はてなキーワード: 社会人とは
首題のとおり。
知人になんて話せない悩み、葛藤、苦しみをこの場を借りて吐露させていただきたく。
皆さんご存知大規模新興宗教の創◯じゃない方(統一うんたらでもないしオウム関連でもない)の信者家庭の二世として生まれた。
外見はごくごく普通の家庭。
都市部に30年ローンで戸建てを購入し、両親共働き二人兄弟の、なんともありがちな家族像という感じ。
物心付いた頃から頻繁に“支部”に連れて行かれ、同年代の子どもたちと一緒に、時には“御法話”を聞いたり、時には遊んだりしていた。
(もちろんそれ以外にも、一般的な習い事をしたりという、一般的な社会的生活も送っている。)
教団では常日頃から人に優しく、人と仲良く、的なことを教わっていたので、子どもながらに離婚することって信者としてどうなのと思った記憶がある。(ちなみにその後しばらくして教祖も離婚した。わけが分からん。)
無論子どもの意思など関係なく両親は離れ離れになり、今でこそもう何とも思わないけれども、当時とても悲しかったことは覚えている。
ただ、幸い何不自由なく有名私大に奨学金無しで通わせてもらい、誰もが知っている大企業に就職することもできた。
両親の離婚はつらかったけど、何不自由ない、寧ろ人並み以上の生活をさせてもらったことにはとても感謝している。
信者、それもいわゆる宗教二世は恐らく特に、世間が思ってる以上に、新興宗教というものが世間から受け入れられないものであるということをよく理解しているし、世間からの差別にも近い視線に恐怖し、あるいは肩身の狭い思いをしている。(と、思う。稀に堂々と周囲に信仰告白をする人もいるけれども、それはかなり信仰度合の高い一部の人だけだと思っている。)
自分は、自分がこの宗教の信者であるということを死ぬまで他の人には話せないし、話すつもりも全くない。
墓場まで持っていく、とはまさにこのことだと思う。
しかし一方で、この宗教の“教え”については、そんなに間違っていないと思うし、自分の価値観のオリジンとなっていることは認めざるを得ない。
教義としては「愛・知・反省・発展」という4つの要素を常に実践せよということを教え込まれたが、それ自体はまったくもって正しいことだと思うし、そのためか、教団の信者さんたちは皆、優しく、誠実で正直な人ばかりだった。
世間一般的な水準に照らし合わせると、皆がいわゆるいい人だった。
手前味噌ではあるが、自分自身もその要素をある程度は持ち合わせた人間に育ったと思っている。
つまり何が言いたいかというと、信仰のことは一生教団以外の人にカミングアウトすることはできないが、一方で教団を悪く思っているかというと、必ずしもそうではない、ということ。
神の存在(それが教祖かどうかはさておき)や輪廻転生は信じているし、誰も見ていなくとも善い行いを重ねることで死後天国に戻れる、ということも信じている。
かといって教団に積極的にコミットしたいわけでもないので、社会人になってからは教団とはだいぶ疎遠になっているし、いわゆるお布施も直近数年は全くしていない。
でもこんなだから、信者以外の人とは結婚は難しいし(相手方に迷惑をかけるのではないかと思ってしまう)、かといって信者とは結婚したくない。
この先もできる見込みなどない。
自己責任論を突き詰めた結果、自己肯定感が皆無(寧ろマイナス)で奥手な人間が出来上がってしまった。
人生詰んでいる。
いい大学出ていい企業に勤めても、宗教二世という事実が全てを差し引く。
この先何を糧に生きていけばいいのだろうか。
先行きが見えない。
最近教祖様の実子が次々と破門され、しかも教祖様は二回り以上も年下の女性と再婚してたし、教団も組織としてはきな臭くなってきてしまったので、ここいらが潮時なのだろうか。
(ちなみにYouTuberをやっている長男も、破門前はノリノリで教団の映画とか音楽とかやっていたので、破門後の諸言動もあまり信用していない。)
