はてなキーワード: ケンカとは
過去の増田の投稿を見てないからなんともなんだけども、ちょっと思うことがあって書いてみる。
今の奥さんと別れる気持ちがあるなら、完全に新しい女の子へ気持ちが行く前に、一度奥さんと大げんかしてみてはどうだろう?
自分が奥さんに対してもっている不満や不安を、思い切りぶつけてみてはどうだろう。
今回のケースだと、「なんで話し合いをさせてくれないんだ!」ということを特に伝えることになると思う。
話し合いができない状況のようだから、ケンカして一方的に伝えてみるしかない。
彼女や妻と話し合いができない、させてくれない場合は、話し合いができるような関係づくりをしないといけない。
毎回話し合いじゃ相手が疲れてしまうから、大事になる前にサラッと伝えたり聞いてみる努力も必要だし、本当にヤバイときはガッツリと話し合いをしないといけない。
ちなみに、話し合いが不要な夫婦もいるが、夫が亭主関白というか妻をグイグイ引っ張っていけるリーダーシップがないと難しい。
結婚8年目と聞いて、正直すごい!と思った。
客観的にみると順風満帆には見えないけど、セックスレスにもなっている状況で今までやってこれたのは、本当に奇跡だなって思うし、増田の努力の効果もあったのだと思う。
必要以上に崇拝していたりするわけではない。
なにが辛いって、どの女もほとんど同じで
まったく汲もうとしてないところ。
愛の楽しさ・うれしさ・ありがたさと苦しさは表裏一体だ。
受け取るにしても与えるにしても、
相手とかみ合わなければならず、
残念なことに往々にしてそこには不整合が多い。
だからこそ人は苦しんでそれを乗り越えようとする。
相手が幸せであることを願うがゆえに自己を省みてあるいは否定し、
その不整合を減らしていこうとする。
そのようにして作り上げていかれる。
しかし彼女らの文章にそれらの愛の態度はシミひとつも滲まない。
世にこういう人間は決して珍しくはないのだ、
俺のすぐ近くにいるかもしれないのだと思うと、
本当に哀しくなる。
人というものが信じられなくなる。
~の件なんだけどさ、ラーメン屋の客が「ファッキン・コリアン」と罵倒したのが差別だって噴き上がってる連中が大勢いるけど、差別絶対許さないマンたちは、逆上する前に高確率で発言した本人が差別かどうかなんて考えてなくて、乏しいボキャブラリで精一杯罵倒しただけだろうってあたりまでちゃんと想像しような。
例えば、どこかの店にいるとき、ブルキナ=ファソあたりからの旅行客が現地語で謎の歌唄いながら、店内で激しく踊り出したとして、とっさにブルキナ=ファソの公用語、フランス語とか現地語とか英語で「店の中で踊らないでくださいよ」と言ってたしなめられる奴が何人いる?(いや、あのあたりの人、礼儀正しいからほぼ絶対そんな真似しないと思うけどさw)
大抵の奴はカタカナ語で「ストップ」だの「ゲラウト」だの「ヤンキー・ゴーホーム(※なんでヤンキーかって言うと、欧米系の言語喋ってる相手はドイツ人だろうがロシア人だろうが、とりあえず全部ヤンキー呼ばわりする妙な習性持ってる日本人が結構いるからだが)」だの言うのが関の山じゃないか?
