はてなキーワード: グリップとは
少し妊娠の危険を伴うが、生理前後の安全日にゴムなしでやるといいかも。
ピル飲んでもらえるのが一番だけど。
床オナの影響は分からないけど、強いハンドグリップと脚ピンは俺もやってて、それでも遅漏はない。
「女性だけの街」の元ネタと「優しさ」資源の話
https://note.com/aozora_aoina/n/n9a98e5d8df24
ブコメにも散見するけど「現代では腕力を伴わない機械がある」論が見えてないのは「その機械は男性が使用することを想定している」んだよ。
ホントに機械がある論者はマジで何もわかってなくて、例えば街インフラを整備するのに必ず出てくる機械である「パイルバンカー」の重量が一体いくらくらいなのかググってすら居ないだろう。
パイルバンカーは質量と加速度を用いてコンクリートやアスファルト、岩石などを砕くという性質上から機械自体の重量はある程度担保されておくべき機械であり、一般的な女性が扱える重量まで落とし込めばパイルバンカーとしての機能性能は実現しにくくなるのは明白。
パイルバンカーの問題を何らかのカタチで解決したとしよう。
じゃあ次は砕いたコンクリートやアスファルト、岩石を運搬するために登場するのは一輪車(ネコ車)だ。
一輪車はその性質上、重心が高くなるので意外なほどバランスが悪く、運搬するにはかなりの腕力が必要になってくる。
男性であれば腕力と体重の重さから何とかバランスを取っていられるが女性であれば非常にキツイ仕事になるのは想像に難しくない。
一輪車も機械化すりゃ何とかなるって? その機械化新型一輪車は一体いくらするんだ?
男性は古来より労働の基準としての地位が(半ば強制的に)与えられており、古からの経験則で男性へ最適化されたコストの面で効率的な道具を扱え、女性が担当するよりも低コストに道路工事を行えてしまうんだよ。
女性が作る道路は現状だと男性が作る道路よりも高コストになる。ここから目を反らしてはいけない。
さぁ社会へ目を向けよう。
労働環境・道具・時間etc...世の中には様々な労働があるけれども、アナタの知っている労働の中に「男性が基準として設定されている」要素はいくつもあるはずだ。
その要素から目を反らし、女性のみの街を作ろうなど笑止千万、無謀無策無責任と言って過言じゃない。
良いか?よく聞け!
女性が女性だけの街を作ろうと訴える前に女性が先ず訴えなければならないことは労働のジェンダーレス化だ!
女性は社会へこれまで半ば強制的に男性の心身を労働の基準として置いてきてしまったことを認め、社会全体へ存在するあらゆる労働環境・道具・時間をジェンダーレス化せよと訴えなければ女性だけの街など作れないんだ。
男性の心身を基準としたパイルバンカーではなく性別によらないパイルバンカーを作れと社会へ訴えなければならない!今のパイルバンカーは女に扱えないからと訴えなければならない!
今の一輪車は女に扱えないからと訴えなければならない!
インパクトドライバーも重い、ゲンノウも重い、ワイヤーコイルも重い、作業ベルトも重い、大型特殊自動車の座席までは高すぎ、小型船舶の原動機のグリップは短すぎ、電柱は風が吹き荒れ、金属鋳造工場は熱く、工事警備員は通行車両に轢かれそうで危ない!
女だけの街なんて無理だと言われカッとするんではなく、男性基準の労働に怒りを示せよ!それが女だけの街作りに繋がるんじゃねーか!!!
男の仕事を楽に容易に軽くすることが女だけの街作りへの道であることから目を反らすんじゃねーよ!!!
わかってねーなマジで!!!!!
心身能力の高い女性へ心身に高負荷な仕事を任せれば良いという主張は「男性は女性よりも平均的に屈強だから心身に高負荷な仕事を半ば強制的に負わせる」のと何も変わらないじゃないか!
これこそがジェンダーバイアスの正体なんだよ!お前らのそういう素朴さにバイアスが掛かっていることを自覚しろよ!!!
まさにジェンダーロールの追認であり、男性基準の労働の容認であり、女の子だから文系大を半ば強要することであり、運動部だからブルーカラーを半ば強要することであり、その素朴さは女性が働きにくい社会にしている根本的原因だとハッと気付いてくれよ!!!!!
