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2024-11-07

あげまん」って伊丹十三造語だよな?

Wikipediaにも何やらそれっぽい語源説が書かれてるけど、1990年伊丹十三映画あげまん』以前に「あげまん」なんて言葉はなかったよな。

男にツキをもたらす女、古来人々はそれをアゲマンの女と呼びならわしてきた・・・

なんて、いかにも昔からある言葉のように演出したら、みんながそれを信じちゃったってことだろう。

ただし、同じ意味言葉として「福マン」というのはあって、これは1970年代ごろから使われていたようだ。

1970年雑誌小説宝石』に掲載された伏見太郎『男が知りたいズバリ女の感度めぐり 男よ、おかめを探せ』に「福マン」の解説があるのが、調べたかぎりでは最も古いか

男子の「運」というものは、ほとんどの場合、それを齎らす女性によってつけられるものなのである。斯く申せば、諸君は、ではそうしたツキを齎らす女性とは、いかなる女性であるか、大いに知りたいと思われるであろう。私はこんなところで、決して諸君に気をもたしたりはしない。ズバリ言おう。それは「福門」を有する女性なのである

筆者註 モンは往々マンと訛る。従って福モンは福マンと読み、かつ解すべきである

「解すべき」というのは、つまり「門というのは女性器のことだと解すべきだ」という意図だろう。

この筆者は、おかめ顔(お多福)で体毛(陰毛)が薄い女性こそが「福マンである、としており、逆に濃い陰毛を持った女性は「厄マン」だと述べている。

その前年1969年の『週刊サンケイ』では「福マン」ならぬ「運マン・貧マン」が紹介されている。

男どもは世にこの貧マンのあるのを、意外と知らないで、ただひたすらミミズ千匹、タワラ締めなどを求め、めぐりあっては随喜の涙を流し、かくて、ろくでもない運命をつかんでしまう。

当然、この反対に運マンがある。これは、接触すると、とにかくよくなっちゃうのである。ある男がいた。これが、女が見てもうらやむほどの、ものすごい美人結婚した。しばらくすると仕事が順調に伸びだし、たちまちにして、その世界でひとかどの人物になってしまった。

概念自体は「福マン」あるいは「あげまん」と同じようだし、またミミズ千匹だのタワラ締めだのと明らかに女性器を意識して名付けられてもいる。

また1970年野坂昭如好色覚え帳』には「福チン」が登場する。

「そりゃ、きっとその先生が福チンなんだなあ、福チンが勝ったにちがいねえや」という、福チンとはなんぞや、庄助考えこんでいると、「福の神のオチンチンですよ、定奴の貧乏おそそと、勝負して福チンがやっつけちまったんだねえ、だから定奴にも運が向いてきたんですなあ、あれだけの先生なら福チン持ってて不思議はないやね」

「おそそ」は女性器のことなので、「貧乏おそそ」は「厄マン」的なものだろう。

さら1972年オール讀物』の永六輔『妻を考える』では、

世に「福マン」「福チン」「損マン」「損チン」と呼ばれるモノがある。

などとして「福・損」「マン・チン」の組み合わせを取り揃えている。

あげまん」については「女性器のことではなく『間』が転訛したんだ」といった説明もされるが、こうして見るとやはり女性器のことだと考えるべきなのだろう。

そして伊丹十三は、こうした「福マン」「厄マン」的なものから着想を得つつ、元のイメージから切り離すためにちょっと字面を変えて「あげまん」としたんだろうな。

追記

申し訳ない。

1980年刊の『或る馬賊芸者・伝 : 「小野ツル女」聞き書より』にて「上げマン」「下げマン」を確認した。

特に奴(やっこ)が生きてきた芸妓世界では、ことが多過ぎた。貧乏性で相手を必ず破滅へと落し入れる女、何人もの男の命を奪い取る女、逆に男を出世させる女など…。上げマンとか下げマンという言葉も残されている。

というわけで「上げマン」「下げマン」は伊丹十三造語ではないし、もとは花柳界隠語だったことも確実のようだ。

伊丹十三にあらぬ疑いをかけてしまたことを陳謝する。

2022-09-02

お客様は神様です」について

三波春夫オフィシャルサイト

お客様は神様です」について

https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html

三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます

 ですが、このフレーズ真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます

 

