はてなキーワード: 陶芸家とは
そして今、エロ同人描きつつ、健全な読切漫画を編集部へ持ち込みするものの、
「キャラは上手いけど背景がね…」と言われ、
じゃあ背景練習して上手くなってアシやればいいじゃんって思うかもしれないけど、
どうにもこうにも背景が描きたくない
一応パース定規は使える
でも描きたくない
もはやアレルギーに近い
人物の後ろにテキトーな線をピピッて引くぐらいならまだいいけど、
大ゴマで背景バーンみたいなカットだと1個4~6時間とかかかるし
自分の同人誌の中の背景ですら億劫で、(でも背景描かないと場所わからんし仕方ないか…)と嫌々描いてるのに
そもそも、「漫画家になりたいなら、他の漫画家の背景をひたすら描いて修行してね」ってやり方がもう古臭くない?
3D素材とか出てきたし、もう少しうまくやれないのかな
プロになったら背景描かないんでしょ?
まあ俺の怠惰とか言われたらそこまでなんだけどさ
山路薫という官能小説作家がいる。主に1990年代に活動していた人でここ10年かもっと、作品を発表していないと思う。北海道出身だが、少なくとも活動後期は京都に居た。中でも京都を舞台にした作品が印象的だった。ヒロインは京言葉、あるいは丁寧な言葉を話す。
宇治薫という官能小説作家がいる。2007年にデビューした人で、3作ほど書いてそれっきりになっている。京都在住。ヒロインは京言葉を話す。
さぁ、と言うことで二人は同一人物なのか?と結構頭を巡らせた。結論は出ないが、違うのではないかという方に傾いている。山路薫は「造り酒屋」とか「陶芸家」といった古風な家に嫁いでくる女、嫁いできた女という主題が目を引いた(違う作風もある)。そういった環境を比較的落ち着いた筆致で書くことが出来た人だと思う。ようするに舞台設定がうまく、描き上げた舞台にヒロインを据えてみせた。使う言葉も、長年文筆の世界に居たことをうかがわせる。一方で宇治薫が描く小説の舞台は狭い。3作中2作は小さな家庭の中の話に終始する。また、読んだ範囲で山路薫は女性の胸の触り心地をきちんと書いていたが、宇治薫はその点がなおざりになっている印象が強い。
はて、悩むほどの事なのか?
宇治薫というペンネームは明らかに源氏物語宇治十帖の登場人物、薫からとっている。一方の山路薫だが、源氏物語の二次創作『山路の露』を思わせる。この作品も主人公は薫である。
偶然なのかなぁ。怪しいなぁ。
たぬ子はポン吉にわけを聞いた。
「どうしてあたしを嫁にもらってくれんの?」
「そりゃあおめぇ、オラの所に来たら、こき使われるからだぁよ」
「なんでもするよ、あたし。ポン吉さんと一緒にいれるなら、なんでもするだよ!」
「おめえがそこまで言うなら・・・わかった。じゃあちょっとついて来い」
そう言ってポン吉は倉庫に向かった。
「今からこの扉開けるけんの。驚くなよ」
ポン吉は意を決して扉を開けた。
するとそこにはなんと、タヌキの置き物がズラーッと並べてあった。
「な、なんだいこれは!?」
「信楽焼のたぬき・・・確かに人間の家の前でよく見かけるけど、なんでここに?」
「笠帽子をかぶらされ、徳利を持たされ、目をくりっと開けさせられ、笑顔を無理に作らされる。
そしてそのあとどうなるか?」
「そんな訳あるか!!」
「す、すまん。しかし怖いのはここからじゃけん。オラは鼻にストローを突っ込まれ、円筒の容器に入れられる。
「え!?」
「!!!」
「そして石膏が固まるまでオラはそのままじっとしとらんといかん。動いたら石膏が歪むからのぉ」
「やっと固まって、石膏が二つに割られ、オラが出てこれる。そんなことを毎日のごとくやるんじゃ」
「・・・」
「おめぇにそれが耐えられるか?」
「え?」
「ポン吉さんと一緒にいられるなら、あたし、石膏なんて怖くなか!」
「いや、何言うちょる!お前にそんなことさせられん!」
「いや!あたし、ポン吉さんとおりたい!だから一緒に信楽焼の型になる!」
たぬ子は涙でグショグショになりながらポン吉に訴えた。
「・・・わかった。そこまで言うなら、オラと一緒になってくれるか」
