はてなキーワード: ジェンダーフリーとは
http://anond.hatelabo.jp/20140827014501
最近増田以外のところで自分の記事がホッテントリに入るようにもなってきたんですが、過去最高のコメント率で承認欲求が満たされた元増田です。ありがとうございます。お褒めに預かったり、感想書いてくれたり、気づいて頂いたり、アドバイスしてくれたり、そのアドバイスを諭すようなコメントあったりと、あぁ!これがはてな!って感じで嬉しいです。他の記事は主にコメントしない人たちがブクマしていったので。
というわけで、コメントに対してのお返事を。先に書いときますが、BLについては後で別記事であげますんでよろしくお願いします。でも以外に事実はつまらないものですよ、とお断りしておきますね。
さてさて、まずは誤解があるかな〜ってところを解けるようにがんばっていきます。
少年アヤさんの本(焦心日記、尼のような子)を読んで、自分の性から目をそらさず格闘している姿に胸打たれたし、凝り固まった性への考えが変わった。増田さんに通ずるところもあると思うので読んでみてください。
セクマイが様々であるように、セクマイのサークルも様々だろう。ところで私個人としては、貴方が自身の性志向を理解して幸福になれることを心から祈っている
まず、ここが最大のポイントでして、元記事に書いた通り、僕は自分のジェンダーについて、どーでもよいと思っているのです。
ここを説明するには、僕の理想の話をしないといけません。僕にとって理想の社会というのはジェンダーフリー社会なので、ジェンダーについて特別になにか聞いたり問題にしたりすることがないという社会だと思っております。ジェンダーに限らずありとあらゆる人間の状態について特別扱いしないことが理想だなと思っているんですが、まぁ日本国憲法に書かれていることですね。
で、だ。そんな社会が実現したら自分のジェンダーが決まっていることに意味ないじゃないですか。お前のジェンダーを決めろっていうのは、社会の方からの要求なわけでして、僕はそれに対してそういえば男性を名乗る程でもないかもぐらいの気分でいるんですが、そもそもそんなの決めなくてよいならよい方がいい社会じゃね?ということでした。なので、僕が自分のジェンダーを理解することが僕の幸せにはつながらないし、他人の話(少年アヤ氏のWeb上の仕事を見ましたが、他人をけなす態度の記事も見つかりあまりいい印象はないです。もちろん本は自伝なので違うと思いますが)はどーでもいいです。
なので幸せを祈っていたく分には受け取る(?)のですが、ジェンダー/性指向を理解するということに関しては丁重にお引き取り願う感じです。いや、ほんと、お二人は善意から書いていると思うのですがね。。。
・セクマイのサークルは飽くまでセクマイのサークルであってジェンダーを考える会ではない。・ゲイの中でも「オカマ」を嫌う/見下す人は割と多い。・男らしいゲイの方がモテるのでそれを志向しがち。 辺り。
言われてみればそうでした。でも、セクシャルマイノリティであることが条件のグループで、ジェンダーを考えずに入るってこと出来ないと思うんですよね。セクシャルマイノリティについて勉強することが入会の条件だし。ま、それを踏まえてもsaigamiさんの上げた残り2つの条件が上回って、という可能性もありますな。
いやこれは性的少数派とか関係なく、どの種類のサークルでもありがちな「内向的な人が間違ってイケイケ系に入っちゃった」的な失敗談のように思える。諦めずに違うサークルを探せば解決する可能性があるのでは
でも、やっぱ浮くんじゃないかな
どこに行ってもその場から浮く人って、その人が持つある属性と他の属性の組み合わせの相性が問題なんだろうか? 新しい場に属するとガラっと変貌する人いるけど、それをしないってだけなんだろうか?
