はてなキーワード: ノロマとは
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ノロマで、自己中で、嫉妬狂いで、下品で、単純で、恥知らずで、高慢ちきで、ザコで、バカで、無思慮で、腹黒で、キチガイで、アンポンタンで、生意気で、暗愚で、偏屈で、間抜けで、畜生で、変態で、ゲロ臭くて、傲慢で、パープリンで、時代遅れで、臆病で、鼻たれで、童貞で、自惚れで、下種で、短気で、卑しくて、DQNで、かたわで、短絡的で、うどで、クズで、ナチスで、愚かで、汚物まみれで、アホで、私生児で、ナメクジで、怠惰で、ドジで、下劣で、無知で、ノータリンで、クソで、意気地なしで、異常で、包茎で、知恵遅れで、薄汚くて、メンヘラで、ペドフィリアで、薄情で、おたんこなすで、カスで、青二才で、社会不適合で、色欲魔で、中毒で、唐変木で…………疲れてきたので、もういいか。
心に響かないだろ?
だが、その文自体に悪意はなくても、スパムによる大本の行為には「意図」がある。
つまり悪意というものは紡がれた言葉だけではなく、そこに介在する「意図」を感じることによって成立するのさ。
これだけ大人気でありながら、自分がラブライブ!をチェックするようになったのはかなり最近である。
一応「Wonderful Rush」や「夏色えがおで1,2,Jump!」でその印象的な歌やPVもどきのアニメに触れて惹かれてはいた。ライブ映像も見てみたけど、「皆歌上手いなー」と素直に思ったっけ。
そしてその流れで公式提供のTV版一期二期ダイジェストだけyoutubeでチェックし、とりあえず劇場版を見て、そこで初めて本格的に興味を抱いたのだから、にわかどころの騒ぎではなく、超スロースターターと言っていい。
以下、そんなノロマが昨日までEテレで見ていた第一期(2013冬アニメ)の感想である。
結論から言うと、「この筋書きで、あれだけの人気が出たのが不思議で仕方がない」という感じである。
そもそも、あまりに人気がなければその時点で二期など作られようがない。でも実際には人気も人気、中の人が「ここまで人気になるなんて思わなかった」と言うレベルである。
そりゃそうだよ、だって本企画は2010年、電撃G'sマガジンという、完全にオタク紳士向けの雑誌の紙面上でひっそり始まったんだし。
それが今や、地元のショッピングモールのヴィレッジヴァンガードでさえ扱っていて、そんな店頭の前を家族連れが通りかかった時、その中にいた中学生くらいの女子が「私あれ欲しいんだよねー」と普通に家族に話しかけていて、心底仰天してしまった。
この話に限らず、ラブライブ!が一部の男オタだけの内輪受けじゃなく、少なくない数の女性ファンも取り込んでいるのはpixivを見れば一目瞭然。艦これとどっちが多いんだ?ってくらいの投稿数である。
そして、企画自体は上述のように2010年から続いているものの、一気にファンが増えたきっかけがTVアニメ第一期なのだそうだから、本当に驚きである。
そんなTVアニメ第一期の問題は、ラスト3話に集約される。正直あれダメだろ。なんであんな展開入れたんだって感じ。
逆に言えば10話までは良かった。現実ここまで上手くは行かないというか、どう見てもフィクションですって話だけど、それでも、メンバーが手作り的思い入れを込めてメンバーを増やし、グループを形作っていった感が伝わってきて、多分これが本作における一番の魅力だろう。
しかしラスト3話は…巷で言われる「ラストで無理やりシリアス展開を入れて作品を台無しにする花田脚本」まんまだったと言っていい。
