はてなキーワード: ツービートとは
「毒ガスだ!!」
ツービートではない。今朝がた私が自分の車の中で発した言葉だ。
なんとなく腹具合が悪いな…とは思いつつも、出勤時刻が迫っていたため家を出た。
職場近くまで腹痛に悩まされることなく辿り着いたものの、少々腸内がガスっぽい。
凄まじい臭さ。
腹具合が悪い時の屁は概して強烈なニオイであるが、今日はいつものそれとは全く違う。
私は以前にもこのニオイを嗅いだことがある。
ドリアンだ。
乾燥しているだけあってそのままではニオイ控えめだったが、ひとたび口に入れられ水分を得たそれは本来の輝きを取り戻した。
ガス臭としか言い表せないあのニオイ。
そしてそれを「案外美味いもんだ」などと言って山程食べた翌朝の屁のニオイ。
その時と全く同じニオイがした。
強烈なガス臭。
思わず窓を開けたが、絶対にハンドルから手を放せないような高度なドライビングテクニックが求められる道であれば窒息死していた可能性がある。
たけしの面白さはコマ大数学科や映画、政治を語れる高い教養と不謹慎のギャップにある。
https://thetv.jp/news/detail/129518/p3/
「お笑いは、落差だから。普通の人がくだらないことやるより、有名な賞を取った偉い人がやった方が面白い。だから理想は、ノーベル賞を取った後に、立ちションや食い逃げで捕まりたいわけ。俺が『賞が欲しい』って言ってるのは、偉くなりたいんじゃなくて、お笑いのためなの(笑)」
TVで面白くないのは、たけしの不謹慎ボケにちゃんとツッコミを入れないから。
ひな壇芸人やたけし軍団は、たけしを神格化しすぎて遠慮しがちなツッコミしかできない。
これではひょうきん族のように、たくさんボケを撒いてアドリブから偶然生まれる笑いなどは起きない。
笑いのために偉くなったのに、皮肉にも笑いが生まれないほど権威化しすぎてしまった。
たけしのボケを成立させるには、教養が高くちゃんとボケを笑ってツッコミ出す橋渡しができる人物が必要。
所ジョージ、阿川佐和子、タモリ、さんま などがそれにあたる。
所、阿川は世代が下ながらも、親戚のおじさんぐらいにしか扱ってない距離感が良い。
2人の頭の良さは、たけしを前にその余裕を伺える。
タモリ、さんまも頭はいいのはもちろん、ひょうきん族時代の戦友。
とくにツッコミのスペシャリストであるさんまが一番たけしと相性いいだろう。
ブコメで高く評価されてる、ツービート、ひょうきん族、火薬田ドン、笑っていいともの祝辞などは「事前に用意されたコントや漫才」である。さんまがいないとき、周りがリアルタイムでボケを昇華してくれないなら、コントとして事前準備をすることでたけしの面白さを引き出す。
20年以上昔の世界まる見えだったか「俺がしゃべるほど視聴率落ちるんだよ。しゃべんないほうが数字いい。」と言ってて、そういや世界まる見えも、元気が出るTVもそういう立ち位置だなと、それを自覚してることに変に感心した覚えがある。今でも収録ではツービートばりの下品で不謹慎な毒を吐いてるらしいのだが、さすがに今のTVでは不適切でカットされるそうだ。今の時代不謹慎ネタは厳しい。
では、たけしがいなくてもいいかというとそんな事はない。たけしの数々の芸歴、教養、映画の実績など、演者、スタッフ、視聴者みんなが一目置く存在というのは稀有で、たけしがいるだけで番組の格が上がる。たけしを抜いたらすべての番組は深夜番組レベルに格が落ち、たけしがいればゴールデンに耐えられる。たけしは料理の豪華な器であり、なくてはならない薬味だ。たとえ中身が高級料理でもスーパーのプラスチック弁当箱に入れたら深夜番組レベルに落ちる。それぐらいの実績と格。
親戚のじいちゃんが一生懸命不謹慎な事で笑い取ろうと必死になってるのを「たけしへのツッコミはそうじゃねえだろ! もっと事前に仲良くなって頭バチコーン言わせたれ!」と、心のなかでツッコミながら楽しむのも一興である。
ビートたけしの存在理由は無くなってきている。お笑いからの毒舌キャラで気の利いたコメントができる点は他に無かった、経歴としてもお笑いから映画監督までやっているのは他に例がないという優位性で起用されていると考えられる。毒舌キャラで気の利いたコメントというとダウンタウン松本も時々は影響あるのだが、この手のワイドショーでコメントしたがる芸人がやたら増えてきたことでうんざり感もある。
80年代のひょうきん族でタケちゃんマンがヒット。だが、子供には見せたくない点では、8時だよのシムケンも同レベルであり、ばかばかしくて見てらんない。あと、ツービートはほとんど見たことがない。映画監督と言っても癖ありすぎてこの評価もよくわからない。
船橋海神です(id:cj3029412)。何だそりゃwww
ワニの豆本「なんの本だろう」奈良林祥です。何か、真珠に言及がありました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4584101841/
