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原発対策を提言=鳩山前首相
民主党の鳩山由紀夫前首相は20日午前、首相官邸で菅直人首相と会い、福島第1原発の放射能漏れ事故の収束に向けた方策を提言した。
鳩山氏は会談後、記者団に「水による冷却が海や大気を汚している。水冷却ではない形で、(原子炉を)放熱させ、放射能を閉じ込めていくべきではないか」と語った。
原発事故で首相の対応に批判が出ていることについては、「首相として努力をしてきていると思う。批判するために来たのではない」と述べた。(2011/04/20-12:31)
有事でも平時でもクソの役にも立たない人。
昭和43(1968)年生まれ。
選挙権を得て以来、他の公約なども鑑みて、とりあえず支持政党は共産党一択
投票したことはありません。昔「戦争反対、九条改正反対でも、いざ有事の際には
自分も徴兵されるんだろうな。…なんか納得いかねぇ」と思っていた。
ところが戦争よりも先に、日本が滅びるかもしれない事態がやってきた。
自分の年齢の半分以下、まだ選挙権すらないような子供たちのことを考えると。
人生で一度でも自民党に投票した人間が、東京電力の不手際をなじる資格などないように思うんだが。
「原発なしに今の電力供給はありえない」とかもさぁ。ニワトリ卵なんだよ。
必要とさせるためにオール電化を導入して「クリーンなエネルギーで生活するためにも
それでも、自国民の(自分は支持していない)指導層がやらかしたとして、その不利益を被ることは仕方ない。
こんなことになる前に、日本に見切りをつけて海外に生活拠点を移すことだってできたはずなのに、
そうはしなかったのだから(日本国籍所持者です。帰化したわけでもありません。念のため)。
ただ、日本の若い人や、諸外国の方々には詫びても足りない失策を犯してしまった。自分たちの世代は。
本当に、かつて戦争に突入した時の「民度」も、こんなんだったんだろうなーと思う。
要は募金くらいしかできないわけで(共産党を支持するような労働者なんで、所得はたかがしれてる)。
オトナのみなさんは、自分も責任の一端をになっているこの事態に、何をなさっていらっしゃいますか?
デモ行進して「原発建設」が取りやめになったという例を寡聞にして知らず。
原発予定地を買い占められるような金持ちだったら阻止できたとか?
ほんと、どうすりゃよかったんだろうねー。
「有事には役に立たない」だとか
「土壇場では度胸も知恵もない」だとか
そもそも平時から、いつだって、あいつらは役になんか立っていないのだ。
社会の平穏と余剰を食っているうちはいくらでも霞の奥に隠れられるが
一時的にでもそういうものがぶっ飛んだときには実体が丸出しになる。
別に大災害が起きずとも
実務能力を問われる場面に出て行ってしまったところを見たとき、
「あれ?なんかただの馬鹿じゃないの?」
「普通の人と変わらないし、不慣れなぶんただの無能じゃないの?」
と察知したことのある人も居るはずだ。
若い世代の思想家の親分は
だから子分がそれすら理解せずにモノポリーとか言ってりゃキレたくなるのは人情だ。
思想家達の立たされている今の状況は、遅かれ早かれ有り得た未来でしかない。
これは往時の日本のプロレスラーが、ガチ競技である総合格闘技に直面した時とよく似た状況だ。
だいたい、ファンとの距離が縮まったり、消費者の持つ情報が増えたりすれば、
虚像は見破られて熱は冷めてしまう。
ネットで四六時中所感や行動を報告して関心を引かなければならず、
また観衆にそれをまとめられちゃったりする時代に、
従来通りの思想ごっこ続けようって方が無理なのだ。
そこでまだなんとか活路を探して「我々はガチ」と言い張り続けるのが親分の道で
あっさりと「いやいや、ガチのリングで俺達に何か求めないでよw」と表明したのが子分Uの道。
後者も日常に戻ればもちろん「俺は最強だ!」「誰でもかかって来いぶっ殺してやるよ!」と吼えるけれども
それがどういう意味なのか、どう消費してほしいのか、を暗黙かつ雄弁に示したのがモノポリーではなかったか。
一直線の衰亡を脱する可能性があるのは子分Uの道だけだ。
今回メタ目配せとしてスマートな所作を見せることが出来たのは彼だけなのだが
「別の子分はチャリティーやると言えたのにおまえは!」なんてズレたこと言ってる。
弁舌の徒がチャリティーやりだしてどうすんねんと。
それは新日やノアのプロレスラーが総合のセコい大会のエキジビジョンに参戦するような迷走でしかない。
有事に臨んで日頃やってきたことと連続していない別の商売をやり始めちゃうのは
それまでやってきたことがお遊びだったと認めるに等しいうえ、
何人か知り合いの研究者がいってるだけなんで一部かもしれんけど、日本の状態が悪くなるから海外に逃げようかっていってるのが数名。
でも国費投じて科学者養ってるのって、こういう時のためじゃないの?
