はてなキーワード: アインシュタインとは
こっちは知り合い以下としか思っていないのに向こうは親しい友人と思いこんでおり
それ以上の関係に発展させようと距離感を強引に詰めてきて気持ち悪い。
二人で何かしようとか、通話しようとか、住んでいる場所へ遊びに行きたいとか…
こちらからはっきりと断っても、なんなら嫌いだから距離置いてと頼んでも、無視しても
まったくこたえる様子がない。怖い。
この事をもう自分ではどうしたらいいかわからず、誰かに相談したいんだが
頑張ってもあまりうまく伝わらない
交友関係が少しかぶっているので完全に無視するとかしているとこっちが周囲に感じ悪く思われてしまうし
自分が大好きで一緒に居たい友人達とも関係を置く事になってしまうからだ…
空気を読む事ができないとか、正確に言ってもらわないと理解できないとか?
でもイチローやアインシュタインもそうだったとか、高機能社会不適合だから頭はキレるみたいな
なんならものすごく自慢げにそう言ってた。
頭がそんなに良いなら自分の言動が他人にどう受け取られてそれが自分にとって有利になるか不利になるか
その程度の事考えられないんだろうか?
ストラテラ、コンサータ、インチュニブ。こいつはドラクエの呪文じゃないぞ。俺たち発達障害者にとってのアルファでありオメガだ。辛いんだ。飲むとアドレナリンが胃の中で大暴れして、食事さえもできなくなる。
ぶっちゃけクスリの効果なんてろくすっぽ感じられない。健常者のフリがなんとか出来るって程度。なのにヤメたら元通り。あっという間に魔法が解けて、ただの落伍者にランクダウンだ。知的障害者ならまだいい。でも、俺たちは健常者と知的障害者の狭間に産み落とされている。社会からは見えない透明人間だから、いつだってセーフティーネットの濁りなき網からこぼれていく。
発達障害者には、常人にはない才能が備わっている、と人は言う。いわく、お前の内なる想像力を引き出せば、健常者どころか超人にだってなれる。いわく、お前は無限の可能性を秘めている。いわく、お前は磨かれていないダイヤモンドだ。シンデレラは意地の悪い姉を差し置いてプリンセスに、野獣は呪いが解けてイケメン王子に最後はなっただろう?You are エジソン and アインシュタイン and スティーブ・ジョブズ、blah blah blah…
ハイハイ、この話はもう終わり。そんな都合のイイ話、あるかってんだ。俺、本で読んで知ってるんだ。海馬とか側坐核とか、脳の一部が常人より小さいだけなんだろう?ようするにただの障害者なんだろう?
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
だが俺たちは?チートツールで隠しパラメータを読むまでもねぇ。当ててやるよ、顔面:E・体力:D・知能:D・幸運:E。ゲームならノータイムでリセマラ対象、競馬なら二束三文でデビュー前に売却さ。何かひとつは良いところがあるはずだって?残念、ギリギリ正常であり、かつ真に何の取り柄もないナチュラルボーンの無能だ。
生まれてこのかた、あらゆるコミュニティーで必要とされたことがねぇ。唯一慰めてくれる親は日に日に年老いていく。クラスのみんなは結婚して子供もいるらしい。数少ない俺の友だちは(友だちと言えるのか?)、未だに森の小動物みたいに鼻をヒクヒクさせながら実家に引きこもってやがる。
どこにも属せない俺はどうすりゃいい?最近じゃ、phaとかいうヤツが「持たない幸福論」とか提唱してるそうだ。社会に適合できないはみ出し者は、はみ出し者らしく断捨離して生きれば幸せになれるってさ。それにヨッピーは「明日クビになっても大丈夫!」だって。オイオイ、クビになったらどうすりゃいいんだよ?ブログ記事書けってのか?お前みたいに、パンティー被って裸で渋谷でも駆け巡ったらさ、お布施貰えるのか?
イラッと来たね。そんなことが言えるのは、お前が京大卒だからであり、あるいはお前が元商社マンだからだ。つまりお前らは確かにアウトサイダーかもしれないが、と同時に才能のあるフォレストガンプだからだ。文化資本があるからなんだ。頭がいいからなんだ。人には負けない才能があるからなんだ。ムカつくんだ。
なぁ、教えてくれよ。俺たちの物語には、ハッピーエンドが存在しない。そう言うと、お前らは「誰にだって悩みはあるし、ハッピーエンドの人生を送っちゃいない。まずはその思い込みから脱却しろ」と、ニヤニヤしながら言ってのけるんだろう。それ、病院のセンセイにもこの間言われたよ。でも、それってお前が、医学部卒で4LDKのタワマンに帰ると綺麗な奥さんが笑顔で暖かいご飯を作っており休みの日には子供と遊園地に行き血統書付きのラブラドールレトリバーを飼いベンツを乗り回し悩みをウンウン聞いて薬を処方するだけで年収一千万だからだろう?そう話したら、向こうは押し黙りやがった。
俺も努力すればそうなれるのか?いや、人並みの生活が送れるのか?お前は短期バイトすらロクに受からない人間の気持ちを、頭を横に振られながらゴミを見るような目つきでクビを宣告される人間の余裕を、必死に働いて手取り15万という人間の惨めさを、本当に知っているのか?
