はてなキーワード: 二日酔いとは
https://anond.hatelabo.jp/20190501110405
遺伝的下戸。酒が全く飲めない。飲むとすぐに二日酔いと同じ症状になり、ビールコップ1杯で吐く。自分と同じ下戸が日本には人口の5%いる。約六百万人だ。北海道の人口より多い。千葉県の人口と同じぐらいだ。
こんなに多いのに、いい大人になっても、飲み会で酒を全く飲まないと不思議がる人がいる。車で来たのかとか、体調悪いのかとか、聞いてきたりする。遺伝的下戸と、上戸が体調で酒に弱くなることの区別がついてない。この人の知り合いにも、確率的に必ず遺伝的下戸が存在するはずだし、あけすけに遺伝的下戸だと説明する人もいたはずだ。なのに、大人になってから何十年経っても、この世に下戸がいる事を知らない。
自分も中年になってだんだん分かってきたのだが、世の中には、他人は皆自分と同じだと思っていて、少数派の存在を認識しない人がいる。「自分は普通だ」「少数派の要望は身勝手なワガママだ」「だから少数派の要望は無視していい」、そう思って生きていくうちに、少数派の存在そのものを認識できなくなってしまうのだろう。
遺伝的下戸が人口の5%程度であることを考えると、大体、このぐらいの比率から、存在を認識されなくなる。だから、LGBTは人口の3.3%だそうだが、LGBTの存在を認識できない人がいても特に驚かない。人口の3.3%、岩手県と秋田県と青森県の人口を足したよりも多いはずだが、そういう人にとっては「普通じゃないのがおかしい」で終わりなのだ。
母親学級の重しをつける奴、そもそも妊娠中腹が重くて辛いみたいなのはあんまり無かったような。
個人的にはモンハンの卵運搬ミッションを毎日やってる気分でしんどかった。お腹を気遣って機敏に動けないし、なんかの拍子にミッション失敗になりそうで怖くてなあ。
悪阻は個人差ある。酷い人だと水分が取れなくて入院になるのよーって女医さんが言ってた。
自分の場合は風邪引いた時のダルさと異様な眠気、お腹側にエネルギーを割いてるせいか平常時より疲れやすくて、坂をちょっと登ったら貧血で視界がキュッと狭くなるとか、臭いに敏感になって普段は大丈夫なご飯の匂い人の体臭や下水の臭いでゲエゲエやってた。悪阻は二日酔いによく例えられるけど、二日酔いするほど飲んだことが無いからわからん。お腹は空いてるはずなのに胃が一口も食べ物を受け付けない感じが不思議だった。咀嚼しても飲み込めないんだよね。
あと地味に辛いのが生もの、カフェイン製品避けなきゃいけないこと。自分の親の時はそんなの気にしなかったよーって言ってたけど。
風疹のワクチンは小さい頃に受けてたけど抗体がつかなかったから流行ってる時期は外出るの怖かったな。
妊娠後期になるとつわりの症状は落ち着くんだけど、なんか骨盤がぐらぐらしてくるんだよね背骨のあたりがズレるような感覚があって気持ち悪かった。
胎動は夜中に激しくなるので夜上手く寝付けなかったりとか、眠りが浅くなるのか毎日毎日夢を見るのが嫌だった。
急激にお腹が大きくなったせいで周囲の筋肉が引っ張られ、呼吸が浅くなるほど腰と背中が熱く痛む時があった。
せっかくつわりの吐き気が落ち着いたのに、今度は胃が子宮で押し上げられて苦しいし、ご飯を食べるとあばらが圧迫されてめっちゃ痛い。
お腹でかくなってからはお腹がつっかえて苦しくてパソコンに向かえないのが辛かった。
でもそれを体験しろっていっても無理だし、配偶者にはこんなしんどいの体験して欲しくないと思うし、こっちが辛いですって言ったら大丈夫かねって気遣ってくれればそれでいいんだよね。
てか人体すごくない?
