はてなキーワード: 進学校とは
最近SAPIXに廃課金して子どもに難関中学受験させる親たち、という話題をよく見かける。しかし自分が小学校から高校までずっと公立だったため、なぜ中学受験が勝ち組への最短ルートみたいな扱いをされているのかわからない。
高校でそこそこの進学校に行って勉強を続けていれば、指定校推薦で早慶上智ぐらい入れるし、予備校に通ってしっかり対策すれば、東大や医学部だって不可能ではないと思う。
地頭がいいから公立のペースは遅すぎて苦痛という子が、少し試験対策して身の丈にあった私立中学に進学するのはわかる。
でも大切な子ども時代を犠牲にして勉強してまで、難関中学に行くメリットってなんなの?中学によってはエスカレーター式で大学進学できる、親のステータス、他にある?
shiroikona333 箸の持ち方だけで判断はしない。だけど、食べ方が汚かったりゴミをポイ捨てしたりするような人は箸の持ち方も正しくない率が高くてああやっぱり、と思うことはある。
shiroikona333 そうだよ見本の真似が出来ないんだ。書いてある線をなぞるのも厳しいんだ。ものすごい時間と労力をかければ出来るけどそうしたら他のタスクが何一つ出来ないんだ。うちのASDの息子の話だけど。でも優しい子だよ。
demcoe 箸の持ち方すらキチンと子供に教えないのはネグレクトだって言ってるでしょ。結果としてうまく持てない子供はかわいそうだが大人になったら自分でマスターできるでしょ?
demcoe 私は困ってないから
neogratche テーブルマナーもそうだけど基本的に自分の階級を示すためのものだから気にしない人と気にする人の乖離が激しいのも仕方ないのかもね
poliphilus 表立って態度には出さん。が、やはり残念がっかりだな、という気持ちは大きい。こんな簡単に直せるものをどうして?という気がするし、擁護発言を見てもなんかお察しだなという気もする。
poliphilus 進学校は思考に手が追いつかず、字が汚い子が多いと林先生は述べていた。ToshI は英語の発音に大苦戦し、X は米国進出を諦めた。音程感と外国語発音の上手さは相関するが、みんなではない。
punkgame 箸の持ち方すら直せないのかこいつ、と思うだけ。何も言わない。正しく持たなければならない道理はないし、直す必要もない。好きに生きろ。周囲の目を気にするのに自身の行動は気にしないのか?
punkgame 左利きを矯正されたため右でも左でも綺麗には書けん。メインは右だけど上手く動く日と動かない日があるので訓練どうこうではない。左は使わなすぎて幼稚園児並みなので綺麗になるまでめちゃ時間がかかる。そもそも
「ほんと全部の競技が単なるレジャーだった。刑務所のソフトボール大会に近い」
伝統進学校出身なのにこう振り返る知り合いがいてかなり衝撃受けたんだけど、もしかして他にもそういう進学校って平気である?