でも話はそう簡単ではない。もし花田氏の脚本が「百害あって一利なし」レベルだったら「もうお前はホン書くな」で終わりだが、実際には「49の利と51の害」くらいだろうか、作品による当たり外れがあって、例えば昨年放映の「響け!ユーフォニアム」では大当たりだったわけで。
で、本作ではどうだったかというと、これ(自分含む)穂乃果ファン怒るでしょ。ついでに「ラブアロービンタ」が第一期最大のインパクトになってしまった海未ファンも怒っていいと思う。
穂乃果の性格だと、あのダブルパンチは相当堪える筈で、辞めます発言も頷けるのだが、その見せ方が絶望的に下手なのだ。
あれでは穂乃果が自分本位で自己中な人にしか見えない。校舎屋上で穂乃果がああ言い出す理由を頭では理解出来てもイマイチ感情移入できず、見ていて「えー…」となってしまった。
後述のように、そんなラスト3話の中にも良い意味での見せ場はあったので、もうちょっとなんとかして欲しかったかな。
ちなみに、本作で一番株を上げたキャラはにこだろう。
彼女は出番こそ決して多くなかったものの、登場するたび印象的なセリフや立ち回りを披露し、それを中の人であるそらまる氏が完璧に演じきっていて素晴らしかった。
特に5話の「アイドルっていうのは~」というセリフ、12話の「あんた、それ本気で言ってるの?」から始まって激昂するシーン、いずれも本作屈指の名場面である。
結果として、気難しいところもあるけどそれ以上に可愛いところもいっぱいあって、実は1年生組と一番仲が良くて(面倒見の良さを想像させる)、そしてアイドルに対する強い想いが芯にあってと、これでファンが増えないわけがない。
もう一つの注目株は、花陽役のシカコ氏。
同時期にやっていた琴浦さんの出演で知っていたけど、元ファッションモデルなのにあれだけ芝居や歌が上手いのは嬉しい驚きである。
何より最近の声優さんは新人であっても「上手く演れて当たり前」になっている。専門的にプロの指導を受け、その中で見どころのある人がオーディションを勝ち抜いてマイクの前に立っているのだから、そりゃそうだろう。
そして、そんな新人・若手がひしめく中にあってもなお、彼女は上手である。
この調子で頑張って欲しいし、今後が楽しみである(最近だとオルフェンズにチョイ役で出てる)。
一方で、本職声優でありながら芝居も歌も…という人も残念ながらいる。まあでも「最初はヘボでも出撃を繰り返せばベテラン」なんて話もあるし、二期以降もう少し上手くなっていることを願いたい。
えっもしかしてやらないとか?
昨日仕事が辛かったとき、「今、神様に一つだけ願いを聞いてもらえるとしたら何にするか」という妄想で乗り切ろうと、願いの中身を検討していた。
以前もっと辛かったときなら「ぜんいんころしておれもしぬ」みたいな願いだっただろうけど、今はそこまで悪くないので、もう少し建設的に行くことにした。
目の前にある仕事を一気に片づけてほしいか?
否、この仕事は客商売だ。業務時間内は常に新しいタスクが発生するし、その日発生した分が終わるまではどうせ帰れない。
一切のミスも遅れも出ないほどの超有能になりたいか?
否、別に有能になること自体に憧れはない。仕事の有能さなんて結局、新たな仕事をゲットする役にしか立たない。今より仕事増えてほしくない。
それに、客は来るときはまとめて一杯来る。どれほど有能でも、10人いっぺんに来たら誰も待たせないことは不可能だ。
どれほど待たせても怒られない特権がほしいか?
