はてなキーワード: 無責任とは
「ハイリョシマショー」「新しい価値観!」だけ無責任に言って、そういう矛盾点まで見てないもしくは見ないようにしてんじゃないか?
【ジェンダーは悪である。しかしジェンダーを自己同一性とする人は尊重しましょう。これは矛盾している部分があるが、世の中とはそういうものなのである。】
このメッセージこそ、言葉狩りが横行するこの現代で大事だと思うんだよ。
そういうメッセージがあれば、「ジェンダーフルだけど差別的ではない言葉」って区分けが出てくるはずなわけ。「女性的ですね」って言葉が悪となるか?それを男性、女性、肉体、精神それぞれの組み合わせの誰に言うと問題になるのか?なぜ一部の人にだけ言うと悪なのか?
そのうえで、俺の考えとして「性別とは肉体の性である」というのがある。『まったく正しい唯一の答え』とそれに基づく言葉狩りが進むのであれば、俺はこの意見で戦う必要がある。なぜなら両立しないものを唯一の答えとすることは矛盾しているから。しかしまさに多様性として、「そういう考えの人もいる」という緩やかさの許容があり、言葉狩りの程度が収まっていくのであれば、俺は「俺はこう思うな」でとどめることができる。そちらの方が俺は幸せだ。戦うなんて嫌なんだよ。
そらそうよ。責任負いたくないし選択したくない。面倒くさいだけだから。無責任で成り立つ生き方ならそれが一番楽だから。嫌なことはみんなで分散するか、それを引き受ける人に頑張ってもらうしかないな。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 79 | 11896 | 150.6 | 58 |
01 | 28 | 5237 | 187.0 | 68 |
02 | 31 | 2621 | 84.5 | 52 |
03 | 10 | 1803 | 180.3 | 29 |
04 | 5 | 910 | 182.0 | 44 |
05 | 27 | 2850 | 105.6 | 69 |
06 | 27 | 3229 | 119.6 | 31 |
07 | 60 | 3635 | 60.6 | 35.5 |
08 | 66 | 7545 | 114.3 | 44 |
09 | 127 | 11185 | 88.1 | 40 |
10 | 152 | 17980 | 118.3 | 42.5 |
11 | 255 | 20614 | 80.8 | 40 |
12 | 263 | 22180 | 84.3 | 34 |
13 | 172 | 18511 | 107.6 | 42.5 |
14 | 221 | 18281 | 82.7 | 34 |
15 | 175 | 13449 | 76.9 | 41 |
16 | 168 | 15759 | 93.8 | 48 |
17 | 205 | 22292 | 108.7 | 37 |
18 | 211 | 18346 | 86.9 | 38 |
19 | 110 | 12942 | 117.7 | 35.5 |
20 | 111 | 9755 | 87.9 | 37 |
21 | 132 | 21074 | 159.7 | 45 |
22 | 153 | 15272 | 99.8 | 50 |
23 | 130 | 14035 | 108.0 | 42 |
1日 | 2918 | 291401 | 99.9 | 41 |
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『映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由』という記事について、
どうせ現代ビジネスで書くようなライターにとって対岸の火事だから無責任なこと書いてんだろうなと思って読み始めたら、
エウレカセブンの脚本家・佐藤大氏がインタビューに答えてて驚いた。
自分は熱心とまで言うほどじゃないけど新作映画が出たら劇場に行く程度にはエウレカのファンで、
特にANEMONEは面白かったから割とハイエボ3にも期待してたんだけど、このインタビューにはかなり腹が立った。
エウレカってTV版は名作と言われてる割にポケ虹やAOは冷ややかな目で見られていて(なおこの2作に佐藤氏は関わっていない)、
それって端的に言えば分かりにくい上に面白くないからなワケじゃん。
”『多少おもしろくなくなってもいいから、わかりやすくしてくれ』というオーダーなら、筋が通っているので聞きますけど”とか言ってて、
「良し悪しが分からん客に合わせてレベルを下げます」って言い放ってるかのような傲慢さを感じたのよ。
ANEMONEは細部はなんだかよく分からんが展開はTV版とのオーバーラップも込みでエモい!みたいな作品で、
とにかくTV版からついてきてくれるファンに対してレベルを落とさずに難解だけど面白いものを作ろうっていう時代に逆行する矜持があるものと思ってたのに、
それが実は細部の良し悪しじゃ客は評価不能だからとにかくラストのエモさの一点突破でなんとかしようっていう技巧的な発想で作られたんじゃないかって疑念が湧いてきた。
仮に後者だとしたらこんな視聴者を馬鹿にした態度で作ってたのかってめちゃくちゃ腹立つんだよな。
エウレカなんてポストエヴァで難解な作品を作っとけば売れた難解さバブル時代の寵児じゃねーか。
そうやってチヤホヤされてたのが時代向きが変わってウケなくなったら客が幼稚化しただの泣き言言いやがって。
”もしリテラシーの低い視聴者が『逃げ恥』の背景にあるテーマを十分に汲み取れなかったとしても、排除された気分にはなりません。ドラマはちゃんと楽しめる。そういうふうに、脚本が書かれているんです”
と言って、作品の作り方自体を変えなきゃいけないというようなことを言ってるんだけど、
TV版は名作と言われてる割にはハイエボが全然一般ウケしてないエウレカの脚本家がそれ言う?みたいな気持ちになった。
こうなるとリテラシーの低い視聴者を排除された気持ちにせずにドラマを楽しめるように作っているであろうハイエボ3EUREKAがどんな作品になってるか楽しみだね。
ANEMONE同様にラストのエモさで一点突破する作品だったら、EUREKAだけじゃなくANEMONEまで見る目変わっちゃうわ。
しかもそれがまたまた一般ウケせずに固定ファンだけが語る作品になってたら目も当てられん・・・・・・。
いや、そういう邪念をもって映画館に行くことになるのが一番悲しいよね。もう純粋に作品を楽しもうって気持ちでEUREKAを見れないことが。
憤懣やるかたない。作り手側が客を評価するようなことは言わないでくれ。
子供は運動が大好きで、コロナ禍前は、放課後や休日によく友達と一緒にサッカーなどをやっていた。
昨年から自粛が要請されるようになり、授業はオンライン、外遊びもできなくなり、運動会もなくなった。
「なんでオリンピックはできるのにサッカー大会とか運動会はできないの?」
オリンピックの話題がテレビから流れるたびに、子供は私に尋ねる。
くそが。餌やるオバハンのせいで近所に野良猫が繁殖してやがる。
むしろ飼ってんならきちんと管理しろやと言いたい。飼え。家の中で飼え。地域の空き地で繁殖させないようにしろ。
庭の家庭菜園にクソするは、小便くさいはでかなり腹立つは。衛生的で快適な環境を侵害するな。
条例で餌やりは禁止されているし、その無責任さに嫌な思いをしているのは被害を被る俺の家じゃねーか。
オバハンの家の軒下で毎朝糞と小便を垂れてやりたい。
自治会の人がやんわりと『配布している広報に違反と書いてあるよ』と諭したらしいが、
