はてなキーワード: 中学生とは
15年以上前、アラサーだった自分は新人文学賞などを目指して小説を書いていた。
土日の大部分は小説を書く作業と、小説を書く人が集まる社会人講座の授業に費やしていた。
5年位は続けていたが、やめてしまった。
自分が書くべきことが次第に思いつかなくなってしまったことと、他の受講者の作品や本屋さんで売っている小説を読んでいるうちに、自分には向いていないしセンスがないことがだんだんわかってきたからだ。
ところが最近、自分のパソコンのフォルダを漁っていたらその頃の小説のpdfが出てきた。書くのをやめてばかりの頃は恥ずかしいし痛いから二度と読むまいと心に決めていたが、今の心情としては死ぬ前にあと1回位は読んでもいいかもしれない、小説の見え方も書いていた当時とは大分違うかもしれないと思い、斜め読みでもいいからとりあえず読んでみることにした。
登場人物やあらすじについては触れない。
A
小説を書いてみたいと思って社会人講座に通い始めて間もない頃に初めて書いた。原稿用紙350枚ぐらい。
登場人物の言葉遣いが汚い。直情的すぎる。登場人物の中でホモと疑われる教師がいたのだが、今の時代ではアウトすぎる表現だった。
物語の展開が都合良すぎる。
恋愛描写がくどい。多分これが、よく言われるところの、素人のおっさんが初めて書く小説にありがちな痛さかもしれない。
書いてる時には恐らく頭の中で見えていたはずのものが文字になっていないからなんのことだかわからない記述がある。
過去の知り合いを物語の中で過剰に美化している。つまり、自分の当時の人生観が未熟で甘いということだろう。
主人公がずっと目指していた目的地がいつの間にかすり替わっているのに物語中では一切理由がわからない。
親の心とかの描写が表面的すぎる。
内容をほとんど忘れていたので次の展開が読めないところは楽しみでもあった。
瑞々しい恋心みたいなのはちょっとよみがえった気がした。今よりも恋愛至上主義が強い世相の中で流されつつ抱いた渇望感みたいのを思い出した。
小説すばる新人賞に応募したが1次選考にも残らず。当時はなんで?なんで?って感じだったが(それも恐ろしいことだが)今読めば選考に残るわけないのは十分納得。
B
Aの2年後ぐらいに書いた。原稿用紙500枚。
主人公の思考、社会への目があまりにもすさんでいる。それは当時自分がそうだったことの裏返しだろう。
弱者を執拗に否定しようとする力の存在をことさら強調し絶大視しようとする描写がいくつかあって、それが自分の人間的未熟さというか卑屈さを浮き彫りにした。
犯罪のトリックが稚拙。USBメモリ紛失をでっち上げただけで大企業の情報漏えい事件発生というのは無理がある。
簡単に人が死ぬ。こんなに登場人物をたくさん殺しているのにその必然性も後片付けもないと、当時通っていた講座の講師にも指摘された。
書いた当時の10年後つまりここ最近の時代が舞台なのに、現代のキャッシュレス社会を予見できなかった。虹彩認証でコンビニで1000万円までの現金を下ろせてしまうという設定にはあまりにも無理があった。
刑事がすぐに暴言を吐き暴力を振るう設定が安直すぎる。下手をすれば職業蔑視とも受け取られかねない。
いい奴の主人公が最初のシーンだけめっちゃ嫌なやつ過ぎてその後のシーンでの性格とあまりにも整合性がつかなすぎる。
氷河期世代負け組アラサー男性の絶望感と人生をやり直しの希望みたいのは出たと思う。
当時の自分は成功したあっち側ではなく、だめなこっち側の人間なんでこっち側の怒りや絶望を描いたつもりだったのが、その描写に卑屈なところがあるため、かえってこっち側の怒りを買いそうでなおかつあっち側からは苦笑いか同情でもされそうな残念感が今も残る。
「このミス大賞」に応募して、もちろん1次選考には通過しない。当時はそんなもんか、という印象だったが、今だったら通るわけないと十分納得。
C
Bを書いた後に、今度は誰も死なない話を、なるべく心温まる話を書こうと奮起して書いた。原稿用紙350枚。
