが聞き入れられず。
理詰めで抵抗しても、最後は結局
・社会人になったらやりたくないことでもやらなきゃならないんだよ?
・社会人になったら、仕事しない後輩持つことだってあるよ?その練習だからさ
まあ、歳が倍以上違う妙齢のボスに言葉で勝てるはずも無く、結局最後まで面倒を見た。
修士2年全体で行う合同ゼミにて、隣の研究を全くしない研究室のゼミ発表に
変な噛み付き方をして、そこのマスターの学生から若干苦情が来た。
更に、研究室内での言動もやや荒くなっていたらしい。
卒業のときの飲み会で「先輩、あの時猛禽類みたいな目してたんで絶対話しかけらんなかったですよ」と言われた。
更に、先程の噛み付きから、専攻内で噂になり、俺がとんでもない人格の人間であると広められたようだ。
噂が広まった結果、当然ボスにこってり怒られた。
まあ、それに関しては私に落ち度があるので仕方ないか。
つきっきりで面倒は見てあげたが、取り組むのが遅すぎた。
卒論はこの内容を発表した。
他の厳しい人の記事とかを見ると
この面倒を見るのさえ甘いという指摘がチラホラ。
「真面目に取り組まない奴はどんどん留年させればよい」というやや過激な記事も多い。
今は社会人となり、ボスの言うこともあながち間違いではなかったとは思う。
社会人は厳しい。
当たり前だが、学生と違い、成果は当然出さなければならず、頑張ったけどできませんでしたは通らない。
進捗も結果を論文にまとめるだけという甘いものではなく、逐一毎日詳細を報告するである。
研究室の理不尽に比べると、社会の厳しさの方が全くストレスを感じない。
今思えることは、会社は自分の将来を縛るが、研究室は自分の生活を縛っていたなということ。
当然だが研究には終わりはない。
どこからどこまでというさじ加減は研究室のボスが決めるのである。
一番上のさじ加減が狂っていると、ラボのメンバーは成果を出そうが出すまいが常に拘束され続ける。
夜中に論文の日本語の添削を要求されたり、休日にいきなりラボに呼ばれて留学生の相手をさせられたりもする。
自分がした実験の結果を勝手に使われた論文に、共著者にすらして貰えないこともある。
そしてそれを咎める者が誰も居ない。
最もおかしいのが、それが常習化しており、誰も疑問に思っていないことである。
研究者というのは、これに耐えてでも研究をしたいというのだから
総括すると
私は研究室に、あるいは研究に向いている人間ではなかったということ。
社会の方には、無難に仕事が出来るぐらいには向いている人間であったということ。
そして、大多数の人は、後者だということ。
研究室の全てが私の過ごした研究室のようだったとは言いませんが
ある程度の規模の研究室だと、私のような経験をされた方が必ずいるのではないでしょうか。
今年も残すところ十日程度。
実験のし過ぎで大脳の壊れたメンヘルとなってしまったので、日本語の下手さについては多めに見てください。
自分は卒業研究をやっていても一つの結果から多くの可能性を考えることが出来る実験手法が好きで、可能な限り一度に多くの組み合わせについて検討してきた。
そこで、自分が考えた推論をボスに報告すると、結構高い確率で何を言っているのか分からないと言われる。
先生からしてみれば、学生はただの結果出力装置でしかないわけで、余計なことをごちゃごちゃと言われても迷惑なだけだろうとは思う。
しかし、駒なりにも苦労してデータ取ってきて考えて新しいモデルを考えたのだ。せめて間違ってるならちゃんと間違っていると指導して欲しい。
そんなやり取りを繰り返している内に、僕は先生とディスカッションをすることが嫌になってしまった。
研究対象自体はニッチな割に重要かつ複雑で面白いとは思うが、とにかく先生と話をしたくない。
平日も休日もなく、朝も夜もなく実験に取り組んできたが、もう何でも良くなってしまった。
