はてなキーワード: 少年愛とは
マイノリティ中のマイノリティの性的嗜好を持っている私は、現実では決して成就することのできない(成就すれば私は牢屋にはいることになる)その欲望を、同人誌の中で表現して昇華している。
現実では決して解消できない切ない性欲をもつ、異榻同夢を見る文字どおりの「同人」に向けて表現を届けているわけだ。
戦前から、少年愛者や嗜虐・被虐嗜好者、窃視症、露出症など、メジャーなマイノリティ(?)の嗜好者たちは、同じく同人活動で薄暗いマグマのような欲望を地下で共有し、慰みにしていた。
インターネットでは、10万人にひとりだけにしか胎生しないようなストレンジな欲望でも、同好者を見つけることかできる。
作品の感想をもらえれば無上に嬉しいし、フィクションの中でしか味わえない心臓が溶けるような興奮を同人たちと共有する喜びは、ほかに代え難いものだ。
例の同人作家に警察が「申し入れ」た件には、率直に危機感を覚えたし、苛立ちもしたのだが、考えを巡らせているうちに、私自身の同人活動についても深く省みることになった。
私にとっての現時点での考えを書こうと思う。
さて、私はツイッターを使っているが、私のタイムラインでは、「現実と虚構の区別がついていない人間」をよく見かけるし、これは犯罪だろうと思えるようなツイートも、見かける。それもかなりの頻度で。
おそらく、ロリコンのインナーサークルでは、児童ポルノが想像以上にカジュアルに流通しているだろうし、露出症者たちの間では「いい季節になってきたから全裸散歩してきた!」みたいな投稿が日常的にされているだろう。窃視症者たちのタイムラインには盗撮の動画がひっきりなしに流れているだろう。
私は、簡単に犯罪の壁を越えてしまう人間がたくさんいることを知っている。知っているが見て見ぬふりをしていた。
幸い、「増田さんの同人誌で頭真っ白になるくらい興奮して、ちょっと〇〇してきちゃいました」なんて馬鹿者はいままで一人もいなかったが、完全に読者を信頼できるかと言われると、それは難しい。
模倣犯を生んだとしてもその表現をするのかと問われても、そこまでの覚悟や信念が自分にあるのか、悩んだ。
悩んだ結果、注意書きを厳しく書くというのは、作者が誠実にとりうる責任のひとつではないかと、私は結論した。
と、これからははっきりと書こうと。
飲酒運転が描かれる作品の巻末に、薬物が描かれる作品の巻末に、一言注意書きを添えるのは、ただ単に作者を免責するだけでなく、小さくても啓発的な効果を持ちうるのではないか。
合理的な範囲で作者は社会に責任を果たさなければならないと思った。
乱交を描くときには、性感染症の知識を、痴漢を描くときには、性犯罪がどれほど被害者の尊厳を傷つけるかを、書くべきだろうと、私は思った。
創作表現が与える影響の責を法的には作者が免れることはもちろん大原則ではあるが、
そのことに胡座をかいてしまうのも、あまりに無責任だと私は考えた。
(トラックバックへ。私の嗜好は加虐的なものではない。むしろ分類するとすれば被虐的な嗜好だ。私の読者が事件を起こすとすれば、比較的には軽い性犯罪ということになると思うが、それでも、だからこそ、事件を起こす危険性はあると考えている)
http://anond.hatelabo.jp/20161028115443
○基本姿勢
聖書に従う。
法律で禁止されていないし自由に吸えばよい。現状の分煙ルール(として大多数が従っているもの)に従えば自由。
ただ、キリスト者であれば、信仰の過程で自然と不要になる(といいなぁ)。
法律に従う。ただ、非処罰化説も有力にあることに配慮する。研究者による検証の結果、受け容れてもよいとなれば別に解禁してもOK。
ただこれもタバコと同様(略
生まれつきLGBTである人、中年になってからLGBTになった人、すべて自由に恋愛してよい(聖書についても同様の解釈を採る)。
同性同士の結婚も認められるべき。現在の制度は一種の違憲状態と見る。
ただし奔放な性生活は諫められるべき(ただこれは異性愛者でも同様)(キリスト者のみ)。
生まれながらにして少年少女を愛する者たちがいる。しかし少年少女を愛するということは罪なのだ。判断力がない子供たちを騙し自分の欲を満たそうとする極悪非道のやつら、それが少年少女愛者なのだ。
