はてなキーワード: サングラスとは
父親がパソコンオタクだったため、我が家にはニフティサーブのサービスインと同時にネットが導入された。俺はまだ中学生だった。
最初はジオシティーズに個人ホームページを作るなどして遊んでいただけだったが、メル友募集掲示板というものに出会ってしまい、もともと文章を書くのが好きだったこともあってハマってしまった。
当時のメル友というのはPCを使って長文のやり取りをするもので。後にくるケータイ時代の常に短文をやり取りするスタイルとは根本的に異なる。いわば文通に近い。
どこに住んでいるかもわからない相手と近況を報告し合ったり、本や映画について踏み込んだ感想を交換したり、そのメールの返事がいつ届くのかじりじりして待ったり。現代からするとだいぶレトロな世界観だが、ネット自体が普及しておらず、調べ物は図書館、待ち合わせには念入りな調整が必要で、大都市の情報は雑誌や新聞が頼り……そういう時代だったから、メル友との交流は最先端を感じささせた。
ブラウン管の向こうに世界があり、そこには人間がいて、俺とそいつが繋がることができる。
現代のデジタルネイティブには理解してもらえないかも知れないが、個対個のネットワークがあることは全然当たり前なんかではなかったのだ。
その後すぐに出会い系サイトの宣伝スパムで汚染されて壊滅するが、その少し前の話だ。俺はそこで同年代の異性数人を見つけてメールのやりとりをしていた。下心があったわけではないが、やはり心のどこかでロマンスを期待する気持ちもあったかもしれない。
実際その中のひとりとは3年にわたってメル友関係が続いた。仮にちーちゃんとするが、このちーちゃんとはかなり親密な関係だったと思う。お互いだいたいの住所から家族構成、趣味嗜好まで知っていたし、誕生日やクリスマスなどのイベント時にはチャットで長時間やりとりしてて、言葉にはしないまでも会いたいとお互い思っていた気がする。
時は流れて高2の頃、俺が東大を目指そうかな〜という話をしたことで、その流れが本格化した。
東京の西の方在住だったちーちゃんはそう言って応援してくれた(実際には増田は受験に失敗し、鬱を発症し浪人した挙げ句日大を出て零細企業を転々とする人生を送り、はてなブックマークが唯一の趣味の独身アラフォーである)。
俺は受験勉強に打ち込み、しかし週に2,3往復のちーちゃんとのメールは続けていた。
ところで俺はネットにだけ傾倒していたわけではなく、学校でもまあ普通に生活していた。カースト色の薄い学校だったこともあって、ギーク寄りの仲間とのんびりと生活できていた。特に仲が良かった男を田中とするが、こいつは曲者だった。遅刻魔であり地頭はいいのにテストは苦手、思考に口が追いつかなくて口下手、ときおり突拍子もない事をやって周囲を驚かせるという有様で、今で言う多動型のADHDだったんだと思う。
何の話だ?と思った。知らない名前だったからだ。しかしすぐに嫌な予感がして、
と聞いた。ビンゴだった。田中は何らかの方法でちーちゃんのメールアドレスを入手し(当時はシステム的に侵入を許したかと思ったのだが、後に調べたら他のクラスメイトに宛てたメールのCCにちーちゃんのアドレスが混入していたことがわかったので多分俺が悪い)、メールアドレスから俺がたまに話していたメル友だと察知し、偶然を装ってメールでやり取りを繰り返し、会うところまでひと月で漕ぎ着けたのだった。俺が本名さえ知らなかったちーちゃんと。
ショックだったのと同時に、田中の行動力に感心もした。ド田舎の高校生にとって東京まで往復するのは時間的にも経済的にもハードルが高い。しかし行動したから田中はちーちゃんと会えたのだ。
俺は何事もなかったふりでメル友を続けたが、ちーちゃんの熱量があからさまに落ちているのがわかった。メールの頻度も減った。それもそのはずで、その後も田中はちーちゃんと月に2回のペースで会っており、正式に付き合うことになったと田中から報告を受けた。その後に続いた
という童貞卒業の感想もボディブローのように効いて、この頃を境にちーちゃんとの関係は俺の方からフェードアウトしてしまった。
俺にとってちーちゃんはあくまでネットの向こうの、本と映画が好きな誰かであり、淡い期待そのものであり、それだけだった。
しかし数年後、俺の大学の文化祭に田中がちーちゃんを伴って遊びに来た。
