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はてなキーワード: 唯物論とは

2021-08-04

行動経済学とか好きなんだよな

計量経済学とかよりは納得行くのだよね。ミクロ経済学マクロ経済学は、まともな感じがする。個人的にはハイエクとかも好きだね。アダム・スミス哲学みたいな雰囲気が良い。マルクス経済学とかも好きだけど、まぁ唯物論が間違っているし、もう流行しないだろうけど。

2021-07-29

anond:20210729150139

ぶっちゃけ需要供給は一致する」という前提が成り立たないと、共産主義は無理やで。マルクス時代には、供給側が需要以上にインフレーションを起こすという事例は想定されてなくて、つまりは「唯物論否定」された経済西側諸国で起きてしまうという、共産主義者の「ひとりの人の生み出す価値は測定でき、修正し、定量化できる」という前提の科学は、もはや西側諸国では成り立っていないから、共産主義は無理なんだよね。

今日も『アンチ新自由主義連呼くんとの戦いを始めるとする

いまんとこ「新自由主義に対抗した全ての抵抗勢力は滅びた」という現実をもとに、「大きな政府ケインジアン人口増加」という『アンチ新自由主義連呼くんが支持するロジッククラッシュさせるがために努力してきた。今日も同じ方法で戦うのはしんどいので、こっち側からアンチ新自由主義連呼くんの琴線に触れそうなネタ提供して、議論していこうじゃないかと思う。

今の日本に「大きな政府」は継続不可能

なんと言っても、今の政府は「大きな政府」をとると危険なの。1つはコストだ。アメリカのように「大きな政府」をやる連中ですら、トレードオフ解雇規制を受け入れている。そのため、いちど採用すると解雇ができない日本にとっては、法律が基本となる労働法律改正する必要があるが、今はマスコミもうるさいので不可能だし、既得権益拒否するだろう。もはや国土の開発が終えたこの国に、需要のない新規開発を公がする必要はないのです。そのため、「大きな政府」をやってもリターンを上げる領域存在せず、人員採用しても無駄になる。マルクスが「資本主義の果に」唯物論解決できない問題があることに気がついたのは、正しいのです。ですが、問題は「唯物論」で実体経済は語れない、ということは当時の後進国ドイツ人同郷であったライプニッツが嘆いたように、先進国の人々は「後進国と同じことをしたら負ける」ということは既知の問題を『共産党宣言』で後進国民なら存続可能教育可能な「エリート」という存在で勝てる、という妄信先進国でも可能という認知誤認から起こりました。この欺瞞を暴いたのがハイエクであり、先進国においては「エリート社会負担を増やすだけ」という告発をする必要がありました。つまり共産主義者なんて田舎ヤンキーボスの「夜露死苦」というミームクールだと思う馬鹿の集いだよ、って話だよ。

ケインズ資本主義で上手く行った理由と、今の日本適応できない根拠

彼は資本主義社会においても「一定規律をもったまま」に公共投資投資するという方法を、世界恐慌のもとで実施可能だという主張を肯定することが可能だった瞬間があったか可能だったのよ。(若年層の犠牲活用した)デフレは進むけど、(年齢階層いびつなせいで票田にメリットがある)感覚としての経済が悪くなくて、下手に経済状況がインフレすると老人たちは生活が厳しくなるという現実否定してまで、経済成長は必要かね?今の日本投資されないのは、それなりにメリットがあるからだよ。それに GPIF という国家投資機関は『現代ポートフォリオ理論』という金融工学の果てを知っていると、随分と日本投資してくれていると思うよ。もはや、我が国に「投資したら、こんだけ儲かるだろうなー」って場所が無い以上は、日本国には直接投資不要です。海外投資したほうが、本当にマシです。地方を切り捨てて、東京シンガポール化したほうがもっと輝きますのに、大都市資本イオン地方投資してくれるので、地方民はイオン感謝するし、地方統一化するのを嘆くのは「東京人」の「理想田舎」を押し付けているだけなので、差別固定化を「アンチ新自由主義」でやることは、地方からすると万死に値します。知っているかもだけど、地方自治体のモールは隣にイオンができると負けます。つまり、儲かる領域での役所仕事なんて、令和の日本にはないんだよ。


