遠く離れて暮らしており、交流は子供の頃から夏休みと年の暮れにほぼ一日ずつ。
世間でそれが多いか少ないかは知らないけれど、一人っ子だった父方の、より高齢だった祖父母宅への泊まりがいつも優先されていて
私の中で母方の祖父母は「二番目のおじいちゃんとおばあちゃん」だった。
関係は良好だったと言っていい。けれど母方の祖父母には、その家に近く住む叔父叔母イトコが何人もいた。
私と名前の少し似ているイトコたちと私へ、祖母はいつも名前を呼び違えた。
お葬式で私はきっと泣けないだろう。そう思っていた。だって祖父の時には泣けなかったから。泣かなかったから。
泣いているイトコを見て「ああ私は泣いていないな」と思ったのだった。
祖父との思い出をたぐりよせようとして、交流の深いイトコたちを差し置いて私が泣いていいのだろうかとも思った。
ところでここで映画の話になる。「エンディングノート」という映画だ。
内容は、ガンで闘病のうえ亡くなったお父さんの姿を娘さんが撮影したドキュメンタリーだ。静かで私的な映画だ。
娘さんにはお子さんがいる。お父さんがそのお子さん、つまり「孫」と対面するシーンがある。
「孫の存在そのものをお父さんが大事だと感じている」のがもう映像からひしひしと伝わる。美しいシーンだ。
祖父を亡くした後に私はその映画を見て「人というものは生まれたという存在だけで大事に思うことがあるのだ」と思った。
あんな風とは違うにしても、私が生まれたとき、祖父母は子供に大事な存在ができたことを喜んでくれただろうと思った。
祖父のお葬式で泣けなかったことは私の中でどこかわだかまっていたけれど、一つの解を映画からもらった。
母方の祖父だけでなく父方も含めて。繋がりがほかより薄いなんて判断できない。
上記の祖父と映画の話を経ていたので「泣けないだろう」とは思ってもつらすぎることはなかった。
お棺へ花を入れるくだり、イトコたちは泣いていた。私は泣いていなかった。
でも「お父さんとケンカしないようにね」と言いながら叔母が花を入れて。弟がそれに「よくケンカしてたね」と軽く囁いてきたとき。
──私も知ってる。と思ったらふいに涙が出てきた。
ヤンチャな悪戯っ子のような物言いの祖父と、面倒見はいいが口うるさくあしらう祖母のやりとりが浮かんだ。
そうしてもう一つ、その数日前に見た映画を思い出した。
「人は死んだ後からでもその人のことを知ることはできる」
その台詞を思い出して、またひとつ、すこし赦されたような気がした。