ちーちゃんは俺の想像よりも小柄で垢抜けた今風の短大生だった。店番をしていた俺はぎこちなく短い会話を交わしただけだったが、田中が言うにはちーちゃんは後に俺について「なんか怖かった」と感想を述べたという。当時の俺がアート系の学部の雰囲気に影響されて髪の半分を緑に染め夕方でも黒いサングラスを掛けていたからかも知れない。
その後あっけなくちーちゃんと別れた田中はアムウェイで一財産築き、会社を立ち上げるために地元に帰ったが津波で流され、生存は絶望的かと思われたが何故か身分を偽って大阪でパチスロ系Youtuberとして生計を立てているのが同級生によって発見された。
田中の家族の頼みで俺は一度だけ大阪まで田中を連れ戻しに行った。痩せ型だった田中は別人のように太って、肌は土気色だった。しかし話すことは間違いなく田中で、スロットで金を貯めてアフガニスタンに行くと言っていた。その言葉通り田中は地元へは帰らず、ペルーへ渡って交通事故で死んだ。
なあ田中。
お前は何だったんだ。台風か何かなのか。ふざけんなって。
11月11日(金)午後3時40分頃、明石市松が丘町2丁目1番付近の路上において、不審者が目撃されました。(警察認知〜11月15日)
女子小学生等が徒歩で通行中にシャッター音がしたため、振り向くとデジタルカメラのようなものを持った男が「猫と犬どっちが好き」と声をかけてきたもので、その後、いずれかに立ち去りました。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-979565
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11月4日午後3時頃、米沢市福田町2丁目地内の道路上で、下校途中の男子児童が、
車に乗った見知らぬ男から後を追いかけられた上、「おい、ボウヤ、待て」などと声を掛けられる事案が発生しました。
【男の特徴】
・年齢:30歳位
・体格:中肉
・顔色:日焼けして浅黒い
・頭髪:黒色短髪
【車の特徴】
・塗色:グレー
登下校や外出の際は、出来るだけ複数で行動すること、明るい道を通ることを心掛け、不審者を見かけたり、身の危険を感じたりした場合は、身の安全を確保した上ですぐに警察に通報して下さい。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-974332
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サングラスやカラーグラスをおしゃれだとかカッコいいとか思うセンスは全く無かったけど
年齢とともに目の疲れや各種の光の目への影響が気になるようになった
ずっと画面眺めてる仕事だし、仕事後もスマホをずっと触ってるので、一日中何かしらの画面見てる
日中も、外に出た時の眩しさが気になるようになった
目を悪くすると仕事にも差し障るということで、度付きのサングラスを作った
サングラスをかけて外を出歩いてみて気づいたのが、自身の目が見られていないこと、視線の動きが他人から見えないことによる、なんというか安心感だ
元々コミュ障気質で人と目を合わせることに抵抗があったが、サングラスは視線を遮ってくれるアイテムだと今更ながら気づいた
サングラスをかけるって、なんて楽なんだろう
ブルーライトなど眠気を妨げる程度のものだろう、モニターの彩度や色味の変更で同じ効果が出るらしいしわざわざ買うものでもない、と思っていた
が、サングラスほどでないにしろ、色がつくことでちょっと安心感がある気がする
正直、まさか自分がそんな状況に追い込まれるなんて思ってなかった。
ネットの盛り上がりも、絵描きではない僕には、どこか遠い異郷のお祭りに思えた。
なんか色々、すごいなぁ、って。
そして知らないアカウントの良さそうな絵を見つけて…
事が終わった後でふと、タグを見たんだ。
#NovelAI。ああ。
不思議と悪い気はしなかった。むしろ、時代のうねりに飲み込まれたような受動的な感覚が、どこか心地よかった。
今になって実感が湧いてきたんだけど、僕、ブルーピルを飲んじゃったんだ。
映画マトリックスで、機械によって見せられる幻想の中で生きる人々のひとり、主人公のネオに向かって、サングラスの男モーフィアスは二択を迫る。
ネオは赤い薬を選択して、機械に騙されて培養されてる人間たちの真実を見た。
しかし青い薬を飲めば、再び機械が供給する夢の中に生きることになる。
「魂のこもってない絵では興奮しない」と断言してたブックマーカーさん。聞こえていますか?
