はてなキーワード: タイムラインとは
増田向けインスタンス masudadon.com はついに、世界のインスタンスリストでスコア500超えを達成。
https://instances.mastodon.xyz/list
http://masudadon.com のタイムラインを覗いてみたいけど、
IPアドレスやメールアドレスを知られるのは嫌という人向けのサービスができたようだ。
(1)非リアルタイム
http://www.unmung.com/mastoview?url=masudadon.com&view=local
(2)リアルタイム
4月12日よりマストドン参入。最初はシステムがよくわからず、辺境のよくわからんところでフランス語かイタリア語かよくわからんそのへんの言語のなかで孤独な2バイト文字の戦いを繰り広げていたのだが、ものすごく楽しくなかったので、そのときちょうど開設されたピクシブ運営の例のインスタンスにアカウント開設。
あの場所に関してはわりと最初からインターネット老人会の雰囲気はまったくなく、ものすごい勢いで絵が流通していた。しかもロリ絵とかショタとかふたなりとかリョナとか、まあ基本的にあまりおおっぴらにできない趣味の絵が非常に多かった。というよりロリ率の高さはまさに異常。高速美少女回転寿司なんて比喩があったが、高速すぎてなにも見えないうえに、意を決して手をつっこんでみたらロリ寿司しか当たらないよっていううれしい♡世界。
まあ運営がピクシブということで、平均年齢は非常に若い感じがした。十代後半から二十代前半までというところだろうか。なおこれを書いてる増田は相当のおっさんであるもよう。
もちろん若い人、というかピクシブ由来の参入者ばかりではなく、俺のように「とりあえず新しい場所だから参入してみた」という人間もいるだろうし、ちょうどjpが落っこちてるタイミングだったので、ひとまずマストドン始めよう、ここでいいかみたいな感じでアカウント取ったインターネットおもしろおじさんも相当数いたようだ。
これらが一度に一箇所に飛び込んだものだから、そりゃもうすごいありさまだった。いくらなに突っ込んでも鍋は鍋でしょって言ったって、だれがチョコぶちこんでいいって言ったんだよみたいなそんな状態。印象としては「ツイッターが取りこぼしたもの」が濃密なごった煮になってる感じだった。たとえばそれは嗜好性の強いエロ絵。すでにコミュニティが確定してしまったツイッターという場で新しいものを得られなくなった人々。
とにかくローカルタイムラインの存在は強い。もちろんかつてはツイッターにもあったものだけれど、これが高速で流れていくことのなによりの感動は「回線の向こうにも無数の人間がいて、日々生きている」ということが可視化されるということだ。もうインターネットやって20年近くになるけど、俺が求めていたのは常に「自分は一人ではない」ということだったような気がする。一人ではないということは、二人になりたいということでは、実はない。たくさんのうちの一人であることは、とても安心感のあることだ。
新しい場所では、人は新たな関係を築こうとする。その結果が大量のふぁぼやフォローとなってあらわれる。てきとーに連投してればふぁぼやフォローがいくらでも増えていく。といっても、そのふぁぼやフォローは「相手に知ってほしい」からするものというのとは少し違う気がする。これこれこういう場があって、自分はそこにいる。ほかの人もそこにいる。「あるある」とか言いながらふぁぼをする。いってみれば、場を共有していることに確認のためにそれをするような気がする。
これが日本特有なのか、あるいはほかの国でもそうなのかは知らんけど、こういうがらんとした空間に人間を閉じ込めた場合、人はまず「ここはこういう場所である」という設定から入る感じがする。共通のジャーゴンの発生がそのあらわれだ。今回のpawoo鯖の場合、非常にタイミングよく、他のインスタンスから遮断されるという、より「この場」を定義しやすい事件が起きたことも大きい。
そして「なにもない場所」に人が集まる。このときに通貨として使用されるのがふぁぼやフォローである感じがした。
いま、その状況はすでに落ち着きつつある。ふぁぼの乱舞や場の確認行為のあとに続いて多く見かけるようになったのは、あいさつである。「フォローありがとうございます」などの。通貨はよりコストの低いものとして流通しはじめる。
おそらく、これを書いている段階で、初期の狂騒はすでに終わっているのだと思う。残念ながら俺はおっさんである。ミクシからニコ動、ツイッターやら、ほかいろんなサービスの消長というやつを見すぎてきた。