「ポン吉さん!」
その後、二人を型取った夫婦たぬきの信楽焼は、まるで生きておるようだと噂になり、それはもう沢山たくさん売れたそうな。
しかし、たぬきを石膏に入れる手法は、実は違法な陶芸家集団の仕業であった。
集団は警察に捕まり、解散。ポン吉や夫婦たぬきの型や置き物は、回収された。
・初詣(元旦に好きな神社に行く「初詣」が定着したのは明治中期の鉄道会社のキャンペーンによる。)
・除夜の鐘(1927年にNHK「ゆく年くる年」の前身のラジオ番組が「除夜の鐘」を放送したことがきっかけで日本全国に広まった。)
・おせち(正月料理を重箱に詰めるようになったのは明治以降で、それが全国に広まったのは戦後のデパート業界のキャンペーンによる。)
・二礼二拍手一礼(一般の参拝客が行うべき「正式な作法」とされて広まったのは戦後、あるいは平成以降であるとも言う。)
・いただきます(食前の挨拶としては、軍国主義教育を通して1930年代ごろから普及していったと思われる。)
・正座(明治以前にも存在はしたが一般的でなく、正座=正式な座り方とは見なされていなかった。「正座」として広まったのは明治以降である。)
・六曜(明治以前にも存在はしたが一般的でなく、本格的に普及するのは明治に入って太陰暦から太陽暦に切り替わって以降である。)
・信楽焼の狸(明治期の陶芸家・藤原銕造が製作したもので、全国に広まったのは1951年に昭和天皇が信楽焼の狸の和歌を詠んだことから。)
他にある?
自慢げに見せられるラーメンどんぶりを見たらマイラーメンどんぶりが欲しくなることってない?
て言ってもさ、
そのマイラーメンどんぶりをラーメン屋さんに持って行ってこれにラーメンをよそってね!大将!って行くワケじゃないわよ。
自分で本格的にと言う意気込みで作る袋ラーメンは格別よねってこと。
たまーにそう言う袋ラーメンをこだわった作り方をする小池さん的か小泉さん的なもうどちらでもいいけど、
人のを見ると欲しくなっちゃうのよねー。
私の心にグッとくるラーメンどんぶりにはまだ出会えてないから、
いつか出会えるんだと信じて今日もラーメンどんぶり屋さんの暖簾を腕押ししたの。
逆にどれを選ぶか迷いきれなかったわ。
モノがあったらあったで迷ってどれかを選びきれない功罪ね。
使ってたら欠けたり割れたりすることってあるじゃない。
ラーメンの仕上がりに対して
まあ通常使っていたら、
そう言うことってあるから
そうなってもいいようにお気に入りのラーメンどんぶりはいつでもどこでも買えるホームセンターとかに常備してあるやつがいいんだなーって
そうなると選択肢はすでに時が遅かったように、
私は心のラーメンどんぶりを救いに行くためにホームセンターに駆けて行かなければならないのよ。
なになにを救いに行く!ってのあるじゃない、
まあラーメンだけに「てぼ」も欲しくなる、
文字通り麺を「すくう」って上手いこと言えちゃったけどね。
せっかくだから本格「てぼ」もあったら
湯切り技事典を読んで私も湯切りの技を繰り出せるようにしなくっちゃってね。
でもさ、
よくよく考えてみたら、
あの手の湯切りの技はあるのに
金魚を救うあの名前の「ポイ」の金魚すくいの技の名前事典ってなくない?
あれもあったら
夜店とかで技を披露する人が多数だと思うんだけど、
でもあの金魚プールの人混みの手狭な中で技を繰り出すなんてそうそう迷惑な話よね。
本格「てぼ」も欲しいところだけど、
洗濯機の脱水みたいに
強力な脱水させる装置との二種類が主流らしくて、
ひっくり返せばジャーズーってワケ。
勘違いおしゃれラーメン屋さんのジャズが聴けるテラスでラーメン格好つけてすすっている場合じゃないわって思うし、
やっぱりラーメン屋さんはAMラジオが一番似合うような気がするし、
ラーメンの麺に聴かせるとモーツアルトのように美味しくなるような曲があってもいいかも知れないわね。
美味しいらしいわよ!
そういう所は大抵、
うちの麺ジャズ聴かせてますって書いてあるからよく見てみてよ!
