はてなキーワード: 趣旨とは
Verwaltungsakt というのはドイツ語で、行政行為のことである。行政行為とは、行政処分、受理、それ以外に、行政庁が行う行為を抽象化し、専門化して言っている。
例えば、篠原直樹が赤塚福祉事務所から生活保護の決定があったときの、その通知書に書いている行政処分というのは、Verwaltungsaktである。
志村警察署の課長代理または課長の井ノ原が行う、被害届の受理も、Verwaltungsakt である。なぜなら、警察署は、行政庁だからである。しかし、被害届の受理は、署長決裁が要らない
どのように整理されているのかは分からない。久保田智恵子は制限された可測集合の上に存在するので、どこに住んでいるのかも分からない
金光裕鳳とは、ぺちの中に分からないように混じっているぺちであり、首都大学法学部を出て、平成25年8月8日に最後の晩餐をしたとフェイスブックに書いているが趣旨は分からない
ユナイテッド不動産だから東京地方検察庁ではないが、東京地検のように書いている。平成25年8月8日は黒羽で長谷川がラジオ体操の指導とポカリスエットの支給をしていた時期だから
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https://anond.hatelabo.jp/20240502193039
この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。
就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイトは巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。
リクナビとかあるじゃん。あれで友達とかにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身の分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観で仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。
当時は、LINEとかTwitterが一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便で就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。
本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃から【TOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。
受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプの学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。
人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。
その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。
これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動で通用しないはずがない。祇園や木屋町などの飲み屋街、東本願寺や渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!
※そんなふうに考えた時期が俺にもありました。
そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内の企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。
あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。
いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌の大学職員給料ランキングでは、慶應や関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記の趣旨ではない)。
大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。
あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日の部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。
考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職を視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。
まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOB・OGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。
けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。
就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。
二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。
その組は、男子と女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。
その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。
最後にレポートの仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっと静かにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。
と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。
当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかいう次元ではない。消失している。全然わからない。
なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である。
余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。
根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉や教育に強い大学はそうなのだろうか?
就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。
うちの大学の卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分は高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。
当時は社会学部で政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。
ほかのゼミと交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだから、レベルが高い人は一定数存在しているのだ。
社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分が入学する数年前に総合商社の内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売の仕事に明け暮れていたらしい。
単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。
学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値の名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴と現在の地位に相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。
アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分も同意見である。どんな中学・高校・大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。
どんな瞬間だって、自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているか。それが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。
就職活動の話に戻るけど……就職活動の面接で問われる内容(志望動機、自己分析、自己アピール、就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。
就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材(会社の方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。
若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。
「自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」
就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人に関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。
経済社会でバリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなたが大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事は副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。
将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界や会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい。
結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。
大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元の会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。
当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。
両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダールの小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。
両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。
この年度の終わり頃、卒業間近だったか。大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。
「ん。どこどこ?」
「ほら、ここや。この会社」
「ああ、それマンコやろ」
「……」
「女の一般事務職だって。総合職ちゃうし。こんな掲載は詐欺に近い」
俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。
こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである。増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。
次
約十年前に、とある4年制大学を卒業した。名を佛教大学という。
高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったことである。
なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めはひと月前である。ずいぶん時間がかかってしまった。
普段から増田に投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。
佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士や作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立に不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である。
なんで自分がここに入学したかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学の社会学部に進むことになった。
大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。
学業は一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。
アルバイトは金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態はサークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家のコピペだったのが記憶に残ってる笑
ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。
学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークルの飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。
冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。
大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族や兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。
でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である。
当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。
そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。
入社したところは、いわゆる超一流ではないけど、佛教大学の卒業者で会社員~という観点からすると、相当いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だろう。卒業間近には、就職活動終了者との懇親会に招待された。
さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。
入学式と最初のオリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗の大学だったので、そういう縁からか、知恩院の僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。
今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。
この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代の日記を参考に書いていく。
以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。
新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。
先生がそれから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。日記によるとスポーツ推薦で入った子だった。授業はきついのだろうか。
「もういい。お前は落とすっ!!!!」
先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。
当方は、京都生まれの京都育ちである。佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。
しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事の最中だった。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。
一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだから。マナーも常識もこれから勉強すればいい。
しかしbut。自分が学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。
(貸出物品のこと)
多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨の張り紙がしてあった。
「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」
久保帯人のブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。
キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食は禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間にステージ上で寝てる人が多数いた。
いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分の認識としては……「なんでこんな貼り紙が存在するのだろう。管理者がダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。
大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学は自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。
(コピーカードのこと)
何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的なもの(ex.学内新聞の関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味の出版物だと難しいものがある。
同じ部活にいた文学部(学科は忘れた)の女の先輩が、趣味で同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミの教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。
もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷費無料で販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。
「増田君。文学活動にはね、お金が必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」
だってさ。あまりにクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑
(参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)
※度数1000のコピーカードの画像。自分も教授から借りてそのままだった笑
早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。
そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。
次
Q.