この先どのように自分の人生を全うしていくのか、真剣に再考しなければいけない。
今が底辺すぎてできるだけ言わないようにしてる
つーかわざわざ自分からいうほどすごいことでもないと思ってるし、そうでなくても社会人になったら学歴とか関係ないと思ってる
おれみたいなクソでも入れたくらいなんだから
それでもそれを知ってるそこそこ年いってる人が飲み会とかで代理自慢みたいにばらしちゃうときがあってほんとに恥ずかしい
運河よかっただけーとか社会人になったら大学なんて関係ないですよーとかいって話そらそうとしても、
またまた謙遜しちゃってーやっぱりそれによって最低限のなんちゃらは見える・わかる・はかられるもんだよ
みたいにフォローされて誘い受けみたいになっちゃっててほんまつらい
はー・・・
『連絡先教えてもらえませんか』って。恐怖でしかない
——…このくだりが最後までまったく話題にならなかったのがモヤモヤする。
若い男の子とかが配達してくれた時に(受け取りに)出て、で受け取ったらさ、なんかなかなか帰らんと家の前でずっとモゴモゴしよって。で、もう1回ピンポン鳴って、出たら『すいません、連絡先教えてもらえませんか』とかって。恐怖でしかない
「(その若い男は)背が低くて、多分165くらいしかなかった。…」
彼女は職を奪われ、実家の電話番号がネットに晒されて、おばあちゃんの営むたい焼き屋に「謝罪しろ」と嫌がらせの電話されて、店のレビューも「ゴミカスのお孫さんを持って大変ですね」「まずい」などと荒される
最初の一撃がナンパ、対する反撃が「お前には人権ない(陰口)」——それでもうすでに釣り合うんじゃないの?
再反撃に、第三者の「死ね!」は… あまりに釣り合わないように思えるけど。
本当に人権を左右できる大臣とかが言ったならまだしも、ただのゲーマーの「170cm以下は人権ない」が「死ね!」に相当するような重さがあるのか。
この件で UberEats 側を責めるようなコメントはほとんど表に出てこなかったように思う。
ひょっとして宅配業者の男性は社会人である以前に一人の男だからナンパするのは個人の表現の自由ってことかな。ナンパは女性を好きな気持ちの感想を言うことだから攻撃には当たらないってことかな。
それとも宅配男性が女性をナンパするなんて絶対ありえないから明らかなウソだとか思われてるのかな。
年商100億くらいの中小メーカーに就職して働き始めたんだけど、ずーーーーーーーーーーーーーーーっとマジでしょうもない研修しかなくて全然面白くない。
あのさぁ、別に俺だって大学出てすぐに即戦力でバリバリやれやすぜ!なんて己惚れてるわけじゃないけどさ、毎日毎日そんなもん大学でもなんぼでも聞いたわいっていうマナー、コンプライアンス研修と中学生相手の職業体験か?みたいな現場見学。マジでつまんねー。
俺らだってさ、もう給料出てるわけじゃん。なんか「お客様」みたいに扱われるのすげー腹立つわ。その日あったことレポート書いて提出してコメントもらうんだけどさ、大学の教授のほうがよっぽど辛辣なこと書いてたぞ。小学生の作文に対するコメントじゃねーんだから、なんか「社会の洗礼受けちまったな」みたいなこと書けんのか?
社会人になったのに仕事してるぜって実感なんもない。これだったらまだ大学時代にイベント運営のバイトしてた時のほうがよっぽどおもろかったわ。
ようやくコロナ禍の終わりが見え始めた今年、外出制限のない日々。マスクを外した人もちらほら出はじめ、リモートワークだのオンライン飲み会だのと"新しい"と持て囃されたコンテンツたちは再び眠りについた。
私は、緊急事態宣言で街から人が消えた(と言われる)令和2年入社の会社員だ。確か当時は居酒屋に出入りした芸能人が週刊誌に撮られ、医学部生だか研修医だかの飲み会は大バッシングを受けていた。そんなご時世であるから、ごく普通の一般企業である弊社でも当然の如く飲み会が禁止されていた(少なくとも表向きは)。