私は中学生の少年愛者である。社会は私のことを人間のクズだとか社会の敵だというがそれに対し何ら反抗する気はないしそんなこと言われなくてもわかっている。
私は社会に自己批判を強いられ少年愛という反社会的思考から転向するか我が人生から愛をなくすかの二択を迫られた。だがそのような選択はできるのだろうか。
古代ギリシアにプラトンという哲学者がいた。かつてプラトンはイデア論とそこからプラトニックラブというものを提唱した。プラトニックラブは現代でもたびたび使われる言葉であるが意味は違っている。これは純潔だとかそういう下らないことを言っているものではなく美のイデアの崇拝を説いているのだ。つまり肉体的精神的を問わず少年一人一人に固執する一般的な愛ではなく少年個人は美のイデアの陰にすぎないとしイデアそのものに恋をせよと説いているのである。これは現代の少年少女愛者の悩みを解決するものではなかろうか。これが現実に可能であれば、少年少女愛者の苦しみと少年少女への危害はなくなるだろう。
同性愛は罪であり、病的であり、障害である、と考えている人は今現在少数である。しかし同性愛は長い屈辱の歴史を歩んできた。いわれなき迫害。苦悩。絶望。彼ら同性愛者は今まで社会の鉄鎖に縛られてきたのである。だがそれも過去の話となった。彼らは鉄鎖を打ち砕き自らを解放した。それは至極当然のことである。彼らは異性愛者と何ら変わりのない一人の人間なのだ。彼らには何も罪はないのだ。彼らが社会で堂々と生きていける、
僕はこの事を一人の人間として祝福したい。
では、少年愛者はどうか?彼らもまた絶望の歴史を歩んできたのである。そしてそれは今現在も同様にである。しかし、僕はこのことに対して異議を申し立てる気は毛頭ない。なぜならそれが真実だからである。一人の少年愛者として断言する。少年愛とは罪なのだ。
同性愛と少年愛の違いとは何か。この現状の差は何なのか。それは被害者の存在である。同性愛の場合、ゲイ同士で恋をし、愛し合うというのは真っ当なことである。そこに被害者という存在はない。だが少年愛は違う。少年は幼きゆえに正常な判断をすることができない。それにつけ込み利用する極悪非道の犯罪者が少年愛者である、というのが社会一般の考えである。この実情を知った時、僕は絶望に満ち溢れた。社会は僕を生まれながらにして拒絶していたのだ。
僕だって一人の人間だ。恋もすれば愛し合いたいという欲求もある。普通の人のように生きたい。恋い焦がれるものと共に人生を歩みたい。だがそれは叶わぬ夢である。もし愛というものが相手を幸せにしたいというものだとしたら僕は少年を愛してはならないのだ。愛するが故に愛してはならないのだ。少年から見ても社会から見ても僕は罪人なのだ。
【緊急告知】明日!渋谷区「同性パートナーシップ条例」絶対反対緊急行動
http://www.youtube.com/watch?v=er_KhnJcdb4
ten kou58 minutes ago
桜の活動は本当に頭が下がる。一見するとマイノリティーに対する差別という敵の核並みの兵器があっても、恐れず、言葉をつくし、真摯に立ち向かう。誰もが面倒に巻き込まれたくない。特にこういった問題は。自由、差別、権利、弱者とついてくるから、被害者になれば勝ちだし。
Goodson16 minutes ago
同感。社長はえらい。「シャベツダ!」とか南アフリカ大使みたいに言いがかりをつけてくるカスが必ず出てくるけど日本保守のために言うべきことを言う。偉い。
shinbee26 minutes ago
チャンネル桜さんはキリスト教的な伝統的家族制度を維持したいのかしら。
日本の男色なんて古代ギリシャやローマの少年愛と肩を並べるくらい有名、女装文化も独特なものをもっている。
Goodson7 minutes ago
同性結婚を公認したことは一度も無い。日本の歴史の中で同性愛は有ったが常に秘め事であった。歴史をちゃんと勉強しよう。
それにこれは家族のあり方、突き詰めると皇室のあり方に行き着く。たんに「キモチよければいい」って問題じゃないんだよ。
まりえもん1 hour ago
Goodson51 minutes ago
甘すぎる。葉隠をよめ。保守とは伝統への忠誠である。辛くてしんどいこと。ラクで楽しいことだと誤解してる浮ついた奴がどれだけ多いか。ほんと甘すぎる。好きなやつと法的に結婚できない位で(一緒には入れるのに!) 、自分が不幸の中心にいると思い込むような甘ったれは特攻隊員を見習え!! 結婚もせず若くしてお国のために戦い死んで行ったんだぞ!! ほんと甘ったれが多くて反吐が出る。