俺も全国的に有名な伝統進学校出身(OBは学者や次官や大使や大臣や大企業社長や芸術家だらけ)なんだけど、
「現役合格なんぞ捨ててガチのガチで体育祭に打ち込むべき」という文化で、
それこそ体育祭に消極的で受験勉強やる奴は軽蔑を一身に浴びるくらいの勢いだった。
部活の定期戦とかで交流がある隣県のトップ高もどうやら同じような感だったので、伝統進学校というのはそういう所ばかりなんだと思ってたからびっくりした。
年々AO入試の割合が高くなっているけれど、一般入試よりもAO入試合格者の方が意欲が高いと言われている
https://www.asahi.com/edua/article/14540038
逆に言うと、一般入試合格者は大学受験がゴールになっている(人が少なからずいる)ため、入学後の意欲が低い
仮面浪人でもないのに大学入学後も入試問題を解いてみたり、下手するとおっさんになってもまだ入試問題を解いてあれこれ文句を言っている
そんな人は極端だけど、有名大学や大学院まで進学した人材がくすぶってると考える人は多く、それもまた大学受験がゴールだと考えていると言える
多くの人は大学での専攻や卒論のテーマを直接仕事に活かしていないと実感しているだろう
ということは、いい大学や大学院を卒業すること(ほぼほぼイコール入学すること)が仕事が出来る人材と考えているわけではない
それなのに、いい大学や大学院を卒業したけど派遣だとかパートをやっている人を有能な人材、埋もれた人材だと考える
それは大学受験がゴールだと考えているからだろう、恐らく無自覚に
さらに言えば、あの大学を出ているだけあって地頭がいいとか、あの大学を出ているのに使えないとか、そんなことも考える
大学受験がゴールになっているから、労働者それぞれの強みを使って強みを伸ばしてお金を稼ぐことを、つまりリスキリングみたいなものを否定する
けれどもお上から言われれば「勉強しろってうるさいからやる気なくなった!」みたいな中学生のようになってしまう
はてブの好きな話題の一つに、進学校は勉強することを茶化さないみたいな話題がある
一方でスキルアップをサポートする社風はあまり話題にならない、たまに話題になるけど
MARCHって有名進学校やネットだとあれだけど、現実とかじゃレベルの低い友人とか親戚からおだてられるし、就活でもコミュ力有れば大手入れちゃうから、この手の勘違い野郎いっぱいおるぞ〜
2年前に自殺未遂をした。
自称進学校から特に何も考えず明治大学法学部に進学。大学をそこそこ楽しみ総合電機メーカーに新卒で入社。学生時代からの彼女もいてそれなりに充実していた。
しかし、とあることがきっかけで関わりたい分野が見つかり転職を決意した。その分野を知るきっかけとなったアメリカの企業(電気自動車とTwitterで有名なアイツが設立した会社の一つ)の応募フォームを見たところ、「計算機工学、計算機科学、電子工学、脳神経科学、医学のいずれかの学位を取得していること」となっていた。その分野は動物実験に不寛容な日本では流行っておらず、大学で細々と研究されているのみでアメリカと中国に集中している。その企業以外の応募フォームを見ても全て「工学、科学(脳神経科学)、医学の学位又は脳神経外科医としての実績」とあり詰んだ。大学名より専攻重視のアメリカを実感した。勉強し直そうと思ったが、その時既に26歳で貯金もない。この先やりたい仕事には就けず、やりたくない仕事を続ける人生が続くことに嫌気がさし、衝動的に自殺に踏み切った。
結果としては親に見つかり失敗。数日間後に意識を取り戻した。助かって良かったという気持ちはあったが、これから頑張ろうという気持ちもなかったので仕事を辞めた。彼女とは自然消滅。足に鋭い痺れが残り歩くことができなくなった。
現在は公的扶助をもらいながら生活しているが、やりたくもない仕事を続けながら生きていても辛いだけだったので、結果オーライだった。
部活の総体で全国大会に個人団体両方出たし、勉強も学年5位以内は常にキープしてたし、生徒会役員もやってたし、本当中学までよく頑張ってたな。
中学3年の身体測定で中学2年の時と身長が1ミリも変わってなくて、164で身長止まり、夏休み前に自分より小さかったクラスの男子ほとんどに身長抜かれた時がターニングポイントだった。「自分は女にモテない」ことが確定した途端、勉強もコミュニケーションも行事も何もかもやる気なくなった。服にも興味なくなった。偏差値72の県立高校目指して、中3に上がる前にTEL帳(通じるかな?)二周くらいしてたけど、そっから勉強しなくなって偏差値60の自称進学校に行き、友達も作らず部活も入らず、大学にも行かず就職もしなかった。成人式も行かなかったな。
しかも格差は広いのに住んでる地域は近いから、犯罪者予備軍みたいな層と一般層が交わる機会が多いのがヤバいよな
関西で変な事件が多いのは犯罪者予備軍のエリアと一般エリアが隔離されてないのが原因だと思うわ