はてなーですらバイアスの掛かった素朴な認識が散見する現状をしっかりと認識してくれ!!!!!
【シン・ウルトラマンのネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】
現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。
ところで、その感想や叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの。
別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体は全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロースの名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミの言葉をネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味の考察をちょっぴり披露させてほしい。
1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学や思想が「西欧の文明における思考と、アジア・アフリカ・中南米の未開文明の思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術や文化の面での進歩史観や優越感、啓蒙思想や資本主義と結びついて植民地主義や覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身の人類学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後の思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想にもつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。
内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明が進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明的思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義、特に西欧の文化を中心とする思考、科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。
「文化を構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているかを研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。
ザラブにしろメフィラスにしろ、コミュニケーションの初手は「自分の科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感と無力感……謂わば絶望によって人類を心理的に支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。
物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷、植民地、後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。
宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定を行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。
使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマンの意思や感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステムを自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から『文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。
そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人、他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。
逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドなメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力や政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。
しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類の歴史の悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通の地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン。
自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンをヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったからなのだ。
結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。
というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがリピアくんの人格形成や思想信念の確立に寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロースの思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。
そもそもリピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明は構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。
文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。
・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品に意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ
・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ
以上
ゲイはセックス時のポジションでタチ(挿れる方)、ウケ(挿れられる方)の2種類に分かれる。
どちらのポジションもできることをリバ、挿入行為をしないことをバニラと呼んだりもする。
ほぼウケしかしてこなかった自分が、ここ1年くらいでタチができるようになって世界が広がったのでその感想を残しておこうと思う。
初めてセックスしたのは19か20の時で、それ以来、人並みにセックスをしてきた。
20代半ばになってウケの気持ちよさを覚えて、それ以来もっぱらウケだった。
たまにタチをしてもイマイチうまくいかない(中折してしまう)ことが多かった。
ちなみに自分の中でのタチが成功することの定義は「手を使うことなく挿入したまま射精までできるようになる」ということである。(もちろんゴム着けた状態でね!)
前者についてはそのままで、自分がウケとして相手をしているタチの姿や、エッチなビデオの中で見るタチの姿を見るにつけ、「そんなに気持ちよさそうなら自分もタチができるようになりたい」という気持ちが日に日に強まっていた。
後者については「性自認」に関係した問題である。自分の性自認は「男性」である。
男性として男性が好きな、シスジェンダーのゲイ男性ということになる。
「挿れられる」という男女間においては女性側が担う行為を行うことは、なんとなく自分の性自認およびそれに基づく性表現にそぐわない感覚があった。
そんな自分だったが、ここ1年くらいでタチができるようになった。
タチができるようになる過程を振り返ってみて、習得のコツ的なものが2つあった。
逆説的なんだけど、タチができるようになるためには、とりあえず1回タチを成功させることが重要だと思う。
自転車に乗るのと一緒で、1回成功するとタチとしての身体的感覚をつかむことができる。
そして何より「自分はタチが全くできないわけじゃないんだ」という安心感を得ることができる。
自分自身1回成功するまでは「今回も中折しちゃうんじゃないか」というプレッシャーがあり、プレッシャーでますますスムーズにことが進まなくなるという悪循環だった。
1回成功して以来は「少なくとも自分はタチのポテンシャルはあるんだ」という自信につながり、仮に一度中折してしまったとしても余裕を持って挽回できるようになった。
これは1回成功した後に始めた習慣なのだけれど、マスタベーションのときに手ではなくTENGA*を使うようになった。
男女のセックスにおいて男性が女性の膣内で射精まで至らない、いわゆる「膣内射精障害」の原因の1つに「強グリップ」マスタベーションがある**。
ゲイなので膣内ではないのだが、多分同じことは言えるだろうと思い、手からTENGAに切り替えた。
そうすることで、これまでグリップ力で快感を得ていたのが、TENGAのヌルヌルした摩擦によって快感を感じられるようになった。
手でやるときよりもタチをしている最中に感じる刺激と近いものを疑似体験でき、本番に備えられている感覚がある。
---
*自分が使っているのは洗って繰り返し使えるTENGA SPINNER(https://store.tenga.co.jp/product/EC-SPN-001)という商品。タチ云々より、単純に手より遥かに気持ちいいからおすすめ
**膣内射精障害の原因となるマスタベーションは他にも「足ピン」「床・壁」があるらしい。タチができるようになりたいならそれらも避けた方がいいはず
当たり前なのだけど、ウケしかできなかったときはタチを探すほかなかったのが、ウケも相手ができるようになり、乱暴に言えば楽しめる相手が2倍に増えた。
また、長らくウケをやってきたからこそ感じるタチにやってほしいこと・やってほしくないことをタチ側として実践できるようになった。
具体的には、一度挿入したらいきなり腰を振らずにウケが慣れるまでじっとしている*とか、ウケが射精した後は相手が望まない限りは挿入はしない**とか。
ゲイ向けのデートアプリではプロフィール内にタチ・リバ・ウケを記載している場合が多い。
しかしながら自分がタチをやるようになってから会ったプロフィール上でリバの人の半数以上が実際はウケであった。
「タチもやったことはあるけどほぼウケしかやらない」みたいな。
理由をくわしく聞いたことはないんだけど、なんとなくウケって後ろめたさがあるのかなと思った。
先述の男性性の話にも通じるんだけど、ウケってやっちゃいけないことをやってる感というか、ちょっとヘンタイっぽい印象がある気がする。