大人になったらもう身体はすっかり出来上がっててこれから新しい組織も増えず、組織の場所も変わらなさそうじゃん。
他の臓器をぐいっと押しのけて場所作って、人間をもう1人お腹の中で育てるってすげ〜。そんな余剰なエネルギーあったんだ。元々そういう風に出来てるんだもんな。長らく喪女だったからさ、自分も猫とか犬とか猿とかゴリラとか何でもいいんだけど生物の一種なんだって実感したよ。バーチャルな存在じゃなくてさ。でも胃が圧迫されて辛くなるのとか、ちょっと人体の設計ミスじゃね?って思うわけよ
最初から胎児分膨らんでも大丈夫なマージン作っててほしかったわ。
てか、男の人の方が性差で体力もあって筋力もあるので、そっちが子宮持ってた方が色々安定するのでは?!って思ったけどなんでなんだろね。タツノオトシゴはオスが卵抱えるよね。蜘蛛はメスの方が身体でっかいよね。
オスが狩りに出る役割があったから?でもライオンはメスが狩りをするよね。
もしくは女も男と同じぐらい体力のある風に作っておけばいいと思うんだけどなんで一緒にしなかったんだろ。おっぱいと両立できないんですかね。パワーと包容力を兼ね備えたハイブリッド、最強じゃないですか?
私がDNAだったらそうしてた。
・面倒な仕事はやらなくていい
公務員は数年で部署異動があるから、面倒そうだったりやりたくない仕事は知らん振りしておけばその内異動のお声が掛かる。面倒な仕事に関わらなくて済む
・年功序列
雑務は後輩がやるし、何もしなくても主任まではなれるから給料は年々上がり続ける
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上で書いたのは自分と同じ課にいる8年目の先輩のことです
二日酔いで帰るにしてもわざわざ口に出すな。それ面白いと思ってるのお前だけだぞ
上部機関からの訂正指摘2年間無視した挙句俺に押し付けようとしたよな。何故やらないのか問い正したら「関連する課に嫌な顔されたくなかったから」だと。は?それ理由になると思ってんのか?大体関連課だって上部機関からの指摘なら嫌でも協力せざるを得ないわ。やりたくなかっただけだろ
お前から引き継いだ仕事どれもこれも法に則ってないけどこれ大丈夫なの?お前に何のお咎めもないの納得できねえぞこれ 俺が毎晩毎日休日返上で日付変わるまで残業して一つずつ改善してる隣で欠伸しながらデッケェ伸びしてるけどお前特に何の仕事もしてないよな??
「俺子供できたら絶対公務員にさせるわ、何もしなくても給料上がるもんwwww」じゃねーよ
公務員の年功序列制度は廃止したほうがいいし異動は見直したほうが良いし、何よりもっと事業成績を気にしたほうが良い
公務員の世界を成績主義にしてうちのクソな先輩みたいな奴らを一掃してくれ
少なくともやらなきゃいけないことをやらない奴は公共の奉仕者として失格だろ
俺は民間出身で公務員になったけど、世間でよく言われる「公務員より民間の方が大変」という言葉がそんなに好きじゃなかった
公務員もめちゃめちゃ大変だよ
少なくともクソ先輩は民間だったらずっとヒラだもん
誰かこいつを懲戒免職にしてくれ
郡山は雨だ。
文字通り真っ暗な車窓に、水滴が張り付いている。
少しでも遅れると困る。このまま大宮まで在来線を乗り継いでいかなければならない。
グーグルからの通知で、宇都宮から遅れているとの情報を受け取る。
日付が変わる頃には家に着いていたい。
土曜の7時過ぎ、平日なら都内の方面へ向かう大宮駅の在来線ホームにいるはずだが、この日は打って変わり、新幹線ホームにいた。