「東京都内に住む女性のほとんどが、電車内などで痴漢被害に遭ったことがあると言われています。一方で、痴漢の冤罪で罰せられた男性の話はあまり聞きません。痴漢の被害件数と冤罪の件数を比べると、圧倒的に被害件数の方が多いことがわかります。」
ということを言っているのでしょうか?
A.
いいえ、そのような主張をしているわけではないと思います。
この文章は、痴漢被害の深刻さと頻発性を指摘しつつ、一方で冤罪の件数が相対的に少ないことを述べています。しかし、だからといって冤罪の問題性を軽視していいという趣旨ではないでしょう。
件数の多寡に関わらず、冤罪で罰せられるのは重大な人権侵害であり、できる限り防止すべき問題です。また、痴漢被害に遭った人の中には、訴えることをためらう人もいるかもしれません。実際の被害件数は、統計に表れている数字よりも多いかもしれません。
つまり、この文章は痴漢被害の深刻さを強調する一方、冤罪の問題をないがしろにしているわけではないと考えられます。被害の防止と、冤罪の防止の両方に目を向ける必要性を示唆しているのではないでしょうか。重大な人権侵害が一件でもあってはならないのは言うまでもありません。
最高裁広報課 はい、ご意見の趣旨をまとめますと、要するに、法律の規定は技術であるが、裁判所は、難しいことは一般人には故意に教えていないことであると。
その通りですが、もちろん、そんなことを教えたら何をされるか分からないので、安倍政権以来、そういうことになっているのは周知だと思いますが。
大体、今時誰も知らないことを教えられるわけがないですしね。それに地方創生の世の中で、東京でそんなことができるはずがない。だからますます
この記事を読む限りでは従来の人間が税金は政府支出の財源だと認識してるのに対して、
MMTはいわゆるスペンディングファースト(国家は通貨発行主体であり、税金とは政府が発行して民間に支出した通貨を回収しているだけである)の立場にあるので
つまりは同じものに対して異なった認識・解釈をしているために話が噛み合わない、という話でMMTが間違ってるという話ではないね(私が貼った別の記事も趣旨としては同様)。
*その国の通貨(日本銀行券等)は中央銀行の負債であるので、統合政府で見たら税金は政府が自分で発行した負債を回収してるために会計的にはその負債、つまりは通貨は消滅するので
趣旨とズレるけどこういう団体がやってるのって善意じゃなくて党派なんだよねえ
似たようなとこでサッカー協会かなんかが能登のサッカー関連の復興に尽力します!みたいなこといったとき唖然とした
欧州では事件やテロ、戦争に関連して試合が中止になったりすると「たかがサッカーだ」「たかがスポーツなんだ」みたいな言い回しをよくする
まずみんなの命と生活なんじゃないのか?