景気のいい国を渡り歩いた方が研究者的にはいいのかもしれんけど、それじゃハゲタカファンドと変わらんじゃんか。
科学者ってこんなんでいいの?
あーきめえ。
本当にこの、ここ最近の、カッペによる手を変え品を変えの東京コンプレックス・東京憎悪がきめえ。
都民が、根本的に被災地のことなんか考えていないというのは、震災直後のガソリンやトイレットペーパーの買占めで証明されているわけで、やっぱり被災地から動けなくて苦しんでいる人がたくさんいることよりも、自分の車にガソリンが入っていないことのほうがずっと耐えられないというのが、それが都民なのだ。
俺の住んでる県でも起こってたけどねえ?
お前の住んでる県と県民は東京と都民が出したより多く義捐金出してるんだろうな?
石原が都内の赤ん坊いる家庭にペットボトル1本配ったのがそんなに許せないのか?
それを非難するならお前のとこの県知事は県民の赤ん坊の一本の水も取り上げて福島に送ってるんだろうな?
ここが一番許せねえな。
お前のしょーもねえくだらねえ下品で浅ましい逆恨みの東京コンプレックスのご開帳のために
被災者をダシに使うんじゃねえよ。
そもそも福島の皆さん以前に、お前のその劣等感に満ちたくだらねえ主張は
得てねえだろう。
地方に住んでようが都会に住んでようが、まともに暮らしてる人間はそこに満足して誇りをもってるよ。
よその都市に偏執的な関心を寄せて、憎んだり誹謗したりはしない。
お前のような、地方在住者の中でも特別特異に心の貧しい都市嫉視者を「カッペ」という。
何が宣戦布告だ。
お前は東京が気になってたのに勇気や学力が足りなかったせいで上京出来ず
その後それを劣等感に育て上げて後悔し続けてるだけだろうが。
いやほんとに。
それを、都民は裏切ることになる。石原さんを選ぶということは、積極的に投票する人も消極的に白票を投じる人も含めて、
みんなで被災地に「NO」を突きつけるということだ。見切る、ということだ。少なくとも、彼らはそう受け取るはずだ。
最近かなり頭に血が昇ってる反石原クラスタの皆さんもさすがにお前の卑しい論法には賛同しないと信じたい。
だからさ、お前が気に入らない、お前がコンプレックス持ってることについては、
正々堂々「僕が東京を憎んでるんです、憎くて憎くてしょうがない!」って言えや。
それなら少しはお前みたいなショボい奴でも人間扱いしてやらなくもない。
自分の卑小なネガティブ感情を満足させる為に大義名分や他人の威を駆る奴はウジムシ以下だ。
それは、殺意と受けとられるかもしれない。いま政治家や東電に対して向けられている憎悪が、東京都民全体に向けられることになるんだ。
お前のような惨め過ぎる救い難いカッペが同じ列島にいることが怖い。
「ニッポンを一つに」というむず痒いスローガンに付き合うとしても
怖かったけど、直接的被害も受けずに済んだ。
「こんな有事だし、自分たちの出来ることをする!」といろいろ準備したけど、
ごめん、原発の電気が東京だけで使われてること、本当に知らなかった。
そして、停電に参加しないことへの罪悪感で一杯になった。
そして買占めのこともあった。
私の家の近くのスーパーでも、紙や水、オムツなどがいっせいに消えた。
あのスーパーにモノがまったく無くなる感じは異様で、
買占めというか、主婦たちが集団ヒステリーのような状態になる気持ちも正直わかった。
でも浅ましい姿だったよ。
都の代表は天罰発言だし、
もう自分の力の及ばないところで「東京」がどんどん酷いものになって、住んでいる自分が嫌になった。
でも、停電に参加したからって何が許されるわけじゃないのにね。
募金でも、停電でも、具体的何かをすることによって、罪悪感から逃げたいだけなのかもな。
地方から結婚するために出てきて、数年が経って、東京が好きになりかけてたのに。
自分も今地方に住んでいたら、東京酷いって思って嫌悪感持っただろうな。
