はてなキーワード: 流入とは
これは『表紙買い』させてる商業ラノベでも散々取られてる手法だけど、良い絵が付くだけでマジで読者流入違うから。
絵に関しては、増田に作画スキルがあれば自分で描いてもいいし、
そうでなければ、今時は良い一枚絵を5000円くらいで描いてくれるあんまり売れてないけど腕の良い絵師がスキル売買系サイトに掃いて捨てるほどいるから、
そこで主役級登場人物の魅力的な絵を描いてもらうんだ。
その時、特に重要なのは如何にヒロインを可愛く描いてもらえるかだ。
それは依頼した絵師に対する増田のヒロイン像プレゼン力に掛かってくる。自分が『これは可愛い』と思うヒロイン像のイメージを強固に固めて依頼するんだぞ。
ヒロインさえ抜群に可愛ければ、それだけで読者確実に増えるから気合入れていけ!
ここでもう一つ重要なのは、依頼料をケチらないこと。当たり前だけど、金払いが良ければ絵師も頑張って仕事してくれるから。
数万円くらいの依頼料は小説の宣伝費だと思ってサクッと払った方が良い。
とりあえずはそんなとこだ。頑張れよ!
地方では田畑を継ぐ長男以外はゴミ扱い、四男五男ぐらいになれば生涯、家長の奴隷みたいな身分(当然未婚)なんて例はちょくちょくあった
江戸なんか男女比が3対1ぐらい。地方から農家や漁村の次男坊、三男坊以下が流入してくるわけだが、その手の連中は日本橋あたりで日雇い人足しながらたまーに吉原にでも行って、30~40代で死ぬのが通例(当然未婚)
彼らがおらんかったら、隅田川の堤やら明暦大火後の復興やら廻船問屋による物流の発展やらも、2割ぐらい効率が落ちてたろう
たかだか戦後の高度経済成長期で一般化した習慣を、世界の常識みたいにドヤ顔されてもなあ
――ただ、成人男性たる者、妻子を養ってないと格好が付かない価値観はわかるよ
誰だって(俺だって)親元離れて自分で働くまでは、親の世話になった
しかし自分だけ親に世話になった分を下の世代に返さないのは申し訳ないとは思う
だから子どもがいる世帯は俺の代わりに下の世代を養ってくれていると認識していて
ギャルゲは「選択肢」「マルチエンディング」「音楽」「セックス」などに依存するのでラノベが「ギャルゲそのもの」ではありえないですね。
もちろんヒロインの造形やタイムループネタなどギャルゲに影響を受けているのは確かですが、まあそれは2000年代のオタクコンテンツ全般に言えることではあります。
むしろ手垢のつきまくった言説ですよ。
つまり、大人向けのインテリ感をまとわせた一般小説とは対照的に、平易な文章で若者の色恋などを中心にして萌えカルチャーを汲んだ娯楽的読み物。
一般向けの小説を「インテリ感をまとわせている」と言っている時点で読んでない感がありますが…。
そもそも「萌えカルチャー」というものは漫画・アニメ・ゲーム・小説が複合的に影響しあって育まれてきたものであり、ギャルゲだけに源流を求めるべきではないですよね。
それが90年代中~後半では葉鍵などのギャルゲという形で、00年代後半~現在では珍妙なタイトルの今風ラノベという形で表れていると考えられる。
ギャルゲ文化の最盛期は90年代後半〜2000年代前半でしょう。
具体的にどういう形で表われていると言っているのか分かりませんが、現在のラノベにどういった作品があるかご存知なんですか。
というか90年代〜2000年代前半のラノベはどこに行ったんですか。
どちらかと言えば「昔のラノベは素晴らしかったのにギャルゲ文化が流入して変質してしまった〜」と根拠もなく語る懐古厨が多い印象ですね。
で?ってかんじ
とにかく流入に力入れて、支部内のフォロワー増やして忘れられないうちに次作重ねて連鎖スコア狙うゲームと思わなきゃ
あとだれも言及してないけど
初期のpixivは「人気作品だけが読まれるのはおかしいのでランキングはやらない」って経営が雑誌で答えてた、探せば出てくる。
でも結局これ。
見栄えのいいつかみの強い作品をランキングの上に目立ってのせて
人気順をみるために金をとる
更にはスコアをもとに上からピックアップして年鑑出版して儲ける。
それがビジネスとして10年以上継続できたのは、それでもそこに投稿するやつ、登録する読み手が後を絶たないから。