なるべくがんばらないで実験数をこなして卒業出来たらいいな、と思うようになった。
そうこうしている内に、どうやら自分は「わけの分からないことをごちゃごちゃ言う」「指示に従わない」「実験をしない」「研究が進んでいるように見せかけられている」学生のレッテルを気分で貼られてしまったようで、ラボ内の進捗報告会で発言しても無視されるようになった。
研究者向きではないが言われたことは全く反論せずただ淡々とやっているだけの同期(結果は出ていないが)は親密に指導してもらっているようだ。羨ましくはない。
体裁上修士論文に関する指導はしてもらっているが、卒業した瞬間データは信用されなくなって、もしも論文になったとしても助教か後輩が第一著者になるだろうなあ。
今まで論文出せそう出せそう、っていう状況で頑張って来たけど、その時とは内容も大分変わってしまったから、まだ全然形にならないだろうな。
実験結果を解析するプログラムをCで書き、解析結果をgnuplotでグラフ化し、グラフを貼り付けたレポートをTeXで作成するのを、全てemacsだけで行うという、今思うと労力だけは修行僧並みの苦行をこなしていた。
結局、このスタイルは修士論文を書き逃げするまで続くことになる(論文の図表は当然のごとくtgif)。
「役に立つけど、死ぬほど使いにくい」とはどういうことかを身を以て経験した感じである。
しかし、この修行もどきが原点になったおかげか、今流行のWeb系の諸々の技術は、さほど難しいと思わなかったり。
また、就職後に経験したオブジェクト指向もシステムプログラミングも難しいっちゃ難しかったが、なんとか投げ出さずに仕事をこなせたのは上述の経験が肥やしになったからかも。
一方で、同じ頃に知ったRDBの、その恐ろしく合理的で分かりやすい思想に感動したり、ここ数年コーディングで小技的に使うMapとReduceをコンピュータ科学の素晴らしい成果だと本気で思えたりしたのも、出発点のハードルがやたら高かった故な気がしている。
しかし、それを踏まえても、あいつらの使いにくさはどうにかならなかったのか。
「役に立つのがそれしかないから泣く泣く使う」なんて、経験しないで済むならそのほうがいいに決まっている。自分が怪我の功名的な肥やしにできたのも結果論でしかないし。
てか今時の学生は、こういう作業に何を使っているんだろう。
結局、この先生は大学からいなくなりました。僕との因果関係は謎ですが、大学に訴えかけ「なんで修士ごときでこんなに苦労する必要があるのか。僕が卒業できないなら他の修士論文はほとんど無効にできます。例えば○○さんの修士論文は、この論文のほとんどパクりです。他の論文も明確にどの論文のパクリかを合理的に説明できます。」という説明をしました。
散々苦しめられたのもあり、普通の修士よりは何倍も何十倍も論文を読み、何度も何度も読み込みました。
僕のevernoteには今でも修士当時で1000近くの論文があり、そのすべてを思い出すことができます。
今となってはどうでもいいことですし、そこで読み込んだ論文や追試は今でも役に立っていてお金を得ることができています、
この事件は僕の人生を大幅にネジ曲げはしましたが、今ではそれがカテとなっています。
一つ腹が立つのは、その人の研究室のメンバー紹介の経歴が定期的に更新されており「私(教授)の指導がよかったからこれだけ出世しているんだ」みたいな感じになっているところです・・・・・
今内定をもらっているところに入社を決めていいのかどうか迷っている。
自分の能力・関心から選んだ企業を受験し、いくつかに受かったわけだが、
まだ良さそうだなと思っていたのに受けてない企業もある。
とくに今年は経団連の指針に従う企業は8月から面接を始めるので、
良さそうだなと思っていた企業の中でも受けていない企業がいくつかある。
