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2021-03-29

ミャンマー治安部隊が今現在やっている事って確かに酷いんだけど

それ以上に酷い虐殺だった南京大虐殺について

そんな事実はなかったとか否定するような日本人ミャンマーの件を非難しても説得力がないんだよなあと思う

香港にもウイグルにもミャンマーにもだんまりを決め込みながらネットレスバトルきもちいぃ~~~~

せんせー、増田くんがミャンマー虐殺にだんまりを決め込んでまーす

銀英伝同盟の末期とか、そうはならんやろって思ってたけど、ミャンマー見てると軍って簡単暴走するんだな

国際社会が黙ってないぞ(介入するとは言っていない)」

ミャンマーの件やナゴルノ=カラバ紛争見てると確かに国際社会は黙ってはないんだが、本当にそれだけなんだよな

北朝鮮みたいに核を持つレベルだと経済制裁があるが、そうでもなけりゃ人道的にヤバイことしてても非難声明まり

国際的規範に従うことがバカバカしくなってくるな

つのまにか乱世っぽくなっててワロタ

うご

ウイグル民族弾圧、なんなら虐殺?してるっぽい

香港をあっさり制圧してしまった

・6年以内に台湾侵攻?みたいな話もある(眉唾だが、眉唾と思うのが平和ボケなのか?)

ミャンマー

クーデター軍事政権?になったらしい

100人単位で人が死んでるらしいぞ

・振る舞い的にもタガが外れてる感があり、やばそう

米露

バイデンさんとプーチンさんがバチバチ口論みたいなのをやってたらしい

国内

政治が終わっとるっぽい

オリンピックマジでやるの?

世界全体

コロナ全然おさまんねえやんけ!

・もろもろ不満溜まってそう

 

これ大丈夫か?

俺、比較的安定した時代に、戦争とは縁のない国に生まれたのはラッキーだった!なんて思ってたが、死ぬまで何もないだろうとは言い切れない感じになってきた

日本がセーフだったとしても、先進国が関わるデカい何かがぼちぼち起きてもおかしくないよなあ

前の戦争だって100年前ですらないもんな

やべーっ!

身体鍛えといたほうがええんか?

