はてなキーワード: 保育園とは
マジなんなの保育園にはいれないんだけど。勤めてる会社に就労証明書出してもらえなくて、優先順位が低くなるとか入れないとかってなんなの。そもそも就労証明書って会社が発行する義務がないってヤバくない?なんで発行する義務ないの?保育園にはいれないと働けないんだけど。会社って働かせるために労働者を雇用してるんだよね?雇用契約してる会社は就労証明書を作成依頼されたら作らねばならないって法律つくってよ。というか就労証明書がなくても希望すれば保育園入れるようにしてよ。その書類なくなるだけでかなりの書類仕事なくなるでしょ。そもそも労働局に確認したら育休中でも保育園に入れるって言ってたのに、自治体に確認したら復職することが確定していないと保育園に申し込めないとか言われたし。逆じゃない?保育園に入れるから復職できるんでしょ。慣らし保育しないと乳児突然死症候群の確率が上がるって話なのに、復職してすぐ慣らし保育のために一週間とか二週間くらい休むことになるの意味不明だよね。だったら育休中に慣らし保育させてよ。おかしいでしょ。女性活躍推進法とかなんも推進されてないじゃんね。
幼稚園、保育園は義務ではないのに、今はほとんどみんな行く。行かせる。
親が面倒見れないからじゃなく、子供が社会生活に慣れるようにとの意図で。
義務教育じゃなくても集団生活を学ばせよう、集団から取りこぼされないようにと世間の親は考えるのに
あえて義務教育でも行かせない、というのはなかなか思い切った発想だなあと思う。
一芸に秀でて稼げるなら関係ないという考えは否定しない、子供を芸能人にしようとする親とかそんな感じだろうし。
でもモノにならなかった時は悲惨だよなあ。
中国みたいに祖父母や曽祖父母が孫ひ孫の面倒を見るのがデフォルトになるのが一番だと思う。祖父母がいないなら保育園なり。
結局家族制がある限り「他人より有利に子育てしたい」って願望は消えないじゃん?
正社員になって十分な福利厚生の恩恵にあずかりたいという欲望、夫婦2人十分な収入を得た状態で子育てスタートさせたいという欲望、子供の競争を有利に導く形質(容姿や頭脳)を遺伝させたいという欲望、子供に潤沢な文化資本を与えたいという欲望、保育園併設のタワマンに住みたい、幼稚舎受験させたい、etc……
こういう欲望を前提として恋愛自由主義という名の優生思想が回ってる(自由恋愛自体が優生論の文脈で日本に持ち込まれたことに関してちくまから本が出ている)以上、いったん人間から子育てを取り上げないことにはルッキズム・メリトクラシー敗者の男女にはどうやっても挽回の目がないと思うのね(まぁ、キモカネ女性は子育てに巻き込まれないほうがもしかしたら幸福度が高いかもしれず、似たような境遇の男女間にある「救済しろ」という声の大きさの互いにはそれが関わっているかもしれないが……)
これらの欲望自体は社会によって規定されている部分があるから、ある程度は再配分によって是正されるかもしれないが、かと言って社会構造がすこし変わったところで結局「競争に有利とされる形質」がすこし変わるだけで競争自体の生み出す苦しみは避けられないと思うのね
子育てが、生存が、競争だから苦しいのよ(それを調整するのが修正資本主義の政府の役目だとは思うが、まぁ、現状はご覧の有り様で……)
特に男性の言う「生きやすさ」に「子孫の残しやすさ」が含まれてるとしたら、たぶんただ再配分するだけで救済されるとも思えないよね、ただ多少金を持たせて「選ばれやすくする」ということしかできないんだから(そしてこちらを選択すると相対的に女性が貧しくなり、男性へ、家へ、子供へと縛り付けられていき以下素敵な無限ループ)
そんなことをつらつら考えてみて、あてがえ論とか女性の自由意志の尊重とか、そんなことでヤイヤイやり合ってもあんまり芯を食ってる気がしないなぁってずっと思ってんのよ
家族制ドリブン、子育てドリブンの欲望が、つらい競争とその結果の格差を生んでるんじゃないの?
