はてなキーワード: 然別とは
確かに昔の2ch(vipとか)にオナ禁耐久スレがあったことは間違いないが、別に性欲に対する嫌悪が原因でそういうブームが生まれたわけじゃない。
そういうスレってな、「オナ禁を続けると女性からモテる!」とかアホみたいなことがテンプレに書いてあったんだぞ。
本当に性欲が嫌いで消し去りたいんなら、そんな荒唐無稽な効能なんか喧伝するわけねえだろバーーーーカ。
あれは性欲の苦痛だ嫌悪だみたいな話じゃなくて、要するに「性欲の存在を認め肯定した上で、それを何日我慢できるか」という挑戦や競争のムーブメントだった……というのが、たぶん一番正確な説明だ。
それこそホモソーシャルゆえの気持ち悪い悪乗りやイキリの一種ではあっても、「苦痛から逃れたい」みたいなのとはもう全ッッッッッ然別の話なの。
というかオナ禁スレより前のテレビ番組で「断食」や「不眠」と並んで「禁H」耐久ってクソしょうもねえ企画があったんだけど、あの当時ネット民がやってたのはそのパクリのようなものでしかなかったわけ。
ネットにしてもバラエティにしても、てめえが期待してるような思想とはこれっぽっちも関係ねえの!
おわかりいただけましたか?
・さらに、別姓を選択する理由の一つに「相手方の両親が同じ姓を名乗ることを許さなかった」というものが出てくる。相手方の両親が「選択」するという制度上の盲点が問題となる。
この視点は持ってなかったけれど、言われてみればそうだな。
緊急避妊薬を求める運動を見て、妊娠をされると困るような間柄の男性が緊急避妊薬を強要するというケースは考えてないんだろうなって思うけれど、こういうケースもあるだろうね。
「結婚は勝手にしろ、だが、お前なんか認めないから〇〇の姓は名乗らせない」という親はいるだろうね。
・そのため、別姓を選ぶことが「ババア」「離婚リスクあり」「ワケあり」を示すことになり、夫婦別姓はごく一部に限られるようになる。
これはどうなんだろう。
同姓を選ぶほうが封建的な前時代的思想をしている人たちみたいな扱いを受けて、先進的な人は当然別姓を選ぶよね?という無言の圧力となる感じもする。
今でも専業主婦は女性の一番の人気"職業"だと思うけど、経済的な圧と社会的な圧に負けてそれを選択できない女性が多々いるのも知ってるからね。
今時はほぼ自動的にだれもが職業婦人になり、専業主婦は強い意志と実行力で勝ち取るものになったと思うよ。
・制度が始まってから5年後の国勢調査で、夫婦同姓と別姓の夫婦の格差が如実にデータで示される。世帯収入・結婚継続率・出生率すべてで同姓夫婦が上回るという結果が出てしまい、夫婦別姓は「負け組」のレッテルを貼られる。
都会のパワーカップルがそれぞれの名前を変えたくないからと別姓を選ぶシナリオは容易に想像できて、世帯収入は別姓のほうが上かもしれない。
結婚して3年もすれば相手のぼろが見えてくるけれど、離婚したら名字が変わるのはその時に踏ん張る力になるだろうからね。
出生率は周囲を見る限り実家のサポートがあるほうが上がる可能性が高いと思う。
夫婦別姓シナリオだと、点数を稼いで保育園に入れ、不足分は保育サービスを利用するという方向だろうね。
夫婦同姓のほうが別姓よりも実家サポートは多そうなので、家族のパワーで解決するか、金で解決するかの違いくらいしかないかもしれない。
100日後に婚約破棄されるOLを読んでいて、自分が婚約解消したときのことを思い出した。まともに振り返ったことがなかったのだけれど、ちょうど思い出したので、今後また別の人と婚約した際に同じ状況に陥らないように、あの時起きたこと、感じたことや分かったことを文字にしてざっくり書き出した。
婚約時点で既に数年付き合っていて、相手の経済感覚は分かっている気でいた。ただ、冷静に今振り返ると、「恋人だから」と性善説で捉え、目を瞑ってる部分が結構あったなと思う。自分よりもよっぽど給料の良い企業に勤めていて年次も上の人だったし、「結婚のことを考えてる人だからちゃんと貯金しているだろう、大丈夫」と自分で勝手に思い込んでいた。