人口増加について

これは自分も知らんよ。ただ、過去に戻って、

という選択肢を、超賤民どもが単一人民として受け入れると権利団体なっちゃうという過去の嫌な例もあって、日本国民は「経団連奥田」が発起したのを拒否したし、子どもの権利条約批准された教育を受ける権利否定できないし、金銭労役の補助なんて都市部だとアホみたいにやっているのに増えないのだから、諦めるしかないんじゃないの?

昨日は「日本は人工肉がつくれなかった」という議論をして、一瞬「負けた」と思ったよ。だけど、「民間企業キューピーが、模造卵を開発してコンビニ活用している」という事実を思い出したら、ますます公共投資民間投資に負けている事例を見つけて、本当に嬉しかったよ。遊戯王世代なのはあたりだよ。今日も楽しくバトルしようね!俺のターンは終わり、つぎはアンチ新自由主義くんのターンだぞ。

2021-07-24

死ぬとは主観にとってどういうことなのか子供のころから気が向くと考えてしまっている。

最近睡眠からヒントを得ている。

夢を見ている間はともかくそれ以外の時間をすっ飛ばして朝になる。

どうにも主観という機能が停止している間は時間を感じ取れない、時間を感じ取れないということは、その間の時間は一切存在しないものとして処理されるらしい。覚醒から次の覚醒時への疑似的なタイムスリップ主観をある時点からある時点へと吐き出すワームホールみたいな。

それで死ぬということは当然主観存在しなくなる。時間も感じられない。そして唯物論的に考える限り、死ぬという現象には主観が吐き出されるホワイトホールにあたるもの(=後世)が存在しない。じゃあどうなるんです?

自分理解力で無理に整合性を取ろうとすれば、死ぬ瞬間に向かって、延々と自分にとっての外界=認識世界スローモーションになっていき、ついに死は訪れないと考えるしかない。睡眠時におけるタイムスリップ現象から類比して考えるかぎりは。

しかしこんなことはどうしたってバカげてると思うわけで、最近はここで思考が停止してしまう。

2021-07-13

anond:20210713223723

日本共産党中央委員会論文集『投降主義者観念論史観』を読めば答えが見つかると思います

日本共産党志位和夫委員長ですが,1988年に,ほぼヒラ同然の専従から書記局長に抜擢されました。出世きっかけになったのが,「伊里一智事件」での活躍だといわれています。   伊里一智事件とは,1985年当時,東大院生支部党員が,宮本顕治引退なども含め,党の改革を訴える提案党大会提案しようとしたところ,その提案が連名であることを以て,党機関が「分派活動」と決めつけて,その動きを阻止したもの,および,その後の「党大会でのビラまき」「週刊誌インタビュー」「伊里一智氏の著書出版」などの一連の出来事をいいます。伊里一智はその院生が名乗った活動名です。  この事件は,典型的な,民主集中制原則悪用した,異論政治主義的な封殺でした。その主な下手人が,志位和夫委員長その人なのです。志位氏は,「変節者のあわれな末路」(「赤旗1986年3月18日,19日)「退廃と遊戯の『哲学』 ――浦地実『<ポストモダン>と唯物論批判」(『前衛1986年4月号)などの論文を書いて,伊里氏を口汚くののしりました。この,異論排除能力宮本顕治に買われて,出世を果たしたとかなんとか,いわれているところです。これら共産党側の論文は,『投降主義者観念論史観』という本にまとめられています(上写真)。  今回,上に挙げた志位氏の論文を紹介します。ぜひぜひ,読んでみてください。あの顔から想像できないような悪口雑言の数々が並んでいます

