はてなキーワード: 保証とは
今我々は戦争反対ってみんなで言ってるわけだけど、同時に
「たとえウクライナ国民を守るためでも、軍事的介入するのは世界に火の粉が広まって場合によっては核戦争でマジヤバいので残念ながら無理です」
ってのも言葉の裏に総意としてあるわけじゃん。
俺も残念ながらそう思う。無理だよ。
でもふと考えると、これって日本が自国の防衛で想定してることそのものなんだよね。
色んな状況が今と変わって、ロシアや中国の領土的野心が日本に向いたときに、アメリカが「核戦争のリスク」と「日本国民を助けること」で後者を選択してくれるっていう前提に基づいて成り立ってる。
もちろんブダペスト覚書と日米安保は違うし、米軍も元から駐留してるし国連軍の拠点もある。でもそれが保証になるとも言えない気がするし。
それ言ったらNATOも同じじゃんって言えるかもしれないけど、NATOの、特にヨーロッパの相互防衛と日米間のそれの強さってまた違うと思うんだよな。俺らアジア人だし(身も蓋もないことを言う)
どうなるのかね?
もしかしたら早々に撤退してしまって「戦争反対」の表明を遠くからしてくれるだけで終わってしまうかもね。今の我々含む西側陣営がまさに同じことをしてるように。まあそれも仕方ないかもしれない。今も仕方ないし。
※念の為言っとくけど「だから自国だけで守れるように強くなって〜」みたいなタイプの主張をしたいわけではないです。それも無理でしょ。
AndroidスマホGalaxy Note9、Windows PC、iPad Pro12.9、Fire HD 10を所持
記号は良い★★★★★>>>>☆☆☆☆☆悪い
★★★★★iPad・・・対応してないことはほぼなく殆どのゲームがおそらく快適にプレイできる。OS保証期間もAndroidより長く、数年経ってもスペックも最新ゲーム対応してることが多い。
★★★★☆Androidタブレット・・・対応してないことはほぼないが快適さではゲームによっては高スペックタブレットでもiPadに若干劣る可能性。
★★☆☆☆Fireタブレット・・・低スペックでもできるゲームならプレイできるかもしれないが恐らくスペックが苦しい。
★☆☆☆☆Windowsタブレット・・・対応してない可能性が高い。エミュレータで可能かもしれないが快適ではないし手間もかかる。
★★★★☆iPad・・・快適ではあるがAmazon Kindleアプリで購入ができない。少しだけ手間がかかる。SDカード対応してないので容量に余裕持たせたいと思ったら端末価格が高くなる。
★★★★★Androidタブレット・・・言うことなし。SDカードも対応のものが多い。
★★★★★Fireタブレット・・・動作は若干重いが気にならない程度。Fireタブレットならアレクサの文章読み上げ機能も使える(らしい)。SDカードも対応。コスパも加味すれば最強。
★★★★★Windowsタブレット・・・勿論快適だがこの用途だけのためには無駄に高い。
★★★☆☆iPad・・・無料アプリでも簡易な文書作成や表計算などができるので、端末のみで完結する簡易な仕事やネットサーフィンなどの作業だけなら可能だが、サブPC的に使うとファイル管理仕様がPCと違うため使い勝手が悪くストレスが溜まる。WIndowsやAndroidに慣れてる人なら許容できない可能性が高い。
★★★★☆Androidタブレット・・・仕事や作業などにおいて無料アプリの使い勝手では若干iPadに劣る可能性もあるが有料込なら十分可能だろう。ネットサーフィンにおいてはiOSをはるかに上回る使い勝手がいいアプリを揃えている。ファイル管理の仕様もPCと大差ないのでサブPC的に使うこともまあ可能。Galaxy TabならDexモードでPCライクに使えて快適らしいが、しかしPCと比べると流石に制限があり劣る。
★☆☆☆☆Fireタブレット・・・OSベースがAndroidなのでAndroid同様に使えないこともないがスペックが足りず作業は文書作成ですらやってられないだろう。ネットサーフィンだけでも完全に快適には使えない。
★★★★★Windowsタブレット・・・勿論スペック範囲内であらゆることが可能だろう。アプリが豊富にあるしネットサーフィンなども快適にできるだろう。
★★★★★iPad・・・液晶タブレットやPC用アプリと完全に同様にとまでは行かないまでも絵の仕事に実際使っているプロが少なからずいるくらいだから単体で絵を描けるタブレットとしてはアプリ含め最強と思われる。メモ用アプリも高機能のものが揃っている。ただ高評価で有名なアプリは安いが有料のものしかない。
★★★★☆Androidタブレット・・・Galaxy Tabなどスタイラスペン対応端末なら快適に使えるだろうし、最初からスタイラスペン付属のものもあるのでApple Pencil別売りのiPadより安く済む。イラストやメモ系アプリの使い心地や書き味などはiPadに若干劣りそう。Galaxyなら純正メモアプリだけなら数年前のGalaxyNoteの時点でApple Pencilに劣らない書き味かつ無料。しかしサードパーティ製アプリだと遅延が発生する。現在は改善されてるかは分からない。