いや、分かる
役割分担というか、全体的なことは国や自治体や赤十字とかに任せてさ、関連する団体が関連するドメインで動きますってのは分かる
全体を見てる側からしたら取りこぼしてしまう性質の支援がそこでフォローできるってのも分かる
https://www.sankei.com/article/20240430-IRGZ5336PRCMFLQGJCIBE6IEPU/
一部、ネットで『間違った』『申し訳なかった』というコメントを掲載した所もあったが、これだけ騒がせたのだ。本来草津町に来て謝るべきではないか。寄ってたかって叩いておいて、都合が悪くなると逃げだして…。
草津町長が謝るべきとしているのはどのような人たちなのだろうか。草津町長の心中はわからないが、草津町長や町民に対してネガティブな発言をした事例を備忘録として記録しておこうと思う。
(朝日新聞、ガーディアン、ニューヨーク・タイムズ、フランス24)
https://www.asahi.com/sp/articles/ASNDL3DYBNDKUTIL060.html
◯英ガーディアンはリコール成立2日後の8日、「日本のある町で、唯一の女性議員が性暴力で町長を告発し、追い出される」という見出しの記事を配信した。
◯米ニューヨーク・タイムズは9日、「彼女は町長を性暴力で訴え、町は彼女を攻撃した」との見出しをつけた記事を配信。
◯仏ニュースメディア「フランス24」も(略)新井氏の支持者などから「セカンドレイプ」だと懸念する声が上がっていることを報じた。
(アエラ(朝日新聞社))
(ハーバービジネスオンライン)
セカンドレイプ上等で、神聖なる温泉の壁にまで堂々と実名入りのポスターを貼る始末。草津温泉は、いつから「ミソジニーの湯」になってしまったのでしょうか。
日本共産党
「日本共産党は、今回の草津町議会でのリコールには反対の態度です。また地方議会での少数者の排除やあらゆるハラスメントを許さない立場を貫いてまいります」というコメントを発表しました。
(明日の自由を守る若手弁護士の会/あすわか@asuno_jiyuu(共産党山添拓参議院議員も所属する共産党系弁護士団体))
(bioより)
差別はあらゆる暴力の温床であり、戦争の温床です。暴力を許さず、平和を希求し、戦争に反対するなら、唾棄すべき差別・優生思想に対して「なにがなんでも許さない」毅然な態度と抗議を続けましょう。差別されヘイトされた当事者だけが叫んでも、差別はなくなりません。傍観は、黙認です。
草津町への誹謗中傷とオープンレターと「差別的言動を生み出す文化」 (https://anond.hatelabo.jp/20231104225250)
#草津温泉には行かない
↓
司法の場で適切な裁きがあることを信じ見守っています。冤罪があるならば晴れるといいですね。
草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。
↓
↓
https://togetter.com/li/2273978
https://togetter.com/li/2273498
(人権団体spring)
※このデモの参加者としてspringのほか、共産党、社民党など
(ポルノ・買春問題研究会)
the town mayor sexually assaulted... Arai Shouko
He had a history of similar offences
草津町長がこの中の、またこの中には含まれていない無数の発言のうち、どの程度を念頭においているのかはわからない。
しかし、一方的な、それも極めて大きな被害を受けた被害者である草津町長が、単に謝罪撤回だけではなく、「本来草津町に来て謝るべきではないか。」と言っている以上、心当たりがある者はそのとおりに行動すべきだと思うのだが。
また、これは「誠意持って謝罪すれば受け入れるよ」との草津町長のポーズでもある。
被害者の立場に立って相手を失職まで追い込む昨今のリベラルによるキャンセルカルチャーよりもよっぽど理性的な対応で好ましく思う。(これって何通でもオープンレターを出せたよね?それをしないだけでも極めて穏当)
まさに。何故かオープンレター関係者と草津町へのネガティブ発言していた人はかなり重なっているが、「中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択」(オープンレターより)を取ることができるかな?注目したい。
関係ないオープンレターを持ち出してまた呉座氏を辱めるの趣味悪いよね。草津の問題は草津の問題として論ずれば呉座氏も誹謗中傷してしまった過去を思い出して居心地悪いことにならないのに。
オープンレターって「私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけ」(オープンレターより)てたんだよね?