空には浮かびたいです。サークル内で付き合う人間を選ぶ程度のコミュニケーション能力はあるんで問題無いです。でも大きな飲み会とか行くと話さないといけなくなったりするよね?それが人の集まりじゃないですか。
お察しの通りモテませんが、ナヨナヨ系(カワイイ系)でもモテる子はモテますんで。
そもそもホモって元は接頭辞な訳だから、たとえ冗談でもホモソーシャルと混同させるような偏見を煽りかねないのはやめといた方がいい。性的嗜好と社会集団内の傾向は全く別問題。混ぜるのよくない
今回のお話は僕の観測するゲイの集団にホモソーシャルの傾向が見られて悲しいという話でして、それは偏見だ!と言われればそうかもしれません。今改めて読んでみたら結論先に書く主義 + 今回採用した文体が悪い方向に出ていますね……反省点です。ところで、性的指向と社会集団内の傾向は、全く別問題ではないように思いますが。。。
そういう向きのコミュニティに関わることがあったのだが性指向に関してふわっとさせておくことが恥みたいなとこがあり「自分たちを受け入れない外の世界」に対して過度に攻撃的な人には閉口した BLの話聞きたいです
類が友を呼んで違うタイプはギブって去って行っているのでは。「恋のかま騒ぎ」なんか見ると「女はこうじゃなきゃ」「やっぱり男ってこうだから」という発言がばんばん出ていて、根本的になんかおかしくてもにょる。
ゲイの人が男尊女卑的な思想を持つというのは意外だったなあ。性的少数派に属する人は、ジェンダーの話には敏感だろうから、そういった思想は最も忌避するものだと思っていたが…自分の偏見だったか
自分と同じカテゴリに属する人には何を言っても差別にはならないと考えている人が、一定数います。同性による同性の差別や、被差別者による同じ境遇の人への差別などですね。こういったものは無自覚で質が悪いのです
わかる。女性側も色々で、若いFtMさんだとゲイ感覚に近い人もいる。「らしさ」を求める人達と、性差別から抜け出したい人達は、正反対だからね。でも同じ思いの人達もいると思うので、色んな人達と出あうのが良いかも
ひとってなかなか差別思考体系から逃れられないというか、いや別に内心で偏見を持つのは構わないけど、それを表に出して差別的行動しちゃいかんだろうという。
ホモやゲイというとガテン系のイメージがまず浮かびがちだけど、この人はアンガールズの山根みたいな感じなのね、きっと。早く良い居場所が見つからんことを。
未だに古いゲイのイメージをお持ちの方はゲイをある種の類型で把握しようとしますが、ヘテロな男性とほとんど変わらないですよ。それと、前回の記事でBLの話を最後にいれたのは、ゲイであるからこそ楽しんでいるものとしてのBLがあり、それは既存のゲイに対するイメージのちょうどよいカウンターになるかなと思って入れました。
2chの同性愛板の雰囲気を正確には知らないんですが、きづきあきらのヨイコノミライで、BLを楽しむ主人公に対し、ゲイの知り合いをお持ちの姉が、実際はこんなんじゃないし!的な批判をするんですが、これって2chの腐女子をやりこめる話の類型として少し前まで蔓延していた気がします。そこで出されるイメージはゲイはガテン系で、筋肉ある人がモテてみたいな。実際そんなゲイもいますし、今もサークル内でゲイの中のマジョリティであるかのように見えるんですが、そうではなくBLを楽しむゲイ、そこの少女漫画っぽさとかを楽しんでるゲイも大勢いるんですよね。
「そのサークルだけかもよ」というブコメとそこに集まっている☆に違和感を感じたのでブクマ。マイノリティ内にもマイノリティ差別が発生しうるという人間の業に目をそらしている方々といった感想です。
正確に書くなら、マイノリティが、マイノリティとして集まっているはずのところで、自分をマイノリティたらしめる既存の社会の価値観によって他のマイノリティを差別してはいかんだろう!っていうちょっとミクロな話なんですが、「マイノリティ内にもマイノリティ差別が発生しうる」ぐらいにマクロにした方がいい感じですね。ありがとうございます。
増田が入ったセクシャルマイノリティサークルがたまたまそういうサークルだったというだけで、セクシャルマイノリティが様々であるようにセクシャルマイノリティサークルも様々だという可能性はないのかな?
