はてなキーワード: 身分とは
子なし専業主婦10年目。結婚してわりとすぐ僻地に赴任。赴任先が特殊な場所で就労がほぼ不可能(赴任してから判明した)。不定期バイトみたいなことはやっていたがコロナで現在はほぼ0に。
夫婦ともに子どもを望んでいたけどできず、産婦人科からは「まずはタイミング法から」と言われた。その時点で、『怖いから精子の不妊検査はしたくない』とか、『お前が酒飲んだり夜更かししてるからできないんじゃないの?』(※夫は当時激務で飲酒は私よりしてた)と言うようになった。義両親からは何も言われなかったが、母や父からは『産婦人科に行って生めるかどうかの検査をしろ、自分達もなかなか出来ずに行ったんだ、夫が協力してくれないならまずはお前だけでも行け』みたいなことを帰省のたびに私だけに言ってきた。そんなことがあり心が折れて、不妊治療の一切をやらずに今に至る。
全然後悔していないし、夫はコロナのストレスでモラハラがかなりひどくなり正直一緒にいたくないので生まなくてよかった、生まれなくてよかったなと思う。
なんで離婚しないの? と言われそうだけど、機能不全ぎみな家で育ったので両親は協力しないだろうし、その一方で実家は自営業(商才はありうまくいっている)なので外聞が悪いだろうなとか、自分が我慢すればわりと全てが丸く収まるから人間関係全部精算するくらいの気概がないとできない。その気概がない。
あと、モラハラってされてると、よっぽどひどくならない限りは慣れる(毎日怒号の飛び交う家庭で育ったのである意味耐性もついてる?)。
専業主婦生活で海外旅行などそれなりに豪奢な経験もできたし、逆に安く無駄なく栄養高く食材を使う方法とかもインターネットのおかげでわかるし、もしも夫から離婚を切り出されたら残りの人生貧乏でもいいかなと思ってる。隠し預金もあるからすぐに食い詰めることはないだろう。
アラフォーだけど正直欲が枯れたというか、好きな趣味をしてても心が動かなくなりつつあって、ほしいものもないし食べたいものもない……あってもアラフォーだから食べ切れる胃じゃない。
生きている意味あるんだろうか。だんだん文章がグダってきてるね。なんかごめんなさい。身分だけならけっこういい身分なので弱音とか言えないからここに吐き出させて。
「何をやるか」こそが重要であり、「誰とやるか」という人間関係については今まで軽視してきた。最近の若者の典型かもしれない。
しかし、色々あって人間関係の大切さに気づいたので記しておく。
私は地元(地方)のとある企業に新卒で入社した。中小企業で業界内でも強い方ではないため、スキルを身につけられる環境かといわれれば微妙である。
大手の子会社ではあるが、給料は高くなく年齢で見れば平均くらい。管理職になってもそんなに上がらないらしい。一応そこそこの大学(偏差値60〜65くらい)を出ているので、同窓生の多くには収入で負けるだろう。
将来を危惧して、転職活動に手を出した時期もあった。しかし結局は転職せず、暫くはこのままでいいやと思っている。
今いる部署は人間関係が非常に良い。歳が2つずつ離れた先輩と後輩、そして40代の上長という小さな部署。先輩と後輩はともに穏やかな性格でとても優しく、話もそこそこ合う。上長も同様で、指示は丁寧で過干渉してくることもない。
色々と大変な仕事が降ってきた時期もあったが、部署のメンバーに何でも相談できるし励まし合うこともできたので、辛さは感じなかった。
ちなみに、一つ前の部署は真逆で人間関係が良くなかった。会社を辞めようと思ったこともあるし心療内科にも通った(休職まではしなかった)。
最近は転職市場が盛んだと聞く。また、副業を勧める風潮も強い。これからの時代、会社が身分を保証してくれる可能性は低いので、スキルを身に着けて個として強くなる必要があるのだろう。
それはそうだが、人間関係という観点で見ると、新しい職場の人間関係が必ずしも恵まれるとは限らないし、馴染むためにコミュニケーション力が求められる。そもそも私のような一般人がスキル一本でやっていけるのか。
そう考えていくと、現状に多少の不満があったとしても、転職には中々足を踏み出せない。
これが万人に当てはまるかは知らない。
今年の春から新卒で仕事を始めた。みんなが知っているような会社の新入社員として華々しく働き始めるつもりだった。
