はてなキーワード: 昆虫とは
弱男度:★★★★★
悲惨度:★★★★★
弱男文学界のラスボス。貧乏でブサイクで字も読めない性格も悪い主人公阿Q(仮)が、何の救いもなく転落していく話。
「精神的勝利法」という思考法も阿Q(仮)を弱男たらしめている重要要素。底辺なのにプライドは人一倍高い。
金持ちの女中に言い寄ろうとして逃げられ村八分になり、盗みを働くようになる。
革命に便乗して騒いでいたら、最後は頭が悪いせいで冤罪で処刑される。
何が悲惨かというと、死んで悲しまれないどころか死自体が冤罪で無意味なところ。
弱男度:★★★★☆
悲惨度:★★★★★
阿Q正伝が東洋の弱男文学代表だとしたら、ノートルダムのせむし男は欧州代表。
主人公カジモドは見た目がキモいという理由で親から捨てられて幽閉されて育てられる。
自分に優しくしてくれた美少女に恋するけど、美少女はカジモドに怯え、チャラ男騎士(既婚者・クズ)に恋をする。
美少女は自分に振り向くことなく処刑されて、カジモドも追いかけるように死ぬ。
カジモドは阿Qほど性格が悪いわけではないので、弱男度は少し下がる。
弱男度:★★★★☆
悲惨度:★★☆☆☆
「豚」というあだ名の自称「もぐら」は、名前通り豚のように太っていてモグラのように穴蔵にこもって生活している。
穴蔵は地下の採石場跡でシェルター。そのうち起こる核戦争に備えて「方舟要員」にふさわしい人間を探している。
そしてインチキ昆虫を売る元自衛官、サラ金取り立て屋、結婚詐欺女を選出する。
そんなこんなしているうちにジジババ清掃隊やらDQNグループがシェルターに入り込んでくる。
この主人公もぐらは見た目がキモいだけでなく、結婚詐欺女の放尿音を聞き耳を立ててたり色々キモい。
ただ阿Qやカジモドと比べて、まだ人間扱いされているのと、他の登場人物ももぐらと変わらず全員クズで悲惨度は低め。
詐欺女には鴨にされているフシが有るけど。
弱男度:★★★☆☆
悲惨度:★★☆☆☆
よだかは兄弟は美形なのに自身はブサイクなせいで嫌われていて、終いには「鷹」と名乗るなとまで言われてしまい、故郷を出奔する。
その内自分以外の生命を食べて生きている事自体に嫌悪感を抱くようになる。
いっそ焼け死んでもいいと太陽に近づくけど「星のところにいけ」とあしらわれ、
星のところに行っても相手にされない。どこにも居場所がなく飛び続けて最後は青く燃える星となる。
一見するとかなり悲惨だが、阿Qや豚と違いむしろ人柄は高潔で最後は星になっているので弱男度・悲惨度はやや下がる。
弱男も高潔な魂を持てば星になれるよ…。いや、現世で何とかしてくれよ。
「弱者男性であることと性格の悪さは関係ない」というコメントが有るけれど、
性格は人間が社会生活をする上で重要なパラメータなので無関係ではない。容姿や年収や健康と同じぐらい重要。
ブコメに上がっている「寅さん」は、ダメ人間だけど憎めないところがあって、
おそらく困窮してもさくらやタコ社長が助けるだろう。そういう意味で弱男度はかなり低くなる。
のび太もだめな子だけど、しずかパパが「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人」と称賛するぐらいの人柄で弱断度は低め。
それ自体はいいんだ。いい大人で触るのは苦手だけど造形見るのは好きだから。
たださ、昆虫好きの人達ってさ「美しくかっこいい素晴らしい種類です」って昆虫を褒めそやした直後にピンでブスブスにさされて固定して標本を作成してる写真をアップするんだよね。
俺は怖くなったよね。「こいつらサイコパスだ。自分が美しいと感じるものを殺さずに居れない殺虫嗜好者だ」ってね。
後、自然保全と昆虫採集との競り合いで、ウヨサヨバトルにも負けずとも劣らない醜い論争バトルをやってるのもげんなりした。どこ行っても日本人はSNSを人を殴る為の道具にしか使わないんだなって。
①夏の日差しをさえぎったり、排気ガスや騒音をやわらげ、道路沿いの環境を守ります。
街路樹は都市特有の現象として問題となっている「ヒートアイランド現象」の緩和に貢献しています。
②ドライバーの視線をみちびいたり、まちの目印になって、安全でスムーズな交通を守ります。
③まちを美しく彩るだけでなく、美しい花やあざやかな黄葉が季節の移り変わりを知らせてくれます。
④いきいきとした緑は野鳥や昆虫を呼び、都市の自然が心に落ち着きとやすらぎを与えてくれます。