それはそのはず。下手な行動打てないなと思って、人間関係をしばらく調べてたんですが、ウェェってなるめんどくささがありました。とはいえ、社交スキルが低いので、ここに入るのに結構よっこらせ感あり、次に行ける気力がいつ出てくるのかw
LGBTの多いそのセクシャルマイノリティサークルですらあまり想定されていないAが通ります。まあ、誰かと番いたいわけではないのでサークルに入りたいわけでもないけれど。
LGBT内部でもTはマイノリティであるが故に差別されやすいとかいう話は聞くねえ。そしてAはLGBTに含まれることすらなく。
Aのひともいますが、Twitterとか見ていると、このセクシャルマイノリティサークルでもやっぱり恋愛話ばかりされてイラッとしている感じもありますねー。
ああ、そういう話はセクマイ界隈でもたまに聞くなあ。「ゲイ中心」じゃないとこ、"LBT"もそこそこ居るようなとこだとまた違うかもよ?
LBTもそこそこいるんですけどね。ゲイ中心って言っても7割は行ってないはず……。
ま、そうなんですよね。
シロイさんのファンなのでコメントうれしいです。マイノリティの名誉マジョリティ的行動の被害をマイノリティとして受けることほど悲しいことはなかったです。
ビアンが男性性高くても、そんなに社会的に変に思われたりしないからとかですかね?あと過度の女性性と過度の男性性って書くと質が違う感じもありますね。過度の男性性はたぶんみなさん想像出来ていると思うのですが、過度の女性性って言うとはてな?になりませんか?
むかしミックスのサークルやってたときには性的規範に過剰適応したタイプのゲイ男性は少なかったですが、これも時代か。/個人的には、前世代のFtMのおっさんの過剰なまでの俺俺アピールが一番つらかとよ。
今サークルを見渡すかぎり、本当に普通のちょっと勇気のある子が入ってるという印象です。なので、既存の性的規範の中で生きていた感じの子も沢山見受けられるな〜と。
面白かったです!ぜひBLの話も書いて欲しい。首都圏のいいところは マイノリティでも一定の規模になれるとこですよね。MtXのみのサークルもあるんじゃないの?潜入して話を聞かせて欲しい(ぉ
どうもです!MtXのサークルってあるんですかね〜。でもその発想なかったのでちょいと調べてみますね。なにかあったらまたご報告します。
最後に落ち込まないようにお褒めの言葉に対する返信をしましたw ありがたい!!散漫に似たようなコメントに対してまとめてお返事してみましたが、足りなかったらまたコメントして下さい。お返事します。返信していないコメントも沢山あるんですが、しろ!って方は言ってくれればします。
若い女性から、こういう人になれたらカッコいい!と思われるのが手っ取り早いと思うんだけど
「幼稚園の先生なんて底辺職なんて恥ずかしいと思わないの!」なんて言ってる人は、全然カッコいいと思えなくて辛い
なんてことを言うと「憧れられたくてやってるわけじゃない、女性の地位向上という高邁な目的のため!」とか言われそうだけども。
女優やタレントみたいな「女を売りにする職業女性」の方が、稼げる額が大きいからか人生の選択肢が多かったりするし
まずはこの辺からなんじゃないかなぁ。
男女差別の問題を論じると、必ず感情的に男は女を下に見ているとか不毛な議論がわき起こる。
男女平等とは、当然のことながら機会の平等であって結果の平等ではない。
だが20世紀の遺物のような共産主義者が未だ力を持つ日本においては、結果の平等まで求めて逆差別が生まれている。
左翼集団は少しずつ時代に取り残されていて、やがては消えることが分かっているわけであるけれど。
なぜかと言えば、男と女は生物学的に違うものなのだという科学的な事実を、どうしても飲み込めない人達が一定数いるからだ。
女より男の方が優れていると思っている女が、少なからずいるからだ。
男だって女の方が優れているとか、女になりたいと思うことはあるだろう。
そして感情論を振りかざして、私を男として扱えと主張する。
ここに左翼のジェンダーフリー、家庭崩壊計画、社会秩序破壊計画が合わさると、結果の平等を求めた男女平等議論が通ってしまうわけだ。
親戚の女性が、正月にみんなで集まった時年配の人が言う「嫁をもらう」「嫁に行く」という表現にやたら喰ってかかっていた。「結婚する」なら良いんだそうだ。
まぁこうした表現をすべきなのはフェミニズム的見地からすればその通りだと思う。私も「嫁をもらう」は現代では使わない方が穏当であることは充分にわかる。
だがな~それを大正生まれのばあさんに言うか?言葉の遣い方の向こうにある、「なぜ「嫁をもらう」がダメなのか?」についての時代背景をちゃんと伝えられるのか?