飲み会をしてはいけない年の新入社員であった私たちは、上司や先輩から口々にこう言われた。
「こんなご時世だから歓迎会は出来ないけど、増田さんたちが来てくれて本当に嬉しいよ」
すごくいい職場だな、と思った。もちろん誰も彼もが、とは言わないが、多くの社員は私たちを歓迎してくれていて、業務に関して幅広くたくさん学ばせようと丁寧に指導をしてくれた。
当時はコロナの影響で繁忙を極めていたが、多くの人に支えられ私たちは先輩になることができた。
そして時は経ち、令和5年。とうとうコロナがおさまった。ウィズコロナ、アフターコロナ。なんだかよく分からないが、マスクを外していいしライブで声を出してもいいらしい。
姿を消したフェイスシールドや「医療機関の逼迫が」というニュースの代わりに、我々の日常に戻ってきたものといえば、飲み会や旅行だと思う。
メディアがコロナが下火になっていることを報じるたび上司や先輩たちは「今年こそ歓迎会ができるかも」と浮き足だった。1年目の頃からすごくお世話になっている上司のAさんには、「増田さんたちとは飲み会に行ったことがないから、どんな感じか分からなかったんだよね」と言われた。
「楽しみだなぁ。」「歓迎会はあった方が嬉しいよね。」
…そうなのかな。
歓迎会なんてなくたってみんなが私たちのことを歓迎してくれていたことは知っているし、送別会なんてなくてもみんな異動したBさんにとても感謝していた。
Aさんに他意がないことはよくわかっているけど、もしかして私はこの3年間ずっと「一度も飲みに行ったことがない何だか得体の知れない部下」だったのだろうか。Bさんは「自分は〇年もここに勤めたのに、誰にも送り出されなかった」と思ったのだろうか。
飲み会なんてやらなくたって、みんなそれなりに穏やかに平和にやってきたじゃないか。始業前や休憩時間なんかのちょっとした時間には、近くのおすすめの飲食店やペットの話なんかで盛り上がったじゃないか。
"お近づきの印"の飲み会がなければ、毎日約8時間の勤務時間中に交わした様々な会話もコミュニケーションも大した意味を持たないのだろうか。
どんなに尊敬していて大好きな上司でも、就業時間が過ぎた後も一緒の時間を過ごしたいと思ったことのない私は冷たい人だったのかと、悲しくなった春だった。
ようやくコロナ禍の終わりが見え始めた今年、外出制限のない日々。マスクを外した人もちらほら出はじめ、リモートワークだのオンライン飲み会だのと"新しい"と持て囃されたコンテンツたちは再び眠りについた。
私は、緊急事態宣言で街から人が消えた(と言われる)令和2年入社の会社員だ。確か当時は居酒屋に出入りした芸能人が週刊誌に撮られ、医学部生だか研修医だかの飲み会は大バッシングを受けていた。そんなご時世であるから、ごく普通の一般企業である弊社でも当然の如く飲み会が禁止されていた(少なくとも表向きは)。
飲み会をしてはいけない年の新入社員であった私たちは、上司や先輩から口々にこう言われた。
「こんなご時世だから歓迎会は出来ないけど、増田さんたちが来てくれて本当に嬉しいよ」
すごくいい職場だな、と思った。もちろん誰も彼もが、とは言わないが、多くの社員は私たちを歓迎してくれていて、業務に関して幅広くたくさん学ばせようと丁寧に指導をしてくれた。
当時はコロナの影響で繁忙を極めていたが、多くの人に支えられ私たちは先輩になることができた。
そして時は経ち、令和5年。とうとうコロナがおさまった。ウィズコロナ、アフターコロナ。なんだかよく分からないが、マスクを外していいしライブで声を出してもいいらしい。
姿を消したフェイスシールドや「医療機関の逼迫が」というニュースの代わりに、我々の日常に戻ってきたものといえば、飲み会や旅行だと思う。
メディアがコロナが下火になっていることを報じるたび上司や先輩たちは「今年こそ歓迎会ができるかも」と浮き足だった。1年目の頃からすごくお世話になっている上司のAさんには、「増田さんたちとは飲み会に行ったことがないから、どんな感じか分からなかったんだよね」と言われた。
