はてなキーワード: 国際競争とは
若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミの渡邊美樹候補を自民党が擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業」であるかどうかは問いません)。
「ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法の抜け道をつかい、若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。
「ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力が必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要なコストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコストは人件費、つまり労働者の賃金です。
そんなひどい低賃金で長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないか、もっといい会社に転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。
しかし、現代の就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境の職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者を恫喝します。だから、労働者は労働環境を改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまいます。
つまり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者は自分の自由を犠牲にしてでも、ブラックな労働環境で働きつづけることを余儀なくされます。
さて、一部から「ブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354
この演説のなかで彼はこう言っています。
「日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もあります。しかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」
国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。
ワタミの渡邊美樹候補は、会社の経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。
「社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要な費用です。すこし前に、生活保護の不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護の不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年のデータ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護を必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護が必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。
このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。
だから、ワタミの渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります。
国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者を使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策(アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党の精神と同じであるように私には思えます。
いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業が労働者を解雇しやすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張しています。しかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。
そのほかにも、自民党は憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本が軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています。
しかし、それでもなお、自民党の経済政策に期待する声があります。
そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?
―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから、自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分の利益にもつながるのだ」、と。
しかし、この考えは、「うちの会社はブラックだけど、自分がサビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。
「ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラックな労働環境をネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済・福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。
「社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。
無理やりの原発再稼働、ブラック企業の正当化、国防軍が必要だという声。これらに共通するのは、恫喝でものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済がダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。
このように、危機に乗じて威圧的な論理をつかい、政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。
もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。
こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまいます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境が正当化されるでしょうか。たとえ経済がダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。
その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。
少しうがった見方をすると、ワタミの渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。
つまり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミの渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。
要するに、「ブラック企業」といわれるワタミの情報をインターネット等から得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。
この参議院選挙のあと、自民党は憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。
その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党の改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されています。しかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまいます。政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。
もちろん、批判する必要のないほど完璧な政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧な政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。
それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?
ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われます。ふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びます。しかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。
経済政策を武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。
実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113
世界の歴史の至るところで、私たちは私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまいます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史が証明しています。
すでに長くなってしまいました。
ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。
ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLをSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります。中国や韓国、北朝鮮といった東アジアの外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます。
しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います。
なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。
この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。
http://anond.hatelabo.jp/20130705113110
若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTVや週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実の情報」として受け取っています。しかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。
多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓や民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たちに提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。
しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?
少し、個人的な話をさせてください。
私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います。
2chを最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています。
作家・筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります。
しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。
文学的価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教を冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会において消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモアを指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間が人間の 倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄へサイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。
(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)
初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思います。しかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別やブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています。
こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?
最後に、映画監督の想田和弘さんと、哲学者の木田元さんが今回の参院選について語った言葉を引用しておきます。
「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPPを公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議を検討したり生活保護切り崩したりワタミの会長公認したりとあまりに最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」
「時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正が必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易に同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前、日本の孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民は拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」
それ以前に、どうして労働者vs経営者という馬鹿げた戦いになってるんだ?
メリットデメリット以前に
今の日本を見ろよ。失業率が上がって、税金が重くなって行ってる。そしてこれからどんどん、税負担が重くなっていくことが予想されている。これのどこがメリットなんだ?