私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから、自分で必死にその欲望を抑えています。しかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイの男性と関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談のメールを受け取ったそうだ。
伏見憲明氏は、ゲイの解放運動に携わってきたゲイであり、差別やジェンダーの問題に造詣が深い。
今のぼくは三十歳前後くらいが性的な好みになりますが(中略)少年愛は自分と地続きです。たかが発情する対象の年齢幅が十五~二十歳くらいズレているにすぎません。そのことは、ゲイだけにかぎらず、ストレートの人も同じだと思います。
異性愛の人々なら、少数派は何か問題があって「正常」ではない性の傾向にねじ曲がってしまったのだ、だからそれを「治療」で本来あるべきの状態、つまり「正常」な性に戻せるはずだ、と考えるかもしれません。しかし、ぼくは、自分と性的対象の年齢が少し異なっているだけの少年愛者が、セラピー程度のことで、セクシュアリティを変更できるとは考えにくい。
異性愛の欲望だって同性愛にならなかったという意味で、ぼくに言わせれば偶然の結果です。フケ専だって、デブ専だって、ロリコンだって、萌え系だって、巨乳好きだって……みんなそういうものなのではないでしょうか。それぞれ本人の実感の中では、選択的なものではなく、自然にそうなっていた、としかいいようがない。(中略)それがちょっとやそっとのことで恣意的に変更できないことは、同性愛の例を考えても明らかでしょう。そんなものが簡単に変わるのなら、誰もマイノリティとして社会的な不利益を被ったりしません。
これには強く同意せずには居られなかった。欲望に理由付けをしている人々も居るが、後付けにしか思えない。
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、成人後も思春期の年代の女子に執着し続けている」
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、母性を感じる年上女性に惹かれるようになった」
どちらも理由として通じる。理由付けなど、本人が欲望を正当化したり納得したりするための自己満足的行為でしかなく、
実際はただ「思春期女子が好き」「年上女性が好き」という好みがあるだけなのだ。
どのような好み・欲望を持って生まれ育つかは、ほとんど偶然の産物である。
それが万人に理解されやすい欲望ならば仲間と馴れ合うネタになるし、無理解・嫌悪されやすい欲望ならば迫害される。
欲望が自分にとってプラスに働くかマイナスに働くかは、運でしかない。
相手に暴力を加えたり、死に至らしめたり、年少者の心に傷を残すような行為は認めない、というのはこの社会の原則でしょう。そうしなければ社会を担う次世代を育めないし、子供たちの可能性をつぶしてしまうことになる。(中略)それゆえその禁止は徹底せざるをえないでしょう。
二人の同性愛者が愛し合っている関係はWin-Winであり、社会を脅かす存在でもない。
海外ではゲイカップルが養子を育てている例が見られるが、養育リソースとして活用できるなら社会にとってプラスの存在であるとも言える。
「聖書が同性愛を否定している」「なんだか気持ち悪い」などの拒否反応を示す人もいるかもしれないが、
性同一性障害、女装癖、二次元オタク、BL好きなどの様々な少数派も、気持ち悪がる人は居るが、その欲望による社会への実害は発生しない。
しかし「暴力を加えたいという欲望」「死に至らしめたいという欲望」「年少者の心に傷を残すような行為をしたいという欲望」は、
実害を発生させる欲望であり、社会を脅かす欲望であり、社会に受け入れられることが期待できない欲望である。
「なんだか気持ち悪い」は、解放運動によって薄まっていく希望があるが、「実害を回避したいという強い恐怖感」はどうにもならない。
あなたは他人の性欲を充たすために死に至らしめられたいか?あなたの子供が幼児性愛者に性的暴行されることを受け入れられるか?
