はてなキーワード: オーバーフローとは
念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。
俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。
その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。
彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前日休んだ人間が前日のプリントを職員室に二人で受け取りに来いといわれたので二人で一緒に行ったのが彼女と接点を持ったきっかけだった。今まであんまり接点がなかったが無言のまま行くの気まずいので「マンガ読む?」と彼女に聞いた。彼女は「うん、鈴木先生とか」と即答した。
当時でアクションで連載開始したばっかりぐらいの時期だったので、同級生にアクションを読んでる人間がいるとは思わなくて驚いた。父が買ってる漫画雑誌や父の本棚の本を読んでいるらしい。俺と全く同じだった。
それをきっかけに仲良くなった。ジャンプを読まず、アニメも観ず、流行がわからない俺には漫画の話をする相手が彼女しかいなかった。話を合わせる必要がある同性の同級生よりも、彼女と漫画の話をしてる方が楽しかった。彼女から「安野モヨコ」を教えてもらい、俺は彼女に「吉田秋生」を教えた。こっそり漫画を貸し借りした。「吉祥天女すごい面白かった」と彼女は言っていた。俺は「BANANAFISHは?」と彼女に聞いたら「IQ200もある人間が男娼なんかになるわけないし悪い意味で都合がいい展開多くてBANANAFISHは好きじゃなかった」とハッキリ言った。俺はそれを聞いてハッとして「それもそうだね」と笑った。彼女は笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ無表情だった。最初は嫌わてるのかと思ったが、こういう子なんだと理解できた。
中3になって受験シーズンに入ると周りも受験モードになってくる。彼女とは別のクラスになったが、メールで時々やりとりをしていた。俺は特に行きたい高校がなかったので通信制の高校へ行くつもりでいた。欠席日数も100日を超えていたし、何よりまともに高校生活を送れるとは思わなかった。通信制の高校なら週1の通学で卒業できるので、俺でもなんとかやれると思えたのだ。「教師になりたい」と言っていた彼女は大学進学も視野にいれて進学校に行きたいらしい。俺も彼女も成績は上位20番台に入れたので、「学校休んでまで勉強しているガリ勉」だとかよく陰口を叩かれていた。特に進学に成績が関係のない俺は受験シーズンになっても変わる事なく学校を休んだりしていた。周りが受験モードになると俺は成績が50番台まで落ち、塾に通いだした彼女は上位10位をキープするようになった。同級生に志望校を聞かれたとき、通信制の高校名を口にすると驚かれた。なんでそんな所に行くんだ。と。三者面談の時に担任から「第一志望を通信制の高校にするやつなんて初めて見た。考え直せ。」親からも「せめて普通の子みたいに普通の高校行ったら?」と言われた。周りから理解はされなかったが、学校を休みがちな彼女だけは「頭の中がオーバーフローしそうな時は横になってるのが一番落ち着くんだよね、それ以外どうすればいいかわからない」と言っていた。あの時俺の気質を理解してくれてたのは彼女だけだったと思う。面倒くさかったので、家から一番近い学校を受験した。前期受験の時に同じ中学から受験した子は成績が「160人中120位」ぐらいの子だった。「え!?なんでお前もここ!?」みたいな反応をされたのを覚えてる。周りにも騒がれた。