支部のものさしを壊したいなら、支部より稼げてかつランク制を利用しないSNSつくるしかないけど
おかしい!って増田に書いたのがバズってにやついて満足してる人にはまあ無理だし
皆結局わかりやすく上手いのだけ見たいんだよ。
より古い世代のオタク女が住み分けに厳しかったのは知ってるんだよ
まぁもちろんNIFTYとかでもやらかしてるオタク女は珍しくなかったけど、オタク女自体が少なかったからそこまで大きな問題じゃなかった
一番問題だったのはテキストサイトブーム黎明期に流入してきたオタク女なんだよ
さて、今回の総選挙では、これまでにない形での広報活動が多く見られたと思っております。
特に、ボイスが未実装のアイドルに関しては、担当Pが様々な手段を講じていました。
そのため、今回の印象的な広報戦術を次回(があるのかどうかわかりませんが)に伝えることができればと思い、僭越ながらまとめさせていただきます。
特にナターリアP・こずえP・七海P・梨沙Pが多く使っていた戦術です。
具体的には、ダイマを募集しているツイートに同一アイドルを複数人がアピールする、というもの。
ダイマの数が多いと、それだけで陣営の活発度を計ることができますし、ダイマ募集のツイートは期間中多くの人が目にします。
沙理奈P(ブルナポP?)・ナターリアP・七海Pが多く用いていた印象です。
沙理奈Pは豆乳、ナターリアPはスネーク、七海Pはアーロン(ワンピース)と、一見何のことかわからなくなるメンツですね。
(沙理奈Pはアイドルが飲んでいるから、ナターリアPは後述、七海Pは魚つながり)
しかし、この真価は、Twitterでいいね をされたときにあります。
いわば、「囲まれた」ことが一目でわかる、視認性の良さ、さらには、一見すると、アイドルとどのようなつながりがあるのかわからない、といった点において、相手の興味を引くことができます。
なお、アイドルと関係がなさそうである、といったものとの勝手コラボや謎行動は他の陣営でも見られましたが、その中でもTwitterのアイコンまでに影響があったのは、この3陣営と判断しました。
・予想外のところからの協力
前半のナターリアP、後半の沙理奈Pと言ったところでしょうか(ただし本質は180°異なります)
ナターリアPは海外版メタルギアでソリッド・スネーク役の声優、及び大佐役の声優に依頼して、応援メッセージを送ってもらう、という方法でした。
メタルギアという知名度の高いゲーム、海外Pと海外声優という完全に予想外の範囲からの援護、そして声優に仕事を依頼できるアプリの存在。
結果は言わずもがな、中間発表で全体9位、パッション3位と、ボイス園内にランクインしました。
沙理奈Pは、中間発表直前の「セクシーデリバリー松本」がセクシーゾーンのファンの目にとまり、そこから完全新規の票田を開拓する、という、二次元と三次元がつながるというこの手の投票企画では前例を見ないパターンで協力関係が築かれました
これが最終結果にどのようにつながるのかは未知数ですが、これまでキャラ立ちがやや薄い(というよりも運営があまり積極的でなかった?)松本沙理奈というアイドルが、確固たる立ち位置を得た、というだけでも大きな出来事であります。
・一斉投票
ミリオンTBから始まったとされる、「短時間に特定アイドルへの投票を集中させて行う」一斉投票。
これは上位のアイドル陣営ならほとんどどこでも行っていた戦略です。
目的が明快(ツイッターなどのトレンド入り、他Pの目に留まりやすくする)で効果もわかりやすく、参加も簡単。
さてこれまで、中間発表で上位にランクインしたボイスなしアイドルで名前を挙げていないキャラが2名います。
この2名に関しては、項目外として扱うことが適当と思いました
まずは、佐城雪美。彼女に関してはボイスなしアイドルと言うよりは、安定した支持基盤のもとに選挙戦を戦っている、という印象でした。
ダイマも各所でみましたし、そもそものアイドル人気も高く、今年は上位に食い込むか、と思っているとなんと中間発表では全体4位、クール2位。
これはもう志希・智絵里・文香・楓と同じような安定した支持基盤があるといえるでしょう。
次に夢見りあむ。
これもうわけがわからないよ!