 三波本人が生前インタビューなどでこのフレーズ意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。

 『歌う時に私は、あたか神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですからお客様神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様絶対者、神様なのです』

 歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。

 また、三波春夫舞台お客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。

 そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述最後にご紹介いたしますが、“お客様神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。

 その後、漫才トリオレツゴー三匹さんが「三波春夫でございますお客様は神様です」という表現流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。

 三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。

 しかし、このフレーズ真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店飲食店乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります

 例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています

 また、クレーマーカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります

 このようなフレーズへの誤解は三波春夫生前から有りましたが、言葉文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫ライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。

 “雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。

 16歳で初舞台を踏んだ浪曲世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。

 20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリア捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。

 抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身希望を持って生きるためにも時間を見つけては一所懸命浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。

 戦後浪曲世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服歌手であり、歌手座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。

 永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞エッセイ歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。

 笑顔トレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。

 これらは、若い時に先輩から普段暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。

 

 三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。

 最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます

                       

株式会社三波クリエイツ 代表取締役 三波美夕紀

 

三波春夫著『歌藝の天地』

1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より

   

お客様は神様です」の発端

 お客様は神様です」という言葉流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。

 皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。

そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。

 しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉流行ったのではないだろうか?

 私が舞台に立つとき敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物世界を経てきたからではないだろうか。

 つまり浪花節台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである

 われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様いかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。

 お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。

 あれはたしか昭和三十六年の春ころ、ある地方都市学校体育館だった。

司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。

 「どうですか、三波座長お客様のこの熱気、嬉しいですね」

 「まったくです。僕はさっきから悔やんでいます

 「!?

 「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」

ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。

すると、宮尾君はたたみかけて、

 

 「三波さんは、お客様をどう思いますか?」

 「うーむ、お客様神様だと思いますね」

ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、

 

 「カミサマですか」

 「そうです」

 「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃるナスキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・

 客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから司会者としても一流。漫談うまい

 こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹舞台を見て、おおいに流行らせたのである

追記

“翌日から毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいねお客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。

2022-08-31

anond:20220831082752

ホンマにィ?

…ほな、寅さんやら永六輔やらのいかにもな江戸弁?みたいなん聴いたら、なんておもうねんな?「あざとい」「いまどき使わねぇよ」とかか?

2022-07-30

anond:20220727131154

✋(👁️👅👁️)🤚永六輔さんこんにちは

✋(👁️👅👁️)🤚ぼくは将来VTuberになるのが夢なのですが

お父さん✋(👁👅👁)🤚はぼくがクンニ職人になるのを望んでいるようです

どうすればお父さん✋(👁👅👁)🤚に理解してもらえるでしょうか?

2022-06-20

anond:20220620204856

無意識常識」を「無常識」に空目して、永六輔無名人名語録」に、(世間知を全く身に着けてないであろう相手に言った)お前は非常識じゃなく無常識だ的な言葉が載ってたなと思い出し

2022-05-19

anond:20220519113550

(前のエントリーの続き)

それでおまいらに聞きたいことがあるんよ。

前半「永六輔というえらいひとが子供ときに、家の前の道の落ち葉掃除してたのです。道の北半分を永六輔掃除する。道の南半分は対面の家の住人のおじさんが掃除しました。ところが対面の家のおじさんが永六輔にむかって文句をいってきました。おじさんはなんといったのでしょうか。答えは来週おしえます

後半の話を全く覚えていないのだが。だれかわかる人います

2022-04-05

ラジオから「おじさん」が消えている・・・

この10年でAMラジオが劇的に変わっている。一言で言うと、古き良き「おじさん臭」が排除されつつあるのだ。

1980年代から帯番組ラジオを長年支え、2000年ごろにはほぼ無風で安定していた「おじさん」たちの帯ラジオ番組が、2010年代半ばになって一気に消えている。吉田照美荒川強啓は帯がなくなり、大沢悠里はほぼ引退文化放送の主・野村邦丸も4時間ワイド番組が昼の2時間に縮小。森本毅郎大竹まこと高田文夫はまだ健在だが、全員70以上。50ぐらいの元気な「おじさん」がいない。おじさんラジオ継承者筆頭だった伊集院光も、帯から追い出されてしまった。