労働者と経営者がどんだけ上手く回ろうとも、国際競争に勝てなければ税負担が上がる。輸入はどうしても減らないからな。燃料もあれば食料もあるし、リンなんかも輸入してる。
中小企業の経営者と大企業の経営者を同列に語っていいのかもわからんし、大企業の外部に発注する権限を持ってるリーマンを労働者といっていいのかどうかもわからん。
http://blog.esuteru.com/archives/7140063.html
いや、素直に著作権者がルールを作ってどこまでなら、同人OKかガイドラインを公表しろよでOKかと。
著作権者が権利開放しているものは、親告罪でなくなっても、有効だ。何の問題もない。
どこぞの作者みたいに全部OK
紙ならOK
クリエイティブ・コモンズみたいに、定型のライセンス規約とレベルを作って、一律許可しろよ。
曖昧な規約にして同人文化は花咲かせたいが、許諾権は毎回作者が持ちたい。というのは、国際社会では無理だ。
そろそろ、暗黙な村社会的ルールではなく、公平な公示ルールの時代が来るということだ。
同人が必要だと思うなら、作者がルールを設けてどこまでならOKを明文化スべきだ。それがTPPということだ。国際ルールだ。
暗黙の了解では、外国人が不利すぎるだろ。そういうのは認められないよ。国際競争では。
もともとそんな権利など無い!というのなら、一律不許可で何の問題もないのでは?
アメリカナイズされて帰国するドアホウが心底嫌いな俺だが、1つだけとアメリカに学ぶべきことがあるとすれば、それはクレイジーさだと常々おもっているんだ。
どういうことかというと、日本はなんでも規範的に考えすぎるんだな。その規範にしたがって「一貫性」ある行動がもとめられる。
だからさ、日本人は「違反」とか「矛盾」が大嫌いなわけ。世界各国からルールを守る美しい国と評される日本だが、評価の高さ自体はそれはそれで良いとしても、
やっぱりこれって日本にとってプラスばかりじゃなくてマイナスもデカいんじゃないの、どうなのそこんとこーとツッコミたくもなるわさ。
我々はてな市民の多くは科学者や科学的に啓蒙された人間であるからして、懐疑主義者なのだよね。だから日本の常識にも遠慮なくメスを入れていく、それがはてなスタイル。
横着さって大事じゃない?分かる?でも日本人は「クレイジー」の思想がないから厳密さと横着さが相容れないとおもってる。そこに現代日本教育が社会にもたらした大きなひずみ
が見て取れるのだよね。以前整体師が不妊治療と称して性欲の出るつぼを押した猥褻珍事件があったが、アメリカは民族のるつぼなんだよな。他民族国家。
だからいろんな価値観が同じ壺にぎょうさんひしめていると考えたらよろしい。そんな中にいる人間が全員日本人だったらどうなる?たちまち大げんかになりますわ。
東京もあちこちの地方の人がひしめいてる点では類似するがいうて彼らほぼ同じ価値観だから。一色なの。
政治でも共産党が確かな野党を自称してるが、勢力としてはちと弱い。日本じゃ政治も何もかも全てが大多数VS諸少数派という構図になっちゃうわけよ。そこが気まずい。
右へならえ式の同調志向は確かに日本が誇る美徳ではあるがちと国際競争に太刀打ちしようとなると柔軟性がなさ過ぎるのではないだろか?どうだろか?
そこでまずセックスよりも何よりも優先すべきはこれ、横着さ、これ。ノリと理屈は何にでもくっつくって言葉は、理屈こねたら何でも言えてしまうことを言ってるんだが、
理屈でもくっつかないものがあるのはご存じか?それは異なる価値観だよ。異なる価値観をくっつけようとすると理屈じゃない。論理に凝り固まったら夫婦げんかになるぞ、気をつけろよって
野矢刺激の「論理トレーニング」にも書いてあったろ?彼は論理をかたくなに信奉する石頭なんかではなく哲学者だから。論理に固まってちゃ結婚生活ばかりか哲学すらできない。
お前は結婚も哲学もできない人生を選ぶのか、それって意味あんのか?ということだ。つまり、横着さというノリが必要なんだよ、セックスで性器をくっつけても駄目。無駄なの。