わりと英語力がなければこうした局面で「Nigger」ってフレーズは出てこないと確信できるし、ましてやフランス語で罵倒するなんて曲芸はほぼ無理だ。
なのになんで京都のラーメン屋でほかの客にケンカ売るような奴が、的確に英語で差別的な内容を選んで発信できると思えるのか。
その上で、「だから日本人は~」だの「ネトウヨが~」だの、大喜びで騒ぎ立ててるの見て、かなり呆れているわけなんだが。これが噂の認知バイアス、と言うものなんであろう、きっと。
ラーメン屋で他の客にケンカ売るような馬鹿を擁護する気は、かけらほども無いけど、なにやらメディア(要するにBuzzfeedのことな)を含めて頭の悪い性悪説だか陰謀論だかにどっぷり浸かっているようなんで、一応。
あと、ピンポイントでコリアン名指ししてるのは、ハングルってのはわりと耳慣れてるから、相手が韓国人だくらいは普通に判断が付くからという理由で説明できると思ってる。
toratsugumi記
馬鹿だのクソだのの罵倒語で、ボキャブラリがない場合に英語で一番出易いのがファッキンとかマザファッカあたりだと思う。想定してる階層は間違ってもAssholeとかJerkとか、Dickheadなんて罵倒はしないだろうと思うぞ?
自民に反対してるから、既存勢力にケンカ売ってるから、そんな理由だけで安易に支持される
確かに権力の中心からは外れてるかもしれないけど、それはそれで結構おいしいポジションだ
当の自民すら、小泉時代には敵に「抵抗勢力」なんてレッテル貼って、その位置を奪ったんだぞ
自分が変わるのは嫌なのに、他人に改革を押し付けるのは大好きで、それを煽る奴を持てはやす
今の野党はそこを占めてるはずなのにこの体たらくという無能だからどうでもいい
問題は、例えば自民の内部争いで負けた奴が出てきて、このポジションに居座ることだ
元々それなりに実力のある奴にフリーハンドを与えかねない
でも抱き合うのは好き。おやすみのキスをしていつも一緒にくっついて寝る。
むらむらする時はセフレと遊ぶ。それでしばらく落ち着いていられる。
以前は断られると、私の事が好きじゃないんだ、もう私には魅力がないんだって
悲しくなって沢山ケンカをしたけれど、今は平和。倫理的に問題はあるけれど平和な方がいい。
そんな1人が30代で立たなくなった。
毎日残業で上司とうまくいかないらしい。会うと抱き合って昏々と眠る。ただそれだけの24時間。
一見健康そうに見える。マラソンが趣味で体力はある。だけどさわると玉が小さくなっている。うずら位。
もうずっと性欲がないそうだ。結婚したかったけれど、諦めたという。
最近、子供ができないから、セックスができないから別れたという話を何度も聞く。
ひょっとしたら、男の人にもあがり、、、があるのかもしれない。
そうなったらどんなにエロい事をしても苦痛にしかならない、、、ように見える。
それでも、1人で居たくないっていう。
それでも、結婚したいっていう。
みんな幸せになれたらいいのに。
オヤが離婚したとか、一言も言わなくても近所の人もクラスメイトも、みんなに知られちゃう。
でも、言ってもいない人に知られるのはイヤじゃないかな。
私が子供の頃はまだそんなによくあることじゃなかったから、同じ状況だったらホントすごくイヤだったろうな。
親が別れたことはすごくよかったから、離婚はすごく肯定するんだけど。
(家から争い事がなくなったからね。すごーくほっとして、ホント嬉しかった)
「別れた方がいいよ!」
しか言わなかったから、我ながら相談相手としてどうなのかと思ったけど。
だってさー、「子供の為には親が揃ってた方がいいのかな?」って言われても、
自分としてはケンカばっかしてる親ならいない方がよっぽどいいよ!としか言えないしね。
振り返ってみると、父と暮らしたのは正味5年くらいで意外と短かったと言えなくもない。
楽しかったこともあったはずなんだけど、イヤなことの記憶に残るパワー、マジでハンパない。
独裁者みたいな父がいなければ、うちの中がもっとずっと静かで平和であることは間違いない事実だったからだ。
今もあのとき母が離婚を決断してくれたことには、賛辞を贈りたいし、素晴らしい決断だったと思う。
死んだ人を悪く言うなと言うけれど、父のことを何か語れといわれたら、悪口雑言尽きることがない。
本当に!!
両親が別れてくれてよかった!!!!!
