故谷口ジロー氏の代表作である「『坊っちゃん』の時代」の作中で夏目漱石と森鴎外の会話中に「明治維新」を指して「瓦解」と言う場面が出てくる。
社会的な崩壊という意味も含むだろうが西洋に学び西洋を受け入れるなかでしかし西洋と距離をおきたいという(有り体に言えば保守的な)二人の心情から出てきた言葉といったところである。
これから令和という時代を迎えるにあたってとりとめもない思考を繰り返すなかで社会がどうなっていくかと考えていくと、どうしてもこういう「瓦解」と呼ぶのが相応しい時代になってしまうのではないかと考えてしまう。
令和42年:日本人口の2割が80歳以上に
これは要するに対策をしなければこうなってしまうという数字で、今もなし崩し的に入れている移民の推移で変わってくるものであろう。
そして、この上記の間違いなく持続不可能な社会を望まないのなら好むと好まざるとにかかわらず令和の時代は大量の移民が流入し昨日と全く異なる社会にならざるを得ないのである。
十中八九維持できない社会保障は?予算も人も足りずに悲鳴を上げている安全保障は?令和を迎えるまでもなく瓦解寸前の学術研究は?移民を入れても給料の良い都市部に逃げられる地方圏の農村は?。増税でおそらく冷え込む内需と輸出偏向の経済方針は今後も持続可能か?。
誰だかは忘れたが平成を「昭和を終わらせられなかった時代」と評したがさもありなんといったところである。故に瓦解、あるいは悪くすれば崩壊することになるのだろう。
しかし、時代としてはそうだが人によってはそんな暗いものでもないのだろう。
明治維新を機にに大成して我が世の春を謳歌した平民や資本家も数多く居たように、生活が大きく向上できた移民や時流に乗れたベンチャー企業経営者等には素晴らしい時代になるのかもしれない。そこに私は含まれなさそうなのが悲しいところだが。
日本が瓦解する前に賢明な日本人は海外へ避難します。 現在でも金持ちの日本人はシンガポールなど海外にも家を持っています。
1945年、日本人はアメリカに原子爆弾で大量虐殺されました。天皇は日本を敗戦に導いた指導者でした。おめでとうございます。 In 1945, the Japanese were massacred in America by the atomic bomb. The Empero...