なんというか、選択肢の広さを隠されているせいか閉塞感とドンヨリした空気が地域全体に漂ってるよな
関西を離れた時の開放感というか、世の中がありのままに報じられて知ることができる空気感には驚いたわ
怖い街だよ本当に、二度と帰りたくない
思いつかないけど、ファッションやメイクは不況と真逆のバブルっぽい感じに回帰してんだよなあと思う
関係ないけど母校(田舎の公立高校で私服)の卒業式、女子みんな袴履くってんだからびっくりした
(自分等の時は大学の入学式でも使えるスーツ着てる人が殆どだった)
疫病のせいで卒業式は卒業生しか出ないから、本当に自分達と親しか見ない状態だよな
これから進学するってのに、着物袴レンタルで更に親に負担かけるのすげえなと思う
一応進学校だからバイトしてる率も低いし、自分で金出すわけねーし。たぶん卒業旅行とかも行くだろうし
(実際、親から「(和装は)負担がでかいから禁止にしてくれ」っていう声が上がってるそうだよ
でも、出さないとどうすんだろ。「みんな着るのに!!」って泣きわめくのかな。嗤う)
羨ましいよ。人数少ないから進学も就職も余裕じゃねえか(疫病が無ければ就職率ほぼ100%だよな)
人生なんて結局総て運よ
私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。
私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。
私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いていた。ふと父が「父さんは今日こっちの道に行きたいんだ」と言って、普段は入らない芝生の中へ私を連れて行った。杉の木立の中には、小さな茶色の碑があった。父はその石碑の前で足を止め、静かに手を合わせた。「これは何なの?」と尋ねると、父はこの石碑が、阪神淡路大震災で命を落とした学生たちを追悼するための慰霊碑だと教えてくれた。銘板に刻まれた名前の中には、地元で教員をしていた父の教え子がいるという。父は何十年も教員として勤務していたが、彼が家庭内で教え子の話をすることはほとんどなかったので、少し驚いた。
小学校にあがると、音楽の授業で「しあわせはこべるように」という歌を習った。この曲は阪神淡路大震災のことを歌っており、神戸市内の小学校では震災学習の一貫として習うのだ。たぶん、1995年以降に神戸市で勉強した人間なら、誰もが諳んじて歌える一曲だろう。小学校でも中学校でも、毎年1月17日には黙とうを捧げ、校長先生のお話を聞いた。ある年の学校新聞の1月号に、同級生とその妹のことが書かれていたことも覚えている。2学年下に在籍していた彼の妹は、まさに阪神淡路大震災の混乱の中、1月17日、被災直後に生まれたという話だった。
高校生にもなると、「しあわせはこべるように」を合唱する授業はなくなった。進学校だったので受験勉強は忙しく、みんな志望校に入るため必死だった。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。先輩は部活でも目立っていて、関西の超有名大学への現役合格を果たしたことはすぐに後輩の私たちにも知れ渡った。卒業式の日に卒業生代表挨拶を担当したその先輩は、両親を阪神淡路大震災によって亡くしたことをみんなの前で話してくれた。10年以上が経った今でも、あのスピーチを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。
高校を卒業すると、私は自分の実家から一番近い大学に進学した。それは、子どもの頃から家族と散歩していたあの学校だった。私の学部はかつて父と散歩したキャンパスからは少し離れていたのだが、それでも時々あの慰霊碑を見に行くことがあった。いつのまにか、私は父の教え子だったという誰かより1歳年上になり、成人を迎えた。成人式の会場に向かう途中のタクシーでふと「私たち、本当はもっといたかもしれないな」と思った。
大学を卒業して上京すると、色々な地域出身のさまざまな年齢の人と関わりあうようになった。地元は神戸なんです、と言うと、ほとんどの人が「おしゃれなところだね」なんて言ってくれるので鼻が高かった。しかし時々、50代くらいの人と話すと「震災の時、もう生まれてた?」と聞かれることがあった。生まれてたけど2歳になりたてで記憶はないんです、と返すとだいたいそこで話は終わるのだが、ごく稀に「実は僕は当時大阪に住んでいて…」と、当時の記憶を話してくれる人もいた。
ある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東京出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。乗っていた電車が止まったこと。復帰のめどが立たず、線路を歩いて帰ったこと。その時、自分の前を歩いていたお姉さんが泣いていたこと。