…失礼、取り乱しました。
ただ、今後の参考には「全く」ならないパターンです。
りあむを押し上げたのは、本人の個性ともいえる炎上キャラ、新規アイドルに対する運営の扱いの差などからなる、
「こいつがシンデレラガールになったら、ならなくてもボイス圏内に入ったら面白そう」という、愉快犯にも思える浮動票の大量流入です。
また、「お気持ち表明」に代表されるアンチの存在も、却って票を伸ばす要因になった、とも見ることができます。
何度も言いますが、今後の参考には全くなりません。(というか炎上で票を伸ばすという芸当ができるキャラが他にいない)
以上ですね。明日になればすべての結果が出ます。また、その結果によってはここに書いてあることが無用の長物と帰すことも考えられます。
それでも、次回以降の参考の一助になれば幸いです。
https://toyokeizai.net/articles/-/176709
奉公人の間は結婚できない不文律があったらしいとか、杉浦日向子の本にもあった。他にもどこかの本で読んだ記憶があって、割と確からしいよ。吉原があんだけ隆盛を誇ったのも未婚男性が多かったからだって話とか。
1800年前半の江戸時代の江戸の推定人口は当時の世界でも一番人口過密だったという説があるんだけど、元々江戸を作るにあたって呼び寄せた人たちが定住していったことで、江戸は庶民男性の地方からの流入が多かったんだそうで。あとはお妾さんとかお金持ちの男性があちこちに産ませるみたいなこともあったかもしんないね。
これは多くの界隈で交わされてきた議論だろう。
「コンテンツをより良くするために、否定的な意見も述べていくべきだ」
「万人に絶賛されるコンテンツは作れない。嫌なら離れればいいだけ」
大体の陣営は両者が拮抗していて、今日もSNSではお気持ち表明組と擁護組がバトルを繰り広げている。
しかし、ことアイドルマスターというコンテンツは、「我々がコンテンツを成長させている」という自負が強いファンが多かった。
自らを「プロデューサー」と称し、推しのことを「担当アイドル」と呼ぶ。
よく外部からは「うすら寒い」と言われがちだが、ロールプレイの一環としては悪くないものと思っている。
元々アイドルマスターというコンテンツは「いつもと違う日常を」というコンセプトのもとにつくられたゲームだ。
没頭するために普段と呼び名を変えることには、きっと意味があるだろう。
我々はアイドルに迷惑をかけないよう、模範的な人間でなければならない。
そういう「矜持」を持っている人も、意外と多いのではないだろうか。
しかし、このアイドルマスターというコンテンツも、他の多くのコンテンツと同様に転機を迎えた。
すなわち、スマートフォン普及によるユーザー層の入れ替わりである。
スターライトステージという非常に取っつきやすいゲームがリリースされ、これまでのファンとは性質を異にする新規ユーザーが大量に流入した。
従来のような矜持を持ち合わせない、新しいファン層が形成された。
従来のファンと新規ユーザー間で最も差があるのは、キャラクターへの執念だろう。
そも、古くからモバマスをプレイしていたファンにとって、「アイドルに声が付いている」というのは全く当たり前のことではなかった。
総選挙で上位に食い込むべくマーケティングを重ね、嫁プロのような形で徒党を組んで士気を高め、リアルマネーをつぎ込み、ようやく手に入れた上位であり、ボイスなのだ。
デレステでピックアップされるアイドルは、どうしても既に声がついた主役級(というとお叱りを受けそうだが)のアイドルが多い。
自分の好きになったアイドルに声がついていないという状態を経験することは少ないのだ。
だから、多くの新規ファンにとっては、古参ファンが総選挙に傾ける並々ならぬ熱意が理解できない。
だから、SNSでバズっている面白いアイドルに、ちょっと票を投じてみる。
そして、夢見りあむは中間発表で3位に食い込んだ。
率直に言って、悲しかった。
