はてなキーワード: 修士論文とは
トンコツラーメンの例が分かりやすかったので、ついお腹が空いてやりました。
そんなことよりおうどんたべたい
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
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Introduction
トンコツラーメンは多くの日本人に親しまれ、日本国内だけで毎年75億食が消費されている(厚生労働省2010年統計)。すでに過去の研究によって、日本では種々のトンコツラーメンが作られている(Reviewed by Ohkuma et al. 1999)。従来、最も至高とされるつけあわせは高菜とされ、よく高菜が入れられている(Reviewed by Ohkuma et al. 1999)。ただし、そこにホウレンソウを入れた人はいない(Reviewed by Ohkuma et al. 1999)。
早稲田大学・超先進理工学部・ラーメン学科・トンコツラーメン学研究室(以下 当研究室)では、トンコツラーメンに合う至高の葉野菜の解明に向けて、市販の主要な葉野菜を研究材料に探索が行われてきた。高菜に加え、すでに当研究室では、チンゲン菜(加藤 卒業論文 2008・修士論文2010)・キャベツ(佐藤 卒業論文2009)・タンポポ(内藤 卒業論文2010)・トリカブト(武藤 未公開)の研究があり、詳細な検討が行われている。
ホウレンソウは、高菜および他の葉野菜と比べ、鉄分やマグネシウムなどの栄養素に優れる(Noyori et al. 2002)。また、流通量は2012年に国内で5億トンに及び、葉野菜の中で上位10位に入り、手に入れやすい(農林水産省2013年統計)。ホウレンソウは有用な葉野菜であると言える。もし、トンコツラーメンにホウレンソウが至高の組み合わせであれば、新たなブレークスルーになると考えられる。そこで私はホウレンソウをいれた。
当研究室での先行研究(加藤 2008, 佐藤2009, 加藤2010, 内藤2010, 武藤 未公開)にならい、トンコツラーメンとの組み合わせ作用を定量評価するため、GC/MSならびにNMRによる成分分析を行った。従来の方法に加えて、ホウレンソウの材料特性にあわせた評価が必要であると考えられたため、味噌ラーメン学分野で急速に発展を遂げている海原-山岡の方法(Kaibara and Yamaoka 2013)を改良し、トンコツラーメン学研究に適用できる新たな官能評価法を開発した。本論文では、これについても述べる。
Ohkuma et al. (1999) Tonkotsu ra-men ha oishi desuyo. Nature Reviews Nutritional Research vol. 3 p.72
Noyori et al. (2002) Motto horenso tabero. Cell Vegetables Cell vol. 7, p. 64
Kaibara and Yamaoka (2013) Proceeding of Miso ra-men. Oishinbo vol. 1, p. 1
佐藤 (2009) トンコツラーメンにつけあわせたキャベツのもたらす作用の定量評価
武藤 (未公開) トリカブトを用いた挑戦的トンコツラーメンの新規開発
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先輩の卒論や修論は積極的に参考にすべき(例えばOhkuma論文は研究室で代々引用されているでしょう)。
しかし、おおかた貼子さんのアレは、このくらいの最低限の様式さえ、守れていない(もちろんそういう人はほかにもいるかも)。
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追記
ありかなしかで言えば無しだし、そんな修士号に何も意味ないけど、
はっきりいって東大ですら、修士論文はその手のレベルの物もいくらでもある。
就職するってんで真面目に研究やらずに卒業させろよ、とかいって教授を脅すようなやつも実際にいるからね。
教授側もパワハラとか物凄く気をつけなきゃいけないし、勿論、博士に進む様な人や、修士で出てくにしても真面目にやってる子のは
徹底的に直してくれたりもするけど、
追い出すために仕方なく認めるケースも多々ある。