その前段として、なぜ奈良林祥を知ったかというと、父親の隠し書棚に、奈良林先生の「HOW TO SEX」(旧版?)があったからです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4584120757/
それで当時の宇都宮の書店で著者名を頼りに学校帰りに探して立ち読みしていたら補導されました。
並びのワニの豆本には、ツービートの「わっ毒ガスだ」もあったような朧げな記憶。
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週3くらいのペースでジムに通ってて、筋トレはしないんだけど毎回2000mくらい泳いでいる。
先日、「風呂場でおしっこはマズイ」みたいなまとめを読んで、レスの中に「らめえ!おしっこでちゃうよぉ…って言いながら放尿するといいぞ」てのがあった。
なるほどなあ、と思ったのでジムのシャワールームで試してみた。
いつもは泳ぐ前に排尿しておくのだが(泳いでる途中で尿意をもよおすと集中力が散る)、今回はあえてそれをせず、1時間かけて2500mをツービートクロールで泳いだ。
のち、いつもなら併設のジャグジーに入ってからシャワーに行くのだが、今回はパスしてそのまま向かう。大量に出る予感はしないが、ある程度の尿意はある。
ブースに入ってカーテンを閉め、さてと、と水泳パンツを脱ぐ。隣のブースに誰も居ないことを確認してから、少しだけシャワーを出す。これは、万一放尿中に誰かが隣に入っても
そして低い声で「ら…らめえ…おしっこでちゃうよぉ…」と喘ぎつつ放尿を実施。最初は禁忌感のためなかなか出なかったが、やがて堰を切ったように流れ出した。
すると、自分の尿がまるで熱湯のように感じる。プールで冷えた体、特にふとももを伝う熱い液体の感触が新鮮で、その背徳的な快感に陰茎がかすかに勃起する。
これは想像以上の成果だ。これほどの愉悦を知らないまま、私は何十年も生きてきたのか…。
ハアハア余韻に浸りながらシャワーを全開にし、持参したバスマジックリンでフロアを洗う。
それ以来、私はプールに行く度にこの新たなチャレンジを楽しんでいる。もちろん改良も加えた。例えば放尿前に乳首を刺激すると良いことや、陰茎をうまい具合に
太ももに挟み込むと、尿との接触面積が増えて快感が倍増することなどなど…。
そんなこんなで、プールに通うモチベーションも高まって嬉しい限りなのだが、少し不安も感じている。
それは、「自分一人の尿でこれだけ快感なのだから、他人と二人で密着して放尿しあったら、その快楽はどれほど高まるのだろう?もし三人だったら更に?」と思いついてしまった事だ。
多くの人はこちらのWikipediaの記事を参照していると思われる。
この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。
まず画期としては1953年のテレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家や喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこい・ダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。
次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組『大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組が放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語・漫談・漫才・コント・コミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオ・ブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフと萩本欽一のコント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。
続いて、1980年に放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京に進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし・明石家さんま・山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまにタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームやひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。