これは単なる世代交代ではない。彼らが一様に得意としていたセクハラ女子アナいじりなどが、コンプライアンス的に難しくなったことが大きい。吉田照美は今は左翼になって偉そうなこと言っているけど、かつてはパートナー小俣雅子へのセクハラ罵倒ラジオで人気を博していた。TBSジェーンスー、荻上チキパンサー向井と、コンプラアインス重視のシャレオツ路線に。radiko時代仕方ないけど、おじさんラジオ安心感がなつかしい・・・

追記

c_shiika "ジェーンスー、荻上チキパンサー向井" 30後半から40後半は立派なおじさん世代だと思う。あとTBSラジオは昔からその時代なりの左派っぽい人が多くなかった? 永六輔とか


ここで郷愁まじりに言っている「おじさん」は、単に年齢のことではないんだよね。良くも悪くも「世間常識代表」の安心感を与えてくれる存在のことを指している。ジェーンスーや荻上チキも好きなんだけど、どちらかというとそうした「常識」を相対化して揺さぶる側で、タメにはなるけど安心感はない。だから心が弱っている時は聴けない。

向井の「ふらっと」はメチャクチャいい。ただ、明らかに若者」だと思う。

2022-02-01

都都逸の名作を教えてくれ

短歌俳句に比べるとワンランク低く見られているような気がするが

人生の深みを垣間見せるような名作が少なくない

とっさに出てきたのは高杉晋作

三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい

と、有名じゃないけど永六輔が「無名人名言録」シリーズに収録した

ままになるなら雨どいつけて寝たまま小便してみたい

寝たまま小便してみたけれど立ってするほど楽じゃない

くらいだけど、ものすごい名作が他にもたくさんあるはずだ。

anond:20220131170855

2021-07-08

anond:20210708142250

そもそも東京人江戸弁がナヨナヨしてて地方民にはムリや

(「アタシ」「そうかしら」て…)

タモリ永六輔を「放送できるギリギリラインオカマ」て揶揄しとったし

2020-08-04

徹子の部屋

昭和の頃は、石原裕次郎美空ひばり永六輔森繁久彌丹波哲郎黒柳徹子と同格あるいは上な出演者も多かったが今だとかなり難しいよね。存命の芸能人だと加山雄三美輪明宏くらい?

2019-08-15

Midas先生あいちトリエンナーレ表現不自由展」を語る

どうもMidasファンです。

面白かったのでブクマをまとめました。

https://b.hatena.ne.jp/Midas/

芸術政治化」ではなく「政治芸術化」こそが問題



 もう少し左翼好意的に言っておくとこの件(「消すぐらいならやるな」と憤慨してるひとがいるように)「政治政治ちゃんとやれよ(天皇制を打倒したいなら『表現の自由w』とか言ってないで現実で打倒しろ」につきる。めざすべきはあくまでも現実世界での天皇制廃止ないしは社会改革であって展覧会で「これがボクたちの考えた芸術です」は単に『表現w』の世界へ逃げこんでるだけ(「現実では何も変えれない」敗北宣言にこれも等しい。

 このへんの不純さ、不誠実さが(右翼のみならず)いわゆるノンポリのひとたちの嫌悪感を誘ってるのは疑いないので。結局「歴史上の人物から問題ないですよね」がいまだに大失言だと気づいてないのはそういうとこ。「これは表現の自由だ」が『政治』になりうるためには当然ながらそんな2代まえなんかの肖像いくら燃やしてもアクチュアリティのかけらもないわけで(「歴史上」は「ノーカン」でしかないので)いまの天皇を燃やすべき。ところが令和の陛下が犯した悪行といえば柏原芳恵ラブレター書いたのと嫁の生理があがってオトコみたいなツラになったくらいしかないのであってその責任を問おうにもポイントがみつからない(お人柄もいいらしいし。