今回、まさに「中傷を生み出す文化」が見られ、しかもそれを実行した人達の中に多くのオープンレター関係者がいたわけだ。
関係ないわけないよね。
性加害においては男性の信頼が地に落ちてるせいでこうなっている側面があり、それとは別に町長の名誉既存の回復は必要で、そう踏み込んだ内容なら万人に受け入れられるんだから。
今回の町長の被害と男性の信頼が地に落ちてることは無関係なんだよなぁ。
ケース記録 その他
主が来所したため、新CWと顔合わせを行う。 4月5日、0時12分に、徒歩で、板橋本町から、実家から帰って来たのだという。CW名が、乙黒であることから、劣っている黒いものの趣旨か
と怒鳴られたが意味が分からなかったので、次の話に移った。顔面障害とか黒羽刑務所に行った等の理由で精神が動かず、自宅ではほとんど、おぺちの形をしているということ
※ 主は東大卒で、 おぺちの形というのは、布団の中にいるという意味
日中はほとんどおぺちの形をして、起きて、インターネットの書き込みをしていると次第にイライラしてきてそうなるのだという。最近は誰かがリモコンで操作されているような感じがあるのだという。
買い物はライフで行っており、毎回、同じような飲料水の商品名が並ぶ。レジで会計をして、ラクカというライフのポイントカードで清算しているという。6日に自転車で練馬区に迷い込み、石神井警察署
大泉学園交番で道をきいた。7日は緑道で演説をしたり歌を歌ったりしたが、8日は蒸し暑かったし雨が降っていたので早めに就寝したということ。11日は板橋区役所に文書開示に行って夜は
早めに就寝したということ。
2024/04/26
まぁ下記に繋がる話ですかね・・・
リアルだと情報量が増えるので許容値が爆上がりするけど、ネットだと情報量が下がるので許容値が爆下がりする
『学生時代』と『あるオタクコミュニティ』のオフイベントに出ていた時にどうしようもない虚言癖のあるお嬢さんがいた(それぞれ別人)
みんなヤベーやつ扱いしたり、面と向かって意地悪を言っていたけど、常に不安そうなのとご家庭に問題がありそうなのが見て取れたので
職場にどうしようもないネトウヨがいた。発言が完全にネトサポ+嫌韓嫌中のそれ
ただし、仕事には非常に真面目に取り組む人で行政やベンダーから色んな表彰を受けていた
そもそも前職がITとまったく関係ないスーパーの店員なのにも関わらず、僅か数年でこのレベルに到達出来るのかみたいな
職場には中国人エンジニアやそちら方面にルーツを持つエンジニアもいたので、いきすぎた発言をする時は釘を刺したが、
彼が話好きでどうしようもない差別的な政治発言をよくしていたのは皆認識していたので、
なんとなくそれを許容するみたいな職場の態度が本当に良かったのか?と言われたら全くダメだったと思うけど、
エンジニアとしてはとにかく真面目で優秀な人だった。あと多忙でも歓送迎会みたいなイベントは率先してやってくれる人だった
むかし運営していた小規模SNSの話
内向きな傾向にある人が気軽に過ごせる場をということで作ったんだけど速攻で投げた
原因は3つ
1つ目、
内向きの人の中でも更に内向きかつ傷付きやすい人たちがどんな書き込みを見ても
『だから私はダメなんだ』『ここにいてはいけないと感じる』『XXXって○○○って言えるのかな』
『壁打ちみたいで悲しい』ってサイト内だけでなくTwitterなどで綴っちゃう。
基本的にみんな内向きなのでSNSサイト内では面と向かって説教やポジティブの押し付けをする人はいなかったが
場外乱闘は起きてた(激しい言葉は使ってなかったけど)、あと何なら書いても良いのか?みたいな雰囲気になった。
2つ目、
メンタルを病んだ人の過剰な要求。仕事でもなく有償サービスでも無いので過剰な要求はサクッと無視していてたんだけど、
まぁ諦めないよね。本気で言っていてしかもまったく悪気が無いのが見て取れる。
これはめちゃくちゃ荒れた。例によって例のごとくSNSサイト内は平和なんだけど場外で荒れる荒れる。
