はてなキーワード: 自己肯定感とは
増田に限らず、ネットで結婚や出産や育児がいかに無意味か、いかに損ばかりか、と言うことを顔を真っ赤にして力説してる連中なんてみんなこれと同じだよな。結婚しない、または出来ない、あるいは結婚はしたが子供は持たないという自分が多数派である世の中になって欲しいっていうさ。
多数派になることで、自分の選択や境遇が肯定されたことになる。多数派にならなければ否定された気分になる。結局は承認欲求ゲームが形を変えているだけ。
まあ、結果的に多数派である結婚する派、子供作る派にしたって同じことやってるんだけどな。自己肯定感を賭けて結婚しない派や子供要らない派を全力で潰しに掛かってる。多様化した価値観の中では、自分を肯定されたい人間同士の戦争は避けられないんだろうな。
年下娘:23 大学生
とある匿名アプリで釣った女の子が大学生でしめしめ、って感じだったんだけど。
話を聞いていると、ご両親が立派な方で家庭円満、その子自身も自己肯定感はんぱない。
(その逆に、俺はそれほど自信がもてなくて、実家も家庭円満じゃなく、「あー、やっぱちょっとおかしい家庭だったのかも」と家を出てから気づいた。社会でなかなかうまくやっていけなかったから。)
んでその娘さんなんだが。
コミュ力高い、人気者、サークルも交流系、と絵にかいたようなリア充大学生。(美人ではない、ちょい太目、女子力低め)
なんでそんなリア充が匿名アプリみたいなゴミが多い場所にいたんだよ、って聞いたら、周りの人にめーわくかけたくないからアプリつかって悩み解消のアドバイス募ってたとか。
なんだよそれ。立派すぎだろ。(ちなみにもうそのサービスはつかってないらしい)
そんな年下娘のラインゲットしてからあの手この手で仲良くなろうとして、まあまあ仲良くなって今度会おうってことになったんだけど。
その子はリア充だからリア充サークル入っていて、「ウェーイwwww」ってなノリで、コール振ってみんなでバカ騒ぎ!(コールを振る でググれ)みたいなのやってて、
らしいのだが、こっちはそういうのとは縁がない内向的人生を送ってきたから、なんか敗北感を感じて。
それでひねくれた感じのラインは飛ばさないように気を付けているんだけど、でてるんだろうな、
みたいな正論が飛んでくる。
これが体にこたえる。
つまり、自分が非人間のような気持ちになるのだ。なんか常識がわかってない人間なのか、みたいな。
はあ。
その子がいうには、「年上の男性の方が甘えさせてくれるからいい。年上好き」
ということで、まあライン上では仲良くしてるんだけど。
どーなんだろう。これはチャンスな気がするから頑張ったほうがよいと思うのだが。
おれ、なにやってんだろうな、と思い直す時もある。
こう書くと誤解されそうだけど、尊敬できる人とは褒めてくれる人なんだと唐突に気付いた。
もうちょい幅を広げると、自分を肯定してくれる人か。
たとえば会ったことないけど尊敬できる人というのは、自分の考え方やスタイルを遂行して成功してくれた人なので、後者に含まれる。
ところで、この尊敬できる人というのは入学試験や入社試験では定番のようである。
となると、これはかなり強烈な質問だ。
暗に「あんた、他人から褒められたことある?」と訊かれているのだ。そこまで意識して問うてるかは不明だけど。
「尊敬する人は親です」という返答「そうじゃねーよ」と受け止められるのも然りである。親は褒めてくれるだろ。そうでない場合も多くあるけど、これは後に繋がることなので保留。