今の時代の婚姻のあり方が問われているのであって、問題は「嫁をもらう」を使うか否かでは無いはずだ。
まぁ実際ばあさんが持っているような結婚への認識は、現代においては改めて行かなくてはならない、ってのはわからんでもない。
だけどそれは若い世代が留意していけばいいのであって、どうしてばあさんが今まで生きてきて培ってきた感覚まで掘り返さなくてはならないのか?
ばあさんの感覚・認識を今からジェンダーフリーへと開放していくことを重要視しているのだろうか。
(いやもちろんそれは大事なんだが、正月のこの時期の短い会合でそうした「常識」の転換を迫るってのは難しいじゃねえの、という話)
こんな風な本で読んだ知識・学んだ学問だけで実践に挑むのは暴力だ。ばあさんへの。
twitterとかでこうした社会学への言及するのとはわけが違う。目の前にいるのは近代~現代という激動の時代を80数年生きてきたばあさんなのだ。
もう少し、「嫁をもらう」の是非だけにこだわらない言い方があったのではないか。
そして私はばあさんの生きた時代と私たちの時代はどう切り結ぶのだろうかとか余計なことを考えてしまった。
みたいに、ことあるごとに「これは差別だ!」と言ってくる人がいるが、こんな人達は相手にするだけ無駄だ。
これが例えば「○○社は雇用の男女差別をやめろ」のように具体的な要求をしているのならば、対応することに意義がある。実際に不利益を被っている人がいて、その改善を把握できることだからだ。
しかし、上記のリンク先にいるような人達は、具体的な対策を要求しない。要求するのは相手の「意識を変える」ことであり、その意識の変更に伴って、どこまでも謝罪と倍賞をさせることが目的だからだ。
そう。やってることは中国や韓国と変わらない。「我々は戦争の被害者なのだから、日本は反省しろ。その証拠として軍備を辞め、賠償金を払え。領土も明け渡せ。戦没者を慰霊することも許さない」と、被害者という立場を利用してあらゆる領域で自分の意見を通そうとする。
ジェンダーフリー論者も一緒だ。「我々は男社会の被害者だ。男共は反省しろ。私の気に入らない絵は視界に入らないようにしろ。女性専用車両は継続しろ。レディースデーも当然継続だ。全部言わせるな。あらゆる要求を先読みして私を気持よくさせろ。」というように、どこまでも要求はエスカレートする。
さらには、男性が女性を好きになることに対してさえ「男を好きになる男もいる」とかクソみたいな理由をつけて差別だとか言い出す始末。それジェンダーじゃなくて生物的な違いとしてのセックスだろ。
ただ、具体的な事項について差別を撤廃すべきという主張には意味がある。同じ仕事をしているのに男女で賃金が違う、とか、不合理な理由で不利益を被っている人がいるのならば、それは是正すべきだ。ここで問題にしているのは、相手の「意識を変える」という名目で不合理な要求を延々突きつけることを正当化する人々だ。
こんな奴らの相手をして、時間を浪費してはいけない。どんなに努力して相手の意に沿うようにしても、結局また新たな差別を見つけてきて因縁をつけてくるだけだ。唯一できることは、中韓と一緒で「徹底的に無視」することだ。
http://anond.hatelabo.jp/20131212154541
37歳、1歳半男子の父親です。 君より年上なので、なんとなく分かるって位の共感ですが。
まぁ男性に求められる性役割みたいなものもあったよね。しかも「矛盾してるじゃん」みたいな要素もある。
で、最近、嫁さんが借りてきた本で「お母さんのための『男の子の育て方』」って感じの本があったのよ。
自分の世代からすると「ん?これってジェンダーフリー的にどうなの?」って思ったりしたんだけど、
著者いわく、私もそういったジェンダーフリーの空気の中で育ったものですが、どうもそうではない。女の子と男の子は違う。私が育児中に知っておきたかった事を本にしました。みたいな事が書いてあって、なるほどな、と思った。
過去、20年くらいかな、変なジェンダーフリー感で世の中が進んできて、
ジェンダーフリーの観点からこそ、男女別学も認められてしかるべきだと思うんだ。
見た感じフェミニストには女子校出身者が多いと思うし、それは女子校育ちである事と無関係ではないと思う。
女子校の方が男子の目が気にならない分のびのびと学べて、性別よりも個人の個性を生かした育ち方が出来ると思うんだよな。