発達障害者には隠された才能がある。駄目なところではなく良いところを伸ばしましょう。みんな違ってみんなイイ。ダイバーシティ。人という漢字は支え合ってできています。もう、やめないか?そういう綺麗事。どうせ俺たちは見捨てられる。才能がなきゃ、発達障害者は愛されない。臭いものに蓋をするかのように。まるで最初から存在しないかのように。無能なフォレストガンプに救いは用意されていない。
そこに贖いはなく、最初から天罰だけが与えられている。それでも生き抜くしかない。マハロ・マザーファッカー。みんなくたばりやがれ。
あちこちの物理学者に「アインシュタインは間違っている」旨の怪メールを送りつけていた人。
http://www.cml-office.org/atom11archive/front/note/note15.html
・脂の多い肉に山葵をつけて食べること
心なしか翌日の胃もたれも少なかった。
60分コースが一瞬だった。今だけはアインシュタインに文句を言いたい気分…!
5,000円という価格設定に長らく躊躇してたけど、値段以上の満足感が得られた。
灯油入れる手間を考えてもこれに頼らなければもう冬を生きられない。
匿名ってだけで当社比200%ぐらい気楽にガンガン文章が書ける。
普段SNSで意見を発信する時に如何に周りにどう思われるか考えててオブラートに包んだ発言をしているかがよく分かった。
・水を吸収してほしいところの素材を全て珪藻土にすること
・Amazon定期便の利用
・自炊
・転職
・人を本気で好きになること
・本気で好きになった人に振られること
あああああああああああああもうどうしたらいいんだよ立ち直れる気がしねーぞ・・・
タイトルの通りなんだけど、私の親は統合失調症で、激しい被害妄想や独り言がある。薬を飲んでいて安定はしているので入院こそしていないけど、話せばおかしいことは分かる。(私が生まれる前は数年入院していた。)
私自身は何かの間違いで生まれてしまったような気がずっとしていて、正直なところ卑屈な気持ちを捨てきれない。親と自分は違うことは知ってるし、親がもし犯罪者だとしても子供は犯罪者ではない。親の状況がどうであれ、私自身が卑屈に思うことはないことは理論としては知っている。だけど、遺伝という名の強力な呪縛があることも分かっている。仮に私が逆の立場なら結婚には慎重にならざるを得ない。(特に私は親の病気を間近に見てきたからというのもある。)
私がもし統合失調症になったらと考えるとパートナーを酷く苦しめることにもなるだろう。するとやはり統合失調症の子供である自分は結婚を諦めるべきなのだろうか。
■追記
優生保護法ってありましたよね。生活に支障をきたすような遺伝子の持ち主なら生殖能力を取り除きましょうというやつです。もし今もその法律が有効なら、私は生殖能力を取り除かれたかもしれません。
私の友人で競馬ファンがいます。その友人はよく言うのですが、結局は血統がすべてで、ダメな馬からは良い馬は生まれない、人間も同じ、と。
一方で優生保護法を突き詰めようとしたら人類の歴史に名を残す人がたくさんいたと言う事実もあります。アインシュタインやケネディーの子供や親族には統合失調症の人がいます。
また片親が統合失調調で子供が統合失調症になる可能性は10%弱です。親が統合失調調でなくてもなる可能性は1%です。割合は高いですが、発症の可能性はそこまで高くはありません。
ふと気づいたのだが、ネットで声のデカいこれらのアホはあまりにも思考回路が似通っている。
よってひとまとめにしてひとつの病状で言い表されるべきだ。
実際、層は近いと言うどころじゃなく被っていることだろう。
非モテ、ラノベ、ネトウヨ病の一般的な症状は、「客観的に見れば欠点がすぐわかる自分(の好きなもの)を、とにかく現状はまったく変えないままで屁理屈だけで他人に認めさせようとする」ところにある。
自分でも萌えや燃えくらいの評価しかできないのにラノベを芸術として認めろとか言い出す。
他国を批判するときは人権や平等性の問題点を理解できるのに、日本が批判されると「それの何が悪い」「ここは日本だ」で通して恥じもしない。
子供の駄々と言えばそれまでだが、匿名インターネットでいい加減に放言できることを差し引いても度が過ぎている。
無責任に唱え続けるうちに、自分でもそれが正しいと無根拠に信じ始めているのだろう。
だから、改めて「客観的にわかる欠点」を問われると、ただ発狂する。
こういう話を思い立ったのも、ネットの某所で久々に、相も変わらぬ「文学だって昔は低俗だった」論を壊れた機械のように繰り返している非・ラ・ネ病者を見かけたからなのだが、その「低俗だった」小説を東大卒のインテリがよってたかって批評し、創作し、芸術性を証明したからこその今日の文学だというだけの話を何故理解できないのだろう?