 「2代まえのひとだから(歴史上の人物なので」と『表現の自由』だけを切り分けようとするほど政治的には効力を失ってしまうというジレンマがある。「いいかな?」とか言ってる場合ではないのである。かんたんにいうと今回の件が決定的にダメなのは(ちまたで言われてるような)「芸術政治化(本来ニュートラルであるべき美術世界稚拙プロパガンダ芸術をもちこんだ」からではなく逆「政治美術化した」から

 政治美術化とはいうまでもなくファシズムの最も簡潔な定義なので。政治美術館での鑑賞の対象にするとは現実世界矛盾一見みんなで共有してるようでその実は単に審美的判断をくだすだけ。くり返しいっとくが政治ギャラリーでの鑑賞の対象にして「考えさせられました…」とか言ってるのは現実改革あきらめたしるししかないのである政治展覧会ネタにしてはならないとはそういうこと。



表現不自由」よりも「差別排除時代」の方が問題



 たぶんガイジンさんには今回の「表現の自由」いったいなにを争ってるのか全く理解できてないと思う。ちなみに「表現の自由がー」必死に言ってる連中もこれが極めて日本的な『どこに由来してる』か自覚してない。

 (まさかと思うかもしれないが)この『表現の自由はいわゆる『朝日的な』もの(サヨクん)ではなくルーツ雑誌ぴあ』にある。町山が「はあ…昔の『ぴあ』はよかった…」言ってたのを軽くみてはならない。日本の68年以降の文化史ではそれまで『朝日ジャーナル』を小脇にかかえて歩くのが学生さんヤングのひとたち『かっこいい(政治意識がある』と言われてた。雑誌ぴあ』はまさに『朝日ジャーナル』の次にあたる。朝日ジャーナルにかわってこんどは『ぴあ』をかかえて歩くのがかっこいいヤングの条件(ちなみに朝日ジャーナルのまえは『平凡パンチ』とか)になった。『ぴあ』がかっこよかったのはいわゆる『情報誌』だったから。

 ロードショーから場末ポルノ歌舞伎展覧会にいたるまで情報を『差別』せずフラットに扱った最初の例が雑誌ぴあ』。フラットに扱うとは『価値判断をしない』。ただしこの『価値判断をしない』がくせものであって…「町山さいきんクソサヨクなっちゃってどうしたの…(脳に毒がまわったのかな」ふしぎに思ってるひとも多いが情報コンテクストにおける『価値判断しない』は結局は「愚弄する(冷笑する。もちあげない」なので津田やあずまくんにしてみれば「まさかこんな反発くらうとわ…」なのもまあわかる。あの「歴史上だから、まいっかと思って」もホントだったら慰安婦像つくったひとにむしろ「ふざけんな!」言われてるべき態度。

 慰安婦像つくったひとは(わたしにいわせればデタラメもいいとこだが)マジで日本人よ…はんせいしろ」思って(たぶん)あれつくってるので。津田やあずまくんがやってた「表現の自由」実はそこまでの政治性はない。

 雑誌ぴあ』が今週おこってるいろんなイベントおもしろおかし無差別にとりあげれたその点において表現自由だった(ロマンポルノのとなりにハイソ演劇が並んでてよかったね自由社会で)くらいのニュアンス。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。

 高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。

 みんな(とくに憲法がくしゃとか)大いに勘違いしてるけどこれ要するにそういうことなので(どうしてこんなかんたんなことがわからんのだという感じ。なぜそうなるかというとつまるとこ『インダスリー』のもんだい。たとえばこんかいあずまくんいきなり前言ひるがえしたりして「なんなのこのひとは…(このていどのこと最初からわかれよ」思うひともたぶんたくさんいるはずだが別に彼らに一貫したものなどありはしないので、こないだまで河村disってたはずのあずまくんいきなり「津田がわるい」になるの丸山ぎいん「みなさんNHK受信料はらうのは国民のぎむ」からの「NHKぶっこわす!」入りと全くおなじ。