その一方ですでに内定をもらった企業からは返事をせっつく電話がかかってくるし、
修士論文のための研究も進めなければいけないので、決めてしまって楽になりたい気持ちもある。
就活生はこう動いている!~2016卒の就活トレンドを表す【4つの学生パターン】~|株式会社ジャパンビジネスラボのプレスリリース
まさにこの記事に出てくる「頂上散策組」がぴったり自分に当てはまる。
今内定をもらっているところが、嫌なわけではない。むしろかなり入りたかった企業だ。
なかば無理やり、今内定もらってる企業の「ダメなところ探し」をしてしまうし、
もっと就活を続ければもっと自分に合うところ、将来性のあるところに入れるような気がしてしまう。
マリッジブルーという言葉がある。就活はよく結婚にたとえられるが、
これはまさに内定ブルーというやつなんじゃないか。
いや、マリッジブルーはいちおう結婚を決めたあとで襲ってくるヤツなので、
それ以前のところで立ち止まっている自分は、より悪いな。
修士論文に対する一切のやる気が失われた。僕は2年間,ほどんど研究していなかったし,そもそも研究室にも殆ど顔を出していなかったから,もともとやる気なんてなかったに等しいか。本格的に取り組み始めたのだって,先月から。あー,そもそも,今やってるのは研究ではないか。言い換えると,なんでもいいからどうにか卒業してやるんだ!という気力がほとんどなくなってしまったのだと思う。
現時点では,卒業できるか半々レベル。周りは普通に卒業できるよと言っているが,多分先生方はどの程度努力してきたか,見抜くことができると思う。ここからは本人の意識と努力と誠意次第。ただ卒業したいだけなら,研究(笑)に対する指摘も頂いたし,あと1週間でどうにかすることはできると思う。でもそのどうにかなるっていうのは,教授たちの「俺の指摘が多少は反映されてるようだし,まぁ納得はいかないけど卒業させてやる」っていうお情けでしかない訳で。修士論文で良く言われる,努力賞の対象にすら入らないと思う。決め付けですが。やったの2ヶ月だし。こんなもので卒業させてやると言われても嬉しくないし,万一そんなことがあったら拒否したい気分。
卒業できればどんな恥をかいたって関係ないって昨日までは思ってたけど,色々あって急にプライドが邪魔をするようになった。その色々っては,担当外の先生から初めてもらった研究(笑)に対するコメントなんだけど,ここにきて気づかされてしまった。具体的にいうと,「これ研究なんですか」とか「研究のけの字も理解してない」「存在自体が怪しい」といったもの。まず,「研究なめんじゃねぇ」というお怒りのコメントで,僕の「卒業できさえすればなんでも良い」というスタンスが大変失礼であったことを自覚し,「そもそもホントに取り組んだの?」というコメントで,2ヶ月とはいえ時間を掛けてきたことを否定された気がして,この程度取り組みなんて努力でも何でも無いことに気づいた。いままでもそんなコメントを頂いたような気がするけど,まだまだ先のことだと思って紳士にうけとめなかったのでしょう。普通ならここから,卒業するために,なにくそと頑張りをみせるところだけど,やる気がでない。頑張ったところでゴミはゴミにしかならない。研究でもなんでもない適当にまとめあげた文章を,研究と言い張って出したくない。
僕は同研究室の先輩が書いた,研究のけの字も感じられない論文を読みながら,卒業できるであろう水準(ボーダー)を見定めながら取り組んできたけども,そういうものの考え方が害悪なんだよな。やっぱり「研究」しなきゃだめ。僕が取り組んでいた研究(笑)はこの研究室の名前と一緒に外に出すべきではない論文だとはっきりと感じた。失礼にもほどがある。