また、年収や貯金額をストレートに聞くのははしたないし、恋人が聞いていい話題範囲を超えていると自分が(勝手に)思っていて、その考えを婚約後も引きずっていたのもよくなかった。あくまで別会計の存在である恋人ならまだしも、結婚して生活を共にする気がある相手に関しその点に違和感があるなら、厳密に確認するべきだった。
自分自身は、ひとからの頼み事は嫌だと思わずわりとホイホイ引き受けるタイプの人間で、それは恋人に対してもそうだった。でも、一個一個のお願いは自分のリソースを少し割くだけで済むものだとしても、そのまま際限なく引き受け続けると、お願いの要求水準は徐々にエスカレートしていくものだと認識しておくべきだった。引き受ける基準が相対的なものだと、お願いを一つ引き受けるたびに、自分の引き受ける/引き受けないの判断の境界線が少しずつ、それこそアハ体験のように気づかない間に、自分を追い詰める方向に移動してきていて、いつに間にか大きな負担を求められていたりする。際限なくお願いしてくる相手が悪い部分もあるかもしれないが、でもそうやって追い詰められるのは、一個一個のお願いをホイホイ許して受け続け、「自分はここまでしかできない」と事前にハッキリ表明していなかった自分も悪かったと思う。
冷静に立ち止まると、荒い金遣い以外にも、相手には、大事なところでわりと平気で嘘をついたり、自分勝手なところがあった。話し合いでその点を伝えたら、相手は自分が悪かったと認めつつ、「別れようというなら別れるよ、あなたの判断に任せます」と静かに答えた(あっさりそう言った割には、その後実際別れることになったらとても泣かれたし、別れた後もちょくちょく「会いたい」と連絡が来ていたけど。)。
もしその時、「心を入れ替えて、次からはもうしない」「今回は許してほしい」と許しを請う言葉が相手からあれば、たとえ「もうしない」の根拠が薄くても一度は許せたのに。一度振り上げてしまった拳を下ろすためのきっかけがなかったら、下ろすための心の整理は自分の中で完結しなきゃいけなくなる。このまま続けても無理だと頭でわかってても、情もあり心がその判断についていけていなかった時、拳を下すための心の整理を無理矢理自分の中でやってしまって、婚約解消後もゼロからのリスタートとして付き合い続けた期間があった。でも無理矢理した整理にはやっぱり無理があって、結局つらくなり、関係が破綻するのも早かった。
どうしてそんな相手と婚約に至ったのかを考えたが、自分自身、「夫婦」という関係性を過大評価していたのが原因かもしれないと思う。「恋人」は、自分が順調だと思っていても、突然相手から別れを告げられるかもしれない、制度上の根拠もなく移ろいやすい不安定な関係性であると思う一方で、「夫婦」は、制度上、恋人よりかは別れるためのコストが上がってまだ揺らぎづらい関係性である、と自分がどこかで思ってしまっている。こんな考えはおかしいのは分かっているし、初めての恋人に突然別れを告げられた自分の過去のトラウマが尾を引いているだけかもしれないというのも分かっているけど、でも、克服にはまだまだ時間がかかりそう。
一方で、そんなに別れが怖いくせになぜ自分から婚約解消をしたのかというと、経済感覚の不一致もあったが、好きという感情以前に、相手が信頼できない上、自分の心に負担をかけてくる人だと気づいてしまったから。結婚するなら、背中を守りたいと思えると同時に、信頼して自分の背中を預けられる人がいい。そこで後ろから刺されたり見捨てられたりするかもしれないという疑念が晴れない相手だと、きっと今後長い人生を一緒には歩めないと思う。
思った以上に長々と書いてしまった。尻切れだけどとりあえずここでおわり。
夜のスーパーでよく見られる光景だけど、あれ群がられまくった店員どう思ってると思う?「動けねえよボケ」って思ってるよ。
他にもいろいろ日常茶飯事あるけれど、狙ってた商品が狙ってた割引率にならなかったからって店員に文句言うな?
割引してる端から強引に腕をねじ込んでくるな?まだ値引きしてない商品持ち込んで「安くして?」とか聞いてくるな?
