はてなキーワード: 平行線とは
コ「暑い時は仕方ないけど室内ではつけないと。無症状で他人に移すかもしれない。その人は誰かの大切な人だよ。」
私「今までもずっとそんなこと考えて生きてたのか?違うだろ?風邪なんか誰だって時々かかるもんだろ。風邪ひいた時いちいち『誰かが私に移した!許さない!』なんて考えなかっただろ。『昨日毛布被らず寝たからかなー』とか、自分の落ち度しか考えなかっただろ?」
コ「もしかしてコロナはただの風邪って思ってる?人が死んでるんだよ?」
コ「人数が違う!それに後遺症もある!」
私「普通の風邪にも後遺症くらいあるわ。てか風邪ひいた後いつまでも咳だけ残ったりしたことない?死者数だって昨年と比べて増えたりしてないよ。」
コ「それは自粛のおかげで抑え込めてるだけ。無症状でも障害が残る場合があるとか聞いたよ。未知のウイルスなのになんでただの風邪って決めつけるの?」
私「出た、『未知のウイルス』!コロナウイルスやライノウイルスによる喉などの感染症のことをひとまとめに『風邪』って呼ぶんだよ。厚生省のHPにも書いてあるだろ。」
コ「楽観主義だと幸せだね。そのうちあなたも感染して後悔するよ。」
私「私は毎年40度近い熱が出る風邪に1、2回はかかるから別に。風邪ひいたら家で大人しく療養するだけだから。日本経済のこと何も考えず自分とその周りしか見えてない奴に楽観主義とか言われても。」
コ「大切な人がいないぼっちw」
私「お前、自分と家族が無事なら他は死んでいいって言ってんのと同じだぞ。なぜ経済を軽視する?」
私「お金がないと命も守れないだろ。」
私「風邪が落ち着いたことなんかあったか?お前が落ち着け。地方経済は一度死んだら戻らない。死んだ街は死んだまま。経済が死んだら物理的に人も死ぬ。」
とまあシミュレーションでも平行線になっちゃうので、口論は難しいことがわかった。
そもそもメディアが8ヶ月かけて行った洗脳を私如きが解こうなんておこがましい考えだ。
自分で気づくか、各自信頼する身近な人に解いてもらうしかない。
とりあえず「地上波のニュース番組やネットのニュース記事を見るのはやめて、会見や厚生省HP、消防庁HPの過去統計など一次ソースを見て自分の頭で一度考えてほしい。」です。
自分より年齢が上の人が好き。それは小学生ぐらいからずっとそうで、だんだんとエスカレートしてしまい遂には親と同い年の人を好きになってしまった。
みんな自分のことを子供のように接してくれる。それがたまらなく幸せ。対等でありたいなんて一度も考えたことがない。
自分の嗜好が普通からズレている自覚はあるけど、ずっとこうでもうここまでくると周りの同年代に目を向けることもできない。年齢を聞いただけでシャットダウンしてしまう。
自分のこれは成長すれば元に戻ると言われてきたけど一向に戻る気配がない。というか小学生の頃からそうだったので戻るにも同じ場所だ。
周りと同じになりたいと思う一方で何も思わない自分もいる。いくらキモイとか頭がおかしいとか言われても響かない。
年上が好きというのは頭のネジが外れた状態なのかな。外れてるんだろうけどさ。
自分にとっては同い年を好きになる人って住む世界が違う人、別世界の人みたいな感覚があって遠い話だから関わろうとも思わないけど逆はまた違うのかな。
平行線がいつか交わればいいのにね。
正確に言うと、自分の祖母と母が同時入信なので、世代で言ったら3世。実質的には2世だから、カルト2世ということにさせていただく。
「カルト2世」を知らない人のために軽く説明すると、親が新興宗教(≒カルト宗教)の信者である人のことを指し、本人の意思とは関係なく(生まれる前から信者のことも多い)、彼らは戸籍を作るように、宗教に入会している。