お前らA「おうお前ら、こいつを見習って超良い奴になれや」
お前らB「そういうお前が超良い奴になってから言え」
お前らC「何だコイツ格好つけやがって」
お前らD「これぐらいは人間として常識、それでよく偉そうにしてるな」
お前らE「こういう事を強制する奴はクソ」
お前らF「そんな話を芸能人さんはしてません」
お前らH「頑張っても出来ない人もいる」
お前らI「こういう奴ら見てると脱童貞したばかりでイキッてる奴が浮かぶわw」
お前らJ「w付けんな死ね」
お前らM「整形すればいいだけなのに……」
お前らN「お前らケンカすんな本題について語れ」
お前らQ「このまとめ前にも見たわ」
お前らS「良いことをするのに理由がいるの?」
お前らT「アンチ乙www芸能人さんは何も間違ってないというのに」
お前らV「何だコイツ格好つけやがって」
お前らW「コシヒカリ以外は粟や稗と同じみたいな論調やめろや」
お前らY「話がズレてきてるんだが」
お前らGT「そもそもネットで真面目に議論してるアホってなんなの?」
今話題のまとめもそうだけど、ネットの議論って大抵いつもこういうテンプレ展開をなぞるよな。
なんなの様式美なの?
だってすぐ怒るんだもん。
怒ったら人が変わったみたいに暴言を吐くんだもん。
キレる原因は「お前の言い方が気に食わない」っていう、ちょっと何を気を付けたらいいのか抽象的すぎてわかんないようなのがほとんど。
最初は、人によっては受け取り方が違うから私も言葉遣いに気を付けないといけないな、って思って気を付けてたけど。
あるとき夫の言った一言で気が付いた。「同棲してた彼女とはケンカが絶えなくて別れたんだ」って。
私、悪くないわ。私、ケンカが絶えなくて別れたことないし。ケンカしたことあるけど毎月じゃないし。むしろケンカとかイヤだから溜め込むほうだし。
そういえば、「言い方が気に食わない」ってキレるけど、同じこと言ってもキレないときもあるし。要はストレスが溜まってキレるぞーってなったら何を言おうが言うまいがキレるんだなって。
前に「子供の名前をあだ名で呼ぶのは自立心が育たないからやめろ」って急に言われて、そんな説聞いた事ないし、呼び方くらい好きにさせろよって思うし、第一お前の母さんもお前のことあだ名で呼んでんじゃんって思ったけど、そんなこと言ったらブチ切れられんのわかってたから
「そっかー。知らなかったから調べてみるよー」とか「急には子供もびっくりするかもしれないから徐々にねー」とか「懇談のときに先生に聞いてみるよー」なんてネコナデ声で言ったんだけど、甲斐もなくブチ切れ。
「オレより先生のいうことを聞くのか」だって。まあ、正確にはどっちの言うことも聞かないけどね。呼び方なんて好きにしたらいいから。そっから延々1時間、大体「お前の考えは浅い」って言ってるかな。
たぶんね、私がいうこと聞かなかったのがいけなかったんだよね。「へえー。そうなんだー。子供の呼び方と自立心に因果関係があったなんて知らなかったー。あなたってすごーい!さっそく今日から子供のことは名前で呼ぶことにするねハート」って言えばよかったんすかね。
ほかには、子供が学校でケガしたとき、担任の先生から電話がかかってきて事情を説明してくれたって話をしたら「オレらのときはそんな、電話なんてかかってこなかったけどな。まったくゆとりだな」なんて鼻で笑ってて。「でも、子供の説明ってイマイチよくわからないから先生から話してもらえると事情が分かってスッキリするよ。小学校のときからそうだったから、あんまり変に思わなかったけど」って言ったら、やっぱりブチ切れ。私が反論したのがいけなかったんだな。
「ほんとだよねー。全文同意!だからゆとりって言われるんじゃんねー。私、さっそく明日にでも先生にいちいち電話してくんなって、抗議するー。さすが旦那さまハート」って言えばよかったんすかね。で、そっから1時間また説教。仲直りのタイミングも夫次第。しかも2日後まで根に持ってぶすーっとしてる。
大体さ、ストレス溜まったらキレて、反論したらさらにキレて、「お前が間違ってる」「考えが浅いよ(フフン)」「なんでオレがお前に意見されなきゃいけないんだ」「こんな母親に育てられた子供がかわいそうだ」「友達もいないお前が人間関係のことに口出しすんな」なんて好き放題言って、夜中だろうがなんだろうが1時間でも2時間でも気が済むまでおんなじことしゃべって、こっちが黙ってたら「いつもお前は話を聞いてない」ってまたキレて、やっと黙ったかと思ったら、大げさにため息ついて、舌打ちして、三白眼でにらんで、好き放題してるくせにまだ気が収まらなくて2日もひきずるってどうなの?