子供もいるし、水のことも、食料のことも、放射性物質のことも、不安が多い。
でもそんなこといえる立場に無いよね、と飲み込んでいる。
自分に出来る、本当のことってなんだろうか。いつも考えている。
左翼の人はいい加減さー、「愚民は何も分かっていない!我々が啓蒙してやる!」って態度をあらためないと誰も話を聞いてくれなくなると思うよ。
私は本当に脱原発したいなら原発反対よりもクリーンエネルギー推進よりも何よりも電力自由化を求めた方が良いと思う。
なぜなら現状では、福島原発のような事故が繰り返されようともなお、原子力発電こそが合理的で社会的に正義であってしまうからだ。
産業界は経済的に競争力を確保できる程度の安価でかつ安定供給される電力を望む。
国は有事の際でも、資源を自力調達可能なもの、もしくは備蓄してある程度の期間供給できるエネルギーを望む。
というのも、ABCD包囲網により資源を止められることが第二次世界大戦戦争の日本の開戦の発端の一つになったように、エネルギーを安定供給できなければ戦争か暴動が起きるからだ。
福島原発事故で何人の命が奪われようとも福島を死の大地にしようとも、戦争や暴動による被害よりも損失は少ないと考えられる。
それゆえ、産業界と国からの条件を満たす発電方法は現状では原子力発電の他にない。
電力会社としても、燃料であるウランが石油やLNGと比べ備蓄がきき安定した値段で手に入るため、原子力は計算しやすい。
また、廃炉のコストを考えると原子力は経済的ではないと言われるが、国が原子力発電を安定したエネルギー源の一つとみている限り、
廃炉のコストは私たちの電気代に上乗せされるか税金によってまかなわれるだろうと私は予想する。
電力会社が電気を安定供給するために原子力をベースに持ってくるのは非常に合理的な経営判断といえる。
代替エネルギーとして太陽光発電や風力発電が有望視されるが、太陽光発電はいくら効率が良くなっても天候によって左右され、
風力はメンテナンス性に欠け、またどちらとも大規模化したところで原子力発電の安定した発電量には遠く及ばない。
東京電力が発表するのを止めたという洋上風力発電は原子力発電の発電量をまかなえるのかもしれないが、
電力会社は公益法人であるが株式会社でもあり、そのような冒険せずとも良くも悪くも長年使ってきて技術の蓄積もノウハウもある原子力発電を選ぶのは明白である。
そのため、そこで風力だ地熱だ波力だ海流だなどの他の発電方法があるといっても何の意味もない。
だからこそ電力自由化が必要だと思う。
それは、上に太陽光発電や風力発電は大規模化したところでうまみはないと書いたが、家庭レベルの電力であれば話は変わり十分実用に値するため、
電力自由化と自家発電の規制を取り払うことで、電力を分け合うスマートグリットの普及が進むのではないか。
また、電力自由化により新規参入を可能することで、電力会社の独占状態を崩し、消費者が何から作られた電気かを選ぶことできるようになれば、
他の発電方法に目を向けなければならい状況ができるのではないかと思うためである。
と、居酒屋でくだを巻くように思いの丈を書いてみた。
追記:福島第一原発が収束してないそばから新しく原発作るよーとかMOX燃料でプルサーマル進めるよーとか某電力会社が息巻いているけど、
資源に恵まれていないとされる日本が脱原発するためには、自然エネルギーだろうがメタンハイドレードだろうが
石油っぽいものを作れる変な藻だろうが重水素発電だろうが核融合だろうが、資源が自力調達可能なものを得なければ
脱原発はできないのだろうと、私は思っている。
そういった意味で高速増殖炉はまさに夢の技術ではあるのだけど……リスクが大きすぎて、他の方法を探した方が有意義ではないかと私には思える。
原発でも火力でも水力でも何でもだけど、その恩恵はそのリスクに見合うのだろうか?