小さい頃から一人で遊ぶのは好きだったし、一人で勉強して、一人でそれなりの大学へは入れた。
大学では少ないながらも友達ができて、みんなで遊んだり単位をとったりして危なげなく卒業はした。
友達がいなくてもなんとかやっていける、他の人と顔合わせないほうが気楽でいいと思っていた。
他人がどういうことをやっているのかが見えなくて、自分だけが無視されているんじゃないか、ヘマして仕事が振られなくなったんじゃないか。そう思うようになってきた。
できる同期がチャットツール使って先輩や他の同期と話をして、どんどん仕事ができるようになっているのを見て焦燥にかられている。
自分ができる会話と言ったら自分のチャンネルでぼそっとつぶやくだけ、他人と話は合わせられないので他人のチャンネルになにか会話をしようと書いてもそこで会話が突然切れてしまう。
自分のコミュニケーション能力がないのはわかっている。けれどもどうやったらそれを治せるのかがわからない。
顔合わせて話をしているときなら相手がどういう返事を待っているか、どういう話をすればいいかは分かる。顔が見えないだけで自分のコミュニケーションはここまでできていないかをまざまざと見せつけられた。
自分はそれを無視できるほど鈍感ではないし、それをなんとかしようとする努力もできない。
ある程度大きい企業だから給料はそれなりにもらえている、しかし、自分が今のプロジェクトに貢献度と給与が釣り合ってない。
他人と比べても劣っているのに、誰ともうまくコミュニケーションを取れていないのに、目覚ましいような成果を仕事で上げていないのに、こんなに給料はいりません。
自分はできない人間だって自分が一番わかってる、給料が高い分それに見合った仕事量を突き付けられているような気がしてならない。
https://twitter.com/i_tkst/status/1330781511914688513
「教育の場で、避妊の前に「妊娠」を教えることも必要だと思います。女性は30代後半になれば妊娠しにくくなります。「女性は20代から30代前半で子供を産む」と、教えなければと思います」
いやいやいやいや。避妊とリプロダクティブ・ヘルスライツの理解を徹底させて下さいよ
竹下氏が突っ込んでいる野田氏のインタビューはこちら。該当部分。
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20201119/pol/00m/010/009000c
重要なのは、20代、30代の女性が子供を産める環境にすることです。出産する女性の9割は20代、30代だからです。小さな企業は育休制度がないところも多いですが、義務化して国が援助する▽フルタイムで働けなくても正社員の身分を保証する▽夫も休む―――など、できることはたくさんあります。
今は特に働きながら出産するとなると、なんだか「申し訳ありません」というような雰囲気があります。もっと堂々と胸をはって「出産します!」と言えるような国にしたいです。
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教育の場で、避妊の前に「妊娠」を教えることも必要だと思います。女性は30代後半になれば妊娠しにくくなります。「女性は20代から30代前半で子供を産む」と、教えなければと思います。
「20代、30代の女性が堂々と働きながら子供を産める環境にする」ために、まずは育休制度の改善や国による支援、それを当然のことと受け入れる社会の変化が必要であるが、
女性が堂々と働きながら子供を産める環境にするためには「女性は20代から30代前半で子供を産む」「30代後半以降では妊娠しにくくなる」という生物学的事実を「教育の場で」男女で共有した方がいい、
というものだ。
日本語で「差別主義者」という言葉は、オタク差別とか、ホームレス差別とか、田舎者を差別とか、他人をその人の属性によって異なる扱いをする人全般を指す否定的な表現です。