文学だけではない。
かつて低俗とされ今はそれなりの地位を築いたものは全てその初期に「これは読む(見る)価値のあるものだと証明してやる」と意気込んだ先人が、科学考証を緻密にしたり、作画、芝居、ストーリーテリングの隅々にまで拘って、作品の力そのもので世の中に価値を認めさせてきた結果である。
断っておくが自分自身は、90年代のラノベに退屈な既存文学のオルタナティブになるパンクな文学の萌芽を見たものである。
しかしそれらを感じさせた作家も消え、ラノベは当時よりももっと「ライト」な、消費材としての物語を量産し続けている。
何が悪かったのか?
時代が悪かったのか?
失われた20年とやらの、国全体がネトウヨじみた、いじけた空気に包まれている時代に生まれてしまったから、ラノベもいじけるしかなかったのか?
世が世なら、昭和の漫画、アニメのように負けん気の強い先人が「子供向けのラノベでも芸術性のある作品が作れるんだって証明してやる」と心血を込めて、結果子供たちを熱狂させ、延いては大人にも読まれるような作品を書くことになったのか?
はたまた、出版社主導で、何ヶ月に一冊きっちり出版計画を立てて乱発すると言う、あまりに余裕のない制作体勢のなせる業か。
なんにせよ、こんな志のない作品群が先達たちのように芸術的と認められる未来などというものは、万に一つもあり得ない。
ミソジニストの非モテがモテること、レイシストのままの日本が世界に認められることと同様に。
彼らがかような恥知らずな言動を常態化させてしまった背景には、匿名文化のいい加減な事を言いっぱなしにできる特性が一因としてあることには疑いがない。
さらにネットは、大多数の読者が「くだらない」と思っている事実も覆い隠す効果がある。
「くだらない」戯れ言を世界に発信し、ごく少数の生真面目な読者がそれに反論することで、彼らはそれが「議論に値する」意見であるかのように錯覚する。
いくら自分自身でもどう考えても「くだらない」はずの放言でも、そう彼らは錯覚している。
だから脳機能を正常に作動させて、自分自身の言ってることを客観的に見直すことができない。
客観的にものを見れば、横柄な男は嫌われ、低俗な小説もどきが芸術として相手にされず、人命を軽んじる国が世界から歴史から認められるはずがないのは、「考えれば」などという言葉を使うことすら大げさに感じるほど当たり前に認識できる。
それができないのはまさしく病気であって、これら非モテ・ラノベ・ネトウヨ論者に共通する病状こそ現代日本に蔓延った根本の病を顕著に代表するものであると考えられる。
海外のテック記事で「同じことを繰り返しながら違う結果を期待するものを狂人と呼ぶなら、それはソニー(の携帯事業)のことだろう」という批評を読んだことがある。
この前半はアインシュタインの言葉とされる名言らしいが(違うらしいが)、ともあれ、これはソニーのみならず現代の日本を覆う理不尽な空気をもっとも正しく表す言葉だろう。
いつ、それに本当に気づけるのか。
イーガン音頭(あるいはイーガン節)っていう、オリジナルの音頭なんだ。
イーガンってのは外国のSF作家らしい。俺は読んだことないんだけど、町内会によく顔を出してる妻は忖度的ノルマで本を読まされるらしい。
妻は楽しそうに読んでいるのだが、他人に押しつけられたモノを楽しく読んでいる姿をみて夫としては内心穏やかではない。
妻がいきなり、ワンの絨毯で構成される巨大な生物がもつハードディスクのなかで計算される宇宙に意識のある生物がいる! とかヤチマやっちまったな! とか
スプリンターの可愛い虫たちがほとんど一代でアインシュタインを超える! とか。
妻が語るようなイーガン作品をバックグラウンドに、数年前に町内会副会長はオリジナルのイーガン音頭を作成。会長の承認を経て正式な音頭になった。
きょうも祭りの準備。集会所前の公園から囃子の音が聞こえてくる。子供達はバーチャル空間のサッカー場がうんこやゲロやヒツジにまみれる「くだり」を何の疑問もなく当たり前のこととして、楽しんでいる。