はてなキーワード: 香道とは
(正直、コロナ騒ぎで好事家がコレクションを手放さないかなーという岡村的発想もあった)
ここ数日明らかに新着出品の傾向が変わってきた
個人の焼き物好きが集めるもの「ではない」有名陶芸家の作品が出回り始めているのだ。
個人がよく集めるのは、だいたい以下のような感じだ
上記に加え
上記に加え
要するに、趣味や家に飾れる範囲のインテリアにはお金を出せても、揃えて10-30万クラスの食器で普段の食事をしようという人はいくらなんでも少ないということ。
陶芸家の方もそんなことは無論承知だから、この類のものはもともと市場に出回らず、ダイレクトに料亭やレストランに卸されることが多い。
で、件の出品群の中には、料亭出品であることを明言しているものもある。
それが手放されるということは、、、悪ければ倒産に伴う債務整理か、もう少しポジティブに受け取ると、秘蔵の食器類を少し減らして当面の運転資金にしようとしているのだろう。
で、落札の傾向を見ているとやはり「個人で集めるもの」にかすっているようなモノは高額で落札されている(例えば大型のお銚子単体とか。一品で持続化給付金くらいになってたりする)が、皿類は低調に見える。
やや旧聞に属するが、「韓国の茶道では魔法瓶を使う」というのが、はてな・にこにこ動画・2ch等で話題になり、
「茶道なのに魔法瓶wwww」ってな感じの嘲笑のコメントが数多くついていた。
(これね→http://www.nicovideo.jp/watch/sm21555732)
「フイタ」理由として挙がっていたものを最大公約数的にまとめると、
「韓国の茶道には威厳ってものがないのかwwww」ってのになると思う。
しかしこれらは日本の文化を多少知っていれば、どちらもおかしいと分かる話だ。
まず前者のどこがおかしいかであるが、そもそも「お茶を飲む」という習慣はお茶の原産地である中国ではじまり、
そして日本にきた段階で始めてお茶がわび・さびと結びつき、日本の茶道ができあがっている。
(珠光が結びつけ、利休が完成した。)
だから日本以外の国のお茶にわび・さびがないのは当たり前の事に過ぎない。
わび・さびは日本特有の(だからこそ誇るべき)文化なのだから、
イギリスのティーパーティにはわび・さびが感じられないといって嘲笑うのとたいして変わらない。
昔読んだ本によれば、江戸時代、茶人といえば変人の代名詞的な側面があり、
極端な例になると、わび・さびを演出する為に新しい茶碗をわざわざぶち割り、それを修復したり
したそうだ。
利休自身、たった2畳しかない茶室・待庵を作るなど極度のミニマリズムに走っており、
お茶を飲むだけの為にこんな狭い部屋に入らねばならない理由は
日本人ですら理解する人は少なそうだ。(だからこそ江戸時代変人扱いされた。)
私自身は利休の茶道を一切の無駄をそぎ落とした素晴らしいものだと思ってはいるものの、
日本のこんな極端な文化を基準にして他国のお茶の文化を嘲笑うのは
さすがに無茶としか思えない。
次に「韓国の茶道には威厳ってものがないのかwwww」って意見に関して。
韓国をはじめ海外のお茶の習慣はよく知らないから断言はできないのだが、
冷静に考えてみれば分かるようにそもそもただお茶を飲むのに威厳を要求する方がめずらしい文化
なんじゃないか?
日本では茶道、武道、芸道、香道などのように
「道」を求める文化があり、それは禅が関係しているそうなのだが、
禅は仏教の一形態に過ぎないのだから、他の東洋の国が同じような文化を持っているとは限らない。
それに日本の茶道は秀吉をはじめとした権力者と結びついていたが故に威厳を求められた
という事情もあるだろう。
であるなら、歴史や文化が違えば、威厳なしでお茶を飲む茶道だってありえるはずなのだ。
だって、多かれ少なかれ茶道というものは礼儀作法であり、おもてなしなのだから。
丁度フランス料理を食べるときの作法が一通り決まっているように、
であるなら、魔法瓶でお茶を飲むときの「礼儀作法」が「茶道」として
きちっと決まっているならそれはそれでよい事ではないか?
魔法瓶でお茶をさめないようにするのもおもてなしとして理にかなっている。
一方日本の茶道は魔法瓶のような現代の日用品を使った場合の作法について
何も教えてくれない。
人間、どうしても自分が学んできた事・知っている事に縛られてしまい、
外国の文化を自国の文化を基準にして裁いてしまうという愚行を犯しがちだ。
だが今回の件はそれ以前の問題として、そもそも自国の文化にすら詳しくないが故に
起こってしまった誤解のように思える。
自国の事すら知らない人がなぜ他国の事を裁けるのか。
他国を判断したければまず自国について知らねばならないのではないかと思うのだ。
付記:
こういう記事を書くと「茶道の韓国起源説が~」というレスが沢山つきそうだが、
そういったものとは別次元の指摘だと理解していただけると思う。