たった二人。声無しアイドルを担当する私からしてみれば、どちらもバケモノ級のトップアイドルだ。
他のすべてを一切合切抜き去って、夢見りあむは中間3位に入賞した。
どれだけ熱心にPRしても、地道に布教しても、イナゴのように湧いた新規ユーザーの数の暴力には勝てないのだとすれば、このコンテンツにどう魅力を見出せばよいのか。
今日も多くの陣営が涙ぐましい努力で認知獲得合戦を繰り広げている。
冴えた陣営は、アイドルの「いじりやすい」属性をピックアップして喧伝する。
そんな心の声をぐっと飲み込み、ネタにしやすい所を前面に押し出して知名度を稼ぐ。
絵師に認知され、Twitterで漫画でも描いてもらえれば御の字。
またある陣営は名前が似ている商品や場所と結び付けて、写真付きでアピールする。
変わったところでは、アイドルと縁があるNPOだかNGOに寄付したことをアピールしている陣営もあった。
すべては総選挙の上位獲得のため。
最初から強烈な個性を付与されたがゆえに、誰も宣伝しなくてもSNSで一気にバズった。
そしてイナゴのようなユーザーたちが面白半分で投票し、総選挙を茶番に貶めた。
私はこれが許せない。
アイドルマスターというコンテンツは元来そんなものではなかった。
各々が確固とした担当アイドルを定め、彼女をスターダムへ押し上げるために時間と金を割いた。
総選挙は、断じて面白半分でバズっているアイドルに票を投げる見世物ではない。
さて、冒頭の問に戻るが、今回の件で私は結論を得た。
「嫌なら離れればいいだけ」
これがきっと正解だ。
私は夢見りあむが上位に食い込んだことが悲しい。
まして夢見りあむ自身に罪はないし、彼女を本気で応援している人がいることも勿論知っている。
Twitterで文句を言っても、届いてほしい連中には届かず、そうではない人達の気分を害するだけだろう。
だから最後の矜持として、SNSで夢見りあむに面白半分で投票した人を貶すことはしない。
収まりがつかない分は、場末の匿名掲示板に吐き出して、この界隈からは離れることにした。
私の好きだったアイドルマスターは、最早ここにはない。
故谷口ジロー氏の代表作である「『坊っちゃん』の時代」の作中で夏目漱石と森鴎外の会話中に「明治維新」を指して「瓦解」と言う場面が出てくる。
社会的な崩壊という意味も含むだろうが西洋に学び西洋を受け入れるなかでしかし西洋と距離をおきたいという(有り体に言えば保守的な)二人の心情から出てきた言葉といったところである。
これから令和という時代を迎えるにあたってとりとめもない思考を繰り返すなかで社会がどうなっていくかと考えていくと、どうしてもこういう「瓦解」と呼ぶのが相応しい時代になってしまうのではないかと考えてしまう。
令和42年:日本人口の2割が80歳以上に
これは要するに対策をしなければこうなってしまうという数字で、今もなし崩し的に入れている移民の推移で変わってくるものであろう。
そして、この上記の間違いなく持続不可能な社会を望まないのなら好むと好まざるとにかかわらず令和の時代は大量の移民が流入し昨日と全く異なる社会にならざるを得ないのである。
十中八九維持できない社会保障は?予算も人も足りずに悲鳴を上げている安全保障は?令和を迎えるまでもなく瓦解寸前の学術研究は?移民を入れても給料の良い都市部に逃げられる地方圏の農村は?。増税でおそらく冷え込む内需と輸出偏向の経済方針は今後も持続可能か?。
誰だかは忘れたが平成を「昭和を終わらせられなかった時代」と評したがさもありなんといったところである。故に瓦解、あるいは悪くすれば崩壊することになるのだろう。
しかし、時代としてはそうだが人によってはそんな暗いものでもないのだろう。
明治維新を機にに大成して我が世の春を謳歌した平民や資本家も数多く居たように、生活が大きく向上できた移民や時流に乗れたベンチャー企業経営者等には素晴らしい時代になるのかもしれない。そこに私は含まれなさそうなのが悲しいところだが。