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jigyo/park/ryokuka/hyoushi/hyoushi3/index.html
ボディビル・フィットネス業界における意味:ステロイドなどでドーピングしていない人のこと
風俗業界における意味:避妊せずに性行為すること(いわゆるノースキン)
ボディビル・フィットネス業界における意味:ステロイドなどでドーピングしている人のこと
風俗業界における意味:本番禁止店(ヘルスなど)で、本番させてくれる風俗嬢のこと。本番あり=蟻。「基盤」も同じ意味。
IT業界における意味:サーバーなどのインフラ部分やフレームワークの総称
風俗業界における意味:本番禁止店で本番させてくれる風俗嬢のこと。「蟻」と同義。本番→木盤→基盤。
風俗業界における意味:本番禁止店で、別料金で本番させてくれる風俗嬢のこと。基盤+円=円盤。
一般的な意味:色の一つ、または住宅地に隣接している森林のこと
昨日、妻から聞いた話。
学校から帰ってきた小学校4年生の娘、妻が玄関ドアを開けると、ドアの前で半べそをかいている。
何があったのかと尋ねてみると、
「私、人と違うみたい...植物と話ができるの...」
予想の斜め上をいく返答に戸惑い、それでもいきなり否定するのもどうかと思って、とりあえず話を聞く妻。
「その植物にとまっている虫とも話ができた」
等と話を始める娘。
「...そう。ママは、植物がどんな気持ちでいるのか聞いてみたいものだわ。」
反応してもらったので調子に乗ったのか、
その話は誰かにしたの?と妻が聞くと、
「うん。そしたらね、私の他に3人も、『◯◯ちゃんと植物の会話が聞こえた!』って子がいたの」
妻は戸惑いつつ
「あまり人には言わない方がいいのでは」
とコメントした、とのこと。
昨日、Huluで『SPEC』を見たからでしょうか、でも、もう4年生ですよ、と虚ろな目で呟く妻。
子供の頃から常に現実を意識しているタイプの妻に比べ、私は想像や妄想の中で遊ぶことの多い子供だった。
だから、娘がそのような想像をして遊ぶ事には、特に驚きはしない。
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仕事帰り、駅から家に歩いて向かう途中で、近所の歯科医院から出てきた妻と娘と偶然一緒になった。
3人で並んで家まで歩く。
妻が道端に咲いている花を指して
「きれいだね」
と言ったところ、娘、その場では
「そうだね( ^ω^ )」
と言う。
まだそのキャラで行くつもりか、と思い、自宅マンションのすぐ手前までやってきたところで近くの木を指して、
「この木は随分と昔からここにあると思うんだけど、このマンションが昔はどんな感じだったか、知っているんだろうか...」
と言ってみたところ、娘は少し立ち止まって神妙な顔をしてから、
「...あのね、昔はタイルじゃなくて、もっと赤い色のレンガだったんだって」
と教えてくれた。
「へぇ」
と返事したけど、お前、その木に騙されてるよ。
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寝室でゴロゴロしている私のところにやって来て、
「あのね、これはまだママには言ってないんだけどさ、」
と話し始める。
「超能力で、植物と、それから植物にとまっている虫と話ができる、って言ったでしょ?」
そこまで聞いた私は、その少し前に娘が妻から別件で
「間違いを犯したことは良くないけど、それを隠そうと誤魔化したり嘘をつくのはもっと良くないことですよ」
と諭されていたことを思い出し、そうか、ついに「実はあれは作り話なの」と告白する気になったか、と期待しながら続きを聞く。
「あのね、動物の声も聞こえるようになっちゃったみたい...」
不意打ち。
今度は動物か。
「通学路の十字路のところに、犬を連れたおじさんが座ってるのね。その犬がね、『私の名前は○○だよ』って教えてくれた。そのおじさんがつけた名前とは違うのかもしれないけどね。」
それを言いにきたのか。
「ママが買い物から帰ってきてカステラ出してくれたら、ママにも言うつもりだから、先に言っちゃわないでね。」
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と聞いてみる。