☆☆☆☆☆Fireタブレット・・・全くできないということもないだろうがスペック的な面で向かない。
★★★★☆Windowsタブレット・・・surfaceなどがスタイラスペンに対応しているしベースがWindowsなのでアプリ面では最強だが、ペンの使い心地がどの程度Apple PencilやGalaxy Sペンとどれほど勝負できてるのか分からない。
iPadを買えばいい。Androidでも悪くないがiPad系の方が快適安心。
それくらいならiPadの安いものや昔の安いiPadの整備品でも安いAndroid系でも十分使えると思うし財布と相談してどれでも好きなのを買えばいい。
1万前後のFireタブレットですら十分使えるのでコスパ最強、と言おうとしたが(書いてたが)、Fireタブレットには一つ注意点があるのを思い出した。
イヤホンジャックがあるので有線イヤホン使う人は問題ないが、ワイヤレスイヤホン使う人には向かない。
イヤホンを低遅延モードにしても動画再生で遅延を感じる。Amazon Primeの動画なら調整してくれるのか問題ない気がするが、YouTubeその他だと遅延が起こる。
スマホゲームやらないならWindowsタブレットが何でもできて最適。スマホゲームやるなら高スペックAndroidタブレットなら何やるにも及第点。
Chrome bookはPC同様にネットサーフィンできる上にスペック(GPU)的に本家Androidほど自由ではないが同じAndroidアプリを入れられて融通きくしコスパ的にかなりいいらしい。
iPad+Apple Pencilを買えばいい。Android(Galaxyタブ)でもいい。
大画面が良ければ現状Pro12.9インチ一択。その他は色々解説してるApple好きが多いので好きに調べればいいし迷ったらAirが丁度いい。Proは殆ど意味ない。
無印やminiも快適に使えるだろうが個人的にはスマホ持っててmini買う理由がよく分からない。どうせタブレット買うなら10インチ以上がいいと思う。
あと仕事やゲーム、動画編集などでガッツリ使うとかでなければ容量は128GBか256GBでいい。サブPC的に使えると思って安いところで512GBを買ってしまったが、ファイル管理仕様の問題でサブPC(メインPCの一時的SSD的な用途込み)で使えなかったので無駄な512GBになってしまった。
M1 iPad Pro12.9を買ってしまった自分が買う前の過去の自分に助言送れるなら2in1 WindowsタブレットPCを勧めたい。
結局作業にしてもネットサーフィンなど暇つぶしにしても画面が大きいならPCと同じように使えるのが1番使い勝手がいい。つまりWindowsがベストで、タブレット的にも使えたら持ち運んでの使用も楽でいい。
スマホ持っててPC持ってない、PC持たず不自由なく生きてこられた人ならPC的な使い勝手いらないだろうし結局安定のiPadでいいかもしれない。
なんでもそれなりに使えるタブレットがいいならAndroidのGalaxy Tabがいいと思う。自分も最新のGalaxy Tab S8+/S8 UltraとiPad Pro12.9で迷った。
自分の場合スマホゲームとほぼ訣別できてるしやるとしてもAndroidはスマホがあるので、Windowsタブレットが結局1番よかったと分かった。
ただWindowsは快適に使おうとしたらそれなりのスペックを要し価格が上がるので比較的低スペックでも快適に使えてPC同様にネット見れてChromeに拡張機能も入れられるChrome OSは使う内にやっぱあれもこれもしたい(本格的な仕事やお絵描き、スマホゲームなど)とか言う性格じゃなくネットサーフィンや電子書籍、動画で用途が完結するならよさそう。
ちなみにiPad買う前にいろんな動画やサイトでタブレットを調べてた時、「Android&Windows信者でもタブレット買うならiPad一強になってしまってる」という話を多くの人が言ってるのを見たが、買った結論としていうほどiPad一強じゃないと思った。ただApple Pencilは確かにいい使い心地。
妊娠したバッテリーは当然外したが、代わりになるバッテリーがない
見つけたのは怪しい業者ぐらいで、国内の業者ではあるが、モノは香港や深センから届くらしい
正規品ではなく同等品と書かれているが、何をもって同等なのか当然保証はない
最悪燃えるパーツなので諦めることにした
バッテリーでなければ冷やかし半分、ネタ半分、自分の精神の許容範囲内の額なら買うのだけど、
今は人生で最も財布に厳しいというか、先行きがないというか、
NATOの連中は武器弾薬だけ送って助けてくれないわけでしょ?