対人関係の欲望の問題は、多数派か少数派かということが焦点ではない。
Win-Winになりうるのか、Win-Loseでしか成り立たないのか、そこが一番の問題なのだ。
伏見憲明氏は少年愛者の相談に対し、同人誌などフィクションで欲望をみたすことを提案しているが、それでも完全ではないともしている。
追記:
ChieOsanai 実害がない近親結婚の解禁を唱えても怒るひとが必ず出てくる。四六時中、近親相姦に怯えるようになるって言ってるひとがいたけど、現状日本では(強姦ではない)近親相姦は法的には禁じられてないからね。
婚姻による所領の流失にも敏感であった。そのため、叔父と姪やいとこ同士(二重いとこの場合もあった)という血族結婚を数多く重ね、一族外に所領が継承される事態を防ごうとした。その結果、17世紀頃には誕生した子供の多くが障害を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった[2]。カール5世以降、下顎前突症(口を閉じているときの顎の形のことではなく、歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にある)の人物が一族に多くなっており、カール5世は不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。特にスペイン・ハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障害を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位をブルボン家に渡すこととなった。そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家とハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障害を持った人物が続出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6
nomitori これの究極が殺人衝動もってる人なんやろなぁ…自殺志願者を絞殺して死刑になった人いたけど、あれはあの人なりに社会と折り合おうとしたんやろうな…もちろん社会はそれを受け入れられないわけだが…
このブコメが最も投稿の意図を汲み取ってくれたと感じた。ありがとう。
saigami こういう話題が出る度に「自分は同性愛者だけど小児性愛者も差別されるべきではないし権利保護されるべきだと思ってるよ」とアピールした方がいいのだろうか
小児性愛者の権利保護とは何なのだろうか。アメリカではゲイを寄ってたかって暴行する事件が起きているが、小児性愛者もそういった暴力に晒されているということだろうか?
部落差別のように就職時の差別などを受けているのだろうか?いったい、どんな実害を被っているのだろう?
成人を対象とした異性愛者は、結婚という制度による保護を受け、社会のお墨付きを得ながら性欲も満たしていてずるいということだろうか。
小児性愛者の権利保護は「成人男女が、実在の児童を性欲解消のために使う権利」を保護することだろうか。
しかし成人を対象とした異性愛者であっても、貧乏ブサイクバカが金持ち美形優秀な異性を求めても、ディール不成立となる。
結婚しないのではなく、できない「成人を対象とした異性愛者」などいくらでもいる。
貧乏ブサイクバカ男と金持ち美形優秀女でも、貧乏ブサイクバカ女と金持ち美形優秀男でも、同じである。
性的指向も、本人の性別も、関係ない。Win-Loseならば性的関係のディールは不成立となる。
成人同士なら「自分が一方的に不利な関係を強いられていないか?」という判断を「お互いに」することが可能だが、成人と子供の場合はそうではない。
親と子の関係も、子の判断力や選択肢が限られている以上、不平等なものである。だから保護者による子供への虐待はひときわ憎まれる。
要は知力や体力で圧倒的に勝る存在が、劣る存在に対して一方的に欲求を押しつけるのは暴力なのである。
「オレのSはサービスのSだから」などとのたまうなんちゃってサディストではなく、見ず知らずの人に対する理不尽な暴行や殺害を熱望する純度の高いサディストや小児性愛者は、
欲求の根本に暴力、Win-Loseを含んでいる。これが問題なのだ。
「サディストや小児性愛者の権利保護がなされている状態」について教えてほしいものだ。
補足しようと思っていたことがブコメで補足された。ありがたい。
例えば視力ってのはかなり遺伝に影響される要素ではあるんだけれど、「近眼」程度の遺伝はそんなもん産むか産まないかの判断に含まれない程度の些細な要素となっているよね。
何故なら、世の中にはメガネというとても美しい装飾具があるおかげだね。