おい。しらねーじゃねーンだよ。今知ったろ?な?知ったろ?
違反なんだよ!(猫様と私の関係に)人間様が勝手に作ったルールなんて知らないとか抜かしたら、毎朝軒下に糞してやる。
車のタイヤに小便をかけてやる。
家の庭を通り道にしてついでに糞垂れる猫が醜く見える。糞してるところを本気でしばきたい。動物愛護か?糞が!
が、だ。猫が悪いんじゃねぇ。猫を悪者にするつもりはない。奴らも生きるための選択肢だ。
じゃあ仕方ないよね。
仕方なくないし、悪用でもないよ。
恋愛しない・結婚しないを約束してアイドルをやっているわけじゃない。
「こっちが疑似恋愛してる間は恋愛しないだろう」はファンが一方的に抱いた妄想なんだから、その責任をアイドルが負うのはおかしい。プライベートに口を挟み無責任に暴言を吐く厄介ファンは必ず現れる。だけどそいつらも自由意志をもって悪行をしているのだから、仕方がない、なんてことにはならない。障害者施設は襲われて仕方がない? アニメ会社は放火されて仕方がない? 悪人は災害ではない。
アイドルの責任とファンの責任は独立している。両者の間に約束がないからだ。
とても多くの商売が、情報の非対称性を利用して行われる。化粧品の原価はいくら? 映画会社は料金をいくらまで下げれば回らなくなる? 有料アプリの内部構造のどれだけの部分が無料で提供されたモジュール? 非対称性の利用そのものは悪ではない。
彼女が日本のメディアに出始めてから、ルーツが日本人!日本人マンセー!なんて世間が大喜びしていた記憶があるんだけどね。
今思えば無責任なメディアに晒された結果が今の現状に思えてならない。
性格的にナイーブな感じの子なんだろうけど、不運なことにいちいちSNSで中途半端な発言をしているから余計に火に油を注いだ。
雄弁は銀、沈黙は金とはまさにこの事。
今の世の中や社会情勢について何も知らない状態の子どもを勝手に生み出すわけだから、
せめて今の世の中は素晴らしくて多少困難が発生しても手を取り合って助け合うことができる素晴らしい世の中だという納得や自負があるから生んでるんだよね・・・?と思うんだけど・・・。
自分には残念ながらそういう世の中には思えないんだけど
生んだ人的にはそう自信を持って言えるから生んだんだよね?みたいな。
身体的特徴(見た目とか障害とか遺伝性疾患も含む)とかでコンプレックスあるのに生むのって
自分が納得してないものを勝手に押し付けてるわけだしさすがにそこまで横柄になれない。
人によってはコンプレックスでも当人が納得して受け入れていてこれがあってこそ最高なんだっていう自負のもとならそういう考えの人なんだな、って思う。
こどもは問題解決のための生贄でもないからヤングケアラーやその周辺の問題が解決しないのに生むのはあまりにも無責任というか子どもを生むってことに酔いしれすぎって思う。
未踏には20才くらいのときのオードリー・タンと同じくらい能力がありそうな人結構いるね。
ただ、そこから大澤昇平みたいなニセモノを排除して、さらに広い視野を持って世界を良くしようと本気で思っている人を見つけるのが大変だけど。
落合陽一は実はいい線いってるんだけど、かっこつけ方が独特すぎてビジョンがまわりに全然伝わってないのが可哀想。あと、世界を良くする長期的な戦略よりも、自分のまわりで最適解を最速で見つけるゲームに興じているようにみえる。
ワイは無責任やと叩き続けてるで
デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。
自我というものの存在を確立したデカルトの三段論法は西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我の存在を規定できるという点だった。
でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在を証明する時代の要請があったのだけれどそれについては後で触れる。
時代は流れてフランス革命が起こり国民国家が誕生する。国民国家が誕生すると神が死ぬ。
どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈で正当化されてきたのかということを説明する必要がある。
「王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。
神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間を支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民を支配する権利がある。
中世の神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、
彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要な公共事業として神の存在を証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。
ところが、王が打倒されて国民が自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。
そして神に変わったものは国民の自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対なものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。
これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。
なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。
なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。
フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析の手法が全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。
フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神を科学のまな板の上に載せたこと」それ自体。
フロイトは夢分析の過程で人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去のトラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。
患者自身は自分が理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。
これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我がコントロールしているとされていたのだから。
フロイト的無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。
あの映画のオチでヒロインは忘れていた過去のトラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。
これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、
犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか
梅干しの写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。
映画の映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラの写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。
こういう感じで無意識が人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。
フロイトは原始的な欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識の概念をさらに発展させていった。
表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。
たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。
心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいないから鼓動も不随意運動には入る。
呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているときは随意運動で意識していないときは不随意運動といえる。
ところで人間の意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。
脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞の代謝とか。
さらにさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。
さてそうすると、どうなるかというと、人間が自分の意識で自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間の活動の大部分は無意識がコントロールしていることになる。
意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。
ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞の代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから。
ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的な言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかいう名前をつけた。
意識ではなくエスが人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。
「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。
「生きるのは苦痛である。苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである」
「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」
「よって生むのは無責任であり生むべきではない」
しかし人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。
第一の登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識が存在しない。つまり無意識である。
無意識の相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論で無意識(エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。
で、重要なことはその「エス」自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである。
今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。
精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子の排出だって不随意運動なのでこれらはエスである。
胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識も自我もない。
だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である。
それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。
自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルトの呪いがとけていないのだと思う。
「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。
生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓は勝手に動いている。
どう見ても肉体は生きようとしている。
やっていることと言っていることが違う。
でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかないからである。
自己の定義を自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。
エスの定義は自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり「自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。
流石にそこまで悟ることは難しいが、自己の定義を自分の不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。
俺の会社の元同僚がそれだった。
なんか疲れてるようだったのでコーヒー渡して「どうしたんですか」って聞いたら「隣の家が野良猫に餌やるなってうるさくて昨晩は23時ぐらいまで話し合いしてた」と言った。
俺は「それは隣の人が正しいですね」と出かかった言葉を必死で飲み込み「その隣の人は糞尿被害に悩まされてるかもしれないですね」と言った。
「そうなんだけど、猫が寄ってくるから餌あげないわけにもいかないし…」と困った様子。
まぁ本当に困ってるのは隣家なんだろうなと思いつつ「例えば実際本当に1週間ぐらい猫が集まる時間帯は外に出てみてはいかがですか?」と言ったら琴線に触れたようで「もしかして猫がかわいそうとか思わないの?」と怒りを含ませて投げかけられる。
「そんな怒らないんでほしいんですけど、隣の人も夜11時までかかってもいいぐらいやめてほしがってるんですよ。」と言うと「はいはい。わかったわかった。」と話を切り上げられ、それ以降動物の話題になると「増田君はそんな心持ってないから」とネチネチいわれるようになった。(まぁ犬を飼ってるんですけどね。)
まぁ結局その人は引っ越しをすることになり別の支店に移されてその後はどうなったかわからないけど、忘年会とか支店も含め集まる場で見かけないからやめちゃったかも。