2021-05-11

anond:20210511180252

うーん、しか科学技術世界では否応無しに啓蒙理性と唯物論圧勝なのでは? 陰謀論的言説やシンパシーは、むしろ啓蒙主義的・主知主義的な近現代文明から落ちこぼれ達の「負け犬の遠吠え」だと思う。現に彼らは敵のことをイルミナティと呼んだりする。消え行く者たちの断末魔叫びなのかも。

2021-03-18

anond:20210317182955

ゲイが祝福されない云々はともかく、

定説は考えようによってはそんなに悪いものではないと思う

資本主義キリスト教プロテスタンティズムからまれたとも考えられている

宗教改革におけるカルヴァン思想は、より徹底した聖書中心主義であり、神は絶対的権威をもち、人間原罪キリストの福音によってのみ救われるというものであった。その神による救済は「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠生命にあずかるもの永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」とした。そのような人間がどのようにして神への絶対的服従を示すことができるかというと、現世の天職を与えられたものとして務めることでしかできない、と説いた。このようなカルヴァン派の信仰西ヨーロッパ商工業者中産階級)に支持されていった。そしてこの西ヨーロッパ商工業者の中から近代社会を出現させる資本主義が生まれてきた。→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

いずれにせよ、神は最初から私を救うか救わないかという正解を持っているが、それは私が死んで答え合わせがあるのであって、

私が死ぬまで正解は分からない、正解はCMのあとではなく死んだあとである

からこそ、目の前の仕事を全うするしかないし、仕事がないとしても人生謳歌するしかないとさえ私は考えている

その、仕事を全うする、人生を楽しむ、といったことも神は最初から計画されていることだし、

もっと広く考えるならば、この世界のすべてが神が計画されていることである

まり自由意志があるようで自由意志がないわけであるが、個々人にとってそれはどうでもいいことなである

なぜなら、我々人は、神様が何をお考えになっているのか、知りようがないかである

そして、それを知ることができるのはイエス・キリストのみであり、それ以外の預言者は偽の預言者である

人は神様が何をお考えになり、これからどうされようとしているのか、知る方法はないはずだからである

から別にキリスト教信仰しろ信心深くあれ、不信心は許さん、とはまったく私は思わないが、

人は機械ではなく、ロジックのみで動作するわけではなく、必ずしも論理的科学思考が正しいとも言えない存在であり、

特別信仰はなくても、頭のどこかに神というか、なにか見えないものを信じる必要性さえあるように私は考える

それは星の王子さまの、大切なものは目に見えないだったり、

水木しげる氏の、見えないものを信じる、にも似ているように私は思っている

キリスト教宗教を悪と考える人たちがこの世界に多く存在することも事実である

しかし、本当に宗教必要ないのか、人の心に平安を与える唯物論的ではない何かが必要ないのか、

個々人がそれぞれ考えておく必要があるように思う

そういえば庵野氏の昔のインタビューの中に、今の庵野氏の心情とは大きく異なっている可能性はあるが、

飽食時代から心の問題を描いた」みたいな発言があったが、

しかにそれはある側面では正しく、それがオウム真理教のような終末思想カルトを多く生み出した

しかし、当時の庵野氏が言う、飽食時代でなければ明日食べるもののことだけ考えるから心は問題にならない、

これは本当だろうか

もちろん、明日食べるもののことだけしか考えられなくはなるだろう、自分もそうなるだろう

しかし、エヴァで例えるなら、その極限的な状態シンジにとってのゲンドウが死ぬシンジにとっての周囲の人たちが死ぬ

でも、自分が生きてるからそれでいいや、みたいに思えるものだろうか

しか他人に対して思い入れがない、思い入れがない他人であればそうかもしれない

極限的な状態であれば、食料のために親が子を食べる、子が親を食べる、人が人を食べる、殺し合い奪い合う、

そういうことが起こっても不思議はない

しかし、人であるならば、どこかで我に返ったとき考えてしまうのではないだろうか

これでいいのか、何か間違っていないか

そういった考えが人にあるからこそ、道具を発明したり、農業発明してきたのではなかったのか

もし、人がそうでないのであれば、今でも殺し合い奪い合っているはずである

なぜなら、それで勝者は生きていけるからである

しかし、そうならなかったのはなぜなのか?