登場人物で、モデルとなる実在人物がそれまでで一番多い。そのためか痛さが際立っている。
物語の展開にAやBほどまでの唐突さはないが、それでも十分唐突。
今どき年寄りしか使わないような方言を若者世代にまで喋らせていてあまりにも無理がある。
難しい命題を掲げておいて導き出した答えがあまりにも安直で稚拙。主人公は大学生なのにこれじゃ中学生かよって感じがしてしまう。
書いている当時は見えていたものを本文に描写していない(書いた気になってる)のでなんのことかわからないシーンが一箇所あった。
主人公のイチャラブシーンがくどい。がそういうのがいい人はいるのかも知れない。ただし、人物描写に深みがないからやはり読む人が読めばつまらない。
もし登場人物のモデルとなる実在人物にこんなのを読まれたらと思うと恐ろしい。
縁あって知り合いの編集者の方に読んで頂いたところ「よいところは何一つない」と断言され、大沢在昌の小説入門のような書籍で勉強することを真剣に勧められた。(一通り読んでみたが実践にまで及ばず自分の血肉とはならなかった)
小説すばる新人賞に応募し、もちろん1次選考に通過しなかった。当時の印象としては、やっぱそうだよなって感じだった。
D
Cを書いてから2、3年後に、通っていた講座の課題として書いた。原稿用紙100枚。
書くことがなくて無理やりひねり出した感が強く出てしまっている。
既存の小説のシーンを堂々とパクっている(ある小説で、土砂を積んだダンプカーが横転して人が生き埋めになるのを見て笑う男のシーンがある)
書いている当時頭に思い浮かべていたシーンと実際に書かれた描写とでまだギャップがある。
(全体を通して…)
読み返す前は「小説家になろう」とかにupしてもいいかなーとか思ってたが、読んでみると、、やっぱり、、、無理だわ💦
(追記)
増田の反応が意外と生ぬるい称賛みたいのが多くて拍子抜けした。
きしょっ💦💦
クソワロタwwwwwww
みたいのを想像してた。
時間と労力をかけて書いたものでも、客観的に見るととても拙く、世に出るレベルに至ってないというのが、趣味としてやるにもなかなか難しいところであることを実感した。
しかもそうやって自分の作ったものをある程度客観視できるようになるのに10年以上も寝かせるというのもある意味めんどくさい。
よく、10000時間修練すればいろんな趣味や技術はモノになる、というようなことを言われるけど、自分の場合、多分10000時間には届いていないのでまだ努力を続ける余地はあったのかも知れない。
(今じゃほとんど)自分より若いデビュー小説家や芥川賞直木賞受賞者の方は努力もすごいがやっぱりセンスとか目指してるものとか見えてるものが自分とは全然違うんだろうなと改めて思う。
あと、時代の移り変わりが早いのを改めて実感した。
LGBT関係やセクハラパワハラ、キャッシュレス社会、スマホや携帯、若者の言動とか、書いてる当時は気にならなくてもたった10年程度で違和感ありありなのがすぐに浮き彫りになってしまう。
(追記2)
ブコメの中で、自分以外の人に読んでもらったほうがいいというアドバイスをされた方がいたので補足すると、当時通ってた講座の受講生の方にはABCDいずれも読んでいただいたし、一部は友人数名に読んでもらう機会があった。授業で頂いた色んな人の講評などがノートに書かれていたはずだから、後でそれも引っ張り出して読んでみようと思う。特に、通っていた講座の講師の先生には要所要所の指摘やアドバイスを頂き、温かい目で見守って頂けたので今でも感謝している。
つまんなそうとかこんな増田じゃものになるわけないみたいなブコメもあったが、まあその通りだと思っている。自分は、仮に誰もが有無を言わさず好きでも嫌いでもとにかく原稿用紙1000枚ぐらい書いてみればとにかく書きさえすれば100人中50人ぐらいは自分のより面白いのができると思っている。本当に違うのは、書くか書かないか、ただそれだけだと思ってる。
(追記3)
E
ABCDより少し後に読み直した。
