はてなキーワード: しみったれとは
「ほーい、みんな皿持ってって~」
ハリセンが人数分の皿を用意し、その中に市販の菓子を数種入れていく。
種類はその時々で違うが、基本的には甘いものと塩味のあるものが半々。
2~3時間後には自宅での夕食を控えている時間帯、ということもあり菓子の量は少ない。
「いや、慶応」
「それは元号の話やろ」
業務スーパーとかで仕入れているのか、よく分からないメーカーの菓子ばかりなのは気がかりだったが。
まあ味は悪くなかったし、ありがたいことにチョイスも普通だ。
フレーバーも変に奇をてらっていない。
まあ、とはいっても、実際そこまで安心できる時間でもなかったが。
「マスダ、ワイの皿と交換や」
「え、なぜ?」
だからこそ「最大限、可能な限り楽しみたい」と考える学童も多い。
「でも枚数的にはカン先輩の方が多いですよ。そんなに変わりませんって」
しかし、その“ほぼ”が厄介だった。
「そんなに変わらないんやったら交換してくれや」
「そんなに変わらないんだったら交換しなくていいでしょ」
食べたところで、胃袋はその差を感じ取れないにも関わらず。
「マスダぁ、ワイが上級生の権限を行使する前に、“大人しく”言うことを聞いとった方がええで~?」
「なら俺も下級生の権限を行使しますよ。そうなったら、“大人しく”するのはそっちじゃないですか?」
「いつまでやってんだ、お前ら! さっさと『いただきます』しろ!」
実際問題、違いがあったとして、食べた時の感覚は同じと言ってしまっていいだろう。
だけど菓子を目の前にした子供に、そんな理屈は大して意味がないんだ。
「今回も渡されたわけじゃないんだが……」
「ねえ、兄貴」
「ん? どうした?」
「俺の皿と交換して」
「おいおい、お前までカン先輩に触発されたのか? だから、どの皿も同じだっての」
「いや、そっちの皿の方が綺麗だもん」
「尚更どうでもいい」
不味い菓子が出てきたこともないし、全体的に美味かったと思う。
だけど、“面白味”という意味で味気なかったのは否定できない。
オヤツだろうがなんだろうが、「決まった時間に、誰かが決めたものを食べる」という状況は、俺たちに多少の閉塞感を与えたからだ。
いや、もちろん分かってる。
我ながら細かい不平不満だ。
ただ、こんな細かい文句が出てくるのは“相対的評価”だからである。
つまり、オヤツの時間よりも“楽しみな時間”があったってこと。
まとめ
これだけ騒いでこれで終わり?
メッセージは何なの?
まー最初に言いたいのは、怪獣でブンドドしたいのか、何か意味深な話がしたいのか、人間ドラマを描きたいのか、どれかに絞れよってことです。
包み隠さずに言えばマクガフィンとメアリー・スーを悪魔合体させた環境テロババアを暴れさせたのがただの舞台装置でしかないからもっと手短にやれ。違うというなら単なる仲直りじゃなくてしっかり描けってことです。
主人公気取りのオルカ一家が丸ごと不要だったとすら言えますね。ガメラシリーズやゴジラシリーズにはちょくちょくああいう家族が出てくることは確かにあるんですけど、それは怪獣映画が子供向けであるが故になんか道徳的なシーン入れないと見せに来た親御さんがモニョるよねって要素の解消としての装置なわけでして、単におっさんオタクがうおおおおするだけのモンスタープロレスでしかないならいらんのですよ。
ドラえもんでもなきゃクレヨンしんちゃんでもないんだから、ただただ怪獣が暴れてりゃいいんですよ。
あの一家がテロリスト活動を通じて何かを取り戻す過程なんてのは、映すにしても映像感をつなぐための接着剤として割り切って10分ぐらいでいいんですよ。
マジでね。
ババアいらね。
娘もいらね。
親父もいらね。
んでまあ次に言いたいのはね、オチショボくねってことです。
ギガデストロイヤーと戦ってるわけでもないのにバーニングしだしたのはビックリしましたけどね。
でもそれやるならもうギガデストロイヤーやスペースゴジラと戦えよって話ですよ。
キングギドラが怪獣として最高なのは確かでしょうけども、この令和の時代に世界中の怪獣をキングコングまで含めて叩き起こしてまで倒す相手としてはちょっとまだ足りないです。
結局はオーバーキルであっさり終わってましたし。
最後にチラっとそんなシーンがありましたけど、あそこまでを開始1時間15分でやって、そんで最後にバーニングしてたら最高だったんすよ。
ゴジラとギドラ死んだ→メカキングギドラ登場人類終わった→実はメカゴジラ作ってた→やっぱ勝てねえ→芹沢とキングコングが犠牲になりゴジラ復活→メカキングギドラ+ファイヤーラドンvsバーニングゴジラ+モスラ+ガメラ
ぐらいのやりすぎ座組でやってこそのKoMでしょう。
怪獣大決戦にスタースクリームと化したラドンおまけしただけの話で終わられちゃ消化不良なんですよ。
そんでまあなんでこの映画が尺とスケールの割にオチがショボかったのかというと、ひたすら人間ドラマやってたからです。
それもまあ怪獣との共存とか未知との遭遇とか科学兵器開発とかよりもメインは、どっかの被災者家族が、頭おかしくなって暴れまわって娘がそれに振り回されてるうちになんかスッキリして和解、っていうただそれだけの話に尺を使いまくったからです。
なんですかコレ?