否、表面上怒られなくてもイライラは内に蓄積されるものだ。苛立っている人がそこに存在するというだけで十分怖い。後でこちらの悪口を言われたりするのも嫌だ。
などなど考えて最後にたどり着いた願いは、「客は全員、やってきた瞬間に時間が停止して、自分の番が来た時に解除される仕様」だった。
つまりこっちの仕事量は何も変わらないが、客の主観的には全く待たされていない状態だ。
仕事量が増えてしまうのはいい。業務時間を過ぎれば新たなタスクは発生しないから、頑張って一つ一つやればいつかは終わる。
ミスしてしまうのは、もちろん良くないが、自分の失敗で怒られたりするのは仕方ない。
でも、客が一度にたくさん来て待たせてしまうのは、どう考えたって俺のせいじゃない。俺のせいじゃないのに、早くやらなきゃってプレッシャーで死にそうになる。
これはきっと、俺が元々ノロマで、なんでも「もっと早くしろよ!」と怒られてきたからだと思う。
理屈では自分のせい(だけ)ではないとわかってても、待たせることに対する恐怖がすごくあって、パニックになってしまうのだ。
しかし、だとすると客商売はかなり向かないタイプかもしれない。進路選択を誤った。
あ、でも同僚や他のスタッフを待たせるのもプレッシャーなので、客商売じゃなくてもダメだなきっと。
俺のタスクが終わるまで客だけじゃなく俺以外の世界のすべてが時間停止してほしい。
なんてことを考えながら手を動かして、どうにか仕事は終わった。
こんなこと考えてるから遅いのかな。
大学を卒業して、片田舎の地元で就職して実家に戻り、早7年になるけど
最近、村の役回りが次から次へ当たるようになって閉口している。
それだけでも心身疲れきってるのに、
あのなあ、若くてそこそこやれそうだからって何でもやらせようとしてるだろ。
俺は知っている。
村の役回りを引き受けたらどうなるか。
登山とか温泉とかグラウンドゴルフとか、休日をジジババとともに付き合わされ、
あってもなくてもいいような自治会活動と村内権力闘争に忙殺され、
たいしてやりたくない事をこれでもかと押し付けられて、
若者が夢を見失い、自立心を削がれ、疲弊し、婚期を逃すことを。
村にはそういう30代〜50代の独身男性がかなりの割合でいて、
そういう人達はたいがい、色々な村の役を任されて
半分人生を諦めたような顔で日々を送っていることを。
自分はあんな風になりたくない。
長男だからとか、他に任せられる人がいないとか、若者だからとか、
昔からの村のしきたりと空気で有無を言わさず社会参画させられている。
やりたくない事を一切切り捨てて、
自分と、愛する妻や子ども、友だちや仲間のためだけに生きてる。
そういうのに強烈な憧れを覚える。
ハズレくじだわ。
誰かがしなきゃいけないからたまたま自分がやってるだけの役割に
魅力も興味もへったくれもない。
田舎で自立できないまま年を取っていく。
最近、『ベイマックス』に関していろいろな角度から意見が出ていますが、私も思ったことがあったので一つ。
もう既出かもしれない。
映画『ベイマックス』と講談社から出てるコミカライズ版について。
まぁ読んですぐわかるストーリーの違いとか設定の違いとかそういう話をしたいわけじゃないんです。
コミック版も面白かったと思います。ヒロくん可愛いよヒロくん。
兄さんとの別れとかもすごく劇的だし、黒幕に関してはちょっと別のフラグも見えてくる感じで面白い改変だったと思います。お母さん生きてるのは解せないけど。
まぁ、それはそれで置いておいて。
映画『ベイマックス』がPCに配慮されてる、みたいな話題はしばらく前からちょくちょく出ていたと思います。
正直PCとか差別問題とかにとりたてて詳しいわけじゃないし、私としてはとりあえず、「誰かを不愉快にさせるような表現」がないか、ってことに気をつけていくべき、ということなんだろうな、というぐらいの認識です。
でも、私は映画見て、そういう記事読んで、正直「いろいろ考えてる人は大変だなぁ」って思ってしまいました。
確かに、配慮されてたし、すっきり何も不愉快さを感じることなくひたすら面白かった。
あと、この映画の世界って基本的には誰もいじめられなくて、起こる死や怪我は基本的には事故で、
なんていうか、すごく悪意のない世界だったんだよね。
でも、「だからこの映画には価値がある」と言い切るのもどうよ。
面白さの理由の一つに数えるのはいいけど、それで延々論じるのもなぁ。