電力自由化による停電の問題に関しては、理想的には各々が太陽光発電や風力発電やコジェネレーションなどの小型の自家発電設備を持つことと
その余剰分をスマートグリットで分け合うことで停電が抑えられるという考え。
だから電力自由化したところで小型の自家発電設備やスマートグリットが普及しなければ絵に描いた餅なんだけど、
小型の自家発電設備やスマートグリットが普及するためには電力自由化ぐらいの改革がなければ構造変化は起きないのではないかと、私は思っている。
えー
俺ははてサじゃないけどさ(はてサとしょっちゅう口喧嘩してるから)、
あずまは普段そこでいう「踏みとどまれ」式のマッチョ説教ばっかしてる奴だから
有事に真っ先にションベン漏らしながら逃げ出した姿は忘れられんわ。
今後、奴のマッチョ説教は全部「腰抜けがなんか言ってるw」と冷笑で迎えるつもり。
いや勿論
これまでだって東のくだらねえ説教に真面目に取り合ってたわけじゃないけどね。
こういう事態が起きる前からこの程度の奴だとは思ってたよ。
中味もないのに説教好きで、最近は何やら年下のフォロワーが欲しくて欲しくてたまらないって顔だが
近くにいる若者を腐らせるだけだ。
■「不謹慎」を発しちゃうのは、無礼なマイノリティを認められない心の狭さ?
今回の震災のようなときだと、ブラックジョーク(あるいはbad joke)発言をすることに対して、「今は有事なんだから貴様の発言は不謹慎だ!」などと言いたくなる人はそれなりにいるのだろう。
■悪いジョークを言うような”無礼な個性”を、非日常でも認められるかどうか
多少礼を失したキツ目の物言いを目にしたとき、日常でなら我慢できていても、こういう時には沸点が低くなり、ついカッとなって表面に出てきてしまう。
「群れて同じ感覚を共有しなければ、そうじゃない奴はオカシイ→がんばるときは皆で猪突猛進、泣くときは皆で泣こう」
ってのは、日本人多かれ少なかれが持ち合わせている(良い)メンタリティなのだろうけど、有事になるとマイノリティを認めない (or スルーできない)ってのは、要は、多様性を心の底から認めていない証拠である。
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1195.html
『まどか☆マギカ』 新房監督「できるなら日常もので番外編や2期をやりたい」|やらおん!
おまえ、まさか・・・
そんな枝野官房長官や東京電力の会見を盲目的に信じる人、そもそも気にも止めない人の多さに唖然とした。
僕は「彼らが重要な情報を隠してプロバガンダをしている!」みたいな事を書きたいわけじゃない。
ただ日本人は平和ボケが過ぎるんじゃないか、と思わざるを得なかった。
原発に対して何の知識も持たない私たちにとっては恐ろしいワードが並ぶ。
初期の段階では、放射線の単位の使い分けやその影響もはっきりしない報道が多かった。情報の錯綜が続く中で正確な状況を把握出来ていた人はほとんどいなかっただろう。その証拠に不安を煽るような報道、デマが横行し、政府の発表はコロコロと変わった。
また「東電も認める」の表記からも分かるように、東電からの情報開示すら遅い、上手くいっていないという印象を受ける報道も多かった。
そんな状況で発表される「ここまで避難すれば影響はない」といった情報は考えなしに信用できるものだろうか?