それと同じことで、産まれたタイミングではどうかわからないが、時間が経てば「障害? 笑わせんな」程度になってしまうようなハンディキャップってのはあるんじゃないかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20150129121148
生身の脚を上回る機能の義足が登場したりと、ツールの進歩がハンディキャップをハンディキャップじゃなくしていくことには希望を持っている。
たとえばVR技術が発達して、サディストや小児性愛者の欲求をかなえるVRが誰でも享受できるようになれば、彼らの欲求不満は解消されるのかもしれない。
とにかく、一方的な欲求を受け止めるのが、知識や判断力がまだ備わっていない現実の子供であっては、絶対にいけないのである。
TakamoriTarou フィクションは、確かに完全では無いにしても、擬似的に体験して衝動をコントロールする機能を担っているわけだが、最近はそれすらも許さぬと言う雰囲気が出てきており非常に厄介だと思う。
疑似体験を禁止するのは愚行であると思う。フィクションがガス抜きしてくれるから現実の治安が保たれるのだ。
あらゆるWin-Loseを疑似体験が引き受けてくれれば、欲求をぶつけられて傷つく人も、欲求がかなえられずに怒る人も、鎮まっていくだろう。
(そしてフィクションの人間と現実の人間を比べて、現実の人間を誹謗中傷するのは、最も醜く愚かな行為である)
bloominfeeling 欲望問題はいい本だったなぁ。著者のセクシャルマイノリティに関する本は数冊読んだ。
本当にいい本だった。私はどうにも人を煽るような、喧嘩を売るような書き方をしてしまいがちだが、『欲望問題』は理解を深めて広げるような書き方に仔細に配慮しており、
ここには書ききれなかったコミュニティに関する話もとても内容が濃かった。私の投稿にイラついた人にも『欲望問題』はぜひ読んでほしいと思う。
増田で「増田のデータをクラスタリングしたら面白いんじゃね?」って話になった
クラスタリングはメタデータとか必要だったので、まずは簡単な統計をしてみた。
とりま2014/1/1〜1/26のデータを収集。テキストだけで6MBという鬼畜っぷり。(データ1) それをYahoo形態素分析APIで単語に分解、集計(データ2) 見てもらえば分かるが、ノイズがひどい。「トラックバック」とか「こと」「それ」みたいな、意味も無い言葉が混じっている。こっからは手作業でノイズ単語を除去していく。その結果がこれ。1位から10位までを勝手に解説
なぞ。子連れの奴が多いのか、少年愛or少女者が多いのか。はたまた煽り文なのか。
これは某塾講師の影響だろうな。いつ言うんだよ?
右翼の方々かな?島の問題で色々あったもんな。
まぁそうだな。
これは自覚症状あるだろ?
6位 問題 == 846
7位 男 == 789
8位 相手 == 754
9位 意味 == 739
42 ソーゾー君 [] 2012/01/18(水) 18:19:49 ID:..75T8DsO Be:
もう宗教禁止で良いんじゃね?何の役にもたたないだろ?
「少年を愛しなさい!ガチ熊は禁止!おんないらねぇ」と同性愛を嫌う…
なんで少年愛だけは非難しないのか解らない…不思議なこともあるもんだな…
頭おかしい…
キチガイだな…
その為に熱心に布教活動をしているのです…
女は処女でしねw男に手を出すな!と言ってるんです…
女子校はキリスト系が多いな…なるほどね…レズ化させて共生しようとしているな…
猫と人間の関わりみたいなものだw主従関係ではなく利害関係て仲良くなったw
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1343051395/
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
42 ソーゾー君 [] 2012/01/18(水) 18:19:49 ID:..75T8DsO Be:
もう宗教禁止で良いんじゃね?何の役にもたたないだろ?
「少年を愛しなさい!ガチ熊は禁止!おんないらねぇ」と同性愛を嫌う…
なんで少年愛だけは非難しないのか解らない…不思議なこともあるもんだな…
頭おかしい…
キチガイだな…
その為に熱心に布教活動をしているのです…
女は処女でしねw男に手を出すな!と言ってるんです…
女子校はキリスト系が多いな…なるほどね…レズ化させて共生しようとしているな…
猫と人間の関わりみたいなものだw主従関係ではなく利害関係て仲良くなったw
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50
42 ソーゾー君 [] 2012/01/18(水) 18:19:49 ID:..75T8DsO Be:
もう宗教禁止で良いんじゃね?何の役にもたたないだろ?
