はてなキーワード: 食事とは
年齢 26歳(機械系院卒)
顔 中の上
体型 169cm65~68キロのガッチリ ガーボンタデービスとシルエットが似ている
前職は技術総合職だったけど専業主婦と結婚する前提の制度設計がムカつき転職。
現在は一人暮らしで家事はしっかりやる(掃除だけ週1)。食事は自炊してるけどカロリー管理のために毎日同じもの食べてる。
需要あるか?
最近は、会社の健康診断が近いので、昼は蕎麦、夜は魚や豆腐など、和食中心のヘルシーメニューで身体を整えている。
特に前回の健康診断ではコレステロール系の数値が悪化していたため、1日に接種して良いとされる脂肪・飽和脂肪酸の半分程度の摂取量に抑えている。
そうしたら、どうやら性欲が減退している。
みんなが大好きなトランスジェンダー関連の話ではないです
40歳になり、ストレスフルな仕事生活が何年も続き、自分の体が「男」でなくなっていくのを感じていた
身体は重いし、ちんこは立たないし、脂肪がぶよぶよだし、筋トレしてもすぐ疲れるし、筋肉は全然付かない
マンコの代わりにチンコが付いてる女みたいな、クソみたいな存在だった
先月ようやく、仕事上でお荷物な人間をパージできる目処が立ったので
簡単に言えば 「定時18時で絶対帰る」 「休日出勤はしない」 「交代休暇をきちんと使う」 これだけだ
でもこれだけできちんとした食事を作れるし、フルメニューで筋トレすることもできるし、ちゃんと睡眠時間確保できるし、部屋の掃除をすることもできる
自分の体がどんどん健康になっているのがわかる 心が充実していってるのがわかる
「空が青くて綺麗だな。木々の緑が綺麗だな。」って数年ぶりに感じた気がする
これでようやくソープに行けるかもしれない
心が疲れ切っていると、エロいことを「エロい!!」と感じる回路が切れてしまう
早く、女体を見て興奮できる人間に返りたい
俺を「男」にしてくれ、トンカット・アリ
5ちゃんねるの嫌儲板は、colabo騒動の当初は暇空茜を担いでいた
女叩きの文化が激しく、また弱者男性やオタクが多い板のため仁藤憎しで暇空についた
しかし、暇空は知名度を得るためにあらゆる相手にぶつかっていたらcolaboでようやくバズっただけで、
過去には表現の自由界隈の人たちを叩き「非正規だろ」「底辺職だろ」「ペドだろ」「児童買春してるだろ」と脈絡なく誹謗中傷してきた経歴が知れ渡りトーンダウン
colaboへの監査結果も「持ち出し金の方が多い」と1円も返金命令は出ない結果に終わり、
むしろ暇空の弁護士渥美陽子の団体「キッズライン」の方が数年前に公金不正受給2690万円の返金命令が出ていると発覚する始末
嫌儲は逆張り体質で「仁藤がなんかむかつくから暇空持ち上げるか」から「暇空がなんかむかつくから仁藤持ち上げるか」へ変遷した
ちなみに、昔嫌儲にはドラクエⅩオンラインのスレがあり嫌儲ギルドがあった
暇空の相棒であるなるくんは嫌儲ギルドでネカマプレイして金を巻き上げていたが、個人情報流出で男バレしてギルドは解散した
嫌儲のスレ立てにはbeという会員登録が必要で、beログインしている者には5ちゃん側が用意した絵文字が表示される
富士山の絵文字が表示されているスレ立て人、通称「富士山」は昔は仁藤叩きのスレも立てていたが、伸びるのが暇空叩きの方になったため暇空叩きスレを立てる常連になった
「【悲報】暇空茜さん、信者から集めた寄付金で1人3万円かかる天ぷら屋で食事」
暇空はcolabo追求のためのカンパ金を何故か関係ない別の訴訟にも横流ししまくってはいたが、「ナニカグループという背後にある巨大な組織に全員関わってるから当初の目的を逸脱していない」としている
ましてや食事代になど使っておらず、天ぷらは自費で食べたという
暇空はcolabo以前には「この寿司5万円だけど、お前こんなの食えないだろw」と突然寿司画像を女に送りつける迷惑おじさんとして知られていた