なんというか、ドッグイヤーどころの騒ぎではない。すでに随所で見かけている感想ではあるが、SNSの発生から隆盛、そしておそらくは衰退までも、超高速でやらかしている感じである。
個人的には、ローカルタイムラインがきちんと機能している限りは、マストドンは、そこそこは楽しい場所であり続けると思う。できれば、そうあってほしい。
ピクシブがインスタンスを作った時点で、これは企業主導でやるしかないだろ、というようなことをすぐに思った。素人の戯言ではあるが、個人的には、さまざまな企業が自社文化と親和性の高い人間をどんどん囲い込むためにマストドンは有効なツールだと思う。逆にいえば、特定の企業が作ったインスタンスに集う人たちが、ローカルタイムラインになにを放流するのか見てみたい。ドワンゴやらfc2やらいかにもな企業が作ったものよりも、たとえば新人物往来社とかオーディオテクニカとか「え? そこ!?」みたいなのが見てみたい。あと、はてなインスタンスは想像するだけでクソ濃密そうなので別にいいです。あったとしても、俺は逃げる。
40超えたジジババのツイートは本当に気持ち悪い(ここで言うのは公開ツイートに対して)
まず気持ち悪いのはbio(自己紹介文)に「生年月日生まれの~です」って定型文だ(例:1972年8月8日生まれのオヤヂです(*^_^*)・・・)
年を喰ってるのは圧倒的にディスアドバンテージなのにそれを堂々と書いてるのが生理的に無理。茶でも汲んでろ
もう未来も見え切ってる人間に無理な話だが猫と酒と政治といったクソマジメ&ユーモアの欠片もない話を連投してる割合が若い人に比べて圧倒的に高い。
twitterの機能をまるで理解していない。加齢臭が移るから若い人の見ていないところで発信してほしい。
最後に40にもなって若い人に対して意見しようとしてる姿勢がキショい。
10代20代の若い人達がちょっと世間知らずなこと言ってしまうのは当たり前なのに我が物顔で「俺も若い時は~」って感じの意見をするジジババが多すぎる。
次世代の生産者は若者なのにもう消費していくだけ(これは少し極論)のジジババが味わってきた加齢集たっぷりの人生観を押し付ける行為は害悪以外の何物でもない。
これだけ言っているが僕は年上の人が嫌いな訳ではない。現に僕は両親を尊敬しているしユーモラスな大人も数多く知ってる。
でも、twitterに常駐してるジジババに関しては7,80%は僕の嫌いなタイプの年上だろう。
今日は入社式で入社時を思い出したであろうジジババが大量にタイムラインに溢れ、目障りすぎたのでこんなに棘のあることを言ってしまった。稚拙な文章で申し訳ないです。
でも、僕は30切る前くらいにはtwitterはやめて結婚生活、仕事、趣味にその時間を割り当てるのが適切な人の在り方だと考えるしこれからも変わらない。
※追記
twitterは他人の為じゃなく自分の為にやるもんだ!という意見を頂きましたが全くその通りです。いわゆる「生理的に無理!」ってだけです。
あと、ガキのツイートも同じくらい面白くないという意見についてですが上にも書いていますが10代の学生は未成熟なのでつまらないのは許容されるべきだと思います(これも個人の意見ですけど)
たまに担降りブログがツイッターのタイムラインに流れて来る。他の人がどんな風に思って担降りするのか気になるから流れてくる度に、お気に入りしては読むことにしている。
1つ目は元担に対するプラス的な面を伝えて、でも今の担当が好きって展開をするもの。
2つ目は元担を降りるきっかけとなった部分(主にマイナス)を伝えるパートが主なもの。
ちょっと前に後者のブログを読んだ。単刀直入に言って腹が立った。自分自身の行動(担降り)なのに、相手(元担)に原因を求めすぎではないだろうか?
何で「○○くんの××をわたしは良く思えないからついていけない」ってあたかもその人が悪いみたいに書くのだろうか?
普通に「他に応援したい人がいる」「興味がなくなってしまった」ってだけではダメなのか?その原因は相手に本当にあるのだろうか?元担に対する文句まで書かないと気が済まないのか?
コンサート行って、テレビ見て、雑誌買って…何もかも全ての行動には自分に原因がある。だからわたしは無理だと思ったものは即辞める。
これが恋人や友人から違うかもしれないけど、相手はアイドルだ。自分が与えるインパクトなんてほぼない。
なのに無理してついていった結果気に入らないとか、それはやらないでほしいとか文句を言うのはエゴではないだろうか。
何を書いてもいいけれど、それを読んだ人がどう思うかを考えてほしい。問題点を指摘して、わたしは無理でした!で終わるブログを読んで元担であるアイドルに対して、すごくいい印象を持つことはない。自分が応援してなければ、相手が何を思われてもいいのだろうか?