「少年を愛しなさい!ガチ熊は禁止!おんないらねぇ」と同性愛を嫌う…
なんで少年愛だけは非難しないのか解らない…不思議なこともあるもんだな…
頭おかしい…
キチガイだな…
その為に熱心に布教活動をしているのです…
女は処女でしねw男に手を出すな!と言ってるんです…
女子校はキリスト系が多いな…なるほどね…レズ化させて共生しようとしているな…
猫と人間の関わりみたいなものだw主従関係ではなく利害関係て仲良くなったw
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50
テンションが異常に高いのが偽者。
テンションが普通、もしくは鬱状態かというくらい低いのが本物。
テンション高い奴はリアルガキ&キモオタであることがほとんど。
男の娘とかにハマっていて、元は現実逃避しすぎて頭がおかしくなった疑似ロリコン。ショタコンはいわば「変人アイコン」の一つで、ショタコンですと言うだけでオタクの間では「一目置かれる」と勝手に思い込んでるアイタタタな人達。
テンションの高さの原因は仲間がいっぱいいるという妄想と、現実を拒絶する独特の台詞が先人たちに整備されたことによる「自信の高さ」の二つが考えられる。つまり、現実から逃避した世界があんまり居心地がいいからもはや発信先が現実だろうが非現実だろうが構わずゲロを吐いてる状態。
こういう人達は、二次元(理想郷)を犯されるような事態には断固とした対応をし、キモオタであるにも関わらず署名活動とか抗議デモとかかなりアクティブ。もちろんその自信は、自らが属する非現実世界の規模やリアリティにのみこまれていることからきている。
*
一方本物のショタコンは、基本的に秘密主義でテンションは一般人と同じように見せかけているか、もしくは極度に低い鬱状態。
鬱状態の原因は、ショタコン(ていうか少年愛)が「世間からは決して理解されない」から「現実では一般人として生きていかなければならない」というプレッシャーと未来への絶望などによる。
偽者のように本物のガキであることは少なく、むしろ「年齢は高いが心は少年のまま」というアンバランスな状態が多い。なので当然精神に変調をきたしやすく、精神科に通っている人も少なくない。
ロリコン(本物)のように世間一般に「キモイ」と完全に認識されある意味地に足がついているような状態とは違い、ショタコンはほとんど異次元、存在すらするのかしないのかというレベルの認識が一般人にあるため、ショタコン達は彼らとコミュニケーションをとるために並々ならぬ努力をしている。その無理がたたって鬱になることが多い。
*
偽者のショタコンが増えるにつれ、彼らのおかげでショタコンが認知されるからいいじゃないかという声が上がりだした。しかしそれは大きな間違い。
そもそも偽者達はショタコンではなく、ショタコンや男の娘というアイコンをありがたがっているだけ。ショタコンに対する理解なんてものはさらさらない。
だから、強く言いだせない本物達からは自然と避けられているし、偽者のほうも本物のコミュニティに入るようなことは絶対にしない。
ニコニコ動画などには本物のショタコンが投稿した動画がごくまれに混ざっていて、それをうっかり視聴してしまった偽者達の反応をみたことがあるが実に興味深い。
「やべぇよお前ら・・」「犯罪者・・」というように、いわゆる「洒落にならない空気」を感じている。彼らのような(一般人)からすれば、宇宙人と遭遇したような感覚なのだろう。
結局偽者達のレベルとはこの程度なのである。だから本物のショタコンからは嫌われる。勝手なイメージを世間に広めゴキブリのような生命力を持った気色悪いだけの存在。それが偽者のショタコンなのだから。
漫画アニメゲームが好きだと言うと、同性愛作品を好んでいると勝手に決めつけられるのが嫌。
(ここでは腐女子とは男性の同性愛描写のある作品や二次創作が好きな人)
私は漫画・アニメ・ゲームが好きで、世間一般ではオタクとカテゴライズされる人間。
けど、好きなものは好きだし、別に趣味のことを隠そうという気はないんだけど…
相手が私のことをオタク趣味の女ということがわかると、私は必ず
と聞かれ、それに対してすごくイラつく。
イラつく原因はふたつだと思う。
ひとつは、実際にはまってないこと。
確かに私はオタクだけど、同性愛作品にはまっているわけではない。
同性愛作品が嫌いで理解がないというわけではなく、漫画・小説好きの延長で興味を持って、
自分でも数冊持っていていい作品だなと思えるものもあるんだけど、はまっているというほどではない。
それなのに、詳しいという前提で勝手にその話を振ってこられても、よくわからないので結構困る。
向こうは「隠さなくていいのにー」とか言ってニヤついていることもあって、なんだかモヤモヤする。
もうひとつは、私が腐女子の中の一部の目立つタイプが嫌いだということ。
一般的に、性描写のある作品(アブノーマルなもの含む)をおおっぴらに好きだと言う事に、私はとても抵抗がある。
本当に親しい人の前でしかそういった話はすべきでないと思ってる。
例えば、女性が人前で「私家ではAV見てます!」と言ったとするよね。それはちょっと…やめたほうがいいんじゃないのって。
趣味はあってもいいんだけど、人前で言うような事ではないと思う。
「私、腐女子なんだよねー」
って、
「私、家で性描写のある作品を見てて、自分でもたくさん買ってるんだよねー」
って言ってるのと同じじゃない?