まぁこの辺はもうすでにマルクス主義で通った議論ではあるし、かなり赤い主義主張であることは否定しないんだけどさ……
たとえば国民は求められたら卵子や精子を提供する義務があるだけで、子供は国が勝手にAIで多様性を保持しながらマッチングして作って、知らないところで職業的に子育てや教育に従事する人々が育てて労働人口として送り出す
整形当たり前だったり、バーチャル空間で望みのVアバター纏って生活するのであったり、方法は問わないけど、生まれ持った見た目や能力を問われない世界であれば、ただパートナーとして共に生きていくことを選択するハードルは「友達になる」程度には大きく下がるんじゃないか?(この辺は希望的観測であり、コミュ力はどうしても必要になるだろうからなんか自分で言ってても厳しいような気がするが……)
こうなってくると過去のSF文豪たちがディストピアとして警告した世界そのものではあるんだが、労働人口を確保せざるを得ない以上、競争による過度な苦しみは避けるにはこうなっていくしかないと思うのよね
個人的に、どうやっても「今生きてる人間のために次の世代の人間が労働してくれることが必要な世界」では、この選択は俺は別に悪くないと思う
いつかこの苦しみの連鎖を技術が止めてくれることを願ってる(が、多分資本主義の世界からはその技術は生まれないだろうと思う)
https://anond.hatelabo.jp/20210418220148
「保育園落ちた日本死ね」をきっかけに増田の影響力に危機感を抱いた勢力がネトウヨの組織的大量動員をかけて、増田の影響力、信用を毀損しようと試みた結果だろう。
「我が子が一番大事」「命に代えても守りたい」「この子さえ生きてればいい」「生まれてきてくれてありがとう」「幸せになってくれればそれでいい」
こういうの、すげー腹立つんですよ
そのかわいいかわいい「子」が36歳のデブニートになって、部屋に閉じこもってメシだけ要求するようになったとき、同じこと言えるのか?ってことだ
絶対言えねえ
絶…………対言えねえ
早く死なねえかなとか、どこで間違えたんだろうとか、産まなきゃよかったとか、そういうことを言い出すに決まっている
夏祭りでキンギョ買って、3日で飽きる小学生とやってることがホントにまったく同じなんだよな
「なんか思ってたよりデカくなったし、懐かないし、もういらな〜い」
クズやんけ
どう考えてもクズやんけ
個人的には加害側に回った時点で被害者ヅラする資格が失われると思ってるので、「子どもを持たない全ての人間は被害者」というのが俺の主張になる
「にんげんの赤ちゃんかわいい😍欲し〜い💕」と思ったアホがいなけりゃ生まれてくる必要もなかったし、働く義務もなかった存在が被害者以外のなにかであるハズがないんだ
「いつまでも親の脛を齧って情けない…」じゃないですよ 本当に情けないのはどっちだ?
こういう話をしてると、「自然界の動物は3年もせずに親離れする」みたいなことを言ってくる野生派の人たちがいて、本当に恐ろしい
そりゃあなたは本能に任せて暴力振るいまくり・殺しまくり・犯しまくり・盗みまくりの楽しい人生を送ってるかもしれないが、俺たちは法治国家に暮らしているので、人間はそのへんのケモノとは違うってことになってるんですわ 文化が違う!
とにかくだ
とにかく、「子供を愛するオレ・ワタシ」に酔ってる層、ホントに気色悪すぎる
エゴを認めてる親はまだわかるというか、腹はたつが、仕方ないと思えなくもない
「自分の人生を楽しむために子供を巻き込んだ、申し訳ないとは思うが、所詮他人だし、まあええやろ!」みたいなことを言ってる人がいると、この野郎〜!!とは思うものの、そこ止まりだ
「僕の人生はこの子を守り育てるためにあるんだと思う」みたいな謎のフカシをやってるカスをみるとガチでぶっ殺すぞという強い気持ちが腹の底から湧き出てくる
かわいい時期の"子供"だからそういうこと言ってるだけで、その子が40歳の息くっせえ超醜い性格も最悪のオバさんと成り果てた暁には「子供と親は違う人間」「成人は自分の面倒を見ないといけない」「干渉しすぎてはいけない」みたいな理屈にサラッと鞍替えするに決まってる
干渉しすぎてはいけないのはそうかもしれないが、じゃあ黙って金だけ渡し続けりゃいいだろ
甘やかしすぎると親が死んだ後に野垂れ死させてしまう、だから突き放す必要もある!とか言うのかな
30歳の段階で、独り身で、寿命80年のリクガメなんかを飼い始めるやつがいるか
いません
なぜいないか?