僕は本当の現実に向き合う人間としての誇りを捨て、機械が与えてくれる甘美な夢に浸る選択をしてしまいました。
多分いつか、自動生成の音楽を聴き、自動生成の漫画を見て、自動生成の小説を読み、自動生成の増田につけられた自動生成のブコメにスターをつけると思う。僕は機械が営む人間農場の、野菜だ。
情報通の人は、濃いサングラスをかけているように 本当は何を思っているのか、わかりにくいことがある 映画を見た後で感想を聞いても 「あの映画はAと言う監督がBという映画と Cというミュージャンへのオマージュとして Dという手法でEという世代のFという…」 というように、A、B、Cと固有名詞ばかりが並ぶ 並ぶ固有名詞の向こうに、その人の人となりや生活感は 消えてしまう
固有名詞の羅列の向こうに隠れて、人柄がよく見えない人 僕にはそういう知人が、大学にも、音楽業界にも大勢いた
時がたつと、固有名詞の陰に隠れて人柄が見えない人も だんだん人柄が見えるようになる 驚いたことに、情報の陰に身を隠していた人の多くは ある意味退屈な、普通の人たちだった 普通の心配事をして、普通の願いや妬みをもっていた そうか。普通なのがバレてしまうと困るから サングラスをかけるように、知識を並べて 自分が見えないようにしていたのか、と思った
「明らかに男よりも女の方が避けない」で一致していると思う。
これは自分の経験のみならず、過去の増田やその反応の数々(もちろん女性側からの声も含む)からも、そろそろ結論づけていいのではないかと考える。
個人的な印象としては、単体では「スーツの女性」の避けない率の高さが異常。
制服の十代女子は、一人だと道を譲りがちだが、「イケてそうな集団」では高確率で避けない。
地味な集団は道を譲る。
なぜか女子より「人来たよ」と注意する率も高い。
男子は何も考えていない。
そもそも「道を譲るグループ」「避けないグループ」で、自然と小隊がわかれる。
そして、たまに出てくる「イカツイ恰好をすれば避けてもらえる」というライフハックは、半分正解で半分ウソ。
それは、いかつくない人が「無理してイカツイ恰好をしてる異物感」に相手が反応して避けてる。
イカツイ・ガタイのいい人が道で避けられるかというと、意外と全然そうでもない。
身長180㎝以上でガタイが良い、武骨な顔のいわゆるゴリラである自分は、全然避けられない。
薄いサングラスをかけるとか、スーツに黒シャツレベルまでいけば別だろうけど。
(しかしブコメには坊主タトゥーですら、若い女性は避けないという報告もアリ)
ちなみにガタイと併せて、街中でテキトーな服に安いゴムサンダルとかを履いて歩くと、周囲は一気に避ける。
やはりガタイのよさ単体よりも、「不自然な格好」の方が避けられる原因だと思う。
特に若めの女性は自身の魅力を信頼しているからか、マジで避けない。
まっすぐ前を見て大股で歩きながら、絶対避けない。
「オスゴリラなんぞを私が避けてたまるか」という気迫を感じる。
なんなら、こちらに対し「道を譲らなかったら分かってんだろうな?」とばかりに、バッグや肘等での攻撃を準備し、「半身ですら避ける意思がない事」を執拗にアピールする。
(偏見だという人もいるだろうが、「道を譲る側」の人間なら絶対わかってくれるはず。マジで多いんだよ)
これらはガタイがいいスポーツマンなら共感する人が多いと思う。
こっちは縦一列になってるのに前方からきた女性二人組が一切避けず、コントみたいに壁に貼りついて避けたことがあった。
友人はそのことについて特に何も言わなかったので、(ここまで極端なことは例外としても)ガタイがいい人が避けること自体はあるあるなんだなと改めて思った。
人混みを見ていても、ガタイのいい人ほど実は人を避けるのがうまいと思う。
