はてなキーワード: 山月記とは
日本の大学院でうまくやれなくて、逃げるようにして海外の大学院に行った。行き先はPIになってから数年の若手だがメジャーな論文にいくつも論文をだしている教授のいる、一流ではない州立大学だった。最初は居候をさせてもらう形で、その後PhDコースの試験を受けて入学をするような段取りだった。
この後のことはあまり書きたくない。彼は非常にフェアであり、かつ、環境も悪くなかったと思うが、結局、私自身の怠惰のせいで、その段取り通りには行かなかった。海外にまで行って再度思い知らされたのは、学部でのパフォーマンスの良し悪しと、その後の研究室での良し悪しに関して、求められるものが全く違う、ということだった。そこの落差を乗り越えるためのサポートや、それを乗り越えるための努力の仕方などは国が違えば様々なのだが、落差を本人の努力によって乗り越えなければいけないということには違いはないのだった。
研究とは本質的には関係のないところで海外に行って私を悩ませたことの一つとして、世間知のようなものの体系が大きく違うことがある。読んできた本、見たテレビ、口ずさんだ歌、学校のあるある話などが全く違う。私は、新見南吉や森のくまさんで育ち、ドリフやとんねるずに笑い、山月記やドグラマグラを読みながら世界に対して斜に構えてみたりもしてきた人間なのだが、そのような経験の引き出しは海外の人間と共感し合うのに当然ながら何の役にも立たない。会話のネタというのは共通の経験や知識に基づくものだから、それが薄い相手とは、面白い話をすることが難しい。私は、知的でユーモアのある人間でありたい、と欲しているのだが、そのような会話ができない、というのは地味に辛かった。
話は脱線するが、クイズや謎々というのは知的な遊戯だが、一方であれは、高度にドメスティックなものである。クイズ番組などでは、日本で一般的な良い高校良い大学を出ている「知的な」人間が7割程度解けるように調整された問題が出題されるのであり、「知的な」人間は芸能人やクイズ王と競い合いながら、自らの知性を感じるのが彼らにとっての楽しさとなっている。海外に行くと当たり前だが、クイズ番組で出題される問題がまったくといっていいほど分からない。日本語の壁を下に見て海外に出たのは私自身だが、日本語の中でこそ私が自分の知性と見做していたものに相対的な価値があったことに気づかされ自尊心を傷つけられたのだった。
あまり男性が女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的に早熟な少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャーの知的で論理的に自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。
さておき、これは近親相姦のお話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉を弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。
頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かない。モテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞき込まれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉で現実に適応しようとした姿なのかもしれないのだ。
それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的な活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉で言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。
あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワン・カラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまうタイプのキャラクターが好きだ。
死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌が醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿を馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人がヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通やフェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。
それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気の山脈にて」も愛好している。
架空の神話がショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品は基本的に短く、しょうもないオチの作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空の世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精の魔法も見せてくれる。
「あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画「メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムがテーマの作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。
表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙のお話なのだけれども、そのロボットは自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間のサイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。
学生時代、自分は女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎の作品も同様の理由で好きだ。
自分を馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。
「ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカの植民地で暮らす女性の視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。
個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカを前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地の支配者側からの視点は批判的に読まなければならないが、色眼鏡の比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。
植民地時代のアフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くからの貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人が満州や朝鮮半島、台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ。
はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。
確かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大な小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代の小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。
「李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰の文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。
これは「三造もの」と呼ばれる中島敦の私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明の無意味さに対する形而上学的な恐れや不安が意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後の説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年・文学少女たちは、その言葉を無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。
膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフの作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分の初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。
しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的に搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバートの夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータの内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。
ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手な男性の心理の解剖である。
「ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供の挫折を描いた小説であり、この社会が弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近な話題から告発した話なのだ。自分がした屁の責任をかぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢そのものじゃなかろうか。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html
遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールドの未来を舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学や陰謀論と社会の関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。
仁木稔の作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学や物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台もラテンアメリカで日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品は中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズの最新刊が出ないか、今か今かと待っている。
明治十一年の日本の都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信を批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治の日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。
著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異のイメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識を内包した、強固な偏見に根差したものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。
とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なものを嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦の描写に優れる。
妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。
姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分の人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。
韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。
たとえば北条時行なんかまあWikipedia観漁るのが趣味な人と歴史が好きな人あたりが好きって程度で、一般常識からほぼ外れている。更に言えば、名前を知ってても北条時行がどういうことした人なのかをそらんじれる人は更に少ないはず。高校日本史でやってたとしてもまあ忘れてる人がほとんどでしょう。ただまあ、「足利高氏」って名前を見た時に「あ、足利尊氏と音が一緒だな」というところから推測して検索かけて「やっぱ鎌倉幕府滅亡するタイミングの話しをやるんだな」って推測を立てることができるくらいは多分一般教養の範囲。
文学作品、特に羅生門みたいなのに関しちゃ、単に読んだことがあるだけでしょう。羅生門とか山月記とかってレベルなら、これは高校(もしかしたら中学)の国語で読むだけだからまあ一般教養の範囲とは言えそう。これがたとえば夏目漱石「こころ」あたりになると教養から外れてくるのかなという気はする。「こころ」を高校現代文で学ぶとき、履修範囲は「先生」の学生時代の話がメインになる(Kに「向上心がないものは馬鹿だ」と言うシーンね)。でも、じゃあ「こころ」が実は三部構成で、その三部構成がどのように組み立てられて……という話しになると多分あんまり答えられる人はいないと思う。なぜなら授業で習ってないから。
何が言いたいかっていうと、「はてなの人がみんな知っている知識」と元増田が思っているものはおそらく「人生のどこかで聞いたことはあるけど、蓋を開けてみればほとんどの人がそんなに詳しくない」ってタイプの知識になるのは間違いない。これがみんな知ってて当たり前みたいな感じになるのはただの観測バイアスだから知らなくていい。
それでもなお知識がほしいというなら、マジな話としちゃ、歴史なら「もう一度読む日本史」「もう一度読む世界史」、国語ならhttps://www.shinchosha.co.jp/edu/download/high-school_2018.pdf に掲載されてる作品をざっと読むのがいい。別に覚えなくていいから。大学受験じゃねえんだからとりあえず「見たことがある」=「詳細は覚えてなくていいけど話は思い出せる」くらいの感じにしておくのが良い。読むのもめんどいってんなら諦めろ。
二次創作めちゃくちゃ憎んでる人いるけどそこまで憎む理由親が死んだくらいしか思いあたらんなあ。
自分が好きな作品やキャラのイメージが悪くなったっていうのも、二次創作じゃなくてただの感想や批評でもそういうことは起こるしなあ。他人の作品をダシにして金稼ぐのが憎いっていうのも、そんな人ほんの一握りどころか一つまみだしそういう人は一次も書いてたりするしなあ。納得いかんなあ。
何にころされたんだろうなあ。
一昔前の格ゲーのキャラとか?これは名前やモーション差し替えられたやついたけどね。
それともディズニーの「シンデレラ」とか「アナと雪の女王」とか?
そもそもグリム童話なんかも元の昔話から書き換えが入ってたりするからなあ、グリム童話に親ころされた人もいるのかな。
「新約聖書」とか「コーラン」とかもいそうだなあ。かなり長いこと西洋画家は聖書とかギリシャ神話の絵描いてたからそれに親ころされた人もいそう。
己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、
又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった
なのかなってふと思った。
子どもといるのが辛い。子どもは確かにかわいいけれど、10分も遊びに付き合わされると頭が痛くなってくる。付き合わされている、というところがポイントだと思う。少しでいいから、自分のペースで暮らしたい。好きな時に好きなご飯を食べて、自分のタイミングでお風呂に入って、眠たくなったら床につきたい。いつもテレビの音や足音がするリビングが苦手だ。一人部屋に籠っていたいが、「子育てから逃亡してはいけない」という強迫観念からそれもできない。もともと出不精で、出かけてもさほど楽しくない。家にも外にも気の休まる場所がない。もはや八方塞がって打つ手なし。疲れた。
子ども関連のタスクは常に最上位にぶっ込まれてくる。しかも予期できないことが大半だ。音楽が聴きたい、ラジオが聴きたい、本を読みたい、楽器を弾きたい、そう思った時に実行できない体験が何百と積み重なってくると、欲求そのものが起こらなくなってくる。あんなに好きだった本は読まなくなった。長い映画は観ていられなくなった。複雑な音楽は好まなくなった。味の濃いものを食べたり、2-3分のエッチなサンプル動画で満足したり、次第に反射的な低位の欲求だけを満たすようになっていく。どんどん私は薄くなっていく。私という人間は、決定的に組み変わってしまった気がする。そのことが、時折ものすさまじい嫌悪感をもたらす。まるで山月記の虎が、人間を取り戻す数分のように…。
私は、いったい、これからどうすればいいのでしょう。
家にいないといけないので、何かやることはないかということで、
Youtuberで稼ごうとは思っていないけど、動画はよく見ていたのでWindowsのデフォルトビデオエディタでいいので動画作成でもしてみようかしらと思って
Softalkでもいいのだけど、よくボイスロイドやCevioの色々な動画見ていたので、せっかくだし買ってみようと思って買うことにした。
某ブクマカのアイコンでおなじみ結月ゆかりから吉田くんや今月でた、ガイノイドトーク『flower』までいろいろ調べて悩んだけれど、
ちょうどCevioがVectorで2割引セールをしていたのでお試しで安かったので、トークスターターだけを買ってそれを選択。お値段は5,280円
(なお歌を歌わせる機能も欲しいならさとうささらちゃんのセットをソースネクストで買うのが実は安い、体験版でかえるのうたを2小節作るだけで面白かった。いいなこれ)
動画ででるような挨拶だけさせても、なかなかかわいらしくて面白いけれど、
メニューの中にあったのが「青空文庫ファイル」を読み込む機能、これはボイスロイドでも似たようなことができるらしいが、ルビも読んでくれるかもしれない。
さっそく適当な作品を読んでデフォルト設定で読ませてみたけど、
何かいい、いろいろ忘れて浸れる感じ。
調子にのってうっかり吉川三国志1巻全部読み込ませたらコンピューターのスペックが追い付かないので無理だった。
でもちゃんと細かくファイルを区切ってあげたら、ラジオ深夜便風にいろいろな作家の作品が読めるし、
はてな民が好きな「隴西の李徴は~」で始まる山月記やら走れメロスやら色々な声を読ませると楽しそう。
そういうことなので、夜をリラックスして過ごしたい人にも音声合成ソフトはおすすめだということでした。
そんなこんなで引きこもり生活をゆっくりしていってね!!