金曜の夜のうちに、鳴子温泉の宿を取っていた。
昨晩熟睡できたおかげか、頭はすっきりしている。
少なくとも午前中には宿に着いてしまう、余裕を持ちすぎた旅程だった。
出発の5分前に新幹線は入線した。構内のブックエクスプレスで買った本を読みながら発車を待つ。
雪が降っていた。
西口のペデストリアンデッキの隅々には黒く汚れた雪がそこかしこに避けてあった。
本来なら、鳴子温泉にまっすぐ向かうのであれば、古川行きの特急券を用意するのが一般的だが、気分の変わりやすい私は、なんとなく先のことを見越して仙台行きでやめておいた。
別に、仙台から東北本線、陸羽東線を乗り継いで行っても問題ない。
また、結果的にその通りになったのだが、仙山線に乗り迂回しながら鳴子温泉にも行ける。
コートのポケットの中には行き先指定の乗車券ではなく、乗り降り自由の周遊券が収まっている。
これでふらふらと時間の許す限りどこまででも行ける。
雪を見たら必ずどこかに行きたくなる。
仙台に降った雪にそそのかされ、仙山線で山寺を目指すことにした。
山形県境を超えると、雪が濃くなった。
車窓には白色が占める割合が高くなり、車輪が雪を踏みしめる音が聞こえる。
私は学生の身分から社会人になったが、仙山線のこの風景は何も変わってはいない。
立石寺までの道のりや、参道の茶屋の雰囲気、何もかもそのままだ。
昔のことを考えていたらなぜか気恥ずかしくなり、1時間半滞在した後、すぐに山形方面を目指した。
あの頃は、貧乏学生で新幹線なんて使えず、全て鈍行での旅程だった。
駅前では旅館のおかみさんがボートを手に掲げ、待っていてくれた。
一晩お世話になる宿は、とても素晴らしいものだった。
なによりも、お湯が最高であった。
鳴子の湯は、湧き出る箇所によってその特色が全く異なる。
今回の宿は、これでもかというほど白く濁りきり、硫黄の匂いで脱衣所どころか、宿全体が溢れていた。
2階建てですべてが和室。こたつにストーブ。更には湧き出る源泉の温度を利用したヒーターが備えてあった。
夕食後は湯に浸かり、酒を飲んで、気付くと朝を迎え、あっという間にチェックアウトをしていた。
かつての震災。実家が青森の私は、知っておくべきことではないかという観念があった。
整然としている。真っ先に思い浮かんだ感想。
列車の中で見た女川までの車窓は、やはり想像していたとおりだった。
復興の力とはすごいものだ。震災直後の町の有り様は、詳細には私にはわからないが、一つだけ言えるのは、さっきまで見ていた車窓とは全く異なっていた、ということだ。
これこそが活気だと感じた。
だか、確実にここには人が住んでいる。そういう気分にさせた。
私はその後、今日何度目かの温泉に浸かり、土産を買い、ただの観光客という身分でそこにいた。
観光客でいられるということは、よく考えてみれば、それはもう立派な町だ。
間違いなく東北は立ち直ってきている。一部分の一瞬を切り取っただけを見た私が言うのは甚だ軽薄で軽率であるが、そう思わずにはいられなかった。
一年前、仙台から鈍行で東北本線を上ったことがやけに懐かしくなり、私は300km超の道のりをゆったりと列車に揺られている。
残りの時間は少し眠ろうと思う。仙台で少し買いすぎてしまった酒がもう底を尽きた。
なんとまあ奔放で堕落した2日間だっただろう。
どうやら風邪だわ、これ。
先日牡蠣しゃぶしたのが、
それがもしかして当たったのかしら?っても思ったけど、
そもそもとして、
厚生省の牡蠣食べガイドラインでは90秒以上加熱することってあったんだけど、
もっと加熱するべきだったのかしら?