そんなことがあって,逃げています。逃げを取りたいです。卒業の可能性を高める選択を取れません。周りの人は100%僕のこの考えと行動をバカというでしょう。もっともです。
人生は一度きりなんだから,どっちつかずの状況から抜け出して,はやく次にいかないと。幸いなことに,現時点ではこのことが鬱を呼ぶような深い悩みの種となっているようなことはありません。(後々酷く後悔して悩んでしまうかもしれませんが)ただし,指導してくださった先生や,短い間とはいえ励まし合って進んできた同期,親には多少の罪悪感を感じます。あと,修士卒ということを期待して取ってくれた就職予定の会社にも。頭はもう春休みや,就職後のことで一杯です。(ありがといことに,取ってくれるとの話をきいています)僕は今まで同様,やりたいことに多くの時間を費やすために,春休みを過ごします。
けじめとして,最終審査会にはちゃんと臨みます。ほとんど研究室にいってなかったのに,論文提出直前のアポにも親身になって対応してくれた先生には本当に申し訳ないと思っています。言いたいことが書けたので,この話はやめで。
長々とかいておいてアレですけど。冷静に分析してみると,いざ卒業できないかもしれないという可能性を目の当たりにして,失敗しても大きなショックを受けないような予防線を張りたかっただけなのかも。卒業に拘らないと言いつつも,肩書きは欲しいし,大なり小なりショックは受けるでしょう。あと3日もすれば,絶対に何が何でも卒業したいなんて言い出すかもね。ここまできてしまったら,図々しく行くのが一番クレバー。固い頭と真面目は損をする。
大学院修士2年。幸いにも就職先は決まっている。あとは1年弱研究活動を続け、修士論文を書き上げるのみである。
誤解を恐れつつ言うと、修士論文は半分努力賞みたいなものである。それなりにまとめれば学位が取れる。自分もたぶん、何ににも到達しないまま、それなりに修論をまとめてそのまま大学院を去って行くのだろう。しかし、それがどうにも悲しく、悔しい。研究に脂が乗って来そうなときに、研究を終えてしまうのだから。
ならば博士後期課程に行けばいい、という話である。しかし、経済的余裕があるわけでもなく、博士から先の道を切り開けるとも思えない。熱意があれば、というのは理想論だ。研究さえできれば飢え死んでもいい、とまではさすがに言えない。
博士から先はほんの一部の才能を持つ者だけが食える世界だ。ミュージシャンと同じである。しかし音楽はアマチュアでもできる。PC一つあれば曲が作れる時代だ。研究はどうだろう。人文科学や理論系だったら、個人でも研究し続けられるかもしれない。しかし、実験系は無理だ。今でも何千万か知れぬ高級な装置を使ってデータを取っている。それを個人レベルでできるとは到底思えない。
今でこそこんなことで管を巻いているが、大学院を出れば研究の続行を諦めるのだろう。そして、身の丈に合った慎ましい生活を送るのだろう。分かり切った話だ。しかし、今このときの研究への思いを、このまま手放してしまっていいのだろうか? それが分からない。
「論文の新規性という言葉がわからない。意味はわかる、他の人の真似をしたんじゃだめだということだろう。」
と言っているが、ほとんどの修士論文は他人の真似だ。そこに「ちょっと改善しました」とか「違うところを調べました」があれば良い。
そのかわり、真似したところを「自分でやった」と言ってはいけない。どこまでが過去の研究の成果で、自分が新しく付け加えた部分が何なのかを、恥ずかしくても正直に示すことが大事。
他の人も既に書いてるけど、たぶん増田が大げさに考えすぎているのだと思う。
どんなに小さな一歩でも、人類の知識に一歩分の足跡を付け加えた、ということが大事なので、一歩の大きさにあまりこだわらなければできるはず。
10年分もジャーナル読んだなら、「ここもうちょっと上手くできるんじゃね?」とか何回か思ったんじゃないか?