ズージャーを聴かせたメンラー屋のンメーって10回言えたら正に業界人だし、
その言葉を10回言ってここはどこって言って膝!って思いっ切り間違って答えちゃうぐらい赤面を喰らえばいいのよって思うわ。
メンだけにってね。
うふふ。
カフェオレ飲むだけにしたわ。
「オレ飲むカフェオレ」
って今考えたキャッチコピー、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
(正直、コロナ騒ぎで好事家がコレクションを手放さないかなーという岡村的発想もあった)
ここ数日明らかに新着出品の傾向が変わってきた
個人の焼き物好きが集めるもの「ではない」有名陶芸家の作品が出回り始めているのだ。
個人がよく集めるのは、だいたい以下のような感じだ
上記に加え
上記に加え
要するに、趣味や家に飾れる範囲のインテリアにはお金を出せても、揃えて10-30万クラスの食器で普段の食事をしようという人はいくらなんでも少ないということ。
陶芸家の方もそんなことは無論承知だから、この類のものはもともと市場に出回らず、ダイレクトに料亭やレストランに卸されることが多い。
で、件の出品群の中には、料亭出品であることを明言しているものもある。
それが手放されるということは、、、悪ければ倒産に伴う債務整理か、もう少しポジティブに受け取ると、秘蔵の食器類を少し減らして当面の運転資金にしようとしているのだろう。
で、落札の傾向を見ているとやはり「個人で集めるもの」にかすっているようなモノは高額で落札されている(例えば大型のお銚子単体とか。一品で持続化給付金くらいになってたりする)が、皿類は低調に見える。
お気に入りだった底浅幅広の器の端が欠けたのもあったし、妹から久しぶりにあう親へのプレゼントは?みたいなことをせっつかれて。
藤野陶芸市は、藤野に在住する陶芸家が中心となった市だ。なので市場のようにぎゅっとしたのと違って、各工房がそのまま出店になっている。
地図を見るといい感じに散らばっていてディズニーランドのアトラクションを回るようで楽しそう。そう思っていた。駅から降りるまでは。
昼に藤野駅に降りたがバスがない。次は13時といきなりサドンデス落とされた形で、案内所でもらった地図から見た目1番近い場所をグーグルで検索すると30分。歩いているうちに抜かされる感じはないし、いくか。歩き始めて、橋を超えていきなり坂にぶつかった。
ここ登るのか。諦めの境地で突き進むとなぜか坂が終わらない。グーグルマップでみると道が蛇行しているではないか。もしや…
かくして最初のお店につくときは息も絶え絶えでしばらく魂が抜けていた。
広場みたいなとこで楽曲団による演奏をやっていて、それを遠耳に藤野の地ビールであるクラフトビールを飲んだ。六百円といい値段したけど2杯もつい飲んで。いい風が吹いていてとても美味しかった。
ちょうどいいお皿を見つけて即決すると陶芸家のひとに夏みかんもいただくなんて嬉しいこともあって。
さあ2拠点目に行こうか。そう思ったら4キロ先だった。バスもやっぱり一時間は後。歩くしかなかった。
山の中に目が浮いていたり、全宇宙の遺伝子を表現したモニュメントがあったり芸術の道を延々と進んで。
やっとついた先で、まず休憩所を探した。ハーブティーをおばあさんが百円で売っていたのでお願いするとティーポットと一緒にでてきた。青空喫茶に風がよく合う。ごちそうさまでした。
次の拠点までまた歩いた。
途中でベトナムのかき氷売ってる路地のひとに誘われてまた休憩。杏美味しかった。
神社の露店では強く吹いた風に浮きかけたテントをがしっと掴むなんてハプニングもあって。
まだこの先に山荘があるんです〜と親切そうなお店の人に地図を渡されたらいくしかなかった。
また歩いた。
蔵を借りてLPを流しているオジサマに出会った。ドイツのアンプは世界一ーと延々と語ってくれた話は楽しかったが確かに音は良かった。
そんなこんなで。
徒歩16000と全然大したとこないはずなんだけどやっぱり皿が重いんだと思う。
すごく眠たい。満足感ある疲れが残った。
「ご恵贈頂きました」という類いの呟きに寄せた郡さんの「呟き」は、書物を出版するという行為を人脈作りのように扱うことへの反感をこめたものだ。その底流にあるのは、書物という存在に対する畏れ、敬意、尊重するという「しぐさ」であり、それが彼の出版人としてのスタンスの根本に関わる問題であることが伺える。