「自分が死んだら連動して死んでしまう可能性が高い生き物」を発生させるのは罪深いからだ
じゃあ自活能力がある生き物はいくらでも捨てていいのか?って話だ
責任を取りましょうよってことだ
平均寿命80年の生き物をわざわざ生み出して、たかだか20年少し面倒を見ただけで責任を果たしたことになると思うなよ、ということだ
わかってないやつがとんでもない数世の中に溢れていて、暗澹たる気分になる
俺の両親も実際わかってない
仕方ないから働いてるが、どう考えても俺は被害者なんだよな すげえ可哀想ですよ
何も悪いことしてないのに、勤労の義務なんか押し付けられてさあ!
物心ついてないころから強制的に権利の上を歩かされて、権利なしじゃ生きられない身体にされちゃってんだよこっちは
ホームレス拾って3ヶ月面倒見た後、恩を着せまくって10年コキ使うみたいなことじゃん
ひでえよ
助けてくれよ
保育園で女児にわいせつ 容疑で保育士逮捕―福井県警:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2021040901084&g
23歳で「性的欲求を満たすためにやった」≒未成年の頃からソウイッタ性癖を持ち関連資格を取得・就業していたのでは?説、を唱えたい。
当然のことですが、実在の未成年者とは何ら関係の無い二次元キャラクターに対して同様の妄想を表現したり描いたりする方々とは「別」に扱っていただく事が『大前提』の話となりますので、よろしくおねがいします>関係各位
夫:30代、会社員
子:1歳6ヶ月
区内の認可保育園に入れるには両親共にフルタイム勤務が最低条件。年度によって異なりますが年間10コマ(週3日程度)ではこの条件に遠く及ばないため、認可外保育園を検討し、産後7ヶ月で近隣の企業主導型保育園に入園しました。
基本的な預かり時間は9:00〜16:00まで。授業の日程上、どうしてもこの時間内の送迎が難しいときは開始を30分早めたり、18:30まで延長してもらいました。
前期は以下の日程で仕事をすることに。
この日程に合わせて送迎時間の変更を園に打診したところ、勤務時間+通勤時間しか預かりができないとの返答がありました。
勤務時間として拘束されるのは1コマ90分の授業時間のみですが、当然ながら授業準備等の時間外労働があります。その旨保育園に訴えたものの、国から就労実態がない時間の預かりについて指導が入り、就労証明書に記載されていない時間は預かりが認められないとのことでした(ちなみに企業主導型保育園は内閣府所管)。
大学、専門学校と交わしている労働条件通知書に記載される勤務時間は授業時間のみ。時間外労働は「命じない」と明示している学校もあります。
とはいえ実質的に授業を行うためには以下の時間外の業務を必要とします。
〈事前準備〉
〈事後の業務〉
〈期末の業務〉
補足1:資料作成について。基本的には前年度の資料を再利用しますが、前年度に授業をやってみた感触や学生の授業評価アンケート等を受けて、内容を精査し、手直しすることも多いです。また、新規に担当する科目についてはイチから作らねばならないため、教科書や論文等を読み込み、授業の構成を練るのに膨大な時間を要します。
補足2:出欠について。昨今、文科省が唱える単位の実質化の名の下、出欠を厳格に管理する流れがあります。出席回数が3分の2を下回ると評価を受けることができないと明示する学校もあり、毎回出欠をカウントする必要があります。(なお、学生証のタッチ認証で自動的にカウントする学校では、ありがたいことにこの業務から免れています)
補足3:成績評価について。私の学生時代には試験やレポート等の単一指標で評価するのが一般的だったように思いますが、現在は評価の妥当性の観点から、複数の指標を用いて多面的に、ポートフォリオ的に評価することが求められています。このため、最終試験や最終レポートのみならず、授業内課題を合わせて総合評価を行なっています。