でも現代兵器の前に筋肉は無力だよな

いやいや、市井でモノを言うのはやはり筋力ですよ ホンマか? そうですよ奥さん あああ

2021-03-28

ミャンマー多民族国家ロヒンギャだけじゃなく少数民族武装勢力複数ある。

ミャンマー軍はそれら国内武装勢力と命がけで戦って国を維持してきたのは俺たちだという自負がある。

抗日闘争に始まった軍が外国と戦ったのは中国との紛争最後で、後は国内独立勢力との武力闘争だけでなく国民党軍、共産党政治闘争含めてずっと戦い続けてきた。

2021-03-26

「連日、メディアではコロナ話題ばかりです。」

コロナ疲れしてしまった皆さん、ワイドショーを見るのを辞めましょう。」

メディア利益のために、ネガティブニュースを、大袈裟に取り上げます。」

「どうか無理をせず、テレビを消してください。」

今でこそコロナに慣れ切ってしまった人類たちであるが、かつてはそんな事もよく言われていたものである

そして母もまた、テレビを消した一人であった。

テレビを消した母は、直接的な言葉で言えばどんどん無知に、どんどんバカになっていった。

家族がそれを話題に出すまで、zoomも、ウーバーイーツも、鬼滅の刃も知らなかった。

レジ袋が有料化した事も、世の中ストロー規制されつつあるのも、店頭で見かけて遅れて初めて知った。

最低限の世間話が出来ないので、会話が成立しない事が増えた。

新聞も読まなければネットニュースも見ない母は、テレビを消したことにより一切の情報源を失った。

ミャンマーの騒ぎは知らないのに、よく分からないけど大統領選挙は知っていて、バイデン陰謀が~とか喋りだす事が増えた。

多分、陰謀論にハマったのだろう。

陰謀論というのは非常にコスパが良い。

勉強しなくてもたった一つの陰謀論を信じるだけで、「皆が知らない事実を知っちゃった私と無知国民ども」と言う構造を作り出せる、知識において超的なコスパを持つ。

一切の話題においていかれた母が、この圧倒的なコスパに手を伸ばすのはまあ自然な事だなと思った。

勿論周囲の反応は「おかしなっちゃった」でしかないのだが。

補足しておくが、「一切の情報源を失った」というのはあくまで主要マスメディアによる、という意味である

誰かと長時間会話したり、スマホで何か熱心に見ている事がある(但しそれがニュースではない事は会話すれば分かる事)ので、情報源はそこだと思う。

そうこうしているうちに、母はどんどん自分の頭で考える事を辞めた。

どんどん普通日本語が使えなくなって、本人にしかからない行間の広さで、話飛び飛びの会話しか出来なくなった。

話すことがもっぱら意味不明なので、社会から家族の中でもすっかり孤立してしまっている。

認知症を疑った父が脳ドックを勧めているが、私は病気じゃないとヒステリーを起こすのでやっていられない。

これは「テレビ、やっぱり欠かせないよね!やっぱテレビ最高!」というエントリーではない。

ただテレビですべてを補っていた、受動的な情報収集しかできない人がそれを絶つとこうなるんだろうなっていう話。

増田から作り話認定されるのは仕方がないし、証明する術もないが、このような小説を全て想像で書けるほど文章が上手でない事はお察し頂けるだろう。

どうかもし身近にそういう人がいたら、母のようにならないように気を配ってほしい。それだけである

2021-03-25

ミャンマー軍部やばいけど、スーチーさんもロヒンギャ虐殺してるし、今のままでも、戻っても地獄だなぁ

2021-03-21

ミャンマーという国名軍事政権勝手に変えたから認めないのでビルマと言い続けますという考えはいいんだけど、中華人民共和国についてはどうなんだろうか。

2021-03-18

anond:20210318135316

植物を煮出したもの」の名前はほぼどの言語でも「茶」から派生した言葉になってしまっている。

今のところ自分が知ってる限りでは、南米マテ茶(マテ)だけが、茶とは独立した言葉

という増田が何年か前にあった

追記

雑に書いたもの結構ブクマついててびびってる。

ちょっと調べた。

漢字で書くとどっちも「茶」になってしまうけど、「茶」の読みに主に2系統あって、陸路インド中近東に広まった広東語の「ちゃ」と海路東南アジアヨーロッパに広まった閩南語の「てー」があるそうな。

でもこの「ちゃ」と「てー」も元は同じものなんじゃないの?

日本語だと茶は「さ」と読むこともあるけど、これは唐音らしい。

呉音では「だ」、漢音では「た」または「さ」になるとのこと。

全然関係ないけど、唐音って唐での読み方じゃなくて宋の時代の読み方らしい。まじかよwwww

唐の時代の読み方は漢音の方。お前、漢と関係ないのかよ。まあ今でも漢字っていうし、そういうノリなんだな。そういや、Chinaも秦だもんな(Chinaは秦Chin女性形なんだって)。

呉音六朝の呉と関連付けられるけど、どうも漢音に対して地方言葉を蔑んだ呼称っぽい。呉音かわいい読み方が多くて好きよ。マ行とナ行が多め。

から独立した言葉としてtisaneとカヴァがあるって指摘がブコメにあった。さんきゅー

あとビルマ語のlakphakというのも

あと、これも読んだ https://sencha-note.com/miang-tea/

いや、モン族・苗族の「tsuaツア」「taタ」は絶対茶と同じだろ

ミャンマーの「ラペ」(Lahpet、Lepet)ってのはビルマ語のlakphakと同じっぽいねラーとも

ポーランドベラルーシリトアニアのherbata(ヘルバタ)、гарбата(ハルバタ)、arbata (アルバタ)はどう見てもharb teaそのまんまで(正確にはharb of teaかもしれんが)、『「tea系統」に入れることができると思います』ってレベルじゃないんですが。

ネイティブアメリカンのオジブウェー語では「aniibiishaaboo」(アニービーシャーブー)とのこと。他文化との交流が少ないところだと結構ありそう。

タイにはミアン(ミエン)と呼ばれる食べる醗酵茶があるとのこと。茶葉の加工品ではあるが、飲料ではないので茶とは別物では?ミャンマーのラペと同じっぽい。ということは、ラペも飲み物ではない?