自分はほとんど生まれた頃からの信者で、二十余年間、現在に至るまでとある新興宗教の会員である。母の紹介で父と自分は入会しているが、父も自分も今はほとんど集会に参加しない。ペーパー会員のようなものである。これは当然宗教によるのだが、自分が入会している宗教はかなり緩く、会費さえ払えばそれ以外の制約がない。毎週集会に参加しろとかは一切ない。正直ファンクラブくらいのノリである。
自分は中学から大学入学まで、結構熱心な信者をやらせてもらっていた。うちの宗教には例えば進路とかで迷ったときにお告げみたいのをもらえるシステムがあって、そういうのをよく利用させてもらっていた。みんなも経験があると思うのだが、本当に迷ってしまったとき、誰かに助言をもらえるって言うのは結構ありがたいことだ。原理としては占いに似ていて、法に抵触するようなことを言われない限り……まあこれはちょっと大げさにしても、あまりに自分の信念と反するようなことを言われない限りは、そういうのに従ってみるのもありかな、みたいなマインドに陥る。そもそも、自分の信念がちゃんとしているような人間は宗教には嵌らないんじゃないかと自分は思う。歴史上、いつだって宗教は迷える人のために寄り添ってきたものだ。
だから、自分は宗教というものそのものを否定しようとは思わない。問題は、カルト2世、信教の自由守られてますか?ということだ。
自分の母は、(あえてこういう言い方をするが)ズブズブなので、自分(当増田のこと)が抜けるなんてことは考えも及ばない人間だ。一度、辞めたい(次回の更新を飛ばしてくれ)と言ったら、「今までどれだけ助けてもらったと思ってるんだ、恩を仇で返すつもりか」とそれはそれはものすごい剣幕で怒鳴られ、挙句の果てには体調を崩してしまったことがある。自分が数十年信じてきたものを否定された母の心情は察するにギリ余らない程度だが、そうはいっても、母が言ってることは、1割くらいはわかってしまうのが大変辛い。確かに、今まで自分は救われてきたのだ。多分。しかしそれは過去の話でこれからの信仰を約束するものではない。そんな自分の考えは間違っているだろうか。その後も何度も話し合ったが、平行線だ。
以前、うちの宗教には(例えば)8時前に起きなかったら一日上手くいかない、みたいな教えがあるんだけど、就職活動中、ほとんど8時前に起きなかったことに言及し「8時前に起きなかったから就活ほとんどうまくいかなかったのよ」と母がおっしゃっていた。確かにそうかもしれないし、早起きは三文の徳とかいう言葉もあるくらいだから、その可能性は否定できないけど、別にいいじゃんか。(実際、自分は大手の企業から内定を頂けた。就職活動がすべて失敗していたら母の言い分も分かるが、そうでもないので母の意見には賛同しかねる。それに、自分の記憶が正しければ、内定貰った企業の最終面接の朝も確か10時くらいに起きた。)こういうところが、マジでクソだと思う。
母は猛毒親ではないが、ミニ毒っぽさはあるので、当増田のことを所有物だと思っている気がある。自分の思い通りにならないことは気に入らない性格なので、そういうのも込みで、自分が脱会するのを阻止したいのだろう。
父は母に連れ込まれる形で入会したが、父もこの宗教に救われたという体験があったので、「何かあったときに頼れる存在は貴重だ。脱会してしまえば、いざ、本当に困ったときにどうしようもなくなっちゃうよ」と言ってくる。質問なんだけど、みんなはそういう経験に陥ったときどうするの?orどうするつもりなの?特に日本は無宗教の人が多い。自分は今の宗教がインストールされた状態で生まれてきてしまったので、そうじゃない世界を知らない。マジでみんな、どうしてるの?