それを実行して、先行研究との差を書けば、それでいい。
速度とか精度とかコストとか、モデルがシンプルとか、どれか一つでも優れているところがあれば、それを売りに主張すれば良いんだよ。
【STAP細胞論文、小保方晴子氏の博士論文から写真流用 理研認める】
http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/14/riken-stap-conference_n_4961849.html
「倫理を再確認せざるを得ないことは残念に思う」というコメントがありましたが、論文を書く上で必要となる倫理を学べない学科や研究室が多いのも事実です。
いわゆるブラック研究室では、そのような風潮がある気がする気がします。(小保方さんの居た研究室がそのような研究室かどうかは定かでは無いですが。)
自分が属していた研究室は、放置系ブラック研究室でした。教授が得意とする研究分野から少しでも外れた研究を進めると、見事に放置される人も。
いい意味では自分のペースで進める事ができますが、悪い意味ではゼミ発表の時ですら「私の専門外なのでよくわかりません。」というコメントしかないこともざらにありました。
卒業論文や修士論文の添削をするといって提出させた論文に対しても、学生の前で平然と「私はあなたの論文を見ていないので、何をしてるかわかりません」と言う場面も。
余談ですが、その適当さ故に被った被害として、教授から言い渡された助成金の申請に手違いがあったせいで、十数万のお金を失ったこともありました。
「そういう事もよく有りますよ」といって他人顔するだけで、さすがに怒りを覚えました。あなたの指示で出した申請なのに、その対応はないでしょ…。
研究者としては尊敬しますが、人としては大嫌いでした。まあもう二度会うこともないだろうからいいんですが。お金戻ってこないかな…。
自分の研究室以外にも、(さすがにお金絡みの事例は少ないだろうが)ブラック研究室は多く存在します。
教授の方々にも、自らの成果を研究として残したり、生計を立てたりと事情があるのはわかりますが、もう少し、学生と向き合ってくれてもいいんじゃないかなって思います。
そういう小さな問題でも解決されれば、もっといい環境が出来ていくんじゃないかなぁと思うばかりです。
なんだろ、この増田は
論文での「引用」(というか参考)という意味を分かっていて、件の「コピペパクリ」の意味を理解してないのか、
それとも修論の時に同じような「コピペパクリ」をしまくっていたのか、
その辺が良くわからない。
4割もあればすごい、ってか、逆に4割もあったらその修士論文の内容疑う。
イントロダクションなんてのは99%過去の論文の引用で終わる。
最後に自分の考えをちょっと書いて、だからこの研究は重要なんです、って書くけど、そこまでは全部過去の物の引用。
で、何か、論拠とか式とか結果とか全部引用。当たり前。
ただ、引用って「文章のコピペ」ではないよ?単に、書いた内容の根拠はここにあります、と言うことを示す「参考文献」を示すこと。
何か、文学とか歴史学とかなら、過去の人の「文章」その物が重要でその言葉を引っ張ってくることがあるかも知れないけど、
実験系の論文でまるまる同じ「文章」を載せたらそれは通常単なる「パクリ」とみなす。参考文献として載せてても。自分の言葉で書けよボケ、って、って指導教官に大目玉食らう案件。
参考文献載せてなくて後からばれれば、例え学生レポートだとしても退学にされてもおかしくない案件だけど。
その辺、「引用」の意味を履き違えてる。「引用」はいいんだよ、というか、むしろ論文なんてほとんど引用から成り立つし、いかにそれを組み立てるか、みたいなところもある。
ただ、「パクリ」は駄目ですよ、って話。
小保方さんすごい叩かれてるけど、言ってしまえば「コピペが下手」だっただけでしょ
こっちとら学士論文と修士論文で200ページ以上書いたけど、完全オリジナルページは4割くらいなもんよ。
あとはイントロとかは有名な論文からほぼ引用だよ。引用っては書くけどさ。
ひどい奴は2割もないんじゃない?グラフは先輩のと同じで考察の角度が違うとか。
捏造は問題外な。
博士と修士の扱いとかレベルが違うっていうのには同意する。けど研究者の本質って同じじゃね?って個人的には思うけど。
誰がまるまるコピーしたと書いた?そう書いてるあなたこそ「数行なら許される」と考えているんだろう。
いい忘れ。
今回の件が良いとか悪いとかはどうでも良くて、