ところで、チャノキ緑茶紅茶もみんな同じチャノキという植物(種)なんだみたいな説明がよくなされるが、この点には疑問がある。

いまのところ地域変種 varietyということになっているが、

日本でよく知られている茶の木は葉っぱは5~6cmで自生しても5mくらいの高木であるが、アッサム種だと葉は20~30cmほど高さは15mにもなるという。これくらい違いがあると別種だと考えるのが普通ではないだろうか。

参考文献にあった、これらが面白い

https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4499&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1 ダウンロードになるので注意

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/54824/1/KJ00000132295.pdf

茶の「醗酵」についても言いたいことがあるので、時間があったら書く

2021-03-14

anond:20210313235019

一応宗教には言及してるけど

日本坊主なんてほとんどが本場からみたらインチキみたいなもんだから生臭坊主実態を知って興味が失せるのもわかるけど

ミャンマーとかタイちゃんとしたテーラワーダ仏教瞑想指導日本でも受けられるからそれに一回行ってみたほうがいいぞ

それかサウナだな

自身経験で言うと自分の変容を得られたのはこの瞑想サウナだけ

2021-03-13

anond:20210313104028

中国の無法には抗議どころか「どうせ無駄無駄w」って異常にものわかりよく許容しちゃうくせに、なぜかミャンマーには大騒ぎしているブクマカ

……が実は意外といない

まあ、反応したら即突っ込まれるの、誰の目にも明らかだもんね

anond:20210313085237

別にどこの国がどういう理屈自国民シバこうが左翼に言わせりゃ香港ウイグルミャンマーと一緒でそこの国内問題からどうでもいいんだけど

ヨーロッパ様の理屈はそのうちこっちにも向けられてくるのわかってるから今のうちからげんなりくるんだよな

2021-03-12

あなた達の政治運動には迫力が足りない


https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2021-03-07

anond:20210306222426

ミャンマーで、弾圧する側の警察が「これ以上暴力をふるえない」と辞職したり国外に逃げているらしいが、

これこそ「自分判断する力」だと思う。

ウイグル人の臓器を抜いたり、レイプする側は「ウイグル人人間と思っていない」という。

からジェノサイドができてしまう。

教育がない、もしくは、自由教育する機会を得られなかった人間は、このようなフランケンシュタインになってしまう。

https://www.mangaz.com/book/detail/188221

2021-03-06

日本って軍事政権に取って代わったミャンマーへのODAを人道的な理由で止めたって聞いたけど、軍事政権取って代わられる前のミャンマーODAを出していたってことは、ロヒンギャ抑圧を人道的な問題認識していない訳だよね

2021-03-04

ぶっちゃけBLMもウイグルミャンマーサウジも何もかもがどうでもいい

変な体制なのが悪いんじゃなくて、北朝鮮みたいに拉致したり核作ったり、そういうのが問題なわけでさ

から無関係外国で無法が蔓延してても、直ちに問題意識なんか持てねえわ正直

サウジ皇太子がどうこうより、下手に騒ぎになって石油が来なくなったりしたら、そっちの方が記者一匹の命よりよほどヤバいもの

軍事政権が隣にできてこっち攻めてくるとかなら必死になるしかないけどさ、そうじゃないならもうどうでもいいわ

2021-03-01

僕の名前ヤンゴン

僕の名前は○○○○

二人合わせてミャンマー

君と僕とでミャンマー

二行目の歌詞が思い出せないんだが誰か教えてくれないか

anond:20210301111503

から中国はもちろんミャンマーがどうなろうが別にどうでもいいんですよね

軍部クーデター起こそうが抗議で何人くたばろうが、それはその国が向かう先を決めることであって、外野がガタガタ言う筋合いはない

2021-02-27

日本人バックパッカーすごすぎ

「テキトー外国地方都市」+「旅行記」とかでググると、たいてい日本人旅行とか滞在してて詳細なブログが見つかる。

https://4travel.jp/os_travelogue_list-city-port_au_prince.html

ミャンマー インド 国境」とかでググっても詳細な越境方法とかが誰か必ず書いてたりする。https://atsushiyoshida.com/frommyanmartoindia/

たとえば「トルクメニスタンスーパー」とか、「さすがにマニアックすぎるやろwww」とか思いながらでググると現地に誰か住んでてたりして笑う。

https://ameblo.jp/jyorogumo/entry-12121793215.html

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