歴史上の人物など会ったことのない人を挙げる場合は、その根拠で受験者がどういうの人物か計られることになる。
なんとなく坂本龍馬とか織田信長とか挙げると「お前の人格はそんなありふれた回答で表現できるのか」となる。
そうなると、この質問、答えるのにけっこう苦労する人も多いんじゃないかと思う。
おそらく今の日本人はそういう人に出会えない場合がほとんどだ。
親すら褒めてくれない、だからどいつもこいつも自己肯定感が低い。
褒めてくれる人を尊敬するというのは、怒らない人が好きとかいう甘えた話ではない。
単なるお世辞やおべっかを超えた、「褒められた!」という実感を与えてくれる人、そういう人と関係を構築できた経験はとても有意義であると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20140614105854
男女によって振る舞いが異なるので、君が女性なら私以外の女性がコメントした方が良いかな、とは思う。
私は男性。 男性側の観点で嫁さんの浮気予防にしている事を書いてみる。
・男女で「危険に対する反応」が異なる。女性の方が危険に対して敏感
・(関係がうまく行っている時に)自分たちより『不幸なカップル』に目を向けさせる
・DV男性とか、彼女殺しちゃう男性とか、嫁さんの連れ子を殺しちゃう男とか、
給料使いきっちゃう旦那とか、浮気性な旦那とか。そんな男性の話をして
「なんで草食系男子の評価って低いんだろうね(俺は君を殺さないアピール)...」
「ひどい男性っているよねー(俺は違うアピール)」
(余談だけど、この傾向があるので、女性は年を取ると『自分に相応しい男性』が急速に減る)
この比較なんだけど、あくまで「(女性自身の)自分の年収より上」という比較になる。
例えば、すべての女性が億万長者との結婚を目指してる訳じゃない。この辺は世の中みれば分かるよね。
でも「自分よりは年収が上」という男性を探してる。つまり男性観点だと「自分より年収が下」の女性と結婚すれば良い。
・結婚後に女性の年収が上がるリスクに対する対応としては、私は彼女のもつ「スローライフ、ロハス、ゆったりした生活」が好きなところを褒め称えてる。
自己肯定感がない女性っていっぱいいる。で、そういう人に肯定感を与えるのは割と簡単で
君が必要とか、これ凄くありがとう。凄いセンスいいよね。私には無理だなぁ。全然そういうセンスない、とか。
そういう「彼にはできないけど、私にはできる」「役に立った」みたいな体験があると良い。
もうね、私は嫁さんを超褒める。料理つくってもらったらさ「うぉ、凄くおいしいですよ。鳥肌が立った。いや本当に。
見てみて鳥肌。なんかビタミンが体に染み渡ってく感じがする...砂漠に水が染み込むような...野菜って久しぶりに食べた。
というか今までの食事内容が低いって話なんだろうか。いや吉野家はうまい」レベルの褒め方をする。
・例えばさ、君がいままで上記みたいな褒められ方された事ってあった? ないんじゃないかな。 彼女も上記みたいな褒め方をされた事はなかったみたい。
男もそうかもしれないけど、褒めてくれる人を好きになる。
ほかにも色々あるんだけど。長くなるんでここまで。
君が女性だったら、ごめん、分からない。彼氏の浮気に関してどうとらえるか、だね。
別れる、のもありなんじゃないの(適当)
その彼氏は変な卑下や自己肯定感の低さはないのですよね?どうせ自分なんて…みたいな。それがあったらもっとウザイですものね。
頭が必要なことは私の担当ね。あなたは体力面をお願い。で良いではないですか?