ぶつかってトラブルになったときに、見た目で「加害者」扱いされてしまうのだから、自然とそうなりがちなのだろう。
「ガタイがいい人間は向こうから避けてもらえる」というのは、実情と乖離した偏見だと思う。
ただ、一時期髪型をツーブロックにしていたことがあって、その際、「前髪を弄りながら避ける女性」が少し増えた印象だった。
この小さな出来事から、「イケメン・美女は、道を譲られることが多いのではないか」と推測している。
先ほど、イケメン・美女は道を譲られるのではないかと書いたが、
「避けない女性が多い」こともこれに絡んでいるのではないか、という仮説を思いついた。
「道を譲られない=美人扱いされていない」というプライドのために、「避けない女性が多数いる」のではないかという仮説だ。
実際、そうでもないと「若い女性に避けない人が多い」ことに、説明がつかない。
仮にもし、若い女性が「前方から時速4㎞(相対速度は8㎞?)で近づいてくる1.5m以上の物体」を認識して避けられないような空間把握能力なら、女性は日常を生きていくことなどできない。
小走りになったらほぼすべての物にぶつかることになる。
化粧品売り場など、ライブ会場のモッシュ状態になっているはずだ。
序盤に挙げた、「十代女子のイケてるグループは避けず、地味グループは道を譲る」も、この仮説を補強する材料だ。
もちろんこれはあくまで仮説にすぎず、安易な結論を出すつもりはないが。
人を避けながら道を歩けばわかることだが、「周囲の観察」が必要だ。
簡単に言えば、ぶつかる直前で不意に避けると、避けた先でさらにぶつかったり、隣の人がビックリしたりと不都合が多い。
それなりの人ごみだと、「その場で反応し、瞬発力で避けて対応すること」が困難になっていくのだ。
(多すぎると、逆に密な流れが出来て避ける場面も少なくなる)
そのため、道を譲る人は「常に(事前に)薄く広く」周囲を警戒し続ける必要があり、何mも手前から警戒することで人を避ける。
これをしていると、大体の流れや傾向がわかってくるのだ。
道を譲る人は、こちらと同じようにそもそもかなりの距離から予備動作に入っている。
そして避けない側は「避けないスイッチ」(なぜだ)を入れていることが結構多い。
「道を譲る側の人間」なら、避けない相手がこういう状態なのが、容易に認識できる。
この感覚を知らず、呑気に「心が広い方が避ければいいだけ」などと言っている時点で、「日常的に道を譲っていない人間」で確定なのだ。
※日常的に人混みを歩く必要がなく、その経験がないのか知れないが。だとしても、そもそも門外漢ということになる
※また、「前を歩く人間のあとをくっついて歩く」ことで、自分で回避する手間を減らすこともできるが、それも結局自分で「道を譲っている」わけではない。前を歩いている人間の労力を想像もせず、タダ乗りしているだけである
オッサンが道を譲らないという話もあるが、個人的な体感としては、
スーツを着てるときは避ける、私服でスーパーなどにいるときは避けない、という傾向がある気がする。
駅や街中などでは、老人未満(定年以下)の中年男性は、道を譲るというか、最小限の動きで自然にかわす側が多い印象。
この(長年の通勤生活で身につけた)「最小限の動きでかわす」という動きが、実はオッサン最大の特徴だと思う。
ここで思うのは、
世の中で「オッサンが道を譲らないでぶつかってくる」「ぶつかってきて睨んでくる」という説を提唱しているのは、
「一歩も避けない女性」ではないだろうか、ということ。
オッサンは最小限の動き(相手が少し歩幅をずらすか、肩を捻ればぶつからない)でかわしているつもりなのに、相手が「一歩も譲らない」ために結果的にぶつかり、「なんだこいつ」と睨んでいるのはないかと思うのだ。