内向きな人が気軽にという趣旨なのに過剰な要求をする人に対する個人攻撃まで始まってしまって、
サイト外でもそういう行為は控えるようにとルールを追加するはめに。もちろん増田民的な自由を愛する人から大不評だった。
『なぜSNSサイト外の行動を指示されなきゃいけないの?』的なことを非常にマイルドな表現でチクチクと。ごもっともで。
しかしそれでも過剰な要求がは止まらず、そしてそれに対する攻撃も止まず、それを目にするのが辛いという反応でも止まらず、
もうどうにもならねぇなって思って第三者を装って『意見を出すのは自由』『お互いを尊重しましょう』的なことを書いて鎮火を試みた。
概ね、思惑通りいったのだけど、なぜか最終的に運営者(自分)の判断を仰ごうという流れに。
なんの判断だよ、”要求にすべて応えることはできない“、”個人攻撃はやめましょう“ってSNSサイトに書いてあるじゃん?って思ったが、
まぁ仕方ないそのまま返そうと待てど暮らせど、SNSサイトの公式フォームにその判断を仰ぐご意見とやらは来ない。
場外でのやり取りをSNSの公式リリースとするのも変だし、なにこれ?放っておいていいの?と思い放置。
やーめた\(^o^)/
3つ目、
運営するにあたり基本的になにも考えていなかったこと。仕事じゃないしお金も取ってないしみたいな
刑法は、広く、人類社会の犯罪という分野における専門的な教養を必要とし、犯罪の種類を分類し、条文ということにまとめ上げて国民に強制するという一般的な方法によって
内容が制定され、犯罪の種類に対応し、法定刑を合体させてどのように処罰するかをそこに盛り込むということによる、法的確実性を得るための技術であるから、そこに記載されている文章は
ただの小学生の作文の、小学生が書いた、~をしてはならない、といったことを箇条書きにしたものではなく、国家権力による必要な法則の一般的な強制という技術である。そこでは複数の
性格をもった条文というものによって一般的に制定され、強制され、権力者を通じ、技術的に解釈適用されるものであるから、社会の諸分野に対応して、複雑で高度な体系であり、それでこそ
法学部という1つのセクションとして独立されて研究されている。もしそうではなく、法律が、ただのしてはいけないことの箇条書きであるとすれば、法学部という一つの独立したセクションで、
経済学部や文学部と独立した学部を持つ必要性はないといわざるを得ない。法学部に進学する文科一類の諸君が、前期試験や教養学部で、数学の技術をさせられる趣旨もそこにある。
文科一類の諸君は、法学部で学ぶことは技術であり、道徳の箇条書きを暗記するところではないということを覚悟して、進学後の学修生活を送ってほしい。
板橋区福祉事務所志村地区が、石で出来ているのは、石で作ることが古典的にどんどん力強くなって生産性があるらしいと当時の東大の研究で考えられたからであり、逆に、ローマン的なものは
破産すると言われていたので、総合的に考えたところで、前野福祉作業所の存在が展開し、 前野福祉作業所の稚児は、エロに走ったので現在は全く不明で、宮脇は、令和元年6月13日
訪問当時、もうないと言っていたので、生活保護法は、初等法ではなくて現代法なので、マニュアルが大量に存在し、その技術的側面も、語られることがないものであって、ケースワーカーの小俣が、
2016年度の生活保護運用マニュアルを持っているが、使い古した汚い本で、事務処理の手順が大量な社会的現象の複雑な場合に対する処理基準を定めているだけで、カールソンの定理は、
最大関数はいたるところでその関数に概収束し、証明は、大学教養程度でできる。ここの制限された可測集合上にコンパクトサポートがあって、その、制限された可測集合における、
補完定理にみられるような、三平方の定理の証明は、そういう補題があること自体が驚愕的なので、生活保護法を定めるときに、生活保護法の目的は何かというと、憲法25条の趣旨を具体化