そんなスケベなノリで人生うまくいくほど甘くはないってこと。
ただ、国際競争で負けているのは必ずしも価格要因だけじゃない。って言っている人もいて。(政治家ではなくメーカー等)
ある地域と、ある地域の価格差があって、安い地域で買ってきて高い地域で売る。これによる物価下落。
この2つは常に分けて考えなきゃいけなくて、前者のためには最低賃金の下落は有効な対策になり、国際競争力が身につくけど
前者は地域間の価格格差がなくなれば解消するけど、後者はもともと賃金が競走に負ける原因ではないので、賃金が0になるまで競走が激化する。 (労働者も賃金が下落しても国が補填するので受け入れる)
市場原理が働いて、最低賃金を設定しなくても最低価格が守られる可能性はなきにしもあらずだけど、それ以前に急激なインカムの減少で国民の生活が破綻する可能性を否定出来ない。
輸出業に限ってという方針もあるけど、何が輸出業か?という認定で利権が発生しかねないのと、並行輸入による物価下落はやはり起きる。
なので、今現在並行輸入で物価下落が起きている業態に限ってとか、詳細条件をかなりつめないと難しい。
で、本当にそこまで、詳細条件を詰めきれるだけの執務能力があるかどうかは、実際に詳細条件を出してもらう以外に、判別のしようがない状況。
コレに関しては、政治的な調整能力ではなく、国際競争における国家の経営能力の問題だから、過去の政治的な調整能力は実績にならないのが痛いね。
工場にしろ何にしろ、人一人働かせるには、場所や工具福利厚生、 一人あたりの固定費ってものはある。
一人あたりの労働量が高ければ高いほど、 固定費の価値は相対的に下がるんだよ。
言い方を逆にすれば、群体で見た時の競争力が下がるっていってるんだから、国際競争に負けて、社会がシュリンクするだろ。
あとは、すでに書いたけど、ミッションクリティカル(クリティカルパス上の作業)な作業でかつ、代替要員が十分に確保できない場合、これはクリティカルに効率が下がって競争力が無くなる。
ミッションクリティカルでないか、代替要員が確保できる現場なら問題ないが、この2条件が揃っている場合は、現状の社員が休みは取れない。
使えない奴には使えない奴なりの仕事があったんだよな。昔は。
今はそういう仕事は賃金が安い外国人に全部持って行かれてしまった。
これは大企業が悪いのかと言えばそうとばかりは言えない。
賃金の高い日本人を抱えてたら国際競争に負けて潰れてしまうから。
でも、安定と将来への希望がなければ少子化が進み、国が痩せていくというのは事実。
ではどうすれば良かったのだろう。
日本の経営者なんてアメリカの経営者に比べれば10分の1とか100分の1しか報酬をもらっていない。
アメリカでは実質0の相続税も日本では最高50%まで国庫に入る。
元レスが言うところの「貧しい国民を無くす」「弱者を大事にする」ってのは、
具体的にどういう政策のことだと思う?
痛手を被るのは製造業。自家発電をするにしてもコスト増は必須。
電力より人件費の方がネックで、
日本からの供給がなくなると多くの製品の生産がストップするまでにシェアをあげた
・・・っていうのが、今回の震災で浮き彫りになったはずだよ
早々簡単に他国にシェアを奪われることはない。
自然エネルギーの開発ね。まぁ日本がお金持ちのうちに開発投資をするのはいいけども、
どうせ同じなら化石燃料やウランなどの特定資源に影響しないものに投資したほうが得だよ。
全部リーマンショックが悪いけど
痛手を被るのは製造業。自家発電をするにしてもコスト増は必須。
するとどうなるかというと、日本国内で製造するのは国際競争に負けてしまうという話になって
そうなると次は雇用情勢の悪化に響いてくる。若者は仕事にありつけなくなり、国内人材が育たない。
そんでもって、次世代での国際競争力が一層低下。
つまりエネルギーの投入は雇用を含めた国全体の活力として働いているわけ。
自然エネルギーの開発ね。まぁ日本がお金持ちのうちに開発投資をするのはいいけども、