Dを書いたよりも1年前ぐらいに書いた。原稿用紙360枚。小説すばる新人賞に応募して、1次選考に通過しなかった。
地元に古くからあったドライブインや商業施設などを舞台として、20代の男女の恋愛とか和解などを描いた。
時代設定を明確に2011年としていたので当時と今とでは大きく時代が変わってしまったことを改めて実感した。
ブログとか掲示板、当時のネットスラング、どれもみな、今ではほぼ絶滅してるようなものばかりだった。
登場人物の人間性に触れるような描写はそれまでの中では一番ましだったと思う。
一方で、あらゆる出来事や現象に理由や理屈をつけなければならない、本文に記述しなければならない、というような思い込みを感じるところがあって、それが読者に違和感を感じさせる要因になるのではないかと思った。理屈じゃない出来事を理屈で説明しようとしている感じ。
ファッションや料理に関する描写が出てくるシーンを書くのが難しかった。その方面の知識や経験の浅さ乏しさがどうしても浮き彫りになってしまう恥ずかしさがあった。
書き始めた頃よりは少なくなったが、登場人物の直情的で暴力的な部分への違和感が残った。自分の中で、世の中はそういうものだという固定観念がまだ残っているようだった。
ABCDに比べて、読むときにもっと気恥ずかしさが残っていて、主観的な視点が抜けきれてない感じがした。
物語のテーマが大きく2つに割れてしまっていて、片方は潔く捨てるべきだったのかも知れないが、どう捨てたらもっと面白くなるのかはちょっとよくわからない。
みたいなセリフがあったはずのマンガのタイトルが思い出せない。
というか内容自体もよく思い出せない。
というか内容自体もよく思い出せないんだけど。
とにかく印象に残っているのはひとつだけ。
どこかの星に集めた少年少女たちの中から、自分の新しい身体を選んで頭をその身体に移植して若返る大富豪たちが出てくる。
もちろん主人公はその醜悪な老人たちから逃げ出す立場の人のはずなんだけど、
とにかく内容が殆ど出てこない。
でももう一度読んでみたい。
ただの老人ヘイトと子供大事っていうテンプレで適当に騒いでるだけでなんも考えてないよ
つーか「小学6年生は走り回って他人にぶつかるのが当たり前!」ってどんなキチガイな子供時代を過ごしてたんだよ
それで中学生になったら「公立中学は動物園!」って動物はお前だろと
「婆がグラウンドにいるのが悪い!」って婆が子供の目の前に瞬間移動してきたとでも思ってるのか?
それとも学校のグラウンドが6畳くらいしかないと思ってるのか?
学校のグラウンドだから子供がババアにぶつかるのは当たり前ってどんな状況を想定してるのか理解不能すぎる
それでも「グラウンドだから6割減殺」ってめちゃくちゃ小学生ってことに配慮された判決だと思うけど何が理解できないんだろうな
今思えば、刷り込みみたいなものもあったんだろうけど、小4ぐらいまでは全然人気なかったりする女子好きだった。
高学年とかでみんなで好きな子発表するとかで、みんなが好きそうな子(自身も嫌いではない)の名を挙げることにより
そういったこに注目するようになってしまって、好みが変わったというか一般化した。
今更、中学生の時に一緒に遊んでたグループの女子(女子4~5人いて、2~3人好きだった)、当時は全然注目してなかったEさんともっと仲良くなっておけばよかったと思い始めた
そもそも中学生でエロ撮影会させろと吹き上がる奴らが夫や彼氏になるのは論外すぎるし。
ネットで見てもチー牛が埼玉水着撮影会は中止にされて当たり前と言ってる様子もなく、チー牛の圧倒的多数が中学生でエロ撮影会させろと騒ぎ立てて、千人はそのごく一部だったわけで。
無理すぎるわ。
横だけど、例えば埼玉水着撮影会で中学生でわいせつな撮影をしていたから、もう公共のプールを貸し出しませんと言われて、エロ写真撮影会やって何が悪い貸せー!!と猛烈なバッシングや千人でデモやってたのは、集まった男たちを見ても間違いなくチー牛ですよね。
後日コスりまくってた鉄板エピソードの様子とかギリ覚えてないか。