以上より、授業1回につき、通勤+授業+時間外業務で丸1日以上潰れることがご想像いただけるのではないでしょうか。個人情報保護の観点から通勤の電車内で課題を採点することも難しくなり、授業時間+通勤時間で上記の業務をこなすのは不可能と言えます。
産前は土日を仕事に充てることができましたが、現在は家事・育児で手一杯になってしまいます。このため、授業のない残り2日間は時間外労働に充てるために何としても預かり時間を確保したいところです。
(子どもが寝静まった夜間に時間を取れば良い、との意見も聞こえてきそうですが、私自身がロングスリーパーで睡眠時間を確保しないと不調をきたすこと、長年患って最近ようやく回復したうつ病の再発が怖いことから、できるだけ無理をしたくない)
各学校に対して「就労証明書に授業時間外の業務があることをせめて備考欄に書いてほしい」と伝えていますが、なかなか叶いません。
園からは区による「保育の必要性の認定」を受ければ預かれると言われたものの、「週4日以上、1日当たり4時間以上の勤務時間」が区の認定基準…週3日、3時間未満の勤務ではこれを満たすことができません。
1. 保育園(国)や区が、会社員のように固定された労働時間しか想定しておらず、多様な労働のあり方を認めていない。したがって個人事業主であれば提出できる就労状況の自己申告すら受け付けてもらえない。
2. 大学・専門学校が雇用条件として授業準備等の時間外労働を認めてない。
1.については内閣府に意見を送ろうかと考えています。2.については地道な交渉が必要なのでしょうが、個人レベルの交渉では埒があかず、すでに心が折れそうなので、非常勤講師の労働組合に入ることを検討すべきなのかもしれません。
仕事を全部辞めてしまおうかと自暴自棄に考えてしまうこともありますが、いずれは専任になりたい願望もあり、諦めきれずにいます。
睡眠時間を犠牲にして、勤務日の夜間+1日、適当なバイトを入れて、区の認定基準をクリアするぐらいしか思い付きません。
ただ放っておいてほしいだけなのに、社会がチクチクと攻撃してくる辛さ。
自分は結婚に向いてないので非婚を選んだ女だけど、とても覚えがある。
5年前くらいまで、女にも「結婚しなければいけない」圧力があった。
32歳までに結婚しないとだめだ〜とか
今は子供いらなくても後で後悔するぞ〜とか
欲しくなったときにはもう遅いぞ〜とか
今考えると「脅し」みたいな事を言う人が殆どで、はてなのブコメでも「結婚しないのは酸っぱい葡萄だ」が人気コメだった。
理由は、結婚や育児周りの女性への負担のあまりの大変さが可視化されていったからだった。
フルタイム共働きで、家事育児の大部分を期待され、保育園やマタハラや育休明けの異動、一人産めば二人目を所望され、義両親の介護まで期待されて、無理難題は尽きることなく。
「やってらんねーよ」
全力で趣味を楽しむ女性も増えていき、そんな楽しそうな人に対して「でもでも結婚が〜、出産が〜」と冷や水をかける女性は居なくなった。
中高年男性でこれをやる人はまだいる…けど、そんなのは老害のセクハラとして一蹴できるくらいには、女性は自分を大事にできるようになった。
これはフェミニズムのおかげ。
一連の弱者男性の議論を見ていると、あの頃悩んでいた自分を思い出す。
最初から自分は結婚にも育児にも向いてないとわかってたのに、無理をして婚活をしては毎日疲れていた。
今は自分のために時間を使い、スッキリと充実した日々を過ごせている。
もし、いまだ「結婚、出産して一人前」の押し付けが強い世の中だったら、ここまで心穏やかではいられなかっただろうと思う。
女性が自分の幸せを選択できるように意識を変えていったように、男社会(=一般社会?)も早く、結婚は人生に不可欠なものではない、という価値観の変化が起きればいい。