繰り返すが、僕が言いたいのは「プロパガンダに警戒しろ、自分の命は自分で守れ」なんてことじゃない。
ただ自分の「生命」に関わりうる非常事態に対して、あまりに無頓着なのではないかと思うのだ。
どうしてこうなってしまったのだろうか?背景には日本社会が保証してきた「安全神話」の影が見える。日本国は外国であれば大災害になる震災や事故に対しても、優れた対応力を発揮し、国民の安全をほとんど完璧に守ってきた。しかし長い間保証されてきた安心感は、やがて神話となって僕らの中に刻み込まれてしまった。
もちろん「神話」という言葉のとおり、日本は絶対安全な国などではない。今回の原発事故はその不完全性を強烈に示唆している。しかし、明らかに異常事態が起こっているにもかかわらず、多くの日本人はまるで危機感を持っていない。「原発のことなど知ったところで自分に何が出来るか」と思う人も多いだろうが、そうではなく知ろうともしない態度が問題なのだ。
どうせなんとかなるでしょ?誰かがやってくれるでしょ?そんな無関心な人が増え続ければ、有事に対する適応力はどんどん落ちてゆく。災害は如何に対策しようが、いつか必ずやってくるものだ。僕らは神話を打ち破り、その時に生き残る力を取り戻さなければならないのではないだろうか。
横だけど、愛知住み。
愛知で生まれ育った奴らは、
何時来てもおかしくない!と散々言われて育ってきているから
子供の頃から彼女さんが言った事を準備しておくのは「当たり前」で
今回みたいに、危機感を感じたら振り返るのが当然の事。
だから、彼女さんは「決めておくべき事を決めておかなかった」という不安に苛まれていると思う。
やってなかったんだから、やるべき事で、
やったらそれで終わり。
そういう考え方が理解できずに、
「だから女は」という勘違いで、なんとか「言いくるめよう」としているんじゃないかな?
それか、俺の所には絶対来ねぇから、避難先なんて確認しなくていいよ!って預言者か
彼女さんの言う事は突拍子もないヒステリーやパニックではないから
つか、彼女さんがしっかりしてるんだから、増田は口挟まないでいいんじゃないのか?彼女さんの言うとおりにして、彼女さんを頼るべきだと思う。
男のほうが有事にしっかりしていて、頼られる側とは限らない。
さて、タイトルで「議院内閣制」「二院制」「二大政党」と並べられていますが、これはそれぞれ制度として次元が違う話です。また「この3つの制度を組み合わせて使った方が良い」とかいう根拠は政治学的には特段存在しません。例えば、「強い大統領制-二院制-二大政党」のアメリカ、「議院内閣制-一院制-二大政党」の現在のスウェーデン、「議院内閣制-二院制-多党連立」のイタリア、といったように各制度とも、様々に他の制度との組み合わせが存在します。もちろん英国のように「議院内閣制-二院制-二大政党制」でやっている国もありますが、これが特別にメジャーな組み合わせというわけではありません。
そしてこの3つの次元の違う制度の中でも、「二大政党」は他の2つとレイヤの隔たりが大きいです。「議院内閣制&二院制」と違って「二大政党」は時に「二大政党制」などという風に「制度」として扱われますが、厳密に解釈すれば「制度」として(すなわち法的な根拠を以て)「二大政党であるべき」と定められているものではないからです。「二大政党」というのは「結果としてそうなってる」という状態を指していっているものですので、本来的には制度ではありません。それでも「二大政党制」という言い方が(政治学においても)許容されるのは、二大政党の国の大半は、小選挙区制度等で「二大政党になるよう誘導している」実態があるからです。直接的には「二大政党制度」という法的規定が無くとも「立法精神において二大政党を期待・想定している」と言えることが多い、という程度の根拠なのです。
日本の政治制度も、もちろんこの区別の原則から外れるものではありません。「議院内閣制&二院制」は「日本国憲法」という最高法規で規定されている制度of制度な代物ですが、自民、民主の「二大政党制」になったのは、あくまで「選挙制度(及び政党助成金等の法規定)を大政党に有利な制度としたこと」「大政党有利な選挙制度をひっくり返す程の大きな民意の動きはなかったこと」の結果でしかありません。
長々と前置きしましたが、「議院内閣制」「二院制」といったレベルの狭義の『制度』と、「二大政党」のような実際的な『政党のありよう』は、政治制度論的には全く別レベルの話だ、ということです。
以下、本題。
●他の国のように二大政党制に~
良く聞く言説ですが、これは「間違い」に近い話です。日本では米英の政治が有名なため、あたかも二大政党制が欧米の標準的な制度のような印象がありますが、政党結社の自由が保障されてる国に限っても、二大政党になっている国はむしろ少数派です。しかもその過半を英連邦またはその流れを引く国家で占めています。二大政党は「民主主義国の標準的な制度」ではなく「アングロサクソン系国家での標準的な制度」です。
更に言えば大国で単独政権が普通な国は英米と昭和日本、サイズを広げてギリシャくらいで、二大政党制の国でも連立政権の方が普通です。英米の政党のあり方はかなり特殊で、英米それぞれに、特有の固有事情によって成立している面が大きいのです。
●一党優位用の仕組みを二大政党時代に利用しているのが問題だと~
