はてなキーワード: サンデーとは
ハコヅメとかアンメットとか刷ったもんだみたいな専門職ものも楽しいし、
元々好きじゃないスポーツものも読みやすくて嫌いな漫画がほとんどなくて肌に合う。
根本的な問題として、10年前に見た作家とメンツがほとんど変わらんせいで新鮮味が無い。
真島ヒロだとかエース級が連載続いてるならいいけど、半分以上がいつもの連載作家という印象。
サンデーと同じだよね。作家の新陳代謝が無いせいで新鮮味がそもそも感じられない漫画雑誌。
それに恋愛ものが多すぎる それぞれの作品はそんな嫌いじゃないけど、週刊誌単位で何本も見ると食傷気味になる。
比較的新連載のテスラノートなんか最初から読んでたが特に酷い。
こいつら優秀なスパイ設定なんだぞ?最初の回からまともにスパイした試しがないし、失敗ばかりで敵に先手を取られ続ける無能中の無能の集団なのがひどい。
しかも最初の方からメディア化決まってたよね。最初からメディア化ありきで動いてるからクソみたいな内容でも連載切れなかったんだろうな。
やっっとマガポケ送りになって雑誌から消えるので少しだけ気が晴れたけど。
一番好きだったランウェイで笑っても終わってしまった。
マガジンが完全にNot for meになって悲しいよ。
web版の「マガポケ」と「コミックDAYS」にコメント欄がない。
今見てきたわ。
近年、集英社や小学館のコメント欄では「批判なら何を言ってもいい」と勘違いした輩が作品に粘着している。
中には作者への誹謗中傷や連載終われ等のクレームが直接書かれることもある。
新人漫画家の年収が500万なのか600万なのか分からないが、
不特定多数から悪口雑言を浴びて仕事するのはわりに合わない収入だと思うんだが?
一般企業や公務員に就職してエロ同人誌で副収入当てた方が生活の安定と時間の融通がきくんじゃね?
どうよ?そっちのが楽しくね?
クレームを浴びる職種、というと一般企業でコールセンターが近いと思うが、彼らの年収は地方では240万届かないんだそうだ。
クレーマーみたいな批判者が何百人と飛び掛かってくる状況でなんで漫画家目指すんだ?
億万長者になれるのは本紙連載経験者が圧倒的に多い
web漫画のスパイファミリーと本紙掲載のチェンソーマンが1100万部の219位
→ 米麺
→ 許されている
https://wendys-firstkitchen.co.jp/news/?nwid=404
https://idahopotato.com/recipes/french-fries-and-ice-cream
→ カジュアルな洋食屋・ステーキ屋だとパンと一緒にご飯出てくるじゃん
→ 餅トースト
あのキャラセンス、ジャンプじゃないんですよ(ジャンプを履行してるものもあるけど)。
造形もどちらかといえばサンデーや他の月刊誌のきれいめな絵柄。
それでいてジャンプ的な王道も踏んでてきちんと他の読者も取り込める。
これ、力量がないとできません。
まあ、せいぜい読めてる人を気取ってりゃイイんじゃないですかね?
ジャンプ+
ttps://shonenjumpplus.com/
ttps://tonarinoyj.jp/
ふんわりジャンプ(終了)
ttps://youngjump.jp/funwarijump/
ttps://jumpbookstore.com/
ttps://urasunday.com/
ttps://manga-one.com/
クラブサンデー(終了)
ttps://web.archive.org/web/20160823100114/http://club.shogakukan.co.jp/
ttps://yawaspi.com/
ttps://csbs.shogakukan.co.jp/mf
ベツフラ
ttps://csbs.shogakukan.co.jp/bf
&フラワー
ttps://andflower.shogakukan.co.jp/
ttps://comic-days.com/
マガポケ
ttps://pocket.shonenmagazine.com/
palcy
ttps://palcy.jp/
eヤングマガジン(終了)
ttps://magazine.yanmaga.jp/eym/
ttps://yanmaga.jp/
ttps://www.mangabox.me/
ttps://seiga.nicovideo.jp/manga/official/w_sirius/
抜けがあると思うが、なんでこんなに多いのか
大量にURL貼り付けるとスパム扱いになるらしく書き込めなかったので
h抜きした
映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的な昭和の思い出話である。
歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家の本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌が本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。
それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画、オカルト映画、パニック映画が流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。
やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSF、オカルト、パニック作品に関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれた子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異の経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである。
話を戻すと、こうして結果的に活字記事も読むようになった私は、雑誌『SCREEN』に淀川長治の連載記事が掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者からの質問や相談に淀川長治が答えるコーナーであった。
読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。
「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法や手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。
馬鹿な小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品『オネアミスの翼』を製作・劇場公開した時のことである。
中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語の最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。
さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品で監督を務めた山賀博之氏のインタビューも掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである。
雑誌『SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女とコーチの奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』である。テイタム・オニール、かわいい。山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。