その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は関西だから、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。私も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。阪神淡路の時に2歳だったよ、と告げると彼は気まずそうに「そっか、そっちか」と呟いた。
彼は私より少し年下だったから、もしかしたら阪神淡路大震災のことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。小学校の社会の教科書にはきっと地震のことも載っていたはずだけど、自分が高校生の時に体験した東日本大震災の方が記憶としてはハッキリしているに違いない。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。
私は今、違う場所で暮らしているけれど、今でも自分が育った神戸はとてもいい場所だと信じている。街の中心部である三宮駅前には、かつて「神戸阪急ビル」という名のビルがあった。この辺りは震災で大きな被害を受けてめちゃくちゃになったという。街のランドマークだったというビルは取り壊され、それからずっと低層のビルが駅舎に繋がっていた。このビルは2021年に高層ビルとして生まれ変わり、震災前の姿を模した外観でリニューアルオープンした。私より年上の世代は新しいビルを見て「元の神戸の姿だ」と喜んでいたが、私には正直良く分からなかった。私が毎日のように遊んだ三宮は「仮の姿」だったのか!それでも、西洋風のモダンな茶色のファサードは、「私の好きな神戸」の姿に近いような気がしていいなと思った。
私は今日、30歳になった。平成初期に生まれた私たちは、阪神淡路大震災の記憶とともに生きる「最後の世代」だと言われている。確かに、地震は私にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生、別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まだ2歳になりたてだったから当日の記憶もまばらだ。でも、成人式の時にふと過ったあの感情を、誕生日のたびに思い出すのだ。阪神淡路大震災がなければ、私たち、本当はもっといたかもしれない。地元の同級生は、実はもっと多かったのかもしれない。自分の人生のどこかのフェイズで、あの時いなくなった誰かが私の大切な人になっていたかもしれない。
記憶も年をとる。誤解を恐れずに言うと、阪神淡路大震災のことは、これからどんどん忘れられていくだろう。神戸と縁のない人たちにとっては、もうすでに阪神淡路大震災のことは別の災害の記憶に塗り替えられているかもしれない。はっきり言って、これはどうしようもない、誰が悪いわけでもない、日本に住んでいる限りは、大きな地震が定期的に起きることは避けられないのだから。でも、少なくとも私は― 傷ついた神戸の街に育ち、ゆっくりとその傷が治っていく中で青春を過ごした私は、これからも阪神淡路大震災を忘れることはない。「最後の世代」という言葉は、「私たちは本当はもっといたのかもしれない」とリアルに思える「最後の世代」だということなのだろう、と今は思っている。30歳になった今日も、またふと考えた。私と一緒に年をとってくれる誰かが、本当はもっといたのかもしれない。
U-NEXTで見た
94分という短さで、あらすじも「飛び降り自殺したクラスメイトの死後、当然のように数学の授業を続ける教師に腹を立てた高校生が鉄砲屋でライフルを盗み、授業中の教室に戻る」というシンプルさだったので見た
サムネイルの俳優も女優も誰か知らんなと思ったら、女優は浅野温子でデビュー作だったと後で知った
福岡市近郊が地元なので、1978年の福岡市ってこんな感じなのかと思った
舞台の高校は福岡高校が元ネタっぽい「中州高校」で、同じく進学校の修猷館高校が元ネタっぽい「しゅうがくかん高校」も名前だけ登場していた
受験への思い、教師からの暴言、自分のしでかしてしまったことを抱え、文字通り追い詰められていくガリガリの浅黒い青年が汗だらけになりながら、その細い腕に似合わぬライフルを抱えて、校内を駆けまわり、時にライフルを発射する様には自分の受験期を思い出し、心がひりついた
何というか高校生の頃、つまらない授業中に夢想する、今テロリストが高校に乗り込んできたらの実写化を見ているように思えたからだ
「この世界を誰かがぶっ壊してくれたらいいのにな」ではなく、能動的に教師を撃ち殺し、日常を書き換えていく弱っちい青年をほっとけない気持ちを抱きつつ見ていた