金持ちなのでカンパ金がなくても3万の天ぷらぐらい食えるので、実際富士山は調子こいてデマを飛ばしたのだろう
富士山は「暇空は開示した個人情報を収益化目的で何度も晒し上げている、裁判外に使う意図だから開示するな」と反論
小沢は「そんなことはしていない。裁判外で収集した個人情報を晒しているだけ。今回得た情報を晒すようなことはない」と延べ、開示成功
今までの相手方は実名で活動していたりお店を開いていたりだったが、富士山は一般人
裁判は公開のもとで行われるとは言え、期日前の書類の公開は著作権侵害にあたり違法である
暇空は住所氏名晒しについて「うっかりミス」だと取り繕うが、富士山の住所氏名は多くの人が目撃することになり、暇空支持者が5ちゃんねるで富士山の個人情報を執拗にコピペしている
「これからは弁護士と相談の上でしか載せないようにする」とミス防止をするよう装うが、
著作権侵害の期日前書類は氏名住所を黒塗りしただけで収益化のためにそのまま公開を続けている
小沢一仁がそれを許している
暇空が儲かれば小沢一仁も儲かるので、法律やモラルを除けば止める理由はない
暇空は期日前晒しを富士山相手に限らず大量にやっており、勝敗はどうでもよく裁判自体もどうでもよく、ただ晒して金儲けがメインになっている
そういった行為への歯止めになるかもしれない
小沢一仁にとっては、ろくに監督せずに暇空を暴れさせれば、暇空が訴えられて弁護でまた自分が儲かるので富士山も金づるにしか見えてなさそうだ
上司から指示がありましてこの度地球を侵略するために、まずどの地域を陥落されるのが効率的か調査してこいと。
それでまあ5月の連休中に東京に出張で来てまして某所のウィークリーマンションに潜伏してます。
日本の東京を選んだのはダーツを投げて刺さったから程度の理由でして、これといって思いもなかったんですが、いざ住んでみると人類が多く娯楽とか食事とか誘惑がたくさんあって物見遊山についつい時間を使いすぎまして、肝心のどこからどういう風に侵略すべきかっていうレポートがぜんぜんで来てなくて焦ってます。
そこで、なんか変なコミュニティだなと思って前々から気になっていたこのはてな匿名ダイアリーで地球の皆さんの意見を募ってみようと思いました。
ぜひおすすめの侵略コースを根拠と共に教えて頂きたく存じます。
日本の意見に偏っちゃうのは、なんか世界的に戦争とかしてるから、選択肢が狭くて、とか説明しようかなと思ってます。
私はちょっとこれから同僚と赤羽に飲みに行こうという話になってますので、確認できるのは明日以降だと思うんですけど、どうぞよろしくお願いします。
・誰も手伝ってくれない
とか思ってる人、多いと思うんだよね。
自分もそうだったんだ。
ゴミが落ちてるのにどうして誰も拾わないのとか、あんたのために食事を作ったのにすぐテレビつけて感想もないとか、疲れている時に洗濯物を畳んでいるけど家族がだれも手伝ってくれないとか、一回一回はそうでもないけど、ずっとそれが続くと、つらいよね。やるせないよね。
その結果、イライラがつのったり、孤独感が大きくなったり、なんのために頑張っているんだろうとよくわからなくなったりして、苦しいんだよね。
一部の人にしか参考にならないかもだけど、こんな風にしたら改善しつつあるよって個人的な体験を、ダラダラ書いてみるよ。
これまでにただの一度も手伝わなかった家族ってあんまりいないと思うんですよ。子どもやパートナーが手伝ってくれた時に、きちんと感謝を伝えるのをテキトーにしていると、だんだんと手伝う気を削いでいくね。言葉で「ありがとう」って言うときに、スマホ見てない?相手を見てる?「感謝の言葉テンプレート」に沿った機械的な感謝になっている場合は、意味が無いどころか逆効果だよ。あと、手伝ってくれた人に対して「いつもこんな風にやってくれるなら助かるのにね」とか「こんなのやってくれて当たり前だから」なんて感謝と真逆の嫌味を言ったことはない?該当するものがあったら、そりゃあ誰も手伝いたくなくなるよ。