うちの場合も学歴差は同じようなもので、私は旦那より英語ができるので海外旅行時は英語は私の担当ですし、英語が出来ない旦那にがっかりすることもありません。
旦那がやっているゲームで外国人から来てしまうチャットメッセージの英語の翻訳を頼まれたりして手伝うのも、夫婦の会話として楽しくやっていますよ。
今まで貴女がその彼氏とお付き合いして来られたのはきっと良い人だからでしょう?簡単に見下したりしないで大切にしてくださいね。
実体のある人間から肯定感を育ててもらえない人が、きっとたくさんいるのだと思った。
これは良くない徴候だと思う。
肯定感が育っていない人が例えば親になったら、その人は、子供の肯定感を育ててあげられるのだろうか。
世代ごとに自己肯定感を育ててあげられる人が減っていくこの状況。
親も家、族も地域も、それぞれに余裕がなくて年下の人の肯定感を育てている余裕がないのだと思う。
そしてある程度満たされていない人が誰かの心を育てることなど出来ないだろう。
その補完の場としてSNSで自己肯定承認を求めることになるのだろうけれど、そこでも得られない。
最近微妙にはてな界隈が毒親関係の話題で盛り上がっている気がする。
「家族を捨てることにした。」
http://anond.hatelabo.jp/20140416141321
http://tigtig8.hatenablog.com/entry/2014/04/02/182519
「親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係」
http://anond.hatelabo.jp/20140402111648
私自身、毒親育ちなのでこれらの記事を興味深く読んで、そのうち何か描ければなあ・・・
などと思っていた時にアニマルの連載で読んだ「三月のライオン」がトラウマものの毒親話だったので描く。
まあネタバレというほどのものではないけど単行本派の方はスルーしていただければ幸いです。
さていまさら三月のライオンについて私なんぞが語る必要もないとは思いますが、読んでもいない人の為にものすごい端折ってあらすじを説明すると
両親を亡くした桐山零は父親の友人でプロ棋士の幸田の家に引き取られ、期待に応えるために将棋の腕を磨き続けプロ棋士になる。一方で幸田家の本来の子供である香子と歩は零に自分達が到底及ばない事に気づき挫折し、香子は家を出て、歩はひきこもりになり家庭は崩壊する。
罪悪感を覚えた零は幸田家を出て、一人暮らしを始めるが、すでに将棋に対する動機を失っていた。
そんな彼は近所の川本家や多くの人々との関わりにより少しずつ将棋に対する思いを取り戻して行く・・・
というストーリー。
よくある動機を失った天才がそれを取り戻し、凡人どもを駆逐していくというお話ですな。
曽田正人の昴、松本大洋のピンポン、最近だと四月は君の嘘、とか。
それはさておき幸田家の話に移る。
幸田家はプロ棋士の父親(作中ではそれなりに強いがタイトルに絡めるような存在ではないように描写されている)、見合いで結婚した主婦である幸田母と将棋を学ぶ二人の子供、香子と歩で構成されていた。
率直に言えば世間知らずで価値観が将棋の強さ以外ない視野狭窄な父親、同じく世間知らずだが気が弱く、夫のような自分自身の価値観がなく、父親の追従者でしかない母親が両親であったわけだ。
それでも子供たちは父親同様に将棋を愛し、家族は円満に運営されていた。
彼は将棋しか価値観がない父親にとってその歪んだ価値観を補強してくれる、理想的な子供であり、また引き取られた負い目から家事なども率先してこなす母親にとっても理想の「いい子」でだった。
それ以来この二人はこう思い続ける「なんでうちの子供はこうじゃなかったんだろうか?」と。
ここらへんまではいままで発行された単行本の中でも語られていた話だが、今回はそれが母親の視点から語られている。
零はとても「いい子」なのに、なんで自分の子供はそうならなかったのか?と感じ続け、零が家を出たとき心底ほっとしたこと、
歩が将棋ができなくなり、「努力できるのも才能だ」といい投げ出した時に、父が冷笑して見捨てた事(この時の父の表情がもの凄い)。
そして自分はそういう芸道の世界は理解できないけど、ごはんを作って家族を待ち続けることにしよう、と思うこと。