私も元担にも今の担当に対して文句はある。けどそれを見える形で言ったりはしない。例え気になるところがあっても、好きだから応援してたし、今もしてる。
過去にそれが出来なくなった。だからといって相手に原因を求めたりはしなかった。
出来なくなった原因だった、時間やお金や気持ちは自分にしかどうにも出来ないからだ。
昔読んだ本に別れた恋人の悪口を言うのは、自分に見る目がないことを認めることになる書いてあった。
その通りだと思う。
正直に言って悪い面があまり無いという印象でした。
サークルという概念でフォロー/フォロワーを管理でき、コレクションという概念で前述サークルに紐付けした公開範囲を設定可能。
コレクションは非常に便利で、自分自身だけが閲覧できるプライベートブログ運用や、Webリンクのブクマ的運用も可能など活用範囲が広い。
文字投稿数制限も実用上は無制限であり装飾ができ、写真投稿ではRAWもそのままアップロード可能。
最大の欠点がユーザ数が少ないという点であり、TwitterやFacebookのような高速なタイムラインを求めている層には物足りなさは感じそうだ。
驚くべき点はあれだけ高機能なのに動作が軽快であるという点は、TwitterやFacebookは見習う点であると感じるし、もしかするとプロのソフトウェアエンジニアからするとGoogle+の軽快さは異常なのかも知れない。
他に欠点をあげるなら、ハッキリと言ってしまえばGoogle+は他のSNSから悪びれもなく機能をパクって来て全部盛りにしているSNSなわけだが、あまりにも何でも出来すぎて全ての機能を把握することに時間がかかるのも欠点の1つではあると思う。
何気にリーナス・トーバルズのようなIT系著名人がGoogle+へ集まっているのは彼らのような人を惹くなにかがあるのかな?
小沢健二の新曲を発表したことで何やらタイムラインが騒がしい。
各メディアの発表によると、「19年ぶり」の新作だという。「小沢健二が帰ってきた」とかつてのファンが喜んでいる。
さて、奇妙なのは、実はこういう状況というのはここ10年ほど、定期的に繰り返されているのだ。その度にファンは「小沢健二が帰ってきた」と騒ぐのである。
小沢健二は「ずっと沈黙」していた音楽家ではない。むしろ活動はずっと続けている。
2002年にアルバム、2006年にもアルバム、2010年にライブツアー&新曲の音楽配信、2012年にライブツアー&ライブCD、2014年にライブCDの再発売、2016年にライブツアー。
こうやって並べると数年に一回は必ず新曲を出しているし、ライブも行っている。こんなに活動しているのになぜ毎回「帰ってきた」と言われるのだろうか?
特にアルバムは『Eclectic』と『毎日の環境学』はほとんどなかったものとしてされている。『Eclectic』なんて彼が作詞・作曲した最新のアルバムなのに!(今回のシングルが「文学的」という評価がされているが、それは『Eclectic』でも徹底されている。なのに、なかったことにされている)
要するに小沢健二に何か動きがあるたびにファンは『LIFE』のような楽曲、活動を求めるのだが、それは叶えられない。
なので、しばらくすると小沢健二が活動していたことを忘れてしまうのだ。だから、何かあるたびに「LIFEのころの小沢健二よ、戻ってきてくれ」という意味を込めて「帰ってきた」と騒ぎ立てる。
http://blogos.com/article/212112/
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僕はLINEを愛してる。
愛してるがゆえにLINEをどんどん駄目にするLINEの経営層が許せない。
はっきり言うが、彼らのやってることはグダグダだ。他社のチャット系サービスが成長してる中、LINEが初めてユーザー数が減少したと言うがそれは当然だ。
説明しよう。
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多分に自己愛と思い込みの強い著者が、アプリってのはこうグロースさせるもんなんだからそれをやれてないお前ら間違っている
と一方的に断じているもので、共感できるところは各タブに名前が入っていないことくらいのぶっちゃけ大して価値のない記事であった。
そもそもニュース領域はtwitterと違い、LINE株式会社側にLivedoor由来の編集チームがいてリソースが確保されている点、すでにLINENEWSという
基盤が存在している点で突然何の前触れもなくニュースを始めた日本のtwitterとはわけが違うだろう。
さらに噴飯ものはタイムラインについての評価で、まず誰も見ていないと断じているが、