「修士」ってホントに別にそれ自体何の意味も持たないけど(だから実際問題どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど)、
修士論文なんて東大でさえただの努力賞でくれるのに(就職する学生のものなんて副査なんて読まないことすらある)
それに対してどうのこうの言われて卒業できないかも、って相当駄目な人間だからそれ自覚したほうが良いよ。
仕事できるとか研究できるとか以前の問題。仕事の部分は今の時点で出来る事で勘違いしてるのがこの先恐ろしいことになることが目に見えてるけど。
趣味では音楽製作をやる傍ら、プログラミングやWebデザインの仕事を請けてきた。
自分自身の人間レベルがまだまだ足りない、まだ頑張れると思って就活はしなかった。
結果として、私は大学院に進学した。
だが、それが失敗だったのだと思う。
そして、研究室の学生もそれぞれ研究分野が殆ど異なっており、私が決めた研究分野に近い先輩などもすでに卒業して居なくなっていた。
研究室といえば普通先輩が後輩に指導して進捗を報告するようなイメージがあったが、指導するという習慣もなく、報告する会も一切なかった。
それどころか、一部の先輩同士の仲が悪く、両方の先輩からしょっちゅう片方の先輩の愚痴やネガキャンを聞かされた。
その代わりに、週一回合同ゼミが開かれていた。
ゼミでは他の学生の進捗発表が行われ、教授がそれをフィードバックするものだった。
私の研究室の学生は、他の研究室の教授から一方的に攻撃を受けていたし、一方でその教授陣は目に見えて自分の研究室の学生には甘かった。
そりゃそうだ。自分の指導が必要ない、自分の責任の無い学生に対しては何とでも言える。
論文の読み方や先行研究の探し方なども自己流で見よう見まねでやってみたが、全然要領を得ていなくて、どう勉強したら良いかも分からなかった。
そのまま修士2年になった。
仕事は依然として充実していたし、忙しくて断ることもあるくらい困らなかったけど、大学院での生活は本当に苦痛だった。
どうしてこんなに仕事に打ち込んでいたのかというと、ひとつは家計が苦しかったからだ。
他の金持ちの学生と違い、私の実家は田舎にあり、学費を払うのも精一杯、生活費はとても……という状態だった。
ましてや、実家で親が会社と揉めて、最終的に弁護士沙汰になって退職することになった。
だから、そんな状況を打破してやろうと思って、仕事に打ち込んだ。
バイトなんかしなくても学費生活費全部貰って大学に行ってる他の学生が妬ましくて、悔しくて、だけどそれがバネになって頑張った側面もあったと思う。
就職活動は2日で内定が出た。今までの実績と開発したものを見せれば一発だった。ITでは日本で指折りの会社だし、一生働きたければ働ける規模の会社だ。
しかしその代償として、仕事はまぁまぁできるが研究は一切できない大学院生が出来上がった。
「このままじゃ本格的にやばい」
そう思って、僕は仕事でやっていたWeb開発のスキルを活かして、その延長線に研究を持ってくることにした。
みるみるうちに画面ができ、機能もでき、サービスとしても研究としても良い感じだと思った。
「研究じゃなくて開発じゃない?」
「独自性はどこにあるの?」
「サービスとして完成させることに集中しすぎて、研究になってない」
などのコメントを貰った。
全部ごもっともだ。
趣味の目的が逃避になり、創作のようなエネルギーを使うものは一切出来なくなった。
試しに何度か試そうとしたけど、自分が自分で無くなったかのように、何のアイデアも湧いてこなかった。
結果として、私は創作関連のコミュニティからだんだん疎外されていった。
クリエイターとしての私は好きだった人は、私がクリエイターでなくなった時点で興味を無くした。
学部時代の友人は卒業したし、サークルは完全に遠ざかって今更関わることも出来なかった。
人間関係が狭く固定化され、希薄になっていくのがよくわかった。
今まで仲良くしていた人がSNSとかでも全然反応してくれなくなるのが、本当に辛かった。
そして、年明けには修士論文を提出しないといけない。
云われた内容を元に研究っぽく体裁を整えたものの、全然結果が出ないし、そもそもその結果の評価方法が良く分からない。
先行研究の劣化コピーを実装し、偏りまくったデータを元に研究の真似事をでっち上げて、一体何になるのか。
このまま成果出せなかったらどうなるんだろう?