日本の政治制度は、憲法で規定されているような大枠の部分では、別に一党優位を想定した仕組みではありません。日本の政治制度を大枠で分類すると、「立憲君主国-議院内閣制-(民選第二院型の)二院制」と言うことになりますが、これは結社の自由が保障されている民主主義国家では比較的ありふれた組み合わせです。天皇制を維持することを前提とした上では最も無難な標準パターンと言えるでしょう。このありふれたタイプの政治制度の国での政党のありようは、分極多党制、穏健多党制、二大政党制、一党優位制(例は戦後日本とマレーシアぐらいしか思いつきませんが)など様々です。従って、この「大枠」の部分について「一党優位用の仕組みである」とするのは無理があるでしょう。
そもそも日本国憲法には「一党優位」どころか「政党」に関する規定そのものがありません。日本には戦前から政党政治の伝統があったにも関わらず「国会運用の主体は別に政党である必要はないよ」というのが日本国憲法の立場なのです。
●何かシステム的に抜けているところがあるのでしょうか。
「大枠」が特に関係無いならば「細部」で抜けている可能性が高いでしょう。二大政党制が定着している米英の日本との違いを挙げてみます。
強い大統領制(首相がいない)を採っていて、議会と大統領が別個に選ばれるアメリカでは「大統領-議会」及び「上院-下院」のねじれが日常茶飯事です。どちらでもねじれが生じていなかった期間の方が短いくらいのはずです。それでもアメリカの政治が何とかなっているのは(実は「レームダック現象」のように結構止まってるのですが)、「大統領権限の強さ」及び「習慣的に党議拘束が無い」ことが挙げられます。実は日本の首相も法制度上は非常に権限は強いので(後述)、違いとして大きいのは「習慣」でしかない党議拘束の面です。アメリカ議会においても党の決議というものはありますが、党の決定に反した投票を行っても除名されるというようなことは滅多にありません。従って、大統領が少数派政党所属でも野党の一部を引き抜いて政府法案がとおってしまうことが良くあります。もちろん一部と言えども説得するためには、法案の修正などを余儀なくされることも多いですが、「0か100か」ではなく話し合いで妥協案が作りやすいということです。野党の中核が認めてくれる(かつ与党が我慢できる)ような修正は困難ですが、野党の一部を納得させるだけなら説得でなんとかなることが多い、という感じです。「与党40、野党60、このままじゃ法案通らないので、修正して野党から20人賛成に取り込み。修正を批判して与党から8人離反したけど可決」なんてことを日常的にやっているのが米議会です。
当然ながらアメリカでも日本でも「党議拘束をどうするか」というのは政党内部での独自の取り決めであって、法律で規制しているものではありません。
イギリスではそもそも「ねじれ」は問題になりません。第二院が「貴族院型第二院」であり、貴族院型の通例として非常に権限が弱いからです。貴族院が否決しても庶院が可決していれば、再議決等もなく法案は成立します。
ただ、この両院の権限については「細部」というより「大枠」に近い部分です。日本でも衆議院の優越具合は憲法上で定められています。ちなみに「日本の参院は強すぎる」とよく言われますが、政治制度論的にはこれは怪しい話です。確かに「貴族院型第二院」の場合は第二院の権限が非常に弱い(しばしばイギリスのように形式的存在)場合が多いのですが、日本のような「民選型第二院」や「連邦型第二院」の国では「ちょっとだけ第一院が強い」というのが標準で、日本の参院の権限は(どちらかと言えば強い方には入りますが)「第一院がちょっとだけ強い」の範疇に収まる話です。
●(なぜ)ねじれた時点で機能不全になる仕組みがまかりとおっているのでしょうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E9%99%A2%E5%88%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%99%A2%E5%88%B6
あたりをご参考に。
もちろん二院制には欠点も多いのですが、実は世界の主流は二院制です。一院制をとっている国は「軍事政権or一党独裁時代の歴史的な経緯を引き継いでいる国」もしくは「人口数百万以下の小国」が大半です。
確かに二院制は本質的にねじれ可能性を内包しています。にも関わらず二院制が主流だということは、多くの国が「ねじれ」を始めとする二院制のデメリットよりもチェック&バランスのようなメリットの方が大きいと判断している、ということです。
制度論としての正面からの回答としては「なぜ両院の与野党構成がねじれた程度で簡単に機能不全になるんだ?ねじれ議会なんて良くある事じゃないか?」という話になります。
実は(二院制とは別の側面ですが)日本の採っている議院内閣制は、行政府の安定性が最も高い制度になります。強い大統領制や、大統領と首相が行政権を分け合う半大統領制は、議会勢力と行政府の代表が独立した選挙で選ばれますので、制度の本質として行政府と議会の一致を担保していないため(両院間の対立ではありませんが)、行政府と議会の対立は議院内閣制より遥かに起きやすいのです。フランスのコアビタシオン時代にせよ、アメリカ大統領の任期後半(たいてい議会が野党多数です)にせよ、ひどい政治停滞にはなっていないわけで、普通はねじれても何とかなるよ、というのが民主主義国一般での実績なのです。
●それとも二大政党制の作法を政党も国民もマスコミも知らないのが問題なんでしょうか.