中世の戦争みたいに、男は皆殺し、女はレイプ、財産はすべて略奪って時代でもないでしょ
って条件で降伏すれば良くない?
なにがダメなんだ?
ロシアがウクライナ侵攻したりした日に某所で引退発表があってダブルパンチを受けた層は一定数いるのではないかと思うし、増田にも前者の記事はあふれ返っているので後者について語る。
(別に前者と比較できるほどの話だと思っている訳ではない。戦争より大きな芸能問題なんてあるわけがない、当たり前だ)
ただまぁ、遠い国で戦争があっても「怖いな」「ロシア史にこういう流れあったな」とは思っても、現地で起きた悲劇のすべてに感情移入することはない。『アクタージュ』の原作者が前科者になって連載が打ち切られても「続きが読めなくて残念だな」とは思っても、原作者に同情はしない。どちらも遠い話だし、後者であっても自分が好きなものと作者は別物だからだ。世の中の悲劇のすべてに感情移入していたらどんな聖人でも発狂してしまう。よそはよそ、うちはうちだ。
その『よそ』を『うち』に変えてしまうのがライブ配信型の魅力であり、最も恐ろしい地獄でもあるという話。
Vtuberというのは、元々『二次元のキャラが本当に生きていたらいいのに』というオタクの願いを部分的に叶えるものだった、と思う。
2017年末にキズナアイの動画を始めて見た時は「はー珍しいことやる人がいるもんだ。面白いな」ぐらいの感想ではあったが、確かに感動した。ニコニコ動画時代には謎技術で見たこともないような動画を投稿している投稿者がわんさかいたが、その一種のような認識だった。その後四天王だの何だのと次第に盛り上がり始め、新しい時代が来たなぁと眺めていた。配信型を見るようになったのはブームの始まりより後だった。2020年末頃だ。
元々東方Project好きだったこともあり、ハードシューターがいるという話を聞いて観始めたのがきっかけだった。観てみると確かに面白い。バラエティ番組で芸人のトークに笑うことに抵抗はなかったし、配信系に馴染みがなかったのも「男女を問わず別に人間の顔を画面で見続けたいと思えない」という理由だったので、『アニメキャラがゲームやトークをしている』感覚で観ることができた。(この辺りは「中身の人間がいるのは論外」派も根強いようなので人によるらしい)ともあれ日常的に配信を観るようになっていくと、学生時代のボーカロイド全盛期を思い出してどこか懐かしかった。何事も流行りというのは流行っている内に楽しんでおくと、時代の空気を味わえるものだ。ミーハー万歳。
そのうちにわかってきたのが、このジャンルの本質は『コンテンツ』ではなく『コミュニティ』であるということだった。考えてみれば当然でもある。作品を一方的に受け取るのが『コンテンツ』なら、コメントを本人に送り、配信内でやり取りし、あるいはリスナー同士の横の繋がりも増える。(そういえばラジオ同様「リスナー」という表現を使うのは何故だろう? ライブ動画を観てはいても、本質は声ということだろうか)これほど双方向的ならば、それは勿論『コミュニティ』だ。
『コミュニティ』に加わるということは、例えばMMOオンラインで深夜までチャットで盛り上がる仲間ができるようなものだ。毎日のように遊んでいるから、相手が大体何をしているのかわかる。家族や友達、と言っても言い過ぎでないのは昨今増えたという「オンラインゲーム婚」とやらを鑑みても明らかだ。画面の中から一方的に渡されるだけの『コンテンツ』と違い、『コミュニティ』では画面の向こう側に自分から何かを届け、加わることができる。実社会にとても近い。精神的な、代用品にもなりうる。
そして人気の高いライブ配信者、特にそれがグループであればクオリティも保証されている。その『コミュニティ』はいつも楽しく、賑やかで、甘酸っぱく、可愛い。現実の自分の人生では味わうことなど到底不可能なほどに。この構図は従来の何かによく似ている。そう、『二次元』だ。現実逃避をして二次元コンテンツに耽溺し、そこに行きたい、加わりたいと考えるオタクはずっと昔から存在していた。
ライブ配信型Vは二次元そのものではない。だが、二次元と同じ効能を果たしてくれるから、その代用品にはなり得る。かくしてオタクは『画面の向こう側の二次元コミュニティ』に加わる手段を手に入れた。これこそ可視化された楽園だ。この世の何処かにはあるかもしれない、いいやあるはずもない、と諦めていたきらら世界観。それが実在すると思えた。何割かは演技かもしれないが、しかしすべてではない。あまりにも長時間、毎日のライブ配信がある。『素』を隠し通すのは不可能に近く、むしろ『素』をある程度出すことが人気の秘訣にもなっている。