そうなったらもう首括るしかないよね。
どうして研究せずに仕事ばっかりやったんだろう。どうしてこんな研究室に来たんだろう。
全部自業自得だよね。
もう嫌だ。しんどい。やめたい。
http://anond.hatelabo.jp/20100128194350
にあったものが自分の状況に似ている気がしたため整理のために文字にしてみる
今後すべきこと
1.プログラムをとっとと修正する。
・基本的なアルゴリズム部分はできている。ファイルの反復処理(あるいはバッチ処理)を実装すればいい
2.作成したプログラムを回しつつ、主観データとの対応付けをする
3.それを元にして修士論文の元を記述して、論文の要旨を作る。
・論理的な文章書けない
現実逃避兼現状整理のためにあさるけど脳みそ回ってる気がしない
飯は朝からとってない、腹減ってる気がするけど今食べたら吐きそう
歩いて気分転換しようとして2時間歩いたが,何も変わってないし辛い
そもそも,トラックバック先のように俺は今までちゃんと動けていたのか?
なにもしないことが一番悪いと准教授とも話をしていたはずなのになぁ
けど,なんかうごけねぇや.このままだとバッドエンドルートは確定っぽいのに
それとも,カウンセリングで話をしたけど、自己肯定ができてないからか
○○であるべきって思考はまずいって前にも思ってたな
つらいとかやめたいっていったら周りはなんていうかな
怒られるか,甘えるなといわれるかの2択かなぁ
さっき泣いたけど,また泣きたくなってきた
頑張りどきに頑張らないとってセリフ好きだったけど今は違う言葉がほしい
予定入れてないけどカウンセリングにいこうかな
でも考えなしに院いくやつは結構多いんだよ。というか実際多いじゃん?
「きょうび院に行かないとまともな就職ないからー」とか嘘か本当か疑うようなこと言ってさ、シューカツの噂話真に受けちゃう子なんてざらにいるじゃん。
これはそうなんだよね。
で、「院に行かないと」ってのは、単に自分の大学の院に、ではなくて、そこそこの大学からなら東大ですら簡単に入れてロンダできちゃうのも大きいんだけど。
そこそこ、ってホント、Fランとか言われる以外のとこからならどこからでも来れるじゃないの?ってくらい。
で、それで基礎学力低いまま来て、最初の半年は授業で単位取るのに精一杯で、後半から就活に入って、んで、2年の夏くらいに就活終わって修了するために研究させろ、って。
そうじゃなくても最初まじめに研究しようってんで入ってきても周りとのギャップにすぐ打ちのめされる人は多いけど。
だからまあ、修士の試験というか、人数とかちゃんと絞って選択する様にすべきなんだよね。
東大も京大見たく、学部より人数絞って内部の人間すら当たり前に浪人するようなくらいにすればよいのに(それは厳しすぎるかもしれないけど、少なくともトントンくらいになるように、そうすれば外部で優秀な奴がいれば
内部で怠けてたヤツは落とされるし、調度良い)
だからさ、対立して病んでいく子ってさ、自分の求めていたもの以外を与えられて求められてる子なんだよ。
つまり、そこで対象にされている "レベルの低い学生" をいかに導けるかが、教育者であり、ラボマネージメントの一部じゃないのかなと思う。
まだ学生だった時に、教授陣と話してたら、「就職コース」と「博士進学コース」ってのを分けて運営したい、って話してた。
もう、「取り敢えず修士」って人は就職コースで、授業だけ受けて研究室には属さない。その代わり授業料を上げる。
勿論、就職活動とかいくらでも自由で、時間が自由に使える。修論も授業の単位さえしっかり取れてれば適当でOK。