あくまでなんだか90秒という時間は短すぎるかも知れないんだけど。
それに
なんだか熱っぽいし。
朝体温計で体温を測ってみたけど、
何度やっても平熱にならないのよね。
いい加減平熱でないかしら?って、
もうさ、
おみくじじゃないんだから大吉出るまでムキにならなくても良いじゃないって思うわ。
お腹痛いのは勘弁よ。
ずっとお腹も痛いわ。
まあそんな弱音を吐いている場合じゃないのは分かってるの、
葛根湯は諸症状が出る前に飲まなくちゃ
効き目がないってことに気付いて、
そんな出始めるまえって分かんないわよね。
食欲もないのかあるのか分からない感じ。
うー。
トマトサンド、なんかあっさりしたものが良いかなと思ってそれだけにしました。
ホッツするわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
飲みすぎの二日酔いじゃないん
もう15年くらい前の話なので状況は変わっているかもしれないけど。
高卒で電電公社に入社してインフラ開発系一筋で大手町に勤めてた父の話。
もちろん、有給は全部消化。
二日酔いの日は「2時間年休」と言って、遅刻も有給でなんとかしてたり。
なので、定年退職まで平社員だったけど、月に2、3回は週休3日みたいな感じだったな。
給料は50代くらいで額面800万円くらいで頭打ち。40代までは額面400万円程度だった記憶がある。他のサラリーマンの親よりうーんと安いなと感じていた。
家は社宅のち電電公社が開発した一戸建て住宅街に格安ローンで購入。
ホワイトっちゃホワイトだったけど、母親の「ウチはビンボー」の言葉を信じて進学断念しかかったのはなんだったんだろ。
今思えば、恵まれていたんだとは思う。
「徳利の注ぎ口から酒を注いではいけない」というマナーがまた吹聴されている
「円の切れ目」=「縁の切れ目」を連想するから上司相手だと失礼だということらしいが解釈違いも甚だしい
あれはそんなネガティブな意味でなく、願掛けの意味合いの方が強い
縁を切る、と考えるのは間違いではないが、その相手は「人」ではなく「酒」である
(正確には酒に宿る神なり憑物なりなんだけれども)
・酒への耽溺は身を滅ぼすから、執着を断ち切って程々で済ますように
・また、酒は尾を引き二日酔いになりやすいから、そういった影響を断ち切るために
といった考えも含まれているのだ。
逆に注ぎ口を避けて注ぐことは、相手に悪影響を与えたい、酒で身を滅ぼしてほしいという様に捉えられるので本来忌避すべきである。
偶然もチャンスに変える生き方が好きよ!
今朝方さ、
これってすぐさま交番に届けに行った方がいいのか?
行った道を探しに再び戻ってくるのを待ってたらいいのか?
うーん悩むわね!
なんか一応金券だし、
ここは清く正しく美しく生きている私としては
出頭という意味では緊張感が走るわよね。
別に悪いことしてないんだけど、
なんかそんな緊張感にも似た感じかしら。
で拾得物の届けをして、
だってもしSuikaに入ってるマネーが2億ぐらい入ってるとして
それを手がかりにネコババしただろう!おまえはおまえは!って
マフィア的な人に消されるのだけはゴメンよ。
少なくとも数千万円は入ってるはずよ!
まあそんな危なっかしいものは
でさ、
いつも思うんだけど
一応の連絡先とか聞かれて書くんだけど、
それが本当に私の情報だとかと言うことは
正しいかどうかとかは限らないわけじゃない。
もしかしたら、
本官さんたちは、
こっちがドキドキしてるかどうか
嘘を書いているんだとかどうか
見抜いてるんじゃないかしらって?
そう言うことも聞いてみたら、
拾ったもの持ち主に戻るといいわね。
うふふ。
頭が痛いわ。
午後までには回復よ!
なんか最近ドラゴンフルーツがよく近所のスーパーとかで売られてるのをよく見るのよね。
もしかしたら、
アジア圏からの訪日観光客さん達が喜ぶから仕入れてる寸法なのかしらね?