なんか幼稚園の先生に、好きな食べ物を「ネギとタマネギ」と答えたエピソード、中学生ぐらいまで親が繰り返しまくってるから、今も記憶に残り続けている
子供の頃、生き物が大好きで将来は生き物博士になるんだ~とか無邪気に言ってたけど、
「お前は博士になれる人間じゃない、博士なんて稼げない、穀潰しになる為にお前を生んだんじゃない」って言われ始めて、
最終的には大学進学すら絶対反対されて断念、地元でちょっと有名な企業に高卒枠で入社した。
その当時は随分恨んでいたけど、
今となっては日本で成功できる知識職はアメリカの最高学府レベルで実績を残せるようなトップエリートの理工系か、
人々に適切な攻撃対象を提案し続けられる山師みたいな左翼人権派社会学者だけってのが分かってしまった。
政治的にも生物学なんて実益のない分野は選択も集中もしてくれないっての理解している。
貴重な資料を収集して博物館に収めたところで、維持管理費の無駄として破棄される。
働きだして分かったが、そもそも私はまっとうに四大に進めるような人に比べて頭が悪すぎるし、
働き始めないとそのことにも気付かない程度には無能だった。
例えそれがどんなに好きな分野であっても一端の者になることはできなかっただろう。
大学に進学せず、競争倍率の低い地元企業の高卒枠を使っての就職は、
私が人生で選択しうる最上最高にして唯一の選択肢であったと今は強く確信しているし、
当時の私の未熟な思い込みによる間違った選択肢を取り除いてくれた親には感謝しいている。
ネットでは親の意見にさからって我道を突き進むことが褒めそやされるけど、
横浜市泉区に「ゆめが丘ソラトス」というショッピングモールが開業します。プレオープンに近隣住民として招待されたので、開業前日の今日、行ってみました。
二十数年ほどゆめが丘駅徒歩圏に住んでいますが、開業以来畑しかなかった駅前に立派な建物ができて非常に感慨深いです。ただ、乗降人数ワースト1位、2位のゆめが丘、下飯田の駅前にショッピングモールなんか建てても、「明るい廃墟」になってしまわないか心配でした。プレオープン時点の賑わいを見たら、それも杞憂で済みそうです。
以降、感想です。
1. 子連れが多い。
もう夏休みに入ってますし、ベビーカーから小学生くらいまでの子供が山ほど来ていました。特に子供が多いのは3階のアソブル(ゲーセン)と屋上のそうにゃんぱーくの無料遊具コーナー。子連れをターゲットにしていればしばらくは安泰でしょう。中学生になったら、横浜とかみなとみらいとか行った方が楽しいかもだけど。
2. 飲食店の混雑が激しい。
1階にレストラン街、3階にフードコートがありますが、14時を過ぎても行列が長く続いていました。客も店員も不慣れだとなかなかオペレーションがスムーズに行きませんね。イオンモールとかららぽーととかに比べたら全然規模は小さいので、途中で休憩が必要なほど長時間滞在する場所でもない(駐車場の無料時間もそんなに長くないですし)と思いますが、フードコートで座って休みたいと思う人が多いのですかね。
3. スーパーはそこまで広いわけではない。
立場のイトーヨーカドーよりは小さいですが、スーパーとしては普通サイズです。ローゼンの外にある、野菜・肉・魚の専門店を含めたら、食料品は充実していると言えるでしょう(専門店のレジが分かりにくいのは上手く誘導してもらいたい)。
ローゼンの真上にあるので同じ広さのはずですが、天井が高くて広い印象を与えるのでしょうか。
5. 映画館もあるなんて。
地元民の間では「映画館つきの○○○゜ー○ができるらしいよ」と噂されていたものですが、実際に現代的なシネコンができ、広々とした入口を見ただけで感動です。開業直後の上映作品は子供向け中心かなって感じなので、そのうち見たい作品をやっている時に見に行ってみます。あと、同じ階にあるゲーセンはクレーンゲームばかりでしたけど、最近のゲーセンってどこもそんな感じなのですか。