思い通りにならないときに、わざと物音を大きくたてるとか、大きなため息をつくとか、独り言に見せかけた愚痴を垂れ流すとか、そういうことをする人からは他の人は離れていくよ。当たり前だよね、近寄りたくないんだもの。ニコニコ笑ってろとは言わないよ。けど、あからさまに「こんなに態度に出しているんだから気付いて何かしなさいよ」っていう意図で不機嫌な雰囲気を利用していないか、振り返ってみようね。みんな気付いてるよ。気付いているけど言葉になっていないから、何をしていいかわからないんだ。
前の項目と近いんだけど、相手にこうしてほしいなと思うことがあったら、まず最低限言葉で伝えよう。「それくらい察してよ」は絶対NG。だって考えてもごらんよ。何をしてほしいかわからないけど不機嫌な相手にさ「もしかしてこれかな?」と仮説を立てて実行したら「全然違う!」ってもっと不機嫌になったり、罵倒されるようなことがあったら、本当にこうしてほしいと思うことにたどり着くのに、相手はどれくらい頭を使って精神を疲弊させることになるだろう?想像できる?察してほしいが通用するのは乳幼児までだよ。
まるで勝ち負けを決めるかのように強い言葉を使うことってあるよね。それ絶対やめた方がいい。強い言葉って大体の場合は怒りと共に発していると思うんだけど、そもそも怒りってのは自分が自分のストレスを発散させるためのものだから。依頼や、ネガティブなことを伝える、指摘や叱りってのは、むしろ冷静に行うべきものだよ。もちろん、そんなことを言ったって怒ることもあると思うんだけど、だけどそれって自分自身のためだけに、自分が選択している行動だってことは思い出そうね。怒る人は怒ることを自分で選択しているんだよ。怒る人は発散して少しクールダウンするかもしれない。だけど、怒られた方の人は、意味が分からないことも多いはずだよ。「どうしてそこまで言われないといけないんだろう」って。たまには怒りをぶつけることが良い関係に繋がることもあるかもしれない。だけど、もし日常的に怒ってるような人はね、相手や家族に対して、あなたの想像する数十倍ものストレスをかけているってこと、忘れないでね。ちなみに、子どもに対してこれを続けると取り返しのつかないことになるよ。
「それしないと死んじゃう!」っていうくらい重大なものって世の中にはあるよね。だけど、そうじゃないものだってさらにたくさん世の中にはあるよ。「まあ、これくらいは、いいか!」って割り切っちゃえば消えるストレスもあるよ。
これ10割、100%嘘なんだ。そう思って他人と接している人は自分のためにこの言い訳を使っているだけだよ。「この人のために出来ることはなんだろう?どんな選択肢があるだろう?どんな方法があるだろう?」ってまず最初に考える人はね、あなたのために怒ってる、なんて言葉は使わないんだよ。8割とか9割かもしれないって思うでしょう。だけどね、この考え方にとらわれている人たちはね、自分は残りの1割とか2割の方だって、すぐに逃げちゃうんだよ。だから言い切ったよ。10割嘘だよこんな言葉。
本当にダラダラ書いちゃったよね。傾向としてはさ、冒頭に書いたことで苦しんでいる人は、実は自分の振る舞いで人を遠ざけていることがあるんだよってこと。
きっと、そうじゃない理由の人もたくさんいると思う。これはチラシの裏の落書きだからさ、そこは勘弁してね。
ただね、他人を自分の思うように変えることはできないからさ、できることって自分の表情や言葉、振る舞いや考え方を変えることくらいしかできないから。
なるほど。
じゃあまず「欲求が通ること」が「自分が大事にされてるor自分を大事にしてること」ではないということを知ろう。
それによって踏み躙られる他人が居ようと居まいと同じこと。
欲求のままにカロリーや塩分を過剰摂取し、生活習慣病なったとしたら、それは自分を大切にしてるとは言えないだろう?