 インダスリー問題とはすなわち文化産業問題であり雑誌ぴあ』の「表現の自由」が成立してたのはみんなが中産階級だと思ってたから。永六輔とか旧NHKこうした平等社会の構築に焦点あわせてたしこの環境産物。こうした文化産業の仕組み(従事してるひとたちも含めまだ巨大なインフラが半ば廃墟と化しながら残ってる)いまどきこれでやってけるはずない(もう残念ながら時代おくれ)と誰もが思ってるのは確かなので。

 若干専門的な話でしめとくと(もうネットにたくさんいる情報産業のひとにとっては常識だろうが)おどかすようですまないがこれからは「情報フラットに」ではなく「差別排除」の時代なので(あれこれいってもムダ。差別排除とはゲートキーパーが誰をはじくか決めてその(誰でもゲットできるはずの)情報へのアクセス権がそのひとの社会的な地位をしめすアレ(要は「ブロックだ!」「不可視にする!」みなさん楽しそうにやってるやつ。

 表現の自由なんかよりそっちのほうがよっぽどだいもんだいじゃないの?wという感じだが世の中よくできたものホント重要なことは展覧会テーマになんかなったりはしないのである(みんなのメシの種になってるから

2018-03-09

anond:20180309144514

ああ!永六輔の死にはする殺されはしないとかけてるのか

2016-07-12

最近TBSラジオ

2015年 9月26日『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界最終回

2015年 9月28日『六輔七転八倒九十分』放送開始

2015年10月 3日『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送放送開始

2015年12月 9日 野坂昭如逝去 * 『六輔七転八倒九十分』「野坂昭如さんから手紙

2016年 2月 4日 「たまむすび放送1000回

2016年 3月 4日 小林悠TBS依願退職 * 『小林悠 たまむすび

2016年 4月 6日 秋山ちえ子逝去 * 『秋山ちえ子の談話室

2016年 4月 8日『大沢悠里のゆうゆうワイド最終回

2016年 4月 9日『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』放送開始

2016年 4月11日伊集院光とらじおと』『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』『ジェーン・スー 生活は踊る』放送開始

2016年4月度 個人聴取率調査首位獲得

2016年4月爆笑問題高橋秀樹、高橋維新と論争 * 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ

2016年 6月 2日 荻上チキギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞 *『荻上チキ・Session-22パーソナリティ

2016年 6月 8日 田中康夫参院選出馬表明 *『ナイツのちゃきちゃき大放送準レギュラー

2016年 6月14日 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ放送1000回

2016年 6月27日『六輔七転八倒九十分』最終回

2016年 6月30日 ポッドキャスト配信終了、「TBSラジオクラウド」に移行

2016年 7月 4日『いち・にの太郎 赤坂月曜宵の口』放送開始

2016年 7月 6日 荻上チキ、"一夫二妻"生活報道

2016年 7月 7日 永六輔逝去

2016年 7月11日 林みなほ、橋本吉史と結婚報告 *『「ジェーン・スー 生活は踊る」』など担当P

2016年 7月12日 鳥越俊太郎東京都知事選出馬表明 *『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』準レギュラー

2016-05-01

黒柳徹子を題材にした、トットテレビかい番組

見たんだよ、昨日ね。

ドラマじゃねえな、あれは。バラエティだ。

テレビ草創期に生きた、存命の人物をネタにしたバラエティで、描こうとしてるものはまさに「テレビ世界」だ。

なんだよ、くっそおもしろかったわ。

満島ひかり、とかい女優? 徹子を演じるわけなんだけど。

なんだよ、あれ。

すげーわ。

真面目な顔してすごいコミカルなことできるんだよ、あいつ。

地の黒柳徹子としての感情表現、つまりドラマ必要な演技もこなすし、この企画要求するメタ面白さみたいなとこも、きっちりやりやがる。

しかも美しい。本当に美しい。横顔なんてマジで神々しいんだよ。

けどな。題材はオワコンと言われて久しいテレビだ。

その誕生のころを組み替えたネタしか、楽しませられないのか?