俺は第一志望の通信制の高校に通うを事は叶わず、家から一番近い偏差値40ぐらいの高校に通うことになった。彼女は後期試験で第一志望の高校に受かった。思春期の周りが恋愛モードになるが、俺たちは卒業まで学校で会話することもなく、淡々とメールを交わすだけだった。ある日彼女に「好きな人いないの?」と聞かれた。俺は「枕と敷布団とかけ布団の3股してるよ」と答えると「私もだ笑」と帰ってきた。「塾の先生がすごい恰好良くてね、携帯にペアのストラップつけてるんだけど、あれは彼女いるんだろうな。私も彼氏欲しいな」と言ってきた。今思うと、彼女が学校で仲良かった異性は俺ぐらいだったし、あれは彼女なりのモーションだったのかもしれない。彼女にとって俺は恋愛対象じゃないと思っていたので「高校行ったらできるんじゃないかな、応援してる」と返した。そんな感じで卒業して俺たちは疎遠になった。俺はこのままうだつの上がらない生活をし続けて、高校進学で高みを目指せる彼女は、もっともっと高い所に行くんだろうな。と少し寂しくなった。
俺は高校では相変わらず休みガチだったが、中退はさすがにまずいと思って卒業できる程度に通った。授業も中学の復習から始まったりして、授業も教科書をなぞるだけだったので、体が辛くても無心でノートを取って、休み時間はずっと寝ていた。幸いクラスメイトも良い子が多くて、人間関係で悩むこともなかった。一度学期末の成績優秀者で学期末に壇上に呼ばれたのがトラウマになり、勉強は授業を受けるだけで一切手を付けなくなった。
高3の頃に俺は進学か就職かの岐路に立たされた。進学する金も家になければ熱意もなくて、自動で就職になった。よく教師や親からは「お前みたいなやつ社会じゃやっていけない」と言われていたので、そんな大人たちがいう「楽な仕事」の代表の「市役所」に就職することにして、公務員試験の対策で過去問を解いてたら高卒枠で滑り込めた。うちの高校から市職員を輩出するのは初だと、また騒ぎになって、来年インタビューに行くからなと担任から言われたのがすごい嫌だった。
就職が決まってから、俺は中学の頃の彼女を思い出した。中学を卒業してから「高校どう?」と一度連絡したら、「楽しくやってるけど、周りが勉強出来すぎてヤバイ」と不安をこぼしていた。少し心配だったが、勉強に忙しそうだったし、彼女に連絡を入れて勉強の邪魔をするのも嫌だったし、もしもガス抜きしたくなったら俺に連絡くるだろう。と思っていた。それ以降連絡は来てない。まだ教師を目指してるんだろうか。大学はどこに行くんだろうか。あれだけ不登校気味だった俺は市職員になるよ。税金でご飯食べるよ。笑っちゃうよね。鈴木先生おわっちゃったね。この間ね、安野モヨコのエッセイ読んだよ。いろんな話をしたかった。「久しぶり、元気?」一通だけ送った。ひょっとしたらアドレスが変わっていてメールは届かないかもしれない。無事届いた。がその日は返事が来なかった。
翌日の夜中に一通メールが来た。彼女からだ。「久しぶりー、そっちも元気?私はまあまあかな。私入ってからすぐ高校辞めちゃった。〇〇駅(県内で一番大きな駅)の西口で売春してたら補導されて、親にすごい怒られて家にも居られなくなっちゃってさ、今は回春エステを転々として寝泊りしてるよー。増田は大学行くの?頭良かったもんねえ」
ビックリした。
口から晋三が出るかと思った。
中学の俺たちは似た者同士だと思った。しかし俺は彼女だけが高みへ飛んだと思っていたのだ。俺がだらだらと低空飛行の高校生活を送ってる間に、彼女は高校を辞めるぐらいまで追い詰められていた。働きたくなかった俺は公務員になり、教師になりたかった彼女は風俗嬢になっていた。一体どこでどう間違えたんだ?あれだけ高校受験を励めるお前が、頑張れるお前が、なんで落ちたんだ?落ちるんだったら俺の方だろ?