そして、こういった万物すべてを神様計画なさっている

悲しいことだが、大切な人が無残な死を迎えても、これも神様がご計画されていたこである

神様役割は、お賽銭のような賄賂をもらって人の願いを叶えることではないし、

すべての人類一人一人が不自由なく幸せになることでもないかである

逆に考えても、すべての人が幸福世界なんてありえないとしか思えないわけで

あくま個人的解釈だが、まず聖書は寄せ集めの書物という考え方もあるわけで、

キリスト教の中にも聖書無謬であり絶対的に正しいという考え方と、

いや、聖書にも間違いがある、本質的には神が絶対であり神を信じることである、という考えもある

色々なキリスト教があるし、キリスト教以外の宗教もある

からあくま個人的解釈だが、自分としてはキリスト教的に、

ゲイの人だから神に救済されないなどということはないと考える

それよりも最初に書いたように予定説で考えるならば、

ゲイであれノンケであれ関係なく、すべての人たちが救済されるか救済されないか、という問題を抱えており、

それは神様最初から決めているわけであるが、我々人は死ぬまでそれは分からないのである

からこそ、一日一日を大切に生きていくしか、人にはそれぐらいしかできないのである

人は思い上がりやすく、この世界宇宙をすべて悟ったつもりになりがちである

鋼の錬金術師フラスコの中の小人ではないが、神に思い上がるな、と言われるまで人は自らの思い上がりに気が付かない

そして、人は基本的怠惰であり、その思い上がりから歴史的にも多くの悲劇を生み出してきた

神を信じなくてもいいが、自らが思い上がっていないか、常々肝に銘じておく必要があるように思う

神を信じなくてもいいが、星の王子さまの、大切なものは目に見えない、水木しげる氏の、見えないものを信じる、

といったような考え方を非科学的だと馬鹿にするのはどうだろうか、と自問自答する必要があるように思う

2021-02-08

意識感情起源

ビッグバン水素ヘリウムベリリウム誕生→星の誕生核融合超新星爆発周期表元素が出そろう→太陽系地球誕生→多原子分子(アミノ酸リン酸塩基など)の誕生rnadna発生→生物誕生原核生物→真核生物→多細胞生物植物動物発生→脊椎動物→陸に上がる→哺乳類人間

間違えがあったらすいません。まあおおまかな流れは合ってると思う。

初めは物質の集まりに過ぎなかったのにどこかの時点で意識が生まれ感情が生まれ、知能が生まれる。人間原子集合体にすぎなくて、自分喜怒哀楽感情もすべて原子還元されてしまうのかと考えると恐ろしい。結局観念論唯物論に敗北したということなのか。

観念原子の集まりに過ぎないというのは納得できるのだが、その原子論も長い人類歴史を経て生まれものであり、近代以降に生まれた新しい思想なのだ(古代デモクリトスはいたけれど)。

2021-02-01

anond:20210201092903

地球の半分は反ポリコレ唯物論アブラハム宗教信者で埋め尽くされてるわけだし優勢ではないだろ。

2021-01-25

……唯物論的に考えればバニラモナカを買うということはまだ眠りたいだけのこと

……愛なんて捨てた

……僕はそう言った

2021-01-16

anond:20210115215338

アップデート」って価値観が「進化」するもんだと素朴に思ってるのが怖いわ。

それが左翼思想唯物論)の根本にして最大の誤謬

2020-11-25

加藤某の発狂もいいけどリーマンショックは何年でしたっけねぇ

同じ年ですよねぇ

お上(おかみ)がその前に何を準備していたんですかねぇ

天才たちには超唯物論歴史観でお願いしたいですねぇ……

2020-10-15

孔子が嫌いだ

孔子は「食を去らん。古よりみな死あり、民信なくんば立たず」と優先順位をつけて食より信が大事だと言ったらしい。こういうブルジョワ俗流インテリは嫌いだ。食は人を作る。唯物論弁証法こそが真理であるパン平和であるパンとサーカスのほうがまだ良い。孔子は飢えたことがないのだろう。正義より命を守ってほしい。