その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成所出身の若手が、小劇場のライブで腕を磨き、夕方番組や深夜番組をきっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴である。とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンがこの世代の代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイやロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。
次に来るのが「ボキャブラ世代」である。1992年から1999年まで続いた『タモリのボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人のネタ見せ番組に移行。この番組を登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイ・ロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題・くりぃむしちゅー・ネプチューンあたりが代表格となる。
2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組がスタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人のレベルは底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年にM-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算の番組が増加した。(2010年までの)M-1でブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。
2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代がバラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠の時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合は2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか。2020年現在、芸人の主戦場はYouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。
その直前くらいからセントルイスやツービートの人気が出てきて、それまでの「青春」「熱気」「根性」みたいなものが否定されて、汗をかいたり、なにかに一生懸命なのが笑われるという「冷笑的な」風潮になってきます。学歴が大事で、田舎者やスポーツやる人間はアホ、というように世の中の評価も変わってきたんです。
そういう風潮の中でとんねるずが出てきて、おれたちゃ「高卒」「体育会系」を売りにして、単純で馬鹿である、というのを売りにしたんです。自分らは「今やバカにされる存在の」体育会系の脳筋ですが何か、というスタイルで出てきたんです。
なので、私もそうだけど、とんねるずのファンは、あれらを「あるある!」とバカにして笑ってたんですよ。そして、それは彼ら自身も分かってたはずです。時代的に「自分らの」体育会系なスタイルが時代に合ってないと。だから、それを逆手にとって。ビートたけしがバカにしてたような「架空の人々」の実在バージョンとしてとんねるずは出てきたんです。
なるほどね。
https://anond.hatelabo.jp/20170811215029 を書いた者だけど追記読んだよ。
まずこのエントリがバズった理由として、"批難してる側が自分達の矛盾を突かれたくないから"ってのはあると思う。
同じ浮気じゃないか、同じ人気商売の芸能人じゃないか、と。それは確かにあるけど、少し置いておこう。
次に紳助さんとたけしさんの裏稼業系との付き合い方なんだけど、これちょっと違う感じなんだよね。
大雑把に言って前者の人が業界内の立ち位置を決めるのに多少は持ちつ持たれつに"見える"のに対し、後者の人は笑いの為に後先考えずに騒ぎを起こすのを面白がって庇う人がいる、って感じかなと。
後者の人は「若い人の規範になって下さいね」なんて言われたら「冗談やめてくれ」って言うだろうし、そもそも自分がウケたのは規範だとか風紀を馬鹿にして笑いにしてきた面が大きいのを分かってると思うんだ。
私は詳しい事は実際に何も知らないんですけど、[ツービート] [悪] で検索した記事を二つほど貼ってみます。
http://bookstand.webdoku.jp/news/2016/05/29/200101.html
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10137915585
それから、[紳助竜介]でも同じ組み合わせで検索しましたが、そちらは貼らないでおきますね?