俺は彼女とご飯を食べに行く約束をとりつけた。会って話がしたかった。幸い昼間は時間の融通が利くそうで、予定調整してから合うまでに時間はかからなかった。
久々に会った彼女は顔の印象がだいぶ変わっていた。黒い髪は相変わらずだったが、パッチりとした目の下には人工的な涙袋が入ってた。垢ぬけた感じはあった。体は細いがなぜか指がパンパンに膨れ上がっていて、表情があまりかわらないのは昔のままだった。ボロボロだった上唇が細くきれいになっていた。
「久しぶりだね、大人っぽくなったな」と声をかけると「そっちも中学の時よりすごいかっこよくなっててビックリした」と言ってきた。彼女はこんな事言えたのか。なんか変わったなと思った。
ファミレスで軽食をしながら俺たちはお互いの話をした。彼女からは3年間の空白を埋めるようにいろんな話を聞いた。
彼女は高校に進学してから授業についていくためにずっと勉強をしていた事。授業についていくために塾にも通った事。それでもとうとうキャパティシが限界を迎えた事。家で数学の勉強をしてる時に発狂してしまった事。不安と違和感を感じた両親が精神科に連れていき診察した結果、適応障害とうつ病だと判断された事。両親と医者と本人との3者でのカウンセリングを重ねたり、いろんな検査を受けた結果幼少期からアスペルガー障害があることもわかった事。その高校を辞めた翌年は別の学校に再受験した事。受かったが周りが自分より1つ年下の環境と、前の学校が県内上位の進学校だった事もありすぐに噂が広がり居づらくなった事。ブロンでODをした事。次第に金パブにも手をだすようになった事。金パブブーストで学校に通い続けることができたが、そこでも最終的には居づらくなり精神が限界を迎えて学校を辞めてしまった事。応援してくれた両親も激怒し愛想つかした事。フリーターとしてコンビニバイトなどをするも空気が読めず、どこへ行ってもうまくいかなかった事。バイトを転々としていた当時高2の彼女が自分一人の力でも食べていけるようになった手段が「売春」だった事。売春を続けていたら補導されたので、寝泊りができる回春エステで働くことにした事。過食嘔吐がストレス解消の手段になった事。整形して顔をいじったこと。今の収入じゃ満足できなくなってきた事。回春エステでチップをもらいながら本番をしていたところ病気をもらって運営にも本番行為がバレた事。今度デリヘルに転向する事。一切本が読めなくなったこと。文章が頭に入らなくなったこと。休みの日は過食しながらyoutubeでジャルジャルの漫才を見てゲロ吐いてる事。誰かにずっと監視されてること。いつも誰かに悪口を言われてる気がしてるということ。昔の彼女の面影を探すように俺は彼女に色んな話をきいた。中学の3年分よりも彼女と話した。
しかし俺は彼女に「普通の生活に戻る気はないのか」とはどうしても聞けなかったのだ。学生生活を満足に送る事が出来なかった俺だからこそわかる。その質問は残酷すぎた。普通に働けたのであれば、とっくに働いているのだ。彼女の話をきいて、彼女が彼女の世界でなんとか足掻こうとしてるのが俺には痛い程わかった。
「中学の頃にさ、〇〇(女友達)はIQ200もあれば男娼になるはずない。ってBANANAFISHを批判してたの覚えてる?」
「あー、懐かしい。言ってたね。吉祥天女今でも好きだよ。文庫版買っちゃったの実家にある。」
「買ったんだ、言ってくれればあげたのに。俺はさ、〇〇が風俗嬢になるはずない。ってこの間のメールみて思ったんだよね。」
「だから?」
「でもそれって、〇〇のしんどさとか辛さとか経験を、俺がわかってないだけだったんだな。ってお前の話聞いて思ったよ。アッシュが男娼になるまでのバックグラウンドがもっと掘り下げられていれば、〇〇もBANANAFISH楽しめたのかなー」