自分が脱会を望んでいるのは、「カルト2世だという事実」が辛いから、そして、別にこの宗教のことを今信じていないので、会を継続している必要がない、ということである。まあ、信仰を捨てるみたいな大げさな形になってしまうんだけど、そもそも自分の意思で拾ったわけでもないものを、継続しておく必要性が全くわからない。はたから見たらみなさんはどう思われるのだろう……
残念なことに現在自分の会員証を管理しているのが母なので、このままだと永遠に自分は脱会することができない。やろうと思えば本気になって探して、燃やすなりなんなりしてしまえば良い。現行のシステム上再入会が難しいとのことなので、脱会は成功するだろう。
しかしながら、多分それは親との決裂とか、そういうことを意味するものである。ミニ毒であっても親は親なので、正直、決裂すんのもダルいわな、とも思う。
しかも、恐ろしいことに、母は「今やめたらあなた大変なことになるって〇〇さん(信者)が言ってたわよ」って言ってくる。おいおいおい、本当にそうなったらどうしてくれんの。新興宗教、マジでこういうところがヤバすぎる、宗教そのものよりも、宗教にどっぷりいってしまった信者の方が数億倍も恐ろしい。
悲しいことに、自分も伊達に二十数年間新興宗教の人間やってないし、大学入試までの人生、お告げ通りにやってきてしまったので、「マジで最悪の場合命落としたらどうしよう」と思ってるのだ。信者の方が恐ろしいってこういうこと。そんなに覚悟がないんなら、辞めずにペーパー継続したら?って感じもするので、もうどうしたらいいかわからん。
ケロっと無宗教やるか、脱会して天涯孤独になってワンチャン命落とすか、これからもぼんやりとカルト2世続けるか。できれば無宗教やらせてもらいたいので、とりあえず会員証探しに奮闘することにする。
前回「作者の発言は公式設定なのだろうか」というエントリをアップした。今回の日記はそれの続きというか補足になる。
まず、前回のエントリの内容を一言でいうと「東方Projectで最強議論したけど話が噛み合わなかったよ」という話だ。
すこし前、とある掲示板で「東方Project」で最強は誰かという議論になった。
私は永琳というキャラを最強だと主張した。
お互い譲らず議論は平行線をたどった。それ自体は別にどうでもいい。最強議論なんてそんなものだ。ただ、私にはこのわかりあえなさそのものが興味深かった。
なぜ我々の議論は噛み合わなかったのか。
おぼろげながらその理由がわかったので、ここに書き残しておく。
なお、永琳とかヘカーティアとか何だよ、知らんわ、キモって人もいると思うが、以下の文章にはまったく関係がないので安心してほしい。
結論からいえば、我々がわかりあえない根本的な原因は、世界の捉え方が違ったからである。
議論の土台部分にあたる各々の世界観が異なるために、話が噛み合わないのである。
それでは、彼(もしくは彼女)に見えている世界、私が見ている世界とは、それぞれどのようなものか。
端的にいえば、彼は世界をドラゴンボール的に捉えていたし、私はハンターハンター的に捉えていた。
このように書いても何が何だが意味不明だろうから、以下で詳しく述べる。
さて、話は急に変わるが、全盛期のマイク・タイソンと私が喧嘩したらどちらが勝つだろうか。
「そんなのマイクに決まってるだろジャップボーイ!HAHAHA!」
という意見が圧倒的に多いと思われる。
ところが私はそうは思わない。勝機は充分あると思っている。
もちろん、ボクシングの試合なら私はタイソンに勝てない。1万回やって1万回負けるだろう。
でも、真剣勝負なら話は別だ。例えば「タイソンを車でひく」とか「タイソンの飲んでいるコークに青酸カリ入れる」とか「タイソンが寝たところで家の周りにガソリンをまいて火をつける」とか、やりようはいくらでもある。
ガチの殺し合いなら私でもタイソンに勝てる可能性があるのである。
つまり、これは勝負というものを試合という感覚で捉えているか、サバイバルとして捉えているかという違いだ。前者をドラゴンボール的世界観、後者をハンターハンター的世界観と表現することもできる。