その人を真に思うならその人の考えは無視するが良い。それはその人のためにならない否 命がある命があれば未来がある。未来があれば希望がある。希望があれば可能性がある。可能性があれば人は救われる。そうではなかろうか。民を食わせないインテリ残酷であるポルポトはいいやつだった。しか国民は飢えた。文系が嫌いだ。貧困層の便益を数字で図って何が悪い。口うるさいインテリより寡黙なテクノクラートのほうが好きだ。

2020-09-10

anond:20200909140249

でも自我とか意識とかが何なのかいまだによくわかってないのってすごくねえか

そういうの考える人にとって、心の哲学はいいぞ。

このジャンルは人が『意識をもっているかのように振る舞う』ことの説明唯物論で完結するので、

そこから先の『人が実際に意識を持っている』ことについては、どう解釈しても間違いではなく

言ったもん勝ちみたいなところがある。

心の哲学はそういう解釈をいろいろ学べて楽しい

 

たとえば心脳同一説という考え方だと、冒頭の疑問に対して

自我とか意識とかは、脳の状態呼び名である」と回答する。

"水分子空間にたくさんある状態"を"雲"と呼ぶように、

"ある脳の状態"を"自我"と呼んでいるんだ、と。

 

それへの反論として、みんな大好き哲学的ゾンビの話が来たりする。

 

心の哲学は、「俺とは一体……」という疑問にたいする回答候補リスト

整理して語彙に追加してくれるとても楽しい学問だよ。

2020-04-13

リベラルを突き詰めるとリベラルでなくなってしまう話

あるいは左右の思想が両輪である

◇ ◆ ◇

以前、何故「日本人であるだけで尊い」という思いで助け合うことができないのか!?リベラル批判して炎上したツイッタラーがいた。彼はむしろリベラル的な思想の持ち主であり、内部から批判とでもいえる発言だったが、リベラル派のツイッターから散々に批判され、アカウント削除に追い込まれ

一見日本人であるだけで尊い」という思想リベラルと相容れないように感じられるが、実際は逆である。何故なら「人間であるだけで尊い」という思想こそがリベラルの根幹だから

◇ ◆ ◇

倫理的に食することのできる/できない生物の条件とは何だろう? 現代文明化された人類人肉食タブーとし、鯨肉や猿肉を食すのは食文化範疇として認めている((認めない向きはここでは一般的ではないとする))

ここで人間と鯨や猿の相違として問題とされているのは、人類同胞であるか否かだけである

決して、動物愛護勘違いした活動家が言うように、知能や意思疎通の可否の問題ではない。そこが問題点なのであれば、障害のために知能や意思疎通の程度が成体の鯨以下の人間は食べてもよいことになってしまう。当然それは現代倫理では否である障碍者意思疎通の可否を基準に大量殺人を犯した犯罪者が裁かれる例を見よ

◇ ◆ ◇

人権尊重されるのは、その人が我々人類同胞であるが故である。決して「知能がある」とか「意思疎通が可能である」とかの唯物論的な理由によるものではない。一方で、「同胞であるから尊い」という価値観保守的であり、唯物論による方がリベラル的と思われるのも不思議なことではないだろう。しかし、唯物論にべったり寄りかかるのは共産主義も犯した過ちであり、リベラルを突き詰めることでリベラルから逸脱する一種パラドックスである