「お前って言われたことないし、ケンカのとき言われると怖いからお前って呼ぶのやめてくれる?」って言ったら「お前の口のききかたがなってないからだろ」って、「毎月ケンカってしんどいし、ケンカにならないようにお互い何か考えようよ」って言ったら「お前が態度を改めたらいいだろ?」ってどうなの?
で、自分が甘えたくなったら謝りもせず抱きついてきたりイチャイチャしようとするってどうなの?
イチャイチャしてくるの断ったらまたキレるから我慢してるけどさ、こっちは言われたい放題に言われて反論もさせてもらえなくてさ、もやもやするよね。笑顔でウエルカムってわけにはいかないんだよね。
仕事中に、妻からとてつもなく暗い、ネガティブな内容のメールが送られてきます。
たとえば、
(結婚式の内容について前日に話し合って合意が取れてた)内容だけど、やっぱり納得がいかない。どうして私だけが合わせないといけないの?とか、
妊娠していなかったらどうしよう。もう生きていけない。とか、
つわりがもう無理、私だけ辛いのが許せない、とか
育児が辛すぎる、もう無理、できない(がん泣きする子供の動画を添えて)とか
仕事復帰を巡って、十二分に話し合った内容について、申込期限の直前に、
やっぱり決められない!どうしよう!どうしようできないどうしよう!!とか、
昨日の夫(私)の態度がどう嫌で、もう呆れています、返信は結構です、とか、
ケンカや話し合いで決着済みのことを蒸し返される&その時には言えなかった本当の気持ちが送られてくる、とか
その時々の暗い、悲観的な、見ててどよんとしてくるような内容のメールが1~2週間に1回くらいで来ます。
私も放っておけばいいのでしょうが、あまりに追い詰まっているような暗さのメールなので、つい「大丈夫かー!」とか、「おつかれさま(涙)」とか言ってやり過ごしたり、
感情が高ぶっているときは、私が何を返しても、質問しても、自分の言いたいことだけをガンガンに送ってきます。
ネガティブなものを一方的に排出されて、サンドバッグになったような気持ちになります。
しかし、仕事中で、メールという方法なので時間も手間もかかるし、気持ちも疲れますし、仕事中の相手にこれ送るかね?と思い、少なからず妻への怒りも感じてしまいます。
直接愚痴ってくれるのなら、いくらでも聞くし、ねぎらいだってします。
メールでだって、そこまでどん底にネガティブじゃなければ、やり過ごせるつもりです。
何度か、正直に、かなりキツいんだということ、私自身がメールで愚痴ったり相談する習慣がなく慣れていないから、
なにか思うことがあったら、顔を合わせて言ってほしい、ということを伝えたことがあります。
その時は、妻は「ほかに愚痴れる人がいない」と反発しつつも、
確かにメールでネガティブなことを言われる辛さもわかってくれたようでした。その時は。
ずっとなだめてきましたし、現実状況が辛くないように、妻の希望が一番通るように優先して物事を決定したりしてきたつもりです。
でも、いつまでたっても、どん底に暗い嘆きは終わりませんし、それがある以上、私自身が安心できないのです。
最近では、家にいても、明るくしても、家事育児をしても、私がいくらどう努めても、
きっと、あっという間に、あのネガティブなメールが来るのだろうし、家庭の雰囲気はダメになっていくんだと思うと、
心底、疲れてしまいました。
妻からは、暗い顔されてるのがイライラする。と言われてしまいますし、悪循環です。