ドラゴンボールの世界では勝負とは殴りっこである。勝負は単純な「殴る、蹴る、手からだしたボールをぶつける」といった手段によって争われる。
ここではパワーこそジャスティスである。よりスピードの早いものが、より強いパワーで相手をぶん殴って破壊する。基本的にはそれがずっと繰り返される。
ここでは格下が格上に勝ったりはしない。戦闘力が低い者は戦闘力の高い者には勝てない。そういうシンプルな世界なのだ。勝ちたければ修行するなり、変身するなりして相手より高い戦闘力を手に入れるしかない。
ここでは能力というものが非常に大事になる。一人ひとりに個性的な能力が与えられていて、それをどう使うかが勝負の分かれ目になる。
能力は一撃必殺のものも多く、ハメさえすれば格下が格上に勝つこともある。
例えば、シャルナークというキャラは針使いだが、針さえさせば相手がどんな強者でもその時点で勝ちである。フクロウというキャラは風呂敷に包めばどんな強い相手でも無力化できる。
だからハンターハンターでは「相手をいかにして罠にはめるか」が非常に重視されている。
クロロという作中で最強クラスのキャラとして描写されている者でも、主人公たちの罠にはめられて無力化されてしまうという場面がある。
そういうシビアな世界だから、相手を罠にはめる発想力と同じくらい重視されているのが用心深さである。実際にハンターハンターでは強者であっても決して油断せずに常に神経を尖らせている。作中人物は自分の能力をペラペラ相手にしゃべったりしない。
要はハンターハンターの世界は、試合ではなくサバイバルなのである。先程、述べた「タイソンに毒薬飲ましたら勝ち」みたいな世界観なのだ。
ドラゴンボールとハンターハンター、それぞれの世界観を簡単にまとめるとこんな感じになる。
パワー、スピード、頑丈さ
パワー、スピード、頑丈さ、能力、発想力、用心深さ、対応力、その日のコンディション、メンタル、知識、相手との相性……などなど
私は後者のハンターハンター的世界観をもって世界を捉えている。
私の考える最強キャラというのはサバイバル勝負して最後に生き残るやつのことである。パワーとか火力が一番のやつ=最強ではない。
最強とは「パワー、スピード、知力、用心深さ、能力の強さ、能力の多彩さ、観察眼……」といった諸要素の総合点が一番高い者と言い換えても良い。
逆にヘカーティア最強説信者には、「最強」という言葉に、ドラゴンボール的なマッチョな世界観を思い描いている方が多いのではないかと思われる。
このような世界観の違いが、永琳派とヘカ派との間に横たわる深い溝の根本原因ではないかと考えた次第。
つまり何が言いたいのかというと東方で最強は永琳だということだ。
私が言いたいのは結局のところその一点である。
永琳最高!永琳最高!イェイ!イェイ!
【補足】
変な勘違いするやつがいたら嫌だからあらかじめ書いておくが、私は「ハンターハンターのほうがドラゴンボールより優れている」みたいなことは一切思っていない。マンガとしてはドラゴンボールは無茶苦茶おもしろい。ハンターハンターより好きなぐらいだ。
人権無視とか言ったって、本人だって人権なんてことはわかっていて、非常に稀な素質を持つ有益な人間については人権を停止してもいいんじゃないかってところから始まってるんだから、人権の重要性をいくら指摘したところで平行線だろうよ。
「どの業界でも遺伝子がトップを決める」と思っていて、かつ、「国が配偶者を決めることで遺伝子をコントロールできる」と思っていて、かつ、「国にとって有益な天才の配偶者を決める事は許される」の3つがそろって、初めてああいう考え方になる。 最後の、許されるかどうかの倫理的な問題については指摘しやすいからみんな誤ってると指摘してるが、それ前の2点についても誤りだからね。
「本人だって全分野に適用できない、分野の精査が必要なことはわかっていて単なる例としてあげている」というのも成立しちゃうし
大体、藤井聡太棋士って何だよ。将棋に少しでもリスペクトがあれば、棋聖か、棋聖になる前の発言でも7段っていうだろ。報道でも、全部そうなっているだろ。藤井聡太棋聖に「棋士」ってつけてる有名人、初めて見た。リスペクトも何もなく、完全にバカにしている…