「増田は変わらないね。私の土俵で私の漫画の話をしてくれるよね。中学の頃私と一緒にいた女友達覚えてる?あの子たち時々連絡くれてたんだけど、高校中退した時に『何があっても友達だから』って言ってくれたのに、私が売春初めてから連絡してこなくなったよ。私が売春してんのも回春してんのも同級生の間でもう噂になってんでしょ?この間中学の時の××からヤらせてくれってメールきたよ。ただ話したいから会おうって言ってきたのは増田だけ。増田からメール来た時、仕事中もずっと増田の事思い出してた。うれしかったよ」
「そんなに嬉しかった?だったら、薬指切り落して俺に送り付けてくれてもよかったんじゃない?(安野モヨコの漫画ネタ)」
「馬鹿じゃないの」3年越しにあってから初め聞いた彼女の笑った声と、笑った顔だった。
俺には彼女を救い上げてやることはできないし、彼女の生活を支えてやることもできない。彼女を守ることもできないし、俺たちにはお互いを支えあうような力は残ってなかった。日々の生活でいっぱいいっぱいなのは、お互いが一番よく理解していた。公務員に内定が決まった俺に目の色を変える同級生がいたが、一番寄りかかりたいだろう彼女は俺に依存しようとは一切しなかった。性風俗を咎めず、性風俗に従事している彼女をただ受け入れて話を聞く。俺にできるのはそれだけだった。
俺たちはその日たくさん話して、仕事へ向かう彼女を見送った。何故かもう会えない気がしたので、「体に気を付けて」といったら「そっちもね」と、中学の頃と変わらない無表情で返ってきた。
それから数年経ったある日、彼女から「私と会った事ある人だよね?ずっとスマホが監視されてて。確認したかったの。ヤバい人にずっと付きまとわれてて、ネットに本名も晒されて、ずっと監視されてるから疑心暗鬼になっちゃって」とよくわからないメールが飛びこんできた。「久しぶり、増田だよ、中学の頃から同級生だったろ。大丈夫か?」とメールを返したが送信エラーになった。
心配した俺は、ひょっとしたら彼女が実家で療養しているのかと思って、中学の同級生から彼女の実家の住所を聞き家まで行った。表札には彼女の苗字はなく別の苗字が書いてあった。念のためインターホンを押したら現住民が対応してくれた。どうやら今の住民は中古物件としてこの家を買ったみたいで、前回の住民とは一切コンタクトは取っていないとの事。文章でのやりとりが得意で、口語でのやりとりが苦手だった俺たちは、携帯の電話番号を交換していなかった。俺は彼女と連絡をとる手段を失った。
2020/10/16
続きを書きました。
https://anond.hatelabo.jp/20201016194549
妻は今育休中。仕事復帰も近いうちに考えていて、子どもは日中保育園に預け始めたところ。
妻はもともと完璧主義で細かいところを気にすぎるタイプで、一人で抱え込んでやり遂げようとする癖がある。
なにかうまくいかなくなったりトラブルがあったりすると、まずイライラが言動に現れる。
さらに度が進むと、感情があふれ出てきて泣いて寝込んでしまう。
ここ1カ月間、感情のオーバーフローのしきい値がすごく低くて、些細なことで泣き寝込んでしまう。
自分で床に傷をつけてしまったとか、トイレの電気がつけっぱなしとか(←これは私が悪い)、
子どものおむつかぶれの様子が少し悪化してそうとか、スーパーでエコバッグなくしたとか、冷凍庫に物が入らないとか、
そんなに怒ったり落ち込むことではないだろうと思うことで、半日まともに話せない状態になってしまうことが複数回続いている。
少し落ち着いた時に話を聞いてみた。
どうしてこうなってしまうかわからないし、何も考えられない状態になってしまうという。
ものにあたったり、攻撃的な口調になるのはやめたいと思っていると言っている。
さらに、そんな自分に嫌気がさしてさらに落ち込んでしまうらしい。
人生の先輩として、最近の自分の親に相談しようとしたら、心配されるのが嫌だと、また泣き喚かれた。
ちなみに、両親はどちらも遠距離におり、簡単に実家には帰れない。
子どもの朝の離乳食とおむつ替え、夜のお風呂、洗濯物畳み、ごみまとめ、週末の掃除と買い出しはやっている。
家事で負担になってることや、自分にやってほしいことはないかと聞くと、妻は「ない、十分やってもらっている」と答える。