演技ですらなく、『素』で『楽園の二次元キャラ』が現実の過酷さによって苦しむ姿をリアルタイムに眺め、想像することができるのだから。百合に男を挟むな、なんて次元ではない。きらら漫画を読んでいたら急に震災やコロナが登場してメインキャラが何人も死んでしまうようなものだ。大炎上間違いなし、トラウマものである。
結局のところ彼女達(あるいは彼等)は現実を生きる生身の人間だ。現実の過酷さの中で当たり前に生きている。だからろくでもない事態にも見舞われる。本人が原因になることも、しょうもない理由で叩かれることもある。それは別にこれまでもごく普通にあったことだ。
ただ、可視化されただけ。家族でもなければ身近に感じることがなかった苦痛を、日本中や世界中に分け隔てなく配って共有することができるようになっただけだ。
タイトル通り、この変化はあくまで二次元オタクかつ、ライブ配信型Vを許容できる層に限られる話でもある。人気アーティストや声優が死んだり結婚したり引退したりで阿鼻叫喚の嵐になるのはいつものことだ。珍しくもなんともない。ただ「二次元イラスト」が聖域で、仮に宇崎ちゃんポスターのように現実で炎上したところで、作者に何が起きたところで、作中世界のキャラには何の影響もない、という感覚はここにはない。
『画面の向こう側』に手を伸ばせることはとても魅力的で、そして地獄だ。
何度か自分でそれを経験してからは、二、三歩引いた距離感で観るようになった。離れて見れば『コンテンツ』として面白いのは変わらない。ただ『コミュニティ』にまで加わると、火傷をするからだ。古き悪しき2ch時代のROM専文化は、ここにきて自衛の意味を取り戻しつつある。
(別に前者と比較できるほどの話だと思っている訳ではない。戦争より大きな芸能問題なんてあるわけがない、当たり前だ)
ただまぁ、遠い国で戦争があっても「怖いな」「ロシア史にこういう流れあったな」とは思っても、現地で起きた悲劇のすべてに感情移入することはない。『アクタージュ』の原作者が前科者になって連載が打ち切られても「続きが読めなくて残念だな」とは思っても、原作者に同情はしない。どちらも遠い話だし、後者であっても自分が好きなものと作者は別物だからだ。世の中の悲劇のすべてに感情移入していたらどんな聖人でも発狂してしまう。よそはよそ、うちはうちだ。
その『よそ』を『うち』に変えてしまうのがライブ配信型の魅力であり、最も恐ろしい地獄でもあった。
Vtuberというのは、元々『二次元のキャラが本当に生きていたらいいのに』というオタクの願いを部分的に叶えるものだった、と思う。
2017年末にキズナアイの動画を始めて見た時は「はー珍しいことやる人がいるもんだ。面白いな」ぐらいの感想ではあったが、確かに感動した。ニコニコ動画時代には謎技術で見たこともないような動画を投稿している投稿者がわんさかいたが、その一種のような認識だった。その後四天王だの何だのと次第に盛り上がり始め、新しい時代が来たなぁと眺めていた。配信型を見るようになったのはブームの始まりより後だった。2020年末頃だ。
元々東方Project好きだったこともあり、ハードシューターがいるという話を聞いて観始めたのがきっかけだった。観てみると確かに面白い。バラエティ番組で芸人のトークに笑うことに抵抗はなかったし、配信系に馴染みがなかったのも「男女を問わず別に人間の顔を画面で見続けたいと思えない」という理由だったので、『アニメキャラがゲームやトークをしている』感覚で観ることができた。(この辺りは「中身の人間がいるのは論外」派も根強いようなので人によるらしい)ともあれ日常的に配信を観るようになっていくと、学生時代のボーカロイド全盛期を思い出してどこか懐かしかった。何事も流行りというのは流行っている内に楽しんでおくと、時代の空気を味わえるものだ。ミーハー万歳。
そのうちにわかってきたのが、このジャンルの本質は『コンテンツ』ではなく『コミュニティ』であるということだった。考えてみれば当然でもある。作品を一方的に受け取るのが『コンテンツ』なら、コメントを本人に送り、配信内でやり取りし、あるいはリスナー同士の横の繋がりも増える。(そういえばラジオ同様「リスナー」という表現を使うのは何故だろう? ライブ動画を観てはいても、本質は声ということだろうか)これほど双方向的ならば、それは勿論『コミュニティ』だ。