この話とはずいぶん離れた話になってる。
君はどちらかというと本筋を批判したくて枝葉を突いてるというより
人権無視とか言ったって、本人だって人権なんてことはわかっていて、非常に稀な素質を持つ有益な人間については人権を停止してもいいんじゃないかってところから始まってるんだから、人権の重要性をいくら指摘したところで平行線だろうよ。
「どの業界でも遺伝子がトップを決める」と思っていて、かつ、「国が配偶者を決めることで遺伝子をコントロールできる」と思っていて、かつ、「国にとって有益な天才の配偶者を決める事は許される」の3つがそろって、初めてああいう考え方になる。 最後の、許されるかどうかの倫理的な問題については指摘しやすいからみんな誤ってると指摘してるが、それ前の2点についても誤りだからね。
3つとも誤ってるので、野田洋次郎理論のおかしさに反論するためには、一つ一つ反論していかないと。
業界トップの人間は才能もあるが努力や動機づけが果たす役割も大きいという研究もあるし、国が配偶者を決めたところでうまく次世代にその分野の天才が生まれて来るとは限らない。
昨今のお気持ち表明から、自己肯定感について語られているブログを読んだので自分なりに考えてみた。
昔少し学校で勉強はしたけど、概念的な部分のみなので知識が不足していることを前提に、そこから自分なりの考えで述べているので正しくはない。
自己肯定感とは、ざっくり言うと自分を存在価値を認知できること。
自分生きててごめんという思考が存在しない状態で、メンタルについてひどく悩まない状態で、人類を滅ぼしたいとか破壊したいという発想にならず、基本生きることに前向きでとても健康な精神を指すのだと思う。
では自己肯定感がないと
1.褒められても素直に受け取れない
2.人類はほぼ敵
多分もっとあるけど思いつくところだけ。
とても生き辛いのではやく尊厳死を認めてほしい。
1.褒められても素直に受け取れない
服可愛いね!と言われても、
いやこれ安かったし。と、なり、何故か自らを貶す方向に走る。
お世辞もわかんねーのかよクズ、と心の中で思われたくないことからの防衛反応から言うのだろう。
そこは「ありがとう!ショップで見つけて一目惚れしたんだー可愛いよねこれ!」
と返せば、ハッピー以下にはならないのに…
2.人類ほぼ敵
他人は自分を傷つけて楽しむ存在で、自分を無い物として扱うか、自身を高める為の踏み台、ヒトではなく物以下、と考えてしまう。
そのため自分を守るために他人を敵として認知するし、仲良くなった人でもいつか裏切る…と信用しきれない。
人を信じることができない自分自身にもドン引きし、自分も敵と認知してとことんメンタルを貶める。
自分さえ信じることができれば、他人が本当に敵でもワンパンで倒せるのに….
他人を評価すると自分がショボく感じる、自分の順位が下がると思い、素直に評価できない。
全て自己防衛のため。そして他人と自分が同一線上にいると思っているから起きるギミックなのだが、基本的に平行線上の話なので褒めたところでこちらが下がるとかはない。しかし脳みそが勘違いをするのだ。
以上3つのことで悩まされて心はぐちゃぐちゃ、脳は回線が入り乱れ、次から次へと自己嫌悪が積み重なり、更にはこれを抑えて日常を生きねばならないので、人間の外殻をもった祟り神状態。
はやく死にたいけど、ハッピーに成らずに死ぬのは悔しいけど、糸口が見つからない…となり救いはゼロ。
人を信用して頼ったり気持ちを吐露できれば少しは落ち着くのに…
自己肯定感がないと、人の皮を被った祟り神状態で生きねばならないと言うことだと私は思っている。
じゃあ自己肯定感とやらを高めればいい、努力が足りない と自己責任論者は言うだろう。
うるせぇ。やれたらやってるわ。
こんなに苦しいのに自己肯定感を高められないのはなぜか?
幼少期の大人との関わりで自己肯定感が芽生える、というより与えられるのだ。
幼少期に安全を感じられる環境、すべてを受け止めてくれる環境があることで、
帰る場所がある!ここなら守ってもらえるから少し怖いけど冒険にいける!