いや~気持ちいいくらい極悪な毒親っぷりですね。
要するに彼女は父親の偏狭な価値観と零の存在に子供達が苦しめられ続けたことを知っており、もう一方の親として多用な価値観を提示して中和剤になる役目があるであろうにそれを放棄し、「私は知りませんし、これからも何もしません」といっているわけです。
そもそも拾われた子供がいい子であるなんて当たり前のことだし、それを自分の子供に当てはめる時点で狂っている。
結局この両親がやっていることは目の前の自分の子供たちをみず、零に理想の子供の姿を投影し続けているにすぎない。
竹本君みたいに学生のうちに自転車で北海道でもいってそういう夢見がちな性分からは解脱しておいてください。
あの父親とこの母親の翼君岬君ばりの毒親ゴールデンコンビのカルトな家庭で育ちながらも、なんだかんだで零を気にかけてあげる香子さんは実に人格者だし、ひきこもってゲームしている程度のグレ方しかしなかった歩君も実に立派だと思う。
父は零に「最近香子が何を考えているのかわからない・・・」などと漏らしていますが、私はこの夫婦が何を考えているのかさっぱりわからないです。
そもそも将棋で子供を劣等扱いするんだったらまず自分がタイトルの一つもとってきてほしいものです。
現在、香子さんは現在派遣社員やりながらも、妻ある父親の弟弟子の棋士と絶賛不倫中で相変わらず家族に縛られている。
とりあえず、歩君には地方の大学でも受けてさっさと家庭から逃げ出してほしい。
そして社会に出て「自分が劣等感を感じた父親も零も所詮は将棋という閉ざされた世界でのみ特別な人間だっただけなんだ」と気づいてほしいものです。
羽海野チカという人はハチクロの頃から一貫して才能というものの残酷さを圧倒的な才能で書き続けるという色々とすごい人だけど、同時に凡人の気持ちも丹念に描写してきた人です。
ハチクロの男キャラでいうなら天才の森田、それに憧れ嫉妬する凡人の竹本、才能と関係のない生き方を選んでいる真山といった感じで。
ハチクロではよくあるマンガのように竹本が覚醒して才能に目覚めるといった事はまったくなく、結局凡人なりに一歩一歩進んで行こうと決意して旅立ったって終わったし。
三月のライオンにおいて、恩人を救うということで動機を得た零は、多分親友の死によって完全体となり、最強の棋士への道を上り続けるのでしょう。
だけどそれ以上に将棋においては凡人であった幸田姉弟の物語はどのように着地するのかをとても楽しみにしたいと思う。
マンガの登場人物に深刻な憎しみを感じ、自分の家庭思い出してトラウマスイッチがオンになってこんな駄文を書き散らすなんて人生でも初です。
アニマルの他の漫画家からフリーザ様扱いされるのがよくわかる。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131110/p5
ロッキンオンがハチクロをオシャレマンガと勘違いして「なんだよ羽海野って。羽いらないじゃんw」とか頭の悪いこといってコケにできた時代が本当に懐かしい。
あ、そういえば川本家という毒親とは違うけど、ある意味幸田家以上に闇が深い家庭もありますがそれは私の手に余るんでスルーさせていただきます。
そうすれば、居場所のない人間がずっと少なくなって、世の中はずっとよくなるだろう。
雇用の問題、自己肯定感の問題、コミュニケーションの問題、諸々全てが、適正に合わない場所に配置されていることが原因なのだ。
人間誰しもに向き不向きがあるが、マッチングが失敗したせいで、たくさんの人間が自分自身を見失っている。
管理職と現場のどちらが向いているかということ、それに、コミュニケーションを取る仕事が向いているか、そうではないか。
単純労働や力仕事にしたって、流通のようにシステムを回すのがよいか、何かを組み立てたり工事をしたりするのがよいかで大別できる
これだけ情報技術が発達しているのだから、天職が何なのか、統計・データから早い時期に分かってもいい。
ただ問題は、それが優生思想に通じかねないところだ。
職業選択の自由が謳われている世の中な以上、それを覆すことはできない。
むしろ問題は、「やりたいこと」と「向いていること」の齟齬なのだろう。
その齟齬をなくすためにこれからするべきだと思うのは、早いうちに夢をあきらめさせることだ。