『コミュニティ』に加わるということは、例えばMMOオンラインで深夜までチャットで盛り上がる仲間ができるようなものだ。毎日のように遊んでいるから、相手が大体何をしているのかわかる。家族や友達、と言っても言い過ぎでないのは昨今増えたという「オンラインゲーム婚」とやらを鑑みても明らかだ。画面の中から一方的に渡されるだけの『コンテンツ』と違い、『コミュニティ』では画面の向こう側に自分から何かを届け、加わることができる。実社会にとても近い。精神的な、代用品にもなりうる。
そして人気の高いライブ配信者、特にそれがグループであればクオリティも保証されている。その『コミュニティ』はいつも楽しく、賑やかで、甘酸っぱく、可愛い。現実の自分の人生では味わうことなど到底不可能なほどに。この構図は従来の何かによく似ている。そう、『二次元』だ。現実逃避をして二次元コンテンツに耽溺し、そこに行きたい、加わりたいと考えるオタクはずっと昔から存在していた。
ライブ配信型Vは二次元そのものではない。だが、二次元と同じ効能を果たしてくれるから、その代用品にはなり得る。かくしてオタクは『画面の向こう側の二次元コミュニティ』に加わる手段を手に入れた。これこそ可視化された楽園だ。この世の何処かにはあるかもしれない、いいやあるはずもない、と諦めていたきらら世界観。それが実在すると思えた。何割かは演技かもしれないが、しかしすべてではない。あまりにも長時間、毎日のライブ配信がある。『素』を隠し通すのは不可能に近く、むしろ『素』をある程度出すことが人気の秘訣にもなっている。
演技ですらなく、『素』で『楽園の二次元キャラ』が苦しむ姿をリアルタイムに眺め、想像することができるのだから。百合に男を挟むな、なんて次元ではない。きらら漫画を読んでいたら急に震災やコロナが登場してメインキャラが何人も死んでしまうようなものだ。大炎上間違いなし、トラウマものだ。
結局のところ彼女達(あるいは彼等)は現実を生きる生身の人間だ。現実の過酷さの中で当たり前に生きている。だからろくでもない事態にも見舞われる。本人が原因になることも、しょうもない理由で叩かれることもある。それは別にこれまでもごく普通にあったことだ。
ただ、可視化されただけ。家族でもなければ身近に感じることがなかった苦痛を、日本中や世界中に分け隔てなく配って共有することができるようになっただけだ。
タイトル通り、この変化はあくまで二次元オタクかつ、ライブ配信型Vを許容できる層に限られる話でもある。人気アーティストや声優が死んだり結婚したり引退したりで阿鼻叫喚の嵐になるのはいつものことだ。珍しくもなんともない。ただ「二次元イラスト」が聖域で、仮に宇崎ちゃんポスターのように現実で炎上したところで、作者に何が起きたところで、作中世界のキャラには何の影響もない、という感覚はここにはない。
『画面の向こう側』に手を伸ばせることはとても魅力的で、そして地獄だ。
何度か自分でそれを経験してからは、二、三歩引いた距離感で観るようになった。離れて見れば『コンテンツ』として面白いのは変わらない。ただ『コミュニティ』にまで加わると、火傷をするからだ。古き悪しき2ch時代のROM専文化は、ここにきて自衛の意味を取り戻しつつある。
先程トイレで大きい方に挑みながら唸っていた。
多分おおくの増田もそうだと思うけれど(もうこの時点で確信がない)、半ば無意識にズボンを下ろして腰を下ろしていきんでいた訳だ。トイレなんて生まれてからおそらく1万回以上下手したら2万回近くやってるわけで、なにかこう特別なことを考えてたりするわけじゃなく、このときも確か出さなきゃいけない仕事のメールについて考えながらほぼオートモードで行動していた。
しかし、そのときふと考えた。考えたと言うか、意識がふわっと一歩外に出て自分を見た、というか。
その時自分は座った膝の上に右掌をついて、左手は肘をついて、「う゛ー」的なため息を漏らしていたわけだけど、これは何故なんだろう。いや、何故かといえば自分がそうしたからなんだけど。
何故「あ゛ー」でもなく「い゛ー」でもなく「う゛ー」だったのか? 何故右掌をついているのか? そこにふと疑問を抱いた。いや、多分それが自分のスタイルであって、年月をかけた定番であって、習慣であって、意味は特にないのだろう。それはすぐわかったし納得した。
しかし、おおくの増田もそうだと思うけれど(このあたりから確信がどんどんなくなっていく)、自分は他人がトイレでいきんでいるところを生で見たことはない。ドラマ等ではあるような気もするが、パッとは思い出せない……のだけど、皆様におかれましてはどうでしょうか?