(妻は、自分はそんなに悪くないと思っているような感じなので、婉曲的に、そうだと言われている気がします)
でも、正直、ふつうこんなメールがこんな頻度で送られてくるとも思えません。
離婚という方法ではなく、うまく付き合っていきたいと思うのですが、
今後もメールが続くとして、どう考えて納得したらいいでしょう。
外で怒鳴ってるおじさんを見ると、理由はどうあれとりあえずハリセンを取り出して「メルシーボクーーー!!」などと叫びながら全力で頭を張り倒したくなるのは僕だけじゃないと思う。
でもホントにやると殴り合いのケンカになったりしそうで、そしたら僕は自分でも驚くほどフィジカルが弱いので、そうなるともう僕には少し距離を取って周囲をフニャフニャと舞い踊るくらいのことしかできない。
回ったり踊ったり傘をクルクル回したりしていると楽しくなってくるので自然と笑顔になるのだけれど、昔から僕の笑顔は目が笑ってなくて怖いらしくてとても不気味だと言われる。
口角あがりまくった能面みたいな感じらしい。
鬼ごっこの鬼をしたら年下の子が漏らしたり、夢に出てきたとか言われて、結局鬼が回ってこなくなって、暇だから鬼を追走するようになったら鬼ごっこ自体開催されなくなったりした。
まあ、そんな顔のおかげか、毎回怒鳴るのをやめるまで続ける気概で気合を入れて挑むけど、まだ失敗したことがない。
とはいえ、中学生のころからやってるけど年に数回くらいなのでまだ通算50回もないと思う。
朝から怒鳴りつけおじさんに遭遇してしまうとたまに会社に遅れるけど、ちょっと遅れますって電話しとけばセーフぐらいの範囲で済んでて助かる。
踊りながら怒鳴りつけおじさんと何度も目が合うと、怒鳴るのを止めるか、たまにこちらに向かって怒鳴ってくる人もいる。
でも怒鳴られても、踊るのが楽しいのでウフフ、オホホと曖昧な返事をしていると皆じきに立ち去ってくれる。
怒鳴られていた人と一緒に「なんだアイツヤベェよ」「ヤバイっすね」と言いながら去ってくれたりするととてもうれしくて背中を見送る口角が余計吊り上がる。
きっとそのあと再開されるお説教では、道端で怒鳴りつけていた先ほどまでほどの熱はこもらないだろうから、もう少し理性的に話し合いや指導ができているといいなといつも思う。
最近なにやら診断も下ったりしたが、どうやら僕は物事の捉え方とか、やるやらないの判断とか、衝動の抑制とか、そういうのがいろいろ多方面にズレているらしい。
とはいえ昔から自分では、どれだけ周囲と自分を幸福にしつつなるべく善良に暮らそうとしても、純粋な気持ちで「人を殺してみたかった」とか言っちゃったり、自分のしでかしたことをものすごく他人事のように淡々と語ったりするタイプの、ヤバイ犯罪者の言動にごくナチュラルに共感できてしまう、かなり紙一重な感じのキチガイであると思っていたのでその辺はさして変化はない。
好奇心に対する歯止めがかなり薄いのだと思う。
やらかしてしまって理由を問われても、自分としては「やってみたくなったから」「気になったから」以上の答えがあまり用意できない。
なのでたまに職質されると、よしよし日本の警察はちゃんと僕のような不審な人物を見抜けているのだな、ととても安心する。
まあ、グロいのとか血とか痛いのとかダメだから、他人に物理的に危害を加える系の方向にはそういかないとは思うのだけれど、人から「優しい」と称され倫理観ブレーキ的なものがあるように見えても、単に自分がしたくないから偶然それはしてないだけみたいなスレスレ感が常にある。