リサーチベースではこんなものも出ている(http://gaiax-socialmedialab.jp/post-1891/)
大体、広告事業としてのLINE ADS Platformは、このタイムラインをベースにしたインフィードアドが中心であり、それで十分にマネタイズできている
ということは、タイムラインが一定使われていて、広告インプが一定以上発生していることの証左だろう。
つまり、この著者自体が、自分の見ている物事からしか評価・判断のできない典型的な「マーケティング知らない人間」なのだろう。
何をしてきた方かは存じ上げないが、いわゆるユーザーグロースのみをマーケティングであると思い込んでいるIT野郎。
LINEのニュースタブは、すでにユーザーが一定以上グロースしている国内のLINEユーザーに対してより多くの広告インプを発生させるためのレベニューグロース
としての側面が強いわけで、それも含めてマーケティングであるのだから、十分LINEの現場も、経営陣もマーケティングを、経営を理解していると言っていいだろう。
あ、後ユーザー数が減少と書いているけど、これはニュースタブを追加していない国についての話であって、そもそもの前提からしてもうめちゃくちゃ。調べずに書いてる感満載。
だからこそ失望したのが、これなわけで。僕もLINEを愛しているけど、これはマジでないんじゃないか。
http://jp.techcrunch.com/2017/03/02/line-clova/
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スペイン・バルセロナで開催中のモバイルカンファレンス「Mobile World Congress(MWC) 2017」。そのキーノートにも登壇したLINEが3月2日、クラウドAIプラットフォーム「Clova(クローバ)」を発表した。
今後はClovaを搭載したアプリ「Clova App」を提供するほか、初の自社デバイスとなるスマートスピーカー「WAVE(ウェーブ)」を今夏にも日本と韓国で発売する予定だ。
今冬にはスマートディスプレイ「FACE(フェース)」の提供も控えるという。
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要はAmazon Echoとか、Google Homeとか、スマートスピーカー領域(というか、音声会話をベースにしたインターフェース領域)に打って出るというわけだ。
これは一面ではすごく合理的に見える。つまりチャットサービスとしてユーザー間、ユーザーと企業間でのコミュニケーションのインフラを提供しているLINEが、textingから音声を介した
コミュニケーションインフラに舵を切るということ。事業の成長の向く先としてわかりやすい。
が。これ。マジで間違いなくうまくいかない。頓挫する。てかこれこそ、挑戦の美名に酔いしれてマーケティングを忘れた経営判断だろ、と思う。
音声インターフェイスの要は、自然言語処理であり、発話された音声を正確に理解する技術にあるはずだ。
この点、AmazonとGoogleは基本的に「英語」という話者が圧倒的に多い言語に優先して開発を進めればよかった。現に英語の自然言語処理はめちゃくちゃ進んでいる。
しかし、LINEは違う。英語圏ではまったく使われていないサービスなのだ。それどころか、LINEが浸透している主要国は日本、台湾、タイ、インドネシアの4カ国である。
サービスを普及させるためには、地の利を生かすほかない。そういう意味で英語圏は端から勝負しようがない。一方中華圏、圧倒的人口を誇るメインランドにはWeChatという
であるからして、浸透している主要4カ国で普及させる、という選択肢にせざるを得ないだろう。しかし、この4カ国ぶっちゃけ日本とインドネシアしか1億を越える人口の国はない。
その上、GDPベースで考えてもスマートスピーカーが短期的に人口に膾炙するほど普及させられるマーケットは日本と台湾しかない。
さらにさらに、R&Dの視点からいって、4カ国それぞれの言語にあわせて自然言語処理を一定水準まで高めるには、英語1つに絞って開発するのと比較して単純に4倍のコストと労力がかかる。
典型的な、労多くして実り少ない状況なわけだ。
どう考えても八方塞だ。
コミュニケーションプラットフォームである以上「言語」は避けて通れない問題。これを攻略する方法は正直、僕にはわからない。
だからもはやLINEは、チャットサービスとして浸透している国の中で、その土台の上で、ニュースタブとかその他もろもろで、