我々が映画館に払った2800円(3Dメガネ込み)は超弩級の怪獣プロレスを見るための値段なんですよ。
突然リングに上がり込んできた裏方スタッフによる家族への手紙朗読会をブックと言い張って見せられても困るんすよ。
その時間があるなら話をもう一回り回転させろよってことです。
最高クラスの映像も、重量感も4DXとの完璧な相性も、原爆とゴジラの関係性へのリスペクトも、最高すぎるメインテーマアレンジや、しみったれた自衛隊なんてテーマソングすら関わらせてやらねえという割り切り方も、中学生が教室でするような妄想を幼稚園児がクレヨンでコンテにしたためたようなジャンクさも、全部、全部、この勿体なさが台無しにするんですよ。
なんで?なんでこんな素晴らしい映像を作れるのに安っぽい環境テロリストとヒスババアによるくだらん終末論が物語の柱として居座ってるの?となってしまうんですよ!!
テロババアによる凶行なんてのは最初の1時間でかたをつけて残りは全部怪獣と科学者による殺戮パーティーであるべきだったんですよ。
必要ないんです。
世界を滅ぼしたいテロリストはまだしも、愛を叫びながら地球を滅ぼしたがる頭お花畑のおばちゃんも、後悔することが仕事みたいな面した陰気なおっちゃんもいらないんですよ!
結論!
映像 最高!
座組 おしい!
重量感 最高!
4DX 超最高!
リスペクト 最高!
ストーリー 💩💩💩
キャラ まあまあの💩
ふだんの日常でやってるようなしみったれた節約を許せないのだ。
自分もよく旅行に行くけど、旅先でチェーンのファミレスやコンビニ飯なんかは当たり前。
せっかく旅行にいったんだから現地のうまいもの食えよ、とよく言われるが、
お前の言う現地のうまいものは今回食わなかったけど、たいてい前回か前々回そこに行ったときにすでに食ってるし、
食ったことなくてもまた次回来たとき食えばいいんだから無理して今回食わなくてもいいのだ。
自分にとっては旅は日常の一部であり、「せっかく行ったんだから」というものではない。
先日ホッテントリに入った、タレントのヒロミの記事(https://toyokeizai.net/articles/-/263194)、そんなことがあったのかと興味津々だった。
タレント・ヒロミを必要としたことはないし、これからもしないけれど、広い世の中に彼を必要としている人がいるから、今もテレビに出ているのでしょうね。
おいおい、なんでこんなしみったれていて、あからさまな予防線もくっせー、シケた書き込みがウケてんだよ。
俺も大人気だった頃のヒロミや、芸風的に近いとんねるずが嫌いだったし、今でもとんねるずは嫌いだけどさ。
でもヒロミに関しては、ここまで丸くなってんのに「どこか上から目線」とかこじらせすぎじゃねーの?