一人前かどうかは既婚未婚で決まるものではないし、人生は人それぞれであり、人の人生に対して茶々を入れることは恥ずべきことである。
それを共通認識として皆が持てるようになればいい。
本題を書く前に書いておくが増田はメンヘラお気持ちヤクザである。精神科通いももう10年を超えた。なおかつ主治医には「少なくともあと15年はかけてゆっくり治していかないといけないね」と宣言されている。ちなみにこの文章は精神科病院の消灯されて暗くなったベッドで書いている。
本題。
私は物心ついた頃からずっと『自分は死ぬべきだ』と思いながら生きてきた。決して死にたい訳ではなく、ただただ『自分は生きているべきではない』と思っている。自分が生きていることに違和感があった。
少なくとも保育園の頃には既に『他人の役に立たない自分に生きる資格はない』と思っていた。自分が生きているのは離婚したばかりの母にとって邪魔でしかないだろうと思ったからだった。だから母の役に立たなければ、父に似ている私は父と同じように母から嫌われ捨てられるのだろうと思っていた。
だから何でもできる自慢の子になろうと思った。何でもできるすごくて優しい人になれば、死ぬべき人ではなくなるかもしれないというのと、理想の自分になればきっと自分が死ぬべきだと思って死んだ時に惜しんでもらえると思った。
そんな状態で過ごしているうちに、頭の中で声がするようになった。一人の声だったり会話だったり様々だったが、大抵いつも私に対して責める声だった。
「こんなこともできない奴はこの世に必要無い」
だとか、
みたいな声たちである。
不思議なことに、その声に対して反論するどころか納得する気持ちしか浮かばなかった。
保育園の頃から今に至るまで、それなりに色々あったが、常に変わらず私の中には『自分は死ぬべきだ』という考えが中心にあるままだ。
日常で、迷惑をかけてしまった、会話の時の言葉選びがうまくいかなかった、うまく笑えなかった、とか、そういう感じ。
自分の行動全てが、自分の中にある『こうあらねばならない』という理想像からズレていて、そのたびに『生きていてはいけない』という気持ちが湧くのだ。
これが思春期や厨二のような頃だけならまだ良かったのにと思う。残念ながら生まれてこのかた今に至り今なおこの考えなのである。
物心ついた時から自分は死ぬべき人間であると考えながら死に損ない続けてこの歳になったが、この考えが生活や思考を占めたまま生きるのはとても辛いのだと最近気が付いた。自分の言動思考の全てが自分の解釈違いで、良かったことすら粗を探して槍玉に上げてしまう。自分で自分が認められない許せないから他人から貰った気持ちも行動も大切にすることができなくて申し訳ない、そんな自分が無理で死ぬべきだと思う。24時間365日ずっとそんなループ。
生まれてこのかた状態異常のデバフが常にあるのに頭をおかしくしきってしまうことすら出来ず、暴れ倒したりおかしな言動をしたりとかをすることも出来ず、突発的に死のうとすると中途半端な理性が
「自分でその辺で死ぬと葬式とか書類とか大変なんだよ、また迷惑かけるの?」
と囁きかけてくる。お前は天使と悪魔、どっちなんだろうな。
私の人生は『死ぬべきである』『これ以上かける迷惑が増える前に死なねばならない』という強迫観念と『死に方がうまくいかないと迷惑がかかる』『せめて身辺整理が終わってからにしろ』という理性が天秤でぐらぐらしている。死ぬ理由と直ぐに死なないための理由を天秤に乗せているのだ。だから直ぐに死なないための理由が解決してしまったら、きっとその時は死ぬのだと思う。
残念ながら『生きたい』だとか『将来○○をやりたい』みたいな希望は観測できなかったし一筋の光すら見えてこない。
この『生きたい理由』ではなく『直ぐに死なないための理由』を根拠に死に損ないながら生きるのはとても苦しくて辛い。