男の前で言ったら、
「こいつ家でオナニーとかするのかな…」
とか思われそうだし。実際どうかはわかんないけど…男ってそういう方向にいかない?
腐女子は、そういう趣味は好きなもの同士で楽しんでる人もいるけど、
なんというか…「腐女子ですが何か?」「腐女子ってことで私のこと批判するわけないよね?別に当たり前の趣味だし」っていう
ノリでやってる人が目立ってて、すごくこわい。
となりの801ちゃんとか腐女子彼女とかすごくこわい。
なんでアブノーマルな趣味を持ってる人をカジュアルに売っていけるのか、出版社にも聞きたい…
あと大阪府の規制うんぬんで騒いでたタイプの人とか。同性愛っていうか、過剰な性描写があるものをなんで認めろって言えるのかよくわからない…
困るのが、そういう腐女子の人を扱った書籍とかが出たりして、BL作品がオタク文化としてメジャーなものになってしまって、
カミングアウトする人が増えた=世間一般でも、腐女子の人は腐女子だとカジュアルにカミングアウトするもんだと思われているんじゃないかということ。
(前述したように、実際かるーく聞かれるし)
アブノーマルな性的描写がある作品を好むということを「普通の趣味です!いっぱい好きな人いるし、全然カミングアウトしてOK!」っていうのはなんだかなあ。
スカトロ趣味の人とか、少年愛少女愛の人とか、そういう人は簡単にはカミングアウトしない・しずらいはずなのに。
長くなっちゃったけど、とにかく私はオタク趣味=腐女子って思われるのが嫌で、それは
「アブノーマルな趣味を堂々と人前で言っちゃうような、勘違い女」
って思われるのが嫌です!ってことで。
(しつこいですが、私は腐女子自体に嫌悪感を持っているのではなく、性的描写のある作品だいすき!でもこれって普通のことなんだからいいでしょー?っていうノリの人全般が苦手。と言ってます。)
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20100415-OYT8T00762.htm
小林被告が主宰するサイトなどは、「ショタコン」系サイトとして認知されている。ショタコンは「正太郎コンプレックス」の略。マンガ「鉄人28号」の主人公・金田正太郎が半ズボンを愛用する美少年で、愛好者に人気があったことから名付けられたとされる。
検索サイト「ヤフー」でのヒット数は118万件あり、「shotacon」で検索すると149万件。幼女を対象とする造語「lolicon(ロリコン)」や「hentai(変態)」と同様、日本発の性ビジネスが単語ごと“国際化”している格好だ。
「ショタコン」サイトをランキングするサイトも複数あり、ビデオや画像、過激なアニメまで、少年を対象にした性ビジネスがすでに確立されている。
小林被告はサイトで、「少年愛は違法ではない」「私たちの活動により、少年に対する犯罪が減った」と主張している。
しかし、捜査関係者は「ショタコン系のサイトなどが入り口になり、少年たちが買春などの被害に巻き込まれるケースもある。画像が流出すれば被害回復も困難になる」と警戒する。
実際、今回の事件で被害に遭った男児の映像の一部は、ファイル交換ソフトなどを通じてネット上に流出し、回収不能な状態になっているという。
3次元の少年のサイトが「ショタコン」系サイトとして認知されている?聞いたことないな。
ショタって2次元の少年に対する呼称だと思う(この記事にも書いてあるがショタの語源も2次元のアニメキャラだし)
しかしこの記事を読んだ人がショタの文字を見たら(たとえそれがアニメキャラを対象にしていても)児童ポルノとして受け取られてしまうかも。
アグネス・チャンが児童ポルノと2次元を一緒に規制しようとしているのと同じ印象を受けた。
もう一度言っておくとショタは2次元の少年にしか適用されません(自分の中では)
ましてや児童ポルノなんてもってのほか。読売新聞はショタコン=児童ポルノ愛好家の性犯罪者という印象を持たせるような記事をやめてください。
追記↓