相鉄としては、遠くても行きたい店はジョイナス(横浜駅)に集めて、ジョイナステラス(二俣川駅)とかソラトス(ゆめが丘駅)とかは地元利用中心と思っているのではないですかね。他地域の方で1回だけ行ってみようかなと思う人がいたら、屋上から富士山がキレイに見えると予想される冬に来てみるのが良いのではないでしょうか。
中学生のガキの頃は、「俺は自衛隊になるんだ!メタルギアソリッドみたいなことがしたい!」などとアホなことを言っていた
スポーツも苦手で体力もない俺は周囲から「やめとけ」と止められて、進学をすることになった
中学生の頃は結構なラジオっ子でよくラジオを聴いていたのは覚えている
今大人になってめったにラジオを聴かなくなったんだが自分なりに理由を考えたことをつらつらと残す
・圧倒的に広告が苦手というか嫌い
テレビでもCMが苦手でレコーダーに録画後CMをすっ飛ばしてみていた
ラジオもどうしても聴きたい番組は録音して飛ばして聴くがその手間を考えると気軽に聞くことができない
新商品とかに全く興味がないので特に広告を聞いたり見たりする必要性を感じない
特にネットで検索ができるようになってからは広告というものに触れていないが何の支障もない
逆に新しもの好きの人なら必要な情報なのだとは思うので存在を否定しているわけではない
ラジオに音楽はつきものなんだが当然自分の好みでない音楽も流れる
真の音楽好きならば新しい音楽に触れるチャンスと喜ぶのだろうが
自分の好きな音楽がある程度揃ってしまっているのでそれを聴くだけで満足する
これには自分の人との付き合い方も重なっていると思う
・そもそも人に興味が薄いのかもしれない
人当たりはよい方らしくすぐに人から話しかけられ対応もできるが自分からは話しかけることはない
この年にしてまだ人を好きになった経験がないのも関係しているのかもしれないが別段困ることもない
中学生の段階でPainkiller弾きこなせるくらいが理想的
なんかタイムラインでフェミニズムみたいな人たちが痴漢の話してて、別に詳細は見てないんだけどふーんと思ってて
女子高生だった頃もめちゃくちゃ陰キャでブスだったと思うんだけど、そういう人間でも電車で痴漢とかされたことあってそれを思い出したんだけど、
こんなことどこにも書けないから書く
冬だったから痴漢がコートを手にかけてて、それを隠れ蓑?にして下半身とか触られたんだよね
なんか痴漢に対して示談?とかにして金もらったわ、みたいな他校の女子の話を聴いたりしてたから、よっしゃワイも示談金ゲットやと思ったんだけど、
よく見たらその人の薬指に指輪が見えたんだよ
女子高生から見ておじさんだったから、今思えば40歳ぐらいなのかね、わかんないけど
当時痴漢免罪で人生がぐちゃぐちゃになったおじさんの話とか見てたからそっちも思い出して、
今陰キャでブスの私がこのおじさんを駅員さんとかに突き出したら、さしたる証拠もないのに(触られてたとは思うし、目も合ったけど、いかんせん確証がない)
あの時のおじさん、私からしたら見逃してやったのに近いので「あの時助けていただいた痴漢です」って私が困った時に恩返しに来てくれればよかったのに
まあ助けてないからいいのか…
いまこれ書いててもう一個思い出したんだけど3.11のときも痴漢にあったな
なんか都会の駅にいて、夜だったかな、電車が動くっていうんでその時遊んでた友達何人かと移動するとき
ぎゅーってすし詰めの電車の中で当然友達とばらばらになっちゃって、降りる駅だけ確認してじゃあそこで降りよう!あとで!って感じになったとき
たぶん後ろから下半身触られたんだよね 生理だったからナプキン敷いてて局部は触れなかったと思うけど
何の話なんだろうなこれ…極限状態でも痴漢する人っているんだな、極限状態だからかな
あとこの間も痴漢にあった気がする
気がする、っていうのはなんかちょっと確証持てないんだけど多分局部を腰にずっと押し付けられてたと思う
何の服着てたかは忘れたけど、え〜〜〜こんな陰キャの三十路女に痴漢すんのこの人と思ってしまった
降りる時にちらっと見たけど、ペットボトルが当たってた〜とかではないのでなんだったんだろう 人間の真ん中にあって骨っぽい感触のものある?