他の国は、日本が金をかけて開発した技術をタダ同然でもっていくよ。
すると、投資した分は、日本は回収できずに、諸外国が特をするだけっていう構図の出来上がり。
原発のリスクとどちらが大きいか、こう広い社会範囲に影響すると、リスクの試算は容易ではない。
原発推進派の事を、自分たちの利益だけを考えている奴らみたいに言う人がいるけど、はたしてどうかね。
そんなに簡単に明言しちゃっていいのかね。
庶民から税金を取るな!大企業から巻き上げろ!って叫んで、法人税ばかり上げたら
国内企業が海外採用を増やして国内採用を減らしたり、採用条件にTOEICスコアを課すのはおそらく正しい。
企業がこれから生き残っていくには、海外市場に打って出るための人材が必要なのだろう。
こういう採用方針を決めた経営者は、ユニクロや楽天みたいな創業社長を別にすれば、
従来の国内オンリーの新卒採用で入社して、特段英語力を問われることもなく出世した人たちで、
熾烈な出世競争はあったかもしれないが、それも同じ会社の同期との競争だったに過ぎず、
海外の経営のプロフェッショナルとCEOの椅子を奪い合ったわけじゃないだろう。
それなのに、これから社会にでる若者には、平然と国際競争力を要求するわけだ。
自社の生き残りのために、というよりも、自身の保身と老後の安泰のためかもしれないが、
自分がやってない競争を平然と他者に要求して、自分は安全圏に居座るのはどういう神経なんだ?
闘技場で奴隷の殺し合いを見物するローマ市民と同じじゃないか?
そもそも雇用の不安定化と低賃金化で国内市場をさんざん冷え込ませた挙句、
「国内市場は先がないから、海外市場を重視する」ってふざけてるのか?
若者にカネを出さずに「最近の若者はろくにカネを遣わない」って言ってる馬鹿がトップにいる限り、
どんな優秀な人材を採っても宝の持ち腐れで終わるだけだ。
そういう理想像を目指したんだろうけど、結局競争が激しいからそんなの無理で、残ったのは男化した女だけだったってことでしょ。
国際競争に負けることを受け入れて生活レベル下げたり(17時で閉店するコンビニとか賞味期限切れの食品が普通に陳列してあるスーパーとか)、スペインみたいに若年失業率50%弱とか、そういう社会を受け入れなきゃ無理だけど、みんなそんなの嫌だってことだからじゃーどうしようもないねと。
別増田の言うように、無駄飯食ってるジーサンバーサンを活用するってのもアリだろうけど、それはそれで嫌だってのが現代。それに保育園利権とかで美味しい汁吸ってる人達は反発すると思う。
本質的に現代(日本)社会は将来から前借りして分不相応な豊かさを実現してるもんだと思う。みんな持続可能性なんて良く分からないから考えたくないし、考えてもどうせ自分は死ぬからどうでもいいし、そんなもん考える暇があったらせこせこ自分の資産積み上げた方が個人単位ではよっぽど安全だし。そもそも人間は心理学的に将来のリスクを過小評価するもん。
企業の側も、特に文科系の場合、サラリーマンを長期雇用で使い回すので、特定の専門知識を持っているよりも素直で順応力の高い「便利屋」を求める。大学で何を学んだかはどうでもよく、「東大卒」の実績よりも「東大入学」の学力が大事なのだ。
だから極端に言えば、入学してからすぐに就職した方が、4年間の所得も無駄にならない。入学の段階で目的は達成されるので、学生も真面目に勉強しないし、教師も真面目に教えない。何のために勉強するのか分からず、企業にも評価されない教育を4年間いやいや受ける日本の大学は社会的な浪費であり、学生を堕落させてしまう。
しかし文科省は、いまだにアカデミズム中心で大学教育を考えている。審議会の委員も有名大学の教授ばかりだから、底辺の大学が崩壊している実態を知らないで、国際競争やエリート教育の話ばかりしている。
もちろん哲学や天文学のように直接役には立たない学問も必要だが、そういう分野は学生全体の1割もない。日本は一流大学でさえ世界の水準からみると遅れているので、研究水準を引き上げることは重要だが、これも全体の1割に満たない。