博士進学コースはまじめに研究室に属してある程度拘束する。修士論文の審査も厳しくしてちゃんと結果を出さない限り修了もさせない。その代わり授業料下げる。
ま、授業料云々は別としても、もういっそそうやってコース分けして、どうでも良い奴が研究室に来るのを避けたい、と。
でも、そんな冗談(?)も叶うわけでもないので、何だかんだ言いながら、そういう学生になんとか対処しようとしてるね。
一番の大きな変化は、前は大声で怒鳴る事も当たり前だったのが、今は一切しなくなったこと。
今は、そもそも「お客さん」感覚で怒られることを不条理にしか感じない人が多いし、それで訴えられようもんなら教育者として終わっちゃうから。
なんか、ホント真面目に、教授会とかで、絶対に怒ったり強く言ったりしてはいけない、って指示される様になったみたいで(増田さんとこもそうかもしれませんが)。
後、自分の時がそうだったけど、修士論文審査の時に、審査の先生たちに、君は博士行くのか?ってのを聞かれて、行くならちゃんと厳しくやるね、って結構まじめに言われた。
>なんで大学院に進学したの?
何で入ったのかと言われると、もう学部で就活する気がなかったから、としか言いようがありません。
いま振り返ると、モラトリアムの延長程度と思っていたんです。やる気のある修士の方に顔向け出来ません。
関係ある仕事したいけど、、あなたのまわりでみんながみんなそんなうまくいっていますか?
>少なくとも、学部までは見聞深めるために色々見て回るやって回るのが当たり前とさえ思うけど、
>大学院に入る以上はある程度その専門を将来に活かす事あ目的であるべきだと思う。
>研究だってただじゃないし、それにどんだけ税金かかってるか。
>研究室によっちゃ博士に残らないのが当たり前な所があるみたいだけど、
>正直、就活やら授業やら、さらには修士論文を書くための時間を考えたら実質半年くらいしかまともに研究できないのに、
>修士卒のが圧倒的に待遇が良い、っていう就職先のためのロンダだってはっきり言うなら分かるけど(肯定は絶対しないけど)
>こういう、最初から就職するつもりだけどまじめに研究室に行きたい、って人の意味がよくわからない。
>最初から就活するつもりなら大学院なんて行ったって研究なんて出来るもんじゃないよ。
>だから、最初から開き直ってる回りの馬鹿と比べて、どっちか、と言っても正直どっちもどっち。
こんな言い方したくないんですけれど、あなたは優秀なんだと思います。
修士の学生はあなたのように思えるほどみんながみんな優秀ではないと思うのですよ、、こんな言い方でごめんなさいね。
どっぷり研究しても成果が残せないかもしれないというプレッシャーや、開き直って就活しても失敗するリスクに負けて…
なんで大学院に進学したの?
少なくとも、学部までは見聞深めるために色々見て回るやって回るのが当たり前とさえ思うけど、
大学院に入る以上はある程度その専門を将来に活かす事あ目的であるべきだと思う。
研究室によっちゃ博士に残らないのが当たり前な所があるみたいだけど、
正直、就活やら授業やら、さらには修士論文を書くための時間を考えたら実質半年くらいしかまともに研究できないのに、
修士卒のが圧倒的に待遇が良い、っていう就職先のためのロンダだってはっきり言うなら分かるけど(肯定は絶対しないけど)
こういう、最初から就職するつもりだけどまじめに研究室に行きたい、って人の意味がよくわからない。
修士1年でいきなり1ヶ月3時間しか寝れない様な実験てどんなの?
化学系だとそんなの当たり前なのか?(薬品を数時間置きに変える、ってのを只管何百種類、と繰り返す、とか?)