欲求のままに女をレイプして、逮捕されて前科がついても、それは自分を大切にしてるとは言えないだろう。
後先まで見据えて、自分が幸せでいられる状態を維持することが、自分を大事にすることだと思えばいい。
それは、健康的な食事をとること。長めの睡眠をとること。自分の良いところを、自分だけはよく理解して認めてあげること。自分の悪いところをよく知って、それも含めて、自分だと認めてあげること。無闇に自尊心を傷つけてくる相手とは縁を切る。厳しい言葉でも、自分のためを思って話をしてくれる友人を大切にする。
それを実践し続けてると、隣人を大切にできるようになる。
セクシー田中さんの両社の報告書を流し読みしたが、日テレ側に書いてあった故・芦原先生に関する行動や心境の記述が、小学館側では何故か触れられていない。
具体的には以下。
7 話のプロットのラリー中の同月 16 日に、本件原作者から A 氏に対し、ベリーダンスのショー観覧の誘いがあり、本件原作者、C 氏、A 氏、F 氏が同席した。本件原作者と A 氏はここで初めて会ったものである
本件原作者は本件脚本家の 1 回目の投稿があった直後の 2023 年 12 月 25 日に関係者と食事をした。食事の際、本件原作者は以下の内容を関係者に話した。
・ A 氏は最初から本件ドラマについて改変ありきで進めていたのではないか疑問に思う。
・ 1 話から 8 話までは自分が大変な思いをして修正したものであるのに本件脚本家の手柄にされており、自分が脚本として作った 9,10 話が駄作と言われているのが許せない。
(中略)
関係者は、本件原作者他とグループ LINE をしていたが、本件原作者の投稿後、本件原作者から「こんな騒ぎにしてしまって申し訳ありません」というメッセージが来た。
関係者が「謝ることはないですよ、言いたいことがやっと言えてよかったですね」というメッセ―ジを送ったところ、本件原作者は「ありがとうございます。」とメッセージを残した。
これらは先生の心理を紐解くヒントになる重要な出来事であるにもかかわらず、日テレ側では調査できているのに小学館側が載せていないこと自体が、何らかの意図があると感じる。
先生からの制作サイドへのベリーダンスへのお誘いは、先生からの唯一の歩み寄りだったはず。同行した小学館関係者は、この時の先生の心理を説明できるはずでは?
また小学館側は1~8話の制作過程は詳細に記載しているが、9話、10話に関しては、先生が執筆することに決定後、それに関する記述はほとんど無くなる(クレジット問題を除き)
原作者が書いたからそこには何も問題が生じていなかったというスタンスだろうか。上記の関係者の内容やブログを見る限り、執筆した為に生じた苦悩があったことは明白であると思う。
全体的に、小学館側は芦原先生の代理人・代弁者という立場で仕事をしていた自覚がないようにみえる文書になっている。
芦原先生が強硬姿勢になる原因を作ったのは日テレ側の制作プロセスの問題だが、原作者と日テレ側が直接やり取りしない体制に合意した以上、それを制御できる立場にあったのはパイプ役の日テレ側の窓口・編集者だけだった。
にもかかわらず、強硬姿勢になるまでの間に小学館側が何らかの具体的なアクションを取ったり、先生の苦悩を慮る配慮をしていた様子が見られない。または報告書の中からカットされている。
日テレ側が負担や問題を押し付けてた結果生じた事件であるということを強調したいが為か、恣意的な、ドキュメンタリー感ある報告書になっているように感じる。
あとついでに。
(2) クレジットについて
本件ドラマの第 9 話、第 10 話の脚本を書いたのは芦原氏であり、その著作者は芦原氏であるから、芦原氏が単独のクレジット表記を求めることはおかしなことではない。
この主張はヤバくないか?