それに、今の視点で横柄とか尊大とか切って捨てるのは簡単だけど、ヤンキーがカッコイイという評価を受けていた時代、「強気でやんちゃ」というのは美点も大いに含んでいたわけで。
「日本の美学にはヤンキーとファンシーしかない」なんて言ってた評論家もいたしな。
むしろ「ヤンキーはダサい、オタクは普通」という今の風潮が逆に行きすぎじゃねーかとも感じるし。
まあ「ヤンキーはカッコイイ」とセットだった「オタクはキモい」という時代に戻っても困るけどな。
でも時代は巡るので、いずれ強烈な揺り戻しがありそうだし、そうなっても泣くんじゃねーぞみたいな。
「一緒に別の次元に行ってみよう! そうすればキミも、ボクの言っていることを信じるはずだ」
『別の次元』
「別の次元ってのはアレか。パラレルワールド、平行世界的なヤツか?」
今までにない俺の好反応に、ガイドもたじろいでいた。
「んー……まあ広義的には」
「そうか……やっと分かってきたようだな。そういうのでいいんだよ」
「どういうの?」
俺が知っている限り、こいつが今までやってきたことは尽く期待外れだった。
人の家の庭を焼き払う謎のオブジェクト。
生身の俺に妨害されただけで、何もできなくなる程度の機能しかないダサいスーツ。
色々なものを無理やり詰め込んで何がやりたいか分からない、使い勝手の悪そうな多機能端末。
将来生まれてくる子供の人生をシミュレーションできる装置だの、罪と罰を測ることができるメーターだの。
こいつにとっては未来の科学力を証明しているつもりなのだろうが、いずれも胡散臭いか感性がズレている。
もっと普遍的なイメージに応えるようなものなら良いのに、どれも頭でっかちだったからコメントに困っていた。
シンプルに空を自由に飛べるだとか、玩具の兵隊だとか、世界旅行に行けるようなものとかでいいのに。
いつもヒネたことばかりやってくるから、凄いかどうかイマイチ分からないし、興味も湧いてこない。
だが今回、やっとマトモなものが出てきてくれたようだ。
「じゃあ、その別次元について、話を聞こうか」
今でこそ落ち着いてはいるが、ここにきてその頃の気持ちが再燃していく。
そして出発当日、早朝。
別次元に与える影響を最小限にするため、身に着けるものや、持ち物は最低限だ。
それでも俺がOKしたのは、もちろんパラレルワールドというものに惹かれたのもあるが、“とある条件”を飲んでもらったからだ。
「後は弟くんが来るのを待つだけだね」
俺は同行者、つまり弟も共に連れて行くことを条件にした。
見知った身内でもいれば、多少はマシになるだろう。
……だが、弟が来るのが遅い。
後から来ると言っていたが、まさか二度寝しているんじゃないだろうな。
「色々とこっちにも事情があるんだよ。好き勝手に次元を跨ぐと厳罰になるから、あんまり融通利かすわけにはいかないんだ」
「じゃあ、このままだとお前と二人で旅行ってか?」
「まあ、元から二人で行く予定だったんだし同じことでしょ」
勘弁してくれ。
こいつと長時間一緒とか、補正をかけてもロクな思い出にならないぞ。
そんなしみったれた奴が続出する前提なのか
趣味もプログラミングだから何も疑問に感じなかったけど確かに言われてみればそう感じるのも不思議ではないな。
アーキテクチャがどうのこうのみたいな難しい理由もあるんだろうけど、大抵の言語は元々何らかの言語の派生だったり改良版だったりするんだよ。
言語を開発できる能力と影響力がある連中が「この言語のこの仕様がマジでクソ」ってなると、それが言語の改善として提案されることもある。
ただそのプログラミング言語を取り仕切ってる連中とかがその提案を受け入れるかは別で、そうなると別の言語として分裂する。そもそも受け入れられない事を前提にして、最初から「あの言語マジでクソだから俺らが考える最強の言語作った」みたいになることもある。
プログラミング言語って1つにまとまらないんですか?これさえ使えれば全てを扱えるような魔法の言語はどうして存在しないんですか?
どんな言語も「俺らが考える最強の言語作った」っていう感じでスタートしてるせい。結局は好みなわけよ。ある種宗教みたいなもんだ。
例えばRubyっていう言語の仕様が好きで集まった連中がWeb系の人間ばっかりだったら、RubyはWebに向いたノウハウとかツールが集まるようになる。Python教には機械学習や数学に強い奴らが集った結果、そのへんのライブラリが豊富になった。
後からついていく大多数の人間は偉大なる先人がお作りになられたライブラリを活用しないとやっていけないわけで、結果的に「この用途ならこの言語」みたいなのが多数発生するわけだ。
使える言語は増えていくんだよ。意図的に増やしてるんじゃないと思う。
「こういう処理したいけど、俺が使える言語で便利なライブラリないじゃん。じゃああの言語に手を出してみるか」「この仕様クソすぎるんだけどあの言語なら解決できるんじゃね?使ってみるか」みたいなことが往々にしてある。
コードギアスとか、まどマギとか、アルドノア・ゼロみたいのはそれこそ10年に一度しか出ないものだって分かっててもガッカリする
その忙しい仕事の合間を縫ってソシャゲの改造設計図入手とか海域攻略を進めなきゃいけないのに
ちんたらアニメなんか見てる暇があるのか?