きちんとレベニューグロースを続けるのであれば、ぜんぜん負け続けることなんてないのになーと僕は思います。
同じような記事が既に多く存在することを承知の上で、長々とこれまで思ってきたことを書き連ねます。ただの吐き出しです。
現在、スマホアプリで様々な女性向けアイドル育成ソーシャルゲームが配信されている。私もここ数年でアイドルジャンルにはまり、その中のいくつかをプレイしていた。
一昨年のいつ頃だったか、Twitterで新しいアイドルゲームが制作中であることを知った。それが「アイドリッシュセブン」だった。
ただでさえその時アイドル物ならすぐに興味が湧くようになっていた上、原案は小学生の頃楽しく読んでいた漫画の作者。本人がよくネットで炎上する人物であるということは知らず、純粋に楽しみだった。
その時すでにキャラデザは発表されていて、チェックしてみるとすぐに「この子、いいなあ」と思うキャラもいて、俄然やる気になった。
配信開始後、思った通り私はアイナナに夢中になった。声優陣によるフルボイスで展開されるストーリーは、声を出して笑うようなシーンもあればこちらまで悲しくなってしまうくらいに暗いエピソードも盛り込まれており、何度も読み返すほどだった。
楽曲も、どれもとても好みで、元々リズムゲーが好きだったこともあり何度もプレイした。
イラストに関しては、魅力的だと感じる、と言えば噓になる。が、それを補って周りの要素が素晴らしかった。
課金額は決して多い方ではなかったと思う。新しいカードが出れば毎回推し欲しさに課金したが、ある程度で出なければ諦めていた。
そうしてアイナナにはまって何か月か経ち、ストーリーも第2部が配信された。第1部同様、いや、それ以上に心を持っていかれたと思うくらいの内容で、アイナナを大好きな気持ちは更に大きくなった。推しキャラが増えたり、周りのオタク友人にも薦めるようになったり、この頃は自分のオタク活動の中でアイナナが最優先のジャンルだったと思う。
それが揺らぐようになったのはいつ頃だっただろうか。
アイナナの公式生放送が配信されてから間もないある日のことだった。
Twitterを見ていた時、私はタイムラインに流れてきたある一つのツイートを見て愕然とした。
そのアカウントは、アイナナの絵柄の他作品との類似点、構図の酷似、いわゆる「トレパク」を検証するためのものだった。
ツイートに載せられていた画像は、アイナナよりずっと前から配信されている他作品の女性アイドルと同じようなポーズで隣に並べられた、かつて欲しかった衣装のアイナナキャラのカードだった。
頭の中を色々な思いが駆け巡った。
「アイナナ」ではなくトレパクをしている作品として蔑称のようなものがつけられていること。
追加された新しいカードを見た時、たまに「腰がくねってしてるなあ」「身体のラインが丸いなあ」と違和感を覚えたこと。
その違和感の正体が、男性アイドルなのに女性アイドルのポーズと類似している構図だったこと。
少し調べてみると、私が知らなかっただけで、この疑惑はもうずっと前から他作品のファンの間で話題になっていたようだ。
そのツイートをRTしたフォロワーに対して怒りを覚えてしまう時期もあった。
もちろん誰にも言わなかったが、「あなたがこんなツイートを拡散しなければ、私は純粋にアイナナを楽しんでいられたのに」という気持ちでいっぱいだった。
それでも、一度目に入ってしまった以上知らないフリでゲームを続けるのは無理だ。
そこで私は、回ってきたツイートをスタートにアイナナのトレパク問題について呟いているアカウントを巡り、騒動を詳しく知ることにした。
多分、この時の気持ちはただ知りたいというよりも、「自分がアイナナを胸を張って続けられる理由を探す」目的が大きかったように感じる。トレパクなんてものは言いがかりで、偶然似てしまっただけなんじゃないの、と。
結果、胸を張って反論できるような要素はどこにもなかった。
アイナナが叩かれていたのは、他作品からの構図トレパク疑惑だけではなかったのだ。
アイナナの作品発表当時から「似てる」と言われ続けていた(ということもこの時知った)某有名アイドル作品、そのキャラクター達の外見や性格、過去などの設定が酷似していること。
原案が過去にその作品の同人をしていたため、信憑性が高いこと。
ゲームのプロデューサーが作品発表前にTwitterで内容を呟いていたこと。 など。
今まで神運営だと思っていた公式への不信感が一気に生まれた。人に勧めていたことが恥ずかしくなった。
それでも、この時点でアイナナを完全に嫌いになることが出来なかった。ただ、今まで自分が楽しんでやってきたことは何だったんだろう、と思った。
とりあえず、課金するのを一切やめてみた。