と、世界に一歩踏み出せる。
この行動が自己肯定感の礎となり、成長するごとに積み重なっていき、自己肯定感という言葉すら認知せずとも潜在的に自己を肯定できる人間になるのだと思う。
そう、自己肯定感の正体は、愛。
愛による見えないバリアで守られている状態が自己肯定感があるという状態なのではないか。
最初は関わる大人から与えられるが、次第に貰った愛を帯電できるようになり、それをエネルギーに自家発電ができるようになる。大人からの愛と自家発電した愛で自分を守ることができるようになるのだ。
もう簡単なことで、自己肯定感がないということは、上記の状態の逆を指すのだろう。
愛を帯電したり発電できない状態。
愛による基盤がガタガタで、しかも隙間だらけ。
幼少期に大人から適切な庇護を受けていない、もらえるべき愛が足りないガス欠で、ガスを入れる器に穴が空いた状態なのだろう。
愛のパワーは強いので、自らを守る愛のパワーで相殺しないと、そのエネルギーでふっとばされてしまうので、自己肯定感がない人はシャドーボクシングをするのだろう。
自己肯定感がある人は燃費の良い車で、しかも自家発電まででき、キラキラとした見た目で颯爽と道を走る。
自己肯定感がない人は燃費の悪い車で、常にガス欠、ガソリンを足してもタンクに穴が空いてたり故障している状態なので、動きはするけど速度は遅い。
というわけで、大人になってから自己肯定感を構築するのはとても大変なのだ。礎がガタガタなのだから。そしてもう方法すらわからない。
だから自己肯定感がない人は、外部の評価に依存する。自分で愛を発電できないから、外部で売っている愛に手を出してそれで隙間を埋めようとする。しかしそれは一時的なもの。燃費も悪く、しかも器に穴が空いているので継ぎ足したことろで零れ落ちる。
もうこれは愛ある人から愛をお裾分けしてもらい、それで穴を埋めていくしかない。
運は鍛えられるらしいけど、鍛え方は知らんので、もう神頼みをするしかない。
愛ある人に出会えてもそれに気づかなかったら意味がない。ああ、この人はいい人だ。と気づかなければ、愛のパワーすらただのエネルギーの塊として爆弾になる。
褒めてくれるし励ましてくれる、慰めてくれる(でも下心があったりマウント取られてんのかな)とか考えずにアホになって、その人の愛に浸ろう。
最後にしたたかさ。自己肯定感がない人は愛に飢えているからまぁ騙されやすい。それを自覚し、逆に利用してやる、くらいの気概を持つ必要がある。あまり強気すぎると自己愛性の気質が強くなるので、ほどほどに強気に、いつもの自虐を意識しながらほどほどに愛ある人の善意を利用する。
これで自分の器の穴が塞げるだろう。そうしたらお礼を言う。愛を伝える。優しいよね。素敵だね。いいやつだよ。と、さらっと。
褒めなれてないのに頑張る必要はない。少しずつ、本人を褒めるのが難しいなら持ち物を褒めればいい。そうやって少しずつお礼をしていく。
するとなんだか自分がいい人になった気がして気分がいい。そうなるといい循環ができてくるはず。多分。
最初は自分のために動くように。利用してやる気持ちで。どうせ利用し切れないで潰れる小心者なので悪人になったつもりで愛を持っている人からお裾分けを貰いにいこう。少しくらい貰っても本人にとってはなんのダメージもないだろう。
悪人がいい人の心に触れて改心するアレ。まさにそんなベタな展開に持ち込めればうまくいくのではないか。
自己肯定感がない人がちょっと自己肯定感がある人になるだけで、周りもハッピーになるはず。
周りのために、世界平和のために、できる範囲で愛のお裾分けを拾いに行ってもいいのではないか。
最後に。ここに書いてあることは持論であり、なんの裏付けもない、ただ一個人の言葉でしかないです。
自身の考えをまとめる為に利用したり、憂さ晴らしに非難することに利用してもいいかもしれません。
それにより少しでも救われる、気分が良くなることがあれば私は嬉しいです。
2について腑には落ちた。つまりこれは元増田の「嘘がつけない世界」の中である発信者(ルートであるなにか。AIなども含まれる)が何かの意思を吐露するとき、そこに嘘の「意図」は含まれない、という事を言いたいんだと。しかしそこでも疑問はある。仮に哲学的ゾンビであるAIがプログラム的に真実の解を知りながら嘘をついた場合も不可なんだろうか。彼に意思も意図もない(一歩さかのぼり、意思と意図の定義となると生物の定義並みにあやふやな感じがしなくもない)。
そんで予知に関しては、自分は自由意志に関する話をしていて、増田は決定的な世界について話をしている。これは単純に何を起点にして正解とするか、の違いなのでたしかに平行線かも知れない。