(いま思えばフンフン息の音が聞こえたぐらいだけど、本当に確証がもてない 触られたわけじゃないからこれは私の自意識過剰かもしれない)
中学生ぐらいの頃に初めて痴漢にあって、当時は驚いたけど今はどちらかというと「怖い」になったよ
死ね。歩道を広がって歩いて、自転車に乗った俺が横を通る時に舌打ちをしてくる奴は死ね。道路の信号のない部分を走って渡ろうとする奴は死ね。電車を待つ列で割り込んでくる奴は死ね。ルールを守れない奴は死ね。ルールを守らない奴は死ね。気遣いができない奴は死ね。
いつだってルールを守って生きていくように、人に気遣いをするように、躾けられてきた。
たとえその結果自分に多少不利な結果となったとしても、それが最善の選択なのだと言われて育てられた。
だからこそ、ルールを守らない人が理解できなかった。ルールとは形を帯びた気遣いそのものだというのが僕の持論だ(だからこそ僕はルールを守る人を助けられる職業に就きたいと思っている、おせっかいなので)。
だが、例えば知らない人の目の前を通る時にほんの少しお辞儀をするだとか、交通ルールを守らないとか、自分が当たり前のように行ってきたことを当たり前のように行えない人を見るたびにストレスが溜まり、自分が取っている行動の意味がわからなくなり、自分が今まで生きてきた上で大事にしていた価値観が否定されていくような気がして立っていられないような気持ちになる。
僕は本当に信頼関係があると思っている友人以外の前であまり汚い言葉を使わないようにしている。優しい言い回しを心がけ、できるだけ、できるだけ嫌な思いをさせないようにしているつもりだ。これは僕と、僕の親なりの「気遣い」だ。
情けない話だが、こんなことがあった。
彼女に僕の顔がそこまでタイプじゃないと言われた。もっとあっさりした顔の方が好きだと言われた。例えとして、共通の知り合いの顔を挙げられてそう言われた。
僕は彼女の前で一度だって他の魅力的な女性について触れた事はない。僕の目の前にいる人がどれだけ大切か、という事だけを本人に伝えてきたつもりだった。
家に帰ってから泣いた。
元々僕は自分の顔があまり好きではなかった。僕の嫌いな親と似た顔(少年時代の父の写真は僕そっくりなのだ)をしていたし、中学生の頃布団からほとんど動けなかった時の不摂生が祟って肌荒れを起こしているからだ。ただ、悔しい事に昔の父はかなり良い見た目をしていたので、それだけが救いだと思っていた。しかし、僕のそれは届いて欲しい人には届いていないものであったと知り、悔しくて苦しくて泣いた。
それと同時に、僕が今まで行ってきた気遣いという行動の意味が分からなくなった。
僕は誰のために優しくあろうと心がけて、その行動は誰に変化を与えられているのだろう?
僕の行動は僕の心を削っているだけであって、それ以外に大した意味はないのではないか?
そう思うと、自分やその親しい人以外の周りの物事への関心が一気に変わったような気がした。
列を守れない奴の事なんてもうどうでもいい。
どうでもいい。僕の方へ必要以上に関わってこなければ。ただ、死ね。邪魔だから。
僕は僕の裁量の中で大切にしたい人にだけそういう態度を見せ、そうでない人には特に何もしない。心の中で中指を立て続ける。