もう15年くらい前の話なので状況は変わっているかもしれないけど。
高卒で電電公社に入社してインフラ開発系一筋で大手町に勤めてた父の話。
もちろん、有給は全部消化。
二日酔いの日は「2時間年休」と言って、遅刻も有給でなんとかしてたり。
なので、定年退職まで平社員だったけど、月に2、3回は週休3日みたいな感じだったな。
給料は50代くらいで額面800万円くらいで頭打ち。40代までは額面400万円程度だった記憶がある。他のサラリーマンの親よりうーんと安いなと感じていた。
家は社宅のち電電公社が開発した一戸建て住宅街に格安ローンで購入。
ホワイトっちゃホワイトだったけど、母親の「ウチはビンボー」の言葉を信じて進学断念しかかったのはなんだったんだろ。
今思えば、恵まれていたんだとは思う。