実際私は共学だった小中学校よりも女子だけの高校時代の方がずっと楽しかった。
勿論共学の学校もあっていいけれど、一概に全ての学校を男女共学化するのが正しいとは思わない。
片方の性だけだと偏るというが、学校だけが生活の場ではないし、そもそも同じ年齢の人間が集まる時点で十分偏ってる(社会と同じにするなら乳幼児からお年寄りまで取り揃えないと)。
高校は好きな学校を選べる訳だし、共学も男子校女子校も両方あっていいでしょ。
共学は認められるべきだけれどそれは別学の存在を否定する事ではない。
つまりあまり良く知らない人間・もしくは知らない人間から渡される手作りは、本来気持ち悪いものだと思っている。
(あまり良く知らない人間と、知らない人間をごっちゃにしているのはちょっと大雑把すぎるんではないかと思うが)
捨てずに食べてほしいと思うのは自分が、クッキーを持ってきた女の子と同じ立場になる可能性があるから。
結婚しているならともかくと書いてあったので、まぁ一般的な反応だと思われる。特にジェンダーバイアスは感じられない。
男女入れ替えても彼氏が~とかはなしされたら引くわ。でもえーいいなーという女がいることも容易に想像できる。
男性であるがゆえに危険にあいにくいので危機感がない、というのはジェンダーバイアスと言うよりは体格差の問題だと思われる。
また日本は割りに治安がいい(場所によるが)ので、危険に遭遇しにくいという環境にある。
少し前に「海外に行く時に気をつけたいこと」みたいな記事がホッテントリしていたが、日本人男性はああいうふうに海外の危険な地域に行く以外に危機感を養う場所がない。
危機感を小さい頃から育てていないので、危険な目に少しでも遭うとスリーマンセルとか言い出したり、レーザーを所持しておこうなどとピントの外れたことを言い始める(レーザー照射して相手を逆上させるくらいなら防犯ブザーならしたほうがよっぽどいい。最悪の事態がおきても救急車やパトカーに居場所を教えることができるし)
元増田に関しては端的に言うと
挙 げ た 例 が 悪 い。
ほいで、本音とか言いながら
女なら~だが男だと…の件。たしかに痴漢の問題みたいなのはあるが、一般的な男性は痴漢被害に対して懐疑的、たちが悪い場合はAV脳なので、
男性が被害にあった場合の相談者として男性を選ぶとひどい目に合いやすいが、これは女性も同じ。
女性は女性に相談した場合はそんなにひどい目に合わない。男性に話をすると火病られたり、嘲られたりなどしたという話はわんさかある。
どちらかといえば、クッキーを焼く男子の肩身の狭さみたいな方がジェンダーバイアスである。
なおジェンダー問題に触れるとなぜか、みんなが男女平等の意識を持たねばならないみたいな崇高な思考を持ってしまう人が一部にいるが、
ジェンダーフリーは性差別からの解放であって男女平等ではない(一部には含むが)。
したがってみなが男女平等の意識を保つ必要はないし、個々人にそれぞれジェンダーバランスが存在するが、それを否定する必要もない。
たとえばひどい例ではあったがクッキーを喜んでしまう男子たちもそれはそれでそういうジェンダーバランスを持っているので、それを否定する必要はない。というか否定すんな。
また、郵便を勝手に開けるのは社会的にはどうかとは思うが、両者に合意がとれているのなら問題ない。むしろ、結婚した後は女が管理すべき!とかいいはじめたらそれはジェンダー問題である(なぜなら専業主婦がその役目を担っていたが現代ではその役目はすでに失われつつあるからだ。すべてのおんなが専業主婦になりたいわけでもないし)。
こういうタイプは、「女だから得している」「女だから免ぜられている」事柄については丸々無視する。
男女の概念がなくなってしまったらその権利も消失してしまう事は考慮していない。
論が甘い。
例えばこの論の甘さを誰かに責められるとしよう。
その際、
「これだから女はだめなんだ」
と言われるのと、
「これだからこいつはだめなんだ」
と言われるのと、どちらが自分にとってダメージが大きいか? 逃げ場がないか? と考えた事はおありだろうか。
元増田に多少なりと「狂っている」部分があるとすれば、それは親族への個人的恨み辛みそのものが「じぇんだーもんだい」の一部たりうると思っている事か。