そして、お外で怒鳴りつけるおじさん各位はそうした行為が、奇怪な風体をしたミニマムスローダンスおじさんである僕を呼び寄せるくらいキチガイホイホイであることを自覚して、ちゃんと戒めて欲しいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20170324224847
責任能力がメディアで取りざたされるのって、ギリギリの限界事例ばっかりだから、何のためにある制度なの?ってなりがちだけど、典型例はそうでもないんだよ。
例えば3歳の男の子が産まれたばかりの妹の鳴き声がうるさいと思って布団をかぶせて窒息死させたようなケースがこれに当たる(意外かもしれないがこういうケースは結構ある)。
他にも5歳の男の子同士がケンカをして、頭を棒で殴って死なせてしまったケースなんかも同様。
こうした男の子を刑事訴訟にかけて処罰しても、なぜ刑務所に入れられたのか分からないだろうし、あまり意味がない。下手すりゃ将来を奪うことになるし。
遠く離れて暮らしており、交流は子供の頃から夏休みと年の暮れにほぼ一日ずつ。
世間でそれが多いか少ないかは知らないけれど、一人っ子だった父方の、より高齢だった祖父母宅への泊まりがいつも優先されていて
私の中で母方の祖父母は「二番目のおじいちゃんとおばあちゃん」だった。
関係は良好だったと言っていい。けれど母方の祖父母には、その家に近く住む叔父叔母イトコが何人もいた。
私と名前の少し似ているイトコたちと私へ、祖母はいつも名前を呼び違えた。
お葬式で私はきっと泣けないだろう。そう思っていた。だって祖父の時には泣けなかったから。泣かなかったから。
泣いているイトコを見て「ああ私は泣いていないな」と思ったのだった。
祖父との思い出をたぐりよせようとして、交流の深いイトコたちを差し置いて私が泣いていいのだろうかとも思った。
ところでここで映画の話になる。「エンディングノート」という映画だ。
内容は、ガンで闘病のうえ亡くなったお父さんの姿を娘さんが撮影したドキュメンタリーだ。静かで私的な映画だ。
娘さんにはお子さんがいる。お父さんがそのお子さん、つまり「孫」と対面するシーンがある。
「孫の存在そのものをお父さんが大事だと感じている」のがもう映像からひしひしと伝わる。美しいシーンだ。
祖父を亡くした後に私はその映画を見て「人というものは生まれたという存在だけで大事に思うことがあるのだ」と思った。
あんな風とは違うにしても、私が生まれたとき、祖父母は子供に大事な存在ができたことを喜んでくれただろうと思った。
祖父のお葬式で泣けなかったことは私の中でどこかわだかまっていたけれど、一つの解を映画からもらった。
母方の祖父だけでなく父方も含めて。繋がりがほかより薄いなんて判断できない。
上記の祖父と映画の話を経ていたので「泣けないだろう」とは思ってもつらすぎることはなかった。
お棺へ花を入れるくだり、イトコたちは泣いていた。私は泣いていなかった。
でも「お父さんとケンカしないようにね」と言いながら叔母が花を入れて。弟がそれに「よくケンカしてたね」と軽く囁いてきたとき。
──私も知ってる。と思ったらふいに涙が出てきた。
ヤンチャな悪戯っ子のような物言いの祖父と、面倒見はいいが口うるさくあしらう祖母のやりとりが浮かんだ。
そうしてもう一つ、その数日前に見た映画を思い出した。
「人は死んだ後からでもその人のことを知ることはできる」
その台詞を思い出して、またひとつ、すこし赦されたような気がした。