それから、公式にこの騒動に関して問い合わせをした。アイナナを好きなこと、何か公式側からアクションをしてほしいこと。
多くの人が問い合わせをしているらしく、私もその内の一人になろうと思った。数が増えれば、公式も何か動いてくれるだろうと信じていた。
公式は騒動についての文章を出した。要約すれば「トレパクの事実はない。設定もすべてオリジナルで、これからもそうだ」と。
他にも挙げられていたプロデューサーの問題については、ただ申し訳ない、これからは気を付けるという謝罪だけ。
「キャラクター達を傷つけるようなことは絶対にしない」と言ったのは公式だ。
だが、現にキャラに他作品からのパクリ疑惑がある上、ネットではかなりひどい言葉で叩かれていることもあるのにも関わらず、こんな薄っぺらい謝罪文で終わらせようとしている公式はキャラを守ってすらいない。
偶然似てしまったでは済まされないし、オリジナリティがあるというなら他のアイドルとは全く違った形で輝いている彼らを見せてほしかった。
もうダメなんだろうな、と思った。
アニカフェに何度も行ったり、アニメ化や第3部決定に浮かれていた自分がバカらしく思えた。
しかし、ここでもまだ離れられなかった。
疑惑を知った当初より更に確実に熱は冷めてきていた。ゲームも、前はイベントでそこそこ上位になるまで走っていたのに、ログインとガチャで初回の1度だけ引く、という感じになっていた。
その気力を保っていたのは、推しだった。
他作品のキャラと設定が酷似していたり、ストーリー内で起きたあるエピソードが他作品とそっくりだったり、つぎはぎだらけと言われていた。
それでも、ストーリーを読んであれだけ心を動かされたことを思い出すとアプリのアンインストールは出来なかった。
そんな中、話題になり気になって視聴を始めた全く別の作品にトレパク疑惑が浮上していることを知った。
またこんなことをする作品に当たってしまったのかと肩を落としながら、どんな部分が話題に上がっているのだろうと軽く調べてみた。
そこで久しぶりにアイナナの蔑称を見たのだ。
公式に問い合わせた後は検証アカウントなどを見るのをやめていたため、何となく騒動は下火になったものと思っていた。
だが、そんなことはなかった。
後からまたトレパク疑惑の作品が出てきたところでアイナナの問題が忘れられることは決して無く、同じような例として並べられるのだ。
そんな当たり前の事にようやく気付いた瞬間、アイナナという作品そのものが地雷になっていくのを感じた。
そこからは早かった。
まず、せっかく集めたんだからと保管していたグッズを売った。
そういえばTwitterでは、公式アカウントを未練がましくフォローしたままだった。
新キャラの発表もあり、あれだけ楽しみにしていた第3部もいよいよかという段階なのに、全く心が動かなかった。
もしどんな作品とも類似しないオリジナルのキャラだったとしても、過去にパクリ疑惑があった作品のレッテルは消えない。
フォローを外して、その勢いのままアプリもついにアンインストールした。「削除する」を押すのに一瞬躊躇ったけど。
変な意地を張って公式を信じて待っていた時よりも、すっぱり切り捨てた今の方がずっと気持ちが楽だ。むしろすっきり。
もっと早くにこうするべきだった。
今年も今日が来た。彼はもう故人であり、何をしたとて僕達に何か戻ることもないのに。
彼は数年前に死んで、いなくなって、そういえば人間ってのは死ぬ生き物だったなと僕に思い出させるきっかけを作った。
おばあさんやおじいさんになったから死ぬのではなくて、ヒトは死ぬんだな、と。
そんな彼の死後何回目かの誕生日が今年も来て、Facebook は彼の誕生日なのでお祝いのコメントをリマインドしてくれる。
故人について、人は恐ろしく忘れがちになるようである。
いや、人の死についてだろうか。ああそうか誕生日かおめでとう。とコメントを書いて投稿ボタンを押す寸前で、彼の死を思い出したぐらいだ。
投稿して彼のタイムラインを見に行けば、そこには一年ごとの更新が並んでいる。お誕生日おめでとうのセットが、年一個。
彼の家族が、彼の Facebook を閉じずに居てくれてよかった。故人に向かって生誕を祝うのは、非常にあべこべな感じがするのだが。
皆が思うままに祝っている。
悼む人。
死者はいいねを返してくれないし、なんとはなしに、誰もいいねをつけない。互いに、見ても、見てないことにして。
これほどいいねのついてほしくない、いいねをつけてほしい書き込みが、いいねをつけるべきなのに。
仕方ない。彼は死んだ。もういない。
確かに死んだ日を祝うより、生まれた日を祝うほうが、なんとなく気分もいいしね。
どう?そうでもないの?やっぱ死人的には命日が誕生日的な扱いなの?