妻の完璧主義・抱え込む癖と、育児家事のストレスと、仕事復帰の不安で、悪いスパイラルにはまってしまっているのだろうか。
産後うつで検索して出てくる情報を伝えて、こころの電話相談窓口を紹介したところ、妻は電話をかけたようだ。
話した内容等はあまり教えてくれなかったが、少し気持ちは落ち着いたようだった。
これは一度病院にかかったほうがいいと思い、近くの心療内科を調べて電話をかけてみた。
しかし、近くの2件とも、初診の予約は数週間待ちということだった。みんな心病んでるのかな…
とりあえずは予約したが、病院に行けるのはまだまだ先だ。
そんな感じで、解決できないまま時が過ぎている。
どうしたらいいものだろうか。
令和2年度の途中ですが、うまくいったことをまとめておこうと思います。
同じ大きさのタライを2つならべて片方を親魚もう片方を稚魚用にするというぜいたくにスペースを使う飼育法を採用しました。今までは、親魚はタライでも稚魚は小さ目の発泡スチロール容器やNVボックスだったりしたのですが、思い切って同じ大きさにしてみました。これは効果バツグンでした。稚魚の生存率が抜群です。場所を取るのでそれなりの覚悟が必要です。小さなプランタで植物の世話をするよりも畑で直に植えたほうが簡単なのと同じです。
タライは45Lを中心に36Lも使っています。水深的に36Lのほうが管理がしやすいと思います。
ちなみに1cmくらいになったら、稚魚槽から親魚槽へ移します。昨年までは、タマゴの採取時期別に稚魚は品種を問わずに大きさ別にごっちゃにしていましたが、成長後の品種ごとの選別作業もなくなり手間が減りました。
これを購入するのにかなりの覚悟が必要でした。45Lタライ2個分でとても大きいです。45Lに比べて少し浅めなので管理しやすいのがポイントです。圧倒的水量の暴力で水が汚れるまでに時間がかかるのが最大のメリットです。これを2個並べて、親魚と稚魚を別管理。とても管理が楽になりました。
昨年まではグリーンウォーター重視で中が見えないのを良しとしていましたが、本年は底が見えるグリーンウォーターを基準にして水替えしています。1/5の水を残し、残りを水道水で希釈していく感じです。
水作さんの水替え用の手動ポンプです。サイフォンの原理系のアイテム。これはすごい。もっと早く買えばよかったもの。水に入れる部分のパイプなどが細かく分解清掃できる優れもの。使えば使うほどわかる工夫の塊。ごみが詰まる部分の分解がしやすいとか排水ホース部分が細くなっていて徐々に水が排水されるとか使ってわかる一品です。水替えが楽しくなりました。
しかも、底に落ちた卵がフィルターで回収できるおまけつきです。ちょっと取りにくいのが難点ですが。
西日が当たらないところに水槽を置くという単純なセオリー。簡単なようで南中高度が刻々と季節変化する太陽を相手するのは難しいのですが、季節変動を最小限に抑えつつ、メダカのエサとなる植物性プランクトンを高温で殺さないように維持するために重要な法則です。
↑ 西 ┃ ┃ ┗━━━━┓ ■■■■┃ ┃ ←南 ┃建物 ┃ 庭 ┃ ┃ ┗━━━ ■■■■ 東 ↓ 凡例:■水槽
上の図のように建物で西日が遮られる場所に水槽を置きます。この場所以外に欲張って水槽を置くと西日の餌食となり、高水温による酸欠で死ぬ可能性が高いです。4つ並んでいるうちの一番南側の成長度が高いです。
水槽配置数の増加のために棚を作って水槽を3階建てにしていたときがありました。小面積に水槽がたくさん置けるのがメリットです。しかし、この方式は水温に深刻な影響を与えており、昼と夜での水温の変化が激しくなるのでした。水槽を地面に置くと最高水温と最低水温の変化の幅を抑える効果があったのです。重層配置はやめて、地面に置くことにしました。台に載せると水槽の管理がしやすくて便利なのですが、メダカ的には水温の変化が激しくてダメなようです。