夢はあきらめるものであり、夢をあきらめることは悪いことではないという風潮を作ることだ。
最近その冊子を見返したら、今思えば完璧に当たっていて驚いたのだった。
なのに、何者かになりたいという欲が出てしまったのだ。
自分自身のもつ適性によって何かにされるのだ。
経営者が向いている人間もいるし、漫画家が向いている人間もいるが、
農家が向いている人間もいるし、居酒屋の店員が向いている人間もいる。
職業に貴賎なしとは絵空事で、前者は尊く、後者は格好悪いと思われているのが事実だ。
私は結局、前者ではなかった。
もっと早くあきらめればよかったと思っている。
よろしい。ならば教えて上げよう。
これの中腹辺りに、”おすすめブックマーク - 育児”という欄があるだろう。
ここに『ぶっ込む』。
400user程度のブコメがあれば掲載されるだろう。そして居座り続ける。
もちろん内容は育児だ。
育児放棄して別居して、ソロ充になった男性の話を書くといいだろう。
まず冒頭。
「育児は大変だ。とても男にはできない」的な、挫折を思わせる述懐からはじめる。
で、実際に育児に使えそうなライフハックを、(ネットで探してきて)20個くらい列挙するんだ。
読みやすいように、各項目に解説は付けない。
そのうち一個くらいを、育児ライフハックに偽装した女性叩きにしておく。
「ミルクは人肌程度に温めるのが基本だが、実の母親の体温に合わせるのが最も効果的。あらかじめ母親の乳房を触ってどのくらいの温かさなのかを確かめておく。ただし、もし無理ならそのへんの野良猫で構わない」
そう。内容は適当でいい。
ライフハックは科学じゃないんだから、コピペ、捏造、説得力があればなんでもありだ。
なお、冒頭で育児挫折を匂わせているので、ところどころを説教みたいにするといい。
「赤ちゃんの面倒を見るのははじめ億劫に思えるが、顔を合わせる時間が長いほど、こどもは自己肯定感を持つようになる。人を育てる責任を自覚しろ。それがない人間は育児に携わるべきではない。」
で、別居してソロ充になったくだりを書いたら、
「異論はあるだろうが、やはり育児は女性がすべきだ。男性と女性とでは体の作りが、そもそも異なるのだ。向き不向きがあるのは、当然だ。」
基準が曖昧すぎて考えすぎなのか本当に虐待なのかさっぱりわからん。
暴力振るったとかならわかりやすいけど、それだってしつけの範囲でぶっただけとかあるじゃん。
親が子供に死ねって言ったらそれだけで虐待か?って言ったらそうでもないだろ。
本人が辛いと思ったらもう虐待だ、とか言うのも思い込みが入りそうだし。
厳しく躾けられたら虐待になるのか?
共働きで遅くまでずっと仕事で留守にしてたら育児放棄になるのか?
そんなんだったら親なんてやってらんないだろ。
実際育児ノイローゼとかあるんだろうし、仕方ない面も一杯ある。
それで、親のせいで自己肯定感が持てませんとか言ってもなあ。
確かに親が原因なのかもしれないけど、その補償を親にさせるのは違うと思うんだ。
補償を求めたりしないなら、いくら親を嫌おうが恨もうがそこは自由だと思う。
縁を切るのも、最低限子供の義務として金銭的支援さえしてたら良いんじゃないか。
その辺でバランス取るのがお互いの為なんじゃないかね
両親の離婚で父親のいない環境で育った。母親も離婚後すぐに亡くなった。祖父母に育てられいっぱい愛情を貰った。
自分は恵まれていると思う。
だけど父親像が分からない。
自分でも把握してない、心に大きな闇がある気がする。
息子が一人いるが。上手く育てられる自信がない。息子に同じような苦しみを味わってほしくない。
幸せになってほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20140402153629
ついでだから書いておくけど、「きみは自己肯定感が低いから異性ウケがいい服装や態度を取ってしまうんだよね」みたいな理解者気取りの男も居るんだよ。
「僕は君のことわかるよ。なぜなら僕も同じだから。僕は無理して演技している君じゃなくて本当の君が好きなんだ」とか言ってくる男も居るよ。
でも残念ながら、こういう風に差別化を図る手法もテンプレの一つだから…。
私を純粋で素直だと妄信してる男と、そう大きくは変わらないから。