とはいえこういうのやるのは大体ばばあなんだ。結婚して子供が独り立ちしたかな~~~くらいのばばあが大半。
だからヒスって聞く耳なんざ到底持たねえだろうよ?そもそもこんなとこに書き散らしてるんだからだあれもみちゃあいねえだろうがな。
どうでもいいけどスーパーに買い物にくるようなおっさんでねじ込んでくるような奴はちょっと珍しいおっさんだ。
持ってくるようなときでも値引き済みのお弁当見てまだ自分も偶然別のまだ値引きされてないお弁当持ってるようなときにおっさんは声をかけてくるんだ。
でもあんまりそういうことおっさんはやらないんだ。待ってりゃ値引きされるのわかってるからな。でもだからって滅茶苦茶たむろされると商品に近づけもしねえんだ。
夕方ぐらいだと値引きする前の奴するっと持ってって戻ってこないおっさんすらいる。いいのかな、いいんだろうな、おっさん的には。
だがばばあは違う。横からまだかと催促するかのように店員の作業に自分の商品の値引きを優先的に割り込ませる。わかってるか?やってることの意味、わかってるか?
……いま幻聴が聞こえた気がするが「割り込みでも頼まれたんなら仕事だからちゃんとやれ」ってのは、まあ言いたいことはわかる。わかるが違うんだ言いたいことはそこじゃない。
つまりそういうことするばばあはな、自分が優先されてしかるべきであるという傲慢さで人を不愉快にさせているという自覚はあるのかという話をしたいんだ。なりふりを構え。半額弁当ごときに品性を捨てるな。
安くなったら嬉しいなという気持ちはわかるからもうちょい愛嬌持って声かけてくれ。当たり前のように安くさせるな。不愉快だ。俺はお前の召使じゃあねえんだぞゴラ。
いや日々の出費を少しでも節約するんだという強い意志、逆に尊敬でもしろというのか?出来るわけがねえんだよないくつもいくつもあれもこれもと持ち込むような馬鹿に対して。
そもそも、スーパーによっちゃ客が持ってる商品の値引き、許されてない店すらあるんだぞ?値引きしてやるんだからむしろありがたく思え?
いやさすがにこれはちょっと言いすぎた。これではこちらが上から目線になってしまう。同じ穴のムジナである。あんなのと一緒にはされたくないのである。
友人は男女4人で飲んでる最中だった。友人以外知らない人だった。
合コンかなと思ったので邪魔しては悪いと言ったが、友人は同席を進めてやまなかったので、おとなしくご一緒させてもらった
そしてしゃべってるうちに男性の一人とプロ野球の話で盛り上がった。
会計の時、友人らと当然別会計だと思っていたのだが、プロ野球好きの男が私の分まで支払ってくれた。
申しわけないので断ったのだが、友人からも「甘えちゃいなよ」と押し切られた。
そして、自宅の方向もプロ野球好きの男と同じだったので、タクシー代まで支払ってくれた。
さすがに気が済まないので、今度お礼させてほしいから、連絡先を教えてくれといった。
そして、LINEを教えてもらった。また連絡します。そう言って別れた。
本当にお礼がしたいとも思っていた。初対面なのに、それも友人らと同席する前から一人で結構飲んでいたのに、奢ってもらったのは心苦しかった。それに、少なからず、下心というか、趣味は合うし、この先どうなるかはわからないが仲良くなりたいと、その時は思っていた。
とりとめのない会話から、贔屓休団の話、そしてまた飲みに行こうよという話がまとまった。
もう切り込んできたか。と思った。
まあ、わたしはまだるっこしいのは嫌いだし悪いとは思わなかった。
でもこの後がいけなかった…。
増「いないよ~!」
男「意外~!」
増「そう?」
増「え?」
増「何言ってんの?」
と思ってラインを閉じた。
混乱した。確かにわたしも、もしかしたらもっと仲良くなれるかもなとか考えてはいたが、それはずっと先の可能性の話で、こういう即物的な相手として接しているつもりはなかった。
それなのにこういうメッセージを送ってこられるって…わたしのふるまいにはなにか問題があるのか…と呆然とした。
10分くらいして、わたしからの返信がないことに焦ったのか、「ゴメン、テンション上がって変なメッセージおくっちゃった;嫌だった?ゴメンね」
的なラインがきた。
嫌にきまってるでしょ。
