はてなキーワード: 歴史的事実とは
この増田は下記ロシアサッカー選手への提言増田を、太平洋戦争開戦当時のアメリカ社会の日本人に対する感情を考慮しつつ、元増田に沿って日系人排斥の歴史的事実に基づき改変しました
https://anond.hatelabo.jp/20220302171738
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アメリカ議会が日系人を正式に市民社会から排除する法案を決定し、大統領も日系人をアメリカ社会から排除し収容所に入れる大統領令を発した。
このことは正しいのだろうか?それを問いたい。
イギリスでは、従前よりヒトラーと親交があったイギリスファシスト党指導者のオズワルド・モーズリーが、ドイツが始めた侵略戦争に対してどう考えるのか?を表明するように期日を設けて要求され、モーズリーはこれに対して恭順しイギリス軍と王室への忠誠と協力を呼びかけたが、
「敵国政府指導者と関係を持っている組織のメンバーを誰であろうとも裁判なしで無期限に投獄できるものとする」という防衛規則18Bにより裁判無しで刑務所に無期限収監となった。
このケースなどは、同指導者がヒトラー総統と同じ考えを持っていると考えられても仕方ないと言えるし、英国にとってのイメージ悪化を損害と考えるのであれば収監するのは正しい判断と言える。
であれば、日系人、日系人団体に対して日本が始めた侵略戦争に対しての批判と抵抗を求めてはどうだろう?
日本の侵略に強い反対を示させ、星条旗に敬意を払わせ、アメリカ軍に志願して日本の同盟国であるドイツと戦う意思を示した者のみアメリカ市民と認めて収容所から出したらどうだ?
とは言え、心情的には飲み込めない問題もある。既に報じられているように、パールハーバーの米軍人数百名が日本軍からの卑劣な騙し討ちによって命を失っている。
まだ生きている米国人の若者は徴兵令によって故国を守る防衛戦争に従事する為に、家にいることも家族と語らう事も出来ない。
このような状況で、侵略をしている最中の当事者である日系人がアメリカ市民として自由を謳歌出来る事に、心情的には許せない怒りを覚えるのは普通の人間だろう。
だが一方で、この日系人は直接戦闘を行っている兵士でもなければ、意思決定にかかわった政治家でもないということは言える。
侵略に賛成しているのであれば権利を奪われて当然だが、反対している日系人までが自由を奪われてしまっていいのか?とは考える余地があるだろう。
例えばだが、今後労働で得られる賃金やこれまで稼いできた財産などの全てを、合衆国政府に寄付させるのはどうだろうか?
日系人団体を含めて、彼らが働くのは本国のジャップへの仕送りや自分の利益の為ではなく、米国のためであればどうだろう?
仮に必死に働いても財産を得ず、稼ぎ全てを合衆国に譲るという労働のみの市民権にしてはどうだろう?
全ての日系人を罰していいのか?
日系人の中には侵略を正当化し賛成する者から、反対を表明し本国の親類が非国民認定された者までいる。
侵略に関与した者も、賛成する者も許されなくていいし、それは罪だ。日本人は、その存在すら許さなくていい。
だが反対するものから、アメリカ市民として米軍に志願する権利までを奪う事は、はたして適切なのか?とは考えてしまう。
とは言え、パールハーバーで殺された米軍人が今後合衆国に奉仕することすらできない時に、日系人が米軍に志願し合衆国へ貢献する栄誉を得る、それは酷い冒涜であるようにも思えるのは事実だ。
合衆国が尊ぶ民主主義的には、天皇制に反対して日本の民主化を訴えてきた日系人だけが志願出来るべきなんだろう。
天皇制に賛成し天皇を敬っている日系人がアメリカ軍人であることはパールハーバー犠牲者への酷い冒涜だと思うし、個人的にも人間として許せない思いも強い。
だから収容所にいる日系人にブーイングと石を投げつけたい気分ではあるのだが、それでも彼らは米軍に志願してもいいのではないかとも思うのだ。
皆さんはどう考えているだろうか?
「中華製の西洋ファンタジーが少ないのは、中国にカタカナがないから」は真なのか?