越冬時も水槽の下に空気の流れがあると次々と冷たい空気が入って四方八方から水槽の水をどんどん冷やしてしまうこととなり氷結しやすくなるようです。姿勢がつらくても水槽は地面に置きましょう。
100円均一のセリアに産卵床が登場しました。昨年までは汚れ落とし用のハードスポンジを代用していました。これがペット用品売り場に使いやすい大きさにカットされた状態で12枚入りで商品化されました。使いやすいです。これを固定して浮かす「浮き輪」なる商品も売り場に登場しましたが、よく売れるのかレア商材化しています。その代わりにホームセンターの電材売り場で売っている、エアコンの配管の保温材を購入して輪切りにして使っています。
ホテイアオイは欲しい時に欲しい数がそろわないことと、冬の前の処分が面倒なので、やめました。越冬に成功したホテイアオイがあるのですが、さっぱり数が増えません。
必要なタイミングに必要な数がそろうので、稚魚槽への卵の移動がしやすいです。水曜日と土日のどちらかで約3日に一回のペースで採卵しています。
タライには塩ビパイプを使ったオーバーフロー機構を穴を開けて取り付けています。取付が間に合わないところも準備工事の穴だけはあけておきました。
ヤゴ対策の木材と網を組み合わせた凝った構造のネットはやめました。オーバーフローの取り付けで最高水面を水槽のふちよりも下げ、4㎜角の防風ネットを大きな洗濯ばさみで固定するだけのシンプル構造にしました。大き目のタライの場合はネットが中央部で垂れ下がるので、角材を渡してあります。
真南の西日の当たる場所での飼育や小さい水槽での飼育をやめたので、エアレーションをする必要がなくなりました。無理のない場所で無理のない水槽を使うと飼育設備がシンプルになってきます。
それぞれの水槽に入れていましたが、サカマキガイの巣窟なので、やめました。睡蓮だけ別のトロフネに入れて楽しんでいます。
水がクリーンになるということで底じきにしていたときがありました。が、これもやめました。水替えをシンプルにするためにベアタンク運用です。赤玉土はプランタで再利用です。
1cmくらいの大きさの溶岩石を入れていた水槽もありました。これもやめました。溶岩石は鉢底石として再利用されました。
稚魚水槽に入れていました。これも合理化の対象です。アナカリスはミナミヌマエビ水槽へ転用されました。
メダカ屋さんの飼育法を真似て買いましたが、水量が少ないので、利用中止。用途変更。製造元の意図通り、工具箱とか部品箱としての利用に戻しました。お店に納品される段ボール単位で取り寄せていたので、収納用にしたら同じ大きさの入れ物がたくさんそろってとても便利でした。
最後のほうはやめたことが多いですね。できるだけシンプルに簡単に飼育できる方法を追及していたら、ダブルタライのベアタンク式に落ち着きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E5%86%8D%E7%94%9F%E7%94%A3%E6%95%B0
COVID-19 1.4-6.6
インフルエンザ 2-3
致死率:0.1%
死者数:1万人
防疫失敗、無策な状態なのでインフルと同じ感染数1000万人とすると
COVID-19致死率:2-3%
故に死者数:20~30万人
受診する重症患者はもっと多いのでアウトブレイクしたらそんな数を捌けない。
医療崩壊が起こりうる。
するとオーバーフロー分は全て野垂れ死にになるので死者数が跳ね上がる。
数字は出しようが無いが40万とか50万とか行っても不思議じゃない。
防疫がちゃんとしていればそんなことにはならず実際武漢も感染8万弱死亡2300人に留まっているが本邦ではインフルと同様の「気をつけて」連呼だけなのでこういう数字。
あと、年寄りから死ぬと思われているが、重症の肺炎では免疫の暴走であるサイトカインストームが起こり得る。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/022000115/?P=4
すると多臓器不全になって死ぬ。