出演者、裏方これだけを集められるのはやはり、テレビというかNHKがまだ死んでないことの証左ではあるかもしれない。

森繁渥美清永六輔もみんな死んだ。徹子も長くない。テレビ持ってない人の方が多くなるのもそんなに先じゃないかも。

まだ初回だが、この番組の出来が良ければ良いほど、臨終のテレビへのはなむけ的な雰囲気になりそう。

ブコメの人へ

すみません永六輔死んでなかったわ。

小沢昭一勘違いしてた。

2014-04-25

ウンコツイート 倉本圭造の永六輔

今日ニュース見てて、いろいろ面倒な話は置いておいて日本皇室があって良かったなあ、
的なことを思った。理由もなくそんなこと思ったりするのは子供の頃の自分ならムキー
てなった感じの話なんだけど、とにかく素直にそう思ったんだから仕方ない(笑)
自己分析もやればできるけどしないでおこう。
倉本圭造
https://twitter.com/keizokuramoto/status/459326054490853376

 

倉本圭造の言論には

倉本圭造自身でさえ触れられない言論タブー

倉本圭造タブー」が存在する

この文はまさに「倉本圭造タブー」の結果として作られた

ウンコみたいなツイート

 

こんなタブーツイートなんて一人一殺右翼でも書ける

たとえばこんなふうに

 

今日ニュース見てて、いろいろ面倒な話は置いておいて日本倉本圭造殺せと主張する人たちがいて良かったなあ、的なことを思った。理由もなくそんなこと思ったりするのは子供の頃の自分ならムキー!てなった感じの話なんだけど、とにかく素直にそう思ったんだから仕方ない(笑)自己分析もやればできるけどしないでおこう。」

 

な、ウンコだろ?(笑)

防衛線張りまくるあたりも小物感を醸し出している

 

倉本圭造がツイートで書くのをためらった「良かったな」と思ったこととは

もちろん皇室ではない

現在皇室というものを作った日本国憲法戦後政治

それによって形成された戦後民主主義だ それを「皇室」と呼んで

からも批判されないよう倉本圭造は防衛線を引いたのだ

戦後民主主義に対して、子どもの頃の倉本圭造はムキーと反発していて

いまは倉本圭造は戦後民主主義にムキーと反発しないで

素直にあって良かった 日本国憲法あって良かった

戦後政治あって良かった 戦後民主主義あって良かった と

素直に思えているけれど それについては 

やればできるはずの自己分析を 倉本圭造は、したくない(嘲笑)

 

倉本圭造のメンタリティは 大日本愛国ナントカ的な昭和陸軍的なものから

団塊の世代かそれよりも前の世代メンタリティに変化している

一言で言うなら「倉本圭造の団塊の世代化」「倉本圭造の永六輔化」だ(爆笑)

 

倉本圭造は少数派若年世代を捨てて

世論多数派の段階の世代側についたのだろう

それについては長所短所も両方あるが

とにかく素直にそう思ったんだから仕方ない(笑)

 

最後一言

永六輔化さんはいい人ですよ たぶんね

だけど彼の言論によって 狭い意味での政治は変らなかった

これだけは言える

 

2013-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20130115094555

大丈夫

あなたもあと40年か50年したら、あなたが怖がった人たちと同じ分類に加われるから

「健常者というのはいない。

 いるのは『心身障がい者と、これから心身障がい者となる人』だけ」

永六輔さんの言葉です。

2012-12-20

anond:20121218161856

けども自民って育児教育少子化対策に金突っ込む気が全く無いくせに

後期高齢者には金撒くよ、つってんのに若い人にすごい支持されてるのな?

俺もそこが一番気に入らないけど、どうやら若者投票率が際立って低いのは本当らしいし……

http://d.hatena.ne.jp/kamosawa/20121214

若者優遇年金減額に等しい支持離れを起こすだろうし、マスゴミ年寄りの味方だろ。

むかし永六輔が「年寄りが下向いて生活するのがいい国だと思いますか」とかなんとか言ったと記憶しているが、

望んだとおりになった。年寄りが上向いて、代わりに若者が下向いて生活してるわ。

世代間格差については橋本が何か言ってたわ。その点を高評価して比例に入れてやった。

2012-05-16

去年の震災直後、ラジオ永六輔が「いろんな考えがあって良いのです」と言っていたのが、ここ数日のネットの流れを見ていて、ネットでこーいう事を言う人いないなぁ、と思った。

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