ポプテピピックはかろうじて見てたけど、
3話でもういいやってなった
なんていうか、一週間も期間開くとだんだん次を待つのがだるくなってくるんだよね
見るんなら撮り溜めとかしておいて一気に見たほうがいいね。
幸い、有名(面白いとは言っていない)なのは動画配信サイトで配信されてるから、今見る必要はない。
後でいい
じゃあ、最近一番興味出てるバーチャルYouTuberの配信見に行くのが最優先になっちゃうわけよ
土日は趣味の方にかまけててネット見る暇なかったけど、月曜日の憂鬱な講義の合間に見に来ちゃったのか?
そうだな、アルドノア・ゼロは無いよな!分かってる。わかってるけど、世間でボロクソに言われてるほど酷いアニメじゃないだろ?
なんだかんだ言ってあの次期のアニメではいちばん好きだった。なのにあんなにボロクソに言われて悲しくなったからついつい書いちゃったんだよ。
なんだかんだで中の上ぐらいの面白さではあったし
ところで次は何を見ればいいんだ。五飛教えてくれ。ゼロは俺に何も言ってはくれない……
“10年に一度しか出ない” コードギアス(2006)、まどマギ(2011)、アルドノア・ゼロ(2014)……ボジョレーヌーボーかな?
おうよ、薄々感じてるよ。
君だって俺に負けないくらい偉そうだぞ!的確に嫌なところついてくる能力に長けてて羨ましいよ
そういう嫌味をさらっと言えるってところが、普段からそういう言動しててみんなに嫌われまくってるけど、自身はなんとも思ってなさそうで本当に羨ましい
同じだ。ポプテピピックは観てるけど。というかいつでも観れるものじゃないと観る気がしない。もはや動画とか受け身の娯楽でさえそうなってしまった。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
「特に言いたいことが思いつかないけど、とりあえず難癖つけとけ」みたいな理由ではないことは確かだ。
そんなしみったれた人間は、はてブには一人たりとも存在しないからな。
意味が提示されていない場合、それは各々が見いだすものであるし、仮に見いだせなくても「意味がない」=「悪い」ではないからな。
「意味がないから」といって怒るような、さもしい人間はこの世界には存在しない。
なので私は「表現規制反対派の過激なメタファー説」を推したい。
多くの規制は作り手が自主的にやっているものだが、是非の判断については漠然としていることが多い(いや、まあ、ボーダーラインが可視化されてないからだろという指摘は、ひとまず置いといて)。
ドラ○もんという書き方は、○首や○ンコだけ隠れているものの、肌色率が圧倒的に高い絵みたいなものだな。
そして表現問題において、そういう可視化されていない境界線上のアウトセーフ議論が中々に厄介なのだ。
要はヤキモキする人が出てくる。
いっそのこと全部伏せ字にするか、或いは「エ」をちゃんと書いてくれれば、漠然とした境界線上をイ○イ○棒持って歩かなくても良いのに、と考えているのだろう。
・・・・・・いや、やっぱこの説はないな。
ああ・・・・・・そのようだな。
つまり、ドラ○もんの○には意味があったってことになってしまうな。
じゃあ「特に言いたいことが思いつかないけど、とりあえず難癖つけとけ説」にチェンジで。
これは質問者の君にも当てはまるから、意外にも有力候補になってきたな。
何か誤解しているようだが、巷の差別問題の大半は「人種」という枠組みの範疇でしか語られていないぞ。
人間を人間として扱うのは差別じゃないので、動物を動物として扱うことも差別じゃないだろう。
・・・・・・いや、当人が思ってなくても認定することは可能か。
じゃなきゃ、私は今頃チョウチョになってる。
そりゃあ、認定すべきだろう。
まあ、その個体を違う種だとするなら、除外しても良いと思うが。
「そういうことするのは差別じゃないのか」と言われても私は知らんよ。
やあ、画面の向こう側にいる皆。
ご存知、俺はヴェノラだ。
この物語の主人公であり、今回のおさらい編の案内人も兼業しているぜ。
さて、巷で大人気という噂のアニメ『ヴァリアブルオリジナル』、これを観ている皆は知っているよな。
もし知らなくても「いや、知らないけどお?」とか、わざわざ無駄に誇らしく言わないほうがいいぜ。
知らないことは罪じゃないが、それを恥じないのは罪だからだな。
今回は第三シーズンに向けて、ヴァリオリをもっと楽しむために、これまでの冒険を振り返っていこう。
……おっと、安心してくれ。
皆も現世での話なんて長々とやってほしくないだろ?