(まあルックスが良い場合は多い。ただ内面はキモオタと大差無し)
こういう男は、振られても、「僕の愛を信じられなかったんだね。愛を信じるって怖いよね。わかる」「君は寂しい人だ」みたいに考えて、私を可哀想な人間にする。
こういう風に自分を納得させてる人って、男よりも女に多いんだよね。だからこういう手法を使ってくる男は女の腐ったような男に多い。
異動して一ヶ月。周りの人は優しいけどやっぱりまだ気を使っちゃうし、慣れない仕事は進みが悪くて自分の悪いとこばかり目についてしまう。
前の場所は何でも無いことでもきゃっきゃ笑いながら仕事してた。
業務内容が違うからどっちが正しいとか言えないんだけど、時々どうしようもなく辛くなって、うわーっっ!って時がある。
自分の甘えなのかもしれないけど、周りの人と繋がってる感が薄いと仕事へのやる気が落ちていくし、不思議と自己肯定感も下がっていく。
前の所に戻りたいとは思わない。けど、この辛さはまだ自分で消化しきれない。
自己肯定感が著しく低い場合、そうさせた要因に気づくと自分自身をコントロールしやすくなるという体験談。人間としてというより女性としてどうかという話(当方女性)。他人に愛されている人間の話なので、誰にも愛されていないという自意識の方には意味を持たない。周囲の評価(高)と自分の評価(低)にギャップのある女性に向けて書く。あらかじめご了承いただきたい。
私の容姿レベルは客観的に中の中くらい(忌憚ない意見をいう人に聞いたので多分正確)。身だしなみはきちんとしてるけどお洒落ではない、ぶっさいくではないけどかわいくはないと。一般レベルの教養はあるけど突出して優秀ではない。友達がゼロではないけどコミュ充ではない。いわゆるふつーの人。初めて彼氏ができたのは20代前半で世間では遅いのかもしれない。彼氏もふつーの人。優しいけどすごく気がつくわけでもない。いけめんではないけどださくもない。
彼氏ができたことで、「自分は女性としての魅力が皆無である」という強烈な自意識に初めて気づいた。sexの頻度が落ちると恐怖を感じた。メンヘラは嫌われるのを知っていたので恐怖は全力で隠した。でも、恐怖を紛らわすために求める自分がいることに気づいて、自分を嫌悪した。このままではいたくないと思った。
彼に身体を否定をされたことは一度もない。私はその彼以外とお付き合いをしたことも、それ以外で深く関わったこともない。だから男性から「女性としての魅力」の評価されたことはないはずだった。そして、男性から見て魅力的であるかどうかの話なので、自分が下す評価より相手からの評価が重要である。そこまで考えて、なぜ私が「私は男性から見て女性としての魅力がない」と思うようになったのか考えた。私の場合は以下の2つだった。
おそらく両親は一般的には類まれな良親なのだけど、それでも完璧にはいかない。彼氏がなかなかできない私に「子供ね」、女性らしくない振る舞いや装いに「いつもそうよね」。そうやって暗示をかけていた。無意識だと思う。私は言われたことをすべて真に受けていた。私は子供で女性らしくない。
学生時代、男女混合の大きい部活に所属していて、その中にはやんちゃな男の子も結構含まれていた。彼らは愛情をもって私をいじった。「お前○○だな!(身体的特徴を馬鹿にする内容)」「お前なんかに一生男なんてできねえよ!」。彼らは私を嫌っていたわけではなく、場を盛り上げたり、コミュニケーションを取りたかっただけなのだと当時もわかっていたし今もそう思う。状況を客観視していた人間もそう言う。でも私は、やっぱり言われたことをすべて真に受けていた。当時もつらかったけどいじめたいわけじゃないことに気づいていて何も言えなかった。私は可愛くなくて彼氏もできないんだな。
これらに気づいて、母や当時の友人の評価はそれぞれ感情(こどもでいてほしい)や都合(いじるならけなさないといけない)の影響を受けていること、それは彼が下す評価とは別物であるということを自分の意識化に置いた。過去に他者に言われたことによる恐怖の緩和するために彼を利用するわけにはいかない。自分を否定することは自分を大事に思う人をないがしろにしている。