妻が、
という表情をしている。
しまった、と思っている私に、娘は「何をおかしな事を言ってるのこの人は」とでも言いたげな表情で、
と教えてくれた。
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3週間ほど前に受けた『全国統一小学生テスト』の結果が返送されてきた。
中学校は受験はせずに地元公立に進学の予定だが、無料だということで一年前に試しに受けさせてみて、それ以来受け続けている。
一回目を受ける時に3DSを欲しがっていた娘は、
「上位○○までに入ったら買ってもらう」
テストの案内がくる度に「今度こそ3DSを!」というつもりでいるらしい。
そのくせ、そのために勉強する様子もないので、親の側も娘本人も、正直なところあまり真剣味はない。
今回も妻が「上位15%に入ったらね」という、どう考えても無理な条件を出したのだが、
「よし、15%ね!がんばるぞ!いける!」
と根拠のない自信をアピールしながら、前日はYouTubeでラーメンズを見ていたので、テストの採点はルーレットで決めているとでも思っているのかもしれない。
結果は、まぁこんなもんだろう、というものだったが、理科は平均点に届いていない。
本人、当日帰宅してからは「理科はバッチリできた!」と言っていたはずなのだが。
詳細な採点結果や解説を見ると、特にできていないのが「植物」と「昆虫」の項目だった。
超能力がちっとも活かされていない。
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SNSの仕様で、親切に「◯年前の今日の日記です」と教えてくれる。
子育ての過程で悩むことも多かったのだが、日記には主に楽しかった事を書いていたようで、過去のこれらの日記に励まされた事もあったように思う。
『◯◯ちゃんと植物の会話が聞こえた!』と言ってくれた同級生とは、今でもLINEのやり取りがあるらしい。
理科の点数はずっと低調だった娘だが、今は理系の学校に通っている。
超能力は、もう無いとのこと。
こういう、女性はその性別があるから抑圧されて当然だ、自由があると思うな、と主張を述べて同意する人がいる恐ろしさを社会が孕んでること自体が苦痛。
権利とか言ってる時点で女を下に見てちんちんついてるだけでど昆虫並みの脳味噌でも偉いという発想とその追従の同意意見、男様が幸せになる為には女性蹂躙も致し方なしですか。両性が普通に余暇を余暇として楽しめる社会の方が生産性も高いけど頭悪いからそこには至らない?
性別が財になるという発想自体がミソジニーの顕著たるもので、その財を持って本物の財のように得になることなんか一つもないんですわ、安い仕事では更に安く差別されるとか受験に受かっても操作されるとか。
それこそ、ソロキャンもろくにできないくらいの不自由な世界を甘んじて生きろとかミソジニーでもないとできない発想で、そんなお前が呼吸してこんなこと書いてるのが苦痛。
「女性ソロキャンパーへ話しかけに行く男性について日本単独野営協会が思うこと(https://tandokuyaei.com/2257/)」というお知らせに、このような文がある。
ずいぶんと主語が大きくいかにも分断を生みそうな書き方であるし、この団体の評判についても何か言われているが、それとは別に「これはヘイトスピーチなのかどうか」が気になった。
「法務省:ヘイトスピーチ、許さない。(https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html)」という記事にはこのようにある。
例えば、(中略) (3)特定の国や地域の出身である人を、著しく見下すような内容のもの(特定の国の出身者を、差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)などは、それを見聞きした方々に、悲しみや恐怖、絶望感などを抱かせるものであり、決してあってはならないものです。
「ヘイトスピーチを理解する:ヘイトスピーチとは何か | 国連広報センター(https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/48162/)」という記事にはこのようにある。