これは、不思議な言葉です。差別解消とかいうのは、おそらくアメリカの公民権運動が世界で一番有名な例だと思うのですが、そのアメリカには、一般に「差別主義者」をあらわす単語はありません。和英辞書で差別主義者という単語を調べるとracist (人種差別主義者); sexist(性差別主義者); segregationist(人種差別主義者(硬い))の三つが出てきます。あえて言うならsegregationistになりますが、そもそもracistに比べると使用頻度が1/50の単語ですし、segregationを英英辞典で調べれば、まず出てくるのが「人種および階級による差別」なので、一般の日本語で言う「差別主義者」にはあたらないでしょう。
アメリカでは人種差別は厳しく否定されています。レイシストという単語は、日本でいう性犯罪者よりもさらに否定的な言葉で、ほとんどの上場企業では、レイシストは無条件で一発クビというルール(zero tolerance)があります。大学だったら一発で退学です。BLMとか警察の暴行はどうなってるんだ、という話ですが、警察側の建前としては、一応「犯罪の疑いの高い人を制圧した」とか、「犯罪の起こりやすい地域を重点的にパトロールした」みたいな話になっています。もし「黒人だから怪しいと思った」みたいなことを言ったら、それがプライベートな場だったとしても、その録音がネットに流れたりすれば、即クビでしょう。実際、根拠のない偏見で勤務時間外に黒人男性を警察に通報した白人女性が、それだけで解雇されています。
もちろん、アメリカでもプライベートな場で「オタクきもいよねー」って言ってもクビにはなりません。つまり、オタク「差別」と、人種「差別」は根本的に違うものとして扱われています。これは妥当な話で、「差別」なんていうのは定義できないからです。人種差別禁止や宗教差別禁止なら具体的に社内規定に落とせるし、それに基づいてクビにもできます。ですが、「差別」っていうのはどこまで含むのかが非常にあいまいで、クジラ食べる人のことを理解できないとか言ったらダメなのか、AndroidのことをiPhoneのパクリって言ったらダメなのか、きりがないです。そもそもそんなことをやるつもりがないから、「差別主義者」っていう単語がないのでしょう。
だから、「差別のない社会」とか聞くと、そんな一般に他人をその人の属性によって異なる扱いをすることを排除するなんてできるわけないし、そんなに人々の内心を強く規制するなんて、ディストピアだよ、って思います。「差別のない社会」みたいなのはナンセンスで、目指すべき社会ではありません。
日本でも、増田の適当な議論とかじゃなくて、憲法とかはしっかりしています。憲法14条では、差別を受けない属性は具体的に列挙されており、それ以外のことは保証されていません。「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別を受けない。」ってやつです。
注:日本語の「差別」に近い単語としては、discriminationっていうものがあります。遺伝子に基づく差別とか、広がりを持つ言葉です。ですが、これは行動に対して使われる言葉で、人に対して使われる言葉ではありません。discriminationistという単語は、ネットには存在しますが、辞書には記載されていません。
子供ってのは自分の血を残すという意味で大昔から人間は、特に男は、力を持った後に多くの子供を残すといったことをしてきた。例えばチンギス・ハーンの子孫は全世界に1600万人いると言われているがこれは彼が自分のチンチンの力を誇示するために大量に子供を作ったことに由来する。そもそも現世の全人類のほとんどがアフリカに先祖を持ち遺伝的ボトルネックがそこで発生したことを考えるとアフリカにかつて最強のチンチンが存在したことが分かる。数々の遺伝子研究が特に男系祖先において共通の祖先を持ちがちであることを示しており、人類史はチンチンの歴史であったと言える。力を持った強いチンチンの戦利品・贅沢品として子供が作られてきた。全人類は平等であるといった考え方は比較的最近のものであり、みなが子供を作り育てるといった家族観も比較的新しいものであって、子供は人類史の中では贅沢品であったことの方が長い。資本主義がほころびだしかつてのように身分差が生じ出してきた近年、子供が贅沢品化していることはこの社会が以前のような状態に戻りつつあることを示している。子供が贅沢品であることは嘆いても仕方がなく動物であるが故の本来の姿なのだ。