女性としての価値は自分自身ではちっともわからないので評価を他者に丸投げしてしまっている。相手(男性)があっての女性という概念なので自分でどう思うかと言われてもさっぱりわからない。需要があれば魅力があるみたいな。人間としての肯定感の話だと、対となる概念がないのでより難しいんだろうなと思っている。
うちは殴られたりとか直接的な虐待はなかったけどいわゆるネグレクト
もう40近くて独身。慕ってくれる人はいたけどとてもじゃないけど自分が家庭を持つとか考えられない
違うな、おかしいとは思っていたけど、周りの「それでも親なんだから子供が大事なはず」っていう言葉に惑わされてなかなか逃げられなかった
で、「毒親」「ネグレクト」「育児放棄」っていう言葉を知って初めて「あ、うちの親はおかしい」って気づいた
自分が感じているモヤっとしたものに名前がついてすごい救われた気がする
母親は若い男を作って私の前でいちゃついたりしていたけど、それも友人に「あーお母さん女に戻っちゃったね」っていわれて、腑に落ちた
なんだろう、名前がつくということは、世の中には毒親持ちだったりネグレクトされたり母親が女に戻ったりする人が自分以外にもそれなりにいるということで、別にだからって状況が変わるわけじゃないけど、救われた気になる
「うちの親は「毒親」だから逃げてもいいんだ」って初めて思えた
自己肯定感が低いというのも
「実際は物凄く自己肯定しまくってるけど他人がそのレベルで自分を肯定してくれないのを不満に感じている」奴大杉。
自己肯定感というより自己愛かな。自分以上に自分を愛してくれる人なんてそりゃいないよ皆自分が一番大好きだもの。
なんかトラバにもついてるし今日もホッテントリに入ってたような親が自己肯定感を育ててくれなかった系話も
「本来は全肯定されるべきすんばらしい自分を親は全肯定してくれなかった!」と言う
そりゃお前はそんなすんばらしい人間じゃないんだから当たり前だろ子供のやる事なす事全て肯定っつー親の方が異常だろうが
全肯定して貰えるのなんて幼児どころか新生児ですら有り得んわというだけの話にしか見えなかったり。
ママは自分を愛してくれなかったー話も「ママは誰よりも自分を一番に愛するべきなのにそれをしなかった!」と言う
そんなのあったり前だろこの糞マザコンがで終わる話なんだよなー大抵。
甘やかされ過ぎなんだろうね。
http://bokurasha.hatenablog.com/entry/2014/04/01/115953
受けた寂しさの、程度の差は相当あるけれど、
私達と同じようにモデルケース不在の中、
私達と同じ、「幸せ探し」に迷走した女のひとりです。
私たちはもう大人で、愛し愛される対象を自分で探すことができる。
それが
※とりあえず改行うざいので若干詰めました。文字・文章等はいじってません。
結構ひどい母娘関係から脱出して今に至るんだが、これはちょっとなーと…まぁ間違っちゃないんだけどさ。順番が!順番が違うのよ!
あのですね。
子供の頃から「変な人」に育てられると、まずほぼ物心がついた時もしくは十代のうちに「自分ちは人んちとはなんか違う」という衝撃を受けます。つまり認知の順番としては
自分の育った環境を否定するというのは結構難しいし、体力を使うことなんですね。一番簡単なのは「普通の環境で育ったにもかかわらず自分はおかしい人間に育った」と自分自身を貶めること。これが自己肯定感の低下の原因です。人と違うとか、うまくいかないことで自己肯定感が低下することももちろんありますが、自分原因のものであれば比較的容易に回復可能です。方法を変えればうまくいくからです。また環境をかえたり、そもそも諦めてしまったりすることで回復することもあります。毒親に育てられた場合は全てにおいて親に否定をされ、しかも社会ともうまくやっていけないことが多いため、回復できず結果的に自己肯定感が縮退していくのです。
また虐待児に関しては普通によく知られている話ですが、学童期までは子供は自分の親に従順で疑うことはあまりありません。特に抑圧されたタイプ(被虐待児は特に顕著ですが)は親が世界の絶対だと思い込んでいるので、多少周囲と違っていることはもちろん認識していて、ちょっとしょうがない親だなとおもいつつ信頼しようと努力するものです。平和な家庭で育った同級生などが親のことを詰ったり喧嘩したとか言ってると、「もう少しおとなになったら?お母さんも疲れてたんじゃない?」などと言ってしまうタイプが自己肯定感の低い人です。抑圧する親に育てられた子は、親の親代わりを幼少の頃から課せられているため、そういう発想が出ます。