「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図に気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。
ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代はコンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定の理由や合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分のレーダーに引っ掛かるモノを持つ作品に出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。
ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayやDVD、レーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードやカセットテープが販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品のフィルムテープのリールも販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から、兄弟のツテでカセットテープにダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフを暗誦できる。何の自慢にもならないが。
そして、歳月が流れた。
後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家もビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生で作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対の行為である。
ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。
大人になって、現在の宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的な評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。
子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。
それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手に想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞を暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。
呪術廻戦→ちょっと悪いときの富樫みたいな感じがするけどやっぱり面白い。
ドクスト→グダってきてるけどまだまだ面白い。
ブラクロ→ノリは嫌いじゃない。
ヒロアカ→コミックスで一気読みするほうが向いてる感じがするけど面白い。
アオのハコ→いまのところ良い感じの甘酸っぱさで面白い。
ウィッチウォッチ→篠原健太ってもともとこういう毒にも薬にもならん作風やんな。
SAKAMOTO DAYS→ジャンプっぽくない作風やけど悪くはない。
高校生家族→パッと見は面白いけど何年も続いているところは想像できない。
あやトラ→まあ一つくらいお色気枠があってもいい。
クーロンズボールパレード→作画の人のこともあってサンデーっぽい作風。サンデーなら続いてた。
灼熱のニライカナイ→バトル路線に転換してこのまますぐ終わりそう。
アイテルシー→つまらない。
総合して80点くらいはあると思うやで。
鬼滅の刃は主人公がジョナサンジョースター的な超絶優等生。ジョジョシリーズは日頃から優等生なジョナサンと喧嘩慣れがすごい城太郎は修行せず、杉田智和ボイスが似合い過ぎるちゃらんぽらん男ジョセフだけが修行描写があるのがグッとくるのだが、鬼滅の刃は一般庶民としての優等生が戦う優等生のための努力をするという内容。
呪術廻戦は脚本的に編集者こそが「劣化ドラゴンボールに劣化ワンピース」と嘆きたくなるけと人としてはいい意味なジャンプ主人公。
僕のヒーローアカデミアは女性キャラを極力減らしたラブコメ主人公でPTAやフェミニストの評判が悪い。修行シーンの説得力が鬼滅の刃と比べて説得力が無い。
何が言いたいかと言えば、正に作者より頭のいいやつがいない創作の典型っていうか脳筋脚本。ヒロアカだけ脳みそ贅肉と言えば満足するの? 結局バカである事に変わりはない。
ちなみにジョジョ枠というのはまともな知性があるのがデスノートと約ネバだけという意味であり、デスノート人気は基本的にテコ入れで出来ている。
樹林伸という高学歴のマンガ原作者が週刊少年マガジンでサイコメトラーEIJIや金田一少年の事件簿といった変わり種とはいえ普通にサスペンスが成り立っているマンガを乱発。
週刊少年サンデーが名探偵コナンという看板サスペンスを成立させる。当時のジャンプはジョジョとデスノート以外バカ。
今はジョジョの遅すぎるアニメ化もさる事ながら「サンデーもマガジンも言うほど知的じゃない、所詮少年マンガ」というイメージが定着したせいか、当時ほど必死にならなくていいものの、「流石に尻切れトンボなアニメにするのはアレだから」強引に最終回まで1クールに収めようとしたのでしょうね。
ナスルーラもノーザンダンサーもサンデーサイデンスもミスタープロスペクターもネアルコの血が入ってるのよね
マガジンに金田一少年、サンデーに名探偵コナンが出る中、推理漫画を持ってなかったジャンプが持ち出した同ジャンル作品
羊達の沈黙で脚光を浴びたプロファイリングをテーマに一風変わった推理ものを狙ってみたものの
いかにも少年漫画然とした主人公の軽いキャラとテーマが合わず幕張のネタとして消費され撃沈
いまだ教師に聖職者のイメージが残っていた時代に描かれた、ギャンブル好きの破天荒な教師
うまく調理すれば破天荒な警官・両津のような長期連載に向いた素材だったのだが、
いかんせん魅力ある話を作れず、ロボットとジャンケンするとか変な方向に行く。最後はマサルさんのネタとして消費され撃沈
漫画としては本誌の内容より巻末コメントで他作者に気軽に話かけたり
「痛みを知らない子供が嫌い。心をなくした大人が嫌い。優しい漫画が好き。バイバイ」
F1でドリフトするのが非現実的などのツッコミもあるがテニヌ連載してる雑誌でそれ言う?
連載自体は撃沈
江戸時代、当時の武士のあり方に疑問を抱き自由なうさぎを目指す下級武士
バトルに頼らず社会問題や人間ドラマをテーマにしたのは珍しかったが
徐々にバトル物になっていって撃沈
近未来。ロボットが警官をするようになった時代に開発されたロボット婦警の7台目
怪力、おバカ、けなげでかわいい。後にぬ~べ~の作画担当になる岡野剛が描くのでとにかくかわいい
お色気シーンもふんだんに入れられてて今ならもっとヒットしたと思うけど
悪の研究者Jによって超人に改造された主人公。スパイラルナイフと言う見えないオーラで何でも切る必殺技を持つ
当時の読者に理解されず撃沈
連載当時は北斗の拳の連載期でもあり、核戦争で世界が崩壊することが今よりリアルに感じられていた
北斗と違い超人的な主人公はおらず、少年少女が必死に生き抜く姿を描き読者の心を突いたが地味で撃沈
全6話の内容にスッキリした勝利の話はなく、暗く地味な回が続く
第1話、敗北しヤケになった五十嵐に向けた「腐るなよ」の台詞は心に響く
が、こんなの少年に受けるわけなく撃沈
擬人化や特別な能力などなく一般的な恐竜達の生活を描いた作品で、なんでジャンプで連載されてたか謎
当時連載中の恐竜大紀行は特に出すべき主人公もなかったため苦し紛れにこいつが「いただきまーす」などとセリフを出していた
連載は撃沈