どういうつもりだ。
申しわけないけど関わりたくなくなってしまって、そのままブロックしてしまった。
絵描きとしての意見ですが、背景を描くのと人物を描くのでは作業が倍違います。人によっては(私はそうですが)書き慣れている人物よりも背景のほうが時間も労力もかかります。当然別料金です。それを指定なしで、しかも想像力で描けとは無理難題でしかありません。(文面的に見ても、最後の「やっつけ」件以外は指定していなかったと分かります。その絵師さんは指定とは違うものを描いたということですので過失はそちらにあるかもしれませんね、その件だけは)
・指定がなければ暗い感じになる→雰囲気の指示すらしていなかったことが問題
・背景がなく、いつも同じ感じ→背景・細かいレイアウトの指示がないこと、また背景も混みの料金と思っていることが問題(背景代も渡しているのに描いてくれなかった!とは仰ってないので。もし料金渡していたら愚痴記事で言及しない理由がない)
・相互フォローなのに云々→相互してようが依頼した時点で(絵師が自発的ではない)仕事。私の小説好きなんだから察して描いてくれるでしょ?感が厚かましすぎる
・擦り合わせが大事といいつつ、絵師が描きたいと思わせる文才がないからだと理由づけており、結局自分が指定しなかったことが敗因ではなく、絵師が「描いてくれなかった」と思っている→10数年気づかないという点、自分が悪いといいつつ被害者面している点から自分に過失があるとは考えないタイプ
以上を踏まえて、絵師に好かれるタイプ云々というより人として問題があると思われます
実際私は記事を読んだだけでも、この人の表紙は描きたくないなと思いました
他の多くの方も言ってるように依頼の仕方が間違っています。それでも私は悪くないと考えられるならその思考回路自体、他人と逸脱しているのでどうしようもないです。
いまだにわからないことがある。14年前のことだ。
当時21歳だった俺、某大学の学生だった俺には一人の女友達がいた。もう本名を書くが、直子という女だ。
彼女はまさに容姿端麗であり美少女の影を残した美女であったが、無口という消極的な要素が最大限働き、同じマイナーサークル(映画サークル)ということもあり、俺が唯一無二の友達になったのである。
当然、勉強以外何もできなかったクソ童貞である俺は彼女という女体の出現におののき戦慄し緊張し喜んだわけだが、彼女は総一筋縄では行く女性ではなかった。
これは書き起こすと本当に嘘くさいし物語っぽい展開ではあるのだが、彼女はその後癌にかかったことが発覚したのだ。推定余命は一年足らずだった。
俺は彼女に心底同情し、彼女とともに泣きわめき、一晩中一緒に泣いた。本当に悲しんだ。俺はいつの間にか彼女を心底愛していた。親が死んでもこんな感情は湧き上がらないだろうと思った。
俺は中学生のように彼女に告白した。そして彼女は、困ったような顔をしながらも受け入れてくれた。あの表情は一生忘れられないだろう。本当にきれいだった。大好きだった。
俺は毎日彼女に会いに行った。所詮、交際というままごとであった感は否めないが、俺と彼女は愛し合っていた。それが否定されることは絶対ない。俺たちは愛し合っていた。
そんなときだ、彼女が突然別れを突きつけてきた。俺が絶対に嫌だ、というと彼女は数日前にサークルの先輩のDさんと肉体関係を持ったという、当時の俺にとっては信じがたいことを投げかけてきた。
彼女は畳み掛けるように言った。お見舞いに来たDさんを自分から誘ったこと、避妊もしなかったこと、俺への罪悪感はあったがしてしまったこと。
俺にはさっぱりわからなかった。なぜか…まったく理解できなかった。これが理解できるならば、万物の理論もわかるに違いない。
俺たちは別れた。そしてその2週間後、彼女は死んだ。
彼女の母親に葬式へ招待されたが、行かなかった。俺は彼女のことを心底愛していた。それだけで十分だった。
さてそれから14年経った。そして本当に偶然、仕事の関係で俺はDさんと再開した。
久々に会ったDさんは公認会計士になっており、バリバリ働いているようだった。
それに比べて俺は一企業の社員だ。フツフツとぶつけようのない怒りがこみ上げた。