なお、親を憎むほどひどい抑圧を受けた場合はけっこう早いうちに限界が来て親から離れ、その後寛解することが多いですが、耐えられない程ではなかった人ほど気づくのが遅れ、三十を過ぎてからもしくは子供が生まれてから苦しんだりもします。全然気づかずに子に連鎖する人もいます。いわゆる虐待の連鎖です。随分たってから苦しむのもつらいですし、下の世代に負の遺産が引き継がれるのも避けたいものです。これを防ぐには早い段階で「うちの親はおかしい、自分は間違ってない、親から離れるべきだ」と気づくのが大事です。「親も人間だから」「それでも愛してくれてはいるはず」とか言ってたら手遅れになります。とっとと親離れして、また親に子離れをさせて、正常な人間関係を取り戻さなければなりません。
許す必要はありません。許したら離れられなくなります。ただ事実を事実としと認め、許せないなら許さない、腹が立つなら腹をたてる、近寄りたくないなら近寄らないを徹底するのが自己肯定感を取り戻すための最初の一歩です。憎みたくなかったら別に憎まなくてもいいですが、憎みたかったら憎んでもいいんです。また離れるべきは母親だけではありません。父親もです。憎むのは母親だけではありません。そんなあなたと母親を放置した父親もです。父親にも問題があるのです。たいていこういう話題だと知らん顔してますが。
完全に離れるのは良い方法です。
そして母親は一人の間違った人間で、自分に害をなす存在であると認識しましょう。あなたの親をあなたが育てる必要はありません。あなたが親を一人の人間として解放してあげる必要はありません。あなたの親は大人なのですから、自分自身で生きれるはずです。手を離して世話をやめても死んだりしません。大丈夫です。
追記:
文章のおかしいところ、読みにくいところ、繰り返しになる部分を修正しました。
追記:
人の親が毒親かどうかどうでもいいならタイトルに入ってる時点で引き返してください。あとメンヘラさんの自己正当化に使われているかどうか(もっとも人格障害は環境要因もあるらしいので、毒親の影響を受けてメンヘラ化した場合もあります)を知りたいなら、会話をよく聞いて、あらゆるものに文句をつけているか、それとも親や特定のものに対してだけ口が辛くなる(もしくは重くなる)かをみればよいと思います。特に口が重くなる場合が親起因で自己肯定感の低いタイプの人です。
つい十年ほど前まで「親がおかしい」というのはどこにも相談できないことでした。そんな中で、「やっぱりおかしいんだ、そうだって認めてもいいんだ」と私が知ったのはネットの名もない文章でした。ポツポツと誰かが書いた文章に私は救われ、勇気づけられ、寛解に至ることができたと思っています。そうでなかったら未だ自由は得られていなかったかもしれない。もしかしたら死んでいたかもしれない。否定され続ければ、人は死にます。自尊心を失えば、人は死にます。
今でもまだ親がおかしい、好きになれないという話をネット以外でするのは非常に難しいことです。一人で悩んでいる人もたくさんいると思います。毒親という言葉が出てくる前、さらにインターネットが普及する前はもっともっと沢山の人が悩んで、一人で絶望していたのかもしれません。一人でもそうして苦しむ人が減って欲しい。私はたくさん助けてもらったから、同じように「別にそれでもいいんだ」という文章を残していきたい。それが誰か一人のきっかけになれば嬉しい。ただの徒労であれば、悩んでいる人がぜんぜんいないのであればそれ以上によいことはない。
「許しなさい」と言われ、その通り許すのでは自分の人生を生きていることにはなりません。人の意見を聞くのは大事なことです。でも、それを言われるがままに実行するのでは、なにも問題が解決されていない。母親が他人に変わっただけです。
聞いた上で許せないのなら許さなくていい。どんな些細なことでも、自分にとって大事なことなら許さなくたっていい。それが自由です。自由は苦しいし、辛いし、悩むことがたくさんあります。間違うことだってたくさんあります。でも、人の顔色をうかがって、自分が間違っていないか常に疑いながら生きる苦しみよりはずっとよいです。