関わっていないと断定して外部の人間のクレジットは外せという要求は、明らかに著作権の範囲を超えた越権的行為だ。
スペシャルサンクスに書かれてる人間全員何もしてないだろ!消せ!とか言ってる人間いたら、どの立場でも顰蹙買うだろう。
(補足:前提として、制作サイドが提案したクレジット案を原作サイドが全て拒絶して9話に脚本家はどの役職でもクレジットされなかった。10話はオールクレジットという手段で認可された。小学館側はこれを妥当とする主張)
・クレジットとは本来敬意を示す箇所であり、直接携わっていなくても表記するケースは慣例として幾らでもある
・脚本家は9話は第5稿、10話は第4稿まで提出していて、その中のアイディアが決定稿に使われていると主張している
・日テレ側は脚本家が9話と10話に関わったことを認めていて、脚本家の名前をクレジットするつもりだった
・氏名公表権の観点から、(利害を人質に)他者のクレジットを消させる行為は、違法である可能性がある
これらのことを考慮せずに、制作側ではなく、取引先でしかない小学館が、一方的に判断してクレジットに口を挟むことを是とすることが強い違和感がある。
小学館はクリエイターファーストの精神であるのであれば、クリエイターの尊厳を軽視するようなことを主張すべきではないだろう。
仕事とプライベート共に忙しくしていて、一段落着いたなと思った翌日から急に来た。仕事中、通勤中、帰宅しても。少しでもボーっとすると目に涙がたまる。流石に職場でそのまま泣くのはなと思って耐えていたけれど、家ではどうしようもないからそのまま涙を垂れ流しにしておいた。
特に3日間くらい酷い日があって、帰宅して食事をしようとするととめどなく涙が溢れて仕方なかった。家族とは食事の時間が合わないし、わんわん泣くわけじゃなく静かに泣く感じだったから気づいていないと思う。
その辺からか、仕事の時は一応笑うことは出来るけれど、家にいると全く笑えなくなった。テレビも全く見なくなったし、家族と世間話が出来なくなった。おはよう、おやすみ、行ってきます、ただいま、いただきます、ごちそうさま、これを言う以外ができない。できないというかどうやっていたか思い出せない。
今は泣きたいのはだいぶ収まったけれど、相変わらず笑えていない。どうしたらいいんだろう。
(男性が)気になる女性と2人で食事に行く時はいきなりディナーじゃなくランチにするとか、複数で行く時は女性が1人にならないようにするとか「女性を女性として接する」人の方が圧倒的に好感度高くてモテると思うけどな。
すげー納得いかない
食感、におい、味覚ぜんぶが食事を楽しむってことなんだなって身をもって知った気がした
いろうしたら生きる意味ないみたいなやつもたまに見るけど実感をともなってわかった気がする
家庭で食事を作るのは女ばかりだけど、飲食店は男ばかりってバカがたまに暴れるけど、
https://note.com/goodjoshi/n/na2ac58350ee9
何十kgもある肉を切って仕込みだとか、5kgの巨大寸胴を運んで調理するだとか
力が無きゃ市場で戦いようがないんだわ。
あくまで個人的な考えではあるが、二つのポイントがあると思っている。1つ目が「自分の目的のためだけに相手を扱わない」、2つ目が「相手が独立した他人であることに焦点を置く」ということである。
一つ目について、例えば、あなたが誰か女性に話しかけるとする。女性がその会話に応じてもいいかな、と思う場合には、そこには大抵、明確な目的意識はない。例えばちょっと時間を潰すとか、クラスメイトと仲良くしておこうとか、その程度のゆるい意識がある程度だろう(つまり、会話するという手段そのものが同時に目的でもある)。その結果としてお互いのことを知り、親密性が上がることはあるかもしれない。けれども、もしあなたが、その女性と交際する、というステータスを得るという自分自身の目的のためだけに手段として会話をしている、というのであれば、お互いの意図は噛み合わないことになる。あなたが自分の目的だけを強く推し進めるのであれば、その女性は、自分の意思は無視された、と感じるかもしれない。あなたが極端にも「交際というステータスを得られないのであれば、会話など意味がない」という態度を取るのであれば、彼女は、あなたの一方的な目的のためにコミュニケーションリソースを利用された、と感じるかもしれない。
あなたがもし自分が「非モテ」側だという自覚があるならば、まだ一度も話したことのない異性が、あなたを恋人候補として意識しているという可能性は極めて低い。だから、明らかにお互いが恋愛を目的としている、という確実なコンテクスト(例:婚活・マチアプ)がない限りは、まずは「特に目的もない会話をできるようになり、すること」というのが人間関係の第一歩になるはずだ。