そもそも二大政党制と「ねじれ」とは直接的な関係はありません。
議院内閣制の日本では「ねじれ」が「両院対立」として現れましたが、「ねじれ」の問題点の根本は「行政と議会の対立」なわけです。この対立は「一党が圧倒的に優位で行政も議会も常に押さえている」という(自由主義的民主国家としてはかなりレアな)状況でない限り、しばしば起こる方が普通な訳です。
「作法を知らない」とするなら「二大政党制の作法」ではなく「議会制民主主義の作法」というべきでしょう。そもそも英米以外の大国はほぼ常に連立政権ですので、どの政党も最終的に何らかの妥協すること無しには政策が実現しないため、閣内/閣外双方の政党間での政策のすりあわせや、政権交代/政権与党組替時の継続性、について不文律が確立しているケースが多いです。
「日本の政治制度は大枠としてはごく標準的なもの。それが上手く行かないなら、制度大枠に起因する本質的な欠陥ではなく、日本特有の事情による欠陥と考えた方が良い」
ということになると思います。(その特有の事情って何だ?という話は政治制度論の範疇を超えますので、ここでは省略させてください)
もし「ねじれ」のような問題を解消するなら、制度論から言っての解決策自体はいくつもあって、例えば
・狭義の「制度」面からの解消→イギリス流に実質的一院制にしてしまう。
(自由主義的民主国家において最も行政府が強力となる政治制度は大統領制ではありません。議院内閣制&一院制の組み合わせになります)
・運用面による解消→アメリカ流に各党が党議拘束を外し、個別の議論で成否を競う。
の2つの方法なんかは、二大政党との相性に100年以上の実績があります。日本の国会の「ねじれ」については制度の大枠の問題、運用面での政治行動の実態の問題、の双方が重なったゆえに生じているので、どちらか片方の解消だけで解決するはず、という考え方ですね。
最も前者は憲法改正が必要な点で、後者は政党の内部規定という法律で縛りにくいものである点で、実現可能性が非常に厳しいのですが。
頭の体操で高齢者と柔整師と外国人をつまみ出すっていう発想はいかがなもんなんだろうか?
そりゃあ、100年くらい前だったら実に斬新で魅力ある発想だったのかもしれないけれども。
んじゃーね、横だけどちょっと俺も頭の体操してみる。
まず、国民健康保険、これやめよう。
民営化しちゃおう。
強制加入を義務付けて、(ただし、保険会社はどこでもいい)国民皆保険制度だけは維持って方向で。
いまさ、収入に応じて掛金が決まるけど、普通の医療保険みたいに、病気や事故に合いやすいヒトほど掛金が高くなる方式にしちゃおう。
そりゃ税金は投入はするけどさ、保険会社だってお断りしたいような人も保険にいれないとならんからそのぶんの補填にね。
いまよりずいぶん安く上がりそうじゃない?
セコムあたりに売っぱらおう。
国がしっかり管理しないとダメとか言われそうだけど、薄給なセコムの警備員に警察の給料払ったらいい仕事してくれると思うよ?
有事の際だけ外注のほうが安く上がるんじゃねーの?
え?中国が攻めてくる?