だけど、最近、自分の実験に結果がでないのは、そもそもの前提が間違っている可能性があることを指摘された。このテーマは教官から与えられたテーマであるはずなのに
これで教授が罵倒してくるのはどうかと思うけど、でも、M1にやらせる実験なんて結果が明らかで単なる検証実験的なものか、
成果に繋がるか分からないけど、日頃思いついた中でじっくり時間を割くような事は出来るレベルではないな、
と判断したようなものだろうから、結果的に前提が思ったより簡単な話じゃなくて、うまくいかない、なんてことは良くあることだと思う。
その前提を全く理解しないでただ言われた通りやってできません、って言ってるだけじゃ、何してたの君?とはなる。
ちょっと考えて、この辺上手くいかなくてこういう理由だと思う、って気軽に教授なり先輩に話せて、
そっか、じゃあこっちやってみよう、って言うのが理想。(修士論文用の絶対結果が必要な物じゃないし、前提が間違ってたって色々やる価値は十分ある)
※「全部が全部そうじゃないが」「ごく一部のことではあるが」等の文言を逐一入れるのは面倒くさいのと冗長になるのとで入れてないだけです。断定調の方が論旨がはっきりするからです。
知っている人からすれば当たり前のことなんですが、「大学院」において「学校名」というのはその院生のレベルを知るためには全く意味をなしません。東大の大学院?学士の資格等必要だろうけど、入試なんてザルです。実際に問題を見たことありますか?普通に勉強した人なら通ります。実質定員割れ(=合格者数が定員より多い)もあります。入試問題が基本的に研究科別になっていることが一つの要因だとは思います。
この「大学院で学校名を基準に資質を判断するのは無意味」という事実、企業の人事の方もほとんど知らないんですよね。「東京大学大学院、修士2年の○○です」ってだけで、「おー、東大生かー」って思っちゃう。確かに「東大生」なんでしょうけど、東大大学院の学生に「東大生」とは名乗って欲しくないですし、一般的にそういう認識を持って欲しくないですね。
なぜか。
そう、「ロンダ」が横行しているからです。ことさら「東大生」を強調するような東大の院生ほど、いわゆる「ロンダ」の確率が非常に高い印象です。
東大の大学院に入り最終学歴をそこにすることで、「東大卒です」と主張する(正確には「修了」だが)。在学中は「東大生」を誇り高そうに周囲に流布する。誰でも入れるような大学(学部)から、誰でも入れる東大院の研究科(研究室)に入って、東大学部生のレポート程度の修論を書いて修了し、自尊心を満たす。そんな人に「東大生」を名乗って欲しくないです。
ロンダは知っている人が見れば(現状、少ないと言わざるを得ないが)すぐにバレますし、恥ずかしいは自分だと思うんですが、世の中、医者じゃない「医学博士」が医者みたいに思われている現状もありますので、実際は「東大生」「東大卒」で通ってしまうのでしょうけれども。
現代日本において、未だに「学校名」にこだわっているの時点で苦笑してしまうのですが、それは置いておきます。そのためか、今は嘘か誠か、中学高校の学歴を見て人物を判断されることもあるようですね。いわゆる「地頭」というやつだと聞いています。この基準も確かなものではないでしょうけれど(10年も経てばその人は変わるでしょう)、「ロンダ」を見抜くためにはあってもおかしくないかなとは思います。
話が逸れました。繰り返します。「大学院」は「研究室」に所属するものであって、そこに「学校名」は関係ありません(専門職大学院等除く)。「たまたま」その研究室がその大学院にあった、というだけのことです。確かに東大・京大・東工大等にはレベルの高い研究室が存在する「確率」は高いですが、一般論として、「東大」という名前が神聖視されすぎです。
「ロンダ」の人たち(表面的にそういう経歴の人たち)全てを貶す訳ではありませんが、一部の「ロンダ」組は本当に徹底しています。絶対に学部の名前を自ら進んで言いません。自己紹介でも言いません。聞くとものすごく嫌な顔をされます。笑ってしまうぐらいに。
