はてなキーワード: ハンターハンターとは
主人公がバスに轢かれて事故に合うことで異世界に転移するという、
ただ、いくつか異なる点がある。
そのひとつは「ビートルズ」が存在しなかった世界線ということだ。
幼馴染の女性マネージャーに告げたその夜に事故にあいビートルズが居ない世界へと転移する。
主人公はビートルズのいない世界で、ビートルズの楽曲を自身の作であると偽り発表して世界的な名声を得ていくことになるが……果たして?
というのが序盤のあらすじである。
事故にあって(トラックではなくてバスだが)世界線を移動する、
というのはやはり日本のアニメの影響があるんだろうか?とか思いながら見ていたんだけど、
ふと思った。
果たして、ビートルズがいない世界でも、音楽の世界は現代の音楽シーンと同じものとなるのだろうか?
映画にはエド・シーランが本人役で出ていて、本人の歌を本人がそのまま歌っている。
つまりビートルズがいないことの影響を受けていないことを読み取ることが出来なくもない。
でも、これって多分無理じゃないか?
進化ツリーみたいなものが割りとハッキリとしてる世界じゃない?
(わかりやすくいうとバッハとかモーツァルトがいないとしたら?ということ)
その中で「ビートルズ」の不在が果たして全く音楽シーンに影響を与えないことなんてあるのか?
ということが映画よりも気になり出し始めたところで、はたと気づいた。
これはあれだ、キリスト教原理主義みたいな考え方で回避すべき疑問なのだ。
映画の中でも、一言二言だがだがこの転移が神の奇跡であることを示唆するセリフがさりげなく入れられている。
つまり、これは神が世界を創造した時に人間が聖書の中の記述と食い違うような考古学的発見をするような世界を創造されたということだ。
ダーウィンの進化論が導き出されるような世界をなぜか(なぜなんだろう?)神様は天地創造の時にお作りになった。
と同じことで、神様はビートルズがいないにも関わらずビートルズがいたのと全く変わりなく音楽が発展した世界を創造されたのだ。
別の世界線に。
そういうことで納得した。
色々とビートルズの小ネタたくさん詰め込まれている映画なのだろうが筆者はあいにく詳しくなくてほとんどわからなかった。
それにしても、もしも君たちが同じ立場だったらどうする?
とても有名で君には馴染み深い作品が存在しない世界線に飛ばされたら?
君が売れない小説家をしていて、村上春樹がいない世界線に飛ばされたら?
君が漫画家をしていて、ハンターハンターが存在しない世界線に飛ばされたら?
どうするんだろう。
太古の昔からある。みんな「いつ終わるねん」と思いながら読んでる。
○
アニメ制作会社がよかったため人気が出た。たいして中身はなく、評価点は絵がよく動くことくらい。
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極めて独特な世界観・キャラクター同士のかけ合いにより、読者は不条理の淵へといざなわれる。
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他に代えがたい作家性があり、エンターテインメントとしてだけでなく、藝術として高く評価されている。
○
原作者の趣味を美形のキャラクターにやらせるだけのなんの中身もない作品である。
○
緻密な設定とストーリー、妥協を許さない作風は唯一無二。連載が不定期なところも共通。
○
蟻編の対ユピー戦においてナックルとシュートの役割を入れ替えなかったのはなぜ?
普通に考えてシュートがユピーと1対1で闘っている間、ナックルがボッ立ちしているのはおかしいのでは?
最初の時点でユピーにハコワレを打ったあと、どこかの段階でシュートと入れ替わっておけば、逃げ足の速い(伝説級の速さ)ナックルが逃げ回ってる間、メレオロンの能力で姿を消したシュートがユピーの背後から攻撃すればよかったのでは?
シュートの能力を使うと相手の身体の一部を消すことができるのなら、ハコワレのカウントと同時にやればナックルを倒さない限りこの能力(ナックルとシュートの能力のセット)が消せないとユピーにブラフをかませておけばよかったのでは?
連載当時からこのあたりに何か演出がおかしいと思っていたんだけど、なにか別の理由でもあるの?なんでずっと突っ立ってたんだろうと。