「ある個人や集団について、その人が何者であるか、すなわち宗教、民族、国籍、人種、肌の色、血統、ジェンダー、または他のアイデンティティー要素を基に、それらを攻撃する、または軽蔑的もしくは差別的な言葉を使用する、発話、文章、または行動上のあらゆる種類のコミュニケーション」
これらの説明には「誰に対して」は書かれているが、「誰が」は書かれていない。それで次のようなことを疑問に思ったのだが、実際どうなのだろうか。
地球上のあらゆる生命の中で自殺を行うのは人間だけだと言われている。しかし本当にその言説は正しいのだろうか?研究が進んでいる人間の細胞だけでも、遺伝子に異常が生じた細胞は自死を選ぶ作用、アポトーシスはよく知られている。
ダーウィンは進化の仕組みに関して、適者生存の原則を唱えた。多様な個体が産まれ、また自然淘汰によって収斂が起こるというものだ。これはラマルク的進化とは反対に、種々の様々な遺伝子変異を前提としたことが特徴である。ラマルク的進化では、特定の環境に置かれた生物の遺伝子変異は特定の領域にしか意味がないのに対し、ダーウィン的進化ではそれぞれの変異が未来につながるという意味での意味を持っていると捉えることもできる。これらの実績は菌類の実験成果によっても示されている。
さて、ここで人類について話を戻す。人類はその類まれなる創造性から、地球上の万物の霊長たる資格を手にした。その支配領域は他の種を凌ぎ、今や総個体数は80億に達しようとしている。これは昆虫に匹敵する数である。少なくとも先進国において、人間はあらゆる人権を保障され、種々の遺伝子変異は──たとえそれが障害をもたらすものであったとしても──保護されるのがrightとなっている。それは人権によるもので、人権というのは生まれながらにして与えられるらしい。与える主体というのは議論の余地があるが、この世の人類ではない神とするならば、中世の王権神授説と何ら本質的な変わりはない。
であるからして、わたしは人権保障という考え方は実態がなく、一種革命のようなもので覆されかねない概念だと考える。
市民による革命が起こったように、どれほど優れた思想であっても人の内心を侵すことはできない。現代社会、特に日本においては自殺はいけないこととされているが、自殺者が多数いることからもこれを抑制できていないことがわかる。
私たちの細胞は、どのような時にアポトーシスを行うのだろうか?
たとえば、遺伝子の修復ができず、正常にDNAを残せなくなった時
たとえば、ウイルスに感染して、自身を複製するのではなく異常なもの(ここではウイルス)を産生するようになった時
これらが示すのは、すべて正常な子孫が残せなくなった時に自己死を選ぶ、ということである。
人類がここまで発展した以上、このシステムの有効性は疑うべきところがないはずである(ほんと?)。人類をマクロで見た時、アポトーシスを選択すべき人間はここまでの考え方から確実に一定数いて、それは現代の人権思想などでは到底語り得ないはずである。
私はこれまでの人生において、自分が死ぬべきだと思っており、また因果関係は証明できないが異性に求められたこともない。以上よりアポトーシスに値すると考え、これから死に至るものである。
自分自身の身体の行先は自分の脳が判断するものであり、その脳になんらかの異常が起きていたとしても、他の人間にはそれを尊重する義務があると考える。
な
結婚もしたいし子供も産みたいな〜(無痛で)って思ってるんだけど、よく考えたら自分は哺乳類を飼ったことすらないことに昨日お風呂で気がついた。カブトムシ(弟が手に入れたものに2回昆虫ゼリーを与えた)とメダカ(小学三年生・理科)(無難に餌をやり、クラス平均ぐらいの寿命で亡くなった)とカイコ(小学四年生・理科)(極小サイズの時に風で飛んで行ったのか永遠に目視できず、ひたすら土の上に漂う虚無に自分のカイコを見出そうとしていた)しか育てたことがない自分が子供を育てられるのか不安で仕方がない。今まで自分が当たり前だと思っていた将来のキャリア像がグラグラと揺れる感覚、今日一日中ぼんやり考えてしまっていた。ただでさえTwitterでは日本の子育て政策はアカン‼️って投稿ばかり流れてくるというのに。
とりあえず鳥類を飼おうと思う。脊椎動物の初手が魚類(メダカ)、次が人間というのは無理がある。友だちが櫻井翔のオタクをしているので、アヒルを想定している。