むしろ中国に外注しようぜ。
アメリカ軍雇うより人民解放軍のほうが安くレンタルしてくれそう。
とりあえず東京を。
六本木とか今だってガイジンのほうが多いんだもん、日本じゃなくなってもいいんじゃないかな?
東京を追い出された都民の一人でも、尖閣諸島とか竹島あたりに住んでくれたら美味しいな。
24時間風呂で、50インチ液晶テレビがあって、国産車が五台くらい並んでる大豪邸。もちろんセコムしてるぜ。
しかし、東京に中国人がたくさん住むと、ダサイタマに住んでいても喉元にナイフ付きつけられたみたいで安心出来ないし。
ゴーンあたりに公務員のリストラを頼みたいけど、あ、ゴーンはフランス人か。まあいい。
総理はジョブズに。
神プレゼンに期待。
ジョブズは余命が短そうだから、名誉とやりがいのある仕事を引き受けてくれるんじゃないだろうか。
国営SNSを作ろう。
国民全員にアカウントをつけて、ジョブズ内閣のもとに一人一票を実現するんだ。
法案の可決否決は全部国民投票さ。
アカウントでヒモ付きにすれば都合が悪い意見言うやつとか都合が悪い票を入れるやつを簡単にぶっ殺せるしってのは内緒な。
ツイッターやフェイスブックと競合するようなサービスをして、できるだけ向こうの情報に触れないようにさせたいな。
出会い系っていうか、お見合いパーティーってか、もう面倒臭いからトントンっと合同結婚式だ。
面白くない?すんません。
今できてますよ。下記、そんなに特異な例でもないと思います。
もうすぐ2歳の子どもが1人。私も妻もフルタイムで正社員。勤務は東京。双方ともに実家は新幹線で3時間以上圏。近しい親戚も近くにはいない。
妻は産前産後で合わせて1年弱の産休を取って復職し、子どもは0歳時の頃から20時までの延長保育で保育園。通勤に1時間くらいかかるのでどちらかは19時には退社する必要あり。先日、子どもが夏風邪をひいたときはお互い会社を休めなくて病児保育を利用した。
ということで、いつも通う保育園と上記通り有事の病児保育以外は、属するコミュニティなし(利用サービスなし)。
という状況/環境ですが、上記以外シェアできるような特記事項はないのですが、でも何とかなりますよ。確かに子どもの突発的な急病のときに、どちらかの母が近くにいれば随分と楽になるだろうなと思うことは何度かはありましたけれど。
子どもが病気になれば、病児保育を使わない限り会社を休まないといけないけれどしようがない。どちらかが出張や深夜勤務になれば、片方が必ず19時に退社する必要があるけどしようがない。
仕事は他のだれかができるけど、子どもは親がいないと生きていけないので天秤にかけるまでもない。我々双方の職場に理解があるからそう言えるかもしれないけれど。そしてもしかしたらそうしにくい会社もあるかもしれないけれど、原則はやはり天秤にかけるまでもない。
子どもはもう一人欲しいなと思っているが、もしできたら妻が同じように1年前後休職する必要あるものの、基本の運用に変わりはないため問題なし。もちろん子どもの突発的な急病の確率が高くなってしまうけれど。保育園が終わってからが未知の領域で今は想像ができないのですが。そこまではとにかく何とかなる。
先日の日経を見てびっくらこいた。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100708k0000m040030000c.html
http://www.pref.toyama.jp/cms_cat/404030/kj00000275.html
日ソ間も「冷戦」だったのだが、そのころに見たTBS系「報道特集」で、
ソ連太平洋艦隊が「逆さ極東地図」を掲出していた画像が印象的だった。
「いかにソ連太平洋艦隊が、日本列島に進路を阻まれているか、を
ビジュアル的に実感できる」からである。
言われてみれば、そのころ「三海峡封鎖論」なんてのもあった。
「有事」に太平洋艦隊進撃を三海峡で「阻止」できるか、が軍事的議論になっていた。
「冷戦時代の遺物」のような気がしてならない。
というより、富山県側は「環日本海友好のシンボル」として販売していても、
逆さ地図を「ウラジオストクの上に覆いかぶさる邪魔な日本列島、を印象付けるためのシンボル装置」
として利用している危険性はないか?
(つまり、未だにロシア海軍は日本を仮想敵として、三海峡を軍事的に攻略したい、と
考えてはいないか?)