そういう風に「わからせてやる」という意思でぶつかる人間は、ぶつかった後にわざわざ睨むことはないと思っている。
本来、「避けない」と「ぶつかる」は、厳密には違う行為なのだ。
「避けない人間」はぶつかった後に睨むが、
「わざとぶつかる人間」は下を向いてそのまま通り過ぎることが多い。
これは「道を譲る側」として、「周囲を薄く広く警戒」し、わざとぶつかる人も含め、オッサンを観察していて感じたことである。
しかし自分はオッサンにぶつかられる女性ではないので、詳しいことはわからない。
「小学生男子レベル」でマジで何も考えないで歩き、突っ立っているのをよく見かける。
(邪魔そうにして避けると、こちらに気づいて本当にびっくりしたような顔のオッサンとよく目が合う)
老人になると、
男女関係なく、道を譲る譲らない以前に、
「改札の出口で立ち止まる」とかそういう状態なので、これは話が全く違う。
老人はいたわりましょう。
かなり昔の話なんですけど、SONY Music TVで見たバンドの名前が思い出せないんです。
音楽は男性ボーカルのハイトーンでポップスよりのロックっぽい感じ、ミュージックビデオの内容はオープンカーのキャデラックに乗ってどこかに行く感じでした。
途中故障したり雨がふったり、女性がヒッチハイクしていて乗せたり。
キャデラックのダッシュボードにはハワイのおみやげの揺れたらフラを踊る人形。
乗せる女性は二人で丸いサングラスと横ボーダーのワンピース。その場で足ふみするようなダンスをしていました。
奇跡的に何年か前にWikiを見つけた気がするのですが、解散して廃盤と記載されていて、楽曲もどこを探しても見つからない状態でした。
もしお分かりになる方がいらっしゃれば助けていただけると幸いです。
知り合いの30代独身強者男性と久しぶりに飲んだ。久しぶりに会って話を聞いたら勘違い野郎すぎて引いた。
自分は既婚者なので、恋愛相談がしたい的な話で、近況を聞いた。
•結婚はしたいらしく彼女は常に募集中。だが楽しいので独身でもいいとかも言っていた。
•気になる人は割と出来るが、彼氏持ちか既婚らしい
•現在もアプローチされているが、される人全てがタイプではなくうざいらしい
余裕たっぷりで、独身でもいいんだけどさー家族がいるのもいいなって、とエンジョイ感や女なんていなくても感を出してはいるが、彼女が欲しいとか良い感じに進んでる相手がいるとか言って何年経った?その間に1人でも彼女が出来た試しがあるのか?告白された事もした事もないじゃないか。
しかも相談のために会食しているのに、相談相手にまで虚勢を張ってどうする?こちらも『でもまぁ彼女いなくても楽しそうだからいいね』としか言いようがない。
部屋はブランド家具におしゃれカフェのような掃除するのには邪魔くさい道具が沢山、朝からエスプレッソマシンと鍋で温めた牛乳でラテ、おしゃれカフェやおしゃれ宿に一人で泊まって自撮りサングラス掛けインスタ投稿しまくり、衣服やスキンケアは全て一流百貨店、レコード•一眼•旅行が趣味。
そんなんマトモな女性だったら引くって。見た目はオシャレだし憧れる生活だね!って言うよ。言うけど、結婚とか生活してく未来が見えないじゃん。THE 独身生活!って感じ。
ソフトに『お金かかりそうな生活だね』とか『同じ水準の女性を見つけられたら良いよね』とか切り出してみても、『自分のペースを崩さない相手であって欲しい』『お互いの趣味は尊重できる相手がいい』『知的な話ができる人がいい』ナドナド。
ちょっと紹介できそうな女性の話が出ても『大学は?ー...あー...○○ねー...会社は?...あー、うん、まぁありかな?』みたいな感じで選り好みがすごい!自分も相手への理想も妥協する気なし!