することであるので、憲法25条の趣旨は、福祉国家と、制限された可測集合上に、最低限度の生活があるらしいということを具体化することにあるので、それを強引に書きなさい、というものであって、
この動画がどういう笑いなのか昔からわからなかったのだけど、誰かわかる人がいたら教えて欲しい。
無線の相手が「we are シンキング」と言い、コーストガードが「何を考えているんですか?」と返している。
#1: 無線の相手がwe are sinkingと言っているなら、話は単純。
コーストガードが、それをthinkingと間違えた。英語がへたくそなコーストガードのせいで、無線の相手が死にかけている、というお話。
#2: 無線の相手が、we are thinkingと言っている場合、話は多少複雑さを増す。
無線の相手も、英語がへたくそ(sinkをthinkと発音している)。
コーストガードも、英語がへたくそ(文脈でthinkではなくsinkだとわかるだろ、という状況でもthinkはthinkで間違いないと思い込んでいる)。
へたくそ2人のお陰で悲劇で喜劇な状況が生じている、ということになる。
youtubeで自動生成された英語字幕を見ると、無線の相手はwe are thinkingと言っている。
したがって、#2が正しい、ということになる。
でも、本当にそうなのか?
コーストガードの英語はそれはもう明確にへたくそだけど、無線の相手はそこまででもない。
上の#2なのだとしたら無線の相手の間違いの方が酷いものなので、無線の相手の英語はコーストガード以上にひどいものにするべきではなかったのだろうか。
このあたり、thinkとsinkの聞き分けのできない自分には判断がつかない。
誰かわかる人がいたら教えて欲しい。
追記:
教えてくれた人、ありがとう。
#1なんだね。
串田孫一とか別に興味はないが、 『山のパンセ』、『現代人生論全集11 串田孫一集』雪華社 1966 でちょっと頭角を現してきて、昭和54年以降に、ちょっとしたイケメン詩人として流行ったという概要の人である。『光と翳の領域 随想集』講談社文庫 1973 は、まだ戦後30年の時代の詩集で、まあつまらんね。 これは要するに情調というものであるから、という言い回しの本であった。
『Eの糸切れたり』時事通信社 1987 は、昭和62年に、昭和天皇が枯死したときに、昭和天皇のエロが途絶したという趣旨の本で色々考えて書いていた。『もう登らない山』恒文社 1991は当然、平成に入り、もう山には登らないという、串田孫一の決意の本。串田孫一は、平成に入ってから山男として不人気となり、2005年に亡くなる直前の『星と歌う夢 最新エッセイ集』平凡社 2003で最後となっている。
傍線部ア 「前野町1-43-5の更に向こうにある焼き鳥屋の若造はなぜうぬぼれているのか」 分かりやすく説明せよ。
傍線部イ 「お前が筆頭」 とあるがどういうことか、簡潔に説明せよ。
傍線部ウ 「きわめて卑劣で悪質である」とあるが、どういうことか、説明せよ。
性狂いの絶対的な若さがあってなおかつその若さを利用することであるように見せる力がある自分には可能性があるという性的自尊心にまみれている一方で、性的な若さもなく、
国家の装置と連動して仕事ができないような者は生活をするうえで必要がないと考えているから。
令和5年11月3日の和光晴生の死去に伴い、寝ている間に、運営が晴生に何かをして、運営が、あの晴生が死んだ、というしゅぷら甲子園が開催されたときに、バクサイに、晴生が
やっぱり自分の為だったのか、という書き込みをした形跡があって現在では探せなくなっているが、自分の為であるというならば、晴生が筆頭であることは間違いがないから。
平成31年4月19日における飯塚幸三の事件が、母子の殺害をしたもので、その趣旨がほとんど分からないとしても、都内在住で90歳で、上級国民と言われている場合に、