俺は、機会を見てずっとずっとずっと聞きたかったことを聞くことにした。
「直子を抱いたって、本当ですか? 彼女は14年前に死にましたよ」
…Dさんは心底困惑したようだった。確かに直子のことは一サークル員として知ってはいたが、そのような病気だったことは一切知らなかったし見舞いに行ったこともない。当然そういったこともないということだった。
彼の瞳を覗き込んでも嘘の色は見えなかった。彼は無実だったのだ。
こうして、俺は途方にくれた。
なぜあんなことをしたのか、嘘だとしたらなぜそんな嘘をはいたのか、なぜ俺を尊重してくれなかったのか。
もちろん、この話にはなんのオチもない。
女性側の無自覚な受身投げっぱなしな姿勢も原因のひとつな気がする
役割への旧世代的な根強い意識は同性による偏見意識の問題として挙がるけど、問題意識があってアンテナはってるような今の若い子でも権利は勝ち取りに行くのじゃなく享受できるようになるまでただ待つものって無意識に言動に出てるの結構見るから
頭のどこか深いとこに世の中男性社会で男性に決定権があるから女性は前に出ないってそういう事を自ら認めてるとこがあるようなそんな感じ
どうせ女性じゃ何も出来ないんだから男性が全てやるべきでやってくれないなら現状維持しかないと思ってて愚痴や不満こぼして溜飲下げてるっていうか
要望だけ伝えて待って無理なら受け入れるしかない、不公平だって考え方
自分で男性優位に思考を傾けてるのに洗脳状態に近いのかすりこみなのかその自覚がない
自分の問題なんだから言動にはどんなものでもそこに責任はのるものなのに男性側がそれも負うのが当然て感覚
昔は男性側が責任負う代わりに女性は権利も男性側に預けて(奪われて)たけど
その状況から脱する事、変化を望んでるはずなのに自分の言動への責任感が薄い
大人なら女性側も選択して状況を判断して行動を起こすか起こさないかの決定権は皆持ってるしそこに責任も伴う
配偶者やパートナーへの意識格差への不満はよく聞くけど、それなら解消のために行動すべきなのに多くが要望を提出してそれが通らない事に怒り嘆いてるだけのように見える
それか夫婦は平等な立場なのに、となぜ相手が変わる事に自分が苦心しなければいけないのかと憤ってるか
望んでも変わらない自ら行動を起こしてくれない相手を自分が選んだ事、その関係を維持してる、または関係が破綻した場合とを天秤にかけて維持する事を選択しているその責任の存在を理解してない
子供や金銭面や人間関係や環境が行動を制限させる、出来ない、というのも聞くけどそれはされる、出来ないんじゃなく自分自身でメリットデメリットを考えて制限し、やらない事を選んでるに過ぎないから(暴力なんかの問題は当然別)
そういう意識が薄い
もし生活する上で権利と義務に対する価値観の違う人間と共にいる事を受け入れ一定の環境の維持を望むのだとするなら、平等な権利を主張できる状況で相手に変化を求める上で、不平等を訴え相手を変えさせ自分が理想とする環境を手に入れるためそれを口に出す事、そこへ向けて行動する事が必要になるのは当然で
昔から男性側は当たり前にやっていて、それは自分が言ってやらなきゃ分からない言えば思い通りになるだろう、というような蔑視的なとこからだから権利を平等にする自立した他者への視点とはまた違うんだけど
その高慢さのような"別の人間を変える事"に必要な一種の当然の労力の存在への理解が足りないように思う
環境が変わるのを自分を哀れんでただ待って、夫が言っても変わってくれない酷い夫だ男は酷いなんてただ言うだけなら、夫ったら酷いのよ、と鬱憤を隣の奥さんと愚痴って家ではそれはそういうものだから仕方ないの、って言ってなあなあに問題のある男性達を増長させて来た旧世代とかわらないし問題意識がある分余計に根が深いように見える
なぜ相手を正すのにこっちがいちいち、という憤りはまるで、言わなくても自分で理解して気を回して変わるものだ常識を考えろお前は何も知らんのか、なんてそれこそ上の高圧的な男性達よりもっと酷い旧世代の悪しき男性像のマインドそのものだし、そんな傲慢さはもう今はどんな人間関係にも必要ないし、平等さじゃなくそういう男性の立場を自分が求めてる人なのかなと思ってしまう