「楽しみだなぁ。」「歓迎会はあった方が嬉しいよね。」
…そうなのかな。
歓迎会なんてなくたってみんなが私たちのことを歓迎してくれていたことは知っているし、送別会なんてなくてもみんな異動したBさんにとても感謝していた。
Aさんに他意がないことはよくわかっているけど、もしかして私はこの3年間ずっと「一度も飲みに行ったことがない何だか得体の知れない部下」だったのだろうか。Bさんは「自分は〇年もここに勤めたのに、誰にも送り出されなかった」と思ったのだろうか。
飲み会なんてやらなくたって、みんなそれなりに穏やかに平和にやってきたじゃないか。始業前や休憩時間なんかのちょっとした時間には、近くのおすすめの飲食店やペットの話なんかで盛り上がったじゃないか。
"お近づきの印"の飲み会がなければ、毎日約8時間の勤務時間中に交わした様々な会話もコミュニケーションも大した意味を持たないのだろうか。
どんなに尊敬していて大好きな上司でも、就業時間が過ぎた後も一緒の時間を過ごしたいと思ったことのない私は冷たい人だったのかと、悲しくなった春だった。
私が勤める会社の人間は、生徒会長をやるような優秀な陽キャから学生時代教室の隅でいたような陰キャまで幅広い。
学生時代であれば陽キャ陰キャとの間にかかわりはない。しかし社会人なので同じ会社の人間とはある程度深く関わらざるを得ない。
仕事などで陰キャとかかわるうち、学生時代には知りえなかった”本物”の特徴が分かってきた。
陰キャ全員に共通するのは、【相手の立場に立って相手の気持ちを考えることができない】ということだ。
人の目を見て話さない・お礼や謝罪の言葉が出るべきタイミングで出てこない(←これは特に多い)・挨拶がまともにできない・電話の取次ぎで返事ができない・率先して動くことは一切なく周りが動いてくれるのを待つ…
など、人それぞれ違いがあれどこれらすべてのことは相手の立場にたって気持ちを考えて行動できないということに収束される。
これをしないと相手が不快になるかなとか、相手は困るかなとか、自分が率先してやろうという気づかいは皆無。
例えば30代が会社にミニ丈をはいてくる・謎のニーハイソックスを履いてくるなどだ。(そもそも弊社はミニ丈禁止だが、そうでなくとも周囲の気持ちとオフィスであるということを考えれば履こうという気持ちにはならないはずだ。というか今ってミニ丈流行ってなくてロング丈が主流だしそこもずれてる)
何歳になっても好きな服装していいじゃないとかそういう話ではない。
TPOというのは周りの人への気遣いなのだ。好きな恰好はプライベートですればいい話だ。
また、上記は暗めの陰キャの話をしたが、明るめの陰キャもいる。
女性の場合だと、一昔前に流行ったような(?)サバサバ系といわれるやつである。
そういったタイプは傍若無人だからか、なぜか組織の中で地味に権力を持っている。パワハラも激しかったりする。
なぜこのようなモンスターが誕生するのかというと、私は下記の結論に至った。
陽キャと陰キャは学生時代であれば口もきかなかったような関係だったとしても、会社の先輩後輩という上下関係ができることで、学生時代のカーストでいうところの上下にねじれが生じる。
陽キャの後輩に対して陰キャの先輩がパワハラするというような、学生時代だと絶対起こらないねじれ現象が起こりうるのが会社という組織。
学生時代であれば口もきいてもらえないような陽キャに、先輩というだけでコミュ障の陰キャが口もきいてもらえるし気も使ってもらえるし、なんならパワハラもできる。
そのせいで自分の能力や資質に勘違いが起こり、勘違いした陰キャはモンスターとなる。
『事故米利用』とか『賞味期限切れ商品送付』とか『品質に問題があり販売停止』とか気にするの言うほど尋常じゃないこだわりか?
スープストックは女の吉野屋やサイゼみたいなファーストフードやぞ?