もう少し関係性が深くなり、交際を意識するようになったら、今度は2つ目のポイントが重要だろう。これは要は「一般論的な、あるいは自分自身の願望を、ノータイムで相手に投影しない」ということだ。
例えば、女性は割り勘を嫌うから、という一般論を踏まえて、今日の食事は奢るよ、という態度をあなたが取ったとする。ところが、相手の女性は、自分とあなたはただの友達だし、奢られる理由はないから割り勘にしよう、と返してきた。ここで、意地でも奢りを貫こうとするならば、相手の女性は「わたし」ではなく「女性一般」を見ていると感じるだろう。あるいは、あなたは贈り物をもらうのが好きで、だから相手に贈り物をあげたら喜ぶだろうと考えて、何かを渡してあげる。しかし、相手の女性は人からものをもらうことを、「借りを作る」と考えて苦手に思う人間で、それを拒否してくるかもしれない。こういうときに、おかしい、ものをもらったら僕は喜ぶのだから、あなたも喜ぶはずだ、とあなたが突き通すなら、それは相手の個人としての人格・思考を無視していることになる。
いや、じゃあなんで奢り奢られ論争なんてもんがあるんだ、と思うかもしれない。そりゃまあ、例えば、多数派の異性がそう考えているであろう信念を一手目の根拠にする、というのは楽な戦略だろう。楽な戦略だから、多くの人がそれを推奨する。とはいえ、もしそこで相手が「私はNoだ」と言ってきたら、相手の主張を一旦真剣に受け入れる必要があるよ、というのがここで言わんとすることだ。
それから、相手の考えは「常識的に、察すべき」だと女性は言うじゃないか、という反論もあるかもしれないが、個人的にはお勧めしない。というのも、互いの欲望の言語化ではなく、察し能力のみに依拠するコミュニケーションは、早晩破綻しがちだ。結婚まで至ろうものなら、必要なのはすり合わせの連続である。セックスレスで揉める夫婦を見てほしい。「一般的な夫婦は経常的にセックスすべきだだし、自分もそう思っていた」「一般的な夫婦は出産を機にセックスは必要でなくなるし、自分もそう思っていた」両方、一般論としてどこかで聞いたことないだろうか。どちらも、「はっきり確認させていなかったけれど、相手も同じ信念を持っているだろう」と思い込んでそういうことを言ってしまう。けれども、どちらの信念を持つか、その違いがわかるのは、できれば早い方がいいに決まっている。
注意点としては、ここに書いてあることすら必ずしも「万人の正解」ではないということだ。これを書いている人間自身、基本的には「ある程度コミュニケーションが取れてから相手を恋愛対象として考える(一目惚れをしない)」という信念に基づいていて、その分のバイアスがある。世の中には、「感情的なつながりがない時だけ性的好意を持つ(フレイセクシャル)」という人種もいるらしい。そうしたら、人間関係を徐々に構築する戦略はうまくいかないかもしれない。要は、誰にでも100%うまくいく方法なんてない、ということである。ここまで長文を読ませておいて、と思われるかもしれないが、2つ目のポイントの本質はそこにある。すると必然的に試行錯誤が必要になるし、失敗にめげない胆力がカギになってくる。
相手はあなたと同じ、思考する人間である。しかし、その思考の様式、前提、ひとりひとり大きく異なっている。今、目の前の相手がどういう人間なのかをどれだけの解像度として知ろうと思えるか、そこで人間個人としてのコミュニケーションの深さが測られる。もちろん当然、それはあなただけが頑張るべきことではなくて、お互いが意識すべきこともである。あなたがもし、相手に蔑ろにされたと思う時には、怒っていい。自分を大切にすることもまた、相手を大切にするための一歩であるのだから。
スーパーに買い出し。
刺身の盛り合わせ、US産肩ロースステーキ、から揚げ、シチュー、ミートソース、カレーパン、菜の花炒め、レモン入りサラダ、ビール、七賢、おにぎり(鮭、焼き鯖、鳥ごぼう、梅)。
準備はステーキを焼くだけ。弱火で火を通した後、普段はめんどくさくてやらないけど、今日だけは焼き目をつけて仕上げる。
妻と息子はステーキを食べていつもこれにしてとか言ってる。
昨日体調が悪かった息子はおかずをつまみながらカレーパンを食べてさっさと食事を終える。
娘は普段炭酸を飲まないが、コーラを飲んでおいしいとか言ってる。
俺と妻は普段一切会話がない。
娘が少し驚いてる。「二人がそんなに長い会話してるの初めてじゃない」