検索サイト「ヤフー」での(「ショタコン」の)ヒット数は118万件あり、「shotacon」で検索すると149万件。幼女を対象とする造語「lolicon(ロリコン)」や「hentai(変態)」と同様、日本発の性ビジネスが単語ごと“国際化”している格好だ。
はいダウト。
確かに日本国内で3次元の少年をショタと呼びその嗜好をショタコンと呼ぶ風潮はないこともない。
だが海外のサイトで"shotacon"と言ったらほぼ必ず2次元の少年への嗜好を指す。というかそれ以外の用法を見たことがない。
"hentai"も同様。海外のサイトで使われる場合2次元のエロ以外の意味で使われることはほぼない。
つまり児童ポルノの国際化について論ずるならこの2つのキーワードは不適当。(loliconに関してはあまり詳しくないので保留)
ちょっと検索すればすぐ分かることなのだから記者の怠慢か故意に問題を大きく見せようとする意図を感じざるをえない。まぁヤフーって時点で(ry
少女愛だけでなく、少年愛も明確に線引きして分け隔てなく取り締まると明言するのなら、手放しで賛成します。
忍たま乱太郎の同人誌は言うまでもなく、ジャニーズジュニアも取り締まり対象。だって、コンサートで上半身裸になるって完全に乳首出しているじゃない。少年でも乳首は駄目です。ブロマイドを所有しているだけで逮捕。海外だと、少女より少年の裸に警戒するって話があるみたいだけど、それも分かる。
少年愛というと男色というイメージがあるみたいだけど、現代においては、年上の女が年端のいかない少年に手を出すってシチュエーションの方が圧倒的に多いはず。
気持ち悪い。理解できない。日本は、少年愛の規制が無いに等しい。今回の件も、少年愛から目をそらすためのスケープゴートなのでは?と疑ってしまう。
厳しく取り締まって欲しい。
この前、「BLの世界はすごく良く出来ている」というテーマで友人と討論になったんですが、
・読切や短期連載中心=質の向上、購入しやすい
・購入層の財布の紐がゆるい=作家が生活出来る
・購入層の心が広い=多少問題のある作家も生活出来る、トンデモ展開?面白くない?絵が汚い?古い?なんでもいいよ萌えられれば。
という非常に安定した輪の中で完結しているのですね。
でもそれにも問題があって、
・力量のある作家さんがBLファンのみの中で消費される=人気の頭打ち
・男同士の恋愛を主軸にするため話のワンパターン化=人気の頭打ち
・購入者の心が広いのでアレな内容でもそれなりに売れる=質の低下
といった面もあります。
中でも特に私が思うのは、この人は天才作家だと思う人がきちんと評価されてない感です。もちろん男同士の恋愛という時点で、ものすごく読者が限定されるのは分かっているつもりですが、24年組の少年愛作品を平気で読んでおいて、BLレーベルだからという理由で名作が読まれないのはなんでなの。腐女子の中ですらBL読まない人の方が多いし。お前ら男同士が大好きなんだろ!読めよ!
リブレ出版とか言う聞いたこともない出版社名なのがいけないのですか。それなら白泉社花丸文庫とか読めばいいじゃない(花丸の質はあまり保証できないけど)。集英社コバルト文庫のゆるいBLとか講談社ホワイトハートの長いBL読めばいいじゃない。角川書店だって徳間書店だって芳文社だって竹書房だって新書館だって頑張ってますよ。あ、初めて触れる人には新書館をオススメする。
BLはひっそりこっそりやればいいと思っている人もいるだろうし、私もあまり大々的に喧伝することは良くはないとは思うけど、よしながふみやオノ・ナツメを挙げるまでもなく、数百人も作家がいたらいつ天才作家が現れてもおかしくないんだよ。そんな作家さんをBL好きの間だけで独り占めしていていいのかなぁと思うんだ。
まさにこれ。
http://anond.hatelabo.jp/20080513132239
木原音瀬のような類まれな才能と作家性を併せ持った作家を、私たちは天井のある籠の中で飼い殺している。そのことに対して罪悪感を持つ程に、私は彼女の作品を愛している。
そんな思考回路だから、「○○を読まないなんて人生を損している!」なんてことを臆面もなく言っちゃうわけですよ。山田ユギと京山あつきを読まないなんて人生を損しているよね!ねぇ頼むよ、せめて腐女子の人。BL読もうぜ。