実際のところはわかんないし、そんなスティグマがあるならばなくなってしまえばいいと思うけど、自分自身、ウケしかやらない時期も「タチ願望」から来るささやかな抵抗としてプロフィールではリバにしていて、各人フクザツな心理が働いているのかなと推測している。
自分はウケからリバになり、最近のセックスのポジションを振り返るとなんならタチが多いくらいだけれど、タチ・ウケどちらが好きかと聞かれると答えに窮する。気持ちよさの質が異なる。
例えば「醤油ラーメンととんこつラーメンどっちが好き?」と聞かれたら「醤油ラーメン」と答えられるけれど、「ラーメンとスパゲッティどっちが好き?」と聞かれると「その日の気分による」としか答えられない感じ。
自分の中でタチ・ウケは完全なアップルトゥアップルな比較になっていない。
ただ確実に言えるのは、タチの方が楽である。
ウケをするときは事前の準備もさることながら、やはり挿れられることによる身体的負担が大きい。
タチも腰を振るという運動量はあるが、そのエネルギーを受け止めるウケの方がどっと体力を使う感覚がある。
自分の場合「タチをやりたい」ではなく「ウケをやるのがめんどうだから」というモチベーションでその日はタチをやったりすることもある。
---
これ、解説が必要だ。さもなきゃ、聞いてもどうすることもできない、人を不安定にさせるだけのただのハラスメントに取られてしまうだろう。
俺の解釈では、今を生きろとは、現在この瞬間にある自分の心に、気持ちにフォーカスを当てよ、ってことだ。
今回のケースなら…
昔の女への嫉妬心? 彼氏への不満? 寂しさ? それとも手持ち無沙汰でついつい調べてしまうのか、心の動きがあるはずだ。それを感じ取るんだ。仕方ない、と言っているけどそれは、そういう種類の価値観に過ぎない。それに納得ができているか? 過去を掘り起こせない価値観に不満があるなら、その不満感を一旦認める。例えば、恋人のすべてをコントロールしたい気持ちがあるなら、それが存在することを認める。
…そうしていくと自分の気持ちを見失ったような感覚はなくなり、日々にグリップ感が生まれるんだ。必ずしも心をコントロールできる、ってわけじゃない。むしろ心の動きの荒波に乗ってサーフィンしているような楽しさを得られるのさ。
TheHabanero こうやって無辜な羊を装いつつ「じゃあどんな価値観がいいの?」の問いははぐらかし続け、しょうがないから過去発言を追いかけてみると昭和以前の家父長制を再興したい欲望丸出しだった、みたいな奴増えたよな。
俺は元増田じゃないけれど、誰もが自分のモラル観を説明できる・少なくとも説明しようと努めるような価値観がいいと思ってますよ。なぜ、どうして、それはアウトなのか、を誰が言ってるかに依存しない形の客観的説明をつけるようにすれば、人の顔色を伺う精神的自由の拘束を受けずに済むから。人治主義的な世界じゃなく法治主義的な世界の方が、自分の内側にある理屈にだけ向き合えばいいから戦々恐々としなくて済む。同調圧力でお気持ちをゴリ押しできない分、説得のコストは必要になってきてしまうけど、「みたいな奴増えたよな?」のように誰かの合意を求めてどこかに呼びかけて、運良く賛同を得られたときだけ説得力を持てる、みたいなバクチに頼らなくていいから、生存に確かなグリップ感が出るはずだ。
主観だが、文房具を好きな人は数千円から一万以上するボールペンを持ってると思っている。
対して、興味がない人になると引きだしに転がっている学生の頃使っていた物を今でも愛用とか、まあそんな感じだろう。
そのどちらにもなれない所でうろうろしているのが俺だ。
後者は安いボールペンを一本買うと色々捗るよ、家に転がってるボールペンが実は優秀だった、とかでもない限り書き心地も向上すると思うし、新しい文房具を使うと気分があがる。
前者は多分俺が持ってるようなボールペンは全部持ってると思うので、というか言われなくても月に数本ボールペン買ってそうな印象ありますので、高級ボールペン趣味持ってる人って安いのもたくさん買ってる印象あるわ。
ずっとジェットストリームを愛用していたんだけど、最近は三色ボールペンじゃなくて単色を愛用するようになってきた。
今のお気に入りはエナージェル、100円ちょいで買えたにしては書き心地えらいスムーズでドハマリしてる。
PILOTのVコーンも面白かったけどしばらく使った感じでエナージェルの勝ちかなと筆箱行きになった。昨今は外出減ってるので使用頻度的にも筆箱内<自室のペン立てといった塩梅でお気に入り文具を配置している。
今日は今まで試したことのなかったドクターグリップが届く、どんな感じか楽しみ。
まったくの余談になるが、手持ちで一番値の張った文房具はジェットストリームエッジ。
個人的にこれが一番気に入ってしまったから三色ボールペンを買わなくなったのかもな、と今は思っている。単色ボールペンならこれ以上の価格を出すことがあるかもしれないけど、多機能ペンにこれ以上出すことは、というかこれから更新することはないだろうな。
※追記※
なんか凄いブックマークされててびっくり。
コメント見ていると「やっぱり俺が持ってるようなペンはみんな持ってそうだな」って感想になりました、むしろ面白そうなペン情報に出費が嵩みそうで少ししくじったなと思ってる。物欲に弱いんだ。
余談だけど、万年筆も持ってるけどこの沼は沈むと財布が溶けると判断して一本だけに留めてます。だからとてもじゃないが語れるほどじゃないなと省いてました。
もひとつ余談だけど、ドクターグリップは持ち手の気持ちよさが最高だけど書き味は他のペンが勝るという感想になった、合成したい。
念願のフルサイズのデジタルカメラを会社で買ってもらいました。
バッテリーグリップも縦向きで撮るのがメインで多いのでそれも一緒に買ってもらいました。
久しくキヤノンの新製品情報見てなかったのですが、マウント変わったんですか?
と言うか今後新しいマウントの方がメインになるのでしょうか?