そもそも有機食材!絶対国産!化学調味料不使用(酵母エキスとか使わない)!健康意識レシピ!とかやってる店じゃあないぞ
ワイがスープストック行ったの新卒〜社会人3年目くらいまでだぞ
健康とか味を気にする層は、フツーにビーガン・薬膳・有機野菜&産地ブランド明記&化学調味料不使用の店や出前や弁当使うよね
真面目で頭の良いAと、
勉強は出来ないが要領の良いBと、
私で、
学生時代は3人で仲良く過ごしていたつもりだった。
自然と仲良くなって、テスト勉強したり、旅行に行ったり平凡な学生時代の友人だった。
大学卒業後の進路は、Aは推薦で大企業へ、Bは就活が嫌になり大学院へ、私は休学して海外へ行くこととなった。
みんな、それぞれの進路を進んでいると思った。
Aは大企業に決まって嬉しそうだったのを覚えている。就活の時はAにエントリーシートの添削を頼もうと、みんなで言っていたのを覚えている。
それから2年経って、
私は復学して大学院に進み、Bは外資系の大企業に就職した。Aは、事業改変で所属する会社が子会社に変わっていた。
TwitterでAが会社の不安を呟く。そこにBが転職したら?と言ったのがそもそもの始まりだったそう。
Aは「無責任に口出ししてほしくない」「Bの言い方が偉そう、私は今の会社に不満はない」と言い、Bは「そんなつもりで行ったのではなく1つの案だ」と言い合っていた。
そのまま会わなくなって、気づいたらAとBはSNSの双方フォローを外していた。私は板挟みになった。
Bから少し話を聞くと、
・社会人になってもAが学生時代のテストの赤点をネタにしてくること
・いつまでたっても、馬鹿のレッテルを貼り続け、自分の意見を聞いてくれないこと
が不満だったと愚痴を言っていた。
私は、就職して立場が変わって、仲間のパワーバランスが壊れたのだろうと思った。
に立場が変わったのに
大学の成績は最悪だが要領の良いB
の価値観のままだと仲良くできないのかな。
Aはいつでも成績優秀で大企業でバリバリ働いて欲しかったし、Bは愛嬌で乗り越えて、そんな2人を私はまだ見たいのかもしれない。
Bは、Aはいつも自分を見下して意見を聞いてくれないと言っていた。
私は、テスト前にAがBにいつも勉強を教えていたことを覚えている。
もう3人で会うことはないだろうな、と思う。
大学で共に過ごした四年間、私達は本当に仲が良かったんだろうか。
沢山作った思い出は何だったんだろうか
------
反応が色々あって驚きました。
こんな書き殴ったような文章でごめんなさい。
書いた後に、タイプミスや本題と関係無いなと思ったこと、書き過ぎたことは削除しました。
それに伴い性別も消したのですが、混乱させてごめんなさい。ちなみに全員女です。
関係が壊れた原因ですが、私が観測した範囲の出来事なので、個々の間で何か別の問題があるのかもしれません。
私が
今は大企業に入社して威張っていたが、子会社で働くことになったAを
見下しているのでは、
上司が「責任感を持って仕事しろ」と言ってくるのは、部下にはそもそも責任がないからだ。責任がないから、「責任感」なんて言葉でボカしている。
社用車ぶっ壊しても「責任をとって私のポケットマネーから直します!」なんてできないのだ(ブラック企業でない限りは)。
若い子は「担当業務で失敗した! 自分の責任だ! どうしよう!」と悩みがちだが、あなたの本来の責任は「業務を完璧にこなすこと」ではなく「失敗したら上司に報告すること」である。
「上司に報告したら怒られる!」と思う人もいるかもしれないが、「責任」という名のボールを持ち続けることほど不用心なことはない。世に起きるほとんどの仕事のミスは「上司にパスを出さなかった(出すのが遅かった)」で起きる。上司に報告さえすれば上司の責任になるのだからやらない手はない。怒られるくらい覚悟しておこう。
ちなみに、上司が「責任感を持て」と言ってくるのは自分の責任になる前に解決してくれる=自分が楽になるからだ。あなたの身を案じてのことではない。覚えておこう。
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「同じ係の○○さんはミスをしても怒られないのに、私はこっぴどく怒られる! えこひいきだ!」と思う場面がある。
まぁ女子にはヘラヘラしてる上司も一定数いるのであまり彼らを擁護する気はないが、そんな上司に怒られないコツがある。
例えば、請求書をもらっていたのに支払い漏れがあったとする。日付は数ヶ月前で、上司に言ったら怒られるだろう。
発覚したら即、請求書の相手方にまず頭を下げることだ。そして今から支払いをするから○日に支払える、と説明をすることだ。
相手方の了承をもらってから、上司に「支払い漏れをしてしまったが、相手方にはこう説明して納得してもらいました。すいません」と報告をする。
すべて終わった後に報告しているので、上司は「今後気をつけろよ」くらいしか言えず、怒られない、というわけだ。
ただし、この方法には穴があって、
・重要な案件でこれをやると「上司に報告する前に相手方に謝って隠蔽しようとした」と思われる可能性がある
・何度も失敗を繰り返している奴がやると信用してもらえない
というわけなので、普段からの信用を勝ち取るのが重要だったりする。やはり信頼、信頼はすべてを解決する…!