もっと言えば、自分の思い通りにならない事は自分の被害妄想などではなくちゃんとした学問的問題だ、だから向こうが悪い、で片付けようとしている所。
ジェンダー云々を言うなら、まずジェンダーというのはこういう問題であって、それについて自分はこう思う、その例の一つとして自分の親族が……という提示順序であればよいのに、もうしょっぱなから自分の親族への苦情、その理由としてジェンダー、と逆になっているから説得力に欠ける。
あげくの結論が「人に合わせるのがジェンダーフリー?」。
女だから、と言われ続けて来た事への反論を、自分の頭で考えず、ろくにその内容も理解せずに「ジェンダー」という単語だけ拝借してきて吠えているだけだからこその、この怨念たっぷりの結論であろう。
「男だから」「女だから」は、ケースによっては確かに個別判断を放棄した愚かな思考停止だ。
それと同様に「ジェンダーだから」も、ケースによっては個別判断を放棄した愚かな思考停止だ。
親族からなすりつけられ続け、嫌悪しているはずの安易な思考法を、自分が見事に引き継いで血肉としている事を自覚する、それが安寧への第一歩では。
親も親戚も、みんな口を揃えて同じに言う。
けれど結局、世間体が大事だから、私に恥をかかせないで、という意識の裏返し。
そんな親も、テレビに出てくるオネエ系の人達を見て笑っている。
自身の周囲の世間体だけが大事で、関連の無い人であれば、ジェンダーなんて関係ない。
テレビの人たちは男でも女でもどうでも良い。けれど、お前は男だから、女だから、と。
気持ち悪い。
私は私で、女だということは自覚してる。
けれど、押し付けられる価値観は親の持っているステロタイプなものでしかない。
女性の教授に同じ事を言ったら、あなたの考え方は狂っているね、単位なんて出せない、と。
私は狂っているのでしょうか。人に合わせるのがジェンダーフリー?
- 1994年3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲揚されていた国旗を降ろして、減給処分。
- 1995年3月、八王子市立石川中学校の学級通信で国旗掲揚を非難したため、訓告処分。
- 1999年3月、八王子市立石川中学校の家庭科の授業で、国旗及び国歌に関する法律はオウム真理教のマインドコントロールと同じであるというプリントを配布し、校長の学校運営を批判したことにより、訓告処分。(この処分に対しては、2001年に「教育行政の教育現場への不当介入」として訴訟を起こすが、2004年5月に敗訴)
- 2000年2月、多摩市立多摩中学校の家庭科の授業で従軍慰安婦やジェンダーフリーをテーマに授業を行い、校長の職務命令に従わなかったため、減給処分。(この処分を不服とし、2004年に訴訟を起こすが一審二審共に敗訴している。)
- 2003年3月、調布市立調布中学校に異動。通勤時間が往復で4時間かかる勤務地への配属は不当として、2004年に訴訟を起こす。
- 2005年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、減給10%・6ヶ月。
- 2005年4月、立川市立立川第二中学校の入学式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職1ヶ月・ボーナス0。
- 2005年12月、大阪市の『すわって示そう戦争反対!12・23』で講演
- 2006年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職3か月。(この処分を不服として訴訟を起こすが、2009年3月に棄却される)
- 2006年4月、『4.25改憲と共謀罪に反対する集い』で講演
- 2006年12月、多田謡子反権力人権賞を受賞。
- 2007年3月、町田市立鶴川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職6ヶ月。
- 2008年3月、東京都立南大沢学園養護学校の卒業式で国歌斉唱を拒否したことにより、停職6ヶ月。
- 2008年4月、東京都立あきる野学園に異動。
- 2009年3月、東京都立あきる野学園の卒業式で、君が代不起立により停職3ヶ月。
キチガイすぎるだろこいつ。
こんなのがクビにならない事が逆に怖いわ。