簡潔に進行するさ。
さて、俺が元いた世界は、君たちの暮らす世界と似ているが、ちょっとだけ違う次元なんだ。
教師「おい、そこの男子生徒。その蛍光色の髪はどういうことだ。そんなことしてたら髪に悪いぞ」
ヴェノラ「やだなあ先生。これは地毛ですよ。仮に地毛じゃなくても、うちの学校は髪染めるのOKでしょ。ピアスもアソコ以外ならしてOKのはず」
教師「校則をよく読んでるな。感心しきり……と言いたいところだが、ピアスをしちゃいけない部位はアソコではなく眉間だ。35億点マイナスさせていただく。あと5000兆マイナスで死刑だからな」
ヴェノラ「とほほ……」
何かが満たされないでいたが、それが分からない。
だから目に付くもの全てに不平不満を漏らしたり、持論を展開したりする思春期特有の毎日だ。
その日も友達以上、恋人未満のクラスメートたちと下校するまでは、いつもと変わらない日常だったんだ。
クラスメートA「あ、私の麦わら帽子が風に飛ばされて高速道路に!」
ヴェノラ「任せろ。俺がとってこよう」
だが俺は不幸にも車に轢かれた。
俺の人生もこれでザ・エンド。
・・・・・・そう思っていたのだが俺は無傷だった。
それよりも驚いたのは、俺がいた場所はいつの間にか別のところだったことだ。
俺はすぐに気づいた。
「ここは異世界だ」
「その通りだ。ヴェノラよ」
「お前は、俗にいう“神”にあたる存在だな!」
「左様、如何にも」
そして神は、異世界で色々としたほうがいいことをザックリと俺に告げる。
更には独特なパワーを授け、異世界に放り出した。
かくして俺はワケがわからないが分かった気になったまま、ハラハラドキドキほのぼの異世界ライフを始めることになるんだ。
そうして映し出された子供の人生のハイライトは......なんというか、“ビミョー”だった。
どん底というほど不幸でもないが、かといって成功や華やかさとは無縁に近い。
「ねえ、ガイド......このアイテムのシミュレートって、どれくらいの的中率?」
「そうだなあ、今回だと75%ってところかな」
100%だと言ってこないだけ良かったと思うべきなのか、それでも高い確率だと落胆すべきなのか。
「ん、どうしたんだい?」
シミュレートのことを知らないノムさん夫妻は、俺たちの沈んだ表情を見て首をかしげる。
結果が何であれ、ノムさんたちにシミュレーションのことは言わないとガイドと約束している。
「もしも、もしもですよ。産まれて来た子供が不幸な人生を歩むとしても、それでも子供が欲しいですか」
「おい、マスダ!」
「未来のことは分からないけど、それでも子供は欲しいかな。幸せになってくれるよう善処するよ」
シミュレートのことを知らないからそう言えたのかもしれないけど、俺たちはその言葉に何だか安心感を覚えた。
「深く詮索はするなって言ったじゃないか。キミはかなり危険な行動をしたんだぞ! あの夫婦の選択が変わらなかったから未来に大きく影響は及ぼさなかったものの......」
帰りの道中、ガイドはご立腹だった。
「しかし彼らの選択も不可解だ。子供が将来幸せになれるか分からないのに、なぜあんな選択ができるんだ。自分達の都合だけで子供を産むなんて、エゴもいいところだ」
俺のせいとはいえ、こうもまくし立てられるとウンザリしてくる。
「子供を産むというのは、その選択をした人間側のエゴが存在する。そのエゴはどう取り繕っても逃れられるぬ。だからこそ、人はより良い未来に子を導く努力をするのではないか。エゴが子を産み、エゴが子を育むのだ」
いつもの調子とは違った、精悍な顔つきに落ち着いた佇まい、まるで別人だ。
そんなシロクロの様子に俺たちは戸惑いを隠せなかった。
「し、シロクロ......?」
不安になったミミセンが、シロクロを軽く小突く。
「ふがっ......アイ! ワズ! ボーン! アイ! ワズ! ボーン!」
すると変な声を出して、あっという間にいつものシロクロに戻ってしまった。
いや、それともさっきのシロクロこそ元の状態だったりするのだろうか。
「エゴこそが原動力......か。なるほど。ボクの時代でも形は変われど、本質は変わらないってことか」
そんなシロクロの突発的な言葉に、ガイドは勝手に納得してしまった。
俺たちはまるでついていけない。
こうして俺たちの“取材”は幕を閉じた。
けど、それでも幸せになれると信じて、前向きに決断することが求められる時もあるのかもしれない。