自分自身では自分の行動は全く自然であり異常なところはひとつもないのだが、他人のそれと比較検討したことがない以上、その保証はまったくないのではないか?
大きい方を終了しながら、突然そう気づいたのだ。
そこでデスクに戻ったら即座に「トイレ 姿勢 声」でググってみたのだけれど、そこで出てくるのは介護において排泄を介助する方法や知識ばかりであって、ワードを変えて何度か検索してみたけれど、自分の求める知識は出てこなかった。
こちらが知りたいのは健常な普通の一般人がトイレでする時の仕草なのだ。しかもそれは決してエロい意味ではなく普通が知りたいだけなんだ。
しかし言い訳すればするほど説得力が蒸発していくような疑問なので、知己に尋ねることも出来ない。
一旦冷静になって考えてみれば、それに類する情報が見つけられたとしても、それらはおそらく(自分が「う゛ー」であるのと同様に)個別の個別的な体験や手法であって、自分を安心させるような網羅的で一般が確認できる情報ではないとだろう。検索結果からはそんな雰囲気を感じる。
増田諸賢は、トイレの中での行動というものを、もっと自覚的に、主体的に、ちゃんと意識してやってるんだろうか? そこでのうめき声に主体性を保持してるんだろうか? 姿勢には? 無自覚にやっていないか? 疑問を感じていないのか? すべてがわからない。
プライベートの中心地とも言えるそこはブラックホールのごとく情報を飲み込んで外には漏らさないからだ。
そういう、今日感じた疑問というか、心の動きをここに記録しておく。それが匿名増田のもっとも有用な使い道だというのが今日の結論だ。
https://togetter.com/li/1848941
長年配信を見てる身からすると、この契約解除問題、配信を見てない奴が旬のネタでバズりたいがために、テキトー言い合ってるようにしか見えねーよ。
たぬかなや、ゲーマー兼マネージャーのKbatonがやってたのは、配信界じゃ当たり前の煽り芸・キレ芸。
https://www.youtube.com/watch?v=P7PZhIM7T0M
https://www.youtube.com/watch?v=Py5nOKlbqVI
配信者は視聴者の感情を動かして、コメントを沢山書かせないと、他に配信者はいくらでもいるから、どんどん視聴者を吸い取られてしまう。大食いだとかASMRだとか色々あるけど、その中のひとつの方法に煽り芸・キレ芸があるわけ。
さて、ここでほとんど語る奴がいないけど、なんでスポンサーやチームの側にも問題あることを追及する奴がいないの??なんで今まで放置だったことを糾弾する奴がいないの??まさかスポンサーやチームは被害者の側ですかね??