一方で「その呟きを批判することが自由な言論の流通を阻害する」と批判する小林さんの意見は、これも書物を狭い公共圏の所属物にしてしまうことへの嫌悪や彼女なりの書物の未来への希望に基づく批判だと考えられる。書物はもっと自由で開かれたものであるべきだ、という思想もまた、彼女の出版人としての根本に関わるテーゼなのだろう。
両者の意見を踏まえた上で、その対立について、それから、切り取られた「クッキーでも焼いて…」という言葉について意見を述べたい。
まず、両者の意見はまさに「意見表明すること」に対する価値観を異にしているため、おそらく折り合う点がない。郡さんは「世界に向けて意見を述べるとは、反論・批判を受けて立つ覚悟に基づくべきものであり、それは神聖な行為だ」と考えているのだろう。そういう覚悟のないおしゃべりによる人と人の繋がりを一段低いものと見て、Twitterなどの道具を使ってそれをすることを否定するほど狭量ではないものの、自分が心を込めて関わっているものをそんなことの道具に使う行為に対しては嫌悪感を覚える、というスタンスだ。たとえて言うなら、陶芸家が「いまプレゼントに最適なカップ」特集とか見て、苦虫をかみつぶしているような感覚だろう。
一方の小林さんは、おそらくそういうスタンスをもつ世代の「本」作りには未来がないと踏んでいる。彼女は彼女なりに出版の未来、書物の未来を憂えていて、むしろ前世代の人が気軽な交流の場に本を持ち出すことに苦言を呈すること自体が、書物の未来を奪うものとして気に入らないのだろう。たとえて言うなら、その陶芸家の息子が、自ブランドの社長として上手にブランディング戦略をして「プレゼントに最適なカップ」特集に○○印のカップを掲載してもらっているようなものだ。
……とまとめれば分かってもらえると思うが、こんな二人の話が折れ合う地点など最初からない。
私が問題だと思うのは、こんな折れ合わない二人が触れ合い対立してしまうことを、いまのTwitterの仕組みはプラスにできず(論争が深まる余地がないので)、足を引っ張り合うこと(炎上)にしか繋げられない点だ。SNSは人と人の距離をぐっと近づけたが、ブログvsブログならまだ存在した対話の余地を、Twitterは残さない。そしてそれを煽るのがtogetterのようなまとめサイトで、まさに郡さんの思うような「編集」という行為の恣意性や恐ろしさに気付かないまま、面白おかしく「炎上しやすそうなポイント」に絞ってページ作成者は対立を煽り、社会全体の生産性を下げている。私は、この二人はそれぞれのポジションで自己のお仕事に邁進していただいたい方が、なんぼか日本と世界の、そして書物の未来のためになると思う。
今回の対立は「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」という郡さんの売り言葉に対して「性差別的な発言が感情的な口調」と小林さんが受けたところから本筋を逸脱した。郡さんの文脈でこの売り言葉を読めば、それはつまり「(書物の怖さを尊重せず交流の価値だけに可能性を見出すなら、書物という作るのも受け取るのも恐ろしいものに手を出さず、安全な)クッキーを焼いてフリマで売って(好きなだけ「素敵ー」とか言い合ってぬるい交流をす)ればいい」という意味であるのは明白だし、ブラック気味のジョークとして受け取れる範疇の揶揄であったと考えるが、小林さんはその文脈を外して「(自分が女性だからクッキー焼け、つまり社会に出てくるなという話になるのか、つまり)性差別」でありかつ「(性差別的な発言を不用意に侮辱的に投げかけるほどあなたは)感情的だ」というレッテル貼りを行って、話を泥沼化させた。あとは、Twitterに住む蝿がよってたかってブンブン言わせて、事態は無事小学校の学級会へと堕していった。
郡さんのそのブラック口調が不用意だったのか、あるいは(かねてから似たような目に遭ってきたと想像される)小林さんの受け取り方がよくなかったのか、そこは今更問うまい。両者がその間の事情をそれぞれ忖度すべきだったというほど、両者に重い責任を負わせようとも思わない。ただ、いずれにせよ、両者はTwitterなどという軽い軽い場で議論じみた交流をすべきでなく、ただお互いの仕事に努めた方がずっとよい。陶芸家とその息子、ハッキリ言えば話すだけ無駄だと思う。
これまで何度も繰り返されたこういう出来事(出会うべきでない二人をお節介にも出会わせて無益な対立を生み、あまつさえそれを見世物にする!)をシステム上で防ぐ仕組みができない限り、いずれTwitterは信頼も人心も失っていくだろうと思う。