彼(彼女)らは何のために大学院に来たのでしょう。「東大卒」の肩書きを獲得し、就職やこれからの人生に有利になればいい、と思っているのでしょうか。真剣に研究をしたくて進学してきた他の学生に対して失礼ではないでしょうか。もちろん同様のことは学部についても言えますが、学部は「入学試験」が適切なフィルタになっているため、そのような「肩書き」目的の進学でもそれが目的的に働いていると思います。学部は「勉強」をする(受動的)場である側面が大きいのも、「肩書き」目的で入ってきても容認される理由の一つでしょう。
一方、(東大の)大学院は前述のように入学は容易です。そして一度入ってしまえば、研究科毎の違いはあれども、修了それ自体は最低ラインを超えることはそこまで難しいことではありません。大学院の責務の一つである、「研究」らしい研究が行われないまま、「学歴」のみを取得して修了することができます。
研究科別では、理学系・工学系・情報理工学系にはさすがにこのような例は少ないと思います。しかしそれ以外の研究科では、特に文系と理系を融合したような研究科ではそれはひどい有様です。文系でも理系でも中途半端な人材が集まります。ロンダ目的の学生のいいターゲットです。入試も、文理双方に配慮するので、問題のレベルが下がります。
先生方も授業が学部よりレベルが低くて苦労しているようです。よく聞くのが統計(数学)の話です。バックグラウンドが違いすぎるので、結局、「確率」の話から(極端な話、高校教科書のレベルから)始めないといけません。「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」という理想を実現する環境とはほど遠いです。たいてい、研究テーマだけは壮大ですが、その実質は適当に「アンケート」を取って「統計処理」をして「有意差」をむりやりひねり出すという、学部3年生のレポートみたいな修士論文ができ上がります。それでも修了できてしまう。そうしないと、みんな修了できないから。
学部から(中高時代から)しっかりと知識を育み、学部の継続で修士に進み、毎日うんうん唸りながら一生懸命に「研究」をし、ポスター発表やペーパー投稿も積極的に行い、晴れて修論発表会で発表して修士号を得る。こういう「東大生」であった僕(や周囲)にとって、「ロンダ」組には眉をひそめるしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20130213193100
私も人ごととは思えないので筆を取ります。修士卒業して4年が経つ社会人です。
当時修論が書けなくて辛くて辛くて鬱になりかけて修論がほとんど書けなかったんだけれども
ネットで下記のアドバイスを拾ってきて自分に言い聞かせて何とか書ききった。とにかく貼ってみる。
http://anond.hatelabo.jp/20090203000110
その結果こんな気持ちで修論書いた。成果物はクソみたいなもんだったけど最後までやりきって卒業した。
http://anond.hatelabo.jp/20090124212944
下らない昔話でごめんなさい。これでも恥ずかしながら旧帝です。
でもどうか修論なんかで自分を否定するようなことなんてしないで下さい。
書けなかったこと自体については社会人になってどうかリベンジしてください。
まず研究テーマなんかくれなかった。「研究テーマは自分で探すもの」「あなたなら自分でできる」「いざとなったら私(先生)がフォローする」という言葉を信じて、あれこれ努力してみた。
しかし、結局修士をストレートで卒業できることもなく、卒業間際には「私(先生)はあなたのテーマなんか考えられない」「卒業させられるわけがない」「あなたが考えたテーマは私の専門ではないから指導できない」と言われることになった。
しかしなんとか周りの多大なるフォローもあって卒業できることになった。この点だけは感謝したい。しかし、先生からはなんの援助も受けていない・・・実験に必要なソフトやハードですら自腹で用意した。本当に大学院ってなんだろう(笑)って思ったよw結局受けた指導は、論文の日本語を直す部分のみで、研究内容のことなんか一度も指導を受けなかった。