日本のアニメはPCに配慮されてない!って、まぁそういう作品もあるかもしれないけど、少なくとも言われるまで問題にする気なかったよ私の中では。
そのぐらいの感じで読んでました。
でも、コミック版を読んで、私はその部分に映画版との違いを感じてしまった。
こういう話になると、いっつも女性問題がどうのフェミニストがどうのっていう話が湧いてくるので、今回はそういう政治的「差別」の話は抜き。
したいのは「世界にある悪意」の話。
例をあげましょう。
ハニーレモンとゴーゴーです。
この二人には、コミカライズによって映画より強調されている性格があります。
ハニーレモンがドジっ子である点と、ゴーゴーが少々(?)暴力的な子であるという点。
こういったキャラ付けは、(少なくとも私は)映画では読み取れなかった。
もしかしたら、そういう設定はあったのかもしれない。でも映画ではハニーレモンは超ポジティブな子だったし、ゴーゴーはクールでタフだった。そういう面が強調されていた。
みんなけっこうマイペースというか自由人だけど、彼らのそれは短所として扱われていない。
確かに、キャラクターに欠点を設定すると、キャラが生き生きして動かしやすくなる、キャラ立ちする、という効果はあります。たぶんそういう目的でついた設定なのだと思います。
でも、それって本当に必要だったの?
さらに、コミック版のヒロはそれに「ノロマ」「バカ」「暴力女」と評価をつける。
うちのヒロくんはそんなこと言わない(モンスターペアレント)
なんとなーく、悲しくなってしまったんですよね。
こんなのなければ、私もっと楽しくストーリーを追えたのにって。
ついでに言えば、エピソード0、ヒロくんが天才だったことで子供たちにいじめられていたという設定。
確かにこういうのよくあります。私も好きです。そういう設定。いいよね。
でもそれ、本当に必要だった?
映画を見ていると、あの映画の世界でそういう前日譚があったようには思えないんですよね。
映画『ベイマックス』の世界は、「悪意」が少ない世界だった、と書きました。
でもコミカライズの世界には映画よりも「悪意」が確かに存在している。
実際の世界なんてコミカライズのほうです。世の中の面白いものの大半は後者のような「悪意」が生み出してると私は思ってる。
普段漫画を読んでる時に、私はそんなこと気にしない。
でも、映画を見て、コミカライズを読んだら、その違いにひっかかりを感じてしまったんですよね。
私はハニーレモンの性格付けが女性としてどうの、とか、日米の違いがどうの、とかを言いたいわけじゃありません。(たぶんD社は確認してOK出してるんだろうし)
最後には好みとジャンルの問題です。嫁姑の確執!みたいな「悪意」の部分をひたすら楽しむレディコミとかあるしね。それはそれで。
集団で話題や空気を支配する人物を「ムードメーカー」という。物事がうまくゆくには「ムード」がとても大切なのは分かるよね。
それを自分という人間にも当てはめる。それが「自分のムードメーカー」だ!
さて「未確認で進行形」で一躍脚光浴びた女性声優は?は?そう、「ぱるにゃす」。クイズ王なら常識だよね。
それを意識にも当てはめて意識にもパルスというものがあると気付く。脳幹網様体って知ってますか?
まあ意識の神経基板の研究についてgdgd言っても仕方ない。脳波なら誰でも知ってるよね?バイオリズムって言うよね。
さて物事がうまくゆくには自分のペースをつかむことが大切。マイペースは協調性の欠如とノロマのイメージがある。
協調的でサクサクなマイペースだってあっていいじゃな~い?おかしくな~い?
さてペースメーカーって言葉はペースの新規作成のイメージがある。でも自分の中に既にあるペースだってあるよね。
そういう場合は「ペースをつかむ」って言う。仕事のペースをつかむとは、自分のペースをつかむってことだ。
さて「それにしてもこの男ノリノリである」と言ってたナレーター誰だっけ?踊ろう踊ろう終わらないDance beat。
ノリがあるとスイスイ進みやすい。α波やθ波が関係してるらしい。
どんな仕事も小さな技能の組み合わせで出来ている。個↑々↓の技能を磨き上げ、組み合わせを磨き上げるのだ。
今はくっさい原石だけど磨き上げるとキラキラになる。熟練工は皆、珠玉の技能の数々を持ち合わせている。どんな美味しい料理も、結局は技能だろう?