たぶん、タケシを権威にしてしまっているのは芸能界と後輩のお笑いと映画界なんでしょう。
心配しなくても本当にアンタッチャブルになって悪い事をやりたい放題に始めたら、"世界の北野"も自然と消えてきますよ。
言っちゃナンだが社会の倫理的規範だとか風紀的影響なんてのを"誰も期待してない"んだよ、この人に。ww
権威だとか言っちゃうのは映画やり始めてからの生まれなんだろうけど、ツービートの頃から世間の手本になろうってつもりはないと思う。
もしかしたら女性を不幸にしない不倫ってのも(金があればw)あって、それをやってるのもあるのかもな。この人はその辺の話は綺麗事でごまかさないしね。
それと後はタニマチだかケツモチだかもあるのか知らんけど、そういうのは週刊誌すら書かないからねぇ…。元増田がガチで不倫が悪いもので根絶したいと思ってるなら、女の側も金や強さに靡かないようならないと無理だよ。結局、他人の下半身をネタに盛り上がるのなんて全部マウントなんだから、気にしない方が楽に生きられると思うよ? 余計なお世話かもしれないけど。
So-net blog:正己の異論・反論:アッシュの実験:同調しちゃう
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
多数者の利己主義 vs 民主主義 - OhmyNews:オーマイニュース
平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントをトラックで突破するときでした。
それまで何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。
それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、
結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。
そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。
みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。
そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
(中略)
さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、
「ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、
本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。
戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。
第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Japanese JoongAngIlbo | 中央日報
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯く
404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり
同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。
搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社と競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。
この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。
泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。
Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本
秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
例えば、ナチス政権下のドイツやスターリン時代のソ連やポルポト政権下のカンボジアで
空気読んで行動するってどんなことか考えてみよう。
「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。
すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」
この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、
マルティン・ニーメラー - Wikipedia 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia
原題直訳の「いじめっ子、いじめられっ子、そして傍観者」の方がインパクトも強く、また内容をよく表している。
何と言っても本書の特徴は、いじめの当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。
そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、
たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護と補償しかなされないが、
いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、
「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。
Amazon.co.jp: いじめの根を絶ち子どもを守るガイド―親と教師は暴力のサイクルをいかに断ち切るか: バーバラ コロローソ, Barbara Coloroso, 冨永 星: 本
ミルグラム実験とは、1962年、米イエール大学の心理学者、スタンリー・ミルグラムによって行われた人間の服従性を研究するための実験である。
実験は第二次世界大戦におけるホロコースト研究の一環として、1961年に逮捕されたナチス高官のアドルフ・アイヒマンの裁判を受け、
「アドルフ・アイヒマンとその多くの部下達は、単に上官の命令によって虐殺をおこなったのか。
彼等を共犯者と呼ぶことが出来るのか」という疑問に応えるべくして行われた
はてなブックマーク - asahi.com:「通報者の責任追及を」申入書 横浜市大謝礼金問題 - 社会
CiNii - 徳島県における人口密度及び学校の規模といじめ・不登校の発生率との関連
いじめと同調圧力 - サムガイズの日記〜You learn something new everyday !〜
大学側の調査に対し、
関与した学生らは「今までやってきたことがなぜ悪いのか」などと話したため
皆様、おはようございます_・)ノ_・)ノ_・)ノ_・)ノ_・)ノ_・)ノ
今日は2月10日土曜日、世の中は3連休の初日となっとります。
# ふとんの日
全日本寝具寝装品協会が1997年に制定。ふ(2)とん(10)の語呂合わせから来ている。
漫才コンビツービートにありとの判断から、ツー(2)ビート(10)の語呂合わせでこの日を記念日としている。ちなみに芸能人個人の記念日登録は史上初。
# 簿記の日
簿記の原点である福澤諭吉の訳本「帳合之法」が1873年2月10日に慶応義塾出版局から発行されたことにちなんで、全国経理教育協会(旧・全国経理学校協会)が2004年に制定
# 左利きの日
左利きの生活環境の向上に向けられた日。本来は8月13日であるが日本のお盆と重なるため2月10日となった。
# ニートの日
何といっても今日は
# 海の安全祈念日(日本)
6年前の2月10日8時45分(日本時間)、アメリカハワイ州のオアフ島沖で、
浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没。
教員5人、生徒4人が亡くなっています。
今日は彼らの7回忌です。
と、言うわけで、今日は主に「えひめ丸事件」について書いてみるってのはどですかねん?
ちなみに、去年の今日から冬季オリンピック・トリノ大会が開かれたりもしてるけど
だから何?ってなもんでしょかね・・・。