例えばにしろ、なぜならにしろ、まずそこの関係が自明なのか疑問もてよ
大元の増田は「根拠ないけど、ファンタジーが漢字だとなんか気分でないから、少ないに違いない。関係あるに違いない。なぜなら僕がそう思うから、カタカナは発明」レベルのことしか言ってないと
で、そもそも「発明」というけど、カタカナは平安時代初期に生まれたもので、西洋語のための「発明」ではない、が「歴史的事実」だし、現に「西洋由来語は漢字の当て字で違和感なく定着しているものは定着している」し、外来語でないカタカナ語も普通にある(外来語のためにカタカナが出来たわけではないのだから、本来いうまでもない当たり前のだけど)と私は指摘したまで
>どういうシチュエーションのときにそれが日本語話者の足枷になるんや?って訊いとるんやけど
じゃなくて、
・カタカナないと西洋ファンタジー作る上で不便、だから中華製西洋ファンタジー少ない、は本当かを先ず大元の増田とお前が答えてみろよ
私が言ってるのは、そういうこと
言ってもいない(俺は「デメリット」だとも、「日本語話者が困る」とも言ってない。突っかかってきた増田が、勝手に私がそう言ったかの如く、主張しだしただけ)ことで突っかかってくるな
ここまで長々と説明させるなよ、アホらしい
それは「日本大好き外国人」による「他国人が日本の着物を着る行為への批判」みたいなものだ。他文化の人間がそれを指摘する立場にはない。
また、アラビアンナイトに限って言えばイスラム教に侵略される前の時代の地域の物語なのでイスラムとは関係のない場合が多い。
つまりアラビアン~と形容しているからと言ってイスラムと直接関係のある概念だと指摘するのは無理。
日本だって、多くの地域の信仰は最初から「神道」によるものではなかった。
侵略(統一)のために神道として塗りつぶした部分があるわけで。「神道としてタブーな価値観」も、塗りつぶされる前はタブーではなかった可能性もあるんだ。むしろ、塗りつぶされたということは神道には都合が悪かった価値観である可能性が大きい。
宗教の○○主義、的な価値観に染まると、そういった歴史的事実や宗教価値観に反する文化が見えなくなってしまう危険がある。宗教を学問として学ぶ前にはその手の注意を先達から受けると思う。この人は個人の趣味でイスラムを学び始めたのだろうな。一面的な宗教観を振りかざすことに躊躇がない。
https://anond.hatelabo.jp/20211113201646
横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。
三行でストーリーをまとめると
・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍の文官で、陸軍教授の地位にいた樋口石城なる人物である。
・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。
・この邦訳を読んだ人々が邦題を熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎が小説内で多用したことで日本中に広がった。
「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。
かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。
普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降の文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。
しかし、「屍山血河」という単語は辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎の小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。
辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。
普通、辞書の用例はその用法で一番古いものを採用する。だれか他の文学者が創作したならそっちが採用されないのは奇妙である。
もちろん、司馬遼太郎が独自に考案したと考えるのは早計だろう。
司馬遼太郎が勝手に創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。
もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手に創作したり、誤認識していたということらしいのだが。
ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分で説明なしに訳語を創作するような人間ではないと思う。
用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語の資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。
この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である。
ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。
М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後は軍事法廷の議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。
旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年に出版された。
しかしそれにしては邦題がおかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。
"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。
実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのときの邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。
泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。
М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。
ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現は戦争を表現する際、よく使うようだ。
熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。
原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人の死体の表現として使われていた。
もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。
これ以降は完全に当て推量である。
陸軍教授、樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。
まあ、軍教授なのだし名家出身の学者で、ロシア語を含む文系の教養があって、仕事はロシア関連の軍事資料の邦訳を大量にやらされていたのだろう。
だから文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳の仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。
そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。
それを司馬遼太郎が資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識、戦争小説で多用。