意中の人からヤンワリ断られても『彼氏がいるらしくて。お互いのタイミング悪かったなぁ。』とか、意中じゃない人に迫られても『好きじゃない人に好かれても笑』とか、もう自分が選ぶ側の意識がすごい。
そんな自信あるなら相談してくんなよ!こっちも本音のアドバイスしにくいんだわ。
ここでは正直に言っとくね!
知らん人ならお洒落〜って皮肉じゃなく言えるけど、自分の彼氏や夫になる人がお前のレベルでおしゃれ生活(工夫じゃなくて購入力にモノを言わせたおしゃれ感)してたら生活感の無さに引くし、お前のその『俺が選ぶ側』的な態度にも、結婚したら当たり前に女がやってくれる事みたいなのを求めてる姿勢にもドン引きだわ!お前は選ぶ側じゃないの、今の所選ばれてない側なの、理解してる?勘違いが度を越しててアドバイスすらしづらいんだよ。もうアドバイスとか求めてこないでくれ、求めるなら受け入れる姿勢を持ってくれ。いや、もう自分には相談して来ないでくれ!いいやつ見つかるといいな!
8月3日午後1時30分ころ及び同日午後4時ころ、朝倉市入地において、小学生男児が、見知らぬ男性から、
「魚の取り方教えてあげようか。友達どこ行ったの。どこ住んでいるの。」等と声をかけられる事案が発生しました。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-922571
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向かった先は人口が多いエリアから自動車で約40分ほど掛かる、山里の中にある知る人ぞ知る川遊びスポット
夏休みの週末ともなれば都会のプール並みの芋洗状態は覚悟しなければならない、そんな川へ遊びに出かけた
朝8時に川にほど近い駐車エリアに到着したが、平日ということもありどうやら一番乗りだったようで、これは気が楽だねとテントやバーベキューコンロの準備を始めた
その間に子どもたちは軽めの朝食を摂り、水着姿になると誰がどの水鉄砲を使うかを話し合い出した
もろもろの準備を整え終え、家族揃って川へ向かう通路をたどりいざ川の中へ
「冷たいねー!」「その水鉄砲、次は僕が使う!」と子どもたちも楽しそうだし、私も妻も心地よい川の水温と蝉の声、時折吹く風に癒されていた
それから1時間半ほど経過した頃、ここ最近で一番の猛暑になるという予報通り、1台また1台と駐車場に自動車が増え始めた
太陽が頂点からやや西側に傾くころには、週末ほどではないにしろ、多くの家族連れでそこそこの賑わいを見せていた
私の家族もバーベキューを堪能し、帰り支度を始める前にもう少し遊ぼうと川に向かった
川へ向かう通路を進むと、そこには3脚並べられた椅子に座る家族がいて、川に続く通路が通り抜けづらくなっていた
椅子が並べられた場所は川へ入る河原へ続くルートということもあり、どれほど混雑していても誰もそこには居座らない場所なのだが、その家族はほかの人たちが避けて通ることもお構いなしで座り続けていた
不文律や周囲の雰囲気に気づかない、もしくは気づいても違法ではないとばかりに受け流すタイプなのだろう
白い目で見られようが横を通り際に「邪魔だなぁ」と呟かれようが一切気にしない様子で、その肝の太さだけは見習いたいとも思った
その後、浮き輪で浮かんだりフィンをつけて泳いだり、岩から川に飛び込んだりと遊んでいると、例の家族が河原へと下りてきた