まあそれはともかくEFレンズの性能が念願叶ってフルで活かせるので嬉しいです。
半押しからクリック感のないシャッターって違和感がありますが、オリンパスのカメラで慣れていたので
あ!このタイプのシャッターボタンか!って慣れないと慣れませんよね。
他多機能すぎてまだ深いメニューのところ使いこなせてません、いろいろと慣れていくでしょう。
光量がやっぱり少ないのでもうちょっと欲しいのと、絞りが絞り込めないのでいまいち画像がカリっとしません。
ISO800まで上げてみて撮ってみるのですが意外とノイズ少なく常用できそうです。
そうそう!パソコンと接続してテザー撮影もこの機種からまともに出来るようになって試してみたのですが実践ではまだ投入してません。
上手く使いこなしたら便利かも知れません。
テザー撮影と言うよりもiPadとかの高精細の画面で撮ったものがすぐプレビューできる機能が欲しいです。
今日もいくつか増田を書きましたが、トラバやブクマがつきませんでした。
機材が重たくて終日の撮影に耐えられないので今回は35mm単焦点の軽いやつを使いましたがさすがに1日の撮影となると疲れます。
20kg以下のプレートを複数枚つけるより25kgを内側につけたほうが安定するな。最初からそろえておくべきだった。
ナイロン製に比べて安定性・耐久性が良い。トレーニングベルトも皮にしておくべきだ。
フレンチプレス用に買ったけど、取り回しが楽なので鏡の前にもっていってスクワットのフォームを確認したりするのに便利。
デッドリフトはこれだけでいいんじゃないかと思うほど有用だった。ファーマーズウォークという体幹最強種目もできる。オープンデッドだとフロントスクワットができるらしい。
パラレルグリップの懸垂がやりたくて購入した。可動域がパラレル以上ではやく買っておくべきだったな。慌てて吊り輪買わなくてよかった。
自分も学生の時筆圧が強くてさんざんからかわれたので、使ってたやつを置いておく。リンクとかうまくいってなかったらごめん。場所借りるね。
あれは確かに芯は確実に折れないが、細い芯に特化したやつなので、筆圧が強い人間はもっと太いものを使うべき。
・「北星鉛筆 大人の鉛筆」 amazonで600円前後くらい
http://www.kitaboshi.co.jp/home/otonanoenpitu.html
なんと2mm芯。芯削りもあるし、書いててめちゃくちゃ太い! って感じにはならない。
シャーペンだから「鉛筆じゃんw」とはからかわれない。からかわれるのしんどいもんな。
柄物もあるから、他人とはまず被らないよ。芯は2B/B/HB。
あとこれ、ちゃんと覚えてはいないけど、鉛筆用のグリップ(プニュグリップの太めのやつ)が入ったはず…
これ使ってたらかなり筆圧落ち着いたから、筆圧に悩む後輩にそのまま譲った。
https://www.pilot.co.jp/products/pen/sharp_pen/sharp_pen/s5/
製図用シャーペン。S5だとグリップがラバー。これの0.7か0.9を増田には薦める。
同じシリーズでS3というのもあるんだけど、筆圧強いとグリップがラバーの方が疲れないから、買ってみるならまずS5から。
0.3からバリエーションがあるやつだから、見た目は完璧にシャーペン。
代替わりしながら今でも0.9が現役。学生時代の時から使ってる。芯はHB固定かな…?
でも安定して書けてるからあんま気にしたことない。Ain入れてる。
この上に挙げた2つのどっちかは2ch(当時)で教わった気がするから、今度は増田に教えるね。
増田の周りでも筆圧に困ってる人いたら教えてあげてね。
太いシャーペン使ってると、マークシート試験の時に早く塗れていいよ。
他にもたくさんあるみたいだから、「シャーペン 0.7」とかでググるといいよ。
今出てきたやつだと、コクヨの「鉛筆シャープ」が本体200円しないし良さそう。使ってみようかな。
https://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/pencilsharp/simple/
・コクヨ キャンパスルーズリーフ 「しっかり書ける」シリーズ
筆圧が濃い人に向けたルーズリーフ。
バリエーションは同メーカーが出してる「さらさら書ける」に劣るけど、AB罫・無地があればまあことたりる。
無地に罫線刷ったっていいんだし。
・硬筆用のソフト下敷き
筆圧濃いと裏のページに字がよく写るでしょ。硬筆用の柔らかい下敷きがあるから、それを挟むといい。
片面ずつソフト/ハードになってるやつもあるから、買って使い心地を確かめるといいよ。ソフトだから絶対に割れない。
我が家では400円するこれが現役。
以上、長文と大量リンク失礼!見づらくてごめんな、増田に幸あれ!
追記:
・シャーペンが壊れるほどだったら、確かにどこかに過剰なストレスがかかってるっていうのはありそう。内部機構シンプルめなやつから試してみて。
・家庭環境が変わったら、ストレス減って確かに筆圧弱くなった。無意識のうちになにか抱えてるものあったりするかも。誰かの前で過剰に緊張してしまう、とか、からかわれるのが嫌だなって思って逆に力入っちゃうとか、意外と原因はそんなもんかもしれない。