小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的な単語へと一気に昇格してしまった。
そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。
樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。
結局、遡れるのは司馬遼太郎の小説しかなかったのではないだろうか。
無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。
以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。
[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00
車のスターター回すために12V必要だったから車のバッテリー電圧が12Vになったという歴史的事実がある
(ここから先はただの予想)
そのあと、車にいろんな電装品が乗るようになって、それらが12Vをベースで作られていった
要は抵抗とかコンデンサとかダイオードとかが12V耐圧(本当はマージン取ってるからもっと高めだけど)で設計されるようになった
PCはまだ市場規模が小さかったから、自分たちで部品を一から作ることができず、車両用の部品を転用して製造された
すると自然とPCは12V耐圧品で設計されることになり、結果電源も12Vの方が都合が良くなっていった
それで、12Vが案外最初の電源電圧としてちょうどいい電圧だったから、PCが普及してPC専用部品が作れる市場規模になってからも別に変更する必要性がなくズルズル12Vが続いているのだと思う
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
・『差別』は機械的に判定できる(現時点で、ある集団と別の集団が、全く相似の状態でなければ即ちこの状態を『差別』とする)
・『差別』は歴史的な文脈を伴う社会現象である(過去から現在に至るまでの歴史的事実を元に、権力構造の偏在を認めるものを『差別』という)
この2つの『差別』観が全く食い違っていることが、議論が平行線上に終わっていることの理由だよね。
元増田は明らかに前者(差別の機械的判定)の立場をとっていて、
その上で、「良い(許容できる)差別」と「悪い(許容できない)差別」は区別できる、という論をとっている訳だよね。社会的文脈を入れるポイントが違う。
つまり元増田は『差別』という言葉の定義から、社会的・歴史的文脈を切り離そうとする思想を(自覚的かどうかは分からないけれど)拡大しようとしてると言えるよね。
これは一見価値判断のタイミングが違うだけで同じことのように見えるけど、
元増田の『差別』観に基づけば、例えばかつて日本で女子の教育や就職機会が制限されていたことについて、その当時は概ね「良い差別」と考えられていた(異論はあったかもしれない)ことと、
現在の女性専用車両のような暫定的アファーマティブな措置については、
https://togetter.com/li/1761728 東大フェミニスト名誉教授上野千鶴子氏、さもフェミニストが緊急避妊薬の認可に貢献したかのように語る←実際の運動家から歴史修正と批判殺到 -
どんなトンデモふかしてるのかと思ったら歴史的事実しか言ってないんだが…少なくともタイトルのような発言どころかフェミニストという言葉すらスクショ内に無いのでデマ
「日本 新薬認可って非常に慎重で時間がかかるんですが」←数年かかる
「バイアグラはね 申請から 許可までが 半年なんです」←事実
「もう一つ じゃあ女性の方はね ピルの解禁 ず〜っと要求してたんですが」←全員ではないがそういう人や団体はいた。事実
上野千鶴子は"フェミニストが"認可に貢献したなんて一言も言っていない。
「女性たちは(フェミニストに妨害されながらも)ピルを求めて頑張ったんだ」とか言ってるブクマカは上野千鶴子の援護射撃しかしてないことに気づいてないのか。
一つは、「ピルの解禁を要求してる女性がそこそこいた」はただの歴史的事実なので上野千鶴子自身が賛成派か反対派かにかかわらず本当であること。
(とはいえ解禁賛成派女性が少なかったり男性が多かったりしたら「女性の方はね」は誇大発言になるが…)上野が反対派ならこんな発言は白々しいが嘘ではない。どうあがいても事実。
もう一つは、「"フェミニストが"認可に貢献した」と言ってたらフェミニストの主流派が認可賛成派でないと白々しい嘘になるがそんなことは言ってない。上野一人がピル賛成派だったらそれだけで白々しくすらない。
さて肝心の上野がピルについてどういう立場かは調べられなかった。上野の著書とかは持っていないのでいま上野がピルについてどんな発言をしているか検索してみたが特に賛成発言も反対発言も出てこない。
ブクマカも上野の発言出してる人いないし何も言ってないのかもね。
frothmouth その理屈だとピル認可は「男性の功績」とも言えてしまうんだよ/最初から上野やトゲの話をしていないんブクマが多かったでしょ、反対していたフェミニストをなかったことにしちゃダメってこと https://togetter.com/li/1615882
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もちろん物には順序があると言う通り、発生した順番に必然性があるものもある。
たとえば人類が松明より先に蒸気機関を発明することは考えにくいだろう。
たとえばそこにはある技術がある技術の土台となっている(その土台が欠けては発生し得ない)という必然性がある。
じゃあたとえば共産主義の後に資本主義が起こったという順序には必然性があるのか。
それは微妙だと思う。共産主義を経ずに資本主義に失敗を感じた人類社会では共産主義が後から発案されるということもありえると思うから。
もっと漫画に関連しそうな絵画でいうなら、フォービズムの後にキュビズムが起こったということには、この逆の順序で起こることは何らかの原理上不可能というような必然性はあるか。絵画における主義思想の順序になんというか指向性というか線形性みたいなものはあるのか。
別にそういった順序はどうあってもいいと思える。いろいろ並べ替えた場合であってもそれぞれにおいて起こり得る理由を後付け説明することはいくらでも可能そうだから。
実際の絵画世界においてはルネサンスから抽象画に走るという、背景知識のない人には一見退化、全体的に下手になったようにさえ見える変化が起こっているわけだが、商業主義の濃い漫画においてはあえて下手になろうとすることは全体的な傾向としてはまず起こり得ないと思う。
かといって上手くなっていく、ということもあまり考えにくい気がする。
個人レベルで絵柄が変化していくのには、技量が上がった場合も流行の絵柄に合わせた場合もあるだろう。
ではこれらの場合をひっくるめて絵がうまくなったとか洗練されていったということはできるか。
つまり流行の絵柄に合わせれば自動的に以前よりも上手い絵を描いたことになるというのなら、漫画は全体的な傾向としても絵がうまくなっていく、そういう「方向性をもった発展」をしていることになるのだが、そうだろうか?
本宮ひろ志の絵より鬼滅の絵の方がどうしてうまいと言えようか?
蒸気機関は松明に遅れて出たみたいなことはそれを歴史的事実として知らなくても、それぞれの実物を見せてもらったり使用方法や動作原理を説明されればどちらが先に現れたのか見当がつくものだろう。
でも漫画において、各年代において特定の作品の一コマを抽出して、これらの作品を新旧順に並べかえよと言われた場合、それを正しくでおこなえたとすればそれは、ある年代においてこの絵柄が流行ったという対応関係を知っているからであって、つまり外的なコンテクストに基づいているだけだと思う。漫画の絵柄に内的に「古さ」というものが実在しているわけではないと思う。感じたとしてもそれは歴史的事実から投射された虚像に過ぎない。