よく分からないけど、
私は好きだからよく買えて嬉しいわ。
赤いのはまた食べたことないので
赤いの食べてみたいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
【2000年夏】 就活開始 合同説明会、業界研究などなんとなく嫌で参加せず
【2001年】 2社+教職に応募するも、もともと無理筋であえなく全敗。数名のモラトリアム組と一緒に社会人になっていく友人を祝う。
【2002年春】 大学卒業、実家ぐらしのフリーター生活スタート。バイト先は大学時代から続けていた飲食店。フリーターのくせに4月から2ヶ月ほど東南アジアバックパッカー。
【2002年秋】 就職。 東京資本のブラック営業職。月収25万程度、ボーナスなし
【2003年秋】 一人暮らし開始。月収25万円と変わらず、ボーナスなし、家賃6万程度(県下最大の繁華街直ぐ側だったため、毎日飲み歩き貯金はゼロ、二日酔いで仕事に行き職場のトイレで嘔吐すること月に何度も)
【2004年春】 最初の職場退職。単純に仕事が楽しくなかった。残業もせず営業成績はノルマギリギリアウト、給料はしっかりもらってたので風当たりも強かった。
移行失業保険3ヶ月分で食いつなぐ、というか飲みつなぐ。
【2004年初秋】 失業保険切れて家賃払えなくなったので肉体労働のバイトを始める。日給8000円。と同時に就職活動を始める。時代はライブドア・ショック前夜、時代はITだなとWEBマーケティングやWEB制作系の本を図書館で借りて読み漁る日々。ホントは半分以上小説借りて読んでた。
【2004年初冬】 地場零細IT企業に就職。月収19万円程度、ボーナスなし。職種は地場工務店廻りのルート営業
【2005年初頭】 東京営業所開設に伴い転勤(もともと東京勤務条件で就職)家賃は半額補助だったけどまたたくまに困窮する
【2005年秋】 勤め先破綻、自費で地元に戻る。当然すっからかんで実家に逃げ込む。幸運にもWEBマーケティング担当として勤め先の顧客であった食品流通企業に就職月収20万程度、ボーナス年間3ヶ月程度移行心を入れ替えて勉強しつつ学びつつ、ちょうど地域ブランディングブート相まって2008年ころまで県下の業界ではちょっとした有名人に。ただし昇進もせず給与もあまり上がらない。
【2010年春】俺を招いてくれた社長、勇退。反りが合わなかった重役が社長に。広告予算を掌握していた俺がじゃまになりあからさまに社内の風当たりが強くなる。恩義もあったが転職を考え始める 同棲解消、独り身に
【2010年秋】地元の広告代理店に転職。前職でコネクションが作れており、仕事の評価も広がっていたので苦労しなかった。月収30万円、ボーナス2.5ヶ月程度。色んな会社のブランド開発、広告運用を担当する楽しい日々。
【2015年春頃】クライアントに対して某グローバル営業支援システムの導入をコンサルする新設部署の責任者に 。 年収550万円ボーナス込。 結婚
【2016年春】 住宅購入(3500万円 うち2500万円35年ローン)
【2018年春】 38歳 クライアント企業に転職。地場中堅流通業。経営企画責任者 年収700万円査定ボーナス 第1子誕生。幸せ。
Day 0
出発前
「でも旅行、行きたいでしょ?」
何となく、この歳で目覚めた海外旅行の感動がまだ冷めない今年の内に、憧れのある国には行っておきたかった。
うだるような暑さの中、突然起きた喘息、2年来続く人間関係の秘めた悩み、家族からの今更の衝撃告白など、色々な事が起きたりおきなかったり。
解決出来ないことは保留にして、目線を逸らすように仕事に打ち込んだ、その結果、秋に入って突如、生まれて初めて自律神経失調症になってしまった。
日中でも襲ってくる二日酔いのような頭痛と食欲不振、将来への絶望感。
「これは旅行は中止かなぁ」そう思いながらかかった心療内科で先生の対応はあっけらかんとしたものだった。
「安定剤と睡眠薬出して起きますから、しばらくそれで様子を見て、休むのが一番なんで、会社は相談できれば長期で休むのがいいですね。不調で休んで旅行に行くのは聞こえが悪いですけど、まあ割り切りましょう。名所も行きたいでしょ、せっかく計画したんだし。」
「それはあります。でも新興国って緩いですよ。あっちも外貨欲しいんで。自分で使わないような大量を持ち込んだらダメですけど、私もポーチに睡眠薬とか詰め込んで行きますもん。」
「はぁ。そういうもんですか」
「じゃあ私も明日から旅行なので、次の来院は2週間後でどうです?」
そういや待合室にノルウェーだかフィンランドだかの雑貨の本があったな。
先生が旅行を激推しするのは本人が旅行趣味だからかも知れない。
こうして生まれて初めての自律神経失調症を抱えながら、生まれて初めてベトナム・ホーチミンを訪れる事になった。今回も台湾・香港に引き続いて一人旅だ。先生がどこに行くかは聞かなかった。
旅程は3泊5日。
読んでくれたら嬉しい。
【1】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 1|1日目 成田、ベトナムの翼、タンソンニャット へ >>
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これまでの旅行