父親はサングラスを掛けふわっとしたパーマを掛けたオシャレ風な雰囲気で、母親は川に入る気が全くないワンピースに女優サイズのつばが大きな帽子とサングラスに日傘
二人に見守られるように立つ子どもはライフジャケットにシュノーケルセットというフル装備の出立ちで、とにかく田舎の川には似つかわしくない格好の家族だった
まずはその子どもが川に入るが、予想以上に冷たかったのだろう、すぐに出ようとすると「大丈夫だから!」と父親が大きな声で言う
その声にまた川に入ろうとするものの、少し躊躇ったところで「冷たさなんてすぐに慣れる!」と腕組みをした父親の大きな声がさらに飛んでくる
意を決したように子どもは川に勢いをつけて飛び込んだ
そんなやりとりをなんとなく眺めていて、(父親が一緒に入ってやればいいのに)と思いながらもその親子の近くはなにか嫌だなぁと、少し離れたところへ移動した
そのあとも定期的に父親の無駄に大きい声が響き、それに応えようと子どもが動く
まるで父親の声に反応して動くラジコンのようで、目に入るたびに楽しい気分が少しずつ冷めていくようだった
フル装備の子どもがようやく川に顔をつけられるようになると、それまで偉そうに仁王立ちしていた父親は母親が持っていたカバンから筒を取り出し、子どもの近くに向かっていった
足が濡れないように最新の注意を払いながら大きな岩の上に立つと、持っていた筒を川に向かって振り出した
「いたか?見えたか?」とまた無駄に大きい声が響き、子どもは川から顔を出すと「わかんない」と答える
そのやりとりが数度続いた時に、その親子の周りから人がスーッと離れていった
そろそろ帰る準備をしようと、その親子の近くを通った時、父親が振っていた筒が「魚の餌」であることに気づいた
彼らは川に魚の餌を撒くことで川魚を誘き寄せ、子どもに川に棲む魚を実際に見せたかったようだ
それからも父親は何度も何度も筒を振り、水面にぽちゃぽちゃと餌が降り注いでいた
その親子の周囲から人がいきなり少なくなったのは、魚の餌を撒き始めたことに気づいたからなのだろう
通路に置かれた椅子に子どもだけが川に入っていく姿、その子どもに何かあっても対応できなさそうな格好の両親、そしてほかの人への配慮の欠片もない魚の餌撒き……行動のすべてからその両親の正気を疑った
どうしてそのスペースがぽっかりと空いていたのかを考えたり、周囲を見回してどんなスペースなのか考えたりしないのだろうか
水難事故のニュースが流れる季節に、なぜ両親だけはまるで都会のカフェに行くような服装で川遊びに来たのだろうか
いったい誰が自分の子どもが遊ぶすぐ上流で魚の餌を撒かれて喜ぶと思ったのだろうか
自然の川の中で生きる魚を見せてあげたいと思い実際に行動するほど、きっと教育について熱心なのだろう
そのためには思い通りに動かない子どもに向かって大声で指示を出したり、周囲を気にすることなく餌を撒けるのだろう
「いたよ!さかな、いたよ!」と嬉しそうだ
それを聞いて嬉しそうな顔でさらに餌の筒を振る父親と、そんなやりとりをまるで女優のように眺める母親
これほどまでに自分たちだけの世界で生きていくのは、どれほど楽なのだろうか
教育という理由があれば周囲を蔑ろにしてもよいと思い行動できるのは、どれほど無神経なのだろうか
帰りの支度をするために椅子が並べられたその通路を通る時、反対側から川へ向かってくるガラの悪い男性が「なんだこれ邪魔だ」と椅子を一つ蹴り飛ばしたのを見て、この世界は思ったよりも理性的ではないと感じた