日常を過ごしていると『死ぬべき理由』の皿へは幾らでも重りが乗るのに『直ぐに死なないための理由』の皿へは殆ど重りが増えないのだ。
日常の中で、死のうと思い立っても良い理由を探しながら過ごすのは、何もかもが苦痛で圧迫感があって、死ぬという赦しを得るために生きているようで、気が狂いそうになる。
ここまでダラダラと書き連ねておいて今更宣言するが、私は死にたいわけではない。だけど生きたい理由があるわけでもない。同時に、「自分は死ぬべきだ』と考えている。ただそれだけのちっぽけな一人の人だ。
誰かに同情されたい訳でもなければ「死なないで」と言ってほしくて書いたわけでもない。なんとなく、いまのうちに書いておこうと思った。どうかチラシの裏の落書きだと思って流してほしい。
出産で退職したら、退職前の賃金に応じてもらえる年金みたいな制度できないかな。
そうすれば女性も結婚相手の収入に期待するよりも、結婚前に自分の収入をできるだけ上げようとするし、出産後の復職を無理して頑張る必要も保育園や託児所に悩む必要もなくなる。出産後の体調や子供の健康状態を見て復職するかどうかを考えられる。
→年間億とか兆とかかけて全国に作っているところです
→年間億とか兆とかで利用者の多い駅から順に作っているところです
活動家は議論していることしかこの世に無いと思っているから、いま工事してます、ということを見落としがちなんだよね。まともに仕事してないせいかね。どうかとと思う。
そういえば工事の重要性を理解してないせいで、堤防工事はいらないんじゃないですか? 洪水対策でダムはムダなんじゃないですか? ともやってきたな。ここ50年。
自分の子供が通う予定の小学校でこんな事あったらマジで怖すぎるんで自治体だけでも教えて欲しい。こんなのブラック校則と同じじゃん。担任の先生と一部の子供や保護者に対するハラスメント、人権侵害が起きてるじゃん。
特に給食試食会がひどすぎる。親が来ない子供晒し者にして泣かすとか、これ考えた奴人の血流れてんの? そこにホイホイ行って、泣いてる子供の友達横目に他の保護者もよく平気で飯食えるね。よその子を泣かせながら食う飯は美味いか? 誰も学校に抗議しないの?
うちの子供が通ってる保育園でも保護者会が終わるといつもより少し早くお迎えになるけど、親が保護者会に参加してない子は必ず、友達が親と一緒に帰っていくのが見えないよう、別の場所で過ごすように園が配慮してくれているよ。
そういうの一切ないのマジで? この共働きのご時世に、平日の昼間に仕事休んで学校来られない親が悪いって言われるの? 馬鹿じゃないの?
もしほんとに各地の保護者グループでこんなことが起きてるなら「ブラック保護者グループ」とか何とか名前つけて社会問題にしないとダメだよ。
私が保育園の頃
お母さんはお父さんを「かじちゃん」って呼んでた
お母さんがご飯を作っててお父さんに手伝って欲しい時、キッチンから「かじちゃ〜ん」って呼ぶんだけど、お父さんはテレビに夢中で気づかない
お母さんはまた「かじちゃーん」って呼ぶんだけど、やっぱり気づかない
怒ったお母さんは最後に「かじぃ!」って怒鳴る
いきなり怒鳴られてイラついたお父さんが「何!」って怒鳴り返して喧嘩になる
いつもそれだった
ある日、お母さんが3回目に怒鳴るタイミングに合わせてハモるように「かじぃ!」って言ってみた
そのあと爆笑してみた
お母さんに「お父さんを呼び捨てにするなんて!」と滅茶苦茶怒られた
悲しくて涙が出た
怒られたことじゃなくて、喧嘩を笑いで収めようとしたのに、それに気付いてない事が悲しかった
喧嘩をされるとしんどいのに、それに気付いてない事も悲しかった
いつも同じ喧嘩をしていることに気づいていないようなのも悲しかった
その後、お母さんがお父さんを呼んだら、私がお父さんに声をかけに行くようになった