それともそういう傲慢な人間同士で平等に殴り合い罵り合いがしたいのか
家事育児参加(家事と同グループに育児を入れる事も参加って使い方も好きじゃないけど)の第一歩に簡単なものから教えて手伝って、やった仕事には感謝して、というようなのも、中には表現によって違うんじゃないそれはと思うものもあるけど自分がそういう相手を選んだという責任の下で大筋は極々普通の事で
自分が望まずかもしれないけど少なくとも一旦は受け入れた労働の不均等の是正のために負担を共通のものとし、と始める折にノウハウがある方がそれを伝える事、出来なければ手を貸して、労わり合い、負担を共有するなら相手が成した事は自分の負担の軽減でもあるのだから共に感謝を、なんて人として本当に当然の事に対して、なぜ謙らなければいけないのか、と憤り、立場が平等だからこそ必要な、男性側だけでなく多くに求められる相手への敬意を、甘やかす事だ、単なる隷属だというように捉えて何で自分がと嫌悪する姿はまるで近年顰蹙を買う居丈高な夫よりまだ旧時代的で
それが女性の平等な権利の主張、理想の立場だと思っているのだとしたら頭が痛くなる
そういう男性が今非難されるのは、人として当然の敬意を欠いた言動が時代による権利の優越性で許されていたのがそうじゃなくなって来たからで、男性だから、ではないのに女性から男性へ矢印が向けばそれは許されると思うのはどういう感覚なんだろうと思う
ものを望むなら行動を起こさなければいけないし、相手に変わる事を望むなら相応の行動が必要で、ただそこには人としての敬意でもって臨むべきで
権利のバランスを平等にとるために必要なのは男性がそうあったような人としての当然の敬意を女性にも勝ち取る事であって、女性の立場や女性自らのその意識が何も変わらないままで男性の権利を奪う事ではなく、また公平な権利であるとした時に問題になるような立場に女性だからと許される状況を作る事でもないし、そんな考えで権利の平等化に現実的に必要不可欠な男性側の意識改革なんてなせるわけないのに
それじゃただの悪政を敷く王の首の挿げ替えでしかないんだからそこに大義も平等を訴える正当性もない
女性が声をあげ行動に移すっていうのは男性に判断を仰ぐって意味でも、女性を虐げて来た男性そのままになり代わる事でも、行動しない責任を男性に押し付ける事でもない
色んなものを強いられて、奪われて、虐げられて来たんだからこそそうして来た男性が行動すべきだって声も聞くけど、男性が悪いのにどうして被害を受けて来た側が、男性が何もやってくれない、お前らが変われよと何もしないまま言ったところでそれまでそうやって生きてきた大人が変わるわけないし、その結果女性が何も得られず、それでそんな問題の象徴のような男性は何か困るのかって話で
本当に丸投げで変わるならどこの国のどの時代のどの女性もストもデモも権利を得るための暴言吐かれながらの運動も何も必要なかったはずで
女性が行動しなければ、行動してもまだ変わらない男性の傲慢さ理不尽さの話とそこから権利を得るために、守るために必要なものとその責任は別の話だから混同すべきではなく
そういう男性がそうなった事、旧世代の女性にしても個人個人にその責任は求めるべきではないし、暴言を吐いたり自分の事ひとつまともに出来ないのはその男性当人の責任で、そんな環境に望んでもいないのになってしまった、それ自体にも女性の責任はない
ただそれを維持し続けるという何かしらの選択を日々している今の自分への責任はある
どうせ何も変わらない、何で自分がと行動しないのも何を思うのも自由だけど最低限それは一人の人間の責任において状況を判断し、そうする事を選んだんだって意識は持つべきで
そうじゃなきゃそれは自分で自分が庇護される幼い子供のように一人の人間としてその行動に責任が生じない程度の存在だと認めてるようなもので
そういう責任の区別への意識と自身への責任意識の有無が女性の生きる上での権利や負担に影響してもいるように思うし
それは女性の自尊心が関わる話で、時代や過去の扱いも関係してるものだから、責任意識の薄さそれ自体への責任も無いんだけれど
無いんだけども日本における意識格差問題の一旦にはやっぱり思える
難しい