そんな気遣いがまともにできる人間性ならコミュ障陰キャオタクなどという人種になっていない
コミュ障ってコミュニケーションの経験が少ない奴や人見知りの奴がそうなるんじゃなくて、障碍の「障」って文字が使われている通り普通の人間同士なら成り立つ程度のコミュニケーションすらまともに成立しないおかしい奴がそうなるんだよ
例えばだけど、仮に人見知りしなくて人前でめちゃくちゃ饒舌に喋れたとしても人の話を聞く能力が欠落してて取り残される、内容や趣旨に則していない的外れな発言ばかりで周知を混乱させる、独り善がりに自分の主張や自分が言いたい話題ばかり押し付けて全然会話が成立できてない…みたいな奴がいたらそいつは間違いなくコミュ障だよ
まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。
大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパや東南アジアの珍味を貯めておけない。
ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器が一家で20枚もない。
子供が学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形やひな人形を飾れない。
結婚式で作ったドライフラワーはクローゼットの奥にしか置き場がない。
ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。
狭すぎて子供を作れない。それでも仕事のために東京にしがみついている。
生殖を制限してまで働いているという意味で、本当の社畜だと思う。
弟夫婦が練馬区に住んでおり上に書いた状況だった。心底気の毒だと思う。
プライベートのかなりの時間は自宅で過ごすのだから、家を文化的にすべきだ。
俺は人口30万人の地方都市に住んでいる。上に書いた程度のことはすべて実現できている。
しかし美術館や博物館は何回も通って飽きた。お気に入りの画集を家に置けば十分だ。
飲食店は多いが、どこもすし詰め状態で居心地が悪い。高い金を払って不健康なものを食べたくもない。
図書館の数や取り寄せサービスは素晴らしいが、借り出し・返却の時間が勿体ないのでネットで買えばいい。
文化都市・東京にあって粗末な家に住む方々は本当に不思議な存在だ。家の中と外とで文化水準が大きく異なることに疑問を抱かないのだろうか。
俺が思う最適解は、東京・名古屋・大阪あたりに本社を持つ大企業の、地方の事業所周辺に住むことだ。
俺が勤務する事業所は3000人以上働いている。近所には大手電機メーカーの1万人近い事業所もある。
こうした町は企業城下町の様相を呈しており生活には困らない。しかも家が広くて安い。
共感するコメント、共感しないコメントを予想外に多く頂けて嬉しい。
共感しない旨のコメントに多いのは、モノを家に集めることは文化ではないという趣旨。
しかし文化は基本的に媒体としてモノを必要としていることを認識してほしい。
二、三例示すると、
たとえば節分の豆まきには鬼の仮面、大豆、大豆をまけるスペース、掃除道具が必要だ。これらのモノ無しに「鬼は外、福は内」を口誦するだけの風習ならとうの昔に途絶えていると思う。現に口誦するだけの文化が身の回りにどれだけあるだろうか? そうした文化は歌くらいだ。
次に、小説などの文学作品は雑誌に掲載されても単行本や文庫にならない。芥川賞を受賞した作家でさえ、そのほとんどは、半分以上が雑誌掲載のみで終わる。その雑誌が電子書籍で出ていなければKindleで読むことは出来ない。ましてや詩歌は99%は雑誌掲載のみ。Kindleで閲覧できる文学作品は実はごくわずかでしかない。
