そんな枝野官房長官や東京電力の会見を盲目的に信じる人、そもそも気にも止めない人の多さに唖然とした。
僕は「彼らが重要な情報を隠してプロバガンダをしている!」みたいな事を書きたいわけじゃない。
ただ日本人は平和ボケが過ぎるんじゃないか、と思わざるを得なかった。
原発に対して何の知識も持たない私たちにとっては恐ろしいワードが並ぶ。
初期の段階では、放射線の単位の使い分けやその影響もはっきりしない報道が多かった。情報の錯綜が続く中で正確な状況を把握出来ていた人はほとんどいなかっただろう。その証拠に不安を煽るような報道、デマが横行し、政府の発表はコロコロと変わった。
また「東電も認める」の表記からも分かるように、東電からの情報開示すら遅い、上手くいっていないという印象を受ける報道も多かった。
そんな状況で発表される「ここまで避難すれば影響はない」といった情報は考えなしに信用できるものだろうか?
繰り返すが、僕が言いたいのは「プロパガンダに警戒しろ、自分の命は自分で守れ」なんてことじゃない。
ただ自分の「生命」に関わりうる非常事態に対して、あまりに無頓着なのではないかと思うのだ。
どうしてこうなってしまったのだろうか?背景には日本社会が保証してきた「安全神話」の影が見える。日本国は外国であれば大災害になる震災や事故に対しても、優れた対応力を発揮し、国民の安全をほとんど完璧に守ってきた。しかし長い間保証されてきた安心感は、やがて神話となって僕らの中に刻み込まれてしまった。
もちろん「神話」という言葉のとおり、日本は絶対安全な国などではない。今回の原発事故はその不完全性を強烈に示唆している。しかし、明らかに異常事態が起こっているにもかかわらず、多くの日本人はまるで危機感を持っていない。「原発のことなど知ったところで自分に何が出来るか」と思う人も多いだろうが、そうではなく知ろうともしない態度が問題なのだ。
どうせなんとかなるでしょ?誰かがやってくれるでしょ?そんな無関心な人が増え続ければ、有事に対する適応力はどんどん落ちてゆく。災害は如何に対策しようが、いつか必ずやってくるものだ。僕らは神話を打ち破り、その時に生き残る力を取り戻さなければならないのではないだろうか。
知ってもどうにもなりません。 お金がなきゃ避難もできません。