質問なんかしたところで全く答えなんか帰ってこない。二週間~一か月に一度は相談して「研究テーマの決め方が分からない」「どうして○君には研究テーマを与えるのに、僕にはないのか」というようなことを言っても、「あなたなら何とかなるよ」以外の答えなんか帰ってこない。しかも結局何ともならずに卒業できずに留年・・・・内定も結婚も全部おじゃんになった。あれは人生の地獄だったなw立ち直るの大変だったよ・・・
僕の質問力が低かった可能性は否定しないけど、質問しても相手がダメだと何言ってもだめ。
毎週顔を合わせて(輪講が週1であった)「行き詰っている」「こういうことを考えているので論文教えてほしい」「この分野の大きな学会はどれですか」などと聞いてもだめ。具体的な手法や解釈について聞いても「それは専門じゃないからわからない」と言われるだけ。テーマも方針も手法も何ひとつ答えが返ってこなくてずっと絶望してた・・・・・
一度目の就活をして、内定が人よりも早めに出たのだけど、その時の先生の一言が「あなたみたいな使えない人にはピッタリな職業だね」とか・・・・結局この内定は留年で無くなったのだけどね。
留年してからは大変だった。ヒステリーを起こした先生と親が勝手に喧嘩をはじめ、僕が菓子折りをもって関係者全員に謝りに行った。もはや、意味が分からないw
そうなると、当然先生は「もうこんなんじゃあなたの指導はできない」ときた。もともと指導なんかなかったのにねw
そこから僕は「もうこの人は頼りにならない。一人で卒業する」と決めて、実験機材やソフトとかを30万くらい投資してそろえた。先に卒業した人の修士論文を10人分すみからすみまで読み、卒業生のレベルを把握し、「どうしてこれと比べて僕が卒業できないのか」という理論武装を完璧にした。
それまで、すごい先輩の修士論文・博士論文しか読んでなかったけど、クズな修論は本当にクズ。既存研究のデータを変えただけとかざらにある。「あぁ修士ってこのレベルだったのか・・・・」と気づいたときは、もっと早く調べておくべきだと思ったよ・・・・もちろん自分の修論もそのクズに加わったのだけどねw
結局、修論レベル確認したあとは早かった。だって、既存手法を新しいデータに適用して、それにそれっぽい解釈をすればいいというのが目標のベースラインになったので、やることは決まってる。機材そろえるところから、詳しい人(先生ではない)に意見聞いて回ったりして、卒業するまで半年もなかった。論文の中身は我ながら屑だったが・・・・
「あなたは彼女(元婚約者)が出来てからおかしくなった」「あなたのせいで私の立場が悪くなった」「私となかよくしなきゃいけないのわかるよね?」
いやぁもう全く分かりません。
そのくせ、「研究室に残りたかったら残ってもいいよ」とか・・・・・「何の冗談ですか?こんな状況になって僕自身が一番研究向いていないことが分かっていますし、客観的に状況を見て博士をすすめる意味が分かりません」と言ってやったwなんなんだろうかね・・・
他にもいろいろあったけど割愛。
結局は2回目の就活もわりとさらっと就職できて、ちょっと残業が厳しいのは不満だけど、今はそこそこ幸せにしている。
なんか、こんな事件があったせいか、たいていの圧迫とかが平気で流せるくらいにスルー力がついてしまっているので、かわいがってもらってる若手社会人の今があまりにも楽になってる。
正直、質問力が高いとか低いとかではないと思う。いい相手をきちんと見極められるか。その一点に尽きる。僕の修士生活は、研究室選びを失敗した時点で終わってた。
相性の問題もあると思う。卒業出来てる人もいたわけで、驚異的に僕と先生の相性が悪かったという可能性は否定しないです。
ただ、原因を自分に求めて改善するのも限界があるので、根本的に変えるべきこと(先生を無視するとか、上司を変えるとか)もあるということを、この人には知ってもらいたい。