最後に、美術に触れる経験を子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り、帰りの外食の方をよほど楽しみにしている。画集が家にあれば日頃から絵画というものの存在を認識するし、すごく暇なときに開いて読んでいることも稀にある。大人が楽しむにも、プロの解説付きの画集は何度も読み返して理解を深めることができる。
以上のように、個人として文化を深く楽しむにはモノが必要だし、それを子供に伝えるにもモノが必要。モノがいつでも目の前にある、手で触れることができる環境は文化への距離を縮めてくれている。だから私は家にモノを置きたい。
人に気を遣い27年。雑用を率先して行い、人の愚痴をよく聞いていた。そんなどこにでもいる雑草女が27年目にして気づいた生き方超個人的ライフハックを吐露させてほしい。
① 友達は5人以下でいい
友達は少なくていい。なぜなら受け入れる器が小さいからだ。人間何かしら悩みを抱えているものだ。家族のこと。仕事のこと。人間関係。友達が多いほどそれらの愚痴に費やす時間が増えるし、心のキャパも必要だ。それに毎月、毎日友達に費やしていたらあなたの時間はなくなる。5人が限度だ。ちなみに私は親友1人。幼馴染1人。友達3人の5人でちょうどいい。
子どもを産んでわかったが、我が子が一番だ。それはみんな同じである。そんな自分の子どもが一番の連中が集まってみると、、、地獄である。ずっと一緒の友達を大切にしよう。
③ 初対面で印象が極端に良い人は気をつけろ
これは経験則だ。極端に良い人は宗教、宗教、アムウェイ、金狙い、宗教だった。みんな自分が生きることに精一杯で、極端に良い人は何かしら理由があった。たが、そうでもない人もいるかもしれない。そしたら教えてくれ。私に希望をください。
④ 県の性格診断は意外とあたる
たまに見てみると当たってるよ。
⑤ 優しい人の噂話はちゃんと聞け
人の悪口を普段言わない人があの人は気をつけた方がいいと言ったことは本当に気をつけろ。
人の好き嫌いで評価を下すからだ。いわゆる生理的に無理を部下などにしてくる。男は周囲の目があるし社会的生き物だから、無難にこなして成長余地を残すが、BBAはシャットダウンしてくる。なんとなく嫌なのだ。普通微妙な部下は指導する、なんとなく放置するだが、BBAは身体から無理を発するため、部下も萎縮してしまい仕事が回らない。組織的には部下も成長しないし、仕事もまわらない。いらない人物だ。じゃあそのBBAは仕事ができないかというとそうでもない。優秀なBBAも微妙なBBAもそうだ。個人プレイヤーとしては優秀でもチームプレイヤーの上司としては微妙なBBAが多い。じゃあBBAに優秀な部下を与えると、こぞって部下に仕事を押し付けるのでどうしようもない。
この場合の逃げパターンは自分の仕事はしっかりして、話を聞くが定時であがらないといけない理由を作る。嘘でいい。実家の親の体調が悪くて、ご飯を作らないといけないなどでいい。BBAは大抵子持ちor独身趣味持ちなので定時であがらないといけないため、優秀な人に仕事を押し付ける。そのため、理由をつけて大変アピールするのがいい。
⑦ 男にはアドバイスをし、女には何も言うな
よく銀座のママに叱られ嬉しがられるお客様が多いというがこれは当たっている。叱られるということは自分のことをよく見てくれて成長させたいということだ。叱るというのもエネルギーが必要なのだ。ある程度の大人になると叱られなくなるというのはこの人はもう変わらない成長できないと言っているようなものだ。そこで、男には好きならアドバイスしたほうがいいし、逆に女には絶対にアドバイスをするな。
女は自分で失敗してみないとわからない。むしろ、失敗したのを貴方のせいにする。なのでいくら無理だと思っても。いいと思う!頑張って!応援する!で突き通せ。この間、テレビの婚活で30代の女性が毎日10時間プログラムの勉強をしているという話に男性がAIがプログラムを書く時代がくるから意味がないのでは?という趣旨のことを言って女が激昂して、途中退席した事件があったが、女には正論はいらないのだ。
まだあるのだが、一旦ここまで。