まぁ、ここまでは「上司が常識人だ」という前提で、長々説教するのが楽しくなってるキ印の上司もいる。残念ながら。
説教されると「私は会社で役に立ってないゴミなのかも」と思いこんでしまいがちだが、それは違う。あなたには必ず価値があって、そのために人事があなたを採用したからだ。つまりあなた自身の能力を疑うことは会社への背信行為である。よってあなたには価値がある。QED。
まぁそれは多少の牽強付会だとしても、こんな記事まで見て役に立とうとしているあなたが役に立っていないわけがないのだ。
閑話休題。怒られても気にしない方法は、「会社は演劇をするところ」だと思うところから始めてほしい。
演劇中、もし私が兵士の役なら、王様役の方に頭を垂れ、敬語を話し、時には暴言を受けたり踏まれたりするかもしれない。
しかし、相手が本物のナイフで突き刺そうとしてきたら、演劇中でも言って黙って刺される人はいない。
会社でも同じで、上司の説教も「この仕事をやってくれてありがとう、でもここが間違っているから直してくれる?」という説教なら「上司役」をしてくれているので「部下」の役割として失敗を詫びるけれども、上司が「こんな簡単な仕事もできないのか、幼稚園児からやり直せ!」と言ってきたなら、これは演劇中に言葉のナイフを持って刺しに来たのと同じ。なので聞く必要はありません。「だらだら叱るのは夜の店で金払ってやれよ」と思いながら聞き流しましょう。
あまりしつこいようならキレても構いません。相手がわざわざ有利なはずの「上司」という設定を脱ぎ捨てて「頭がおかしい一般人」として立ちはだかってくれたので、周りを凍り付かせるようなキレ方をしましょう。機は我にあり!
キレる習慣がなくて難しい場合は、信頼できる上司に「パワハラの相談をしたい」と言いましょう。
だからやめろ←幼稚、未熟、ガキ、自己中、お子ちゃま、社会人の資格なし
大音量で走り回る選挙カーが必要なのは選挙から目を背ける人にも周知する唯一の方法だから。
うるさいと思うのはわかる。
うるさいからやめろというのは公園で子供の声がうるさいとクレームをつける住民と何も変わらない。
⑤ 社会人にもなって一人暮らししたことない人が結構いる、子離れできてないおじさん、おばさんも多い(田舎じゃ地元に仕事がないから有り得ない。過保護で気持ち悪く感じる。)
「私お金関係はしっかりしてるから!お礼もちゃんとするし、人には気を遣ってる」
って言っててずっこけるしすごい嫌な気持ちになる
君からお礼されたことないしお金を自分から返そうとされた事もないし、
そのまま帰ろうとして払わない奴だったよね。
じゃあっつって帰ろうとするから引き止めて〇〇円ちょうだいって言わないと
「忘れてた~!」とか言ってるけど、明らかに絶対忘れてないよね。とぼけんなよ。
なんでこう自信満々に言えるのか 思い出してモヤってる
まあ結局は私のこと下に見てるだけなんだろうけどさあ…はあ…
君の人生だから好きにすればいいけどわざわざ学部入り直す意味あるの?
まじで意味ないぞ
文学部ってことは夜は短し?に憧れた感じ?
これまで真面目に続けて勉強続けてたなら受験ごとき呼吸以下の難易度
大学時代にいたよ
25だったかな
社会人○年やっててつくづく思うんだけど、誰かと話している時、その場にいない第三者を褒めるという形で他人を褒める人がやたらと多い事。
悪口ならば相手に聞こえないところで言うのもよーーく分かるんだけど、
褒め言葉を本人に言わず、わざわざ他人に聞かせるのって一体どうしてなんだろう。
例えばAがBと会話している時、その場にいないCの事をやたら褒めるの。
BとCは同じ仕事をしていて、Bとの会話なのにも関わらず
Bの事は全く褒めずにとにかくCが凄いCが凄いとだけ言う。
これって一体何なんだろ。Bは自分とCを比較されてるみたいで不快になるし、Cは直接褒めてもらえないから喜べない。
そしてそんなAは、Cと話す時には今度はBの事ばかりを凄い凄いと褒める。
褒めるならば本人と一対一の時に、直接褒めるのが一番じゃないかと思うんだけど。
世間一般に言われる事として陰口はよくないと言われる割に、陰で他人を褒めるのは寧ろ推奨されるというのが本当に意味不明だと思う。