2020-04-02

anond:20200402084421

用語本来意味を考えれば

リベラル」と「左翼」は別物

リベラルとは自由主義から基本的に反権威権力の介入を否定するだろう

一方、左翼にも唯物論社会主義キリスト教社会主義アナーキズムなど多種あるが

社会主義の要素を持つ左翼基本的に「大きな政府」論者だから

国民救済のため政府積極的に動くことは肯定

左派がふだんから政府はいっさい何もするな」と言っているのなら

マスク配布や非常事態宣言に反対するのは矛盾だが

政府もっと国民救済になることをしろ」と言っているのなら

べつに矛盾はない

少なくとも現在日本中共のような左翼政権ではないので

から政府がやることなら何でも従う」と言っている左翼はあまりいないだろうが

政府はいっさい何もするな」と言っているわけではあるまい

2020-01-12

anond:20200112112749

死んだら無という唯物論思想の持ち主で、かつ自分の子供を持たない

には自分も当てはまってるけど、むしろ「だからこそ後世に何かを残したい」と思うのも自然なことだと思うけどな。

anond:20200112112056

死んだら無という唯物論思想の持ち主で、かつ自分の子供を持たないなら、

自分の死後のことは全く気にかけず、現世の利を最大化するってのは当然の帰結だろう

そういう人が増えてるんじゃないの

2019-11-21

anond:20191121010026

想像可能論法(Conceivability Argument)とは物理主義批判する以下の形式の論証を指す。

  1. 我々の世界には意識体験がある。
  2. 物理的には我々の世界と同一でありながら、我々の世界意識に関する肯定的事実が成り立たない、論理的可能世界存在する。
  3. したがって意識に関する事実は、物理事実とはまた別の、われわれの世界に関する更なる事実である
  4. ゆえに唯物論は偽である

想像ができる」ということ自体存在可能性の証明なので論点先取ではない、みたいな話なのでは。

論理的存在しうることを否定できない」くらいに変形したほうが良さげ?

2018-11-17

anond:20181117032318

唯物論は量子学で揺らいだだけであって否定されたわけでないぞっと

anond:20181117031110

唯物論否定されてますおすしそれはっていう

とはいえ神は信じているけども何かの特定団体教典に沿って

特定の神を信仰しているわけではない

2018-10-03

anond:20181003185045

一昔前の知識人にとって当然とされていた「唯物論」の思想からすれば

モノしかないのだからモノ扱いだって悪くないみたいになったりしないんだろうか

よくわからんけど

2018-09-09

科学主義原子力技術

科学主義と単に言う多くの場合ポジティブイメージで語られることはない。

科学主義科学絶対主義科学原理主義科学万能主義科学崇拝主義科学教などという別名もあるように、科学に対して盲信・狂信的な思考や行動・言論を指すからだ。

科学主義唯物論経験論・合理主義・理性主義実証主義などを備えた考え方で、対論として挙げられるべきは、それらの主義・論と対比される主義・論である

科学主義者に取ってみれば、よく揶揄されるディストピア論へ対しても「正しく科学運用されるとディストピアになり得ない」「科学評価基準科学である」と解釈するため、そもそも科学主義者の心理の中に「科学の誤った運用によるディストピア存在しても科学によってディストピアは生じ得ない」とされている。

誤解されがちなのは科学主義は冷淡で感情考慮しない」だが、科学主義者にとってみれば「感情科学によって判定し得るものであるため、本当に誤解でしかない。

昨今の日本では東日本大震災による福島第一原子力発電所事故によって原子力技術運用について懐疑的言論が目立つが、科学主義者は懐疑論科学の参考にしても懐疑論によって原子力技術運用をやめない。

科学主義者に取ってみれば万物の根源力たる原子力の究明や実証主義的な運用は言ってみれば聖書宗教原典の一編の作成へ非常に親しいものであるため、その手は止まるはずがない。

科学主義者は言う「原子力技術人類は扱いきれないのではない。人類がまだ科学を知らないだけだ」と。

このエントリを読み「科学主義者とは対話できない」と思った者は忘れちゃならない。

科学主義とは科学を盲信・狂信することなのだから

2018-08-05

5億年ボタン

5億年ボタンってのは一般人唯物論観念論どちらを支持してるかってのを簡単お手軽に実際的問題として聞くものなんだよ

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