「技術や知識なんかじゃねえ、心なんだよ」みたいな名セリフあったな。思い出せない。
でも、それは技能が偏ってたりチグハグだったりするだけで。結局は、技能だろう?そうは、思わないかい?脳神経外科医。
さてコーヒーを飲むとテンションがあがる。人に褒められると木に登りたくなる。それは単に「テンション」とか「ムード」って解釈される。
でも、結局、技能だと思わないかい?外科医だって結局技能。高度に発達した技能は魔法と区別がつかないだけで。
ブラックジャックをブラックボックスに閉じ込めるのは、もうやめちまえ。
その謎をとくカギが「ペース」。意識のパルス。自分の中にそれはある。そのペースをつかめるか、作れるか。
さて面白いことに技能は磨くほど「ノリ」やすくなる。モデルさんは見られるほど美しくなる。技能は乗るほど磨かれる。磨かれると乗りやすくなる(二度目)。
セントジュエルを探すんじゃない。磨くんだ。自分のなかに煮っ転がってるものをまず磨く。
逆に言うとね、磨けないならテンションで乗り切るしかないんだよ。武士道と云ふはテンションと見つけたり。昨日の農民は明日の剣豪。
湯浅がピンポンやると発表された時のワクワク感を返してほしい。
こちとら試写まで行くほど楽しみにしてたのに……。
等の要素があります。
1.「早くして欲しい意向(伝えてる)」
2.「早くする方法(抜けてる)」
3.「早くするとどうなるか(わかってほしい)」
1.頑張れと声かけ
してるんだ?
せっかちってそういうもの?
に取り組むだけで前向きに解決方向へ進みそうな感じとかしないんだ?
せっかちってそういうもの?
それはズルじゃないよ。粗雑に扱っているだけ。
無根拠にそう断言されても。
優秀な人間を薄給でこき使うことは長期的リスクと引き換えに短期的には利益を増やすが、
ノロマに成果分以上の給与を与えても得しないから、同じ給与なら雇用者は低い方に合わせているとみなすのが自然。
「ズル」とは言ったけど、最初から違法行為とも悪徳企業氏ねとも言ってないよ。
こき使われる人間が悪いよ、その通り。
ずるい【狡い】
成果を均して給与にしているだけ。
「成果を均す」という行為がズルだね。
それぞれ違う成果を上げているのに、「均す」という名目で低い方にそろえて同じ成果とみなしている。
増田が年齢、障害、病気などでノロマにしかこなせなくなった時、周りからどやされても仕方ないよな。
はー自己PRとかしたくねえー。どうせ自分の上位互換みたいな人間なんか世の中には沢山いるんだしさ、自分の長所考えてみたって、「やるべきことはきちんとやれるタイプです!」とか、それ長所っていうより人として最低限そうであるべきラインのことだから。はあ。
っていうか自分の長所探してPRとかしたくねえー。客観的に見ればそこまで卑屈になるべきじゃないって思うよ、サークルで仕事みたいなことして成功させた経験もあるし、勉強だって世間的にみたらできるほうに入るんだろうしさー。生まれてこのかた色恋沙汰に縁がなかったわけでもないんだしさーコミュ障気味は認めるけど友達と呼べる人も少ないけどいるんだしさー。あー自分を卑下したい。こんな人間クズだって愚痴って愚痴って愚痴りたいけどそれを友人に言うのも失礼だし、ちがうんだ、自分に自身が持ちたいんじゃなくてさ、励まして欲しいんでもなくってさ。
そんでさ、こんなバカでなあんにもできないノロマでクズで仕事ができないやつを、こんなのを社会に出させたらみんなに迷惑なんですう、グロメンがちょーしのってもキモいだけなんだからコミュ障なのはちょうどよくって、きたねー家でスマホいじってるのがおにあいなんですう、っていう叫びをそうだねそうだねって肯定して、でもそんなキミが大好きなんだよって養ってもらいてえーーー。