前もってZoom会議の準備をしようと、午後の12:45くらいに来客用の受付を通過しようとしたら、
チェックのスカートの制服でリュックを背負った、ちょっと小さい女子高生が落ち着かない感じで、自分にお辞儀をしたので、
「面談ですか?」と聞いたら「?」って顔になったから、「面接ですか?」と聞き直したら、「はい」と言った。
「ここにお掛けになって、お待ちくださいね」と目の前のイスに座るよう手のひらを上にしてソファーを案内した。
座るのを申し訳なさそうにしてたので、「いいですよー 座ってお待ちくださいー」と念を押して、過ぎ去った。
5分後くらいに、ガラス越しに受付のイスをみたら、人事担当の者と話してたようだったから安心した。
まだ17歳か18歳くらいの、右も左も不安でしかたない頃なのに、1人で1Fの総合受付で行先と身分を名乗ってセキュリティカードをもらい、
エレベーターに乗ってうちの会社の受付に来て、15分前なのにイスに座らず、来た者に頭を下げて。
小さい体と、その一生懸命な振る舞いがキラキラしていて、社会へ踏み出す覚悟というか決意といか、弾き飛ばされそうなパワーを感じた。
この人たちのために、希望通りのイキイキとした働きやすい会社にしていく、維持する責任をあらためて感じた。
同じ年頃のころ、まじめなのはカッコ悪い、と斜に構えててギクシャクしていた自分が恥ずかしい。
今ごろになって、まっすぐに愚直に突き進むことがどんなにカッコいいことかが分かってきた。
斜に構えることが、どんなにかっこ悪いことか。
「受験偏差値」とか「給与所得の年収」とかでは上位10%に入るかもしれないが、その実感がもてないんだろう
その直感は正しい
家族を含めた財産や不労所得や文化資産を合わせた総合力では、東京においては上位30%がいいところだろう
増田が地方出身でマーチレベルの都内私立大学卒だったとして、合コンで出会う「底辺女子」の実家が23区内戸建て持ち家だったりすると多分増田よりも身分は上
トラバもブコメも「なんだ偉そうに」的な反応が目立つけど、増田はこういう職種の従事者を劣った人間だとは言っていない。
世間から軽んじられている人々を憐れみ、それに気疲れしてるということが増田からは読み取れる。
もし今後増田自身がそういった生活を余儀なくされても同じトーンで「模範的な”一般市民”からうっすら侮蔑を向けられているのがつらい」と愚痴るんだろう。
おそらく地位や名声、収入の格差、QOL、交友関係といった格差にまつわる事柄が、
生い立ちや個人の資質、今までかけてきた労力の差といったパーソナリティに集約されるのが、増田にとって不快なのだと思う。
僕は小売店でずるずるバイトを続けている身分だけど、誰と話しても「こんなとこでフリーターに甘んじてるような奴は思慮も複雑な感情もないただのでくの坊だろう」という前提で会話は進む。
大学院に通うバイト仲間もパートのおばちゃんも毎日午後8時に同じものを買って帰るリーマンも子連れの主婦も徘徊する老人も毎日へとへとな店長も近所に住むが疎遠になってしまった幼馴染も、
みんな自分の生活はだれにでも代替えできるものではないと思っている。
みんな「まああなたにはわからないでしょうけど」というものがアイデンティティに組み込まれている。
でも実質的には障碍者でもないなら人間社会なんていくらでも配置転換は可能だろう。
教育さえ施して周囲がそれ相応の扱いをするならば、
パートのおばちゃんが大学院で研究漬けになって若妻が企業戦士になりしなびたおっさんが子どもを連れた主夫になり俺がへとへとな店長で幼馴染が孤独に惨めにずっとフリーターってこともあり得るはずなんだ。
各々人間の間に蔑みが生まれるほどの能力差なんてあるのだろうか。
でも今の生活が崩れるはずがないという安心を得るため、自尊心を埋めるために、人はそれを人間としての程度の違いとして扱っているんじゃないのか。
公権として格差を規定して人を縛れば、それを個人のパーソナリティと紐付ける余地はなくなる。
魚屋の息子だから魚屋になるしかないような社会なら、あんたは馬鹿だから東大に進学できないのだというような発想はどこからも生まれない。
人として程度が低いからコンビニでバイトしてるしかないのかと打ちひしがれるか、コンビニでバイトするような身分じゃなければあれができたと空しく妄想してるか、