俺は違うと思うな。ほぼ共犯だよ。スポンサーやチームがコンテンツを作るのに、煽り芸・キレ芸を知らないハズは無いんだよ。本当に煽り芸・キレ芸がダメなら、その発言をしたその日のうちに処分が出てるハズ。本当にスポンサーやチームが清廉潔白なら、たぬかなやKbatonの煽り芸・キレ芸が続けられるハズが無いんだよ。
これ、ここまで炎上しなけりゃ、今もたぬかなやKbatonはゲームやりながら、差別発言してキレ芸連発してたわけだよ。プロゲーマーだけど、配信の数字を取るためには、『煽り芸・キレ芸は必要だ』って上層部の判断があったはずだよ。
そもそも考えてみてほしい。特にたぬかな。たぬかなは顔出しをしてる女性なんだよ。その女性がネットで煽り芸・キレ芸をするって、どれだけリスクのあることか想像つくか??煽り芸・キレ芸をやってる姿が精神異常者の目に止まり恨みを買い、自宅まで特定されて襲撃を受けるとか、そうゆうリスクもあるわけだよ。実際に配信者の自宅特定は、本当に頻発してる。
これは『ゲームとか配信で飯を食っていく』って確固たる覚悟がないとできないことだよ。ある程度の金が保証されてないと取れないリスク。
このたぬかなの契約解除問題、小難しい話を持ち出して、うだうだ言ってる奴が多いけど、とりあえず配信見ろよ。俺は別に俺の配信が好きな俺の気持ちをお前らに押し付ける気はさらさらねーけど、配信をロクに見ても無い奴が、テキトー言ってるの見るのは本当に気に食わない。
見てないなら見てないで黙っとけよ。黙りたくない奴は、見てから語れ。
「何かの特性持ちの男子学生が見知らぬ女子高生にピッタリくっついてた。うっかりすると警察事案~」ってツイ見たけど、うっかりしなくても警察案件では?特性持ちとか関係なくね?そういう人でも健常者でもヤバい奴は皆通報案件だろ。
特性持ちの自立や見守りって言われてるけど、「それ以上やらかさない」保証はどこにもないし(そもそもつきまとわれるだけでクソキモいのに我慢しろと?)、健常者の変質者って可能性もあるのに優しい対応なんか無理すぎる。
自立や見守りとは別の話。時々「犯罪おかしたけど特性持ち(もしくは知的障害)があるから無罪」みたいな意見あるけど、「して良いことと悪いことの区別もつかないけど、罪にも問われない存在」なんてまともに相手出来ないし、それこそ人間扱いじゃねえと思う。
ジジババの治療費や年金の為に社会保障が膨らんでただでさえ少ない若者の給料から原資として社会保険料を搾取されている、という認識からジジババを忌み嫌う同世代は多い
気持ちはわかる、俺だってジジババの愚痴は言うし、俺の兄なんかよくジジババをガス室に送れ!って言ってる
俺達の世代人口はジジババやオジオバを含めた中高年世代人口に比した時に圧倒的に少数派で、おまけにろくに選挙にいかないので政治家は俺達の声を無視してきた
そんな俺達がやがてオジオバやジジババになったとき、今度こそ俺達が多数派に変わっているという保証はどこにある?俺の予想では、俺達がジジババになる頃には俺達より下の世代がマスに変わってると思う
少数派のジジババになった時に若い頃散々「ジジババの社会保証を削減しろ!」と言ってきた事実が壮絶なブーメランとなって返ってくる可能性がある
結局年金だって今50前後の人くらいまでは普通に貰えそうだけど、俺らが50前後になる頃にはめちゃくちゃ削減されて体をなさなくなってる気がする
俺たちは生まれてから死ぬまでずっと少数派として損をする運命にあるんだよ
だったら保身を考えるべきだ
今の今からジジババを擁護しておくことで、将来の俺達の社会保障を守るんや
俺たちは少数派のジジババになる可能性が高いのだから、今のジジババみたいに傲岸不遜な態度を取れば姥捨ての憂き目に合うだろう
みんな謙虚なジジババを目指そう、それが俺たちの生きる道や
農学部卒でメーカー入社後すぐ適応障害で休職し、復帰後は品質保証でスペックシート作成を9年。
声をかけてもらって今は労働組合に出向している。
品質保証のスペックシート作成は専門性がありそうだけど、データを転記して取引先に提出するだけ。
問い合わせ対応もやってきたけど、問い合わせのバリエーションも知れており、5年目以降は成長できている感覚もなかった。
でも一度潰れた自分が他部署でやっていけるとは思えず、組合から声がかかるまでは異動希望も出せずにいたし、今も自信は持てていない。
ばりばりマネジメント!というのは心底向いていないので、何か専門性があればなぁと浅はかにも考えているけど、何事においても興味も得意もないので何を志ざせばいいのかわからない。
いい歳して情けない…