はあああああ。
でも自己PRして就活がんばって、そんで社会人になって責任持って仕事しなきゃなんでしょ?やだなー。はああああ。ひもになりたーい。
体罰とか感情的に怒る事が、一時的に効果を出すことはあると思うんだよ。
例えば俺みたいな、怠け者だが人に怒られることをやたら恐れるような奴にはさ。
俺は、怒られると自分が100%悪いと思っちゃう。冷静に考えると相手の方が理不尽でも、そんな気になっちゃう。
だって俺なんて愚図でノロマで怠け者で馬鹿だから、自分ではどこが悪いか分からなくても、怒られるような非がどこかあるに決まっている。
とにかくそんな訳で、怒られるのを避けるために、出来るだけミスを無くして仕事をうまくやろうとする。
よく怒られ過ぎるとミスを恐れて消極的になるって言うけど、仕事が出来てなければそれはそれで怒られる訳だから、与えられた仕事についてはとにかく可能な限りクオリティを上げてやるしかない。
結果的にどの程度上手く出来ていたかは微妙だけど、怒られることへの恐怖が無かったら、俺の仕事のクオリティは多分もっと低かった。
過去形で書いたのは、結局俺はそのストレスに耐えられずに、仕事を辞めてしまったからだ。
俺が去った後の職場で「あの根性無しの腑抜け野郎が!」と誰かが怒っているかもしれないが、もうそれを目の当たりにすることは無い。
で、まあ、皆が皆俺みたいな根性無しではないだろうけどさ。
振り返ると結局、怒られる事によるブースト効果って、一時的だったんだなあと思う。
馬に鞭入れて全力で走らせて、ゴール前に力尽きるみたいなもんで。
最初の頃に俺を怒っていた奴らは、「自分が怒ってやったからアイツもいくらか仕事が出来るようになった」なんて思っているかもしれない。
今俺がこうやって燃え尽きて引き篭もってる事なんか、知りやしないんだろう。
「反復」と聞くと「原始的」「非効率的」と思われる場合が殆どである。
タイトルにある「効果的」の「効果」を「利益を獲得できる人数」*「獲得できる利益の大きさ」と定義すると「反復」がまず間違いなくトップないし上位に浮上するだろう。
他にも色々ある勉強法は、獲得できる利益こそ大きいかもしれないが実際に利益を獲得できるのはごく少数である。
複雑で合ったり、スケールが大きすぎて実行できない場合が殆どだからだ。
心理的原因から実行が困難なものもある。
しかし「反復」は準備期間(ここではある勉強法を行う方法を習得する時間)0で行えるし、何より確実に収獲がある。
「significant」という英単語がある。英語に縁のある人は発音から簡単にスペル・意味を覚えられるかもしれないが英語に縁がない、あるいはバカでアホでノロマな人は1回では絶対に覚えられないだろう。
しかし暗記カードに書いたこの単語を100回学習したらどうだろう。
バカでアホでノロマな人でも確実に覚える。
「数学」のような科目では「反復」は使えないと思われがちだが強ちそうでもない。
私は数学が別段得意ではなかったが数学に困ったことはなかった。
はてなブックマークでもあったが私は「問題を何度もやって暗記」していた。
何も勉強していない時点で問題を出されても私は解けなかったに違いない
数学はひらめくことのできる人のためのものと思わなくてもいいだろう。
私のようにひらめかない人でも暗記で乗り切った。
今、色々な勉強法を試行錯誤して迷っている人は「反復」に戻ってみてはどうだろうか。
原始的かもしれないが効果は確実に期待できる。